現代物理・現代数学と神秘主義思想のアナロジー1 [現代]


このページでは、現代物理の様々な理論、宇宙論、及び、一部の現代数学と、「永遠の哲学」とも称される神秘主義思想の世界観との類似性をテーマとして、思いつくままにいくつかの事項を扱います。

例えば、両者の間には、古典的な論理の基本法則が否定される、物質的現象の背後が語られる、波動を根源的存在とする、多数の階層性が語られる、非局所的な関係性が語られる、抽象的な関係を扱って諸学を統合する、などの類似性が見られます。

ただ、このページで扱っているのは、あくまでも素朴に感じる大まかな類似性です。
ですが、類似性が生まれる理由を考えれば、両者の成り立ちの枠組に類似性があることを、あげることができるかもしれません。

それは、どれもが非日常的な世界(現代物理なら超ミクロ、超高温、超重力、宇宙的スケール…、現代数学なら経験世界から遠い抽象的世界、神秘主義なら変性意識が体験する世界)の認識によって、日常的世界の認識を拡張して包括するものである、ということです。


このページでは、現代物理の量子力学、量子場理論、量子重力理論、ホログラフィック原理、絶対数学などを扱います。

そして、宇宙論、圏論、諸学の統一を扱う「現代物理・現代数学と神秘主義思想のアナロジー2」に続きます。


<相補性:波動かつ粒子>

古典的な論理の基本には、「同一律」(AはAである)、「矛盾律」(Aは非Aではない)、「排中律」(Aか非Aかのどちらかである)の3つの法則があります。
ですが、神秘主義思想では、これらを否定する論理を使う場合があります。

例えば、大乗仏教の論理であるナーガルジュナのテトラレンマ(四句否定)は、「Aでない」かつ「非Aでない」かつ「Aかつ非Aではない」かつ「Aでもなく非Aでもない、でもない」です。

プロティノス、華厳経には、すべての部分が他を映すという思想がありますが、これは「Aは非Aである」、「A(部分)は全体である」という論理です。

量子力学でも、3つの基本律や分配律をはみ出た論理が使われます。


古典力学では、「粒子性」と「波動性」は、物質の運動における最も基本的な対立概念です。

ですが、アインシュタインは、光量子仮説(1905)で、それまで波動だと思われていた光に、粒子として側面があることを提唱しました。
その後、ド・ブロイは、波動方程式とともに「物質波」(1924)という概念を提案し、光以外の物質も「粒子」と「波動」の両方の性質を持つことを示しました。

ニール・ボーアはこれを、古典力学の矛盾する2つの概念が合い補う「相補性」(1927)として解釈しました。
一方、ヴェルナー・ハイゼンベルグは、古典力学の表現はもはや使えず、どちらでも表現できるという意味で「二重性」として解釈しました。

どちらにせよ、これは「Aであり非Aである」ということになり、古典論理学の基本律が否定されます。


また、ハイゼンベルグは、素粒子の「位置」と「運動量」の(正準共役な)2つの物理量を同時に“測定する”ことはできない(誤差の積が下限を持つ)という「不確定性原理」(1927)を発見しました。
彼は、物質存在そのものについて物理学は語れないと考えて、「不確定性原理」を認識論的に考えました。
この、観測結果以前の物質については語れないというハイゼンベルグの「行列力学」の考え方は、「量子力学」の標準的な考え方になりました。

一方、ボーアは、「不確定性原理」を、2つの物理量が同時に確定した“値を持つ”ことはない、という実在に関する原理として存在論的に考えました。

そして、ボーアは、この2つの(正準共役な)物理量の関係も「相補的」であるとしました。
観測の仕方が、どちらの物理量が実在であるかを決めるのですが、これは「様相解釈(文脈解釈)」と呼ばれます。

「不確定性原理」においても、古典的な実在観、論理は成り立ちません。

そのため、量子力学に対応した形式論理である「量子論理学」や、量子力学に対応した実在観とそれを数学的に表現する「量子集合論」が生まれました。

「量子論理学」は、基本3律は守っていますが、分配律が成り立たない無限多値論理です。
「量子集合論」は、物理量を「量子集合論」の実数に対応させ、観測の文脈に依存せずに定義できるようにしました。


量子力学の世界観・物質観は、西洋近代の合理的なそれでは理解できないため、ボーアもハイゼンベルグも、タオイズムなどの東洋思想の世界観に注目していました。

ボーアは「相補性」を表すシンボルとしてタオ・マークを使っていましたし、「我々は仏陀や老子がかつて(2600年以上も前に)直面した認識論的問題に立ち返り…」と語っています。

ハイゼンベルクは、「過去数十年の間に、日本の物理学者たちが物理学全体の発展に大きく貢献してくることができたのは、東洋哲学(仏教や老荘思想)と量子力学が、根本的に似ているからだと思う」と語っています。
湯川秀樹が老荘思想に傾倒していたことも知られています。

後述するシュレディンガーも、ヴェーダーンタ哲学に傾倒し、「西洋科学には東洋思想の輸血が必要である」と語りました。


<波動関数:粒子と場>

エルヴィン・シュレディンガーがド・ブロイの波動方程式を発展させた「シュレディンガー方程式」(1926)は、量子力学の最も中心となる方程式の一つです。
これは、物質の位置や運動量に変わって「波動関数」の時間変化を表現するもので、物質を粒子ではなく完全に「波動」として表現しています。

そして、マックス・ボルンが、この方程式の波動の絶対値の2乗が表現しているのは、ある状態にあった粒子がその後にどこに移動している可能性があるかを示す量(確率振幅・遷移振幅)であるという「確率解釈」を提唱しました(1926)。

シュレディンガーは、波動関数の波動を、実在する波であると考えていたのですが、ボルンは実在しない計算上のものと考えて、これが標準的な考え方になりました。

ですが、光子を二重スリットを通して干渉パターンを作る実験から、1つの光子が複数の経路を同時に通るにもかかわらず、観測するとそれが一つになることが分かっています。

ですから、「波動関数」の表現する「確率」は、単に、未来に観測される遷移の確率を示すのではなく、従来の存在概念に収まらない存在の仕方そのものを示しているはずです。
観測前の物質は、どこかに「ある」でも「ない」でもなく、粒子という観点から見れば「確率」で表現されるような形で同時に様々な場所に広がって存在しているのです。
ですが、観測するとどこかに局所化されます。

つまり、「量子力学」の考える物質(量子)には2つの状態があります。

一つは、「波動関数」とシュレディンガーの方程式が表現する、観測以前の物質の状態です。
これは、非局所的、連続的、因果的な状態で、多数の確率の波動の「重ね合わせ」(コヒーレント、スーパーポジション)の状態です。
つまり、AかつBかつ…という可能なすべてが同時に起こっていて、互いに影響を与えあっている状態です。

もう一つは、観測(マクロな系との相互作用)によって物理量が一つに確定し、数えられる離散的な粒子になった状態です。
つまり、AまたはBまたは…のいずれかの一つだけが偶然に確定した状態です。
正統派であるコペンハーゲン解釈は、これを観測によって「波動関数」の確率波が非因果的(偶然)に「収束」したと解釈します。
この過程についても、語れません。


この2つの状態は、神秘主義思想が語る、霊的・原因的世界と物質世界との関係と似ています。
例えば、近代神智学の言葉で説明すると、アストラル界やメンタル界には、相反するような多様な思念形態が実在し、物質界に直接的に影響を及ぼしますが、少なくとも物質世界から見れば、どれがどのように現実化するかは偶然的です。

また、仏教の法界と現象界の関係にも似ています。
仏が見る真実は、「縁起」の世界、つまり、一つの必然的な因果関係ではなく、多数の偶然的な相互関係によって成り立つ、「重ね合わせ」に似た世界です。
そして、それは、「有」でも「無」でもない「空」の世界ですが、凡夫の日常では「有」もしくは「無」の世界になります。


<統一場理論:波動としての場>

ポール・ディラックが、電磁場を量子化した(1927)ことが「量子場理論(場の量子論)」の始まりです。
量子場理論は、古典力学では別の実在だった「場(空間の性質)」と「粒子」を、「量子場」として統合しました。
波動関数が表現するのは、「場」の値になりました。

量子場理論では、「場」は、多数の確率の波動が重なってその値が変化する存在です。
「素粒子」は「場」の励起した状態で、確率波の振動が定常化した正弦波になって、局所的な波束と見なせるようになった存在です。
また、物質が存在しない真空状態でも、「場」は一定のエネルギーを持っていて、あらゆる振動数を持つ電磁波が重なり合って存在します。

量子場理論では、場の状態を表現する波動関数としての波と、場の状態が伝わっていく波の2種類の波が存在します。

このように、量子場理論は、存在を波動的な「場」の一元論にしました。


量子場に電磁力以外の3つの力を統一するのが「統一場理論」です。
弱い相互作用を統一したのが「電弱統一理論」、さらに、強い相互作用も大統一するのが「量子色力学」、さらに、重力も超大統一するのが「量子重力理論」です。
(現在では、基本的な4つの力以外にも多数の力が存在すると予想されています。)

量子重力理論の一つである「超弦理論」は、物質の最小構成要素を、従来のように0次元の「点粒子」ではなく、1次元の「弦(ひも)」の振動であると考えます。
もちろん、これらは確率的に広がった存在です。

そして、「素粒子」の違いとして見えているものは、「弦」の振動の違いになります。
「弦」は、単に振動するだけではなく、回転、伸縮、開閉、分割・合体といった運動をします。

また、超弦理論は、時空を10次元、あるいは、11次元で考えるので、4次元時空に存在する「弦」は、内部に余剰次元を持ち、その次元でも振動していて、それが素粒子に多様性の原因となります。

つまり、超弦理論では、存在は、高次元における様々な「弦」の振動なのです。


以上のような現代物理の波動的世界観は、例えば、インドのタントリズム(密教)のそれと似ています。

タントリズムでは、宇宙(霊的世界や物質世界)は周波数の異なる波動(マントラ)でできていて、ヤントラやマンダラの階層はこれを表現します。

日常的な言語は周波数の低い波動であり、マントラの言語はより高い周波数の波動です。
もちろん、これは音声としての空気の波動ではなく、意味の次元の話です。
実践的にも、マントラは音声として発話するレベルと、発話されないレベルがあります。

これは、物理学で、海の波や音のように物質を媒体とする波と、電磁波のような場の波、さらには、波動関数が表現するような確率の波や、超弦理論の剰余次元の波など、波動にも様々な違いがあることと似ています。

また、粒子的現象の世界を生み出す「場」は、密教的な「空」に似ています。
つまり、仏教で言えば、粒子的世界観を残す量子力学の矛盾的な表現は顕教的ですが、波動的な量子場理論は密教的です。


<絶対数学と根>

黒川信重の提唱している「絶対数学」は、量子場理論に適合する新しい数学となる可能性があります。
また、「絶対数学」は、神秘主義思想の考え方とも似ています。

「絶対数学」は、環や群より基本的で、演算を積だけにした「モノイド(単圏)」の数学であり、中でも最も単純な「一元体(1だけの体)」上の数学です。

黒川は、「絶対数学」の「数(絶対数)」は「根」(一元体が根に当たる)を持つ数であり、従来の数学はこの「根」を見逃してきたと書いています。
これは、量子場理論が、古典力学が見逃してきた、「粒子」の「根」である「場」を扱っていることと似ています。

また、「絶対数学」の「点(絶対点)」は広がりを持っていて、これは量子が広がりを持っていることと似ています。
黒川は、「絶対空間論」が量子重力理論の空間を記述する可能性に期待しています。

また、黒川は、「絶対点」がライプニッツの「モナド」に当たるとも書いています。 
中沢新一は、「絶対数学」の数論が、中国華厳宗の法蔵が「華厳五教章」で論じた数論と似たものであると書いています。
「絶対数」や「絶対点」は、華厳教学の理事無碍的な「一」に近いということです。


<量子もつれと縁起>

量子論では、量子同士が相互作用することで「量子もつれ(エンタングルメント)」が生まれると考えます。
もつれた量子同士は、遠距離にあっても、一方が観測などによって確率波が収束して物理量が確定すると、即座にもう一方もそれに対応して物理量が確定します。

「量子もつれ」は、局所性が厳密には成立せず、距離の離れた存在が時間を越えてつながっていることを意味します。

また、量子重力理論によれば、「量子もつれ」が「空間」を創発します。
宇宙は「量子もつれ」によって出来ていて、「量子もつれ」はエントロピーと同様、時間とともに増大し続けます。

「量子もつれ」は、無時間的な相互関係なので、仏教的に表現すれば「縁起」です。
また、神秘主義思想が宇宙全体を一つの生命としてみなすように、宇宙は自身の結びつきを深めていきます。


*宇宙論、圏論、諸学の統一を扱う「現代物理・現代数学と神秘主義思想のアナロジー2」に続きます。


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