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フォーチュンとリガルディーとその弟子たち [近代魔術]

「黄金の夜明け団(以下GD)」が分裂した後に入団した魔術師を、GD第二世代とすれば、その代表は、ダイアン・フォーチュンとイスラエル・リガルディーでしょう。

二人には、心理学を学んで取り入れたこと、通信教育や書物などを新しい教育手段として用いたこと、GDの秘密の公開を行ったこと(二人には差はありますが)、ブラヴァツキーの神智学に影響を受けたこと、などの共通点があります。

こうして、GD系の魔術は、第2世代、及び、その弟子たち(第3世代)によって継承され、通信や出版を通した教育というだけでなく、場合によっては、位階制度の廃止、あるいは、個人参入といった新しい形態が生まれました。


<フォーチュンと内光協会>

ダイアン・フォーチュン(ディオン・フォーチュン)ことヴァイオレット・メアリー・フォース(1891-1946)は、ヨークシャー出身の孤児で、クリスチィアン・サイエンスを信奉する家族に育てられました。
彼女の関心は、心霊主義から神智学へと進みました。

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フォーチュンは、二十歳の時、オカルト的知識を持つ職場の上司から、催眠術を使った攻撃を受けて、精神を壊しました。
それに気付いた彼女は、心理学とオカルティズムの勉強の必要性を感じました。

彼女はロンドン大学で心理学、心理分析を学び、フロイト、ユング、アドラーらの理論に夢中になり、1918年には、素人診療家になりました。

そして、フォーチュンは、心理学とオカルティズムの密接な関係を確信するようになりました。
彼女は「オカルティズムは心理学を、心理学はオカルティズムを再照合し、解き明かす」(「心霊的自己防御」)と書いています。

と言っても、この一方で、「心霊現象と主観的幻想を非常に注意深く区別しなければならない」とも書いて、彼女は、魔術を心理現象に還元しているわけではありません。

そして、フォーチュンは、1919年、ブロディ=イネスの「A∴O∴No.2」に加入し、1920年には、ロンドンのモイナ・マサースの「A∴O∴No.3」に移籍しました。

すぐに、フォーチュンは、「秘密の首領(マスター)」から文書を受け取ったと主張するようになりましたが、それが神智学的な内容だったこともあり、モイナはこれを否定しました。
その後、フォーチュンは、「オカルト・レビュー」誌などに記事を発表しましたが、これが「A∴O∴」の秘密を公開したとモイナから批判され、彼女と決別します。

そして、1922年、フォーチュンは、「内光の友愛(後に「内光協会」に改名)」を設立しました。

ですが、フォーチュンは、「A∴O∴」と決別していたため、団設立の認可状を持っていませんでした。
そのため、彼女は、1925年に、「暁の星」系の「ヘルメス・ロッジ」に加入して、正式に認可状を得ました。

その一方で、1925年には、彼女が「秘密の首領」から受け取ってきた文書を、「コズミック・ドクトリン」として発表しました。
そして、神智学協会キリスト教神秘主義ロッジの会長(1927年まで在任)になりました。

「内光協会」は、魔術結社として初めて通信教育制度を取り入れて、魔術の新しい時代を切り開きました。
これは、魔術の歴史において、大きな変革でした。

「内光協会」は3階級の位階を持ち、第2段階以上の弟子はロンドンの本部に集まり、儀式魔術を行いました。

ちなみに、開業医だった夫のエヴァンスも、団員であり、魔術のパートナーでした。
マサース夫妻から始まって、フォーチュン夫妻、その後も、ノーウィッキ夫妻、ザレウスキー夫妻、キケロ夫妻など、GD系には、一緒に魔術を行う夫妻が多くいます。

フォーチュンは、魔術、心理学などの多数の著作、小説を発表しています。
魔術関係では、1935年に発表した「神秘的カバラ」が名著として知られています。

フォーチュンの後期の魔法小説は、古代の異教と性をテーマにしたものです。
彼女は、アレイスター・クロウリーとも交流があり、その影響があるとも言われています。
彼女は、シャクティや「黒いイシス」に象徴される、女性的なエネルギーを、また、男女2原理の両極性を重視しました。

先に書いたように、フォーチュンは、魔術の心理側面に関して、心理学的に説明することがあります。
例えば、「「神」の霊を呼び出す手段として見れば、儀式はまったくの迷信である。しかし、人間の霊を呼び出す手段として見れば、それは純然たる心理学である」(「神秘のカバラ」)と、書いています。

GD(マサース)は、「自動的意識」という言葉を使いましたが、フォーチュンは、「潜在意識」という言葉を使います。
「この2つ(潜在意識と意識)が結び付けられて対極的機能を果たす時、超越意識を生む。これが秘伝家の目標なのである」とか、
「個々の魂と最も原初的な潜在意識の深層に隠されている「宇宙の魂」との間には、潜在意識的な結びつきがある」、とも書いています。


<フォーチュンの弟子たち>

1946年、フォーチュンが亡くなると、その後、「内光協会」は位階制度を廃止し、キリスト教神秘主義の団体と化していきました。
ですが、「内光協会」の魔術志向の弟子達は、通信教育制度を継承して活動を始め、GD系魔術を継承する、大きな潮流を形成しました。
ウィリアム・バトラー、ガレス・ナイト、ウィリアム・グレイ、ジェラルド・ガウ、ノーウィッキ夫妻などです。

ウィリアム・E・バトラー(1898-1978)は、インドで陸軍に勤務した時代に、神智学協会員となり、帰国後の1925年に「内光協会」に入団しました。

そして、彼はサウサンプトン大学のエンジニアとして働く一方、魔術師、そして、魔術の著作家として活動しました。 

バトラーは、1952年には「魔術―その儀式と効力と目的」、1959年には、「魔術師―その訓練と作業」を発表し、魔術の著作家として知られるようになります。

そして、1962年に、彼は、ガレス・ナイトと共に、通信教育の魔術講座「ヘリオス・コース」を始めました。
ナイトが離脱すると、1965年に、「光の侍従(SOL)」を設立しました。

「光の侍従」は、弟子の魔法日記を元に手紙で丁寧な指導を行なうことが特徵です。
また、「中央の柱」、「パス・ワーキング」の技法を発展させているようです。

「内光協会」から「ヘリオス・コース」、「光の侍従」と、常にバトラーと活動を共にし、バ彼が亡くなった後は、「光の侍従」を率いたのがドロレス・アッシュクロフト=ノーウィッキとマイケルの夫妻です。
ドロレスは、儀式魔術の入門書やパス・ワーキング関連の著作も発表しています。



<バトラーと心理学>

バトラーは、魔術の心理的側面に関して、心理学的な説明を良く行います。

「魔術師が現代思想と最も近いつながりを見出すのは現代心理学、特にC・G・ユングの名に結びついた心理学的発想である」
「C・G・ユングの著作はかなり魔術の伝統と同一線上にあり…」
(以上、「魔法―その儀式と効力と目的」)

バトラーは、このように、ユングが魔術と近いことを評価していました。
そして、彼は、「元型的イメージ」、「集合的無意識」といったユングの用語を使って説明します。

「魔法はその象徴や儀式の元型的イメージを通じて人類の潜在的意識的精神に語りかけ、それによって魔術師の求める「意識の中の変革」を生み出すのである」(同上)

「集合的無意識の深みの中にはある力やエネルギーが存在しており、それを我々は意識における変革という効果を引き起こすために、我々の意識的な自己の中に出現するように呼び起こそうと試みること、これが「魔術」であり…」(「魔法使い―その訓練と仕事」)

つまり、バトラーによれば、魔術とは、「元型的イメージ」を通して、「集合的無意識」のエネルギーを刺激して、意識を変革する技術なのです。

魔術の心理学的説明について、もう少し、バトラーの説明を聞きましょう。

彼によれば、魔術を行なうには、まず、意識の閾値を下げることが必要です。
そして、逆に、「潜在意識を持ち上げる」(魔法使い―その訓練と仕事)必要もあります。

魔術儀式では、多数の象徴によって、「累進的な暗示が精神的なギアの入れ換え」(魔法―その儀式と効力と目的)を行ないます。

その象徴は元型的イメージであり、潜在意識は集合的無意識です。

そして、「潜在意識層が意識の中へ昇ってきて、任意の目論見をひきおこす暗示的な力を利用できるのである」(魔法―その儀式と効力と目的)

バトラーが心理学的説明をすると言っても、フォーチュンと同様に、魔術を心理学に還元しているのではありません。
彼は、魔術によって、ある種の実在する力が召喚されると考えます。

「心理的方法は極めて大切なものではあるけれども、それが大切なのは、「中央の柱」のような訓練を通じて導入された魔術のエネルギーによって補充された時に限る」(魔法使い―その訓練と仕事)とも書いています。

ですが、彼は、その力の見える姿は、主観的に投影したものであると言います。
そして、召喚された力が、人の内面の力を喚起すると。

また、「元型的イメージ」=神は、アストラル・ライトの中に、人間が長年に渡って作り上げてきた「集団表象」であり、それは実在です。

そして、結社が打ち立てた「集合表象(思念像)」は、その民族の「集団表象」と介してエネルギーに満たされます。

そのため、魔術師がイメージを観想、もしくは、霊視すると、それが、「集合的に形成された「神」の形象との接触線として働き、これが次に、それが象徴する宇宙的エネルギーと結びつく」(魔法―その儀式と効力と目的)のです。


<リガルディー>

イスラエル・リガルディー(1907-1985)は、ロシア系ユダヤ人で、ロンドで生まれ、アメリカに移住しました。

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最初、ブラヴァツキー夫人の神智学に影響を受けましたが、その後、クロウリーに傾倒しました。
そして、リガルディーは、1928年にパリでクロウリーの秘書になり、彼のもとで魔術の勉強を行いました。

彼の言によれば、クロウリーに惹かれたのは、ブラヴァツキー夫人の道徳的厳しさに対する反抗だったそうです。
それでも、彼は、ブラヴァツキー夫人の著作を愛読し続けましたが。

リガルディーは、1932年に「柘榴の園」、続いて、魔術の技法の紹介を含む「生命の樹」を出版しましたが、この書の件でクロウリーと喧嘩別れすることになりました。

ですが、フォーチュンはリガルディーを擁護し、1934年、リガルディーは、彼女の紹介で「ヘルメス・ロッジ」に招待されて加入し、ここでGD流の魔術を学びました。

その後も、「我が薔薇十字団の冒険」(1936)を出版すると、秘密を漏らしたとしてクロウリーや「A∴O∴」から攻撃を受けました。

1937年、リガルディーは、アメリカに戻りました。
そして、1937-40年にかけて、「ヘルメス・ロッジ」で入手した文書などを元に、「黄金の夜明け」4巻本をシカゴ・アリーズ・プレスから出版し、GDの教義、儀礼体系のほとんどを公開してしまいました。
これによって、GD系の結社は壊滅的な打撃を受けました。

リガルディーは、公開に際して、「体系全体を世間一般に公表し、人類がこれを失うという事態を回避することが重要だった…またすでに団の教義は部分的かつ無責任な状態で公開されてきたという経緯もある」と書いています。

また、インタビューでは、「(大異変が起こっても)この本がほんの2-3冊でもいい、どこかで難を逃れて残っていれば、この知識は地上から消滅してしまうことはない…この本のお蔭で、こういう形でのオカルトの知識、「光への参入」の一つの方法が、あと何千年かは残ることになる」(「黄金の暁会 最後の覚書」掲載)と語っています。

その後も、リガルディーは、GDの文書の蒐集を続け、上記4巻本の増補改訂版を、69年、86年にルロウリン社から、84年にファルコンプレス社から出版し続けました。


リガルディーは、アメリカで心理学、心理療法、そしてカイロプラクティックの勉強をし、心理学の博士号も取得しています。
1947年には、ロサンゼルスに引っ越し、そこでカイロプラクターとして活動を始めました。

彼は、「一年間はユング派、二年間はフロイト派、そして四年間はライヒ派だった」と述べています。(「黄金の暁会 最後の覚書」)
そして、魔術を志す人には、サイコセラピーを受けるように勧めています。

リガルディーは、「分析心理学と魔術は同じ技術体系の半分同士」であるとも書いています。

「「魔術」というものが主に現代心理学とまったく同じ世界と関わっていると言える。…「魔術」とは我々のより深い部分を探ることが可能となるように考案された一連の心理学的手法なのである」(同上)とも。

また、リガルディーは、心理学のコンプレックスと魔術の「悪霊」が同じもので、魔術ではそれらを人格化し、視覚化し、目の前に召喚するのだと書いています。
このようにして、意志や意識でコントロールすることで、「コンプレックスは再び意識に併合される」(以上「魔術の技法」)のだと。

ですが、リガルディーは、晩年のインタビューで、「ユング派の研究をしていた一年間は、まったくの無駄だった。…いわば、精神的なマスターベーションだよ」(「黄金の暁会 最後の覚書」掲載)とも述べています。
彼は、ユングの能動的想像力とスクライングなどを比較して、前者は幻想的なマスターベーションだけれど、後者は客観的なものだと考えていました。
彼は、こういった点で、ユングの限界を感じていたようです。


リガルディーは、1950年代には、一旦、魔術界から引退しました。
また、彼は、科学的にLSDを使用する実験を行って、その精神に与える影響の研究を行いました。

また、ジョン・サイモンズが出版したクロウリーの初めての伝記「大いなる獣」が、あまりに無理解な内容だったため、リガルディーは、クロウリーと自身を擁護するために、「三角形野中の目」(1970)を出版しました。
彼はこの書の中で、クロウリーに法の書を与えたエイワズは、クロウリーの精神の一面であると書いています。


<リガルディーの弟子たち>

1969年に、リガルディーの「黄金の夜明け」4巻本の改訂版が出版されました。
いわゆるニュー・エイジの時代に入っていたので、この改訂版は、初版時よりも売れました。
そして、アメリカ各地でGDの影響を受けた結社が作られるようになりました。

リガルディーは、自身の結社を作りませんでしたが、弟子はいました。

その代表的人物である、チック・キケロ、サンドラ・タバサ・キケロ夫妻は、リガルディーの4巻本の影響を受けて、「自己参入」で魔術の研修をしました。

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そして、1977年に、ジョージア州で家を借りて神殿を作り、これを「イシス・ウラニア・テンプルNo.18」と称し、「黄金の夜明けヘルメス団(The Hermetic Order of the Golden Dawn、H.O.G.D.)」を結成しました。

1980年に、彼らはリガルディーに連絡を取って交流を計り、アリゾナ州セドナのリガルディー宅に通って教えを受けました。
1982年に、彼らがアデプトの地下納骨所を完成させた時、リガルディーがそこを聖別しました。

ですが、リガルディーは、1985年に亡くなります。

キケロ夫妻は、1988年に、団を非営利団体として公式に登録しました。
そして、1995年には、GDの伝統を不正な金儲けに使おうとする者から守るためとして、「The Hermetic Order of the Golden Dawn」の名前と、GDのマークを商標として登録しました。

また、彼らは、「黄金の夜明け伝統への自己参入」(1995)、「「黄金の夜明け団」入門」(2003)、などを出版しています。
特に前者は、魔術の「自己参入」の時代を象徴する著作でしょう。

もちろん、彼らは、通信教育を行なうだけでなく、インターネットを通した募集などの活動も行なう世代で、WEBサイトも運営しています。

また、キケロ夫妻と一緒に活動していた人物に、クリス・モナスター(パトリシア・バーマン)とデヴィッド・ジョン・グリフィンがいます。
モナスターは、リガルディーの200点に及ぶ魔術関係の遺品を保管しているそうです。

彼らは、1982年にリガルディーの指導の下にO∴K∴A∴(Osiris Khenti Amenti)を設立し、それが母胎になって、1994年に「黄金の夜明けヘルメス団(Hermetic Order of the Golden Dawn、サイトでは「Authentic」をつけていたので「A.H.O.G.D.」と略される)」を結成しました。

この団体は、1995年に、「H.O.G.D.」に対してその商標登録に関する公式の抗議と和解調停を行い、「The」抜きの名前で商標登録しました。

また、「永遠の黄金の夜明け団」という結社に対しては名称及び紋章の使用停止勧告を行い、この結社は、「国際黄金の夜明け団」と改名しました。

「A.H.O.G.D」は、「アルファ・オメガ薔薇十字団」に所属するパリのアハトゥール・テンプル、「薔薇十字の同朋連合」などとも連携をしています。
そして、「ルビーの薔薇と黄金の十字架団(Ordo Rosae Rubeae et Aureae Crucis)」も商標登録し、WEBサイトでは「Alpha Omega Rosicrucian Mystery School」とも名乗っています。

彼らは、通信教育を行わず、年会費も取らない形で運営を行っています。

このように、魔術界は、ネット上でも団員の取り合い競争を行う時代となりましたが、これは、信頼をアピールすると同時に、過剰なアピールのために怪しさを招くという現象も起こしているようにも思えます。

*「黄金の夜明け団」の法的闘争などに関しては、こちらを参照しました。


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