無上ヨガ・タントラの思想と潮流 [中世インド]

「無上(アヌッタラ)ヨガ・タントラ」は、チベットのプトゥンによる密教の発達段階の第4段階に当たるクラスです。
「方便・父(ウパーヤ・ヨーギン)タントラ」と、「般若・母(パンニャー・ヨーギン)タントラ」、「不ニタントラ」の3つに分けられます。

チベットでは、「無上ヨガ・タントラ」クラスの仏教が常識であり、ここに至って初めて、仏教が仏教になったと考えます。

「無上ヨガ・タントラ」には、様々な特徴があります。

怒りや性欲などの煩悩を、単に否定するのではなく、積極的に修行に利用しようとすること、そして、煩悩のない自然な欲望を肯定します。
そのため、「身語心」の三密が、「貧瞋痴」の三大煩悩と、さらには如来、部族と対応づけられました。

それと関係して、「反出家主義」、「反戒律」が掲げられました。
そして、僧院外の修行者や、霊験を持った「シッダ(成就者)」と呼ばれる存在が重視されるようになりました。
「反出家主義」は、大乗仏教の本来の理念ですから、そこに回帰したのだとも言えます。

また、プラーナを高度にコントロールした瞑想法を利用した修行を行うことが特徴です。

別項で紹介したような霊的生理学に基づき、「仏の三身(四身)」の獲得という形での成仏を目指します。

これを「三身(四身)修道」と呼ばれることもあります。

「仏の三身(四身)」の獲得は、輪廻のサイクルの、「死(死の瞬間)」、「死後(中有)」、「生」、それに加えて「受胎」の3つ(4つ)の時点の意識を、智恵にして浄化することで、「法身」、「報身」、「変化身」、「倶生身(清浄身)」という仏の三身(四身)を獲得する行法です。

行法は、自分が仏として曼荼羅の諸尊を生み出す観想によって「空」を認識する「生起次第」と、プラーナをコントロールしたヨガで「空」を認識する「究竟次第」の2種類があります。

「仏の三身(四身)」の獲得は、初めに「生起次第」で、仏として輪廻する観想によって浄化を先取りし、その後、「究竟次第」で、プラーナをコントロールによる各状態のシミュレートによって実際に「仏の三身(四身)」を獲得します。

父タントラ系の「究竟次第」では、「中有」につながる「死」をシミュレートするヨガによって「光明(プラバースヴァラ)」を体験する中で「空」を悟ります。

母タントラ系の「究竟次第」では、「受胎」につながる「性」をシミュレートするヨガによって、「大楽(マハースカ)」を体験する中で「空」を悟ります。

「無上ヨガ・タントラ」は、「空」=「光明」=「大楽」とするのが、特徴です。

ただ、「無上ヨガ・タントラ」が「光明」や「大楽」と共に理解する「空」は、大乗の「空」とは違って、「微細な空」として、その優位が説かれます。


「ヨガ・タントラ」では、一番根源的な仏は、五仏を統括する「大日如来(ヴァイローチャナ)」でしたが、「無上ヨガ・タントラ」では、「阿閦如来」が中央に来たり、五仏を生み出すより本源的な仏としての「本初仏(アーディブッダ)」という概念が生まれました。
「本初仏」は、具体的には、大乗の理想の菩薩の普賢菩薩と、密教の調伏の力を持った金剛手が合体した「金剛薩埵(ヴァジュラサットヴァ)」や、その発展形の「持金剛(ヴァジュラダラ)」、「法身普賢(サマンタバドラ)」などです。

本尊は、本来は秘密仏として、多面多臂の「父母仏(合体尊、歓喜尊)」の姿で描かれます。
マンダラの諸尊も、多くは父母仏の姿で描かれます。
女性尊格は「明妃(ヴィディヤー・ラージュニー)」と呼ばれ、仏の妃の場合は「仏母」です。

これらは、「智恵」と「方便」の一体性を象徴します。
仏母が静的原理の「智恵」、仏が動的原理の「方便」です。

ですが、ヒンドゥー・タントラでは、男性神の「シヴァ」が静的原理、女神の「シャクティ」が動的原理なので、逆です。
「無上ヨガ・タントラ」、特に「母タントラ」では、「ダーキニー(空行母、荼吉尼天)」などの「明妃」が「シャクティ」に対応する動的な女性原理です。

また、「忿怒尊(忿怒相)」が重視されるようになり、「母タントラ」では本尊(守護尊)が忿怒尊になりました。
忿怒形の本尊は、金剛薩埵などがヒンドゥーの尊格を調伏するために忿怒尊に变化した「明王」が発展した尊格です。
踊る姿、多面多臂、父母仏の姿が特徴です。

「父タントラ」の忿怒尊は、大威徳明王(文殊菩薩の变化)の後身の「ヤマーンタカ」が代表で、ヒンドゥー教の冥界王ヤマを調伏します。
「母タントラ」の忿怒の本尊「ヘールカ」は、降三世明王(シヴァを調伏)の後身で、ヒンドゥー教の女神(シヴァの妃など)や、忿怒尊(ヴァイラヴァと妃カーララートリなど)を調伏します。
後者はヒンドゥー・タントラのシャークタ派に対抗する必要から生まれた尊格です。

本尊に関して言えば、「父タントラ」の金剛薩埵も、「母タントラ」のヘールカの元になる降三世明王も、大日如来を守護する金剛手の後身という点では同じです。
初期の三尊形式の段階から、金剛手の金剛部は、調伏という働きを持っていました。

また、忿怒尊は、男性尊だけでなく、本尊の妃である女性尊「ヴァジュラ・ヴァーラーヒー(金剛亥母)」や「ナイラートマー(無我女)」も重視されました。

元々、仏教における女尊は、静的な「智恵」や智恵を導く「陀羅尼」を神格化したものです。
ですが、ヒンドゥー教では、ドゥルガーやカーリーのように、女神には調伏的な側面があり、ヒンドゥー・タントラでは生命力である「シャクティ」を重視します。
母タントラでは、この影響を受けて、「シャクティ」に対応する動的な女性原理を、「明妃」、「ダーキニー」などと表現します。


<方便・父タントラ>

「方便・父タントラ」は、8C後半の「秘密集会タントラ」を代表とする潮流です。

男性の尊格や、修行法では、観想法である「生起次第」を重視します。
また、「究竟次第」では、「死のヨガ(聚執=ピンダグラーハ)」によって、「中有」につながる「死」をシミュレートし、すべてのプラーナを心臓の心滴に収束させ、空性を「光明」として体験(法身の獲得)します。
さらには、プラーナを流出させて「報身」を生み出します。本尊はシヴァ神を調伏するヤマーンタカです。

「金剛頂経」を継承して5部の体系を持っていますが、大日如来に代わって、阿閦如来が五仏の中心となり、さらに、五仏より根源的な「金剛薩埵」、「持金剛」などの「本初仏」が考えられるようになりました。

* 「秘密集会タントラ」については別項をご参照ください。


<般若・母タントラ>

「般若・母タントラ」は、9C以降の「サマーヨガ・タントラ」、「ヘーヴァジュラ・タントラ」、「サンヴァラ」系タントラを代表とする潮流です。

女性の尊格や、それが象徴するプラーナのエネルギー、それをコントロールする修行法の「究竟次第」を重視します。

プラーナをコントロールする「性のヨガ(チャンダリーの火、ビンドゥ・ヨガ)」によって、「受胎」につながる「性」をシミュレートし、ヘソと頭頂の心滴を混合して、空性を「大楽」として体験(法身の獲得)します。
また、「貪欲行」としては、定期的に集団で性ヨガを行う、饗宴的な「ガナチャクラ(聚輪)」が重視されます。

本尊はシヴァ神の妃を調伏する忿怒尊の「ヘールカ」です。
マンダラは、本尊の回りにダーキニーら女尊を8人もしくは4人を配置する「大楽倫」があるのが特徴です。

また、身体部位と尊格、種子を対応させ、身体曼荼羅を確立し、さらにそれを聖地という外部空間と対応させました。
そして、左右管に子音・母音を配置して12宮と対応させたり、呼吸に合わせて1日でプラーナが身体を循環すると考えるなど、時間を体系に組み入れました。


最初の母タントラの主要経典である「サマーヨガ・タントラ」は、「理趣広経」の影響を受けて、8C中頃に、スワット渓谷で生まれた経典です。
「最高の楽」という意味の「サンヴァラ」という概念を重視します。

本尊の「ヘールカ」は、踊るシヴァ(ナタラージャ)、忿怒のシヴァ(ヴァイラヴァ)に相当する最高神になりました。
また、「真実摂経」の5部に「金剛薩埵部」が追加され6部となり、6部が平等に扱われます。
ヴァイローチャナと金剛薩埵以外は、金剛部の「ヘールカ」他、いずれも新しい尊格です。
マンダラでは、主尊の回りに8尊の女神が配置され、「大楽輪」が始まります。
これは、ヒンドゥー・タントラのマートリカー(母神)信仰の影響でしょう。

観想においては、月輪上の母音と子音の文字鬘(文字列)の要素が新たに生まれました。
これは金剛薩埵とその妃の象徴であり、両者の生殖によって森羅万象を生み出すと観想します。
さらに、ヘソの月輪を観想し、その中心の微細な穴から文字鬘が光ながら上昇、下降する、ビンドゥ・ヨガが説かれ、後の究竟次第につながります。


次の主要なタントラである「ヘーヴァジュラ(呼金剛)・タントラ」は、雑多な要素が混在する未整理な経典です。
この経典には、死肉や糞尿を食することを重視したり、慈悲をもって悪行を行うことを勧めたり、息災(請雨)・増益(敬愛)・調伏(呪殺)などの呪術に関する記述も多数見られます。

主尊は、ヘールカの「ヘーヴァジュラ」で、「ナイラートマー」や「ヴァジュラ・ヴァーラーヒー」などを明妃とします。
曼荼羅は、「サマーヨガ・タントラ」のヘールカ族タントラを継承し、主尊を8人のダーキニーが囲む大楽輪があります。
一方、「秘密集会タントラ」の5部を継承し、中央と四方の5ダーキニーは5仏に対応し、4隅の4ダーキニーは4大(仏母)に対応します。

また、初めてはっきりと生理学説として3脈4輪説(3本のナーディと4つのチャクラ)を説きました。

また、ガナチャクラ(饗宴的集団性ヨガ行)が行われる24の聖地を挙げ、それを10組に分けて、大乗の十地に対応させました。
これら聖地には、尸林があり、シヴァの聖地とも重なっています。

また、マンダラの宮殿の外には、8つの「尸林」(死体置き場・火葬場)が描かれます。
ここには、護方神、土地神、ナーガ、死体、夜叉、羅刹、餓鬼、ダーキニー、ダーカなどがいます。

「生起次第」では、五相成身観の成仏のプロセスを、受胎から出産の生理的プロセスに当てはめて解釈します。

「究竟次第」では、クンダリニーヨガに近い「チャンダリーの火」を行い、ヘソのチャクラから頭頂のチャクラまで「世俗の菩提心」と呼ばれる「精液」を上昇させますが、各チャクラを通過する時に、4つの「歓喜」を体験します。

この四歓喜は、「輪廻/涅槃」、「欲/離欲」の2項に関して、「両者の中間」→「輪廻・欲」→「涅槃・離欲」→「両者を離れる」と特徴付けされます。
また、各歓喜は、四つの灌頂に対応します。

1 歓喜  :ヘソ:変化輪:中間:闍梨灌頂:大空 :顕明近得
2 最勝歓喜:胸 :法輪 :輪廻:秘密灌頂:極空 :顕明増輝
3 離喜歓喜:喉 :受用輪 :涅槃:般若灌頂:空  :顕明
4 倶生歓喜:頭頂:大楽輪:止揚:第四灌頂:一切空:光明

「へーヴァジュラ・タントラ」では、最後の歓喜を表現する「倶生(サハジャ)」=「生まれながらの」という概念が重視されました。

また、「父タントラ系」の「四空(四光明)」との対応付けを行い、統合しました。
「へーヴァジュラ・タントラ」での対応は、順番を合致させていません。

* 最後の主要なタントラである「チャクラサンヴァラ・タントラ」については別項をご参照ください。


<不二タントラ>

「不二タントラ」は、父・母の両タントラを統合したもので、基本的に、10~11Cに成立した「カーラチャクラ(時輪)タントラ」を指します。

「カーラチャクラ・タントラ」は、六仏に対応した6部(金剛薩埵部を追加)での体系化を行いました。

また、仏の四身(従来の三身に倶生身を付加)、四ライフサイクル(誕生、生、死、中有)、四意識(覚醒、夢、熟睡、性的絶頂)を対応させた、四周期理論を体系化しました。

また、身体曼荼羅では、12ヶ月を12護法神に、28日を28女神に対応させ、占星学と統合しました。

瞑想法に関しては、父タントラの「死よヨガ」と母タントラの「性のヨガ」の両方を使い、心滴の融解液を中央管の中に満たすことで、4つの心滴から「仏の四身」と、「空色身(虹身)」を得ます。


「カーラチャクラ・タントラ」は、最後のインド仏教の経典であり、その原型は、イラン系の人間によって、中央アジアで作られたと推測される経典です。

ミトラ教などのイランの宗教の終末論の影響を受けてて、シャンバラという不可視の理想の仏教国の存在や、イスラム教との最終戦争の予言などを含んでいます。
こうして、全インド仏教を統合すると共に、終末論、占星学などの西方の思想も統合し、インドにおける神智学の一大統合をなしとげました。

* 「カーラチャクラ・タントラ」については別項をご参照ください。


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雲水

いつも拝読させて頂いております。非常に勉強になり、感謝しております。質問と感想です。

・母タントラの大楽とは四歓喜の倶生歓喜と考えて良いでしょうか?

・母タントラの行法をみるとヨガのクンダリーニ、カバラの中央の柱、仙道の大周天の行法に近いものを感じます。(意識をチャクラに沿って上下させることによって、大楽または歓喜を得る。)

・それに対して、父タントラの光明は臨死体験のときによく語られるトンネルを抜けた光に近いものを感じます。こちらもクンダリーニの応用と思われますが、ここまで具体的な行法はチベット仏教以外ではみられないのではないでしょうか?
by 雲水 (2020-04-12 21:44) 

morfo

コメントありがとうございます。
返事が大変、遅くなって申し訳ございません。

「大楽」は「倶生歓喜」とイコールですね。

母タントラの行法は、ヒンドゥー系のクンダリーニ・ヨガとは明らかに同系で、仙道の大周天の行法とも似ていますね。
「空」の智恵の有無が違いですね。
カバラの中央の柱とは似て非なるものでしょう。
意識の移動よりも、プラーナの移動とビンドゥの融解が重要だと思います。

父タントラの光明は、臨死体験のときには意識を失う領域ですので、トンネルを抜けた光よりずっと後のものだと思います。
多分、クンダリニーの応用ではないと思います。
by morfo (2020-08-10 16:21) 

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