イエスの思想とキリスト教神話 [古代ユダヤ&キリスト教]


イエスの実在性や生涯について、キリスト教の福音書など以外には、客観的な歴史的記録は存在しません。

ですが、ドイツ、スイス系の聖書学の成果によって、イエスその人の思想は、ギリシャ哲学の一派の「キュニコス派(犬儒派・犬学派)」の思想に近いものだということが判明しています。
その思想は、一切の社会的な因習などを否定して、必要最小限の生活をするというものです。

ここには、宗教性も神秘主義性もほとんどありません。
ですが、キリスト教の原点を理解することは重要ですので、このテーマを扱います。

キリスト教は、イエスの死後、様々な地域、様々な年代に、様々な人々によって、イエスと使徒に関する伝説や神話が作られて誕生しました。
それらには、ユダヤ教の神話・叙事詩の曲解や、ゾロアスター教の終末論、オリエントの秘儀宗教の影響が感じられます。


<語録福音書Q>

キリスト教の起源になった、ガリラヤで活動したヨシュアという名前のユダヤ人(以下、イエスと表記)は、おそらく存在したのでしょう。

新約聖書にはイエスの物語を記した『マルコ』、『マタイ』、『ルカ』、『ヨハネ』の4つの福音書が収録されています。
ただし、これらのように正典とはされずに、そこから外された福音書はその10倍以上存在します。
それぞれの福音書は書かれた年代、場所、思想が異なります。

最初の3つの正典福音書は内容的に似ていて『共観福音書』と呼ばれます。

また、1945年にはナグハマディで新たに発見された『トマス福音書』は、語録形式の福音書で、正典の福音書以上に古い語録を多く含んでいることが推測されました。

『共観福音書』や『トマス福音書』などを詳細に比較した結果、これらの著者が参考にした古いイエスの語録が存在したことが推測されました。
聖書学者はその失われた福音書を『Q(Q資料)』と名付けました。


さらに研究の発達の結果、『Q』には3つの発展段階『Q1』、『Q2』、『Q3』が考えられるようになりました。
『Q1』は、イエスが活動していたガリラヤの弟子たちが持っていた最初のイエスの語録集で、それが後の福音書の資料となりました。


<イエスの思想>

『Q』では、イエスの復活はもちろん、死についても、奇跡物語についても語られません。
特に、『Q1』は、宗教化される前の、初期(50年代)のイエス運動を反映しているのでしょう。
これがイエスの思想に近いものであると推測するのが合理的です。

最初の弟子たちは、元々、イエスの復活の神話を信じない、非宗教的な弟子の集団でした
ですから、弟子はイエスを「先生」と呼んでいて、救世主や預言者、ましてや神の子や神とは思っていませんでした。

先に書いたように、『Q』の語録が示すイエスの思想は、「キュニコス派」に近いものです。
「キュニコス派」は、ギリシャ哲学の一派で、ストア派がその先駆としている派です。
一切の社会的な因習を否定して、必要最小限な生活しようという思想を持っています。

イエスが生きたヘレニズム時代に特徴的な思想的課題は、諸民族が過去の因習に捉われず、自由な個人として一緒に生活する共同体(=神の国)を探求することでした。

イエスが活動した当時のガリラヤは、ヘレニズム的な国際性を持った都市で、政治的にも宗教的にも権力が存在しない諸国の緩衝的地帯でした。
つまり、ガリラヤは、ヘレニズム的な自由が最も追求可能な場所でした。
「キュニコス派の教師」という『Q1』のイエス像は、このガリラヤの状況にマッチします。

『Q2』、『Q3』は、イエス運動がガリラヤから外に出る過程で変質したものです。
他の福音書やキリスト教の神話も、ガリラヤ以外の地で生まれまたものです。

『Q1』の内容を分かりやすくまとめると、次のようになります。

敵を愛せ。
愛してくれる人を愛したとしてそれが何だ。
家族を憎まない者は私の弟子にはなれない。
持っているものは蓄えず、見返りを期待せずに与えよ。
蓄えを知らない動物でも、神はちゃんと養ってくれるのだから、心配はいらない。
そのように生きる者の心は、豊な神の王国にある。

このように、「神の王国」は死後や未来の話ではなく、今、現実できるものです。


*復元された『Q』は、『失われた福音書』(バートン・L・マック)で読めます。


<キリスト教の神話>

ユダヤ-ローマ戦争(66-73年)を経て、イエス運動は大きく変化し、ガラリアから北パレスチナに移動していきました。
『Q2』では、洗礼者ヨハネが登場し、また、この時代への審判、最後の審判が語られるようになります。
そして、『Q3』では、人々との論争から身を引くことを語り、集団が孤立傾向が強めたことが分かります。

『Q』以外の集団でも、教師だったイエスは神話化され、非宗教的だったイエス運動は、宗教化されてキリスト教となっていきました。
イエスの奇跡物語は、戦争以前に北パレスチナで生まれました。
戦争後の80年代には、南シリアで『マルコ福音書』が作られ、イエスの生涯の物語が作られました。

正統派キリスト教の神話は、4つの福音書、『ヨハネ黙示録』、『パウロの手紙』などをもとに作られた、次のようなものです。

イエスは、「神の一人子」あるいは「言葉(ロゴス)」と呼ばれる神であり、聖霊と処女によって原罪を持たない存在として地上に受肉し、様々な「癒しの奇跡」などを行い、「預言者」として神による「審判の告知」を行い、迫害を受け、人々の原罪の「贖い」のために死に、「復活」して父なる神の元に「昇天」し、モーゼのもたらした律法に代わる新たな愛の契約をユダヤ人以外の人間にももたらした。

そして、イエスは、父なる神をして正しい人々に「救いの霊」、「真理の霊」である聖霊を送り、終末には白馬の乗った騎士の姿のメシアとして再来し、悪を一時、撃退して1000年間の神聖な統治(千年王国)を行い、その後、悪を最終的に撃退し、人々を裁き(最後の審判)、天から降りてくる「新しいエルサレム(神の国)」を統治する。

イエスをキリストとする神話には、ユダヤ教の様々な神話的人物像が合成されています。
旧約聖書の「列王記」の昇天した預言者エリア、「イザヤ書」のメシア、あがないのため苦難を受ける僕=小羊、癒しを行う者、神の審判を告知する預言者、「ヨナ書」のあがないのため3日間魚に飲まれて解放された者、「ダニエル書」の終末に神の国を受け継ぐ「人の子」などです。

また、ユダヤ教経由かもしれませんが、処女懐胎や、終末論には多くの点でゾロアスター教の神話の影響があります。

そして、「死して復活する救済の神」という部分は、ユダヤの伝統ではなく、オリエント・ギリシャの秘儀宗教の神話の影響でしょう。
ですが、キリスト教でのその「贖い」、「終末における復活の約束」という意味づけは異なります。

秘儀宗教は個人の霊魂の内部に神性を見出すことを求め、ゾロアスター教は信仰よりも善を行うことを求めるのに対して、キリスト教はイエス・キリストを信じて教会に加わることを求めます。

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