天台本覚思想と玄旨帰命壇と星辰の秘法 [日本]


「煩悩即菩提」として煩悩をそのまま肯定する「天台本覚思想」は、日本の天台宗の特徴的な思想です。

そしてこれは、日本の諸宗教、例えば、日蓮宗、修験道、神本仏迹説(吉田神道など)や、文化に幅広く大きな影響を与えました。

この「天台本覚思想」を伝授する灌頂に「玄旨壇灌頂」がありました。
「玄旨壇灌頂」の本尊である摩多羅神は、阿弥陀如来の垂迹神とされ、臨終の際に、阿弥陀如来の来迎に先だって人間の肝臓を食して往生に導くとされました。

また、「玄旨壇灌頂」に引き続いて行われる「帰命壇灌頂」は、星辰信仰に基づいて、人間の魂の帰還先が北斗七星や明星であると伝授するものでした。
「帰命壇灌頂」にも現れているように、中世の台密は星辰信仰を盛んに取り入れ、その秘法を修じました。

このページでは、「天台本覚思想」と「玄旨帰命壇灌頂」、そして台密の星辰の秘法を紹介します。


<天台本覚思想>

「天台本覚思想」は、「天台実相論」と呼ばれる思想と一体です。

「天台本覚思想」の主張は「煩悩即菩提(生死即涅槃)」、つまり、煩悩をそのまま肯定するものであり、煩悩は捨てるべきものとする仏教の基本を真っ向から否定するものです。

一方、「天台実相論」の主張は「諸法実相」、つまり、現象世界はそのまま真実の姿であるとするものであり、仏教の基本である「諸法無我」を真っ向から否定するものです。

このように、日常の意識、認識世界をそのまま認めることは、仏教の基本の否定でもありますが、神秘主義の否定でもあります。
ですが、煩悩の現れを単に消滅されるのではなく、清浄なものに変化・解放するという密教の奥義的思想と、紙一重であり、これらの影響は錯綜しています。


「本覚」という概念は、如来蔵思想系の中国の論書である「大乗起信論」に始まります。

一般に、如来蔵思想を学問的に分類すると、

・仏性内在論       :仏は衆生の中に可能性として内在する
・仏性顕現論(顕現的相即):衆生は仏から生まれたものである
・仏性顕在論(顕在的相即):衆生に仏は現れて活きている

に分かれるとされます。

「天台本覚思想」は、三番目の「仏性顕在論」になります。
現象世界や人間の煩悩に、真理や仏が顕れて活きているとして、それを肯定することが特徴の思想です。

「天台本覚思想」を表現する言葉には、「生死即涅槃」、「煩悩即菩提」、「理即事」、「当体全是」、「事常住」などがあります。

「天台本覚思想」は、日本の天台宗の中で、平安後期の12Cまで口伝・口決、切紙相承で伝えられてきました。
つまり、師から弟子に伝えられる秘密の教えだったわけです。

ですから、はっきりしたことは分からないのですが、「天台本覚思想」が始まったのは院政期の11C頃で、口伝が始まったのは勝範(996 - 1077)の頃だったと推測されています。

そして、平安末期から鎌倉時代の13Cにかけて、口伝が収集、文献化され、13C中頃に体系化されるようになりました。

ですが、江戸時代の17Cに、天台宗の妙立慈山(1637 - 1690)や霊空光謙(1652 - 1739)が、「天台本覚思想」を批判し、「玄旨帰命壇」を批判したことをきっかけにして、表舞台からは消滅しました。

文献として、明確に「天台本覚思想」を表現した最初の書は、1250年頃の「三十四箇事書」でしょう。
「事とは、諸法を泯ぜず、自体にして常恒なり」などと書かれていて、現象は真理の生きた姿であり、不滅な存在であるとしました。

そして、14Cの「修禅寺決」、「漢光類聚」、「法華略義見聞」には、「天台本覚思想」の体系化が見られます。

「修禅寺決」では、「三重七箇法門」の教説、「漢光類聚」、「法華略義見聞」では、「四重興廃」の教説が体系化がなされました。
「四重」とは、爾前・迹門・本門・観心の4段階のことで、最後の「観心」では、理事、本迹を止揚して理事根本一元論が説かれます。

人物で言えば、俊範、静明、心賀、心聡という流れの中で「天台本覚思想」の体系化がなされていきました。
静明は南宋禅の影響を受けていて、「漢光類聚」の作者ではないかと推測されています。


<天台実相論>

先に書いたように、「天台実相論」は、「諸法が実相である」、つまり、現象が真理であるという思想であり、仏教の基本である「諸法無我」に矛盾するものです。

「法」は部派仏教では実体ですが、大乗仏教では無自性なものなので、現象に当たります。
大乗仏教では、通常、「実相」は「無常」ですが、「天台実相論」では「常住」なものとされます。

ただ、「天台実相論」という言葉は、このような意味ではなく、天台教学を大成した中国の天台智顗の実相に関する教説という意味でも使われます。
天台智顗は、「理事円融」、「理事相即」を説きましたので、現象(事)を相対的に肯定しています。
ですが、現象を絶対肯定する日本天台宗の「事一元論」、「事常住」の考え方とは異なります。

この「諸法実相」の論拠は、「法華経」の鳩摩羅什訳に「…諸法の実相を極め尽くさばなり」とある部分です。
ですが、サンスクリット原文では「実相」に当たる言葉はなく、「仏は諸法を知っている」であり、「諸法は実相である」とは書かれていません。

他の箇所で鳩摩羅什は「スヴァバーヴァ(自性・本質)」を「実相」という中国的な概念で訳していますが、上記の箇所でこれを付け加えて訳す必然性は薄いのです。

ところが、いつのまにか「諸法実相」という言葉が独り歩きして、「諸法は実相である」とされるようになったのです。

「諸法は実相である」とはっきりと論じるようになったのは、最澄より後で、おそらく、「天台本覚思想」の成立と同時なのではないでしょうか。


<玄旨灌頂>

「玄旨帰命壇灌頂」は、「玄旨灌頂」と「帰命壇灌頂」から構成され、師が弟子に口伝を伝授するもので、中世天台宗の秘教的な思想が表現されています。

両灌頂は、「玄旨」、「帰命」に関する天台宗の奥義を伝授することが中心となりますが、最初に禅宗を真似た公案で問う次第があったり、最後に鏡を使った比喩で奥義を伝授するなどの特徴があります。

「玄旨」の教義は、13Cの恵尋、経祐の頃に関東の天台宗の檀那流の「秘口決伝授の儀式」として始まりました。
その後、14C後半の厳吽の頃に、摩多羅神を本尊するようになりました。
そして、1500年頃に「帰命壇」が生まれました。
比叡山では、東塔北谷八部尾の八部院や恵光院が中心となっていたようです。

「玄旨帰命壇灌頂」は口伝ですが、それらを記録した「渓嵐拾葉集」、「玄旨壇秘鈔」、「天台玄旨灌頂入壇私記」、「帰命壇伝授之事」、「玄旨帰命壇公記」などによって知ることができます。


「玄旨」とは、「煩悩即菩提」や「一心三観(空・中・仮の三諦を同時に観ずる)」の「天台本覚思想」的解釈を指します。

「玄旨灌頂」では、次のような伝説が伝えられます。
南岳・天台両師は釈迦から直接教えを受け、それを切紙で弟子に伝えた、そして、最澄にもその中の「玄旨帰命壇」に関する秘伝が伝えられた。

「玄旨灌頂」では、おそらく当時ですら謎の神だった「摩多羅神」が本尊とされるようになりました。

「摩多羅神」は、円仁が帰朝時の船の中で感得し、比叡山の常行堂に勧請した神です。

この神は、「大黒天(魔訶迦羅天、マハーカーラ)」であるとも、「荼枳尼天(ダキニ)」でもあるとも、「母天(摩怛利神、マートリカー)」であるとも解釈されます。
これらは、いずれも、日本中世の秘教を特徴づけるシヴァ・ファミリーの暗黒・忿怒相の神々です。

秘伝では、「摩多羅神」は臨終者の肝臓(精)を食べて正念を得させて、往生を遂げさせるとされます。
つまり、この神は「阿弥陀如来」の来迎を準備する神なのです。
そのためか、「阿弥陀如来」の垂迹神とされます。

「玄旨灌頂」では、「摩多羅神」が描かれた絵が掲げられ、奥義が伝授されます。
「摩多羅神」は、狩衣を着た俗人姿の老翁で、鼓を打っていて、その頭上には北斗七星が描かれています。
その左右には、童子がいて、左手に茗荷、右手に竹葉を持ち、踊っています。

IMG_3108.jpg

この三尊は「三毒」を、そして、「一心三観」を意味します。
「摩多羅神」が「中」、左の童子「爾子多」が「空」、右の童子「丁令多」が「仮」の象徴です。

そして、茗荷と竹葉は、智恵と無明、認識対象(境)と認識主体(智)を意味します。

また、「摩多羅神」は阿頼耶識、「爾子多」は末那識、「丁令多」は六識を象徴します。
つまり、「摩多羅神(阿頼耶識)」が鼓を打って、「爾子多(末那識)」に小鼓を打たせ、意識、五感を働かせ、煩悩の舞を舞わせているのです。

あるいは、摩多羅神は「十波羅蜜」の鼓を打って童子に「十界」を舞わせるとも言われます。

「摩多羅神」は「阿弥陀如来」の顕現なので、これら煩悩は、即菩提なのです。

また、「丁令多」は、「ソソロソニ、ソソロソ」と歌います。
この「ソソ」は小便道を、そして、女子の性器を指す俗語で女色を意味するとされます。
一方、「爾子多」は、「シシリシニ、シシリシ」と歌います。
この「シリ」は大便道(尻)を、そして「シシ」は男子の性器を指す俗語で、男色を意味するとされます。

ただ、こういった性的解釈は、ある時点で、一部の者が、立川流と混同された民間の集団(「彼の法」集団)の影響を受けて導入されたものという説もあります。
ですが、灌頂の次第の中には、性的な行為は見つかっていません。

 (三尊)   (本地)(三観)(八識)  (性)
・摩多羅神  :阿弥陀 :中:阿頼耶識
・丁令多(右):勢至菩薩:仮:意識  :小便・女性器・女色
・爾子多(左):観音菩薩:空:末那識 :大便・男性器・男色

灌頂の最後には、鏡を使った「鏡像円融口決」が伝授されます。

鏡は、鏡明が「空」、鏡像が「仮」、鏡自体が「中」の「三観」を象徴します。

そして、二枚の鏡に本尊と灯明と弟子を映し合い、「十界互具」つまり、「十界」の存在は互いに他を内在させている、つまり、「煩悩即菩提」であることを伝授します。

さらに、一枚の鏡に師を映し、弟子を映し、弟子と師が映し合って、そのように師がその智を弟子に伝授することを悟らせます。


<帰命壇灌頂>

「帰命壇灌頂」の「帰命」は、死後の人間の帰還先の星の教えを指します。

「帰命壇灌頂」の主尊は、弥陀如来であり、左右に観音菩薩、勢至菩薩がいます。
この「弥陀三尊」の俗体(垂迹)が「摩多羅神三尊」です。

道教には、人間の霊魂は三魂七魄でできているとする説がありました。
それが「帰命壇灌頂」では、独特に捉え直されています。

「七魄」は、「北斗七星」のことです。

人間は、北斗七星の本命星と元神星の精が父・母に降りて、赤白二水(精液、経血)となって生まれます。
そして、死ぬとそこに帰るのです。
本命星は心法(精神)、元神星は色法(肉体)を作るとされます。

・本命星:母:赤水:精神
・元神星:父:白水:肉体


「三魂」は、「三台星」、つまり、日、月、明星(金星)のことです。
「三台星」の本体は「阿弥陀三尊」です。
この三尊は、「一心三観」を象徴します。
「三台星」と「三観(三諦)」と三尊の対応には諸数の説があります。

阿弥陀如来は、北極星であるとされると共に、明星であるともされます。
明星は、「明」が「日+月」なので、煩悩(仮)と菩提(空)を止揚する中道なのです。

阿弥陀如来の西方浄土が、北極星であり明星なのでしょうか。

・阿弥陀如来:明星:中:口呼吸
・観音菩薩 :日 :空:鼻呼吸
・勢至菩薩 :月 :仮:鼻呼吸

灌頂の時に、「弥陀命息」の教えが伝授されます。

これは、呼吸が生命の元であり、阿弥陀如来であるという教えです。
阿弥陀如来の息に乗って日・月の精が父・母が交わる時に母体に入るとされます。

そして、呼気を阿弥陀浄土への往生、吸気を阿弥陀如来の来迎と考えます。
また、観音菩薩と勢至菩薩は左右の鼻の呼吸、阿弥陀如来が口の呼吸に対応すると考えます。

つまり、臨終は、この呼吸が途絶える時ですが、摩多羅神がやってきて、精を吸い取るのですが、同時に、「一心三観」を開明して正念を得させるのです。

灌頂の最後に、「暁天の作法」によって奥義が伝えられます。
これは、鏡で明けの明星の出る暁天を背景に、師と弟子が鏡に北斗を映して、上記の帰命先を伝授するものです。


<台密の星辰の秘法>

「帰命壇灌頂」にも現れているように、中世の台密では星辰信仰が極めて重視されていました。

最初に、8Cに唐で密教が道教と混淆して、密教に道教系の北辰(北極星)・北斗信仰が持ち込まれて、秘法が作られました。
そして、日本には、9C半ばから、「都利聿斯経」、「七曜攘災決」などの星辰信仰関係の経典がもたらされるようになりました。

10C-11Cには、律令制の衰退と、災異意識の高まりから星辰信仰が盛んになり、陰陽道と密教が混淆しました。
北斗は庚申信仰、三尸信仰と結びついて寿命を司るとされたため、北斗の供養は主に延命を願うものでしたが。

台密では、星辰を対象にした秘法が重視されるようになりました。
具体的には、「熾盛光法」、「尊星王法」、「七仏薬師法」などです。

これらの秘法は、天皇(国)などの限られた人間の施主の現世利益を目的とした呪術です。
ですが、これらは仏・如来を本尊とした「息災法」に当たり、密教呪術の種類(息災・増益・調伏・敬愛)の中では、最も高いレベルとされるものです。
術師は、仏という普遍的尊格の力を創造的に実現させようとするので、求道的な行法に近いものとなります。

「熾盛光法」の本尊は、「熾盛光仏頂尊」(仏頂尊は仏の頭頂部の肉髻を尊格化したもの)です。
この仏は宇宙そのものを体とし、日月星宿を眷属とし、北極星の光に象徴されます。

この修法は、円仁が天皇のために初めて修じました。
この修法を行うと、釈迦如来が忿怒尊として顕現し、天変地妖をすべて封じることができるとされます。
仏、菩薩、明王、天部、星神(九曜、十二宮、二十八宿)を放射状に配置した円形の曼荼羅を使います。

ちなみに、東密でも「熾盛光法」に対応する修法として「一字金輪法」が行われました。
この本尊は「金輪仏頂尊」ですが、これは「熾盛光仏頂尊」と同体であり、どちらも種子真言ではボロン字で表現されます。
「金輪仏頂尊」は、太陽でもあり、北極星でもあるとされました。

「尊星王法」の本尊の「尊星王」は、北極星を菩薩化した「妙見菩薩」で、三井法流では「吉祥天女」とされます。
この法は寺門派で最高の秘法とされ、北極星に全天を象徴させます。
「妙見菩薩」を説く経典には、「七仏八菩薩所説大陀羅尼神呪経」などがあります。

「妙見菩薩」は日本の図像では、北斗七星の形の青龍に乗り、鹿の首を戴き、日、月、虎、象、白虎、豹が回りに描かれます。

「七仏薬師法」の本尊は、「薬師如来」を主体とした東方浄瑠璃世界の七尊の仏です。
台密では、日本に相応しいのは東方浄瑠璃世界の教主の薬師如来と考えます。

この七仏は、北斗七星として顕現し、また、山王七社に垂迹すると考えられました。
七仏を説く経典には、「薬師瑠璃光如来消災除難念誦儀軌」、「薬師七仏供養儀軌如意王経」などがあります。


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