イスマーイール派神話の哲学化 [イスラム教]

イスマーイール派の神話は、ファーティマ朝期にスィジスターニやキルマーニーらによって哲学化されました。

<スィジスターニ>

スィジスターニは新プラトン主義の影響がペルシャ学派の哲学者です。
彼はカルマト派の神話・思想とペルシャ学派の哲学を統合しました。

スィジスターニにとっての究極存在である神は、不可知の神です。
「神はAでない」「神は非Aでもない」と二重否定でしか表現されません。

神は「あれ!」という言葉と同一視される「創定行為」によって第一の存在者である「知性」=「第一被造物」を創造します。
「知性」はその後の流出の起源であり、形相と質料の起源です。

「知性」は「普遍霊魂」=「第二被造物」=「後継者」を流出します。
「知性」が現実態において完全であるのに対して、「普遍霊魂」は可能的存在です。

「霊魂」は「自然」と流出しますが、「自然」に惹きつけられて下位世界に下降します。
そのため、「霊魂」は「知性」との距離が出来て「不安」を持つ存在なのです。

「自然」は「7天球」、「4元素」、「鉱物」、「植物」、「動物」、「人間」という段階で流出・創造します。

「普遍霊魂」は人間の中には「部分霊魂」として入り込みます。
人間は死後に「普遍霊魂」に復帰できます。
そのためには、肉体の束縛を離れた純粋形相に対する認識(グノーシス)が必要です。
人間がグノーシスを得るためには、聖職者の組織が必要です。

以上のように、スィジスターニはプロティノス的な神・知性・霊魂の3位階を考えていて、プトレマイオス的な10階層を取り入れたペルシャ学派のファーラビーの流れとは異なります。

しかし、また同時に、スィジスターニも7つの周期、7人の告知者、7文字の獲得というカルマト派の神話を共有しています。
カーイムは「知性」からの導きを受けた特別な存在です。
そして、「純粋霊魂」である最後のカーイムの出現によって、人間は肉体を離れて、元の位階に復帰した普遍霊魂に一体化します。


<キルマーニー>

キルマーニーの哲学は、ファーティマ朝の主流です。
宇宙論的には、スィジスターニとは異なり、プトレマイオス的な10階層を取り入れたファーラビーの流れにあります。
また、宇宙論に「堕落」を含まないなど、神話的側面が希薄なことも特徴です。

キルマーニーの哲学は、ファーティマ朝が終末を成就できなかった現実を正当化する必要に答える部分があります。
彼はファーティマ朝を、千年王国のような存在として位置づけます。


究極存在としての神を、二重否定を用いて定義する点はスィジスターニと同じです。
神による無からの創造(創定行為)を流出の上に接合する点も同様です。

ただ、「あれ!」という創定行為を、神の側よりも「第一知性」の側に考えることで、神の不可知性を徹底させます。
「第一知性」は神を思考することはできません。
神と「第一知性」の間には、絶対的な断絶があるのです。

神は「第一知性」を創造しますが、その後、「第一知性」は2系列の知性を流出します。

一つは現実態の「現実知性(離在知性)」の系列です。
これは質料を伴わない知性であり、天使でもあります。
これらは「第二知性(第一流出体)」から「第十知性」までです。
「第一知性」はアリストテレスの言う「不動の動者」であり、「第十知性」は「能動的知性」です。
また、「第二知性」をスィジスターニの「普遍霊魂」と見なしています。

もう一つは「可能知性」の系列で、「質料」と「形相」からなる天球や天体、そして自然などの存在です。
これらは「第三存在者(最高天球)」から「自然(月下界)」までの10の存在です。
「第三存在者」はアリストテレスの言う「第一質料」でもあります。
「自然(月下界)」は「生成消滅界」とも呼ばれます。
そして、天体の霊魂も、人間の霊魂も「可能知性」です。

10の「現実知性」=天使は、それぞれ対応する10の天球を支配します。

各知性には人格的に表現される側面は少なく、流出は機械的に起こり、堕落は存在しません。

(キルマーニーにおける3つの階層の対応)
------------------
<可能知性>
<現実知性(天使)>
<地上の聖職者>
最高天球(第三者)
第一知性(不動の動者)
告知者
第二天球
第二知性
基礎者
第三天球(土星)
第三知性
イマーム
第四天球(木星)
第四知性
バーブ(門)
第五天球(火星)
第五知性
第六天球(太陽)
第六知性
第七天球(金星)
第七知性
第八天球(水星)
第八知性
第九天球(月)
第九知性
月下の自然
第十知性(能動的知性
入門者


「第一知性」は「一者性」を持つ一なるものですが、同時に、10の属性を持つ多なるものです。
10の属性は、「創定行為」「真理」「一者性」「完璧性」「完全性」「永遠性」「知性」「知識」「能力」「生命」です。

「第一知性」は「生命」を本質としながら、他の9の属性を付帯しています。
このような存在として、「第一知性」は「第一完全態(第一究極)」であるとされます。

「第一知性」から流出した人間の霊魂は、可能態である「可能知性」の状態になっています。
そして、人間は、「現実知性」となって「第二完全態(第二究極)」を目指します。
「第二完全態」は、「生命」と他の9の属性が結びついて一体となった状態です。

これが宇宙の目的であり、歴史です。

また、以上の宇宙論的な存在者と、地上の聖職者の位階などが対応すます。
「第一知性」は「告知者」、「第二知性」は「基礎者」、「第三知性」は「イマーム」、それ以下の知性もそれ以下の聖職者の位階と対応します。
また、7人の「イマーム」が「第三知性」から「第九知性」に、終末の「カーイム」が「能動的知性」に対応するとも考えます。

「鉱物」は「自然霊魂」、「植物」は「成長霊魂」、「動物」は「感覚霊魂」を持ち、人間はさらに「理知霊魂」を持ちます。
「理知霊魂」は質料を必要としません。
これら自然は進化論的に順次、生み出されます。
キルマーニーはスィジスターニのように、人間が「普遍霊魂」を分有するとは考えません。

「告知者」は、感覚的・想像的認識によって「能動的知性」から照明を受け、結合し、知的な導きを受けます。
「告知者」、「基礎者」、「イマーム」はいずれも「現実知性」です。

終末の「カーイム」は「第二完全態」です。
人々は「カーイム」を通して肉体の束縛・質料を離れ、「現実知性」となり「第二完全態」となります。
終末に「第一知性」から聖霊が人間の霊魂の中に入り、人間を作り変えます。

ファーティマ朝では「イマーム」が常に地上に存在するとします。
また、終末は間近に迫っていないとしました。
こうして、ファーティマ朝は終末を先取りしつつも終末は訪れない、千年王国的存在です。

「カーイム」は律法(シャリーア)を廃棄しません。
また、聖職者の組織も廃絶されず、霊的世界にそのまま移行します。

キルマーニーの思想は、イエメンのタイイブ派にも受け継がれましたが、タイイブ派では再度、神話的側面が統合されます。
 


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