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「ゾーストリアノス」と「マルサネース」 [ヘレニズム・ローマ]


一般にグノーシス主義は神話の比重が高いのですが、ナグ・ハマディ文書に含まれる「ゾーストリアノス」、「マルサネース」は、他のグノーシス主義の文書に比べて、神秘哲学的傾向が高い内容を持っていると言われています。
「ゾーストリアノス」は、プロティノスの論駁対象だった文書です。

この両文書は、セツ派系列の文書とされますが、他とは異なる宇宙論(階層論)を持っています。
両文書の階層論は類似していて、「ゾーストリアノス」は11階層、「マルサネース」は13階層からなります。

ただ、両文書とも破損が多く、判読できない部分が多くあります。


<ゾーストリアノス>

「ゾーストリアノス」は、セツ派の文書で、アレキサンドリアで書かれたのではないかと推測されています。
ゾーストリアノスはゾロアスター(ゾーロアストロス)の曾孫に当たるとされる人物で、彼に仮託されているのでしょう。

新プラトン主義を大成したプロティノスが、「グノーシス派に対して」で論駁した対象は、この書であろうと推測されます。
正確に言うと、ナグ・ハマディ版以前のキリスト教化される前のヴァージョンです。

この文書の主役ゾーストリアノスは、「永遠の光の認識(グノーシス)」をもたらす天使に連れられて、天界の諸天を上昇していきます。
各階層には多数の天使がいて、各階層を通り抜ける際に、その都度、多数の洗礼を受けます。
そして、複数の天使から啓示を受けます。

彼は、天使に洗礼を受けた時、「天使の一人になった」と何度も表現しています。
また、「私は形を受け取った。そして、私は私の表現を超えた光を受け取った。私は聖なる霊を受け取った。私は真に存在するようになった」とも書かれています。

つまり、彼は、単に天界上昇をしたり、ヴィジョンを見たり、啓示を受けるだけではなく、明確に神秘的体験を行ったと語っています。


この文書は、宇宙論として、次のように、11の階層を数え、さらに細かく別れます。

11:見えざる霊:一者、三重の力を持つ者
10:バルベーロー(大いなる流出?)のアイオーン
9 :カリュプトス(隠された者)のアイオーン
8 :プロートファネース(最初に現れた者)のアイオーン
7 :三重の男児のアイオーン
6 :アウトゲネース(自ら生じた者)のアイオーン:ソフィア
5 :メタノイア(回心):6階層
4 :パロイケーシス(滞在)
3 :アンテイテユポス(対型)のアイオーン:7階層(惑星天)
2 :空気の大地:造物神の住居
1 :地上:13層構造

「ゾーストリアノス」は、他のグノーシス主義とはかなり異なる宇宙論(階層論)、パンテオンを持っています。

7惑星天までは下から第3階層までで収まります。
そして、「デミウルゴス」は最上天球ではなく、空中にいます。

第4・5階層は「中間世界」、第6階層以上は「プレローマ」に当たるでしょう。
ゾーストリアノスは、最終的に「プロートファネース」のアイオーンまで上昇して、戻ります。

各階層に多数いる天使達はほとんど知られていない名ですが、第6層の「ソフィア」が例外です。


至高存在の「見えざる霊」は、「存在/至福/生命」という「三重の力を持つ者」とされます。
「見えざる霊」は、分割不可能な「一者(ヘナス)」であると同時に、3でもあり、「3つ似像」としてやってくる者です。

「存在」は、それによって「一」であるものであり、それは「観念の観念」です。
「至福」は、それによって「認識」が備わります。
「生命」は、それよって生きることができるものであり、それは「実体」を持たない「存在」の働きです。

また、それぞれには「水」があって、それぞれ「神性/認識/生命力」の水です。

セツ派の他の文書でも「3つの力」については、その内容にゆらぎはあっても語られます。

「3」や「3倍」はグノーシス主義ではよく語られます。
それは、ヘルメス文書の「ヘルメス・トリスメギス(3倍偉大なヘルメス)」や、プラトン主義の「トリアス(三性)」の「存在/叡智/生命」とも平行しています。


第10階層の「バルベーロー」は、「見えざる霊」についての「認識(カタノエーシス)」であり、「見えざる霊」を見ることによって、自分を「見えざる霊」の働きであると知ります。

ですが、「見えざる霊」は「把握できない」存在なので、「バルベーロー」は彼の「似像(エイコーン)」、「模像(エイドーロン)」は持てません。
また、「バルベーロー」は、「見えざる霊」対する 「妬み」と「無知」から下方へ傾きます。


ゾーストリアノスの上昇は、2人のアイオーンによって「プロートファネース」のもとにまで連れて行かれることで頂点を向かえます。
その時、3者は一体となっていて、ゾーストリアノスはそれらすべてと結ばれました。

ゾーストリアノスは、啓示を受けた後、地上に戻り、「セト」の子孫に対して宣教を開始しました。


「ゾーストリアノス」では、宇宙は、「ソフィア」が下方を眺めた結果で生まれます。
ですが、これを「ソフィア」の「過失」とは語られません。
物質世界も一義的に「悪」とは見なされません。
また、惑星的存在にも「アルコーン(支配者)」ではなく「アイオーン(永遠なる者)」という言葉を使います。

ですから、「ゾーストリアノス」には反宇宙論的側面が少なく、グノーシス主義から離れつつあります。


<マルサネース>

「マルサネース」は、セツ派の一派を思われるアルコンタイ派の文書です。

「マルサネース」は、文書の構造においても、その階層論においても、「ゾーストリアノス」と類似しています。
「マルサネース」では、全部で13の封印(洗礼)が語られ、それに対応した13の階層が存在します。

「ゾーストリアノス」との大きな違いは、「見えざる霊」を3階層に分けて2階層が増えていることです。

この一番根源的な上の階層が、「いまだかつて知られざる沈黙者」、あるいは「識別されたことのない者達の発端」とされます。
次が、「見えざる者」です。
最後が、「三重の力を持つ者」です。

また、「バルベーロー」を、「本質/認識/エネルゲイア」という3つの力を持つ者とします。

他の特徴としては、字母論(神秘主義的文字論)や、数論(神秘主義的数論)を述べている点です。

字母論では、7母音を魂の7区分と対応させたり、12宮と有声、無声などを対応させたり、「ヌース」を母音、感覚を半母音、身体を子音に対応させています。

数論では、1から10までの数の象徴的意味を語っています。


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「ヨハネのアポクリュフォン」 [ヘレニズム・ローマ]


「ヨハネのアポクリュフォン」は、ナグ・ハマディ文書の中に3つのヴァージョンが含まれる中期のグノーシス主義の文書です。

一般に「セツ派」の文書と分類されますが、エイレナイオスが報告する「バルベーロー派」の神話ともそっくりです。
ヘレニズム化し、キリスト教的要素を取り込んだユダヤ人が著者ではないかと推測されます。

この文書の神話は、救済者である「キリスト」の霊がヨハネに語った啓示です。
ですが、「キリスト」や「フォーステール」の役割は非常に小さく、救済に関わる行為は「見えざる霊」や「ソフィア」、「プロノイア」などが行います。
ですから、キリスト教の要素は途中で付け加えられたものと推測されます。

また、原初的存在からの最初の流出を、自己を客体化・形象化する「認識(思考)」として、次の流出を原初的存在の「認識」と「承認」として描いている点が興味深いものです。
ですが、この認識や思考は、合理的、理性的なものではなく、直観的なものでしょう。


<流出と堕落>

最初に「見えざる霊(万物の父、記述しがたきもの、純粋な光…)」が存在します。

この「父」が自分を取り巻く光の水の中に自分自身の像を認識すると、彼の「エンノイア(思考)」が「プロノイア(摂理)」として彼の前に現れました。
これは、「バルベーロー(大いなる流出?)」であり、「万物に先立つ力」、「光の似像」、「第一の人間」、「処女の霊」です。

「ヨハネのアポクリュフォン」が、原初存在を「見えない」、「記述できない」と否定的に表現する点で、中期プラトン主義のアルビノス的な否定神学の影響が推測されます。

また、流出を、自己を客体化・表象化する「認識(思考)」として描いています。
ここにもプラトン主義の「ヌース」に関する考え方の影響があるのでしょう。

一般に、グノーシス主義では至高存在を「第一の人間」、「処女の霊」と表現しますが、「ヨハネのアポクリュフォン」では、「バルベーロー」に対してこの表現を使います。
この「見えざる霊」と「バルベーロー」は、男性的原理と女性的原理でもありますが、同時に両性具有だとされます。

また、「プロノイア(摂理)」は3種類語られます。
「バルベーロー」としての「プロノイア」以外に、後ででてきますがアイオーンの中の下位の一つとしての「プロノイア」、アルコーンの配下の「プロノイア」です。
これは、中期プラトン主義が3種類の「プロノイア」(恒星天/惑星天/地上)を区別することの影響でしょう。
ただし、完全に同じ意味での対応ではありません。


次に、「バルベーロー」が「見えざる霊」に求め、承認されることで、「プログノーシス(第一の認識)」、「アフタルシア(不滅性)」、「アイオーニア・ゾーエー(永遠の生命)」が与えられました。
ヴァージョンによっては「アレーテイア(真理)」もこれに加えられます。
これらは、女性的原理であり、また、両性具有です。

これらが、「アイオーン(永遠なるもの)」の「5個組」と呼ばれます。
つまり、「プロノイア/バルベーロー/プログノーシス/アフタルシア/アイオーニア・ゾーエー」、もしくは、「プロノイア」の代わりに「アレーテイア」が数えられます。

次に、「バルベーロー」は「見えざる霊」を見つけると光の飛沫として、「モノゲネース(独り子)」、あるいは、「アウトゲネース(自ら生まれたもの)」を生みます。
「見えざる霊」はこれに塗油すると、完全なものになって「キリスト(塗油されたもの)」になりました。

つまり、父・母・子が「光」、「光の似像」、「光の飛沫」とも表現されています。


次に、「キリスト」が「見えざる霊」に求め、承認されることで、「ヌース(叡智)」、「テレーマ(意志)」、「ロゴス(言葉)」が与えられました。
これらは、男性的原理であり、また、両性具有です。

これらは、次のような4組のカップルを形成します。

・プログノーシス(第一の認識)    /モノゲネース(独り子)
・アフタルシア(不滅性)       /ヌース(叡智)
・アイオーニア・ゾーエー(永遠の生命)/テレーマ(意志)
・アレーテイア(真理)        /ロゴス(言葉)

次に、「キリスト」と「アフタルシア」から4つの大いなる光である「フォーステール(光輝くもの)」が、そして、そのそれぞれから3つの存在で、合計12のアイオーンが生まれました。
ここには、「エピノイア(配慮)」、「アダム(完全なる真の人間)」、「知恵(ソフィア)」などが含まれます。

4つの「フォーステール」は、セツ派が考えた4つの時代区分(アダム期、セツ期、原セツ派期、現セツ派期)に対応しているようです。


<ソフィアの過失と世界創造>

そして、最後のアイオーンである「ソフィア」は、自分も認識による似像を作りたいと欲しました。
ですが、カップルの相手を持たず、「見えざる霊」にも「バルベーロー」にも「承認」を得ていませんでした。

このように、「ヨハネのアポクリュフォン」では、「認識」が「承認」と「対性」が結び付けられています。


そして、そのため、「ソフィア」のこの情欲は、「ソフィア」の似像にならず、醜い蛇とライオンの姿になったため、プレローマに外に投げ捨てました。
そして、「ヤルダバオト(無知蒙昧なる神)」と名付け、これが「第一のアルコーン(支配者)」になりました。

そして、「ヤルダバオト」は、12人の天使(オグドアス)、天の7人の王、地下の5人の王など、最終的に365の天使(アルコーン)、そして、宇宙を作りました。

そして、アイオーンの諸存在を知らない「ヤルダバオト」は、「私はねたむ神である。私の他に神はない」と言いました。

これは、旧約でヤーヴェが語る言葉とほぼ同じで、旧約を強烈に揶揄しています。


そして、「ソフィア」は、「ヤルダバオト」の行為を見て後悔しました。
それで、「見えざる霊」は彼女を承認して、彼女に「霊(生命の霊)」を注ぎ、彼女のカップルの相手が「欠乏」を回復させました。
ですが、彼女はプレローマにまでは戻されず、その下の恒星天(第8天)との間の第9天という中間世界に留まりました。


<人間と救済>

そして、アイオーンから「人間(見えざる霊)と人間の子(独り子)」がいるという声が「ソフィア」のところに届きました。
これは「ヤルダバオト」の思いあがりを否定するもので、「ヤルダバオト」もそれを聞きました。

そして、「見えざる霊」が証拠として自分の像を現しましたが、「ヤルダバオト」はそれの下方の水面に移った下側の像だけを見ました。
そして、「ヤルダバオト」とアルコーン達は、その像を真似て、人間「アダム」の魂の体を作りました。
ですが、「アダム」は動けませんでした。

「下方の水面に写った像」というテーマは、ヘルメス文書の「ポイマンドレース」にも見られます。

そして、「ソフィア」は自分がアルコーンに与えた「力」を取り戻したいと考えました。
そして、「アウトゲネース(自ら生まれたもの)」、つまり、「キリスト」と4つの光「フォーステール」を送り、アルコーンに「アダム」へ息(霊)を吹き込むように言いました。
これによって「アダム」は動けるようになりました。

ですが、「アダム」はアルコーンよりも賢かったので、アルコーン達はうらやましく思い、物質世界の底に引きずり降ろしました。
「父」がこれを憐れんで「光のエピノイア(配慮)」あるいは「ゾーエー(生命)」を送り、彼女(それ)は「アダム」の中に隠れました。

そして、「ヤルダバオト」は、「楽園」に「アダム」を閉じ込めました。
「生命の木」はアルコーン達の「模倣の霊」であり、死の実がなりました。

「ソフィア」由来の「霊」、「力」と、「父」由来の「光のエピノイア」や「生命」は、ほぼ同じ存在のようです。
そして、それに対立するのが、「アルコーン」由来の「模倣の霊」です。
この「模倣の霊」という存在を語る点が、「ヨハネのアポクリュフォン」の特徴です。

また、「エピノイア」は「プロノイア」の働きという側面がありますが、「プロノイア」という言葉は「先の思考」という意味、一方、「エピノイア」という言葉は「後からの思考」という意味なので、この対照的から「エピノイア」が使われています。


そして、「ヤルダバオト」は、「アダム」から「力」を取り戻そうとして、「アダム」から知覚を奪いました。
ですが、「光のエピノイア」は、「アダム」の中に隠れました。

それで、「ヤルダバオト」は、彼女を「アダム」の肋骨から取り出そうとしましたが、彼女は逃げました。
それで、彼女を捕まえるために、今後は、彼女の姿をした「女(イブ)」を作りました。

すると、「光のエピノイア」がその中に入りました。
ですが、彼女は、鷲の姿で「アダム」に「善悪を知る木の実」によって「グノーシス」を与えました。
そして、彼は自分の本質であるその母「ソフィア」を知りました。
そのため、「ヤルダバオト」は「アダム」を楽園から追放し、彼らを闇で覆いました。

また、「ヤルダバオト」は「イブ」の中に「光のエピノイア」を見つけたので、彼女を犯しました。
ですが、「プロノイア」がこれを先に察知して、「イブ」から「光のエピノイア」を抜き出していました。
「イブ」から「ヤーヴェ」と「エロイム」が生まれ、これが「カイン」と「アベル」になりました。
彼らには「光のエピノイア(生命の霊)」が欠けていて、代わりに「ヤルダバオト」に由来する「模倣の霊」、つまり、偽の霊が与えられていました。

そして、「ヤルダバオト」は、「アダム」その他の人間に生殖の欲望を与えました。
そのため、「カイン」と「アベル」の子孫の人間にも「模倣の霊」が与えられています。

一方、「アダム」は、息子の「セツ」を生みました。
すると、「プロノイア」が、彼女の「霊(生命の霊)」を自分に似た女の姿で「セツ」の中の「種子(眠れる霊)」のもとに送りました。
これは、アイオーンから「霊」が到来する時の準備のためです。

ですが、「ヤルダバオト」は、「セツ」の子孫に忘却の水を飲ませました。

その後、「ヤルダバオト」は洪水をもたらしましたが、「光のエピノイア」がノアにこれを伝えたので、ノアの子孫だけが助かりました。
そのため、「ヤルダバオト」は、アルコーンの天使達を人間の娘たちのもとに送って子孫を生じさせました。

このように、アイオーンの存在と「ヤルダバオト」は、「光(力・霊・生命)」の奪い合いを行いました。
そして、アダム、セツ、ノアの子孫にはアイオーンに由来する「光のエピノイア」がありますが、カイン、アベル、洪水後のアルコーンと交わって生まれた人間の子孫には「模倣の霊」しかありません。

そして、到来する「プロノイア」の啓示を受け取り、「模倣の霊」に惑わされずに、「生命の霊」に目覚めた人間は、「ソフィア」を形作ることができます。
そして、アルコーンの元に引き上げられ、プレローマは完全な状態になります。



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グノーシス主義の潮流と諸派 [ヘレニズム・ローマ]



グノーシス主義の思想」に続いて、グノーシス主義の初期、発展期、後期のそれぞれの諸派についてまとめます。

初期は、シモン派、カルポクラテース派、トマス福音書、マンダ教です。
発展期は、バルベーロー派、オフィス派、セツ派です。
後期は、ヴァレンティノス派、プトレマイオス派、バシレイデース派、マルキオン派です。


<初期の諸派>

まず、1C後半から2C前半に生まれた初期の諸派です。

キリスト教側からグノーシス主義の創始者であると言われていたのが、シモン・マゴス(シモン・マグス)です。

シモンはサマリア出身で、サマリアの信者からは神と信じられていました。
ユダヤの北にあるサマリアは、一般にユダヤ(エルサレム)とは別の神殿や宗教を持っていました。
シモンは、フェニキアで身請けした娼婦のヘレナと、30人の弟子を連れて各地を遍歴し、アレキサンドリアを経て、ローマでも活動したと伝えられています。

シモン自身は、自分を「最高の力」、父なる「ロゴス(言葉)」、「ヌース(叡智)」であり「キリスト(塗油された者=救世主)」であると考えました。
そして、彼が、神の女性的側面である「エンノイア(第一の思考)」であり、「ソフィア(知恵)」、「バルベーロー(大いなる流出)」、「すべての人間の母」を流出しました。

「エンノイア」は降下して天使と諸力を生むと、彼らが宇宙を作りました。
ですが、彼らは、彼女を妬み、拘束して人間の中に閉じ込めました。

シモンが連れていたヘレナは、「エンノイア」の地上に堕ちた姿とされました。
彼女は、様々な人間の体の中を移住に、売春宿に流れ着いていたのを、シモンによって救済されたのです。
これは、地上を売春宿、そこに堕ちた神的な霊魂を娼婦と象徴しているのです。
そして、人間は、シモンの啓示によって、自身の中の「エンノイア」を認識することで救済されます。

このように、女性原理の堕落が語られます。
シモンの「エンノイア」像のバックボーンには、サマリアの月神セレーネーや、娼婦になったとも言われていたイシス神などが考えられます。

また、シモンは、ユダヤ教の律法を否定し、奔放主義的な思想を持っていました。


キリスト教グノーシス主義者のカルポクラテースは、輪廻説を取り入れました。
「カルポクラテース」という名は、エジプトのホルス神を示す「ハルポクラテース」から来ていると推測されます。

彼の思想も奔放主義的で、伝統的な因習を人間が決めたものに過ぎないとして否定し、この世ですべての体験をしておかなければ、転生を強いられると説きました。
また、信仰と愛を重視しました。


「トマス福音書」は、2C中頃に書かれたキリスト教グノーシス主義の文書です。
この福音書は、イエスの語録形式のもので、初期に書かれた福音書の一つです。
ナグ・ハマディ文書に含まれていて、外典とされています。

この福音書は、原初に「父」と「真実の母」が、そして、「子」がいたと語ります。
そして、人間は「光の子ら」と呼ばれ、「父」に由来する光を持っていますが、それを認識していません。
そして、「神(造物主)」に対しては、否定的に表現される点で、反宇宙論的要素があります。

人間は、「子」なる「イエス」の啓示によって自身の本質を認識して、神の世界で「単独者」に戻れば救われます。
このことは、「花嫁の部屋(結婚の場所)」に入ると表現されます。


洗礼者ヨハネの弟子であると語っている一派に「マンダ教」があります。
マンダ教はもともとヨルダン川流域で生まれた後、ペルシャ方向へ移住したようです。
マンダ教は、現在まで生き残っている唯一のグノーシス主義宗教です。

「マンダ」とは「グノーシス」のことです。
マンダ教の主要な文書には、「ギンザー(財宝)」があります。

マンダ教は、神の世界の光に対応する流水による「洗礼」を繰り返し行い、また、魂が光の世界へ到達するための死者儀礼を重視して行います。

マンダ教には、根本に「光の世界」と「闇の世界」があるので、イラン的な二元論です。

「光の世界」の原初存在は、「大いなる命(光の王、大いなる器)」です。

これから第二、第三、第四の「命」や、神の世界の「ヨルダン川」、無数の「シェキナー(住居)」が生まれ、「光の世界」を作ります。
「第二の命(ヨーシャミーン)」は、「大いなる命」に逆らって世界を創造したいと思いました。
「第三の命(アバトゥル=秤)」は、自分一人が強大な者と思ってしまいました。
「第四の命(プタヒル)」は、「大いなる命」から「生ける火」をもらって、闇の勢力とともに世界を作りました。

「闇の世界」には、「黒い水」があり、「闇の王(ウル)」を頂点にした諸存在がいます。

人間は、闇の勢力によってその肉体が作られ、「光の世界」から霊魂が連れてこられて、「プタヒル」が肉体に入れます。
ですが、「大いなる命」が「光の使者」を派遣し、「光の世界」に由来する霊魂の本来の姿を思い出し、闇の勢力と戦うことを教えます。


<発展期の諸派>

この節では、2C前半に生まれた、グノーシス主義の発展期の3派について紹介します。
神の女性的側面の「バルベーロー(大いなる流出?)」を語る「バルベーロー派」、旧約で語られる蛇を善なる存在とする「オフィス派」、アダムの第三子セツを救済者として重視する「セツ派」です。
ただ、これらの派の神話・思想は類似していて、それぞれが独立して存在したかどうかは分かりません。


アレキサンドリアの「ベルベーロー派」は、神の女性的側面を「バルベーロー(大いなる流出)」と表現して重視する派・文書の総称です。

また、ナグ・ハマディ文書の中の「ヨハネのアポクリュフォン」は、「セツ派」の文書と分類されますが、エイレナイオスが報告するバルベーロー派の神話と似ています。

この派の神話では、最初に「名づけえない父(見えざる霊、万物の父、大いなるもの、純粋な光)」が存在します。

「ヨハネのアポクリュフォン」では、この「父」が自分を取り巻く光の水の中に自分自身の像を認識して、「バルベーロー」を生みます。
つまり、原初の流出を、自己を客体化・表象化する「認識(思考)」として描いています。

そして、「バルベーロー」は「父」を見返すことで「光」を生み、「父」がこれを凝視して塗油することで「キリスト」になります。

その後、4組の男女カップル、「4つの大いなる光」などのアイオーンが生み出されます。
そして、最後のアイオーン「ソフィア」が過失によって「ヤルダバオト(無知蒙昧なる神、第一のアルコーン)」が生まれ、彼が世界とアルコーン(支配者)達を創造します。

エイレナイオスの報告はここまでで、その続きは「ヨハネのアポクリュフォン」で知ることができますが、詳細は別ページ(予定)を参照してください。

「ヨハネのアポクリュフォン」は、中期プラトン主義者のアルビノスの否定神学などの影響を受けている点、アイオーンの相互承認を重視する点、旧約の創世記を詳細に反解釈する点、アイオーンに由来する「生命の霊」とアルコーンに由来する「模倣の霊」を対比し、セツの子孫が前者の側にあるとする点にも特徴があります。


アダムの第三子のセツ(セト)の子孫であるとするのが「セツ派」です。
この派は、セツに救済者としての役割を与えています。

また、「フォーステール(光輝くもの)」という救世主が語られますが、ここにミトラ(ミトラス)神の影響も認められます。

ナグ・ハマディ文書の中の「アダムの黙示録」、「ヨハネのアポクリュフォン」をはじめ、「ゾーストリアノス」、「マルサネース」という神秘主義哲学的傾向があると言われる文書も含め、10文書がこの派の文書とされます。

*「ヨハネのアポクリュフォン」については、該当ページをご参照ください。
*「ゾーストリアノス」、「マルサネース」については、該当ページをご参照ください。


「オフィス派(ナハシュ派)」は、旧約の「創世記」で悪として描かれる「蛇」を、善なる存在として重視する派です。

その神話では、最初に「深淵」に「第一の光(万物の父、第一の人間)」があり、それから「エンノイア(人の子、第二の人間)」、「聖霊(第一の女)」が生まれ、それらが「キリスト(第三の人間)」を生みました。

一方、その下方には「水」、「闇」、「奈落」、「混沌」がありました。
つまり、最初から二元論的です。

そして、「第一の女」から溢れ出た「光の残余」である「ソフィア」が下界に堕ち、その息子の「ヤルダバオト」が人間「アダム」を作ります。

「アダム」の中には「光の残余」がありますが、「ヤルダバオト」はそれを取り戻すためにイブを作ります。
「ソフィア」は阻止して「光の残余」を集めようとします。
つまり、善なる「ソフィア」の目的は人間の中に堕ちた「光の残余」を集めることであり、生殖はその妨害です。

「光(力)」の奪還と生殖による妨害の考え方は、「ヨハネのアポクリュフォン」やマニ教と類似します。

「ヤルダバオト」は自分が唯一の神であると語りますが、「ソフィア」は「蛇」をして「知恵の実」をアダムとイブに食べさせ、「第一の人間」の存在を知ります。
また、「ソフィア」は、「第一の女」に頼んで「キリスト」を送ってもらい、人間を救い、「光の残余」をすべて集めます。

つまり、旧約の神(ヤーヴェ)は悪神「ヤルダバオト」であって、「蛇」はアダムとイブを彼から解放したのです。
また、イエス・キリストも蛇と似て、人間に「生命の実」を食べさせるために現われるのです。
このような旧約の反解釈は、「ヨハネのアポクリュフォン」にもありますが、作者はヘレニズム化したユダヤ人と推測されます。


<後期の諸派>

この節では、2C中・後半に生まれた、キリスト教系グノーシス主義の後期の3派について紹介します。
「ヴァレンティノス派」、「バシレイデース派」、「マルキオン派」です。


グノーシス主義の中でも、最も複雑で体系的な世界観を発展させたのは、2C中葉のアレキサンドリアの「ヴァレンティノス派」です。

ヴァレンティノスはアレキサンドリアでグノーシス派に触れ、その後、ローマの教会で活動しました。
この派は「アナトリア派(東方派)」と「イタリア派」に分裂しました。
「イタリア派」に属するプトレマイオスは、ヴァレンティノス派の思想をさらに発展させました。

また、ヴァレンティノス派では、5つの秘儀「洗礼」、「塗油」、「聖餐」、「救済(解放)」、「花嫁の部屋」があり、これらのうちのいくつかは臨終の儀式や葬儀としても行われたようです。

ヴァレンティノス派の思想には、バルベーロー派やオフィス派からの影響が考えられ、そして、そこにプラトン主義哲学の要素が付け加えられています。

ヴァレンティノス派の特徴は、アイオーンを15組の30とした、「ソフィア」と「下なるソフィア」を分けた、三階層論(プレローマ/中間世界/物質世界)で考えたことなどです。

原初に、「プロパテール(原父)」、あるいは「知られざる父」、「アレートス(発言しえざる者)」、「ビュトス(深淵)」と、「シゲー(沈黙)」、あるいは「カリス(恵み)」、「エンノイア(思考)」の2つの存在がありました。
これらから、アイオーンが生まれ、「8のもの」、「10のもの」、「12のもの」、合わせて30となりました。

そして、30番目の最後のアイオーンの「ソフィア」が、「知られざる父」を知ろうとして転落しました。
「ソフィア」を救うため、「キリスト」と「聖霊」が生み出され、「ソフィア」をプレローマに戻しました。
この時、「ソフィア」の知ろうとした「エンテューメーシス(欲求)」が切り離されて、「下なるソフィア」とも呼ばれる「アカモート(知恵)」として残りました。

そして、「アカモート」の「浄化」から「プネウマ(霊)」、「後悔」から「魂」、「パトス(情熱)」から物質世界を作る元素が生まれました。
「アカモート」は、7天を作り、自分は第8天(中間世界、恒星天)に場所を占めました。

そして、天使達が人間の「アダム」を作りましたが、「原父」が秘かに、「アダム」の中に「種子」を入れました。

人間の最終的な救済、あるいは、終末には、「ソーテール」の従者たる天使達(花婿)に花嫁として結ばれます。
この聖婚を「花嫁の部屋」と呼びます。
ヴァレンティノス派は、秘儀としても「花嫁の部屋」を行っていましたが、その実態に関してははっきりとは分かっていません。
聖なる接吻を行ったとか、葬儀として行ったという説もあります。

また、終末には、「アカモート」はプレローマ界に戻り、「デミウルゴス」は「中間の場所」に移動し、物質世界は発火して燃え尽くされ、無に帰ります。


プトレマイオスは、ヴァレンティノスの思想を継承しながら、三階層論を思想全体に厳密に適応して体系化し、「救世主」とその救済行為に関してもそれらが持つ三層をきっちりと分離して理論化しました。

また、救済を「存在における形成」と「認識における形成」の2段階が必要としました。

*プトレマイオス派に関しては、「プトレマイオス派グノーシス主義」をご参照ください。


アレキサンドリアで活動した「バシレイデース派」の思想に関しては、まったく異なる2種類の伝承が伝えられています。
この派には、かなり異なる複数の派、思想傾向があった可能性があります。
ここでは、他の一般のグノーシス主義とは大きく異なる説を伝えるヒッポリュトス版を紹介します。

原初存在の「無」である「存在しない神」が、下方の物質世界に「種子」を置き、これから自動的に宇宙が生成します。
至高神の宇宙への関与が最小限にされていて、発想としてはインドのサーンキヤ哲学に似ています。

「種子」からは、まず、3つ「子性」が生まれます。
「第一の子性」は、軽微で鈍重な要素を含まないので、すぐに「存在しない神」のもとに戻ります。
「第二の子性」は、少し鈍重な要素を含むので、自力では戻れず、「聖霊」が分離されてこれに運んでもらいます。
ですが、聖霊は「存在しない神」のもとにまでは至れず、「境界(蒼穹)」になります。
「第三の子性」は、鈍重な要素を多く含むため、浄化を必要とし、下の世界に留まります。
これが人間の中の神性です。

「種子」からは、もう一方で、「恒星天の支配者」とその子、「惑星天の支配者」とその子、「デミウルゴス」ら、細かく見れば365天が生まれます。

上方と下方の「境界」から、神性に対する知識・憧憬である「福音」が生まれて、下方にもたらします。
そして、イエスにまで降下すると、その神性(第三の子性)を点火し、イエスは受難を受けて、神性が上昇します。
やがて、イエスを模範として、他の神性も上昇し、最終的にはすべてが上昇します。

このように、この派の神話は、上から下への流出プロセスよりも、下から上への帰還プロセスに重点が置かれているのが特徴です。


マルキオンは、ローマのキリスト教教会で活動した人物です。
彼は、固有の神話を持ちませんでした。

彼は、至高の神とは無関係な造物主が人間を作ったとする点で、反宇宙論的なグノーシス主義の特徴を持ちます。
そして、旧約の神と新約の神を対立者とします。
そのため、律法を否定しますが、厳格な禁欲主義を主張します。

また、マルキオンは、キリスト教の中で始めて正典を選びました。
それは「ルカ福音書」とパウロ書簡からなり、旧約は拒否されました。
そして、彼は、自身の教会を設立して布教を行いました。

ですが、マルキオンは、人間の霊魂には神性がないと主張した点で、非グノーシス主義、非神秘主義です。
そのため、彼は、認識(グノーシス)よりも信仰を重視します。


*ヘルメス文書の「ポイマンドレース」にもグノーシス主義的傾向があります。
「デミウルゴス」によって作られた惑星の霊を「アルコーン(支配者)」と呼び、その支配を「宿命」と呼ぶ点に、反宇宙論的傾向が見られます。
ですが、その傾向はそれほど強くはありません。

*バビロニア系の「マニ教」に関しても、現世否定的な特徴などから、グノーシス主義に入れられることがあります。
ですが、マニ教の宇宙論は反宇宙論ではないため、当サイトではグノーシス主義に分類しません。


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グノーシス主義の思想 [ヘレニズム・ローマ]


ローマ時代には、アレキサンドリアやエルサレムをはじめとして、多くの都市、民族がローマに従属したこともあって、反ローマ的、反体制的な神秘主義思想であるグノーシス主義が生まれました。

このページでは、グノーシス主義の思想、神話などの特徴を総論としてまとめます。
グノーシス派の思想・神話は多様ですので、あくまでも、典型的と思える例を中心にします。
個々の詳細に関しては、別ページをご参照ください。


<グノーシス主義の反宇宙論と三層論>

ローマはヘレニズム世界の宇宙論を共有していて、天球世界は聖なるものという星辰信仰を持っていました。
そして、地上世界のローマによる秩序は、天球世界が保証していました。

グノーシス主義は、この宇宙、つまり、ローマが崇拝する星の世界やローマが支配する地上世界は、悪神によって創造されたとする「反宇宙論」の神話を最大の特徴としました。

そのため、至高神と宇宙を作った造物主(創造神)を区別して、後者を悪神、あるいは、劣った存在とします。
さらに、造物主から生まれた恒星天や惑星天の神々、天使も「支配者(アルコーン)」と呼ばれ、悪神とされました。

造物主は「デミウルゴス」などと呼ばれるので、この言葉と2神の区別は直接的にはプラトンに由来するものでしょう。
ただ、イラン系のズルワン主義でも、至高神は「ズルワン」、造物主は「ミトラ」として区別しています。
また、旧約の神(ヤーヴェ)も造物主として、悪神として解釈されました。


グノーシス主義の多くは、基本的に、プラトン主義に由来するヘレニズム共有の宇宙論を基にしていて、存在を3階層で考えます。
至高の「神の世界(プレローマ)」、「中間世界」、「物質世界」です。
ここには、「霊」、「魂」、「肉体」がほぼ対応します。

派によって異なりますが、第8天=恒星天が「中間世界」で、惑星天の最上層の第7天に「デミウルゴス」がいると考えます。
第8天に「デミウルゴス」がいて、第9天を「中間世界」とすることもあります。

そして、人間の霊魂が救済されるには、死後、あるいは終末に、悪が支配する惑星天や恒星天を通り抜けて、神の領域にまで戻る必要があります。


<グノーシス主義の多様性と折衷主義>

グノーシス主義は、1C中頃に、シリア内陸部北部からクルディスタン西部にかけての地域で、ヘレニズム的なズルワン主義の影響のもとに生まれました。
そして、シリア、パレスチナの沿岸地帯を通って、2Cにはアレキサンドリアを経て、ローマに至りました。
この間、ヘレニズム化したユダヤ教の秘教的な異端派が大きな役割を果たしました。

ですが、グノーシス主義はユダヤ教だけでなくて、キリスト教、ヘルメス主義、そしてイラン系の宗教など、宗教や民族の枠を越えて広がりました。
グノーシス主義は、宗教を越えた思想潮流で、本来的にハイブリッドな特徴を持ち、様々な地方で様々な派が生れました。
キリスト教の文献では、グノーシス主義には60ほどの派があったと記録されています。

そのため、グノーシス主義は、思想的に多様であり、様々に分類されます。
例えば、宗教傾向で分けて、キリスト教系、ユダヤ教系、イラン系、ヘルメス主義系…。
あるいは、二元論的なもの(イラン系)と一元論的なもの(シリア・エジプト系)。
あるいは、神話論的なものと神秘哲学的なもの。
また、堕落者や救済者の別などの他の特徴からの分類もなされます。

ちなみに、当時のキリスト教には様々な思想を信じる集団がいましたが、後に主流派になる者達にとっては、グノーシス主義は身内にいる最大の敵対者でした。
そして、先に思想を確立した彼らに対する反駁を通して、キリスト教の教義が作られていきました。


<女性的原理の堕落と人間の救済>

悪神による宇宙の創造の原因は、多くは神的な女性的原理の過失・堕落に由来します。
具体的には、「ソフィア(知恵)」、「エンノイア(思考)」、「バルベーロー(大いなる流出?)」などです。
ただ、堕落するのは、「ロゴス(言葉)」のような男性的原理の場合もあります。

グノーシス主義に先行する神的存在の堕落の神話には、ゾロアスター教やズルワン=ミトラ教の「原人間」の堕落があります。
あるいは、秘儀宗教の死して復活する神や、冥界に下ったり身を隠す女神、例えば、イシスやデルメル、ペルセポネー、月女神の神話があります。
堕落する存在が「ソフィア(知恵)」であるという点では、ユダヤ教の「知恵文学」の影響が考えられますが、彼女は堕落しません。


また、グノーシス主義は、人間の「魂」、「肉体」は悪神によって作られたとしますが、霊魂の奥には、この堕落した女性的原理、あるいは、至高神に由来する神的な「霊(プシュケー)」、「霊的胎児」、「光の種子」、「光の残余」が存在しています。

そして、人間は、これを見出すことで救われます。
「グノーシス(認識・知識)」とは、この霊魂の本来的な神性とその由来の認識のことです。
そして、それには「救済者」による啓示が必要とされます。

この人間の霊魂の中の神性を認識して救われるという考えは、秘儀宗教やプラトン主義、ズルワン主義の考えを受け継いだものでしょう。

ただ、プラトン主義は地上世界の中にある神的なものから出発して霊的な世界を認識することで霊魂が救われると考えます。
ですが、グノーシス主義の「反宇宙論」は地上世界を悪と考えたので、「霊」自身を認識することで救われる点で異なります。


このように、グノーシス主義は、隠された神性を認識する秘教的な思想、神秘主義思想であるため、当然、閉鎖的な集団という性質を持ちました。

そして、様々な秘儀を行っていました。
ヴァレンティノス派では、5種類の秘儀「洗礼」、「塗油」、「聖餐」、「救済(解放)」、「花嫁の部屋」を行っていたようです。

また、グノーシス主義者は、その「反宇宙論」的な世界観の結果として、現世否定的で、物質的な欲望の一切を否定する禁欲的な傾向を持っていました。

ですがその一方で、地上的な道徳を否定して、奔放主義の傾向も持つ派もありました。
ローマの法律であれ、ユダヤの律法であれ、地上の秩序を定めたものは悪神だからです。


<流出と堕落の神話とパンテオン>

グノーシス主義の諸派は、その派によって様々なパンテオンと神話を持っていました。

ですが、共通する特徴としては、至高存在からの流出、創造を、抽象的な観念で表現された男性的原理と女性的原理の対(カップル)になった系譜として語ることです。
ただ、同時に、これらの存在は両性具有とされます。
これらの神的存在は、「アイオーン(時間・世代・永遠なるもの)」と呼ばれます。


初期の最も単純な神話では、まず、「父」なる存在と「母」なる存在の2原理だけでした。

父なる存在は、「原父(プロパテール)」、「名づけえない父」、「万物の父」、「見えざる霊」、「知られざる存在」、「第一の人間」、「存在しない神」などと呼ばれました。

この「父」の本質的な属性としては、「限定されない」、「光」、「力」、「生命」、「至福」などがあります。

「母」なる存在は、「父」からの最初の流出であり、「バルベーロー(大いなる流出)」、「ソフィア(知恵)」、「エンノイア(思考)」、「プロノイア(摂理)」、「処女なる霊」、「第一の女」、「第二の人間」などと呼ばれました。


ですが、アイオーンのカップルは、4組、あるいは、5組に増えました。
さらに、30になり、場合によっては365になりました。
この複雑化は、ヘレニズム期に交流した様々の宗教が語る神の性質を次々と神格として取り入れて体系化した結果でしょう。

アイオーンは、派によって異なりますが、男性的原理のアイオーンには、「ヌース(叡智)」、「ロゴス(言葉)」、「独り子(モノゲネース)」、「キリスト(注油された者)」、「アントロポス(原人間)」などがあります。 
また、女性的原理のアイオーンには、上記以外に、「アレーテイア(真理)」、「ゾーエー(生命)」、「エクレーシア(教会)」などがあります。

これらの神的存在の世界は、「プレローマ(充足)」と呼ばれます。
アイオーン達が、男女の対になった完全な状態が、「充足」です。
そして、過失や堕落などの問題が起こって、対の状態でなくなった状態が「欠乏」です。


「ソフィア」や「エンノイア」などが「欠乏」の状態が原因になって、「プロレーマ」より下の世界が生まれます。
「欠乏」の理由は、カップルの相手がいない、相手を拒否する、認識をしようとするが承認を得ていない、認識できない父を認識しようとした、などです。

「欠乏」の結果、その存在は、「形」を失うなどして、プレローマから堕落します。
ですが、「キリスト」などによって救われ、プレローマに復帰しますが、「中間世界」にまでしか復帰できない場合もあります。


そして、彼女の堕落が原因で、下の世界の、劣った悪なる存在である「アルコーン(支配者)」が生まれます。
宇宙を作る「造物主」や、12宮(恒星天)、7惑星天などの存在です。

「造物主」は「デミウルゴス(職人)」、「ヤルダバオト(無知蒙昧なる神)」、あるいは、「アブラクサス」などと表現されます。
彼は、自分が唯一の神であるとうぬぼれます。


<人間と救済の神話>

「デミウルゴス」やアルコーン達は、「人間(アダム)」の魂や肉体を作ります。

ですが、「アダム」は動けず、父や堕落した女性的原理がこれを憐れんで、あるいは、愛して、彼らに由来する「霊」を「アダム」の中に入れます。
女性的原理がアルコーンによって閉じ込められたとする場合もあります。
この「霊」は、「光の種子」、「光の残余」、「光の摂理」、「霊的胎児」、「力」などと呼ばれます。

救済は、この「霊(光)」のプレローマへの回収・帰還であり、アルコーン達はその妨害者となります。


ユダヤ系のグノーシス種子は、旧約の創世記の反解釈を行っている場合が多いのですが、以下のような神話が語られます。

「デミウルゴス」は、「アダム」をエデン(偽のエデン)に閉じ込めます。
そして、イブを作り、アダムに生殖を教えることによって、「光」の回収を妨害します。
子孫を残すことは、「光」が地上に残り続けることです。

また、「デミウルゴス」が食べることを禁じた「知恵の実」や「生命の実」は、「グノーシス」を与えるものです。

エデンには、啓示者・救済者が「人間」に「グノーシス」を与えるために現れ、その結果、「デミウルゴス」によってエデンから追放されます。


救済者は、キリスト教グノーシス主義では、アイオーンとしては「キリスト」、肉体を持った存在としては「イエス」です。

他の宗派では、単に「ソーテール(救済者)」と呼ばれたり、あるいは、「フォーステール(光輝く者)」、「モノゲネース(独り子)」、「アウトゲネース(自ら生まれたもの)」などと呼ばれたりします。
あるいは、「ソフィア」などの女性原理やアダムの三男の「セツ(セト)」がその役を果たす場合もあります。

終末には、すべての「光」が回収され、「人間」の霊魂はプロレーマに帰還します。
人間は天使とカップルになり、あるいは、両性具有になり、完全な姿に戻ります。
そして、物質世界も消滅します。


<哲学的体系化>

「ヨハネのアポクリュフォン」や、ヴァレンティノス派やプトレマイオス派のグノーシス主義は、プラトン主義やストア派などの哲学を取り入れて、神話に哲学的な枠組みを与えるようになりました。

また、「ゾーストリアノス」、「マルサネース」のように、より神秘主義的な表現や哲学化を進めた文書もあります。

これらのグノーシス主義は、主にプラトン主義(ギリシャ時代のプラトン主義、中期プラトン主義)の影響を受けましが、同時に、平行的に発展したり(中期プラトン主義)、影響を与えたりした(新プラトン主義)部分もありました。


中期プラトン主義者のアルビノスは、至高存在に対して「語り得ぬもの」などと否定的、否定神学的な表現をしました。
上記の文書・派が、至高神を、「名付けえない」、「知り得ない」、「見えざる」というような否定的に表現するようになったのは、この影響を受けているのでしょう。

また、アルビノスは、「独り子」の「ヌース」だけが「語りえぬ父」を認識できると考えました。
ヴァレンティノス派、プトレマイオス派でも、同様です。


「ゾーストリアノス」は、至高存在の「見えざる霊」を、「存在/至福/生命」という「三重の力を持つ者」とされます。
一方、プラトン主義の「ヌース」の「トリアス(三性)」は、「存在/生命/知性」とされます。


また、グノーシス主義は、至高の2者を「父」、「母」、そこから生まれるアイオーンを「子」と表現します。
これは、プラトン主義にも言えることです。

プラトンの創造神話では、「イデア」と「コーラ(乳母)」から自然(物質世界)が生まれますが、中期プラトン主義者のプルタルコスは、この三者を「父」、「母」、「子」として捉えます。
プラトンの「不文の教説」では、この関係が、最高原理が「一」と「不定の二」でこれらから「イデア」が生まれる形になります。

プラトン主義は、父性・男性的原理を「形相性」、母性・女性原理を「質料性」として対比させています。
グノーシス主義でも、男性的原理の救済者は「形づくる」存在で、女性的原理の堕落者は「形を失う」存在です。


また、上記のグノーシス主義では、原初の流出を認識論的に語ります。
つまり、流出的創造を認識プロセスとして、主客の分離、形象化(像化)として捉えます。
これは、プラトン主義の考え方と似ていますが、合理的、理性的な認識ではなく、直観的な認識でしょう。

「ヨハネのアポクリュフォン」では、「父」が自己認識して「バルベーロー」=「プロノイア(思考)」を「光の似像」として流出します。
そして、「プロノイア」は「父」を振り返って「子」を生みます。

ギリシャ期プラトン主義のクセノクラテスにおいては、至高存在の「一」は、自らを観照する存在です。
新プラトン主義のプロティノスは、「一者」が一種の自己認識をする形で「ヌース」を生み、「ヌース」は「一者」を認識することで魂を生みます。

両者ともに流出・創造が、「自己認識」と「至高者の認識」で行われます。


プトレマイオス派では、救済は形作ることでなされますが、これを「存在において」と「認識において」の2段階が必要とします。
そして、カップルになることも求められますが、これは一種の相互認識とも考えられます。

プロティノスは、「ヌース」が、「一者(上位存在)の認識」と「自己認識」、つまり、「像を作る」ことで形づくられることと、その「像を認識する」ことの2段階で生まれるとしました。
また、「ヌース」が作る像である諸イデアは、すべてが互いに映し合う関係にあり、つまり、「ヌース」は相互に認識し合います。


プラトン主義は、世界を「イデア(ヌース)界/魂/物質界」の3階層で考えます。

ヴァレンティノス派、そして、プトレマイオス派では、この3階層を徹底していきます。
宇宙論では「プレローマ/中間世界/物質世界」、人間の要素は「霊/魂/体」、堕落者は「ソフィア/アカマート/パトス」、救済者は「キリスト/ソーテール/イエス」というように3階層化しました。

また、「ヨハネのアポクリュフォン」などでは、「プロノイア(摂理)」が3階層化しました。
最初の女性原理の、下位のアイオーンの、アルコーンの配下の、3つです。
これは、中期プラトン主義が3種類の「プロノイア」を区別することの影響です。


*「ヨハネのアポクリュフォン」もご参照ください。
*ヴァレンティノス派については「グノーシス主義の潮流と諸派」をご参照ください。
*「プトレマイオス派グノーシス主義」もご参照ください。
*「ゾーストリアノスとマルサネース」もご参照ください。


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イシス秘儀とセラピス秘儀 [ヘレニズム・ローマ]

<秘儀宗教の普遍化>

秘儀宗教は、「秘儀神話とは」で書いたように、主に神の「死と再生」というテーマの神話を演劇的・儀式的に再現し、それを信者に体験させることで、死後の祝福、神的生を約束する宗教です。

ヘレニズム・ローマ期には、各地の秘儀的な宗教が、その地域性を脱して、普遍宗教化していく動きが起こりました。
具体的には、カルデアン・マギの階層的な宇宙像と死後観を受け入れて、従来の神話の解釈を変容させていきました。

つまり、人間の霊魂の神的な部分は、天上の神の世界から、7惑星に対応する7重の魂をまとって、地上に墜ちてきたと考えるようになりました。
そのため、死者の魂は、従来の死後観のように地下冥界へ下降するのではなく、天に向かって上昇します。
具体的には下記のイシス秘儀の部分を参照してください。

これに伴い、神々は、特定の自然の循環を司る存在から、それらを含む惑星神や天上の神として、宇宙的な存在となりました。


BC205年にローマがポエニ戦争に負けた時、アポロン神殿でフリギア起源の女神キュベレだけがローマを救う、との神託下り、すぐさまフリギアからキュベレがローマに呼ばれました。

キュベレ秘儀は、ディオニュソス秘儀に似て、牡牛を殺したの血を神官が浴び、聖餐ではその血を飲み、また、男根を切り取って女神に捧げるような、荒々しく狂気に満ちたものでした。

これが1つの契機にもなって、オリエントの他の女神の信仰や秘儀が、ローマ領の各地に広がっていきました。
中でも有力なのは、キュベレ秘儀より洗練された、イシス秘儀、ミトラス秘儀、セラピス秘儀などです。

セラピス神はアレキサンドリアのプトレマイオス朝の国家神で、その秘儀はエジプトの秘儀とエレウシス秘儀を統合するような内容でした。
セラピス秘儀の元になったエジプト起源のイシス秘儀は、1C初頭にローマに、到達しました。

イラン系起源のミトラス秘儀は、トルコ、シリアで1~2Cに成立し、ギリシャを通ってイタリア上陸し、キリスト教最大の競争相手となりました。
ミトラス秘儀は、啓示宗教・救済神話が秘儀化したという特徴があります。
ミトラス秘儀に関しては、「ミトラス秘儀と12星座神話」で扱っています。


<イシス秘儀>

エジプト起源のイシス神はローマ世界で最も広く崇拝された女神です。
ヘレニズム・ローマの文化的中心のアレキサンドリアを経由して、イシスは普遍性のある女神になりました。
イシスは、キュベレやデルメルよりも優和な性質であることからも、広く受け入れられました。

イシスは、エジプト名は「アセト(=座席)」で、穀物やナイルの水を受け止める大地の母神です。
ナイルの増水と太陽の上昇を告げるシリウスの女神でもあり、復活の魔術の神です。

また、その夫のオシリスは、エジプト名「ウシール」で、エジプトの神の中でも最も幅広く信仰されていた神です。
オシリスは、農業とともにシリアから来た、死して復活する神です。
穀物神であり精子としてナイルに水をもたらす豊穰神であり、冥界神です。

そして、二人の子であるホルスは、鷹神であり天空神であり、また地平線を昇降する太陽神でもありました。
豊穰神でもあって、砂漠と不毛の神セトと対立しています。


イシス秘儀のベースになっているのは、次のようなオシリスの神話です。
これは、ギリシャの作家プルタルコスが『イシスとオシリス』で紹介したヴァージョンです。

エジプト王になったオシリスが悪神セトに殺して遺体を14に切り刻んでバラバラに撒いてしまうが、妹で妻のイシスが遺体を集めて復活させた、だが、男根部分は魚に食われてしまっていたので現世に戻ることができず、冥界の王になった。
また、イシスは魔法によってオシリスの子の鷹神のホルスを生み、ホルスがセトを負かし、オシリスの後継者となった。

このプルタルコス版のイシスには、デルメルの神話と類似した部分があり、その影響を受けたものと推測されます。 

オシリスの死と再生は、季節循環の神話としては、「穀物神の死と再生」、あるいは穀物に生命をもたらす「ナイル川の水かさの増減」を表現します。
秘儀宗教としてのイシス秘儀では、オシリスの死は人間の霊魂の神性の死を象徴し、ホルスはその復活する神性を象徴します。

アプレイウスによれば、イシスの姿は次のように描写されます。
イシスは豊かな長い巻き毛を持ち、額の上に輝く月をつけて、毒蛇と小麦の穂をつけた様々な花の冠をかぶり、様々な色に変化する衣服を着て、満月と星々をつけた黒いローブをかけています。
そして、右手にはシストラムという音を出す玩具を持って、左手からは舟形の長方形の容器をぶらさげ、シュロの樹の葉で織った靴を履いています。

この他にも様々な姿のイシスが考えられましたが、その姿はヘレニズムの女神としての様々な象徴性を示しています。

isis.JPG


イシス=オシリスの公の祭儀には、「イシスの船」と呼ばれる春に行われる航海の始まりを知られるものと、「インヴェンティオ」と呼ばれる秋に行われるオシリスの死と復活を演じる演劇的な儀礼がありました。
後者では、オシリスの死を象徴して穀物の束を切り取ったり、復活を象徴して倒してあった「ジェド柱(穀物の束を盛ったもので、日本の稲叢に相当します)」を立てるといった儀礼が行われたと思われます。

これらとは別に個人的なイニシエーションの秘儀が3段階で構成されていました。
それは「イシス小秘儀」と「オシリスの大秘儀」、そしておそらく「奥義秘儀」と呼ばれました。

イシスの祭りでは動物を犠牲にせずに、乳、蜂蜜、薬草が選ばれました。
それに、肉食や飲酒も禁止されました。
このことは、キュベレやディオニュソスの秘儀の荒々しく熱狂的な性質とは異なって、イシス秘儀が洗練され瞑想的な性質を持っていることを示しています。

秘儀の具体的な部分はほとんど分かっていません。
ですが、イシスの秘儀参入を扱ったアプレイウス『黄金のロバ』に記述があります。

これによれば、イシスの「小秘儀」では、秘儀参入者はまず10日間肉食と飲酒を避けます。
そして、新しい麻の服を着て冥界のプロセルピナの神殿を模した地下の部屋に降りて行きます。

次に、月下の煉獄である4大元素の領域を通過して浄化されます。
従来、地下世界で経験すると考えらた様々な試練、つまり煉獄の体験は、4大原素でできている天球の下、「月下の天空」に移されたのです。

次に、参入者は順に7惑星の神々の部屋に昇って行きます。
つまり、魂の様々な性質を7惑星に返しながら天球を上昇していくのです。

そして、おそらく明るい部屋に入って自らをオシリスあるいはホルスと同一視します。

このカルデア的な天球を上昇する過程は、古代エジプト的な、太陽が地下を通る過程と重ねられているようです。
そのため、この部分は「真夜中の太陽を見る」と表現されています。
これは、人間の肉体の中に落ちた魂を、地下の太陽として認識するのでしょう。

そして次の朝、参入者は、12宮を象徴する12の法衣を着てシュロの葉の花冠をいだき、イシス像と司祭の前に立ちます。
この姿は復活するオシリス=ホルス、あるいはイシスの象徴です。
これは、従来の天国、オシリスやラーの元に至ることが、天球の最上部の「恒星天」に移されたのでしょう。

こうして入会者は完全に浄化された魂として再生するのです。

このように、従来の「冥界下り」は「地上への下降」、従来の「地上への復帰」は「天上への復帰」の象徴になったのです。

参入者は1年後にオシリスの「大秘儀」を受けます。
さらに3つめのイニシエーションである「奥義秘儀」がありますが、これらについては不明です。

「小秘儀」は、恒星天にまで至る演劇的な象徴的行為による儀礼ですが、「大秘儀」や「奥義秘儀」は、恒星天を通り抜けた神の世界に至ることがテーマとしたり、より直接的な瞑想的トリップ体験が求められたのかもしれません。
言い伝えによると、参入者は3日間に渡って仮死状態となって実際に魂世界、霊的世界を体験したと言われています。


<セラピス秘儀>

セラピス神はアレキサンドリアのプトレマイオス朝の国家神で、エジプト名は「アサル・ハピ」です。
その秘儀はエジプトの秘儀に通したエジプト人神官のアネトとエレウシス秘儀に通じたギリシャ人のティモテウスが作成しました。
セラピス神の信仰は、ギリシャ、ローマにも広がりました。

ヘルメス文書の作成者の多くは、セラピス神殿の神官たちである可能性があり、セラピス秘儀とヘスメス主義には共通する世界観があったはずです。

セラピス神は、エジプトとギリシャの宗教の習合を表現しています。
彼は、オシリスの化身である聖牛アピスが再擬人化された神格で、ゼウスやプルート、アスクレピウスの性質も習合した最強の神です。
ですから、豊穣と冥界の神であり、治療と夢占いの神であり、また、太陽神でもありました。

セラピス神は、男性的な強さと女性的な優しさを合わせ持ち、表情は物思いに沈み、髪の毛は女性的な結い方をしています。
ナイル鰐に乗り、頭に載せた穀物の籠はナイルの豊穣を表現します。
左手に持つ尺はナイルの水位を測るためのもので、右手に持つオオカミ、ライオン、甘える犬の3頭は過去・現在・未来を、それに巻き付く蛇は時を表現します。
左右に鷲と冥界の番犬ケルベロスが付き添う場合もあります。

serapis.JPG


セラピス神の秘儀については、まったく記録が残されていません。
ですが、イシス秘儀やエレウシス秘儀と似た象徴と物語があり、ヘルメス主義的な世界観を表現するものだったと思われます。

セラピス神殿は、385年のテシオドス帝が出した勅令によって、キリスト教徒によって破壊され、70万巻の蔵書を誇った大図書館も焼かれました。


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プロクロスの三性と帰還 [ヘレニズム・ローマ]

プロクロスの階層と系列」に続いて、プロクロスの哲学について、「三性」と「帰還」をテーマにまとめます。
そして最後に、プロクロスの後を継いてアカデメイアの最後の学長となったダマキオスについて紹介します。


<三性>

プロクロスはプロティノスの流出の思想を3つの原理「三性(トリアス)」として理論化しました。

まず、一者が生み出したものには一者が内在するので同じ(あるいは類似した)性質を持っていることが「止留」です。
次に、生み出されたものが、一者に劣って相違することが「流出(発出)」です。
最後に、一者から生み出されたものが、一者を振り向き、形成され完成されることが「帰還」です。

「止留」は「有」、「流出」は「生命」、「帰還」は「知性」に対応します。

この「三性」はキリスト教の「三位一体」に相当する新プラトン主義の大原理とされました。
また、この「三性」はヘーゲルの弁証法にも影響を与えました。 
 

<帰還>

プロクロスはプロティノスとは違って、人間の個別的霊魂は全体として物質世界に下降していて、ヌースの世界に残っている部分はないと考えていました。
これは、イアンブリコスを継承するものです。

プロクロスにとって一者へと至る道は、プロティノスのそれと似ていますが少し異なるところもあります。
彼はその過程を3つに分けました。

まず、肉体的、社会的な欲望を捨てて魂の美を求める「エロース」。
次に、数学的思考や弁証法、ヌースによる純粋思考などによって真理を求めて有にまで至る「哲学的生活」。
最後が、一者との合一に至る「信仰」です。プロクロスはキリスト教と同じく一者からの照明を強調します。
 
また、プロクロスは哲学的な観照の道だけでなく、神の力を地上に降ろす魔術的方法である「降神術」をも重視していました。
霊魂よりも低い動植物が、高い存在と関係しているという構造は、動植物を使う魔術を正当化するを論理をも提供したのです。
 

<ダマキオス>

ダマキオスは、462年頃にシリアで生まれ、アレキサンドリアを経て、アテナイに移りました。
彼は、プロクロスの後を継いでアカデメイアの学長になったのですが、プロクロスよりも、イアンブリコスを評価しました。

ダマキオスは、イアンブリコスを継承して、「第一原理」を「一者」とは別に、それより上に置きます。
「第一原理」は、属性を持たない最も単純なものとされ、「ヌース」には認識可能とも不可能とも言ず、予感することしかできまえせん。

そして、「一者」の下に、下のような3原理を置きますが、これらは、同じ存在の3側面です。

・一にして全体 :「限定」に当たるもの
・全体にして一 :「無限」に当たるもの
・一になったもの:「混合」、「帰還」に当たるもの

また、ダマキオスには、不可知論的なところがあり、彼が行う哲学的な説明も、仮のものでしかないと考えました。

また、ダマキオスには、「第一原理」と世界との関係について、「展開」、「包み込み」という概念があります。
これらは、中世・ルネサンスのキリスト教神学や、スピノザ、そして、現代のジル・ドゥルーズにも影響を与えました。

ドゥルーズによれば、これらの概念は、流出論的というより、汎神論的、内在論的な思想を表現しています。
つまり、彼によれば、これらの概念は、階層的な垂直的な関係を表現するものではなく、ベルグソン的な強度の深さ・奥行きの関係を表現するものなのです。
同様に、プロクロスの系列の関係も、垂直的な関係ではなく、深さ・奥行きの関係の表現であると解釈することができるのではないでしょうか。


<アカデメイアの閉鎖>

529年に、ユスティニアヌス帝によってキリスト教以外の宗教や哲学が禁止され、それをきっかけにして、プラトンの創設以来のアカデメイアも閉鎖に追い込まれていきました。
こうして、ヨーロッパ世界(ローマ世界)では純粋な哲学的探究と神秘主義的な古代思想が一旦、終わりを告げたのです。

哲学的探究はイスラム世界に受け継がれましたが、ヨーロッパ世界ではキリスト教神学という形でしか生き残りませんでした。
ヨーロッパ世界で哲学的探究と古代思想が本格的に復活するには、ルネサンス時代を待たないといけません。


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プロクロスの階層と系列 [ヘレニズム・ローマ]

プロティノス以降の新プラトン主義者の中でも特に重要なのは、ビザンチンで生まれ、アレキサンドリアからアテナイに行き、プラトンの学園アカデメイアの学頭になった5世紀の哲学者プロクロス(412-485)です。
彼はプロティノスの哲学や他の新プラトン主義者の哲学を、精密かつ総合的に体系化して、後世に大きな影響を与えました。
プロクロスの階層の考え方で興味深いのは、上下対象の関係があることです。


<階層>

プロクロスは、イアンブリコスが「一者」のさらに上に存在を置いたことを否定しました。

ですが、イアンブリコスの、「有(存在)」、「生命」、「知性(ヌース)」という順の階層を継承しました。
これは、プロティノスでは、「ヌース」の3側面、「認識対象」、「認識作用(活動)」、「認識主体」に当たるものです。
これらが、プロクロスにおいては、「可知的なもの」、「知性的なもの」、「可知的で知性的なもの」と表現され、「ヌース」の3階層となります。
 
また、「魂」に関しては、大きく「神的霊魂」、「鬼神的霊魂」、「人間霊魂」の3つに分けます。

そして、さらに「神的霊魂」を「宇宙霊(純粋霊魂)」、「世界霊魂」、「天体霊魂」、「月下の神々の霊魂」の4つに分けます。
「鬼神的霊魂」は「天使霊魂」、「鬼神霊魂」、「半神霊魂」の3つに分けます。

動植物は「魂」を持たず、「魂」の似像しか持たないとしました。
つまり、プロクロスにとっては「魂」と言えるのは「理性的」段階以上だったのです。

また、プロクロスは、霊魂が地上に降りるには、順次に2つの霊体を身につけると考えました。
1つ目は「輝く霊体」、2つめは「暗い霊体」です。
後世に、前者は「アストラル体」、後者は「エーテル」体と呼ばれるようになりました。


<階層の上下対称性>

最初に書いたように、プロクロスの階層で興味深いのは、上下が対象の関係にあることです。

霊的知性界では上の存在ほど単純で、物質界では下の存在ほど単純なのです。
そして、ある階層の存在はその1つ上の存在から影響を受けるだけではなくて、上下対象の関係にある下の存在は上の存在からも影響を受けるのです。

「一者」は形・性質を持たない点で「純粋素材」と同じで、「純粋素材」は「一者」からも直接生み出されます。
「無生物」は「有」と同様に単に存在して認識される対象となるという性質のみを持っています。
「植物」と「生命」はこれに加えて成長するという性質を持っています。
「動物」と「霊的知性」はこれに加えて非理性的(直観的あるいは直感的)な思考を行うという性質を持っています。
「魂」は中間にあって、物質的世界と霊的世界の両方に向き合うことができて、理性的な思考を行う存在です。

この上下の対象性は、ルドルフ・シュタイナーの思想に影響を与えました。

proc_hiera.jpg

<系列と神々の体系>

また、プロクロスは同じ階層内でも「一」から「多」へと展開する系列構造を考えました。
この系列構造は、「一者」の階層にも存在します。

プロクロスは、各階層内の構造に関して、「分有」という概念を独自な形で用いて考えます。
「分有」の観点から、次のように、存在を4つに分けます。

1 分有されないもの
2 分離した形で分有されるもの
3 分離せずに分有されるもの
4 分有するもの

1は、その階層の存在すべてに共通する部分であり、各階層の筆頭的存在であり、「第一のもの(単位的なもの、ヘー・モナス)」と呼びます。
「第一のもの」は特別な存在で、その階層では、最も上位の階層の性質を反映します。

2は、1から発する「多なるもの」であり、「系列」と呼びます。
「多なるもの」は、「限定」と「無限」から合成された「混合されたもの」で、それぞれで「限定」と「無限」の優勢具合が異なります。
「一者」の階層では「単一者(複数形のヘナデス)」と呼ばれ、最高次元の神々に相当します。

3は、下位の階層に内在して力として発現されるものです。

4は、内在させる下位の階層の存在です。

また、「多なるもの(混合されたもの)」には、「限(形・性質)」の優勢なものと、「無限(素材性)」の優勢なものがあります。
「第一のもの」だけでなく、先頭に近いもの(限の優勢なもの、より深層なもの)ほど、上位の階層の性質を反映します。

proc_kuyuki.jpg


プロクロスはヘルメス主義的な傾向、つまり、多神教的で魔術的な伝統にも親しんでいました。
当時支配的になったキリスト教に対しては、哲学も秘儀宗教もギリシャ神話もヘルメス主義も同じ伝統的な思想に属していたのです。

ですからプロクロスは、伝統的な神々の存在を認め、神々を哲学的に体系化しました。
彼は、神々を、様々な階層に渡る14の序列に分類しました。

「一者」の階層の「単一者(ヘナデス)」は、神々が最高の次元においてとる姿と解釈したのですが、神々が様々な性質を持っているように、「単一者」も「父/生産/完全/守護/生命/高めるもの/浄化/制作/帰還」などの性質を持っています。

このプロクロスの神々の階層的な体系は、3×3の構造を含んでおり、偽ディオニシオスのキリスト教天使論にも影響を与えました。


プロクロスの三性と帰還」に続きます。


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イアンブリコスと降神術 [ヘレニズム・ローマ]

イアンブリコスは『カルデア人の神託』などのズルワン主義=カルデア神学やヘルメス主義に大きく傾倒して、高等魔術としての降神術(テウルギア)を理論的に擁護し、新プラトン主義の潮流を大きく変えました。


<ポリピュリオス>

新プラトン主義は、プロティノスからポリピュリオスへ、そして、イアンブリコスへという師弟関係で継承されました。

ポリピュリオスは基本的にプロティノスの哲学をそのまま継承しました。
ですが、異なる部分もあります。

「ヌース」に関して、プロティノスは、「認識対象」、「認識主体」、「認識作用」という3つの側面を語り、あるいは、「存在」、「知性(ヌース)」、「生命」という3つの側面を語ることもありました。
ですが、ポリピュリオスは、「存在」、「知性(ヌース)」、「生命」の3つを、はっきりと原理的に区別しました。
これは、「カルデア人の神託」の「父/力/知性」の3存在の影響を受けたものかもしれません。

また、「魂」に関しては、プロティノスが神々、人間、動物の魂を同質なものと考え、人間が動物に転生することも認めたのに対して、ポリピュリオスはそれぞれの魂の違いを主張しました。
そして、全体魂と個別魂の区別も主張しました。

 
<イアンブリコスの哲学>

イアンブリコスは、「一者」と区別して、さらに上に「語りえざるもの」を想定していたようです。

また、彼は、「一者」の下に「限定」、「無限」の2原理を置きました。
この「無限」は、産出力を持つ存在であり、存在の各階層に受け継がれます。

イアンブリコスは、「ヌース」に関して、「存在」、「生命」、「知性」という順番に階層化して考えました。

また、彼は、「魂」と「ヌース」の階層の違いを厳密に考えました。
ですから、彼は、プロティノスが主張した、人間の「魂」の一部が叡智界にとどまっていることを否定しました。
そして、「魂」は「感性界」に下降することで、全体が本質的に変化したと考えました。

また、イアンブリコスは、プラトンの太陽の比喩を継承しながら、それを光の神学へと発展させました。
ここにはペルシャ、カルデアの神学の影響もあるでしょう。
神の光は「一」であり、神々は外からすべてのものを照らし包みます。

イアンブリコスの存在の階層は、「神々/大天使/天使/ダイモン/英雄達/惑星魂/魂」と続くものです。
神々の光はこの系列に沿って下降して人間の魂を照らします。


<降神術>

ポリピュリオスは降神術に否定的で、イアンブリコスとの間で降神術の是非に関する論争がありました。
ポリピュリオスが公開質問状を出し、イアンブリコスがこれに エジプト人の名で答えたのが俗に『エジプト人の秘儀について』と呼ばれる書です。
あえてエジプト人の名で答えたのは、新プラトン主義内の分裂を共通の論敵であったキリスト教徒に見せないためでした。

イアンブリコスは『カルデア人の神託』の論理を受けて、降神術は神々の方から自発的に人間の魂を光に照らし、上方に引き上げ、人間自身を超越させて神々と合一させるものだと主張しました。
人間の魂の中に「象徴」として先在している神々が、神名と祈りによって喚起され、秘密のエネルギーを働かせ、神々が固有の像を見い出し、光によって魂を照らすのです。
彼は現実的な力としての「象徴」を降神術のキーワードとして考えたのです。

また、『エジプト人の秘儀について』では、降神術では、神的なしるしによって上空に引き上げられ神々の姿をまとった者が術を行う場合には、人間より上位の存在に命令することもできると書いています。
その一方で、降神術では、「友愛」の関係によって、支配関係がなくされるとも書いています。

そして、イアンブリコスは、言葉は他の言語に翻訳されると、同じ力を持たなくなるとして、神名や呪文などの魔術的な言語の意味を強調しました。
エジプト人やアッシリア人は、神々を分有した最初の民族であり、その言葉は特別なものなのです。

また、彼は、音楽の力をも重視しました。
ピタゴラス以来、音楽は天体の調和を表現したものですが、イアンブリコスは、特定のハーモニーは特定の階層の特定の神々に結びついているとして、魔術的に解釈しました。

降神術による神との合一によって得られる知が「予言術」です。
これは知性による認識に先立つもので、神々の知に直接あずかるものなのです。
そして、神々の照明に反応し、「予言術」として神々の知識を得るのは、知性と感覚の中間に位置する人間の表象能力(創造的な想像力)なのです。

イアンブリコスが神的な想像力を重視したことは歴史的な意味があると思います。
これは後のイスラム哲学と類似する考えで、啓示や預言を理論づけることにもつながります。


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プロティノスの流出と帰還 [ヘレニズム・ローマ]

プロティノスの一者と階層」に続き、「流出」と「帰還」をテーマに、神秘主義哲学の最初の大成者プロティノスの哲学をまとめます。
 

<流出>

プロティノスの哲学の特徴は、世界が至高存在から段階的に順次一つ下位の存在が上の存在から生み出されるという世界観を、初めて哲学的に体系化したことです。
この世界観はヘレニズム期のアレキサンドリアの思想の特徴でもあります。

プラトンは日常意識から至高意識へと至る神秘体験の「上昇」のプロセスを、霊魂の「復帰」として語りました。
プロティノスはこれに加えて、至高意識から日常意識へという神秘体験の「下降」のプロセスを、自らの体験の反省に基づいて、宇宙生成の諸段階として形而上学的に哲学化しました。
これはプラトンやアリストテレスが「思索」の結果、宇宙の階層性を形・性質の実現度や普遍性の度合として語ったのとはまったく異なります。

プロティノスは、至高存在である「一者」が世界を生み出すことを、泉から水が自然に溢れることに喩えて「流出(発出、プロオドス)」と表現しました。
ですから、「一者」とすべての存在は一体です。
そして、「流出」される諸階層の存在は、段階的であると同時に、連続しています。

「無」である一者は、意図することなく、その充填する性質から自然に、無目的に「流出」を起こします。
ですが、各段階の「流出」は、常に、一種の自己反省、自己認識が媒介します。

「一者」は「流出」を行っても、自身は変わることなく「一者」に留まります。
「流出」された存在は、「無限定」な存在からしだいに「限定」されて宇宙が形成されていきます。
宇宙は「一者」の「限定」ですが、「一者」自身です。

「一者」は世界に内在して、また逆に、世界の一切は「一者」を憧れて観照することによってそこに「帰還」します。

ですが、この「流出」は過去のできごとではなくて、「帰還」も未来のできごとではありません。
「流出」と「帰還」は無時間的に常に起こっているのです。

つまり、プロティノスの宇宙論には、ゾロアスター教のような直線的な時間も、ズルワン主義のような循環する時間もなく、宇宙は永遠に存在し続けるのです。

「一者」は下位の存在には無関心です。
これはキリスト教の神が愛(恩恵)によって積極的に下位の存在に関わることと対照的です。


「流出」には、階層的な段階があります。
「一者」は「ヌース」を、「ヌース」は「魂」を、「魂」は「質料」を、という具合に段階的に起こります。
ですが、無時間的な出来事なので、これは論理的な段階です。

この時、上位の存在は、そのままに留まりながら下位の存在を生みます。
この階層間の関係は、上位存在の外的・派生的働きが、下位存在の実体的・内的働きになっています。

各段階の「流出」による創造は、2、あるいは、3段階で行われます。

まず、無形の素材(質料)として生み出し、次にその質料的存在が上位の存在を「振り返る」ことで形作られます。
これは、上位の存在を対象として見て、その「映像」を作ること、「形相」を受け取ることです。
「振り返り」と「帰還」は同じことであり、形作られること、「似像」になることです。

そして、この生み出され形成された存在は、自身を認識することだけで、さらに下位の存在を生み出します。

下位の存在は創造力の点で上位の存在に劣り、最下位の段階の物質的な「質料」は何も生まません。
したがって、最も「悪」なる存在です。


プロティノスによれば、「一者」からの創造は自然なもので、また、人間の「魂」が物質界へ下ることも、罪によって堕落した結果ではなくて必然的な過程だとされます。
ですが、「魂」が「ヌース」に向かわずに身体に縛られてしまうことは悪です。

「魂」は物質界に下ることによって、物質界の不完全さ、「ヌース」の世界の完全性を認識することができるようになります。
そして、人間は全自然が「一者」を憧れ目指すことの代表者として、一者に帰還する観照体験によって全自然に満足を与える存在なのです。


<帰還>

プラトン、アリストテレスにとっては、至高存在との「合一」的体験は、「ヌース(霊的知性、叡智)」の働きである直観的体験でした。
そしてそれは、「霊魂」が自らのもっとも純粋な本質である「ヌース」としての部分に目覚めることでした。
ですが、プロティノスにとっては、「一者」は「ヌース」を超えた存在です。

プロティノスは、「合一」体験を「至福」とも表現します。
また、「触れる」といった触覚的にも表現しました。

プロティノスは、「一者」への「帰還」である「合一」体験に至る過程を3つに分けて考えています。

まず、倫理的な行為などの「浄化(準備)」です。
次が、「魂」が本来の「ヌース」の世界を見る「観想(テオリア)」。
最後が、「一者」と合一する「忘我(エクスタシス)」です。
 
「観想」とは、まず、「霊魂」が感性的に限定された自分を捨てて、「ヌース」の霊的な直観の働きに純粋化することです。
すると、そのうちに、突然の飛躍によって、「ヌース」の働きそのものを消滅させて、「ヌース」の限定を捨てて、自らの外に出る「忘我」が体験されるのです。

この飛躍は「ヌース」の意識的な努力によるものでもなければ、「一者」の働きかけによるものでもなく、突然に自然に起こります。
「一者」それ自体は常に超越的な状態にあるので、下位の存在に思いをこらすような存在ではありません。
 
「合一」体験は、「魂」の上昇とも表現されますが、「魂」はどこまでいっても「魂」であり、他にものに変化したり、どこかに行くのではありません。
「合一」体験は「魂」に内在する「ヌース」や「一者」が顕在化する過程で達成されるのです。


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プロティノスの一者と階層 [ヘレニズム・ローマ]

新プラトン主義の代表的な哲学者であるプロティノス(205年頃-270年頃)は、エジプトに生まれ、アレキサンドリアでアンモニオスの弟子となりました。
彼は、ペルシャ、インドには行くことはかないませんでしたが、オリエントの様々な神秘思想の影響を受けたと想像されます。
ですが、彼はあくまでも中期プラトンの神秘哲学の継承者として語りました。
そして、スペウシッポスやアルビノスの思想を受け継ぎながら、ギリシャ系神秘主義哲学の古典期における大成者となりました。

彼はプラトンが至高存在について語ることをためらったのと反対に、至高存在について可能なかぎり徹底的に語り、プラトンの秘教的な部分を発展させました。
また同時に、アリストテレスの自然神秘主義的側面をも受け継いでいます。

プロティノスの著作は、弟子のポリピュリオスが、54篇からなる全集「エンネアデス」として編集しました。


<一者>

プロティノスの第1の特徴は、まず、プラトンの「善のイデア」とアリストテレスの「思考の思考」を超えたもの、「ヌース」を超えたものとして「一者(一なるもの、ト・ヘン)」を置くことです。
そして、それを明確に「無」として、否定的にしか表現できないものとして捉えことです。
それは、形相(形・性質)を超えた「無(無相)」なるものなのです。

プラトンが至高存在について最もつっこんで書いたのは「国家」です。
プラトンはそこで至高存在を「善なるもの」と表現し、実在を越えた存在としました。
つまり、プラトンはここでのみ至高存在を「善のイデア」ではなくて、イデアを越えた「善なるもの」だと語っているのです。

また、「パルメニデス」では「一」を「有(存在)」も持たず、知識の対象にならないものと表現しています。

プロティノスはこれらの記述と不文の教説を受け継いだと言えます。

プロティノスは一者を、たいていは「かのもの」と呼びます。
これは一者が表現しえないものだからです。
彼がそれを「一者」や「善なるもの」と呼ぶのは仮の表現だとも言えます。

彼は、例えば、まずプラトン同様に「善そのもの」と仮定的に言って、すぐに「善でない」、「善を越えた存在」とそれを否定し、最後に「善を越えた善」として再度肯定するような仕方で表現しました。
つまり、プロティノスはプラトンと同様な道を辿りながらプラトンを越えたところまで上昇して、再度下降してくるのです。
これはアルビノスの言う「肯定の道」と「否定の道」を総合するものかもしれません。

また、アリストテレスが至高存在を「思考の思考」として捉えましたが、これは直観的な思考を行う存在と、その思考される対象の2つが一体になっていると言う意味です。
つまり、自己を対象とした思考です。

ですが、プロティノスの「一者」はこの思考を生み出す「原因」であり、思考の「主体」でも「対象」でもありません。
彼はこれを絶対的に「一」なる思考として、「絶対思考」とも表現しました。 

アリストテレスが至高存在をあらゆる形相が実現した完全現実態としたのに対して、プロティノスの一者は形相を超えた、形相が存在しない「無(無相)」なのです。
それは、「無限定」であり、「存在」以前であり、「認識」以前でもあります。

ですが、プロティノスの一者は決して形相を受け入れる素材(質料)ではなく、その「原因」、それを生み出す存在です。
プロティノスの階層では最上部において形相がなくなるのですから、彼の哲学はプラトン、アリストテレスの哲学を受け継ぎながら、彼らにように形相を絶対視しないのです。


<存在の階層>

プロティノスは世界をプラトン同様に「霊的知性界(叡智界)」と「物質界(感性界)」の2つに大きく分けました。
そして、叡智界は「一者」、「ヌース(霊的知性)」、「魂」の3つからなります。 
 
「ヌース」の世界は、すべての部分がすべてを含んでいて(部分即全体)、すべてがすべてに対して透明で明瞭な世界です。
ですから、すべての相手の中に自分を見るような世界なのです。

この世界観は、インドから伝わった仏教の「華厳経」の影響かもしれません。
当時、クシャーナ朝は西方に向けて仏教を積極的に布教していました。

「ヌース」は全体として一体の存在ですが、そのいくつかの側面、段階を分けて考えることはできます。

「一者」はまず、「ヌース」を質料的な存在として「流出(発出、プロオドス)」、つまり、自らの中から生み出します。
この流出されたばかりの「ヌース」は、形相を欠いた「叡智的質料(ヌース質料)」です。

これは、プラトンの不問の教説の「不定の二」に類した存在です。
現代の研究者はこの段階の「ヌース」を「未完のヌース」とも表現します。
この段階の「ヌース」は、「一者」の運動、作用であるとも、「一者」に触れている状態であるとも表現されます。
「一者」と「未完のヌース」は無相という点では共通しますが、「一者」は形相を超えているのに対して、「未完のヌース」は形相を欠いているのです。

この「ヌース」は「認識(思考)」、あるいは「認識(思考)作用」です。
一方、「一者」は「ヌース」の「原因」であり、「認識(思考)原因」です。

次に、この無形の「ヌース」は、「一者」の方を「振り向き」、「一者」を対象化します。
これによって、「ヌース」は「一者」を「映像化」し、自らの中に「形相」を生み出します。

次に、「ヌース」は、自分自身である「形相」を対象として自己認識し、自分を「形相」として形作ります。
「ヌース」は「認識(思考)主体」であり「認識(思考)対象」である存在になります。
こうして、形相の存在世界としての「霊的知性界」が作られます。

このように、「ヌース」には「認識作用(叡智的質料)」と、「認識主体・対象(形相)」という側面があります。

グノーシス主義が最初の創造を、「認識主体」と「対象(像)」の分離と考えたように、プロティノスも原初の創造を分離として考えています。
ですが、そこには、「一者」を対象とした振り返り(認識の創造過程)である一者の自己反省と、「ヌース」自身の自己認識の過程があります。


次に、「ヌース」は「一者」、あるいは、「ヌース」自身を見ることで下位の存在である「魂」を創造します。
「ヌース」は、「魂」の世界を創造するという側面から見ると「創造神(デミウルゴス)」です。
また、この創造の模範という側面から見ると「イデア」です。

そして、霊的知性の世界から生まれて魂を形作るものが「ロゴス」です。
「ロゴス」は生命なき自然にも浸透しますが、特に生命を形作る「ロゴス」は、ストアの言葉である「種子的ロゴス」で表現されます。
 
「魂」には、3種類の「魂」が存在します。
「魂」の本来の場所である叡智界に存在したままの清浄な存在で、すべての魂の根源になる「純粋霊魂(全体霊魂)」。
それから生まれて物質界に下降していはいますが、それからほとんど離れていない宇宙全体の魂である「世界霊魂」。
そして「純粋霊魂」から離れてしまっている星や人間、動植物のような個的な生物の魂である「個別霊魂」です。

「純粋霊魂」は「ヌース」とほとんど同次元の存在で、その女性的側面であるとも考えられます。
また、「世界霊魂」と「個別霊魂」は「姉妹」の関係にあると表現されます。
「ヌース」は「父」とも表現されるので、「純粋霊魂」は「母」と表現できるかもしれません。

ちなみに、プロティノスは、ギリシャ神話を解釈して、天神ウラノスを「一者」、クロノスを「ヌース」、ゼウスを「世界霊魂」に相当する存在と考えました。
また、ゼウスを「ヌース」、アフロディテを「純粋霊魂」に相当するとしていることもあります。

また、プロティノスは「魂」は単純に下位の存在ほど劣るというわけではなく、下位の存在はその分、宇宙的な法則に従っていると考えました。
例えば、「植物魂」は「世界霊魂」から直接生まれるのです。

人間の「魂」に関しては、プロティノスは、新プラトン主義の伝統にさからって、霊魂の一部が常に霊的知性界に残っていると考えました。
ここには、霊魂の本質は宇宙の外の神の世界にあるとしたグノーシス主義の影響があるかもしれません。

また、人間の「魂」は死後に一旦、叡智界に戻りますが、因果の法則によってまた物質界に生まれ変わります。
 
このように「魂」の上部の一部は叡智界に留まり、下部は物質界に下ります。
そして、上の向いては「ヌース」を観照し、下を向いては「質料」に生命を与えて支配します。

物質界を生むのは、「魂」の中の最下部にあたる「植物魂」です。
「植物魂」はまず、暗黒の無形の物質世界を生み、2度目にこれを見て形を与えてその中に入ります。
通常は下位の存在が上位の存在を振り返るのですが、存在の最下位である「質料」にはこれができないので、「植物魂」が見るのです。
 
物質的な自然は形を持たない最下位の存在である「質料」から構成されます。

プロティノスは「質料」を、「魂」が働くための単なる「場所」、「魂」を写す「鏡」のような存在と考えました。
そして、この「質料」は「闇」であり、「悪」なのです。

ですが、彼は、「質料」を非存在と考えました。
つまり、プロティノスは、「形相/質料」、「光/闇」、「善/悪」という2元論的な見方をしているようでありながらも、後者を非存在としているので、一元論なのです。
この点で、ペルシャ思想やグノーシス主義のような実体としての悪を原理とする二元論とは異なります。


pro_cosmos.jpg

プロティノスの流出と帰還」に続きます。


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