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中期プラトンの神秘主義哲学 [古代ギリシャ]

ギリシャ本土のアテナイの哲学者プラトンは、自らの思想を対話の形の著作の中に残しました。
対話の登場人物は、ソクラテスを中心に、実在の人物もいれば架空の人物もいますが、プラトン自身は登場しません。
また、登場人物の思想や対話は、現実をもとにしていることもあればプラトンのフィクションによるものもあります。
ですから、プラトン自身の思想をソクラテスなど登場人物の思想から見分けること難しい問題です。
 
プラトンは書簡(偽作と疑われてはいますが)の中で、自分は哲学の根本的な問題に関しては、書いたことも、これから書くこともないと語っています。
そして、それらについては言葉にすることもできず、師との一対一の関係の中で長い期間をかけて取り組むうちに、魂の中に火が灯るようにして理解できるのだと語っています。
プラトンが自分の学校「アカデメイア」で教えていたことと、書物に残していた内容とは異なるのです。

秘儀宗教でには公の部分と奥義の部分があって、奥義は象徴的に体験されるもので部外者には絶対に秘密が守られました。
プラトンもこの秘儀宗教のあり方にある面で影響を受けていると思います。
つまり、著作は準備的な意味を持って書かれたもので、体系的には書かれていませんし、プラトンの思想の核心部に関してはアカデメイアでの口授でしか話さなかったのです。
この核心部は弟子達の証言から一部知られていて、「不文の教説」と呼ばれます。
 
プラトンの哲学は3つの時期に分けて考えることができます。
初期はソクラテスの影響が強い時期、中期はピタゴラス主義から影響を受けて形而上学的傾向が増した時期、そして後期は論理主義的傾向を強めてアリストテレスの影響を受けたかもしれない時期です。 
 
初期の対話篇ではソクラテスは死後の世界については知らないと語っていましたし、霊的な世界に存在する観念的なものの実在性についての考えも語っていません。
これはソクラテスの思想を反映しているのでしょう。
 
プラトンはソクラテスの死後、一時、メガラと南イタリアに逃れます。
そして、シチリアでピタゴラスの思想に影響を受けて、霊魂の不滅や霊的な実在を確信するようなったようです。
一説では、プラトンはピタゴラス主義者のピロラオスの著作を高価で購入してその影響を受けたと言われています。

中期以降の対話篇ではソクラテスの発言もそのように変化します。
ソクラテスの関心は何が正しいかという認識の問題だったのに対して、プラトンの関心は何が真に存在するかという形而上学的な存在論の問題に移ったのです。
こうして「不文の教説」も中期には形成されたと思われます。
 
中期以降、プラトンはオルフェウス/ピタゴラス教から輪廻説を受け継いぎましたが、少し彼流にアレンジしました。
彼は人間の死後について、『ポリティア』で神話風に語ります。
それによれば、善人は天上で幸福に、悪人は地下で罪をつぐなって、それぞれ1000年間すごします。
その後、次の生の運命を自ら選択して、レーテーの川の水を飲んで記憶を失ってから新たな生に向かって再生します。
ただし、極悪人は地獄のタルタロスに永遠に堕ちます。
こうして、人間は10回の生を経て約1万年で輪廻世界から解脱するのです。
ただし、哲学的な生活を贈った者は3回の人生の後に解脱できます。
 
また、プラトンは人間の霊魂は輪廻する以前は霊的世界にいたと考えました。
彼の中期の哲学の目的は、霊魂がかつていた霊的世界(これは直観的な霊的知性つまりヌースの世界です)の調和や至高存在を思い出して、その調和を地上の物質の世界(「感覚界」、「現象界」と呼ばれます)でも実現して生きることです。
そして、霊的世界の秩序や創造性の核になっている存在は「イデア」と呼ばれ、これが地上世界の原像(モデル)なのです。
ですから、霊的世界は「イデア界」と呼ばれます。

イデアは本来は「美」や「善」といった根本的な価値や倫理をともなうもので、霊的な直観によってのみ捉えられる存在でした。
そして、イデアの中でも最も根本的な存在は「善のイデア」と呼ばれました。
これはクセノファネスやパルメニデスが言う「一なるもの(一者)」に相当するもので、これが他のすべてのイデアを存在させているのです。
そしてこれをソクラテスが求めた「善」と重ねたのです。
プラトンの「一=善」という考えは、ソクラテスの弟子でメガラ派のエウクレイデスか引き継いだものでしょう。

ただ、先に書いたように、至高存在を「善」と考える点には、背景としてゾロアスターの影響があるかもしれません。
また、至高存在を「美」と考える点は、インド思想が至高存在を「歓喜」と捉えることと似ています。
「歓喜」が主観的な表現なのに対して、「美」は客観的な表現だと言えます。
 
本来的にはイデアも霊魂も、霊的な世界に存在する同質な存在です。
そして、霊魂が肉体の中に捉えられて汚れてしまうように、イデアも物質にその形や性質を与えてその物質の中に宿ると汚れた状態となってしまいます。
 
中期のプラトン哲学の焦点は、いかにして霊的な世界に存在する純粋なイデアを直接認識するかという、神秘主義的な実践の問題に絞られています。
このためには物質世界での体験、肉体性を消し去って、霊魂を浄化しなければなりません。
彼はこの認識へ至る道を「弁証法」と名づけ、その道を「洞窟の比喩」として語りました。

この比喩によれば、人間は生まれながらにして洞窟の中に囚われていて、入口と反対方向の壁に向けて縛られています。
そして、洞窟の入口付近にある灯りによって照らされて壁に映った、様々な事物の陰だけしか見たことがなくて、その陰こそが現実だと思っているような存在なのです。


ですから、まず、人間は束縛を脱してこの陰(物質世界の幻想や錯覚の比喩)から洞窟の外の方向に体の向きを変えて、灯りの明るさに目が眩みながらも、事物自体(物質世界の現実の存在の比喩)や、それを照らす灯り(現実世界の事物を照らす太陽の比喩)を見つけなければなりません。

次に、外の世界に向けて一歩ずつ洞窟を昇って行き、外の光に満ちた世界(イデアの比喩)を見て、最終的には太陽(善のイデアの比喩)を直視することが必要です。

つまり、まず幻覚や錯覚を脱して現実の個物を見つけ、次にその個物の中にイデアを認識し、さらに純粋なイデアそのものを見るのです。
そして、最終的には善のイデアに至ります。
 
プラトンはこの「弁証法の道」以外にも、善のイデアに至るための「愛の道」、「死の道」と呼べる2つの道と説いています。
「愛の道」は、少年の肉体のような地上にある個物の美を認識し、次に行為や精神などのより抽象的なものの美を認識し、最後の美そのものである「美のイデア」を認識する道です。
「美のイデア」は「善のイデア」と一体の存在です。

「死の道」は禁欲によって肉体性を否定して、死の準備をする道です。
これはオルペウス教直系の方法です。

これらの3つの道は、本質的には同じものなのです。


エンペドクレスによる統合 [古代ギリシャ]

南イタリアのシチリア島出身のエンペドクレスの宇宙観は、おそらく、ベビロニア的な循環宇宙論とペルシャ的な2元論とインド的な輪廻思想を結びつけたものになりました。
そしてこれは同時に、イオニア的な自然学とオルペウス教的な霊魂論を結びつけることでもありました。
 
彼の宇宙論では、4大元素よりも根源的な、結合する「愛」の要素と分離して争う「憎」の要素が、重要な意味を持っています。
そして、宇宙は4つの状態を繰り返します。

 
宇宙の原初の状態は、4大元素が「愛」によって融合して球体になった状態です。

ですが、「憎」の流入ととに4大元素が分離していき、自然が生まれます。
これは堕落と考えられます。

そして、完全に「憎」が優勢になって最も堕落したの状態が、宇宙の第3期です。
この時、4大元素が完全に分離されて4つの層を成します。
これはアナクシマンドロスにとって一番正しい状態としたものです。

ですがやがて、「愛」が「憎」に打ち勝ち、4大元素はまた融合して一なる状態に戻ります。
 

人間の霊魂も、原初の状態では「愛」だけでできていましたが、「憎」が流入して「愛」と「憎」によって構成された堕落した状態になりました。
そして、霊魂は4大元素から構成れた肉体の間を転生します。
ですが、世界が一なる状態に戻る時、霊魂も「愛」だけの状態に戻ります。
 
エンペドクレスの「愛」と「憎」の2元論には、ゾロアスター教の善悪2元論の影響を感じます。
また、宇宙の創造そのものが否定的に考えられている点には、インドの世界観の影響を感じます。


ピタゴラス教団と輪廻思想 [古代ギリシャ]

イオニアの多くの哲学者が自然を問題としたのに対して、個人の内面を見つめる傾向が強いのが、輪廻思想をベースに個人の霊魂の救済を問題にするオルフェウス派とその流れにある哲学者達であるピタゴラス、エンペドクレス、プラトンらです。

輪廻思想はインド由来のものかもしれません。
ですが、彼らは天体を神的なものとして重視し、人間の霊魂も星の世界から堕落してきたと考えました。
ここにはバビロニアの思想の影響があるのかもしれません。
 
オルフェウス派やその流れにある哲学者ピタゴラスは、霊魂不滅と輪廻思想をベースに、個人の霊魂を浄化し、救うことを目的としていました。
哲学においては、ピタゴラスはペレキュデスから輪廻思想を継承したとも言われています。

ピタゴラスは、エフェソスの沖にあるサモス島出身で、南イタリアのクロトンで共同体を作っていました。
彼は、エジプトやペルシャなどを旅して秘儀に参入したとか、エジプト人から幾何学、フェニキア人から数論と計算術、カルデア人から天文学を学んだとか、ゾロアスターから光と闇の2元論を学んだ、などと言われていますが、本当のところは分かりません。

ピタゴラスの教説は本来、秘密なのですが、ピタゴラス派のピロラオスの著作を通して知られています。

ピタゴラス派の根本哲学は、「限(奇)」と「無限(偶)」の2元論です。
前者は形相、後者は質料の原理です。

また、「数」を原理としますが、それらは、形相、質料の両方の原理とされます。
アリストテレスによれば、プラトンにとっては「数」は事物から超越する実在であるのに対して、ピタゴラス派にとっては内在するものです。

ピタゴラスは、インド思想同様に霊魂が人間だけでなく、様々な生物に転生していくと考えました。
これは、人間や神々が自らの身分を守るべきだとする「モイラ」の考えとはまったく違い、様々な存在様式を通過しながら、正しい行いを行うことで至高の神に復帰するべきとする考えなのです。

これは、ヘラクレイトスの万物が流転するという考えと同じように、霊魂が流転するのです。
運命=「モイラ」ではなく、正義=「ディケー」を中心とする考え方です。
 
ピタゴラスは浄化のために音楽的な調和、数学的な調和を重視しました。
数学的な真理を「観照(直観)」することが霊魂を浄化する方法でした。

また、ピタゴラスはオルペウス派と同様に星の世界を神々の世界として信仰しました。
星の世界は数学的な調和に満ちているのです。
 
ピタゴラス主義の思想に関しては、後のプラトンの「不文の教説とピタゴラス主義」でも触れます。


生滅する宇宙(アナクシマンドロス、ヘラクレイスト) [古代ギリシャ]

アナクシマンドロス、ヘラクレイスト、エンペドクレスらは、いずれも「4大元素によって構成される宇宙が周期的に生滅を繰り返す」という宇宙論を持っています。
バビロニアやズルワン主義の思想の影響を受けたのかもしれません。
ですが、彼らの思想には、それぞれに違いがあります。


ギリシャで最初に体系的な宇宙論を書き残したのはアナクシマンドロスです。

彼の宇宙論では、まず、「無限定なもの」から、火、風、水、土の4大元素が秩序立って層をなす世界が生み出されます。
自然や生物は、この秩序を越えて、4大元素を結びつけながら生まれた罪なる存在です。
ですが、やがては4大元素に戻っていきます。

4大元素の正しい場所が決められているこの思想には、「モイラ(運命)」の新しい考え方を見つけることができます。
そして最終的には、4大元素も「無限定なもの」に帰っていくのです。


ヘラクレイトスの世界観は中国の道教思想と似ています。
彼は自然を生滅流転するものと考えました。

アナクシマンドロスが4大元素を4つに分離された秩序と考えたのとはまったく反対に、ヘラクレイトスは物質が4つの元素の姿に順に変化していくと考えました。
これは「モイラ」を否定するような考え方です。

そして、彼は自然の生成変化する運動性が極限に高まったものを至高存在として考えました。
そして、その至高存在においては、あらゆる反対の性質が一致するのです。

世界は生まれてから1万800年の後に、火によって燃焼して浄化され、新たに生まれかわります。

 
エンペドクレスの宇宙論は後の項で紹介します。


至高存在と根源の探究(タレス~アナクサゴラス) [古代ギリシャ]

ミレトスの哲学者は、自然の中に絶対的な一なる神を見い出して、自然とこの至高存在を、一体の生きた霊的存在であると見なしました。
つまり、神は自然に内在しつつ超越する存在で、神は自然を生み出して、やがて自然がそこに帰るべき存在なのです。
このように、自然を神と考えたり、非人格的な唯一の絶対的存在を見い出す発想も、また、そういった神を直感するような神秘的体験を公に表現する姿勢も、オリンポスの宗教にはありませんでした。
 
ミレトスに始まる初期ギリシャ哲学のテーマは、よく世界の根源の探究として語られます。
これは「世界を作る根源的な素材は何か」という問ですが、それを越えて「世界の第一の原因である至高の神の本質は何か」という問でもあるのです。
 
最初の哲学者と呼ばれるタレスは「水」、アナクシメネスは「空気」、ミレトスより北にあるエフェソスのヘラクレイトスは「火」が世界の根源だと考えました。
これらは我々が良く知っている物質そのものではなくて、4大元素として知られる象徴的に捉えられる抽象的な素材を指しています。

これらを世界の根源と考える発想には、神話とのつながりも感じます。
つまり、「水」は「原初の水」、「空気」は「空虚・天空」、「火」は「光・太陽神」といった神話で語られるの存在を抽象的に解釈したものかもしれません。
「火」を根源と考える発想には、ゾロアスター教の影響があるかもしれません。
 
また、アナクシマンドロスは4大元素が作られる素材である「無限定なもの」が世界の根源だとしました。
これはズルワン主義のアイテールに近い存在でしょうが、神話的には「混沌」とのつながりも感じます。
 
神話で語られるこういった存在が、単なる素材でなく高い存在として解釈されていったように、哲学者の語る元素も、単なる素材以上の高い存在を表現していたのかもしれません。
 
南イタリアのエレアのクセノファネスの考える至高存在は「一即全(ヘン・カイ・パン)」という言葉に表わされます。
これは至高存在を「一なるもの」として捉えて、これがすべての自然を生み出してそれに内在しつつ超越することを、明確に表現しています。
 
同じエレアのパルメニデスの考える至高存在は、「存在=思考」として表わされます。
彼は至高存在を「存在」と表現しました。逆に言えば、存在の名に値するのは究極の神的存在だけで、他のすべてのものは幻のようなものなのです。
つまり、「一即全」の「一」だけを認めたのです。

これはインド思想と似ています。
そしてこの「存在」は「思考する」知的な存在なのです。
ですが、存在するものは自分だけなので、必然的に「自分自身を思考する」存在なのです。
つまり、霊的で直観的な意識存在なのです。

また、パルメニデスにとっての至高存在は球体の「不動」な存在です。
これは、ヘラクレイトスが世界を「生成運動」として捉えて、至高存在をその極限と考えたことと対照的です。
 
イオニア近辺からギリシャ本土のアテナイに最初に哲学を持ち込んだアナクサゴラスは、「ヌース」を根源的な存在と考えました。
「ヌース」は常にあらゆるところに存在して、魂を支配し、天体の運動を秩序づける存在です。
「ヌース」は「精神」、「知性」、「英知」、「意志」などの意味を持っていますが、このブログでは「霊的直観」、「霊的知性」、「直観的知性」などと訳しています。

「ヌース」はプラトン以降、カント以前の哲学の中で、魂や理性的思考より上位に存在する重要な存在と考えられるようになりました。


ソクラテス以前の哲学 [古代ギリシャ]

ギリシャ哲学の主流、特にソクラテス以前としてくくられる哲学やプラトン哲学は、少なくとも、間接的には主にペルシャやバビロニアの神智学や秘儀宗教の影響を受けた神秘主義的傾向が強い思想です。

ソクラテス以前としてくくられる初期のギリシャ文化圏の哲学者の思想は、断片的にしか残されていないので、その思想をはっきりと知ることはできません。
ですが、その断片には明確に神秘主義的な性質が現わされていることを感じることができます。
彼らは社会的な活動家でしたが、予言者のように語り、何人かは詩の形で思想を残しています。

ギリシャの哲学は、オリンポスの宗教を生んだのと同じギリシャの植民地である現在のトルコのイオニア地方のミレトスで、-6C頃に生まれました。
ミレトスはペルシャ帝国と接した東西世界中継点で、地中海貿易の拠点でした。
商業の発達によって様々な世界観が交流し、旧来のギリシャの世界観やオリンポスの神々への信仰が滅びていきました。

オリンポスの宗教は素朴な多神教の世界で、神々は不死であるという点を除けば、性格的にはほとんど人間と変わらないような神々でした。
そして、人間も神々も運命の女神である「モイラ」によって支配され、自分自身の「身分をわきまえて」生きなければなりませんでした。
ミレトスではこのような世界観が信じられなくなったのです。

これに対して、ペルシャやバビロニアには体系化された世界宗教と宇宙論がありました。
トルコには、マゴスと呼ばれる神官・学者が身近な存在としていました。
彼らの思想はイラン系のメディア人の宗教と、バビロニアの占星学、そしてゾロアスター教が習合したものでした。

ギリシャの哲学者はそれらの影響を受けて、それらに抽象的な表現を与えたのです。
哲学的な思考はミレトスからその周辺へ、イオニア人がペルシャの侵攻を逃れてトルコから移住した南イタリアへ、そしてギリシャ本土へと広がっていきました。
 
オリエントからギリシャ哲学への具体的な影響は、次のようなものです。
アナクシマンドロス、ヘラクレイスト、エンペドクレスらの4大元素によって構成される宇宙が周期的に生滅を繰り返す」という宇宙観には、バビロニア的、ズルワン主義的な宇宙観の影響が考えられます。
一方、オルペウス派とその流れにあったピタゴラス、エンペドクレス、プラトンらの輪廻思想には、インドの影響が考えられます。
ただ、ゾロアスター教の悪神や終末論は、ほとんど取り入れませんでした。


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