説一切有部とヴァズバンドゥの『倶舎論』 [古代インド]

西北インドで中心的な勢力を持ち、北伝の大乗仏教の修行や思想に大きな影響を与えたのが「説一切有部」です。

説一切有部は、「三世実有」、「法体恒有」という表現に代表されるように、特殊な実体主義的哲学を持って言われることが多いようです。
その部分は大乗仏教や軽量部から批判の対象となりました。
しかし、上座部と説一切有部を比較しても、煩瑣な部分をのぞけば、大きな違いはないという印象を持っています。


『阿毘達磨倶舎論(以下、倶舎論)』は、5世紀頃に、ヴァズバンドゥ(世親)が書いたもので、北伝のアビダルマ論書として最も有名な書の一つです。
これは、説一切有部の『発智論』、『大毘婆沙論』をベースにしながら、それを説一切有部の分派である軽量部の見解を取り入れた立場から書きました。

ちなみにヴァズバンドゥはその後、大乗仏教の瑜伽行唯識派に転向し、唯識派でも重要な論書を残しています。


ここでは、『倶舎論』に書かれている修行体系と、「須弥山宇宙像」と呼ばれる宇宙論を詳細しています。


<宇宙論>

「須弥山宇宙像」は、世界山を中心とした宇宙論です。
仏教では原始仏典の長部『世記経』で記載されて以来、徐々に精密化していきました。
アーリア人の神話の影響や、オリエントの宇宙論の影響があると思われます。
また、プラーナ文献で語られるヒンドゥーの宇宙論ともそっくりです。

神々を含めて生物が輪廻する世界は大きく3つの階層に分けられます。
上から「無色界/色界/欲界」の三界です。
それぞれ、「形を越えた精神の世界/執着はなくしたが肉体を持つ生物がいる世界/いまだ執着を持つ生物の世界」です。

三界は、六趣(六道)が輪廻する世界です。
梵天のような一部の高いレベルの神を除き、神々を含めた六趣のほとんどの生き物は欲界にいます。
六趣の一つ地獄も欲界の地下にいます(あります)。

さらにこの三界の上には、精神と物質を超えた涅槃の領域である「滅盡定」があります。

「無色界」は4つの層で構成されます。
上から「非想非非想処」、「無所有処」、「識無辺処」、「空無辺処」です。
「色界」は大きく分けて4層に別れます。
上から「第4禅」、「第3禅」、「第2禅」、「初禅」です。
いずれも、「止」の瞑想のレベルに対応しています。
それぞれがさらに多数の層の天によって構成されます。
第4禅の一番上は、仏が涅槃に入っていく場所である「色究竟天」です。

「初禅」以下の世界を「一世界」と呼びます。
この「一世界」は無数に存在します。

「欲界」は上から「六欲天/地上/地獄」で構成されます。

また、地上は巨大な風輪の上にあり、風輪の上に水輪がありその上部は金輪になっています。
金輪の上は海になっていて、その中心には大陸と「須弥山」と呼ばれる「世界山」があります。
その下半分には4層の張り出しがあって、これが四天王が住んでいる「四大王衆天」です。
そして、頂上には帝釈天の宮殿があり、他にも33の神々が住んでいる「三十三天」です。
「須弥山」の上空には、空中天の形で、「六欲天」の残りの4天があります。

人間(インド人)は「須弥山」のある大陸の南方の大陸に住んでいて、その北方の池からは卍状に旋回しながら4つの川が流れ出しています。

部派仏教の宇宙論では、宇宙全体は消滅しません。
消滅するのは宇宙の下層だけなのです。
ただ、生滅の規模には3段階があって、3重に生滅が繰り返されます。
そして文化の盛衰を入れると4重の生滅が繰り返されます。

文化の盛衰は戦争、飢饉、流行病のどれかによって「1劫」ごとに起こります。
ちなみに1劫は想像できないほどの長い年数を表します。

最も小規模な宇宙の生滅は、「初禅」以下の一世界の生滅です。
これは「成劫/住劫/壊劫/空劫」という4つの時期を経て、繰り返されます。
一世界の破壊は火災によって起こります。
各時期は20劫の時間を要し、全体で80劫かかります。この周期を「大劫」と呼びます。
現在は、この住劫の9劫目、つまり住劫の折り返しの手前に当たります。
この住劫では1劫ごとに人間の寿命が増減します。
現在は寿命が減少する劫に当たります。

さらに、中レベルの生滅として「第2禅」以下の世界が8大劫に一度、水災によって消滅します。

さらに、大レベルの生滅として「第3禅」以下の世界が64大劫に一度、風災によって消滅します。
この周期を「64転大劫」と呼びます。

各劫には千人の仏が出現します。
現在の劫では釈迦が4番目の仏で、次の仏は5億7600万年後に現れる弥勒です。


<修行階梯>

『倶舎論』では修行階梯は「三道」で構成されますが、実際には準備段階を入れると5段階で構成されます。
「順解脱分」→「順決択分」→「見道」→「修道」→「無学道」の5つです。
この5段階は大乗仏教にも受け継がれ、「五道」と言われます。
大乗では「順解脱分」は「資糧道」、「順決択分」は「加行道」と呼ばれます。

五道の体系は、順序としては「戒」→「定(止)」→「慧(観)」の「三学」を継承しています。

しかし、最初の「順解脱分」の段階で、すでに「戒」、「定」を終えて「観」の段階に入ります。
上座部の『清浄道論』で言えば、「戒清浄」、「心清浄」、「見清浄」、「度疑清浄」までが相当するでしょう。

「順決択分」は『清浄道論』で言えば「道非道智見清浄」、「行道智見清浄」に相当するでしょう。
「見道」からは聖者の段階で、『清浄道論』で言えば「智見清浄」の前半で、預流果までに当たります。
「修道」の段階は「智見清浄」の後半で、阿羅漢向までに当たります。
「無学道」は阿羅漢果です。

『倶舎論』の「観」の特徴は、とにかく「四諦」の観察を繰り返すことです。
『清浄道論』では諸行の無常を対象とした観察の結果として「四諦」を認識を一挙に得るとしたのに対して、『倶舎論』は「四諦」を対象とし、順次認識を得るとします。

まず知的煩悩を絶ち、次に情的煩悩を絶つとして、2つを段階的に明確に区別します。
情的煩悩を絶つには三昧が必要とします。

また、煩悩を絶つに当たって、欲界から色界、無色界へと順に煩悩を絶っていきます。
そしてそれぞれの段階でも煩悩のレベルによって上から下へ、あるいは下から上へと順に煩悩を絶つとして細かく段階分けをしています。
 
 


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