カルロス・カスタネダとドン・ファン・シリーズ [現代]

カルロス・カスタネダ(1925-1998)は、1968年出版の第1作「ドン・ファンの教え(邦題:呪術師と私―ドン・ファンの教え)」から、1999年の第11作「無限の活動面(邦題:無限の本質-呪術師との訣別)」までの全11作のドン・ファン・シリーズ(以下「シリーズ」)で、ドン・ファンに弟子入りして継承した教えを、ストーリー形式で伝えました。

ドン・ファンは、ファン・マトゥスという名(本名ではない)のヤキ・インディアンで、メキシコのソノラ州に住み、トルテカの伝統的なシャーマンの教えを受け継ぐとされる人物です。

カスタネダの体験は驚くべきものであり、ドン・ファンの教えは深い思想を感じさせるものでした。
また、カスタネダは、この研究で人類学の博士号を取得しました。

ですが、多くの人がカスタネダの著作をフィクションであると批判したり、そう受け止めています。
カスタネダの著作が、フィクションであるという明白な証拠も、逆に、ノンフィクションであるという明白な証拠も、出されていませんが、おそらく、ほとんどがフィクションでしょう。

しかし、フィクションだったとしても、シリーズはシャーマニズムの思想の可能性を広げるものでした。
それゆえに、ヒッピーの聖典にもなり、現在に至るまで、世界的に大きな影響を与えています。

そして、人類学を学ぶ者がフィールドワークで、単に話を聞くだけでなくシャーマンなどに弟子入りして修行を体験するという流れを作り、あるいは、心理療法家や、人生の道を求める者らが、シャーマンに教えを乞うという流れを作りました。

また、1993年頃から、ドン・ファンの弟子とされるカスタネダの仲間が、その教えの一部を実際にワークショップを通して教えています。
ですから、カスタネダの著作は、単に研究や小説という領域を超えて、実践的な宗教のようになりました。

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<疑いと様々な見解>

最初に、フィクションであるという疑いに関わる事項について書きます。

カスタネダは、自身の著作の内容が本当であるという証拠を、一切出しませんでした。
彼は、この研究で博士号を取得しているにも関わらず、です。

ですが、カスタネダの著作は、一般的な事実認定に基づく判断を行うような合理的な価値観を否定し、また、自身の履歴を公開するような生き方を否定する思想を示しています。
ですから、彼はドン・ファンの哲学を実践したとも解釈できます。
ですが、単に、この思想を都合の良い言い訳に使ったのだとも解釈できます。

シリーズがフィクションであるかどうかは問題ではない、という見解を示す思想家もいます。

フランスの哲学者のドゥルーズ=ガタリは、
「カスタネダの本を呼んでいくうちに、読者にはドン・ファンというインディアンの実在が疑わしくなり、他にも多くのことが疑わしくなる。しかし、結局それは、まったくどうでもよいことだ。カスタネダの本が民俗誌学というよりは諸説の混沌とした記述であり、秘技伝授についての報告というよりは、実験の定式であるとしたら、なおさらいいのだ」(1980)
と評価しました。

ですが、博士号を取得した研究が、フィクションであるとしたら、ほんとうに彼を評価できるでしょうか?

後で記すように、彼の担当教授だけでなく、複数の人類学者が、彼の著作に対して一定の評価をしました。
その一方で、フィクションであることを暴こうとした著作を発表したジャーナリストもいます。

シリーズが進むと、日付がなくなって、いつの出来事であるのか、あやふやになります。
つまり、人類学的記録という側面が、放棄されるのです。

それ以上に問題なのは、普通に読めば、物理的にはありえない話が多数でてきます。
1974年の第4作「力の物語(邦題:未知の次元―呪術師ドン・ファンとの対話)」では、ドン・ファンとその弟子の数名のシャーマン達は、我々の物質世界ではない別の世界に旅立ちました。
さらに、10年ほど後に、その中に一人だったキャロル・ティッグス(実在する人物です)は、戻ってきたことになっています。

カスタネダも、ドン・ファンが去った後、崖から飛び降りて、途中で別の世界を経由してテレポートしてこの世界に戻ってきました。

ドン・ファンがこの物質世界を去ったとしたことで、実際のドン・ファンを探そうという試みは封じられました。
ですが、シリーズの読者は、これを信じる者に限定されることになりました。

もはや、物語としての面白さではなく、カスタネダやその仲間の神格化を狙ったように感じます。
カスタネダは、ネオ・シャーマニズムの導師というよりも、新興宗教の教祖のようになりました。


ネオ・シャーマニズムを代表するマイケル・ハーナーは、カスタネダの知人でした。
1963年、ハーナーがカルフォルニア大学バークレー校で講義をした時、カスタネダの来訪を受けて、ドン・ファンの話を聞き、何か書いた方が良いとアドバイスしました。
そして、2-3週間後に原稿を見せてもらったそうです。

また、ヤキ・インディアンがダツラ(幻覚性植物)を腹に塗り込んで使うことが本当かどうか調べてほしいと依頼しました。
カスタネダのシリーズでは、この時点で、すでにダツラを経験していたはずなのですが。

また、ハーナーは、カスタネダから一緒にドン・ファンに会いに行こうと誘われましたが、スケジュールの都合で断ったそうです。
ですが、カスタネダを通して、ドン・ファンと連絡を取っていたそうです。

ハーナーは、ドン・ファンのようなシャーマンには会ったことがない、と言っていますが、その存在は信じていました。
ですが、シリーズの後半の書で語られるドン・ファンは、カルロスが「夢見た」ものだとも言っています。

また、ハーナーは、カスタネダについて、彼は「中間世界」から抜け出したことがなく、癒しへの言及もなく、呪術師の世界にいたと批判的に評しています。

カスタネダの妻だったマーガレット・ラニヤンは、カスタネダがしょっちゅうどこかに出かけていたので、ドン・ファンにはモデルとなったインディアンがいるけれど、それを脚色したのだろう、書いています。

ヤキ・インディアンとトルテック・インディアンの血統を持つ有名なメディスン・マンのタタ・カチョーラ(Tezlkac Matorral Cachora)は、自分がドン・ファンのモデルであると語っています。
彼は、カスタネダを助けたけれど、自分のことを隠して「ドン・ファン」という架空の存在を作り上げたと。
そして、1968年以降は、カスタネダは狂ってしまったと。

ですが、実際には、カスタネダがカチョーラに会ったのは1969年のようです。
ですから、ドン・ファンにモデルがいたなら、それには多数のシャーマンがいたのでしょう。
ただ、ドン・ファンの重要な教えである「夢見」、「意図」、「忍び寄り」は、カチョーラからカスタネダが得たコンセプトであると言う人がいます。


<カスタネダの歩み>

カスタネダ本人は、自分のプロフィルに関して、当初、1935年にブラジルのサンパウロで生まれたとしていました。
ですが、「タイム誌」の調査によれば、1925年、ペルー生まれのようです。
カスタネダのペルーのある知人は、彼を嘘つきだったと証言しています。

カスタネダは、1950年にアメリカに移住し、1957年に帰化しました。
1960年、マーガレット・ラニヤンと結婚しましたが、数ヶ月で離婚します。
カスタネダは、マーガレットに会った時、イタリアで美術の勉強をしたとか、スペインで米軍に入ったとか、嘘の履歴を語ったそうです。

1959年にカスタネダはUCLAに入学し、1960年にクレメント・メイガンというカリスマ教授のシャーマニズムの講義を受けました。
インディアンにインタビューするとA評価をもらえるという評価基準があり、カスタネダはこれに成功して高い評価をもらいました。

彼の著作の物語では、1960年にドン・ファンに出会っています。
カスタネダは薬用植物に関する知識を得ることが目的でしたが、ドン・ファンは、この時、弟子として見初めたことになっています。
そして、途中で中断をはさみながら、1961年から1973年まで、ドン・ファンのもとで修行を行いました。

カスタネダは、1962年にUCLAで人類学の学士号を取得しました。
そして、1968年には、シリーズ第1作「ドン・ファンの教え」を、メイガン教授の後押しで、カルフォルニア大学出版会から人類学の学術書として出版しました。

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この書には、物語形式の報告の後に、編集者の反対を押し切って、つまらない構造分析が付けられています。
カスタネダは、人類学の方法、依って立つ世界観をパロディにしようとしたのでしょう。

この書に対して、アリゾナ大学人類学教授エドワーズ・スパイサーは、ドン・ファンはヤキ・インディアンの文化には属さないとしながらも評価しました。
また、人類学界の重要人物サー・エドマンド・リーチは、その文学的側面を評価しました。
また、元ロンドン大学人類学教授メアリー・ダグラスは、類例がなく現実性に富むとして評価しました。

これらの好意的な書評もあって、カスタネダの著作は人気を博し、1972年には、カルフォルニア大学のアーヴァイン校で講義を行いました。

そして、第3作「イクストランへの旅(邦題:呪師になる―イクストランへの旅)」(1972)では、「世界を止める」という日常的世界観を相対化する哲学的テーマがはっきりと出され、物語が深まりました。

ですが、1973年に、「タイム誌」がカスタネダのカヴァー特集をし、取材に基づいて彼の履歴が嘘であることを示したので、様々な疑惑、批判が噴出するようになりました。
ですが、カスタネダは、メイガン教授の擁護もあって、この第3作で博士号を取得します。

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ところが、カスタネダは、批判に対して反論を行わず、世間から完全な隠遁をしました。
そして、カルフォルニア州ウェストウッドに集合住宅を共同購入して、もとUCLAの人類学の学生だった仲間達とともに住み始めました。

先に書いたように、1974年の第4作「力の物語」では、ドン・ファンとその弟子の数名のシャーマン達は、1973年に我々の物質世界ではない別の世界に旅立ったことを明かしました。

1976年と1980年には、ジャーナリストのリチャード・デ・ミルが、カスタネダの書がフィクションであると告発する書を出版しました。
ですが、決定的な証拠を示したとは言えませんでした。

1985年以降、一緒に住んでいたカスタネダの仲間の二人が、カスタネダと同様の体験談を出版するようになります。
フロリンダ・ドナー「魔女の夢」(1985)、「夢見の中の存在」(1992)、タイシャ・アベラル「呪術師の十字架」(1992)です。
カスタネダは、序文で、2人がドン・ファンの弟子であると書いています。

そして、第9作「夢見の技法(邦題:夢見の技法―超意識への飛翔)」(1993)では、この2人とキャロル・ティッグスが登場し、シリーズに取り組まれました。
また、同年、この3人は、初めてワークショップを行いました。

2年後の1995年には、カスタネダと彼女らは、法人組織「クリアグリーン」を設立してワークショップを継続的に行うようになりました。

そして、1997年、異色の第10作「マジカル・パス(邦題:呪術の実践―古代メキシコ・シャーマンの知恵)」を出版して、ドン・ファン流の動的ヨガ(気功)を現代化した「テンセグリティ」を公開しました。
「クリアグリーン」で教えていたものでしょうか?

1998年、カスタネダは亡くなり、その後、フロリンダ、タイシャら5人の仲間が失踪しました。
そのうちの一人、パトリシア・リー・パルタンは、2003年にデスバレーでその白骨が発見されました。
この件に関しては、後述します。

ですが、「クリアグリーン」は、現在まで継続しています。

そして、1999年に、自伝的な最後の書「無限の活動面」が出版されました。

クリアグリーン
カスタネダの検証サイト


<物語の展開>

ハーナーが批判したように、カスタネダがドン・ファンから継承したとする教えは、一般のシャーマニズムとは違って、ヒーリングにほとんど興味を持ちません。

ドン・ファンは、自身の道を「戦士」の道、「知ある者」の道と表現し、「呪術師(ブルホ、ディアブレロ)」の道と対比しています。
ちなみに、最終作では「戦士・旅人」という併記した表現になっています。

「戦士」は「未知」と戦うという意味ですが、実際、シリーズでは多くの恐ろしい危険と遭遇します。
「旅人」は「未知(無限)」の領域を旅するという意味でしょう。

「呪術師」の道は、意志によって現実を変えるものなので、病気治療もここに含まれるのでしょう。
「知ある者」の道の目的は、意識の「全体性」を獲得して、最終的に「無限(の活動的な面)」に融合することです。


第4作「力の物語」でドン・ファンとの別れは書かれますが、その後もシリーズは続き、ドン・ファンとの出来事が振り返られます。
そして、シリーズが進むに従って、ドン・ファンの教えは、より深いものになり、その観点から再解釈されるようになりました。

物語の中では、カスタネダの理解が進んだために、これまで書けなかった教えを書けるようになったのだ、とされました。
また、その後には、「夢見」の非日常的意識状態で教えられていた教えを書くようになりました。
以前は、それらを思い出すことができなかったけれど、修行が進んでそれらを思い出せるようになったから、書けるようになったのだ、と。


第1作「ドン・ファンの教え」、第2作「分離したリアリティ(邦題:呪術の体験―分離したリアリティ)」(1971)では、幻覚性植物(力の草)を利用した非日常的リアリティの体験や、それを「観る」ことがテーマの中心となっています。

そして、空を翔んだり、カラスに変身したり、「力の草」のスピリットである「盟友」を見たりします。

ですが、第3作「イクストランへの旅」では、日常的リアリティを作る認識を停止させるという、思想的と言えるようなテーマが打ち出されます。
これは「世界を止める」と総称され、そのための様々な方法論が説かれていくようになりあす。
「力の草」もそのための、重要ではない方法の一つでしかないのです。
後に、ドン・ファンは、「力の草」を重視しない「わしのやり方は従来のやり方と違っていた」と語っています。


第4作「力の物語」では、カスタネダは「戦士」の道を歩むことを決断します。
そして、人間の霊体を「光の球」としてしっかりと「観る」ことができるようになりました。

そして、ドン・ファンから「呪術師の説明」と表現される、呪術師の世界観が説明されます。
その中で、日常的人格・リアリティに関わる「トナール」と、非日常的人格・リアリティに関わる「ナワール」という重要な対立概念が語られます。

また、カスタネダは、崖から飛び落ちる中で、「トナール」の世界に飛び込む訓練を何度もさせられます。
そして、「トナール」の中で、自己が個々の知覚にバラバラに分解される体験をしました。
カスタネダは、飛び込んだ谷底に何があるのかを見る課題、そして、一人で飛び込んで、「ナワール」を経由して現実世界に戻る課題を果たしました。

また、ドン・ファンとその弟子達は、地上世界から旅立ってしまい、ドン・ファンとの関係が終焉しました。


第5作「力の第二の環(邦題:呪術の彼方へ―力の第二の環)」(1977)、第6作「イーグルの贈り物(邦題:呪術と夢見―イーグルの贈り物)」(1981)では、それまでほとんど登場しなかったドン・ファンの弟子達が多数登場します。

そして、カスタネダはドン・ファンを継承するリーダーとして、弟子達をまとめていくことがテーマとなります。
これは、グループの人間の間で、そして、個々人の中で、様々な能力・性質の側面を統合していくというテーマでもあります。

また、仲間との会話から、彼らがドン・ファンから、「夢見」の「高められた意識」の状態で教えられたものが多数あるけれど、それが特別な意識状態であったため、覚えていないことに気づきます。
そのため、これを思い出すことが課題となることが判明し、カスタネダと仲間たちは、「夢見」を共に行うなどして、記憶を取り戻そうとします。


第7作「内からの炎(邦題:意識への回帰―内からの炎)」(1984)では、改めて、過去のドン・ファンとの体験の振り返りが行われます。

この書では、初めてタントラ(密教)的な「エネルギー・フィールド」の概念が重視されるようになり、これまでの教えがその観点から再解釈されるようになります。
これらは、「高められた意識状態」で教えられたもので、「左側の教え」と表現されます。

宇宙は「イーグルの放射物」と表現される「エネルギー・フィールド」の塊であり、人間も「光の球」などと表現される「エネルギー・フィールド」でできています。

「光の球」には知覚を司る「集合点」があって、その位置を移動させることによって、意識・身体・世界が変わると説かれます。
「集合点」を動かして、あらゆる意識、知覚、リアリティを体験して、「全体性」に到達するのが「戦士」の目的なのです。


第9作「夢見の技法(邦題:夢見の技法―超意識への飛翔)」(1993)では、高度な「夢見」の技法が語られます。

「夢見」は、通常の夜に見る夢を出発点にしながら、実在する別の世界へと旅する技術です。
「夢見」による旅は、「エネルギー体(霊体)」を成長させて、「集合点」を移動させることで行います。
これは、肉体を持たない「非有機的存在」との対決でもあり、その世界に閉じ込められる危険もあります。


最終作「無限の活動面」は、カスタネダが自分の人生を振り返ったもので、ドン・ファンが、「総括」として語ってきた方法を、著作を通して行ったものになりました。

この書では、「捕食者」と呼ばれる肉体を持たない存在が、人間のエネルギーを喰い物にして支配しているとする新しいテーマが現れます。
人間の信念体系や感情、自我意識などは、この「捕食者」に由来する「外来装置」なのです。

「捕食者」から逃れるためには、「内的沈黙」や、「エネルギー・フィールド」の振動の操作が必要とされます。

前作で、「夢見」によって「非有機的存在」の世界を訪れると、そこに捕らわれて、どこから来たか分からなくなってしまう、という危険が語られました。
ですが、この最終話では、どんでん返しが行われて、我々は、「捕食者」によって、旅の途中でこの地球に捕らわれてしまっていることが明かされます。


<イーグルの神話とカスタネダの神話>

第6作「イーグルの贈物」では、「イーグルの神話」が語られます。
ドン・ファンら代々のトルテックのシャーマン達は、「イーグルの神話」をモデルにして生き、弟子を育ててきたのです。

神的存在である「イーグル」は、最初に「ナワール(シャーマンのリーダー)」の男女のペアを作り、次に仲間を作りました。
そして、弟子を育てることを命じ、男性ナワールは弟子を自由に導き、女性ナワールはもう一つの世界に案内する役を与えました。

ドン・ファンらは、カスタネダら弟子を育て、1973年にもう一つの世界に去りました。
この世界を去ることは、「最後の旅」と呼ばれ、肉体ごと「無限」の活動的な面に溶け込むのです。

カスタネダは、ドン・ファンを継いで新しい集団の「ナワール」になりました。
ですが、次の「ナワール」になるような弟子を育てることはなかったようです。

1998年にカスタネダの死亡証明書が発行されているので、彼は肉体を残して亡くなったはずです。
カスタネダと仲間達の組織「クリアグリーン」は、カスタネダは意識を保ったまま世界を去ったが(つまり、普通の死ではなく、意図的にこの世を去った)、法的な必要性のために亡くなったと宣言された、という公式声明をウェブサイトで発表しました。
そして、カスタネダが亡くなった後、5人の仲間が失踪しました。

これは、イーグルの神話、そして、ドン・ファン達の行動を再現しようとしたものであり、シリーズの物語を現実にしようとしたものなのでしょう。

シリーズの中では、ドン・ファンは、「わしの全系統が終わろうとしている」と言い、カスタネダが「長い鎖の最後の環となる」とか、「書くことで始めたように、書くことで終わる」と予言しています。

つまり、ドン・ファンの系統のシャーマンの継承は、カスタネダが最後になって、カスタネダはその替わりに書物を残した、ということでしょう。

これが、「カスタネダの神話」なのです。


※「カスタネダのドン・ファン・シリーズの思想」に続きます。

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