ニューエイジのネオ・オリエンタリズムとネオ・シャーマニズム [現代]

意識拡大や自然志向を特徴とするヒッピー、ニューエイジ思想は、瞑想的なヒンドゥー教や仏教を指向する「ネオ・オリエンタリズム」や、幻覚剤を使用する中南米のシャーマニズムを指向する「ネオ・シャーマニズム」の潮流と結びつきました。

このページでは、これらの合流域を簡単にまとめます。


<パパ・ラム・ダス>

ニューエイジの一潮流としての「ネオ・オリエンタリズム」の象徴的人物は、パパ・ラム・ダスことリチャート・アルパートです。

彼はLSDを摂取して神秘的な体験をしても、やがては元の自分、もとの世界に戻ってしまうだけの繰り返しになることで、その限界を感じました。

そして、インドに道を探し、本物のグル、ニーム・カロリ・ババに出会いました。
その後、彼が発表した「ビー・ヒア・ナウ」(1971)、「覚醒への旅」(1978)などは、「ネオ・オリエンタリズム」へ若者を導く道標になりました。

ラム・ダスは、特定の宗派の立場から語ることはせず、ヒンドゥー教、仏教、スーフィズム、キリスト教など、様々な伝統、瞑想法を俯瞰して紹介しました。
そして、特定の方法にこだわらないこと、自然に様々な方法に興味が向かうこと、道のプロセスは個人によって異なることを説きました。

これは、情報化時代に相応しい姿勢だったのでしょう。

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<インドのグル達>

インドやチベット、日本などのヨギ、僧侶のアメリカでの活動も、「ネオ・オリエンタリズム」を牽引しました。

ヒンドゥー系では、以前から活動していたクリシュナムルティに加えて、マハリシ・マヘッシ・ヨーギ、バグワン・ラジニーシらが人気を得ました。

マハリシ・マヘーシュ・ヨーギはシャンカラ派のヨギですが、1959年にアメリカに団体設立し、マントラ・ヨガのTM瞑想を説き、その実践のしやすさからヒッピーに人気となりました。

バグワン・ラジニーシ(和尚)は、ジャバルプール大学の哲学教授でしたが、様々な伝統を広く勉強して、西洋的なセラピーのテクニックも取り入れて、現代人に向けて新しい瞑想法を多数生み出しました。
感情の解放や、性に対するオープンな姿勢は、彼の方法の特徴の一つです。

インドのプーナのアシュラムの周辺には、コミューン的な状況が生まれ、1981年にはアメリカのオレゴン州にアシュラムを移しました。
ですが、1985年、運営メンバーの起こした事件をきっかけに、アメリカから追い出されました。


<チベットのグル達>

アメリカで活動したチベット人のグルには、チョギャム・トゥルンパやタルタン・トゥルクがいます。
トゥルンパはマハームドラーを伝え、トゥルクはゾクチェンを伝えました。
これらの思想は、当時、仏教の専門家にとってもほとんど未知の思想でした。

チョギャム・トゥルンパは、転生ラマ11代目トゥルクとして育てられ、チベットから亡命後はオックスフォード大学で比較宗教学などを修め、1967年にはスコットランドで西洋初のチベット仏教瞑想センターを設立しました。
ですが、左半身麻痺となる大きな自動車事故に会ったことをきっかけにして、還俗して結婚しました。

これに対する批判もあって、1970年にはアメリカに活動の拠点を移し、コロラドの「ヴァジュラダートゥ」を中心にして各地に瞑想センターを設立しました。

彼は、禅の他に、生け花、演劇など多くの芸術に関心があり、アレン・ギンズバーグらと詩の朗読会も行うなど、多面的に活動しました。
また、1974年には、「タントラへの道」、「タントラ―狂気の叡智」を出版するなどしました。

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一方、タルタン・トゥルクは、ニンマ派の転生ラマとして育てられ、1960年に、ダライ・ラマの要請によって、インドのベナレス・サンスクリット大学で教鞭を取りました。

1969年には、カルフォルニアに移住し、バークレーにチベタン・ニンマ・メディテーション・センターを設立し、アメリカでの活動を開始しました。

1973年に始めた「ヒューマン・デベロップメント・トレーニング・プログラム」では、現代的で総合的なアプローチを行い、超心理学者チャールズ・T・タート、人類学者のクラウディオ・ナランジョなどのニューエイジ系の学者も参加しました。
彼も多くの著作を残しています。

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<禅師達>

アメリカで活動した禅師では、鈴木大拙による禅の紹介という土壌に加えて、1962年に「サンフランシスコ禅センター」などを設立した鈴木俊隆、1967年に「ロサンゼルス禅センター」などを設立した前角博雄が大きな影響を与えました。

鈴木俊隆は、曹洞宗の只管打座を説き、とビートニクのスナイダーやギンズバークらとも交流を持ちました。
また、1970年に発表した「禅マインド、ビギナーズ・マインド」は分かりやすい語り口で、大きな影響を与えました。

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前角博雄は、曹洞宗の只管打座と臨済宗の公案禅の療法を教えました。
前角はアル中や性的スキャンダルもあって、彼の元から出た複数の弟子が、それぞれに組織を作って活動したことが特徴です。

また、ベトナムの禅宗のティク・ナット・ハンは、禅やニューエイジという範囲を越えて、世界に大きな影響を与えました。

1966年に渡米して、ベトナム戦争終結の和平提案を行いましたが、ベトナムに帰国することができなくなり、欧米で活動を続けました。
彼はキング牧師にも影響を与えました。

1982年には、南フランスにプラムヴィレッジ・瞑想センターを設立し、また、アメリカ連邦議会やグーグル社で瞑想の指導も行いました。

彼の瞑想法は、上座部のヴィパッサナー瞑想に大乗仏教や禅の利他や現世肯定の思想をミックスしたもので、また、社会参画を重視する姿勢は、「エンゲイジド・ブッディズム」と呼ばれます。


<その他の宗教>

その他にも、ヒッピー、ニューエイジ思想では、スーフィズムやグルジェフ、タオイズムへの関心も起こりました。

また、「ネオ・オリエンタリズム」と連動して、西洋の秘教への関心も高まりました。
例えば、神智学、人智学、魔術、カバラなどです。

中でも、魔術に関しては、カウンター・カルチャーの文脈では、アンチヒーローとしてアレイスター・クロウリーに注目が集まり、ジミー・ページや映画監督のケネス・アンガーらにも支持されました。
よりラディカルなところでは、ピート・キャロルが作ったカオス魔術結社の「IOT」には、ウィリアム・バローズ、ティモシー・リアリー、ロバート・アントン・ウィルソンらが参加していたと言われています。

また、キリスト教の修行体系の掘り起しも行われました。
それを行ったのは、サンフランシスコ州立大哲学教授のジェイコブ・ニードルマンや、ハーバード神学科のハーヴェイ・コックスらです。
ジェイコブ・ニードルマンは、幅広く秘教を研究する比較宗教学者でもあり、グルジェフィアンでもあり、「ロスト・クリスチャニティ」の著者です。


<ネオ・シャーマニズム>

ヒッピーやニューエイジ思想の自然回帰的志向、そして、ドラッグなどによる変性意識への関心は、必然的に、メスカリンなどを使う中南米のシャーマニズムの研究を促し、「ネオ・シャーマニズム」の潮流と接点を持ちました。

「ネオ・シャーマニズム」に類するヨーロッパの運動では、「ネオ・ペイガニズム(新異教主義)」の「ウィッカ(魔女宗)」や、「ネオ・ドゥルイディズム(ケルト宗教)」、「ゲルマン・ネオ・ペイガニズム」などへの関心も高まりました。

ニューエイジと関係が深かったネオ・シャーマンは、カルロス・カスタネダとマイケル・ハーナーでしょう。


カルフォルニア大学の人類学の学生だったカルロス・カスタネダが発表したドン・ファン・シリーズ(「ドンファンの教え」1968年-1999年)は、ヒッピーらに熱狂的に受け入れられました。
彼は、この研究で博士号を取得したのですが、多くの専門家がフィクションだと判断しています。

ドン・ファン・シリーズは、ヤキ・インディアンのシャーマンに弟子入りしたカスタネダが、その体験とトルテカに由来するとされる教えを語ります。

ドン・ファン・シリーズが高い評価を得たのは、その思想が、単なる部族シャーマニズムではなく、特定の世界観を越えようとする哲学を持っていたからでしょう。
カスタネダが提示したのは、呪医や司祭ではなく、知者の道、求道としてのシャーマニズムでした。

カスタネダは、1973年に、タイム誌で特集されたり、批判を受けたりした後、世間から隠遁しました。
彼は、同じドン・ファンの弟子として著作のあるフロリンダ・ドナー・グラウ、タイシャ・エイブラーらと集合住宅を共同購入し、そこに住みました。
また、彼らは1993年に、彼らの「テンセグリティ」と呼ばれる教えの指導と出版を行うCleargreen Incorporatedを設立しました。

カスタネダの書は、研究者がフィールドワークで、あるいは、一般人が、シャーマンに弟子入りするという流れを作り、それによてネオ・シャーマニズムの潮流を大きくしました。

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人類学者のマイケル・ハーナーは、1960年に、アマゾンのフィールド調査で幻覚植物アヤワスカを体験しました。
そして、1970年代初頭から、コネチカットでドラムを使ったシャーマニック・トランスのワークショップを始めました。
1980年には、「シャーマンの道:力と癒しのガイド」を出版し、大きな影響を与えました。

ハーナーは、アメリカのネイティブ・アメリカンのシャーマンの技法をベースにして、現代の西洋人が実践できる成長と治療のシステムを作り、それを「コア・シャーマニズム」と名づけました。

ちなみに、カルロス・カスタネダに本を書くようにアドバイスしたのはハーナーで、カスタネダは一緒にドン・ファンに会いに行こうと誘われたそうですが、忙しくて行けなかったそうです。

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*カルロス・カスタネダとマイケル・ハーナーに関しては、別ページで紹介する予定です。


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