マハー・アヴァター・ババジの弟子達 [近・現代インド]

欧米にヨガやインドの宗教思想を伝えた有名な聖者に、パラマハンサ・ヨガナンダがいます。

スティーブ・ジョブスが自分のi-Padに唯一入れて読んでいた書籍が、ヨガナンダの「あるヨギの自叙伝」だったこと、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のジャケットにヨガナンダとその師が描かれていること、は良く知られています。

ヨガナンダの教えの中心は、伝説的な神人のババジが伝えた「クリヤ・ヨガ」です。
これはテクニカルなハタ・ヨガであり、近現代におけるハタ・ヨガの新しい運動であると言っても間違いないでしょう。

ヨガナンダは、幅広い人に向けて教えを説きましたが、具体的な「クリヤ・ヨガ」の実践方法に関しては、それがクンダリニーの上昇を目的とした難易度の高いタントラ的なものだったため、イニシエーションを含む非公開主義を徹底しました。

このページでは、まず、ババジとその弟子達について簡単に紹介します。
そして、続くページでは、スリ・ユクテスワとパラマハンサ・ヨガナンダの思想について、最後のページでは、ラヒリ・マハサヤの「クリヤ・ヨガ」の具体的な方法について紹介します。


<ババジと弟子達>

ヨガナンダの「あるヨギの自叙伝」には、ババジをはじめインドのヨギの信じがたい伝説的な逸話が溢れています。

ババジは、伝説的な不死の神人で、「マハームニ・ババジ」、「マハー・アヴァター・ババジ」などと呼ばれます。

ヨガナンダの「クリヤ・ヨガ」は、

 ババジ →ラヒリ・マハサヤ →ユクテスワ →ヨガナンダ

という継承経路で伝わりました。

ヨガナンダがアメリカに設立した「セルフ・リアライゼーション・フェローシップ(SRF)」は、「ババジのクリヤ・ヨガ」を説いている最も有名な組織です。
ですが、他にも多くのヨギ、組織がクリヤ・ヨガを伝えています。

ラヒリには多数の弟子がいましたし、ユクテスワにも多数の弟子がいました。
また、ラヒリ以外に、ババジから教えを受けたと主張する人も多くいます。
それぞれが説く「クリヤ・ヨガ」には、違いがあります。

ヨガナンダの「あるヨギの自叙伝」は、ババジについて次のように書いています。

ババジは、何千年にも渡って肉体を保持している不死身の「大化身(マハー・アヴァター)」で、彼の外観は25才くらいの若さに見えます。
彼は、数々のマスターや預言者を助け、使命を遂行させる役目を負っています。
そして、バドリナヤンに近い北部ヒマラヤの断崖に住んでいますが、少数の弟子たちとあちこちを移動しています。

つまり、神話的存在です。

また、ババジの弟子を主張する、ラヒリ以外の系列では、V・T・ニーラカンタン(1901-)、ヨギ・S・A・A・ラマイア(1923-2006)、マーシャル・ゴーヴィンダン・サッチダナンダ(1984-)らの系列がよく知られています。

ゴーヴィンダンは、その著「ババジと18人のシッダ」で、ババジを「18人のシッダ」の伝統に位置づけて、次のように書いています。

ババジは、シヴァ神の子ムルガンの化身で、将来、救世主のカルキ(マイトレーヤ)となる存在です。
また、神智学が言う「サナート・クマラ」でもあります。

ババジは、203年にタミル地方のシヴァ系寺院の僧だったバラモンの子として生まれました。
そして、「18人のシッダ」に当たるアガスティアとボーガナタルを師としました。
また、師としては、現在までの長い活動の中で、シャンカラやカビールにも教えました。


<ラヒリ・マハサヤと弟子達>

19Cにおけるババジの第一の弟子がラヒリ・マハサヤ(1828-1895)で、1861年にババジが彼にクリヤ・ヨガを伝えました。

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*ラヒリ・マハサヤ

ラヒリは出家をせずに、25年間、役人などとして働きながら、各地でクリヤ・ヨガを教えました。

ババジは実在が疑われますので、ラヒリが近代クリヤ・ヨガの起点となったヨギと言えます。

ラヒリが最初にクリヤ・ヨガを教えることを認めた一番弟子は、パンチャナン・バッタチャリヤ(1853-1919)です。

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*パンチャナン・バッタチャリヤ

彼がラヒリに弟子入りを許可された条件は、家庭を持つということでした。
彼は、アーリヤ・ミッション・インスティテュートを設立しました。

ヨガナンダの師である、スリ・ユクテスワ・ギリ(プリヤ・ナス・カラー、1855-1936)も、ラヒリの弟子の一人です。

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*スリ・ユクテスワ

西ベンガルに生まれ、キリスト教の宣教師の大学や、カルカッタ医科大学で学びました。

その後、ユクテスワは、僧院のスワミ・オーダーに入り、また、1884年にはラヒリの弟子になりました。

1894年には、ババジに出会い、彼からヒンドゥーの聖典と聖書を比較した本を書くように依頼されたそうです。
これは「聖なる科学」として出版されました。

この書では、キリスト教を秘教的に解釈して、強引にヒンドゥー教(ヴェーダーンタ哲学)との同一性を主張しています。
この考え方はヨガナンダにも継承されています。

かつて、シク教がイスラム教とヒンドゥー教を統一した時も同様で、宗教の違いを越えるには、秘教的な部分を見るしかありません。

ユクテスワは、「クリヤ・ヨガ」以外にも、ギータやウパニシャッド、インド占星学にも通じていて、ユガに関する新しい理論(人類の意識が2万4千年周期で上昇・下降する)を作りました。
また、彼は、2つのアシュラムを持っていました。

ユクテスワの弟子には、ヨガナンダの幼馴染でもあるスワミ・サティアナンダ・ギリ、ユクテスワのアシュラムを引き継いだパラマハンサ・ハリハラナンダなどがいます。
ハリハラナンダの弟子のパラマハンサ・プラジュナナンダも含めて、彼らもクリヤ・ヨガの重要な師とされます。

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*ハリハラナンダ


<パラマハンサ・ヨガナンダ>

パラマハンサ・ヨガナンダの歩みについて、「あるヨギの自叙伝」をもとに、まとめます。

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*パラマハンサ・ヨガナンダ

パラマハンサ・ヨガナンダことムクンダ・ラール・ゴーシュ(1893-1952)は、ヒマラヤに近いゴラクプールで、ベンガル人のクシャトリアの家庭に生まれました。

両親はベナレスの聖者ラヒリ・マハサヤの弟子で、師はヨガナンダが誕生した時、祝福を与え、その後、亡くなりました。
ですが、ヨガナンダは、師の写真から不思議な力を感じながら育ちました。

高校の卒業後、ベナレスのある僧院に入りましたが、そこはヨガナンダには合いませんでした。
ですが、ベナレスの街で、偶然のように出会ったユクテスワに、特別なつながりを感じ、その場で弟子になることを申し出ました。

ユクテスワは、以前からヨガナンダが幻の中で見てきた人物だったのです。
また、ユクテスワはラヒリ・マハサヤの弟子だったのですが、ヨガナンダはそれを知りませんでした。

ユクテスワは、ヨガナンダに、将来、西洋に布教することになるから、大学で学位を取るように命じました。
ユクテスワが後に語ったところでは、ババジが彼に、西洋の布教のために弟子を送ると語っていたのです。

ヨガナンダは、ある日、師に心臓のあたりを軽く叩かれて、光の海の至福に一体化する神のサマディに導かれました。

1914年にカルカッタ大学の文学士の学位を取得し、その後、正式に僧院スワミ・オーダーの僧になりました。

1917年には、「ヨーゴーダ・サットサンガ・ソサエティ・オブ・インディア」を設立しました。
そして、1920年に渡米し、「セルフ・リアライゼーション・フェローシップ」(SRF)を設立し、クリヤ・ヨガを広めることに尽くしました。

ヨガナンダの死後も、SRFは歴代の会長によって運営されていますが、ヨガナンダはSRFの最後のグルであると宣言していましたので、他の誰もグルを名乗っていません。



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