修験道の柱源法流と慧印法流 [日本]


長年の間、秘伝とされてきた修験道の教義ですが、その内容は、密教と本覚思想をベースにしながらも、密教を超えようとするものです。

密教が象徴を利用する「有相の三密」による「即身成仏」を主張するのに対して、修験道は象徴を超えた「無相の三密」による「即身即身」、「本有の無作」を主張します。

このページでは、修験道の基本的情報と、台密系本山派の柱源法流と、東密系当山派の慧印法流の教義・儀礼について紹介します。


<修験道の成立>

修験道は、古来の山岳信仰(山中他界観念、山の神信仰など)に、神仙思想や陰陽道などの道教系の思想、雑密の陀羅尼信仰や法華信仰などの仏教、巫覡信仰などが折衷的に習合して生まれました。

秦氏などが持ち込んだ新羅系の山岳宗教(弥勒信仰、花郎道などを含む)の影響も大きく、北九州の彦山などで早くから修験道の原初的形態が始まったようです。

近畿では、葛城山、金剛山、吉野、大峰、熊野などで始まりました。

修験道は、葛城山で活動した役小角を開祖とし、竜樹菩薩が彼に秘密灌頂を与えたことが始まりであるとされるようになりましたが、実際には、役小角は仏教よりも道教寄りの修行者だったようです。

平安時代には、真言宗の高野山と天台宗の比叡山の開山によって、密教の修行僧が増加しました。
そして、東密(真言密教)や台密(天台密教)が修験道に理論を提供するようになります。

天台宗では、智証大師こと円珍(814 - 891)が大峰、葛城山で修行し、後の「本山派」では、智証大師を祖とし、彼が不動明王から「柱源法流」を授かったことを始まりとします。

その後、熊野では、熊野三社が大きな勢力になり、また、寺院では三井寺が拠点となりました。
11C末には、白河上皇の熊野詣を契機にして、増誉が先達を務め、円城寺が熊野の修験道を統括するようになりました。
そして、14Cに天台寺門派による「本山派」が宗派として形成されました。

一方、真言宗では、小野派の聖宝尊師(832 - 909)が大峰で修行して「慧印法流(最勝慧印三昧耶法流)」を興しました。
後の「当山派」は、聖宝尊師を祖とし、彼が竜樹菩薩から895年に「慧印法流」を授かったことを始まりとします。

その後、吉野では金峰山が弥勒下生の地とされ、金峯山寺が大きな勢力になりましたが、三十六カ寺もそれぞれに拠点となりました。
そして、14Cに、醍醐寺の三法院の管轄下に入り、真言醍醐派による「当山派」としてまとまりました。
また、15C初頭の満済の頃に、「慧印法流」が整えられました。

このように、修験道は、室町時代には、仏教を中心にした教義、修行儀礼、組織を持つ集団として確立されました。
両派は、全国の修験道の取り込みを行い、大きな影響を与えました。

 (派) (山) (宗派) (祖) (主な法流)
・当山派:吉野:真言醍醐派:聖宝大師:慧印法流
・本山派:熊野:天台寺門派:智証大師:柱源法流


<思想・教義>

修験道では、山中を浄土(観音浄土、弥勒浄土)や、両界曼荼羅に見立てて回峰行を行います。

大峰山系では、吉野よりの北側が金剛界曼荼羅、熊野よりの南側が胎蔵界曼荼羅に見立てられました。
また、熊野から吉野への道は順峰(仏に至る道)、吉野から熊野への道は逆峰(衆生への道)とされました。

一方、葛城山系は、法華経の二十八品に対応されました。

峰入りは季節ごとに行われます。
「春の峰」は山遊び、「夏の峰」は祖霊に会うこと、「秋の峰」は死と再生、「冬の峰」は山の神と会うことを特徴とします。

また、春・夏・秋の三峰修行の一巡が一阿僧祇劫に当たるとし、3年で成仏できるとします。

最も重要な秋の回峰の修行は、「十界(地獄界~仏界)」を巡りながら、死と再生を経て仏になるプロセスとされました。
最後には、重要な儀式として、灌頂が行われました。

吉野の金峰山の守護神は役小角が顕した金剛蔵王権現です。
この尊格は、釈迦、千手観音、弥勒菩薩の三尊が合体して忿怒尊のなったものです。
熊野の守護神は熊野十二所権現とされます。
この尊格は、熊野三所の権現で、阿弥陀如来、薬師如来、千手観音の垂迹神です。


修験道の教義や実践は、基本的に秘伝であり、近年に至るまで公開されませんでした。
他の神秘主義の秘伝と同様に、その衰退、消滅を恐れて、一部、公開させるようになりました。

ですから、以下に記すものも、限定されたものですし、どの部分がいつ確立されたものであるか不明です。

修験道の思想は、基本的に仏教によって体系化されています。
特に、東密、台密、そして、その背景になっている如来蔵思想(本覚思想)です。

密教は、三密という形のある象徴を使うことが修行の基本となります。
ですが、生まれながらの(本有の)あるがままを重視する如来蔵的思想を突き詰めると、象徴を超える、あるいは不要とされるようになります。

空海には、真言と印と形像の観想からなる普通の三密である「有相の三密」とは別に、日常であらゆる行為が仏にあったものとなる「無相の三密」という考え方がありました。

密教が「有相の三密」であるのに対して、修験道(験乗)は「無相の三密」を基本とします。

ですから、例えば、修験道の念誦は、真言を唱えない呼吸法(修験数息観)となります。
具体的には、呼気を阿字と観じ、吸気を吽と観じ、自分をバン字と観じ、これを秘密の真言(ア・バン・ウン)とします。

そのため、「即身成仏」とは言わず、「即身即身」と言い換えます。

また、「無相三密」は、「本有無作」などとも表現されます。
「本有無作」は、「自然智」を行為にまで落としたものとも言えます。

ですが、実際には、「本有無作」の教義を象徴的する、あるいはそこに導く様々な儀礼的所作を行います。

また、大日如来は「三身即一」で「六大縁起」として捉えられています。
このように、空海の言う「六大」が相互に作用しあう「六大縁起」を重視するのも特徴です。


以上、象徴主義を乗り越えて「本有」の「無相」を重視しようとする点は、インドにおいて、密教からゾクチェンやマハームドラーが誕生した潮流と同様です。

死・再生を成仏プロセスにするというのは、後期密教と似ています。
ですが、気(プラーナ)の操作がない点では異なります。

また、その再生の時に、父母の赤白二水(精液)と胎児(識、本覚)という3者(ア・バン・ウン)を重視する点でも後期密教に似ています。
ですが、やはり、心滴(ティクレ)という概念がない点で異なります。


<十界修行>

先に書いたように、大峰の秋の回峰の修行は、「十界」を巡りながら死を経て再生して仏になるプロセスとされました。

「十界」に対応する主要な修行内容は、流派などによって異なりますが、「柱源法流」では、以下の通りです。

 (界)  (修行)
1 地獄:業秤(丸太を秤にして吊るされて業の重さを秤る)
2 餓鬼:穀断(断食をする)
3 畜生:水断(飲水を断つ)
4 修羅:相撲(三毒を見つめ、相撲を取っもて結果を恨まない)
5 人間:懺悔(懺悔をする)
6 天 :延年(寿命延年の伎楽)
7 声聞:比丘形(四諦観、五停心観、四念住)
8 縁覚:頭襟形(十二因縁観)
9 菩薩:代受苦行(無相の六度、菩薩の十の誓い、本有無作の灌頂)
10 仏 :正灌頂(床堅・手一合)、柱源護摩

9の「無相の六度」は、通常の「六波羅蜜」である「有相の六度」の修験道版です。
「六波羅蜜」は「六大」と対応していて、六大法身の働きの中に「六波羅蜜」が顕れ、それが衆生身に実現していることを悟るものです。

「本有無作の灌頂」は、阿字不生の境地で、色法を法身、心法を報身、色心不二を応身として、自分が仏であると悟るものです。

10の「正灌頂」では、獅子乗座(悟りを得た仏の座)で、自身を両部不二のバン字の卒塔婆と観じて「本有無作」、「即身即身」を悟ります。
これは「十界」がすべて本覚から離れていないことを悟るものでもあります。

「正灌頂」と合わせて「柱源護摩」が授けられますが、これは後述します。


<柱源法流>

「本山派」の「柱源法流」は、次の四種の行儀で構成されています。

 (行儀) (場面)(内容)
1 生起行儀:受胎:閼伽
2 胎内行儀:胎内:本有印、手一合
3 胎外行儀:出胎:床堅
4 死滅行儀:死 :採灯(護摩)

「生起行儀」の「閼伽(水の意味)」では、二本の乳木(護摩の薪)を水輪に立てます。
これは父母の和合の赤白二水であり、金剛界と胎蔵界の不二、阿吽の象徴です。
赤白二水は、命息(気?)でもあり、天地の二気でもあります。
この和合によって、修行者は「受胎」し、「識」の作用が始まります。

この「閼伽」には別の方法もります。
それは、桶から水を汲んで地に注ぐというものです。
この水は、バン字であり、金剛界の智水と胎蔵界の理水であり、父母の和合の二水です。
これを注ぐことは煩悩を洗い流すことを象徴し、それによって五智が顕れます。

「胎外行儀」では、胎児の生育の五段階を象徴します。
胎児自体は、「本有無作」の象徴であり、それを印と真言によって示します。

「胎外行儀」の「床堅」では、獅子乗座で、「自身即五輪塔」、つまり、自身を五大を象徴する五輪塔(体の各部が五大に対応する)であると悟ります。
また、呼吸が阿吽の真言となり、自身は両部不二のバン字であり、こうして「ア・バ(ン)・ウン」という秘密真言となります。

「床」は、両部曼荼羅を象徴し、自身の心を「十界」の凡夫と聖者が同居して一体であると悟ります。
「堅」は、堅固な法身仏を象徴し、自分の色心がその働きの五大であると悟ります。

「死滅行儀」では、五大の分解によって死を体験します。


次に、「正灌頂」の時にも合わせて授けられる「柱源護摩」ですが、次の5段階から構成されます。

(次第) (対応行儀)  (内容)
1 導入:  ―  :法螺の音で煩悩を消す
2 床堅: 胎外  :成仏の可能性を確信する
3 柱源:胎内・生起:父母の交わりによる受胎
4 護摩: 死滅  :煩悩を焼却して大日如来として再生
5 終結:  ―  :中央の柱を合掌した指にはさみ、大日如来であることを確認

「柱源」は、水輪上に3つの柱を立てて行う儀礼ですが、次のような次第で行われます。

・水輪に水を入れる:天地の水が交わって、父母が生じることの象徴
・二本の乳木(栗・柳)をはずして重ねて虚心合掌にはさむ:父母(金剛・胎蔵両界)の交わりで胎児(本覚)を受胎することの象徴
・中央の柱(閼伽札)に供物を捧げる:胎児の育成の祈願

つまり、修行者自身が、本覚を本質とする胎児の象徴である中央の柱として再生したと観じるのです。


<慧印法流>

「慧印法流」の加行は、「七壇法」と「極壇護摩供」です。

「七壇法」は、それぞれが十八道立てで、7つの尊格に対して順に、金剛界・胎蔵界の順逆の峰を行います。
この加行は、加行であっても、「本有無作」を悟ろうとするものです。

潅頂である「慧印潅頂」は、次の3つで構成されます。

1 滅罪灌頂:4つの印と共に業障を取り除く
2 覚悟灌頂:無明を悟り成仏を目指す
3 伝法灌頂:三身の如来の秘印を受けて理智不二を悟る

「滅罪灌頂」では、招罪印で罪を招いて、摧罪印でそれを破壊し、業障除印で業障を除き、成菩提心印で菩提心を起こし、本尊除一切悪趣菩薩根本印で悪趣の業障を消滅させます。

「覚悟灌頂」では、覚台に上って曼荼羅に入ったと観じます。
そして、入門の印明で仏の菩提に入り、合門生印明で如来と凡夫が一体になったと観じ、法界塔印で理智不二になったと観じます。

「伝法灌頂」の後に「五重の口訣」によって空性を体得して、「本有無作」の無相を悟ります。
「慧印法流」は、空性を重視するのが特徴です。


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