本田親徳の霊学と一霊四魂説 [日本]


本田親徳は、古神道の神智学(宇宙論、霊魂論、行法)を体系化し、それに対して「霊学」という言葉を初めて使いました。
また、独自の行法である「鎮魂法」、「帰神法」を創造しました。

本田親徳は、ブラヴァツキー夫人とほぼ同時代人であり、本田に始まる「霊学」は、日本の「神智学」と言うべきものとなりました。

本田の霊魂観である「一霊四魂説」や、行法である「鎮魂法」、「帰神法」は、先行となる説がない独特なもので、その後の古神道や、大本教などの新興宗教にも大きな影響を与えました。

このページでは、本田親徳の「霊学」の概要、宇宙生成論、霊魂観などを、次のページでは、「鎮魂法」、「帰神法」をまとめます。

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<歩み>

本田親徳(1822-1889)は、薩摩で大名に使えた御典医の子として生まれました。

17-8歳の時、水戸の会沢正志斎の門に入り、医学、国学など諸学を学びました。
この頃、平田篤胤の家に出入りしていましたが、後に、篤胤は古道に道教を取り入れたなどとして、篤胤の批判に回りました。

23歳の時、京都で狐憑きの少女(一説では少年)が、憑霊の状態で優れた歌を詠むという話を聞いて、それを実見し、霊的なものに対する関心を深くしました。
そして、その後、修行に励みました。

1857年、35歳の時に、「帰神法(帰神術)」、「審神者」の法、「霊縛法」などを、神から授かって、それを体得したそうです。
ですが、本田が自身の「帰神法」をしっかりと確立したのは、その10年ほど後の1967年頃です。

本田は多数の著作をなしましたが、主なものは、「難古事記」(1879/明治12)、「道の大原」、「真道問対」(1883/明治16)、「古事記神理解」(1885/明治18)などです。

1883(明治16)年には、元同藩だった静岡県知事の招きで東海・関東で活動しました。上記の「道の大原」、「真道問対」をなしたのはこの時です。

1888(明治21)年、本田は。自分の霊は岡部の神神社に鎮まると言いおき、翌年、川越で亡くなりました。

本田は、何人かの弟子に、鎮魂法・帰神法やその霊学を伝えましたが、中でも有名な弟子には、焼津の長沢雄楯がいます。
また、本田は、西郷隆盛とも知り合いで、井上円了が会いに来たこともあったようです。


<本田霊学>

平田篤胤が、仏教や儒教、道教などを日本の古道のヴァリエーションとして取り入れたのに対して、本田は、あくまでも日本の古典の記紀などの解釈をもとにした日本の古道の純粋さを求めました。

本田は、「霊学」という言葉を最初に使った人物ですが、その本質について、
「霊学は心を浄くするを以て本と為す。故に皇神、鎮魂を以て之を主と為す」(道之大原)
と書いています。

先に書いたように、本田はブラヴァツキー夫人と同時代の人間ですが、日本でブラヴァツキー夫人の神智学関係の書が初めて出版されたのは、1910年の「霊智学解説」の翻訳です。
ですから、本田は神智学をほとんど知らなかったでしょう。

本田に始まる日本の「霊学」は、後に、西洋の心霊主義や神智学の影響もあって、科学の実証的方法を主張するようになりました。
ただ、その客観性には疑問がありますが。


「神伝秘書」によれば、本田霊学は、「鎮魂」、「帰神」、「太占」の三法から構成され、それぞれに「有形」の法と「無形」の法があります。

・鎮魂法
・帰神法:神感法、自感法、他感法
・太占法:形象法、声音法、算数法

一般に「鎮魂法」と言えば、霊魂を高揚させる「魂振り」と、身体内に安定させる「魂鎮め」を意味します。
ですが、本田流の「鎮魂法」は、「幽の鎮魂法」と呼ばれ、霊魂の脱魂や憑依などの制御法という特徴があります。

「帰神法(帰神術)」は、神霊を降ろして、神懸りになって何らかの神意を得る方法です。
これには、「神感法」、「自感法」、「他感法」があります。

「鎮魂法」と「帰神法」の詳細については、別ページで紹介します。

「太占」は占いの法で、有形の法には、「形象法」、「声音法」、「算数法」があります。

「形象法」は、天地、風雲などを見て占う方法で、鹿卜、亀卜、足占、米占などがあります。
「声音法」は、雷、風などの音を聴いて占う方法で、辻占、謡占などがあります。
「算数法」は、数による占いで、数霊術などがあります。

無形の「太占」は、人間にはほとんど関係なくて、神界において行われているものです。


本田霊学は、「霊学」なので、「幽」と「顕」を区別し、「幽」を重視します。
「幽」は「霊」と「魂」、「顕」は「魄」と「体」を意味します。
また、「心」は後者に属します。

・幽:霊、魂
・顕:心、魄、体

本田は、祭祀は「幽斎」と「顕斎」を兼ね備えた祭祀であるべきとしながら、「幽斎」について次のように書いています。

「幽斎は霊を以て霊に対し、顕斎は形を以て形に対す。故に幽斎は神像宮社無くして真神を祈る。顕斎は神像宮殿有りて衆神を祭り、俗学蒙昧にして古義を知らず…」(道之大原)

つまり、「幽斎」とは、神像や宮殿は不要で、「霊を以て霊に対する」ものです。

また、本田霊学の「学則」は次のようなもので、「霊」、「力」、「体」という3つの観点から世界を認識します。

・天地の真象を観察して、真神の体を思考すべし
・万有の運化の毫差なきを以て、真神の力を思考すべし
・活物の心性を覚悟して、真神の霊魂を思考すべし


<宇宙生成論>

本田親徳の宇宙生成論は、記紀神話の解釈として語られます。

宇宙開闢、天地創造のプロセスは、「一二三…十百千萬」に対応づけて解釈されます。
また、「幽」から「顕」へ、「霊」から「力」、「体」へと進むプロセスでもあります。


まず、造化三神の、天之御中主神が「一」、高皇産霊、神皇産霊の両産霊神が「二」に当たります。
この三神については、以下のような性質があります。

・天之御中主:本体、中心力
・高皇産霊 :光 、張力 、顕の25気(ま・な・か・た・ら行、き中心)
・神皇産霊 :温 、圧力 、幽の25気(や・さ・は・わ・あ行、ひ中心)

天之御中主神は、「大精神」、「天帝」、「上帝」などとも呼ばれます。
そして、「未だ功用分れざる時を指して、本教に之を霊交(ヒト)と云う」(古事記神理解)、「始まりも終わりもない」などと表現されました。

両産霊神には、「25気」という働きを持ちますが、これは25音を生み出すものであり、この部分には本田の言霊思想が表現されています。


次に、別天津神と神世七代の最初の二代が「三」に当たり、これが「三元(柔・剛・流)」という性質を持ちます。

天之常立神と国之常立神は、「常立神」として一体と考えるので、三神になり、それぞれは以下のような性質があります。

・宇摩志阿斯訶備比古遲神:流:浮気体:動物:生魂
・常立神        :剛:凝固体:鉱物:玉留魂
・豐雲野神       :柔:融液体:植物:足魂


次に、神世七代の次の四代の八神が「四」に当たり、これが「八力(動・静・凝・解・引・弛・合・分)」という性質を持ちます。


次に、神世七代の最期の伊邪那岐神、伊邪那美神が「五」に当たります。
伊邪那岐神は、「一霊四魂」を合わせて「五」つの「霊魂」を作り、伊邪那美神は、「体」で、「五十音」が対応づけられています。

・伊邪那岐神:一霊・四魂
・伊邪那美神:体・五十音


「六」は天照大神による天の諸星の形成、「七」は大国主による地の形成が当てられます。
「八」から「萬」までは、さらなる天地の形成がなされるプロセスです。


以上のプロセスは、「幽/顕」で表現すれば以下の通りとなります。

・一~五 :幽の幽
・六~九 :幽の顕
・十百千萬:顕


また、宇宙(霊界)の構造は、以下のような階層で考えます。

・造化三神
・正神界
・従神界:天狗界、眷属界、白狐界
・妖魅界
・現世:吾霊

細かく言えば、「正神界」、「妖魅界」のそれぞれに181階級があります。

現世(地)は大国主が司ります。

また、死後、人間の霊魂は、まず、産土神に連れられて国魂の裁判を受け、国魂によって出雲大社に召出されます。
そいて、大物主によって「天の高市」というところに上げられ、そこに降りてきた天津神によって死後の位を決定され、永遠に生きるとされます。


<一霊四魂説>

本田霊学の霊魂観は、「一霊四魂説」として表現されます。

人間の霊魂の、「霊」の部分は、造化三神(大精神)の分霊であり、「小精神」、「直霊」、「一霊」などと呼ばれます。

人間の霊魂の核が至高神の分霊であるという思想は、平田篤胤の霊魂観ともほぼ同じであり、普遍的な神秘主義思想の考え方でもあります。
本田の「鎮魂法」の目的は、この人間の心の奥にある分霊を目覚めさせることです。

そして、人間の霊魂の「魂」の部分は、「荒魂」、「和魂」、「幸魂」、「奇魂」の「四魂」で構成されます。
「四魂」は、それぞれに機能があるのですが、一つの魂が過度に働くと「悪」となります。

「一霊」は「四魂」を主宰、統御し、それが「悪」となるのを防ぐ良心の働きです。

「四魂」を合わせた働きが大国主であり、人間の「四魂」は国津神からもらい受けます。
大国主は、「魄」や「体」を司る存在でもあります。


本田によれば、「四魂」の一番の特徴(不変の属性)を一つの漢字で表現すると、「和魂」は「親」、「荒魂」は「勇」、「奇魂」は「智」、「幸魂」は「愛」となります。

平田は、他にも、以下のように、「四魂」の特徴を表現しています。

(四魂)(不変)    (用)   (義)(情)
・和魂: 親 :平、修、斎、活、交:制:畏
・荒魂: 勇 :進、奮、勉、克、果:断:覚
・奇魂: 智 :巧、感、悟、覚、察:裁:恥
・幸魂: 愛 :益、育、造、生、化:割:悔

また、人間は、「五情」という生まれ持つ「心」の祓いの働きと、「五術」という生まれ持つ「体」の祓いの働きを持っています。

・五情:省、恥、悔、畏、覚
・五術:薬、浴、防、棄、避

「心」は「魂」ではなく「体」や「魄」に属しますが、上記のように「四魂」にも対応づけられています。

また、「悪」にも「五悪」があり、それらは先祖から自分に至るまでの私利私欲の所業に由来します。

・五悪:狂、逆、曲霊、悪、争


<四魂の源流>

本田霊学から離れますが、「四魂」に関して、記紀における記述の確認と、大和言葉からの解釈をしてみましょう。

「四魂」のそれぞれについては、「記紀」にもわずかながら記載されています。

「記紀」の神代で、大国主(大己貴)の国作りの時に海上からやってきた神が、大国主の「幸魂・奇魂」であると名乗って、三諸山(御諸山・三輪山)の神になりました。
ここでは、「幸魂・奇魂」は、完全に別人格の神として扱われています。

また、「記紀」の仲哀天皇、神功皇后のところでは、住吉三神(墨江大神)が自身の「荒魂」、「和魂」について語り、また、依網吾彦男垂見(?)が「和魂は玉身に服ひて寿命を守り、荒魂は先鋒と為りて帥船を導かむ」などと語っています。

ですが、霊魂が「四魂」で構成されるという考えはなく、これを主張したのは、本田が初めてでしょう。


次に、「四魂」のそれぞれの本来の意味を、大和言葉で考えてみましょう。

「ニギミタマ」は、「和魂」と表記されますが、「賑やか」の「ニギ」でもあり、「握る」の「ニギ」でもあるでしょう。
太陽神だったと思われる「饒速日命(ニギハヤヒノミコト)」や、稲穂の実りの神と思われる「瓊瓊杵尊(瓊々杵命、ニニギノミコト)」の「ニギ」です。
ですから、「ニギミタマ」には、和らか(やわらか)というだけではなく、凝縮したエネルギー溢れる霊魂という意味があったと思われます。

「アラミタマ」は、「荒魂」と表記されますが、「顕れる」の「アラ」でもあるでしょう。
ですから、「アラミタマ」には、荒々しいというだけでなく、出現する霊魂という意味があったと思われます。

「サチミタマ(サキミタマ)」は、「幸魂」と表記されますが、「先」の「サキ」であり、「裂く」や「咲く」の「サク」とも同根の言葉でしょう。
ですから、「サチミタマ」には、幸せ・豊かさをもたらすというだけでなく、先端に開く霊魂という意味があったと思われます。
そして、おそらく、この魂は、本来は「シャグジ神」を意味します。

「クシミタマ」は、「奇魂」と表記されますが、「櫛」の「クシ」でもあるでしょう。
「櫛」はシャーマンが動物の女主の髪の毛をとかして豊穣力をとりもどすための呪具です。
須佐之男の「櫛」になった櫛稲田姫命は、「クシミタマ」でしょう。
ですから、「クシミタマ」には、珍しいというだけではなく、整えて浄化する霊魂という意味があったと思われます。


*「本田親徳と鎮魂帰神法」に続きます。

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