暗黒と愛欲と異形の天部達 [日本]


愛欲などの煩悩を即菩提とし、不浄とされてきたものを即清浄とするのは、中世の秘教的な仏教の特徴です。

こういった本覚思想的密教思想は、仏や菩薩ではなく、天部や明王こそが象徴します。
実際には、それらの修法のほとんどは、利己的な現世利益のために行われたようですが。

ですが、その一方で、これらの天部には、日常の認識世界や意識の破壊と再創造を促す可能性を持っていたはずです。

天部の信仰や行法は、神仏習合(本地垂迹)や浄土教の広がりと並行して、院政期に興隆しました。
天部などの尊格に関しては、真言宗では覚禅による「覚禅鈔」、澄圓による「白宝抄」、亮禅・亮尊記による「白宝口抄」、天台宗では承澄による「阿婆縛抄」、光宗による口伝集「渓嵐拾葉集」などに記されています。

このページは、暗黒即福徳や愛欲即菩提を示す天部・明王達、及び、それらの双身、三面、獣身などの異形の姿や、男女尊の交合の秘法をテーマとします。
そして、中世の東密、台密の錯綜した天部・明王の歴史から、それらをピックアップしてまとめます。


<シヴァ・ファミリー>

インドの中世に興隆したヒンドゥー・タントリズムの中心的神格はシヴァ神でしょう。
シヴァ神には様々な相があり、また、配偶女神、息子神、眷属などの多くのファミリーがいました。

シヴァ神には破壊/吉祥という、相反する二つの属性がありますが、シヴァ・ファミリーの神々も、多くが暗黒・忿怒・破壊の相と福徳・豊穣の二つの属性を持っています。

これらシヴァ・ファミリーの神々の多くは、日本に伝来して、中世の秘教を担う天部、秘仏となりました。
まず、それらの神々をあげます。

シヴァ神は、仏教では「マヘーシュヴァラ(大自在天)」と呼ばれます。
ですが、この神自身は、日本ではほとんど信仰されませんでした。

シヴァ神の暗黒相(バイラヴァ)が「マハー・カーラ」、つまり、「大いなる時間」、「大いなる暗黒」の神です。
シヴァ神の眷属であるとも言われます。
日本では、意訳して「大黒天」、音訳して「魔訶迦羅天」と表記されます。

マハー・カーラは、本来、破壊・戦闘の神ですが、日本に伝わる途中で、福徳神という属性を併せ持つようになりました。
具体的には、福神のクラーベや、仏教の宝蔵神ジャンバラの属性を吸収して、ネズミと関係し、袋を持ち、腹が膨れた神となって行きました。

大黒天については後の項目で紹介します。

シヴァ神の息子とされるようになったのが象神の「ガネーシャ(誐尼沙)」です。
この神は、もともとは障礙神ヴィナーヤカ(毘那夜迦)で、その後、ルドラ系の神ガナパティ(誐那缽底)と習合し、さらに象神や財宝神と習合しました。

仏教では「ナンディケーシュヴァラ(歓喜自在天)」と表現され、大自在天の軍を統帥する存在とされます。
日本では、主に「聖天」、「歓喜天」、「毘那夜迦」などと表現されます。

ガネーシャは、シヴァ・ファミリーの中では最も現世利益的な福神です。
日本では、どんな非法悪行も成就させる願望成就の神です。
「聖天法」は、後醍醐天皇が倒幕のために修したと言われています。

また、男女の聖天が抱き合う双身像があり、性的な属性が強くなっています。
双身聖天については後の項目でも紹介します。

マハー・カーラの配偶女神カーリーの眷属とされるのが「ダキニ」です。
「ダキニ」は、人肉を食い、裸で空を飛ぶ魔女です。

密教では、ヒンドゥー・タントラの「シャクティ」に相当する動的な女性原理であり、「プラーナ」を象徴します。
また、チベットでは、修行者が概念の世界を超えようとする時に現れる智慧の女神でもあります。
中国では「空行母」という意訳表現があります。

日本では「荼枳尼天」、「荼吉尼天」、「吒枳尼天」、「吒天」と表現されます。
稲荷信仰と習合し、霊狐に乗った天女の姿でも描かれます。
そして、天皇の即位潅頂の隠れた本尊にもなりました。

荼枳尼天については後の項目で紹介します。

シヴァの配偶女神の忿怒相であるドゥルーガーの眷属なのが、「七母神(マートリカー)」です。
彼女達は、シヴァの暗黒相であるバイラヴァや、シヴァの息子「ガネーシャ」や、その他のヒンドゥー教の男神の配偶女神とされます。

日本では「七母天」、音訳して「摩怛利神」と表現されました。
摩怛利神は、「摩多羅神」と習合しました。
摩多羅神は、大黒天、荼枳尼天とも同一神とされることもあり(「渓嵐拾葉集」)、暗黒相のシヴァ・ファミリーと関係が深い神です。


<大黒天と戒灌頂>

日本では、「大黒天」は福徳神という属性が強く、13Cの後半に大国主と習合し、後世には七福神の主神格になりました。
ですが、中世においては、暗黒・忿怒相を持ち続け、東密・台密などの秘教的な部分の一端を担いました。

天台宗では、比叡山の守護神が「三面大黒天」(詳細後述)とされます。
叡尊による「三輪大明神縁起」によれば、最澄が比叡山の開山を思いついた時に、鎮守の三輪明神が大黒天の姿で現れたとされます。

また、天台宗の中でも秘教的な灌頂(戒灌頂)を行っていた黒谷戒家の本尊が大黒天です。

戒家では、大黒天を、顕・密・戒の三学一致の象徴としました。
顕教においては大黒天が止観の教主であり、中道の象徴です。
密教においては、真言であり、弁才天とともに、天部が中道を象徴します。
そして、戒においては、戒法そのものであるとします。

また、大黒天を「境智冥合の一心三観」の象徴ともしました。


<荼枳尼天と即位灌頂>

「荼枳尼天」は、空海が招来した胎蔵界曼荼羅で、人食い鬼女として描かれています。
ですが、稲荷信仰と習合して、荼枳尼天は宇賀神と同体とされ、霊狐に乗る天女姿で描かれるようになりました。

荼枳尼天を本尊とする「吒天法」は福徳法で、頓悟の成就をもたらして、様々な願望を実現させるとされます。
この法は、東寺や寺門(三井寺)で行われましたが、稲荷系の民間の巫覡や陰陽師も行いました。

また、荼枳尼天は天照大御神の変化身とされ、天皇の「即位潅頂」の隠れた本尊になりました。
即位灌頂では、天照から伝えられたとされる荼枳尼天の印明が授受されるのです。

「渓嵐拾葉集」では、天照は辰狐の姿で天の岩戸に籠もったとされます。
辰狐は北辰・北斗と霊狐が習合した存在で、荼枳尼天と同体を考えられました。
荼枳尼天は、如意輪観音、大日如来の化身でもあります。

非常に複雑ですが、大日如来、如意輪観音、天照大御神、荼枳尼天、辰狐などが習合、関連付けられたのです。

天皇の即位灌頂は、後三条天皇の時に始まりました。
これは、律令制度が崩れて天皇の神聖が失われていく中で、天皇を仏と因縁で結ばれた神国に君臨する転輪聖王として位置付けることから生まれました。
つまり、東密・台密による、天皇=大日如来・釈迦の化身説による天皇神話の再解釈によって、即位灌頂が生まれたのです。

即位灌頂は天皇以外でも、例えば伊勢の外宮の大物忌でも行われました。


<宇賀弁才天と獣身の天部>

獣身の天部の信仰・修法も、中世密教の特徴の一つです。
象神である「聖天」、ほとんど霊狐と一体の「荼枳尼天」以外にも、蛇身の「弁才天」である「宇賀弁才天」がいます。
この弁才天は、龍神や宇賀神と習合した神です。

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出典:WIKIPEDIA

弁才天は、もともとはインドの川、財福、音楽、戦闘の女神である「サラスヴァティ」です。
財福の神としての属性からは「弁財天」とも表記されるようになりました。
中国では、天台智顗が弁才天を法華経の守護神としました。

宇賀弁財天は、宇賀神が天台教学に取り入れられて10C中頃に生まれ、顔は老翁(宇賀神)、体はとぐろを巻いた蛇身(龍神)の姿でも表現されます。
この「宇賀神」は、記紀の穀物女神「宇迦之御魂神」を基本としながらも、胞衣神や荒神と習合した複雑な神格です。
宇賀弁財天は女性の顔の場合もありますが、多くは老人の顔であるということは、宇迦之御魂神より荒神などの別の神格の性質が強いのでしょう。

比叡山では、謙忠による「弁財天修義」をもとにして、宇賀神を本尊とする「弁才天法」が盛んに行われました。

「修儀私」によれば、口伝では行者自身を大黒天として、本尊の弁才天と夫婦になると観じよとしています。
宇賀弁財天の老翁の顔を、大黒天とみなしているのでしょう。

また、天台宗の黒谷戒家では、宇賀神信仰が13C、14Cに興隆し、その「戒灌頂」では、弁才天の種子のオン字は、「一心三観」、特に「中道実相の妙観」を示すとされます。


<愛染明王と愛欲の天部>

愛欲を肯定する「愛欲即菩提」の天部も、中世密教の特徴です。
日本では「聖天」や「荼枳尼天」も愛法に関わりの強い天部ですが、「愛染明王」が代表です。

愛染明王は、「瑜祇経」に由来し、インド仏教での尊格はタキラージャだと推測されています。
日本では、大日如来、あるいは、金剛薩埵を本地とすると考えられました。
また、伊勢の外宮では、天照大御神と同体と考えられることもありました。

愛染明王の信仰は、東密で始まり、12Cに広沢流で盛んとなり、台密にも広がりました。
「愛染明王法」は、敬愛、増益、調伏の願望成就の祈願に使われます。
藤原氏が天皇を操ることを祈願するためにも使われました。

愛染明王は、多くは一面三目六臂像で、左第三手のみに持物がないため、この手に目的に合わせた持物を持たせて修法を行うようになりました。

愛染明王は、男尊とされる場合と、女尊とされる場合がありました。
また、「男尊の愛染明王」は「聖天」と、「女尊の愛染明王」は「荼枳尼天」と同体であると考えられることもありました。

「愛染明王法」の口伝では、行者自身を「金剛薩埵」とし、「女尊の愛染明王」と一体化する観法が説かれました。

また、愛染明王には、二面二臂の「両頭愛染」像や、三面六臂の像、左右に脇仏を置く三尊形式もありましたが、これらについては後述します。


<男女尊交合の秘法と双身・双頭像>

男女の尊格の交合の修法を説くことや、男女の双身や双頭の天部像の存在も、中世密教の特徴です。

インドの密教では、「智恵(プラジュニャー)」は女性名詞であり、「智恵」が仏を生むため、「智恵」そのものである「仏母」という尊格が生まれました。
「智恵」が静的な女性原理であるのに対して、「仏」は「方便」、あるいは、「慈悲」という能動的な男性原理の象徴とされるようになりました。
そして、「仏」と「仏母」の交合が、その二原理の不二を象徴するようになりました。

それに対して、ヒンドゥー教のタントラでは、男性原理のシヴァが静的であるのに対して、女性原理が動的なエネルギーとしてのシャクティとされました。
そのため、仏教ではこのシャクティをダキニとして取り入れました。

・仏  :方便・慈悲     :動的男静原理
・仏母 :智恵        :静的女性原理
・荼枳尼:エネルギー、プラーナ:動的女性原理

ですが、日本では、男女の尊格は「方便/智恵」ではなく、両部や陰陽説と結び付けられました。

・男性尊格:金剛界(智):陽
・女性尊格:胎蔵界(理):陰


また、先に書いたように、「愛染明王法」では、行者が男尊の「金剛薩埵」となって、女性本尊の「愛染明王」と一体化することを説く口伝がありました。

同様に、「弁才天法」では、行者が「大黒天」となって、女性本尊の「弁才天」と夫婦になると観じるという口伝がありました。
「弁才天」と「大黒天」の交合は、「境智冥合の一心三観」、そして「中観」の象徴とされます。

       (男尊) (女尊)
・愛染明王法:金剛薩埵/愛染明王
・弁才天法 :大黒天 /弁才天


愛染明王には、「両頭愛染」と呼ばれる像もありました。
女尊「愛染明王」と男尊「不動明王」の二面、赤白の二色の姿です。

また、「瑜祇経聴聞抄」によれば、女尊の「愛染王」と男尊の「染愛王」の二尊とする場合もあります。 
「瑜祇経拾古鈔」によれば、「愛染王」は「慧」、「染愛王」は「定」を象徴します。

      (男尊) (女尊)
・両頭愛染:不動明王/愛染明王
     :染愛王 /愛染王
・配偶尊 :大黒天 /愛染明王
     :愛染明王/弁才天

両頭像とは別に愛染明王は、「大黒天/女尊の愛染明王」のカップルや、「男尊の愛染明王/弁才天」のカップルで考えられることもありました。

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法華寺の両頭愛染(不動明王/愛染明王)
出典:WIKPEDIA

一方、聖天や毘沙門天には双身像がありました。
これらは、陰陽和合の象徴とされ、また、金胎の両界の不二とも解釈されます。

「双身聖天」は、男尊は障礙神、女尊は「観音」の化身とされます。
二天は向き合って手をかけて抱き合っています。

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出典:コトバンク<日本国語大辞典

「別尊雑記」には、「双身聖天」像の縁起物語として、観音が女の姿に変じて毘那夜迦の前に現れて、仏法守護を誓わせて抱き合ったとする話が記されています。

一方、「双身毘沙門天」は、女尊は「吉祥天」とされ、二天が背中合わせで一体になっています。

        (男尊) (女尊)
・双身聖天像 :毘那夜迦/観音菩薩
・双身毘沙門天:毘沙門天/吉祥天

これらの双身天部像は、インドやチベットの後期密教のような、性的な合体尊ではありません。


ちなみに、真言宗の立川流と混同された民間の宗教集団(「彼の法」集団)に、実際の性行為を悟りに至る行とするものがありました。
この集団は、金胎、陰陽、男女を対応させ、赤白二渧(男女の精液・経血)を重視しました。
ですが、インド・チベットなどの後期密教の核心である、プラーナの操作の実践や、心滴(ヴィージャ、ティクレ)の概念はありません。


<三天合体尊>

三天が合体した三面天、あるいは、三天をトリムルティ(三幅対)とすることも、中世の密教の特徴です。

一般に、三面像や三尊形式に関して、左右が男女尊の場合は、中央尊が両者を統合する不二の存在とされます。
一方、左右が同性で中央が別性の場合、中央と左右が交合・統一されると考えられます。

東寺の中門を護る夜叉神は「摩多羅神」でした。
この神は、稲荷明神の使者であり、「聖天(中央)/荼枳尼天(左)/弁才天(右)」の三面一体の神とされました。

真言宗の広沢流では、東寺の即位法の別法として、この三天を本尊とした「三天合行法」が行われました。
この「三面摩多羅神」は、三毒の象徴、あるいは、体/相/用の象徴とされました。

また、東寺の稲荷大明神の絵像(伏見稲荷曼荼羅・荼枳尼天曼荼羅)には、この三天を荼枳尼天を中央にして描いたものがあります。

比叡山の守護神である大黒天は、「大黒天(中央)/毘沙門天(右)/弁財天(左)」の三天合体の「三面大黒天」とされます。
この「三面大黒天」は、16Cには、比叡山から大神神社にもたらされ、三輪明神であるとれました。

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*出典:WIKIPEDIA

また、「渓嵐拾葉集」の「三天三密事」は、「大黒天/荼枳尼天/弁才天」の三天を、トリムルティとして考えました。
これらは、色/心/業無作(言音)の象徴とされました。

愛染明王にも三面像がありました。
「渓嵐拾葉集」によると、中央が「愛染明王」、右が「一字金輪」、左が「仏眼仏母」です。
左右は天部ではなく、東密・台密で最高の秘法を担う仏・仏母です。

また、三井流では、左右に脇仏を置く三尊形式の「愛染明王」もありました。
これは、右に「女尊の聖天」、左に「男尊の聖天」を置きます。

         (中央) (右)   (左)
・三面摩陀羅神 :聖天  /弁才天  /荼枳尼天
・三面稲荷大明神:荼枳尼天/聖天   /弁才天 *左右は別のものもあり
・三面大黒天  :大黒天 /毘沙門天 /弁財天
・三面愛染明王 :愛染明王/一字金輪 /仏眼仏母
・三尊愛染明王 :愛染明王/女尊の聖天/男尊の聖天

         (色)  (心)  (業無作・言音)
・三天三密事  :大黒天 /荼枳尼天 /弁才天 


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