中国禅の流れ1(北宗禅から南宗禅へ) [中国]

中国禅の思想潮流を、開祖の達磨から、東山法門、そして、荷沢宗まで、簡単にまとめます。
特に、「南宗禅(荷沢宗)」の初祖である神会に重点をおいて紹介します。

神会は、従来の禅宗を「北宗」とひとまとめにしてその坐禅を批判して、ほとんど坐禅修行を否定するような「頓悟禅」を主張し、その後の禅の潮流に大きな影響を与えました。
また、「見性」、「自然知」といった概念を使って、「心の本体」に備わった「知」に気づくことが大切だと主張しました。


<達磨の二入四行論>

禅宗の開祖とされる菩提達磨(ボディ・ダルマ)は、5-6Cの人とされていますが、実在人物であるかどうかも疑われる伝説的人物です。
一般にインド人とされますが、最も古い記録では、ペルシャ生まれの胡人(サマルカンドのイラン系のソグド人)です。

達磨の禅は、弟子の曇林が語録の形でまとめた「二入四行論」で知られていますが、曇林の思想が大きく反映されているかもしれません。

「二入」というのは、「理入」と「行入」です。
「理入」は理論、「行入」は実践でその方法が4種なので「四行」と呼ばれます。

「理入」は、経典によって仏法を知り、凡夫も聖者も平等な本性を持っていることを知ることです。
そして、分別を止めて真理と一体化し、作為のない状態になることです。
達磨の弟子の曇林は、如来蔵思想の経典である「勝鬘経」の研究者だったので、如来蔵思想の影響を見ることができます。

一方、「行入」というのは、次の4つの、実践的な生き方のことです。


・報怨行 :苦を受けても、自分の過去世の悪行の報いであると考えて、他人を憎まずに、真理と一つになること
・随縁行 :「私」は無我であり、楽を受けても、過去の因縁によるものであって、縁が尽きれば終わりだと考えて、喜ばず、道に沿うこと
・無所求行:身体がある限り苦はまぬがれないと見抜き、執着をなくし、真実の道を歩むこと
・称法行 :自己が本来は清浄であると理解し、空を悟り、執着をなくし、法に従って行動し、六波羅蜜を作意なしで行うこと


達磨の「四行」は、小乗仏教の修行法である「四念処」と対比して示されたものかもしれません。
「四念処」が坐禅による瞑想修行であるのに対して、「四行」は生活中の実践法である点が、特徴的な違いです。

「二入四行論」には、在家主義を主張した「維摩経」からの引用が多くあって、生活中の実践法を説く点には、「維摩経」の影響もあるのでしょう。

また、「二入四行論」は「作為」のないことを重視します。
これは老荘思想の影響を推測できますが、ひょっとしたらゾクチェンなどと共通する西方起源の思想の影響があるのかもしれません。


<東山法門>

初期の禅者は、頭陀行(托鉢などの清貧の修行)の実践者であり、「楞伽宗」とも呼ばれました。
その後の、唐初の第四祖道信、第五祖弘忍の頃の禅の一門は、「東山法門」と呼ばれました。
法系は、次の通りです。

達磨→恵可→僧燦→道信→弘忍→神秀

「東山法門」は、天台智顗の「摩訶止観」との対決から、天台宗的な総合より、シンプルな一行を選びました。
また、禅宗は「教外別伝」と呼ばれますが、経典では、「華厳経」、「大乗起信論」、「維摩経」、「金剛般若経」などを重視し、また、華厳教学とも結びついていきました。

道信(580-651)は、「楞伽師資記」によれば、次のように語りました。
「坐禅の時は、必ず自己の意識の最初の動きに注意しなければならぬ。…すべてを知りながら、分別のとらわれを越えたところを完全な智と呼ぶ」
「(起信論の究竟覚に関して)一心の動き始めによく注意するならば、心にはもとより妄念の始めなどないのだ。…そうした心の内面を見届けることができてこそ、心は常に安住するのであり、これを絶対の目覚めと名付ける」

つまり、想念が起こる瞬間を意識することで分別にとらわれない、という教えを説いたのです。
これは、実践上の特徴的な教えであり、小さいながら、後世まで影響が続きました。

ですが、道信の禅の基本は、何か一つのものに心を集中させる「守一不移」によって、無分別な法界に同化する「一行三昧」です。
次の弘忍も、「一」の字に集中して、法界に留まる「看一字」という禅を行いました。
これらは「守心」とも表現されます。

第六祖の神秀は、分別を離れて真如に目覚めることを強調し、煩悩(塵)を払って清浄な心(鏡)を悟ることを説きました。
神秀は、その禅を「守心」ではなく「観心」と表現しました。

ちなみに、神秀の二代後の摩訶衍は、チベットに行ってインド仏教のカマラシーラと論争して負けたされます。
ただ、こういった論争には政治がからみます。


<神会の北宗批判>

神会(680-762)は、ソグド系中国人で、732年に、洛陽の大雲寺で、神秀を代表として東山法門の禅を批判して、仏教界に登場しました。
彼は、東山法門の禅をひとまとめにして神秀に代表させて「北宗禅」と呼び、それを批判して自らの立場を宣伝したのです。

神会以降、彼の系列の禅は「南宗禅」、東山法門の禅は「北宗禅」と呼ばれるようなりました。
ですが、この対立は、中唐期頃までには、なくなっていきました。

神会は、禅宗の正統な法系を次のように主張しました。

達磨→恵可→僧燦→道信→弘忍→慧能

第六祖を、神秀ではなく、自分の師である慧能(638-713)とし、「南宗」の祖として祭り上げたのです。
神会は、達磨が印可の証として恵可に袈裟を授け、現在、それを慧能が持っていると、根拠のない主張を根拠としました。

ですが、実際には、慧能がどのような禅を説いたのかは不明です。


<神会の禅思想>

神会は、達磨が「如来禅」の祖であったと主張しました。
つまり、「南宗」の禅を「如来禅」であると名付けているのです。

また、彼は、「南宗」の禅の特徴を「頓悟」とし、「北宗」は「漸悟」であるとして区別しています。

「漸悟」は、煩悩をなくしていく修行の結果、悟りを得るという考え方ですが、「頓悟」は、煩悩があっても清浄な心の本体は変わらずに存在しているので、それに気づけば良いという考え方です。
ただ、「頓悟」しても、その後、智恵を伸ばしていかなければいけないので、「頓悟漸修」となりますが。

・北宗:神秀:漸悟:煩悩を払って仏性を現す
・南宗:神会:頓悟:煩悩を払わずとも仏性は現れている

学問的には、どちらも如来蔵思想だとしても、「漸悟」は「仏性内在論」、「頓悟」は「仏性顕在論」と呼ぶことができます。

神会は、「煩悩即涅槃」を説明して、次のように語っています。
「煩悩即涅槃というのは、…去来する迷・悟の相の区別はあるが、その相の去来する場である菩提心そのものには、本来いかなる動きもない」
「菩提心」は仏性、心の本体のことです。

また、神会は、「頓悟」を、「理事無礙法界」的な認識として理解しているようで、「事と理が一つに融解するのが頓悟である」(神会語録)とも語っています。
つまり、「事」は念、分別であり、迷いがあっても、「理」である心の本体がいつも存在することに気づけば良いのです。

一方、神会は、「北宗」の禅を次のように否定しました。
「単に心を集中して禅定に入るのは、判断停止の空に落ち込むこと…」(南陽和上頓教解脱禅門直了性壇語)
「悟りの時には禅定がなく、禅定の時は悟りがない…」(同上)

つまり、単に念をなくす「定」ではなく、心の本体を見る「智恵」が必要だという批判です。

また、次のように語ります。
「定を得ようと行ずることが、そもそも妄心である…」(神会語録)
「妄心が起こらないことを戒、妄心がないことを定、心に妄がないことを知るのが慧」(南陽和上頓教解脱禅門直了性壇語)
「念の起こらぬことを坐とし、自己の本性を見るのを禅とする」(菩提達磨南宗定是非論)

つまり、作為することは妄念でしかなく、妄念をなくして、心の本体には妄念がないことを知ることが必要だという主張です。

作為的な坐禅の否定は、「ただ坐れ」という曹洞宗に近い考え方ですが、神会は、「頓悟」を主張しているので、ほとんど坐禅修行を否定します。


<自然知>

神会は、「心の本体」に、自然に「知」が備わっていることを重視します。

この「知」を、「見性」、「本知」、「自然知」などと表現しています。
「自然知」という言葉は、もともと道家の言葉で、「法華経」でも説かれます。

神会は、「知」について、次のように語っています。
「澄み切った鏡がもともと常にものを映すという、それ自らの本質的な働き(自性の照)を持つからである。同じように、人々の心はもともと清浄で、自然にすぐれた智恵の光があって、完全な涅槃の世界を照らすのである」(南陽和上問答雑徴義)
「寂静なる本体を定といい、その定から自然知が出て、寂静なる本体自身を知る、それを慧というのである」(神会語録)
「慧とはその無分別な本性が空虚でありながら無限の作用を具えているのを見ること」(同上)

「知」は、自分自身、つまり「心の本体」とそれが「知」の働きを持っていることを見る「知」なのです。

神会は、禅宗の中で初めて「見性」という言葉を打ち出しました。
「見性」とは、「心の本体」である自性に目覚めること、開悟のことですが、「自然知」と別のものではないでしょう。

また、神会は、「心の本体」が無分別な「空」に留まらずに、「知」を持って働くこと、その活動性を「無住」とも表現しました。

「心の本体」が「自然知」を持つとする神会の思想は、ゾクチェンと似ています。


<定慧・体用の不二一体>

神会は、「定と慧」、つまり、「体と用」の不二一体を説きます。
比喩的には「鏡と反映力(照)」、あるいは、「灯と光」の不二一体です。

上述した、「心の本体」は「体」、「自然知」は「用」に当たります。

中国仏教は、インド仏教にはない概念の、「体」と「用」の観点を重視します。
これは、無分別(空)と分別(念)、あるいは、密教的な用語では「非顕現」と「顕現」に当たるでしょう。

神会は、次のように語ります。
「真空を体とし、妙有を用とす」(頓悟無生般若頌)
「空虚なる体の上に知が起こって世間の諸相を善分別する、これが慧である」(神会語録)

つまり、心の本体の「空」と一体なら、「用」は「妙有」、「善分別」であり、単なる「有」、「分別」、「妄心」ではないのです。
「妙有」や「善分別」は、インド仏教の概念では、「後得知」に近いものでしょう。

・体:定:真空:無分別:心の本体:鏡:灯
・用:慧:妙有:善分別:自然知 :照:光


* また、荷沢宗の五祖の宗密は、禅の他宗を批判しましたが、この件は「中国禅の流れ2(唐代禅から宋代禅へ)」をお読みください。


<無住の保唐宗>

神秀や慧能の兄弟弟子に慧安がいます。
その法系であり、慧能にも学んだ無住を祖とするのが保唐宗です。
慧安の禅は、神秀より慧能に近かったと想像されます。

無住は四川で活動したのでチベットにも近く、保唐宗の法系には、チベット仏教ニンマ派のゾクチェンの法系と重なる師がいるようで、両者の交流を感じさせます。

無住の禅は、無分別な「無念」でいることを重視しました。

ですが、次のような説法があります。

「私の禅は…その用には動と静の区別なく、不浄と清浄の区別もなく、良い悪いの区別もない。ピチピチ(活溌溌)していて、常にすべて禅の状態である」

活きがいい魚がピチピチ跳ねる様子を「活溌溌(地)」と言いますが、この表現は、臨済など、何人かの禅師が使っています。
ですが、最も古い記録が無住のものです。


<南宗禅のバックボーン>

禅宗は達磨に始まるので、シルクロード経由、北中国発祥です。
ですが、南宗禅は、慧能も南中国(広東省)にいましたし、南中国から発祥したと言っても過言ではありません。

ですから、南宗禅には道教の影響が強く、現世肯定的なのでしょう。
道教でも、北宗に対して南宗が現世肯定的です。

また、南中国には、イスラムの居住地があって、スーフィーの行者もいました。
禅が伝える物語や、師の振る舞い方、修行法には、スーフィーのそれとそっくりなものがあります。
スーフィズムの研究家のイドリス・シャーは、禅がスーフィズムから生まれたと書いています。
そう断言するのは極端過ぎるとしても、南宗禅にはスーフィズムの影響があった可能性は高いでしょう。


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