マズダ教 vs ミスラ教 [古代バビロニア&ペルシャ]

イラン、ペルシャでは多くの神々が信仰されましたが、中でも重要な神は、原初の至高神のカップルだった「ミスラ(ミトラ)」と「アパム・ナパート(ヴァルナ)」です。

ミスラは昼天の光神で契約と友愛、牧畜と戦争の神、アパム・ナパートは夜天と原初の水神で正義の神という性質がありました。
また、ミスラは天地を分け、太陽にあって宇宙を司る外在神(そして後には救世主)、アパム・ナパートはインドのプルシャのように死んで生物を生む内在神でもありました。
この2神は本来は一体の存在でしたが、2神が別の存在と考えられることが多くなりました。

その後、智恵の神である「マズダ」がここに加わり、3神一体となり、さらにアパム・ナパートの正義、死して生命を生む内在神としての性質を吸収しました。

一方、アパム・ナパートの水神としての性質は、川神である女神「アナーヒター」によって引き継がれました。

このように、古代イランの正統派の信仰する神は、3神であり、3神一体の神であり、その主神をミスラとしていました。

ミスラ
友愛と契約の神、牧畜と戦争の神、太陽神、外在神
アパム・ナパート(アナーヒター)
原初の水神、(生物の内在神)
アフラマズダ
智恵の神、生物の内在神


-12C頃に、東イラン出身のゾロアスターが善悪2元論と抽象的な観念によって宗教改革をし、その影響は全ペルシャに広がりました。
さらに、東イランではマズダ1神を至高神として、ミスラやアパム・ナパート、アナーヒターらを否定する「マズダ教」が現れました。
マズダ教では、ミスラは単なる冥界の審判神です。

ですが、マズダ教の勢力範囲はあくまでも東イランだけで、他の地域では3神一体のミスラを主神とする伝統派が勢力を持っていました。
このマズダ教と伝統派であるミスラ派との闘争は現在に至るまで続いています。

最初のイラン系帝国を作ったメディア人はミスラ派でした。
メディアはカルデア(新バビロニア)と共にアッシリアを滅ぼし友好関係を築きました。
その後、メディアから独立したアケメネス朝ペルシャが世界最初の巨大帝国となり、カルデアも滅ぼしました。

この歴史の流れの中で、ミスラ派とカルデアの占星学が習合しました。
「マジック(魔術)」の語源となった「マギ(マゴス神官)」は、最初はメディア人の司祭を指し、次にカルデア人の司祭を指しました。
彼らは、ミスラ派とカルデア占星学が習合した信仰を持っていました。
メディア人とカルデア人は混血し、後のクルド人になりました。

マズダ派がペルシャの民族宗教としてペルシャ人だけを対象にするのに対して、ミスラ派はすべての人を対象にする最初の世界宗教でした。
この関係は民族宗教ユダヤ教と世界宗教キリスト教の関係や、民族宗教ヒンドゥー教と世界宗教仏教の関係にと同じです。

アケメネス朝ペルシャではマズダ派が西方へ布教し、勢力を伸ばしました。
しかし、これによって、マゴス神官のミスラ信仰と、ゾロアスター教が互いに習合して複雑な様相を呈するようになります。

アケメネス朝の王家の神はミスラでしたが、帝国としての国教は折衷的なゾロアスター教でした。
後者は、ミスラ、マズダ、アナーヒターを対等に扱うもので、「普遍(カトリック)ゾロアスター教」、あるいは「3アフラ教」と呼ばれます。
「アフラ」は主という意味で、3神のみに使われました。

また、その核心には、メディアの原初の無限時間神「ズルワン」から3アフラ神が生まれたとする「ズルワン主義」がありました。
ズルワン主義はカルデアとイランの神学を統合したもので、東西の神智学の根本源流となりました。

ですから、「ゾロアスター教」という言葉の使われ方は複雑です。
一般的にはマズダ教のことを指すことが多いのですが、ミスラ派やズルワン主義を含めて指すこともあります。
実際のゾロアスターその人の思想ははっきり分かりません。
マズダ教に近かったという説と、伝統派に近かったという説があります。

その後、ヘレニズム時代のセレコウス朝ペルシャ、アレサコス朝ペルシャ(パルティア)では、ミスラ派は折衷的なゾロアスター教から独立して「ミスラ教」と呼べるものに発展しました。
また、ギリシャの宗教とも習合しました。

ですが、ササン朝ペルシャではマズダ教が巻き返します。

また、中央アジアの強国バクトリアではミスラ教が国教となるなどして、トルコ東南部のハッラン、シリアのニネヴェ、クルディスタン、中央アジア、パキスタンなどにミスラ教のネットワークができあがりました。

ミスラ教は世界宗教としてユニヴァーサルな性質を持っていたので、世界各地でその地の宗教と習合し、その地の神々の名前を使って布教しました。
ですから、その存在が確認しにくいのです。

ギリシャ・ローマ化(秘儀化)した「ミトラス教」、グノーシス主義化した「マニ教(中国では明教)」、カルデア的な「サビアン教」、イスラム化した「スーパー・シーア派」、「ヤズダニズム(天使教)」、「ミール派イスラム」、ヒンドゥー化した「パミール派」、仏教化した「弥勒信仰」、チベット化した「ボン教」、中国化した「弥勒教」などは、ミスラ教が展開したものです。
最後の密教である「カーラチャクラ・タントラ」もミスラ教の大きな影響があります。

ミスラ教やズルワン主義は、全ユーラシアを席巻した最大の世界宗教運動であり、神智学の歴史においても中心的な役割を演じました。
ですが、ミスラ教はキリスト教の源流であり最大のライバルであり、キリスト教以降もキリスト教を取り入れて発展した宗教であるため、その存在は、西洋世界ではタブーでした。

また、近代のヨーロッパでは、「ペルシャ(帝国)の宗教はマズダー1神を信仰するゾロアスター教であった」という偏見がありました。

そのため、実際に世界最大の世界宗教として世界史に大きな影響を与えたはずのミスラ教やズルワン主義に対する研究が遅れていました。
最近ではゴードン学派によって研究が進んでいますが、日本ではほとんど紹介されていません。


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