クリシュナムルティの反伝統主義 [近・現代インド]

クリシュナムルティは、近現代のインドの聖者の中では、徹底的な反伝統主義という点で特異です。
ですが、彼の思想は、原始仏教や近年のヴィパッサナー瞑想、禅、ゾクチェンなどのシンプルな仏教に近いものです。

クリシュナムルティは、神智学協会によって、救世主の世界教師を受け入れる器になる特別な存在として育てられました。
ですが、自身の神秘体験に基づき、自らそれを否定しました。

そして、あるがままの真理というシンプルな教えを説きました。
それは、一切の伝統や権威、信仰、形而上学を否定し、また、あらゆる思考、意志的行為を否定するものでした。

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<神智学協会時代>

ジドゥー・クリシュナムルティ(1895-1986)は、名家のバラモンの長男として生まれました。
父は、役人を退職した後、神智学協会で働いていました。

1909年、クリシュナムルティは14才の時、神智学協会のチャールズ・W・リードビーターによって見い出されました。
クリシュナムルティのオーラの美しさと、利己性のなさから、彼を「世界教師(ロード・マイトレーヤ、キリスト)」が受肉する器であると認めたのです。
そして、クリシュナムルティは、きたるべき救世主として、神智学協会によって育てられることになりました。

クリシュナムルティの宗教的教育は、リードビーターが行ったようですが、その実態は分かりません。
1910年、クリシュナムルティが、リードビーターに霊体離脱で連れられて、不可視のマスター達に会い、その時に伝えられたことを著したのが、「マスターの御足のもとで」とされています。

1911年、16才の時に、神智学協会は、「世界教主」としてのクリシュナムルティを支援する「東方の星教団」を結成しました。

また、クリシュナムルティは、協会会長のアニー・ベザントの養子になり、留学のためにイギリスに渡りました。
イギリスでは、有名なオカルト系作家ブルワー・リットンの孫娘のもとで生活し、主に家庭教師の元で学びました。
ですが、クリシュナムルティは、オックスフォードなどの大学を受験して、2年続けて失敗しました。

1920年には、パリにも行きましたが、この頃、仏陀の言葉に興味を持ったようです。

1921年に、クリシュナムルティは、インドに帰国しました。
ですが、1922年には、弟のニティーヤナンダの病気治療のために、カルフォルニアのオーハイバレーに移住しました。

同年の8月から、毎日規則正しく、マイトレーヤを観想して集中する瞑想を始めました。
そして17日から20日にかけて、神秘体験を体験します。
霊体離脱して、ブッダの存在を感じ、弥勒、クートフーミの姿を見ました。
そして、回りのすべてのものになる体験をしました。
この時の体験に関して、クリシュナムルティは、「真理の泉が私に開示された」と書いています。

この神秘体験は、首筋(こぶ)に痛み、体の震え、他人がそばにいることも耐えられないといった心身の症状を伴ったもので、病とも言うべきものでした。
そして、この神秘体験の前に、後頭部などの肉体に強烈な痛みを感じる体験は、後に「プロセス」と呼ばれるようになり、少なくとも1962年まで続きました。

1926年、7月、「東方の星教団」の講話で、ロード・マイトレーヤについて話している途中、クリシュナムルティは、一人称になり「私はやって来た」と発言しました。
このことから、ベザントらは、クリシュナムルティがマイトレーヤに認められたことを確信しました。

1927年には、クリシュナムルティも、リードビーターに宛てた手紙で、「私は唯一なる(世界)教師の意識の中に融合しつつあり、彼が私を完全に満たすであろうことをはっきりと確信しています」と書いています。

しかし、クリシュナムルティは、教団の講演などで、自分が真理を見出したことと共に、「真理は諸君の中にある」と語るようになりました。
これは、当たり前のことなのですが、クリシュナムルティを救世主と見る人々からすると、救世主の意味を否定することにつながる発言でもあり、不安を生むことになりました。

クリシュナムルティは、後に、マイトレーヤを見て一体化したことに関して、次のように語っています。
「少年の頃…クリシュナ神をよく見た…神智学協会と出会ってから、私は、マスター・クートフーミを見るようになって…それからしばらく経つと、今度はロード・マイトレーヤを見るようになった。…そして最近、私が見ているのは仏陀であり…私は「最愛の方」が誰を意味しているのか尋ねられた…それはこれらすべての形姿を超越したものである…大空であり、花々であり、そしてあらゆる人間のことである」

1929年には、クリシュナムルティは、回りの人間が彼に求めているものが、一種の幻想であり、それを求めている限り真理に到達できないと確信するようになり、皆に自立を求めるようになりました。

「諸君のほとんどは「絵」を求めており、そしてその「絵」が生きたものになる時、そうならないことを願うのである。なぜなら、その「絵」は諸君に諸君自身の内側へと向かうように告げ…るからである」
「諸君は私に頼ることなく、自ら解放をとげなければならない。…諸君は私を権威にしてはならない」

そして8月3日、とうとう「東方の星教団」の解散を宣言し、次のように語りました。

「…真理は道なき領域であり、諸君はいかなる道、いかなる宗教、いかなる宗派によってもそれに至ることはできない。…
信念は純粋に個人的なことがらであって、それを組織化することはできないし、またそうすべきではないのだ。…
私はたったひとつの目的を持っている。人間を自由とし、自由へと促し、一切の制約を脱するのを助けることである。…
組織は諸君を自由にすることはできない。いかなる人も外側から自由にすることはできない。…」

クリシュナムルティは、真理の道への妥協を許さず、信仰を心の支えとして必要とする人に方便を説くという道を選ばなかったのです。

クリシュナムルティは1930年には神智学協会も脱会しました。

ちなみに、後に、クリシュナムルティは、神智学の教本をどれ一つとしてまともに読み通したことがなく、その用語も理解できなかったと告白しています。
神智学だけでなく、インドあるいは西洋の聖典を一切読んだことがない、とも書いていますが。
また、クリシュナムルティは、ベザントの死後に起こった何らかの出来事によって、神智学協会時代の記憶を失ったと述べています。

ですが、晩年、クリシュナムルティは神智学協会と互いに一種の和解をしていて、アディヤール本部を訪問し、神智学協会もクリシュナムルティを名誉会員的に認めています。


<一人の人間として>

神智学協会を脱退した後も、クリシュナムルティは、すぐに講演活動を開始し、世界中を旅しました。
神智学協会脱会後の講演は、より宗教色が薄れたものになりました。

第二次大戦後も、死の直前まで、インド、アメリカ、イギリス、スイス、オーストラリアなどなどをほぼ定期的に回って、公開トークを催しました。
また、クリシュナムルティ・スクールで生徒や教師と話し合い、個人面談にも応じました。

1968年から1970年にかけては、スタンフォード大学など、アメリカの大学で一連のトークを行いました。
この時には、フリッチョ・カプラやケン・ウィルバーら、ニュー・エイジの論客も聴講しました。
クリシュナムルティは、ニュー・エイジ運動において、高く評価されました。

クリシュナムルティが交流した人物には、作家のオルダス・ハックスレー、物理学者のディッド・ボームらがいます。
ちなみに、鈴木大拙とも2度ほど会っていますが、互いにそれほど興味を持たなかったようです。

ちなみに、クリシュナムルティには聖者のイメージありますが、実生活に関しては、様々な問題を持っていたようです。
弟のニティーヤナンダが亡くなった後、ラージャゴパルがクリシュナムルティに関わる事業のマネージャーを務めていました。
そして、クリシュナムルティは、オーハイで、彼とその妻のロザリンド、その娘の4人で共同生活をしていました。
ですが、クリシュナムルティは、ロザリンドに子を孕ませ、堕胎させました。


クリシュナムルティには、きわめて多数の著作(インタビュー集、講演集など)がありますが、以下、「自我の終焉(以下「終焉」)」、「自己の変容(以下「変容」)」、「クリシュナムルティの瞑想録(以下「瞑想録」)」の3書から引用しながら、彼の思想を紹介します。


<伝統と権威の否定>

クリシュナムルティの思想の特徴は、反伝統主義、反権威主義です。
彼は、どのような信仰も、宗教・宗派も、組織も否定します。

「(私は)どのような宗教的、非宗教的なグループにも属してはいません。ひとりひとりが自分自身の光でなければならないのです」(「変容」)
「信仰というものは真理の否定であり、真理を妨げるものです」(「終焉」)

クリシュナムルティは、神も師弟関係も認めません。

「神を見出したりはできない。神に至る道などはないのである」
「導師と弟子のような上下の関係では協力は生まれない。導師と弟子とはお互いの依存を通じて無明に落ち込んでしまうのである」(以上「瞑想録」)

そして、インドの宗教的伝統に関して、是非の2つの面があると語りました。

「インドほど伝統が重くのしかかっている国は他にない。これが本当のインドの本当の問題である。
…(しかし)その下にはインドの真の遺産、生きた部分、過去からの真の遺産が埋まっている。…そこに深い無執着と真実なるものへの深い感性が依然として力強く生きていることを見出すであろう。」(「終焉」)


<あるがまま>

クリシュナムルティにとっての「真理」とは、「あるがまま」を理解して、「あるがまま」でいることです。

「非難もせず、正当化もせず、自己を他のものと同一化もせず、あるがままのものをあるがままに認識したとき、私たちはそれを理解することができるのです」
「あるがままのものを認識し、自覚し、理解することで、心の戦い――葛藤は終わってしまうはずです」(以上「終焉」)

クリシュナムルティは、「あるがまま」の状態を、「天真爛漫」とも表現します。

「思考を超越したものは、天真爛漫さであって…愛と同様、天真爛漫さこそが不死なのである」(「瞑想録」)

また、「あるがまま」の状態を、「空」と表現することもありました。

「経験したもの、あるべきもの、未来になるものを完全に否定することによって「空」になる時、――その時にだけ、その「空」の中に創造が起こります。」(「変容」)


<問題>

クリシュナムルティは、すべての問題は、社会ではなく、個人にあると説きます。

「害毒や無数の問題を生み出しているのは、「あなた」や「私」という個人の方であって、普通、私たちが考えているように、世界の方ではないのです。世界は「あなた」と「他の人」との関係であり、「あなた」や「私」と別の存在ではないのです」

そして、クリシュナムルティは、問題は、今、この場で解決すべきものであると説きます。

「その真実を即座に感じ取り、その結果、混乱を直ちに終わらせてしまうことができるのでしょうか…可能である」
「変革というものは、この今にのみ起こるものであり、しかもそれは、一瞬ごとに起こるのです」(以上「終焉」)


 <思考が生み出すもの>

クリシュナムルティは、「自我」、「私」を捨てるべきであると説きます。

「創造的状態は、…自我が消えた時にのみ、生まれてくるのです」(「終焉」)
「「私」がなければ、あなたは条件づけられていません。…「私」が行っていることのすべてを見る時にだけ、それは止まります。」(「変容」)

クリシュナムルティは、ヴェーダーンタ哲学的の「真我」、「梵」を説きません。

「この世にも我々自身の中にも、永続的なものなど何ひとつ存在しない。…思考はイメージを作り上げ、そのイメージに永続性を与え、それをアートマンなどと呼びならわし、…それに執着する。こうしたことはすべて思考の活動であり、恐怖の温床となり、…ブラフマンも同様にして思考の産物なのである」(「瞑想録」)

クリシュナムルティの思想は、「無我説」であると言って間違いではありませんが、釈迦自身がそうであったのと同じで、それを「無我説」という教義・哲学にはしませんでした。

また、クリシュナムルティは、「私」による「思考」は、分裂を招くと説きます。
それらは、習慣的な「反応」であり、蓄積された「過去」であり、それは「選択」を導き、「闘争」や「恐怖」に至るからです。

逆に「思考」がなくなった時、「愛」があると説きます。
ですが、「感情」としての「愛」は否定すべきものであって、「思考」が「感情」や「快楽」を生み出すのです。

「愛があるときのみ、観念は終焉するのです。愛は記憶ではありません」
「愛は感情ではありません。感傷的になったり、感情的に走ることは愛ではありません。…感情は思考のプロセスであり、思考は愛ではありません。」(以上「終焉」)

また、「快楽」も「思考」の産物です。

「快楽を与えるのは思考であって、性的な快楽、目的達成の満足感などは思考から生まれるのである」(「瞑想録」)

このように、クリシュナムルティは、思考を捨てることを言葉によって説きました。
ですが、思考・言語を創造的にする可能性については語りませんでした。


<瞑想と瞑想法>

クリシュナムルティは、真理に至るためのすべての「方法」を否定します。

「一定のパタンに従うことによって、私たちは自分を理解することはできないのです。このような理由で、自己認識のための方法というのは存在しないのです」(「終焉」)
「「自我」を滅する方法を求めていては、他なる「自我」の滅却過程であなたは別の自我を作り上げてしまう」(「瞑想録」)

そのため、「瞑想法」も否定します。
特に、古典ヨガのような、集中を伴う「瞑想法」を否定します。

「集中は排除の過程なのです…集中は瞑想ではありません。…瞑想は理解することです。排除のあるところに、どうして理解が生まれるでしょうか」(「終焉」)

つまり、一切の作為を否定し、「あるがまま」であることだけが必要なのです。
もちろん、それは「思考」を否定し、「あるがまま」を見ることです。

「瞑想は言葉の終わったところから始まる。…瞑想とはあらゆる表象やイメージ、記憶から、精神を自由にすることである」
「瞑想とは、過去に捕らわれることなくあるがままの現実を見るような精神から生まれる」

その時、瞑想は、「新たなものの不断の開示」となり、「一個の運動」になります。
そして、「分離の空間は終焉」し、「生の全体」となります。(以上「瞑想録」)

このように、クリシュナムルティは、方便としての方法を一切、受け入れることをしませんでした。
ですが、それは一種の理想主義であり、現実的ではないのではないでしょうか。


<受動的な注意力>

クリシュナムルティの瞑想は、仏教の瞑想に似ています。

クリシュナムルティは、我々が木を見て、木に対する反応が心の中で起こることを例にして、次のように語ります。

「木に対して反応があるとき、この反応は条件付けられたもの、すなわち、過去の記憶や経験からの反応であり、それが関係の中に分離をもたらします。この反応によって、関係の中に、いわゆる「私」と「私でないもの」が生まれるのです。」

これは、仏教が、五蘊の「色受想行識」の認識プロセスを意識して、「想」以降の反応を習慣的な煩悩であるとして、それを止めることと似ています。 

「私たちは木を見、同時に自分自身を見ることによって、分離の原則―「私」と「私でないもの」の原則―を根絶するのです。」

対象と反応を観察することで、煩悩的な反応を止めるのです。

「過去の反応は無意識のうちに起こります。…思考なしに木を観察することは、過去から免れた行為です。過去の運動を観察することも、過去から免れた行為なのです。」(以上「変容」)

クリシュナムルティは、この観察の仕方について、「受動的な凝視」、「受動的な注意力」などと表現します。

「受動的な注意力は、訓練や練習によって出てくるものではありません、それは一瞬一瞬絶え間なく、私達の思考や感情の動きをじっと凝視していることなのです」
「あなたが受動的に凝視している時、…いかなる判断も行われないのです。…絶え間なく継続して凝視することができるなら、あらゆる問題は表面的にではなく、根本的に解決されてしまうのです」(以上「終焉」)

あるがままの受動的な観察を行うことは、エネルギーを意志的に浪費せず、それを気づきのために使うことです。

「常にあるがままの姿を曇りなく見つめるためには、全エネルギーを集めた注意力が必要である。…この全的エネルギーは、禁欲や純潔と無所有の誓いといったものからは生まれない。なぜならば意志的な決心や行動には思考が介在しており、思考はエネルギーの浪費に他ならないからである」(「瞑想録」)
「この浪費が完全になくなった時、「気づき」と呼べる、あるエネルギーの質があります。」(「変容」)

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