「正法眼蔵」の七十五巻本と十二巻本 [日本]


道元の只管打坐と身心脱落」、「道元の非思量と現成公案」から続くページです。

「正法眼蔵」は道元の主著です。
その「七十五巻本」と「十二巻本」は、内容も表現も大きく異なります。
「十二巻本」は、道元の晩年の著作であるにも関わらず、ほとんど読まれてきませんでした。

このページでは、「七十五巻本」と「十二巻本」の意味と内容についてまとめます。

「七十五巻本」の内容に関しては、これまでのページでも紹介していますので、このページでは、「十二巻本」との対比、そして、その言語表現についてのみ紹介します。


<正法眼蔵>

「正法眼蔵」という言葉は、正しい仏法を説いた書といった意味ですが、宋代禅を代表する大慧に同名の書があります。

道元は、「随聞記」では大慧を評価していますが、その後、大慧の証悟は勘違いであるとして批判しています。
道元が自身の書に「正法眼蔵」と名付けたのは、大慧への批判を意識したものでしょう。

道元は、「正法眼蔵」を95巻ほど著しています。
不立文字を旨とする禅宗において、自身の仏法に関する思想を体系的な大著として書くことは、珍しいと言えます。

道元にとって、「正法眼蔵」を書くという行為は、終わりなき「仏向上事」なのでしょう。


<十二巻本と七十五巻本>

先に書いたように、道元晩年の「正法眼蔵」100巻本の構想がどのようなものであり、それに対する「十二巻本」と「七十五巻本」がどう位置づけられるべきものであるかについて、諸説があって定まっていません。

「七十五巻本」の最初の「現成公案巻」の奥書は、道元の亡くなる前年に書かれたものなので、「七十五巻本」は道元自身がそれを認めていると思われます。

「十二巻本」の多くは草稿とされ、完成には至っていません。
ですが、最初の「出家功徳巻」は出家を扱い、最後の「八大人覚巻」は、釈迦の最後の説法(遺教経)をテーマにしています。
全体として内容的なつながりがあり、1つのセットとして感じられます。

先に書いたように、「十二巻本」の内容、表現は、「七十五巻本」と大きく異なり、同じ主題を扱って、反対の解釈を行い、反対の結論を導いているように読めるものもあります。

草稿が多いとは言え、道元晩年の著作である「十二巻本」が秘されてきたのは、曹洞宗にとって、あまり好ましい内容ではなかったからでしょう。

「十二巻本」が「七十五巻本」と異なる点には、以下の点などがあります。

・平易な文体で書かれている
・仏祖は仏ではなく、菩薩であるとする
・道元が仏ではなく、凡夫の立場から書いている
・中国禅宗の祖師の語録ではなく、インドや天台の経典類を多く引用している
・中国禅宗の祖師の引用を行う場合は批判的になされる
・出家を即成仏とせず、他者を先に仏にすることを説く
・坐禅について説かず、代わりに受戒を説く
・因果の法則は、超えることはできず、絶対であるとする

全体的に言えば、「七十五巻本」は中国禅の影響が濃く、本覚思想や頓悟禅に近い部分もあるのに対して、「十二巻本」はその影響は薄く、大乗仏教の基本を説いています。

この違いに関して、道元に思想的な転換があったとする説と、異なる意図で書いたにすぎないとする説があって、定まっていません。

思想的な転換がなかったとする立場では、例えば、「七十五巻本」、「十二巻本」はそれぞれが「法華経」の「本門」、「迹門」に相当するものであるとします。
つまり、仏の立場から説いたものと衆生の立場から説いたものであり、互いに補い合うものなのです。

いずれにせよ、「十二巻本」の構想の背景の一つには、鎌倉布教で教化の困難さを痛感して、在家信者に仏法をどのように説くかということを考え直して、それを出家した弟子に伝えたかったことがあると推測されます。

もう一つの背景には、永平寺の弟子の中に正法を誤解する者が出てきていたことがあると推測されます。
弟子の中、天台本覚思想の行き過ぎによって、悪を意識的に避ける戒を否定するような者がいて、追放された事件があったのです。
そのため、あらためて誤解のないように仏法の基本的を説くべきと考えたのです。

実際、「十二巻本」には、機根の違う人間をどう導くべきかを説いた「四馬巻」や、修行者の慢心への戒めを説いた「四禅比丘巻」が収録されています。
また、「供養諸仏巻」では、造悪を諸法実相とするのは邪見であると、引用で説いています。


<七十五巻本の言語表現>

その道元の言葉には、2つの種類があるように思えます。

道元は、「正法眼蔵随聞記」で、修辞を気にせず、論理がよく伝わる文章を書くべきであると語っています。

ところが、「七十五巻本」の「正法眼蔵」は、道理を説いていても、極めて難解です。
また、一部では、仏の自己表現とでも言えそうな詩的表現世界が展開されています。

「山水経巻」では、公案の有名な「青山常運歩」、「東山水上行」の語句の解釈を行っています。
道元は、宋代禅がこれらの言葉を「葛藤断句」として、つまり、言葉を超えた境地に至らせるための無意味な言葉であると解釈しているのが、間違っていると書いています。

そして、「東山水上行の語は、仏祖の骨髄である」、「彼らは、念慮が語句であること、語句が念慮を透脱することを知らない」と書き、仏の言葉は、言葉を超えたものを表現すると言います。

さらに、「諸水は東山の脚下に現成している。この故に、諸山は雲に乗り、天を歩む。諸水の頭頂は諸山であって、…諸山の足先はよく諸水を行歩し…諸山の運歩は自由自在であり…」などと解釈しています。
これは、ほとんど論理を超えた説明です。


また、「諸法実相巻」には、師の如浄の説法を思い出して、その詩、「…一声のホトトギスが孤雲の上に」や、入室の問答、「ホトトギスが鳴き、山竹が裂ける」を紹介しています。
そして、それを「美言奇句の実相なる、身心骨髄に銘じきたれり」と書いています。

このように、道元は「正法眼蔵」で、通常の論理や概念を超えた言葉の詩的な表現、美言奇句が、真実を表現できるとして、それを実践しています。


<十二巻本の出家>

「七十五巻本」でも「十二巻本」でも、「出家」が大きなテーマとなっています。
ですが、その意味づけが、大きく異なります。

「七十五巻本」の「出家巻」では、「出家即成仏」とします。
ですが、「十二巻本」の「出家功徳巻」では、「出家」は「出家」、「成仏」は「成仏」とし、三阿僧祇劫といった長い期間の修証が必要と説きます。

また、「七十五巻本」では、禅の祖師達を仏であるとしていましたが、「十二巻本」では、菩薩であって仏ではないと、明確に区別しています。

そして、「十二巻本」の「発菩提心巻」では、初めて「自未得度先度他」、つまり、自分のより他人を先に悟りに導くことが重要であると説きます。

この違いは、出家観、成仏観が、天台本覚思想的なものから仏教の基本へと変化したようにも読めます。
そうでないとしても、「十二巻本」には、出家後の退廃を許さない配慮が読めます。


<十二巻本の因果>

「七十五巻本」の「大修行巻」と、「十二巻本」の「深信因果巻」は、いずれも因果応報をテーマとしていますが、まったく反対の説き方をしています。

どちらの巻も、因果の法則を否定(不落因果、撥無因果)したために野狐になってしまったという「百丈野狐」の話を素材としています。

そして、「大修行巻」では、大修行による因果の有無の超越(円因満果)を説きます。
ですが、「深信因果巻」では、因果の絶対性(不昧因果、深信因果)を説きます。

ただ、「大修行巻」では大修行が条件の話ですし、「深信因果巻」では善思惟や懺悔による因果への影響も説いているので、両者に矛盾はないと解釈することも不可能ではありません。

いずれにせよ、因果について正反対の方向で説いていて、「十二巻本」は、因果を無視するような誤解を解く意図が読めます。

ちなみに、「十二巻本」では直接には述べていませんが、因果の否定を否定することは、天台本覚思想を否定することでもありました。


<十二巻本期の坐禅>

「十二巻本」では、坐禅についてまったく語りません。

ですが、道元の説法を記録した「永平公録」の同時期のものを読めば、道元は、依然として坐禅を説き続けています。

ただ、坐禅は因果を否定するような邪見なしに、そして、衆生の救済、廻向を忘れずに行うべきと説かれるようになり、「十二巻本」での説き方の変化と矛盾のないことが分かります。


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