天師道 [中国]

道教の源流の一つである五斗米道は後漢末に、張陵によって始められました。
五斗米道は、「道(タオ)」を神格化した「太上大道(=無極大道)」を最高神とし、鬼神に祈祷して罪を取り除いて病気を治療することに重点を置いていました。

五斗米道は、漢から独立した政権を建てていましたが、やがて張陵の孫の張魯の時に曹操に投降しました。
張魯に従って多くの人が南から北方に移住しました。
張魯が曹操から優遇されて大官になると、官僚の多くが影響を受けて五斗米道を学びました。

その後、五斗米道は、「天師道」という名前に変わっていきます。

五斗米道・天師道は、北魏の冦謙之(365-448)の改革によって、北方では「新天師道」、「北天師道」などと呼ばれるようになります。
彼は、教職の世襲を禁止し、教団規則を厳密化しました。
彼の改革によって、天師道は、貴族階級に浸透しました。

一方、南朝の宋(劉宋)でも、腐敗に対する改革が行われ、政治色が薄れてより宗教的なものになり、教団は出家した道士が道観に住むようになります。
そして、仏教と対比して、自分たちの宗教を「道教」と命名しました。
この時、狭義の「道教」=「天師道」が成立しました。


天師道の特徴は、「三天思想」です。
これは、鬼神の支配者が「六天」から「三天」に変わると太上老君が五斗米道の張陵に伝えたとするものです。
「三天」は、「太上大道」の居場所であり同格の神格です。
そして、「三天」を助ける道が「正一盟威の道」と呼ばれます。

その後、天師満では、「霊宝経」の最高神の「元始天尊」が取り入れられ、「太上大道」と一体化されました。
また、「太上老君」が「太上大道」を補佐する存在で、玄・元・始の三気からなる「玄妙玉女」の左脇より生まれたとされました。
ですが、その後、「太上大道」と同格の存在に昇格していきます。


江南の陸修静(406-477)は、道教経典の整理を行い、「三洞経書目録」(471)を著しました。
この分類法は「三洞四輔十二類」(三洞説)という分類法で、道教の基本としてその後も受け継がれ、整備されていきました。
この分類は、天師道がこれまでの道教系思想を統合する存在であることを示しています。

「三洞」とその重要さの順位は次の通りです。

1 洞真部:「上清経」、「黄庭経」など、思神、誦経、修丹、善行が特徴
2 洞玄部:「霊宝経」など、法事、呪符が特徴
3 洞神部:「三皇経」など 葛洪 

「四輔」とその順位は次の通りです。
1 正一:三洞全体を補佐、「正一経」を含む
2 太玄:洞真部を補佐、「老子道徳経」を含む
3 太平:洞玄部を補佐、「太平経」を含む
4 太清:洞神部を補佐、「金丹経」を含む

結局、「正一経」が一番重視されたことになります。

また、道士の7位階は「正一法位」と呼ばれ、この「三洞四輔」の学習の順番と対応して作られました。
そして、彼は、戒律と斎醮儀規を制定しました。


唐時代には、「三洞四輔十二類」を基本として、「道蔵」の編纂が始まりました。
また、唐の皇帝は道教の救世の予言を利用するためか、老子の後裔であるとして、道教を援助しました。
そのため、鎮護国家と皇帝の長寿を祈る斎醮を行う符籙派(呪符を重視)が盛んになりました。
北宋時代には、天師道では「天心正法」という雷法(呪符で雷神を操り駆邪・治病・祈雨する新しい道術)が創案され、これを信奉する一派が「天心派」、「神霄派」と呼ばれるようになりました。

南宋時代には、天師道に浄明派、清微派、東華派が興りました。
また、符籙派である正一派が興りました。張盛 

元朝は、南方では正一派に道教界を管理させました。
続く明朝は、北方も含めて正一派に道教界全体を管理させました。
明時代には、道教が認めていなかった関帝や媽祖などの民間信仰を取り入れていきました。

そして、以下のような神話を語ります。

宇宙の始めの3つの気「玄気/元気/始気」から生まれた「玄妙玉女」の左脇から「太上老君」が生まれ、「太上老君」がこの世界を創造しました。
「太上老君」は春秋戦国時代に老子として現れて道家思想を説き、後漢時代に五斗米道の開祖、張陵に教説を伝えました。
またこの時、世界の統治者が六天から「三天(清微天/禹余天/大赤天)」に変わったことを伝えました。

三天は「太上大道」の3つの現れであり、神格でありその居場所であって、「三尊説」のような垂直的な構造ではなく水平的な存在です。
また、三気は陰・陽・冲の3気とは違って、これらを生み出す元になるものです。
この「三気・三天」の説は上清派から取り入れたものです。

ちなみに宋時代以降はさらに体系化が進んで、一気である「妙一」から「三元」が生まれ、これから三気と三天、三清、三宝君が生まれるとい説くようになりました。

天師道では「太上老君」は三天を補佐する存在で、三天より低い神格です。
ですが、「太上老君」を至高存在として考えることもありました。
つまり、天師道は、仏教が至高の真理そのものである仏陀が説いた教えであることと同様に、道教は至高の真理そのものである道=太上老君=老子が説いた教えであるとしたのです。


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