シク教(カビールとナーナク) [中世インド]

シク教は、16Cにインドのパンジャーブ地方で、ナーナクを開祖として誕生した宗教です。
その本質は、ヒンドゥー教とイスラム教を、普遍主義的で、神秘主義的な内的体験重視の観点から統合しようとしたものです。


シク教は、イスラム教徒が侵入したインドの西北地域での、ヒンドゥー教との交流の中で誕生しました。
一神教で偶像を否定するイスラム教、多神教的で偶像(地上で活動すること)を肯定するヒンドゥー教は、一見まったく異なります。
シク教は、異質な2つの宗教の、その表面的、儀式的な部分を徹底的に否定します。
そして、神秘主義的な体験をもとに、神の唯一性、内在性を基本とする単純な教義によって両宗教を統合しました。



第二次大戦後、英領からヒンドゥー教のインドと、イスラム教のパキスタンが分離独立した時、シク教のパンジャーブは独立を勝ち取れず、多くのシク教徒が世界に移住しました。
ターバンに象徴されるインド人の姿は、この移住したシク教徒から来ています。


シク教には、大乗仏教と似たところがあります。
大乗仏教は、クシャーナ朝などのイラン系の王朝がインド西北から侵入したことによって、イランの宗教とインド仏教が習合して生まれました。
シク教は、ムガル朝に至るイスラム系王朝がインド西北から侵入したことによって、イスラム教とインド・ヒンドゥー教が習合して生まれました。
両宗教は、習合という点以外にも、カースト制を否定する点、在家主義の点でも似ています。


ですが、新仏教を創出したアンベードカルは、最初、アウトカースト民と共にシク教に改宗しようとして、拒否されたため、新仏教へ至ったといういきさつがあります。



<背景>


シク教のバックボーンには、スーフィズムとバクティ信仰があります。
この2つには神に対する愛を特徴としている点で、似ていますし、バクティ信仰にもスーフィズムの影響があったでしょう。


8Cからイスラムのインド侵入が始まりますが、同時に、スーフィー達が、インド民衆に対して布教を開始しました。
バクティとズィクル(神の名を唱える)を説くというシンプルなものでした。
初期のスーフィーでは、11Cのイスマーイール派のヌールディンが有名です。
そして、12C以降には、各地にスーフィー各派の道場ができました。


13Cからは、奴隷王朝、デリー=スルタン朝などのイスラム王朝が次々生まれることになり、16Cにはムガル帝国によって、インドのイスラム王朝は安定期を迎えます。
ムガル帝国のアクバル大帝は、神秘主義的宗教から強い影響を受け、諸宗教を統合する志向を持っていて、それはディーニ・イラーヒーが記した「神の宗教」に残されています。



シク教の教祖のナーナクの思想は、その先駆をカビールに見ることができます。
さらに、そのカビールは、ラーマーナンダに影響を受けました。


ラーマーナンダは、1400頃、プラヤーガに生まれました。
シュリー・ヴァインシュナヴァ派の教師に教わり、南インドに行ってラーマーヌジャ派に参入したようです。
その後、彼は、バクティを北インドに持ち込み、ヴィシュヌ派バクタとして活動しました。
彼の特徴は、異教徒やアウトカーストも弟子にしたこと、沐浴のような形式的な行為を否定したことです。


カビールは、1440頃、バナーラスに生まれました。
ナート派からイスラム教に改修した親に育てられ、ラーマーナンダの弟子になりました。
そして、在家の宗教詩人として活躍しました。


彼は、はっきりと、イスラム教とヒンドゥー教の統合を目指しました。
その普遍主義的な観点から、両宗教を批判し、両宗教の儀礼を否定し、聖典の不要を訴えました。
あらゆる形式的なもの、寺院も礼拝堂も、沐浴も巡礼も不要だと訴えました。


彼の思想の特徴は、神の唯一性、内在性です。
そして、どのような名でも良いから神の名を唱えること(ズィクル)を説きました。


彼の思想は、直弟子のバグワーン・ダースによる「ビージャク」や、シク教聖典の「アーディ=グラント」に記されています。
シク教は、先駆者としてカビールを大きく評価しています。



<ナーナク>


グル・ナーナク(1469-1538)は、パンジャーブ地方のラホール近くの村に生まれました。
幼い頃からイスラム教とヒンドゥー教の両教に接して育ち、30歳の時に神秘体験によって開眼しました。
その後、インド、ペルシャ、アラビアを回る25年の巡礼に出かけます。
この途中、カビールに会ったという伝説がありますが、確実な証拠はありません。
また、多くのスーフィーと交渉を持ちました。
その後、カタルプールで教えを説き始め、シク教が誕生します。


ナーナクの思想は、カビールとほとんど同じです。
普遍主義と、神秘主義的な内的体験重視の観点から、イスラム教、ヒンドゥー教の統合を目指しました。
そして、人類の同朋性、男女平等を説きました。
また、在家主義という点も、カビールと同じです。


彼の思想は、「ヒンドゥーでもなければ、ムスリムでもなく、唯一の神のみ」という言葉に表れされています。


彼も、儀礼や巡礼のような形式的な行為を否定します。
聖典は否定しませんでしたが、神の代弁者のグルの言葉を信じるようにと訴えました。
そして、心の中に内在する神との合一体験を重視し、神への帰依(バクティ)、神の名を繰り返して唱えるズィクルを説きました。


おそらく輪廻とカルマを信じていましたが、来世の救済は神の御業なので、そのことを考えず、今この世の一瞬一瞬を主体的に生きることを説きました。


シク教に至る神秘主義的なイスラム教とヒンドゥー教の統合は、「カーラチャクラ・タントラ」やイスマーイール・パミール派のような、イラン系神智学とインド神智学を統合した派とは正反対のベクトルを持っています。
民衆に親しみやすいシンプルな教義と実践が特徴で、むしろ、神智学的を不要としています。


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