ラーマクリシュナのカーリー女神信仰 [近・現代インド]

ラーマクリシュナは、近代インドの聖者を代表する人物、その最初を飾る人物です。

彼は、民衆的なヒンドゥー教をベースとして、カーリー女神へのバクティ、そして、見神を重視しました。
ですが、彼にとってそれは姿なき絶対者への三昧に至るものであり、ヴェーダーンタ哲学の不二一元論とも矛盾するものとは考えていませんでした。

ラーマクリシュナが生きた近代インドでは、イギリスによる植民地化によって、西洋化とインド伝統回帰が、インターナショナリズムとナショナリズムが、同時に生まれました。

例えば、1828年にラーム・モーハン・ローイによって設立されたブラフマ・サマージは、ヴェーダーンタ哲学やウパニシャッドの非偶像的宗教への回帰を主張しました。
ですが、歴代の会長の中には、キリスト教も評価して、普遍志向を示す者もいました。

ラーマクリシュナの思想も基本的に伝統的です。
ですが、ラーマクリシュナは、カーリー信仰(シャクティ教)だけではなく、ヴィシュヌ教、さらには、キリスト教、イスラム教の神性を内側から理解しようとしました。
彼の中に普遍宗教への志向があったと言っても良いでしょう。
その傾向は、弟子のヴィヴェーカーナンダによって新たに展開されることになりました。

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<人生と人>

ラーマクリシュナ(ガダーダル・チャッタージ、1834-1886)は、ベンガルの貧しいバラモンに生まれました。

兄がカーリー女神の神殿の神官になったため、そのサポートを行って、カーリー女神を崇拝するようになりました。
そして、兄が急死しすると、ラーマクリシュナがカーリー寺院の寺院僧になりました。

ラーマクリシュナは、カーリー女神を見ることができないことに苦しみ、女神像の前で刃物で命を断とうとしました。
すると突然カーリー女神が現われて、気を失う体験をしました。

彼の信仰・実践の形は、カーリー女神を目の前に動く姿で見て、語り、供養するような、見神を伴うバクティ・ヨガでした。

ラーマクリシュナは、しばしば奇妙な振る舞いをして、一時、寺院僧を解雇され、遊行に出ることもありました。

ラーマクリシュナは、シャクティ派の女性行者バイラヴィー・ブラーフマニーに、タントラ系のハタ・ヨガを習いましたが、彼女をグルにはしませんでした。

その後、トーター・プリという不二一元論者の遊行者の弟子になり、遊行者になりました。
そして、姿を持ったカーリー女神を越えて、無分別の三昧として経験しました。
つまり、有形の神を対象とするバクティの延長で、無形の絶対者に至ったのです。

ラーマクリシュナの三昧は、ほとんど六ヶ月の渡るもので、体調を壊すほどのものでした。
ですが、三昧の中にカーリー女神が現れて、三昧に留まることをやめるように命令され、人々に奉仕することを目指すようになりました。

その後、ラーマクリシュナは、カーリー信仰だけではなく、ヴィシュヌ教、さらには、キリスト教、イスラム教の神性を内側から理解しようとしました。
彼の中に普遍宗教への志向があったと言っても良いでしょう。
もちろん、これは近代固有のことではなく、シーク教などにもあったことですし、神秘主義思想に広く特徴的なことでもあります。

1872年頃から、ラーマクリシュナの回りに、人が集まるようになりました。
1875年には、瞑想中に、インド・ブラフマ・サマージのケーシャブ・チャンドラ・セーンを見て、彼と交流を持つようになりました。
ケーシャブのおかげで、ラーマクリシュナはカルカッタで知られるようになり、ヴィヴェーカーナンダとも出会いました。

ラーマクリシュナは、サンスクリットも英語も分からず、本も読みませんでしたが、ヴェーダーンタなどへの知識と深い理解を持っていました。

ラーマクリシュナは、何かを見たり聞いたりしたことをきっかけにして、しょっちゅう三昧(神と一体化する意識の状態)に入りました。
多くの場合は、開眼で、立ったままで、通常の意識を失う状態になりました。
やがてその神の意識が遠ざかると、半分神の意識の半意識状態になって、人と語ることができるようになりました。

ラーマクリシュナは、通常の状態ではすべての人を神として見ていましたが、神の意識が訪れると、自身が神人のように振る舞いました。

また、しょっちゅう、まるで子供のように天真爛漫に振る舞いました。
ラーマクリシュナによれば、神を見た人は、子供のようになるのです。

1885年、ラーマクリシュナは、咽頭癌になりました。
彼の前にカーリー女神が現れて、多くの悪業を持った人と関わったために、そのカルマを引き受けたのだと言われましたが、彼は、人に奉仕してきたことを後悔していないと答えました。

1886年、死期が近いと感じたラーマクリシュナは、一人一人の弟子に触れて三昧に導きました。
また、自分が神の化身であると告げました。

病床では、
「もし、この体が後数日間この世に留まることを許されるなら、大勢の人の魂が目覚めさせられるであろうに」
「私は私と母なる神がはっきりと一つになっているのを見ている…私は見る、私には分かる、すべてのもの、考えられるかぎりあらゆるものは、これから出ているということが」
と語りました。

そして、ヴィヴェーカーナンダに後継を託して亡くなりました。

ラーマクリシュナの言動は、弟子のマヘーンドラナート・グプターが書き留めて「ラーマクリシュナの福音」(邦訳書名)として出版されました。
このページの彼の発言の出典はこの書です。
ただ、この書では、ラーマクリシュナが持っていたタントラ的側面や性的側面を書かなかったのではないか、という疑惑をかけられています。

ラーマクリシュナは、女装したり女性的なしぐさをしたりすることがあったそうです。
ですが、女神信仰の風狂な行者にとっては珍しいことではありません。

また、結婚をしていましたが、妻も含めて、女性と関係を持つことはなかったようです。
男性の弟子ばかりに囲まれていたこともあって、ラーマクリシュナの性的志向を疑う人もいます。
ですが、女神信仰の集団が閉鎖的な男性結社となることは、世界的に良くあることです。


<ラーマクリシュナの宗教観>

ラーマクリシュナは、無形の絶対者(超人格神)と、有形の創造神(人格神)を一体の存在であると考えました。
つまり、ブラフマンやアートマンは、姿を持つシャクティであり、カーリー女神なのです。
カーリー女神は、姿を持つ存在でもあり、姿を越えた絶対者(シャカラ・ルパ)でもあるのです。

ですから、カーリー女神を姿を持った存在としてバクティの対象とすることは正しく、それを通して、無形の絶対者の三昧(ニルヴィカルパ)にも自然に到達できるのです。

「わが聖なる母(カーリー)は絶対者(ブラフマン)以外の何ものでもありません。…エゴが母によって取り除かれると、三昧の中で超人格的存在の悟りができます。」
「しばしば、彼女は、その個我を彼女の信者たちの内部に残しておき、人格として彼らの前に現れて、彼らの話し合うことをお楽しみになります。」
「カーリーは遠くから見ると、褐色の肌の色の人格神で、近くから見ると属性を持たぬ絶対者です。」


ラーマクリシュナは、すべての人を神であると見なし、「人間に奉仕することは神に奉仕することに他ならない」と考えていました。
ラーマクリシュナは、「この世に執着のない「解脱をとげた人(ムクタ)」に対して、「永遠に自由な人(ニティヤ・ムクタ)」は、他者のためにこの世に住んでいる人々である」と語っています。
そして、他者のために生きることは、カーリー女神の望むところなのです。


ラーマクリシュナは、カーリー女神を「母」と呼びましたが、時には、「婆さん」と呼ぶこともありました。
彼は、「(カーリ-女神は)一方ではヴィディヤー・シャクティとして現し、他方ではアヴィディヤー・シャクティとして現していらっしゃいます」とも語ります。
創造神であるカーリーは、智恵でもあり、マーヤーでもあるのです。

また、ラーマクリシュナは、世界がカーリー女神の玩具であると考えました。
そして、人間が世界の中で無知に縛られた状態にいる理由について聞かれて、カーリー女神が「隠れん坊遊び」をしていて、人間は彼女を探して走り回らなければいけないのだと答えました。

ですから、在家でカーリーを求める人に対して、
「遊び相手としては、お前たち(在家)の方がずっとりこうだ。…遊びはなお続けられる。」
と語りました。

そして、悲観的な人間観を批判して
「絶え間なく、「私は束縛されている」と言っている馬鹿者(ブラフマ・サマージなど)は、ついに本当に束縛されるのだ。
いつまでも「私は罪人です。私は罪人です」と言い続ける哀れな人(キリスト教徒)は、罪人になってしまうのだ」
とも語りました。


<実践>

ラーマクリシュナは、「ジュニャーナ・ヨガ」、「カルマ・ヨガ」、「バクティ・ヨガ」の3つの実践があると説きました。

「ジュニャーナ・ヨガ」は、「これではない、これではない」と、一つ一つ非実在を意識から捨てていく方法です。
ラーマクリシュナの分類では、「カルマ・ヨガ」には3つあって、在家が執着なしに努めを果たすこと以外に、「アシュタンガ・ヨガ」も、礼拝的儀礼やジャパ(マントラ念誦)の行為も「カルマ・ヨガ」です。

ラーマクリシュナによれば、「バクティ・ヨガ」が、現代に合った方法、一番簡単な方法です。
現代人には、執着なしに行為を行うことも、儀礼などの勤行の時間もないからです。
また、「母のところまで行くとバクティだけでなくジュニャーナも手に入る」とも語ります。

「バクティ・ヨガ」には様々な段階があって、神に言葉を失う「バーヴァ」を越えて、狂人のようになる「プレマ」、さらには、世界も自分も忘れる「マハーバーヴァ」に至ります。


<ヴィヴェーカーナンダ>

ラーマクリシュナは、すべての人を神であると見なしていました。
ですが、その現われ方には差があるのです。

特に、ヴィヴェーカーナンダに対しては、彼を神の化身として、特別な思いを持っていました。

ヴィヴェーカーナンダが初めてラーマクリシュナの寺院を訪れた時、ラーマクリシュナはヴィヴェーカーナンダをナーラーヤナであると見なして、泣いて崇拝しました。

ヴィヴェーカーナンダが3回目に訪問した時には、ラーマクリシュナはヴィヴェーカーナンダに手を触れるだけで気絶させ、その間に、過去世や使命について質問して、ヴィヴェーカーナンダが特別な人間であると確信しました。

ラーマクリシュナは、幾日も「ナレンドラ、ナレンドラ(ヴィヴェーカーナンダの愛称)」と言って泣いていたこともありました。
ラーマクリシュナは、「ナレンドラを見ると、私は絶対者の中に没入してしまう」と語りました。
ナレンドラをじっと見て「これが二者の中の一つ(人間)で、これがもう一つ(神?)だ」と語ったこともありました。

ヴィヴェーカーナンダが、初めてブラフマンとの合一し、無意識に至る無分別三昧を体験した時には、三昧に留まり続けることを引き止めて、世の中で偉大な仕事をする使命があると説きました。
また、ラーマクリシュナはヴィヴェーカーナンダに神通力を与えようと申し出ましたが、ヴィヴェーカーナンダは断りました。

そして、先に書いたように、ヴィヴェーカーナンダを後継者としました。
ラーマクリシュナは、死ぬ直前には、自分が持っているパワーを彼に渡したそうです。
ヴェーダーンタのその後の活躍を考えると、ラーマクリシュナの見立ては正しかったのでしょう。


*ヴィヴェーカーナンダについては「ヴィヴェーカーナンダと普遍宗教」をお読みください。

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