シヴァ教カシミール派 [中世インド]

8-9Cのヴァスグプタによる「シヴァ・スートラ」に始まるのがシヴァ教の「カシミール・シヴァ派」です。
カシミールは、古来シヴァ信仰が盛んな地です。

カシミール派には、さらに次の2つの分派があります。
「振動派(スパンダ・シャーストラ)」は、上述したヴァスグプタの流れを組む派で、シヴァは自らの意志だけで創造を行うとします。
「再認識派(プラトヤビジュニャーナ・シャーストラ)」は、「シヴァ・ドリシュティ」を著したソーマーナンダに始まる分派で、アビナヴァグプタを代表的な思想家とします。

カシミール派の思想は以下の通りです。

カシミール派は、本来二元論的なシヴァ派の伝統的な聖典の「アーガマ」を、シャンカラの影響を受けて一元論的に解釈します。

「最高シヴァ」が、自由意志で「創造」、「維持」「帰滅」、「隠蔽」、「恩寵」という5つの働きを行うとしますが、これは「シャイヴァ・シッダーンタ」と同じです。

また、「最高シヴァ」と「個我」の同一性の知識が解脱であり、それがないことが束縛であること、「最高シヴァ」が、「個我」を救うために世界を創造し、「汚れ(マラ)」が弱まった時点で、グルの姿となったシヴァの恩寵によって儀礼(解脱を与えるディークシャー)を行なって取り除くとします。

カシミール派も「恩寵」を重視しますが、「無知」も含めて、その除去(宇宙創造)の全体は、「最高シヴァ」の「遊戯」であるとも表現されます。

カシミール派は、一元論的な「最高シヴァ」から、「パティ(主)」=シヴァ、「パシュ(家畜・獣)」=個我と現象世界、「パーシャ(縄)」=6つの覆い、という3実体、細かくは36原理を、実体として展開します。

カシミール派の宇宙創造論は、有神論的な原理をサーンキヤ哲学の25原理の上に置くという点で、ヴィシュヌ教の「パーンチャラート派」と同じです。

まず、「最高シヴァ」は、まず、純粋観察者で、静的で、光輝である「シヴァ」と、自己反省を本質して、動的で、世界を生む「シャクティ」が一体なる状態に展開します。

次に、そこから「永遠のシヴァ(死体が象徴)」、「主宰神」、「清浄な知」という3原理を生み出します。
ここまでは「パティ(主)」の段階で、「清浄な道」と呼ばれます。

次に、「6つの覆い(カンチュカ)」と呼ばれる、原物質の「マーヤー」と「5つのパーシャ」を生み出します。
「5つのパーシャ」は、「ニヤティ(被限定者)」、「カーラ(時間)」、「カーマ(執着)」、「ヴィディヤー(限定された知)」、「カラー(限定された能力)」です。

この「6つの覆い」=、「パーシャ(縄)」が、以下に展開される「パシュ(家畜・獣)」=サーンキヤ哲学の「25原理」を制限します。
ですから、「プルシャ」も、純粋な観察者ではなく、制限された行為の主体でしかありません。


実践においては、ヨガは「内的供養」、儀式は「外的供養」と表現されますが、前者が後者の前提となります。
「内的供養」は、マントラを身体に置いていく「ニヤーサ」による自己神化を本質とします。
マントラはエネルギーの人格化であり、神格そのものであると考えます。

「内的供養」では、観想とマントラを唱えながら、指先で自分の身体の各部分に、対応する神のマントラを置いていきます。
足先から順番に、36原理を上昇していくのです。

上昇による自己神化で終わらず、その後に下降がありますが、これの過程は、「清い原理の創造」と呼ばれます。

救済のプロセスは、まず、シヴァの自由意志による「恩寵の降下(シャクティパータ)」があります。
これによって、シヴァへのバクティ(信愛)の念が起こります。
そして、「ディークシャー(儀式)」を受けたいという気持ちが生じます。
そして、「清浄な知」がシヴァの恩寵の光として体験され、自身がシヴァであることを思い出して(再認識)、解脱に至ります。

この「再認識」は、「恋にこがれる美人」に喩えられます。



宇宙論の階層
主:最高シヴァ/シャクティ
主:永遠のシヴァ/主宰神/清浄な知
縄:マーヤー/5つのパーシャ
獣:サーンキヤ哲学25原理


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