全真道(北宗・南宗) [中国]

金時代には、天師道が呪符を重視する御用道教となり腐敗したのに対して、「全真道」、「太一道」、「真大道」という3つの新道教が生まれました。
「太一道」は神に祈願して病気治療を行うこと、「真大道」は足るを知る生き方が中心で、両教は教義が単純すぎるため、正式に道教と認められたのは、「全真道」だけです。

全真道は王重陽(1112-1170)により始められました。
彼には、「七真人」と呼ばれる七人の高弟たちがいましたが、弟子の丘処機(丘長春、1148-1227)が天師道の基本教義を受け入れて道教化しました。

全真道は、五代時代の伝説的な仙人の呂洞賓に対する信仰をベースにして生まれました。
呂洞賓と、鍾離権の2人を奉じる内丹修行者は、五代からあり、「鍾呂金丹派」と呼ばれます。
全真道はこの流れにあって、内丹を重視し、他の道術を軽視するのが特徴です。

全真道は、この内丹の瞑想=「内修」=「真功」と、布教である「外修」=「真行」の2つを実践の柱とします。

また、この時代の潮流に同じくして、道教・儒教・仏教の「三教一家(三教一致、三教融合)」を主張しました。

全真道は、チンギス・ハンから支援を得て、元朝は丘処機の流れである「龍門派」の全真道に、北方の道教界を管理させました。

この北方の全真道は、「北宗」と呼ばれます。
特に、最も勢いのあった丘処機の派は、「竜門派」と呼ばれます。

全真道は南方にも進出しましたが、張伯端によって始まった内丹を重視する「金丹派南宗」と合流し、「南宗」と呼ばれます。
「南宗」の内丹法は、白玉蟾によって大成されます。

「北宗」の特徴は、出家道士を中心にしたもので、民衆救済を重視することで、これに対して、一方の「南宗」の特徴は、在家や遊行者を中心にしています。

そのためか、「北宗」は内丹の実践に関して、精神のコントロールの修行(性功)から始め、それを重視する「先性後命」を主張したのに対して、「南宗」は、気のコントロールの修行(命功)から始め、それを重視する「先命後性」です。

また、「北宗」は、仏教の「仏性」に対応する「明心見性」、つまり先天的な意識を重視します。
一方、「南宗」では、陰陽双修派と呼ばれる、性を利用した養精術の房中術を行う派が多いことも特徴です。

元代には、李道純や陳致虚が、この南北の流れを統合しようとし、陳は「全真道南北宗」と名乗りました。

しかし、明時代以降、全真道は衰退しました。


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