新プラトン主義 [ヘレニズム・ローマ]

「新プラトン主義」は古代哲学の最後を飾る哲学で、ギリシャの神秘主義的な哲学の大成された形を示しています。
そして、中世以降のイスラム世界や西欧世界の神智学、神学、哲学に大きな影響を残しました。

「新プラトン主義」という呼び名は後世の学者によるもので、アレキサンドリア、シリア、ローマ、アテナイなど各地で約300年に渡る活動を総称したものなので、その思想内容は様々です。

新プラトン主義は、異教哲学を否定する529年のユスティニアヌス帝の勅令を機に、衰退しました。

新プラトン主義は、アレキサンドリアの神智学者アンモニオス・サッカス(175年頃243年頃)に始まります。
「サッカス」という名前は、5Cの文献に初めて現れるもので、「粗衣をまとう」という意味だとされますが、サカ族の出身者ということを示しているという説もあります。
サカはペルシャ系の遊牧民族で、2-5Cには西北インドに王朝を立てました。
ですから、彼のバックボーンにはペルシャやインド思想があったかもしれません。
彼は著書を残しませんでしたが、プラトンとエジプト神学の影響を受けたようです。
先に書いたように、「神智学」という言葉を使い始めたのは、アンモニオス・サッカスの一派です。

新プラトン主義を代表する神智学的な哲学者のプロティノスは、エジプト内陸部に生まれ、アレキサンドリアでアンモニオスの弟子となり、ペルシャとインドに行こうとしてペルシャヘの遠征軍に参加しましたが、これを果たせず、その後ローマで活動しました。
もしペルシャに渡っていると、マニとの歴史的な出会いを果たしていたかもしれません。
抽象的思考に長けた哲学的神智学の天才プロティノスと、神話的思考に長けた啓示宗教的神智学の天才マニが出会っていると、神智学の歴史は大きく変わっていたでしょう。

プロティノスの弟子のポリピュリオスはシリアで生まれ、ローマでプロティノスの弟子となりました。
また、ポリピュリオスの弟子イアンブリコスはシリアで活動しました。
新プラトン主義の最後の大哲学者プロクロスはビザンティンで生まれ、アテナイで活動しました。
そして、アテナイのアカデメイア最後の学長のダマキオスは、シリアで生まれ、アレキサンドリアを経て、アテナイに移りました。

プロティノスは純粋な哲学者で、プラトン的な観照と抽象的な思考を重視しました。
ですが、他の多くの新プラトン主義者、特にイアンブリコス以降はズルワン主義やヘルメス主義の影響を強く受けて、プラトンの著作と共に『カルデア人の神託』を聖典していました。
彼ら自身は自分達の思想をプラトン神学というよりもカルデア神学だと考えていたかもしれません。
彼らは秘儀の伝授を受け、降神術(高等魔術)も重視していました。


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