秘儀宗教としてのキリスト教 [古代ユダヤ&キリスト教]
「死して復活する救済の神」というキリスト教のイエス像は、ユダヤ的伝統には存在せず、そこにはオリエント・ギリシャの秘儀宗教からの影響もあったと推測されます。
キリスト教は信仰だけではなく、「洗礼」と「聖餐」という秘儀(秘跡)を行うことによって救われると考えましたが、ここにも秘儀宗教の影響を考えることができます。
ですが、正典福音書も含めて、福音書にはこの2つの秘儀以外にも他の秘儀を明記したり、ほのめかしたりするものがあります。
例えば、正典ではありませんが、キリスト教グノーシス主義のヴァレンティノス派と思われる『フィリポ福音書』は、「洗礼」、「塗油」、「聖餐」、「救済(解放)」、「花嫁の部屋」という5つの儀式をあげます。
初期のキリスト教の中には、秘儀宗教やグノーシス主義の影響を受けた秘教的集団があったことは確かです。
<洗礼と聖餐>
キリスト教の、聖水を振り掛ける「洗礼」の秘跡は、直接的にはユダヤ系のクムラン教団や洗礼者ヨハネに由来しているでしょう。
「洗礼」は一種のイニシエーションですが、それは不死性と復活の霊を与えるものです。
ですが、洗礼者ヨハネの流水に浸かる一度きりの洗礼の方法は、秘儀宗教が行っていた方法でもありました。
パンとワインの「聖餐」の秘跡は、直接的にはクムラン教団に由来するのかもしれませんが、その本来の意味は、ゾロアスター教に由来する終末時に永遠の生命を得る饗宴の先取りです。
ですが、パンとワインをイエス(死して復活する神)の肉と血と見なすという見方は、秘儀宗教の思想で、その本質は、神への一体化、神の受難の追体験です。
<復活儀礼と塗油>
4つの正典福音書に書かれる「塗油(注油)」にも、秘儀宗教の影響を読み取ることができます。
細かい違いはありますが、正典福音書ではベタニアのマリアがイエスに「頭に注油」、もしくは「足に塗油」します。
男性の弟子達はこれらの行為の意味を理解できませんが、イエスはこれが「埋葬の準備」としての重要な行為であると述べます。
ユダヤ語の「メシア」とギリシャ語の「キリスト」は「注油(塗油)された者」という意味です。
注油する者は一介の女性ではありえません。
キリスト教グノーシス主義では、至高神が独り子に「塗油」してキリストにします。
足への「塗油」はユダヤにおいては、埋葬の習慣です。
ですが、ベタニアのマリアはイエスが生きているうちに行っています。
グノーシス主義では、葬儀においても「塗油(注油)」が行われましたが、それは神の元に戻るためのものでした。
エジプトでは「塗油」は復活への呪術であって、イシス女神がオシリス神を復活させた神話に由来します。
ですから、イエスをめぐる「注油」や「塗油」の背景には、女性が司祭的な役割を行う復活の秘儀の観念があるのではないでしょうか。
正典福音書では、男性の弟子ではなくマグダラのマリアら数人の女性だけがイエスの十字架上の死と埋葬に立ち会います。
そして、彼女は復活したイエスを最初に目撃します。
この「死と復活」は、ベタニアのマリアの「塗油」と一連の意味を持っているのでしょう。
つまり、マリア達は、イシスらエジプトの女神がオシリスに対して行った死と復活を司る秘儀的な女性司祭の役割を、イエスに対して行ったと解釈できるのです。
エジプトではイシスとネフティスという2人の女神が死者の頭側と足側に立ち、死者は彼女らによってオシリスとして復活します。
『ルカ福音書』では「輝く衣の2人」、『ヨハネ福音書』では「白衣の2人の天使」が墓場のイエスの側に登場し、後者の2人の天使もイエスの遺体の頭側と足側に立ちます。
これら福音書に登場する2人(の天使)の意味は、女性司祭の役割を果たした「マグダラのマリア」ら2人の女性に降りた女神イシスとネフティスとして解釈することができます。
ですが、『マルコ福音書』では「白衣の若者」、『マタイ福音書』では「白衣の天使」が一人だけで登場します。
秘儀宗教的な解釈では、これらは復活した神、霊魂の本来的な神性の象徴で、「若者(子供)」というのは多くのオリエントの秘儀宗教の復活する神の性質と共通します。
<インナー・サークル>
イエスの最初の弟子達が持っていたと推測される語録福音書「Q」によれば、イエスの教えはギリシャ哲学のキュニコス派の思想に近いもので、宗教ですらありません。
イエスが秘儀的な思想を持っていて、一般信者と別に、一部の秘儀伝授を受けたインナー・サークルの弟子達がいた証拠はありません。
ですが、その一方で、このように正典福音書にも秘儀宗教の影響があるので、少なくとも後の信者達の間には、秘教的に解釈した者がいたことは確かです。
正典福音書の著者が意図して創作したのか、他の資料から取り込んだのかは分かりませんし、その意味をどれだけ理解していたかも分かりません。
ですが、インナー・サークルのメンバーとされたのは、マグダラのマリア、ベタニアのマリア、そしてサロメ、ラザロ、トマスらであって、ペテロ、ヤコブ、マタイなどのキリスト教教会が権威の源泉とした人物や正典福音書の著者達ではありません。
秘教的な信者からすれば、イエスの十字架上の死と復活は、秘儀宗教が秘儀として上演してきた儀式を、公開して現実に実行したものです。
そして、イエスとインナー・サークルの弟子たちが、これを仕組んだのです。
<聖婚儀礼と花嫁の部屋>
正典からはずされたグノーシス主義系の『トマス福音書』ではサロメが、『フィリポ福音書』や『マリア福音書』ではマグダラのマリアが、イエスの性的パートナーであるとほのめかし、また、「花嫁の部屋」と呼ばれる秘儀についても書いています。
これは、単なる性的なパートナーではなく、「聖婚」に関わるような秘儀的なパートナーという意味です。
ヘレニズム期のオリエント系の女神の神殿には、女神に仕えその化身とされる神殿付属の「聖娼」がいました。
彼女達は一種の女性司祭であって男性信者に「塗油」と性的な儀式を行うことによって、女神の神性を男性信者に与えてイニシエーションを施しました。
秘儀宗教的には、女性の性的パートナーは、女性司祭として「聖婚」の儀礼によって霊性を与える役割です。
その逆に、キリスト教グノーシス主義では、女性は堕天して人間の中に堕ちた神性である「ソフィア(智慧)」の象徴であり、「娼婦」とも形容されます。
そして、イエスは、それを啓示して救う存在です。
キリスト教からグノーシス主義の始祖とされるシモン・マゴスは娼婦ヘレナを連れていましたが、この二人はこの関係にあります。
ヴァレンティノス派グノーシス主義が行っていたとされる「花嫁の部屋」の秘儀は、どのようなものか分かりません。
ですが、神話的には、人間の霊魂が、その本来的な神性への認識を得て、神の世界(プレローマ)に戻り、天使とカップルになって一体となることを意味します。
これは、両性具有的存在に戻ることでもあります。
性的儀礼や、接吻儀礼だった可能性もありますが、葬儀として行われたようです。
ですが、いずれにせよ、神的な女性原理を顕現・復活させる秘儀であるという点で、本質的には同じです。
ですから、イエスに対してマグダラのマリアらが行った「塗油」は「聖婚」と等価です。
マグダラのマリアは、女性蔑視の強い正統派のキリスト教会から逃れて、南フランス地方へと伝道したという伝説があります。
そうでないとしても、実際にこの地に、マグダラのマリアを信仰する一派が存在しました。
この派は、イシスなどのオリエントの女神を受け継ぐ「黒い聖母像」を持つという特徴を持っています。
ユダヤ教のヘレニズム化と女神信仰 [古代ユダヤ&キリスト教]
ユダヤ教は、バビロン捕囚から、バビロニアのペルシャ支配、ヘレニズム期にかけて、バビロニア、ペルシャ、エジプト、ギリシャなどの様々な宗教の影響を受けました。
ユダヤ教は、本来、女性原理を否定的に捉える宗教でしたが、このヘレニズム化の過程で、オリエントの女神信仰の影響を受けた神話や、ペルシャ由来の終末論の影響を受けた神話が生まれました。
そして、秘教化した集団も生まれました。
<女性原理を否定的に見るユダヤ教神話>
旧約聖書の「創世紀」では、アダムの肋骨から「女」を作ったと語られます。
これは、女性が男性よりも下位の存在であることを表現しています。
また、エヴァは、蛇の誘惑によって神の命令を破り、知恵の実を食べ、それをアダムにも渡したため、人間の失楽園の原因となりました。
ここでは、女性は否定的な存在として描かれます。
また、旧約には、「神の子」と表現されている「グリゴリ」という名の堕落天使の一族が存在して、人間の女性との間に「ネフィリム」という種族の様々な巨人達を生んだという神話があります。
ここでも、女性は、否定的な存在として描かれます。
このように、ユダヤ教には、女性(女性原理)を否定的に捉える傾向が強くありました。
<神的な女性原理>
ユダヤ教が女性原理を否定的に捉え、女神信仰を持たなかったことは、周りのオリエントの諸宗教と差別化された特徴です。
出エジプトの後にパレスチナに至ってからは、地元のカナン人の豊穣の地母神のアナトを信仰する農耕的な宗教との争いも経験しています。
ですが、徐々に、それらの影響を受けてか、神的な女性原理を認めるようになりました。
ユダヤ語では女性名詞であり、人格化されて考えられた「聖霊(ルーアハ・ハコーデシュ)」、「知恵(ホクマー)」、「住居(シェキナー)」などです。
「聖霊」は人間に霊感や生命を与える存在です。
キリスト教は、後に、「聖霊」を男性原理にして取り入れました。
キリスト教もまた、女性原理を否定的に捉える宗教です。
「知恵(ホクマー)」に関する神話は、旧約の「箴言(ソロモン王の知恵)」や外典の「知恵の書」などの「知恵文学」と呼ばれる書で語られます。
「知恵」の観念には各地のオリエントの女神(イシス、マアト、アナーヒター、アシェラ)の影響が推測されます。
また逆に、グノーシス主義の「知恵(ソフィア)」や、キリスト教の「言葉(ロゴス)」に影響を与えたと推測されます。
この「知恵」は宇宙の創造以前から神のそばにいて、神の光を反映する鏡であり、宇宙創造の原型となった存在です。
と同時に、宇宙に内在してその秩序を司る存在です。
そして、また、「知恵」は預言者を導き、人々に語りかけます。
「知恵」は理性的な知恵ではなくて霊的・直観的な知恵なので、「善悪を知る樹」よりも「生命の樹」に相当する存在で、人に生命を、霊を与えます。
この知恵文学の「知恵」は、グノーシス主義の「知恵」のようには堕落しません。
逆に、社会が堕落した時、社会から離れて天に戻ってしまいます。
「知恵」は後に、ユダヤ神秘主義カバラのセフィロートの一つとしれ取り入れられました。
「シェキナー」は、「住居」や「輝き」という性質を持っています。
これは、「知恵」や「聖霊」と似た神的女性原理であり、神の回りにあると共に宇宙に遍在します。
ですが、人が悪の行為を行ったり、社会が無秩序になったりした時、遠ざかってしいます。
一説によれば、「シェキナー」はもともと地上にいましたが、アダム以降の人間が罪を犯すにしたがって天高く昇っていってしまったと言います。
カバラでは、逆に、この「シェキナー」は、もともと神と一体の存在でしたが、神から分離されて堕落してしまったので、これを再度、神と合一させなければいけないと考えます。
ここには、グノーシス主義の「ソフィア」の影響があるかもしれません。
<ユダヤ教のヘレニズム的秘教化>
ユダヤ人はバビロニアによる捕囚され、バビロニアがペルシャの支配可下に入って以降、おそらくゾロアスター教やズルワン主義の影響を受けて、善悪2元論と終末論の思想を取り入れました。
そして、それまでは人間の信仰心を試す天使的存在だった「サタン」が、神に対立する「悪神」と考えられるようになりました。
また、霊的な体験の中で見た終末のヴィジョンなどを語る「黙示録」が現われました。
終末にはユダヤ人だけでなくて全人類が救われるとする考えも現われて、後のキリスト教が生まれる土台となりました。
また、アレキサンダー以降のヘレニズム期になると、秘儀宗教やギリシャ哲学などの影響を受けて、ヘレニズム化した人々も生まれました。
こうして、終末論的な独自の世界観を持って伝統的なユダヤ社会と離れた集団がいくつか生まれました。
その中には、死海写本で知られるようになった「クムラン教団」や「洗礼者ヨハネの教団」、そして、グノーシス主義的な傾向を持った「シモンの教団」や「マンダ教」などがあります。
キリスト教が禁欲的でもなく、万人に向かって説かれたのに対して、これらの集団は、禁欲的な隠遁生活を送り、その奥義を一部の人間にしか明かさないという秘教的な傾向を持っていました。
彼らは「ナジール(ナザレ)人」と呼ばれましたが、これは「秘儀を守る者」といった意味です。
イエスが「ナザレのイエス」と呼ばれたのも、ナザレ地方出身という意味ではなく、この意味だったのかもしれません。
エジプトのアマルナ革命とユダヤ教の起源 [古代ユダヤ&キリスト教]
このページでは、ヘブライ語学者でラビの家系に生まれたメソド・サバとロジェ・サバが、「出エジプト記の秘密」(2000)で説いた、ユダヤ教の起源に関する説を紹介します。
エジプトの当時の記録には、ユダヤ人に関する記述は一切なく、旧約が語る出エジプトのような歴史的事実があったとは考えられません。
かつて、精神分析学のジークムント・フロイトが、モーゼはエジプト人であり、ユダヤ教はアテン信仰だったと推測しました。
サバの主張は、これをアラム語の旧約聖書(公認の最古の翻訳聖書)とエジプトの資料を根拠として深めたものです。
サバは、ユダヤ教とユダヤ人の起源が、アテン信仰とその神官・信者であり、反宗教改革によって追放されたのが出エジプトの実態であったと説きます。
<アマルナ革命>
古代エジプトは伝統的に多神教ですが、新王国第18王朝の第10代王のアメンホテプ4世(=アクエンアテン=ネフェルペルウラー、BC1353-1336年頃)が、おそらく人類初の一神教的な宗教改革を断行しました。
これは、「アマルナ革命」を呼ばれ、アテン(アトン)神を信仰し、この神に捧げられた都市アケトアテン(現アマルナ)を建設し、首都をここに移転しました。
その背景には、旧都テーベで、強力な権力を持っていたアメン神官の力を削ぎ、アテン神の化身として、王の神聖さを復活させる目的がありました。
アメン(アモン、アムン)神は、当時のエジプトの多神教の中心となる神です。
テーベの主神で、「隠れたる者」の意味であり、男根として表現されることがあり、戦勝を祈願する神でした。
これに対して、アテン神は、もともとマイナーな地方の太陽神であり、太陽円盤をかぶる隼の姿で表現され、平和と恵みの神とされました。
アマルナ革命以降は、太陽円盤から多数の女性の手を伸ばした太陽光の神として表現されました。
アメンホテプ4世は、自身で大小の「アテン讃歌」を作りました。
ちなみに、これが旧約の「詩編104編」と類似しているとの指摘もあります。
アテン信仰には、王の家族のための宗教という傾向があり、王と王妃だけが直接、この神に接触できました。
ですが、アテン信仰では人間を平等とし、魔術を禁止しました。
また、アマルナ時代の美術は、動・植物などを写実的に表現しました。
そして、従来のエジプトの神殿の至聖所は、屋根のある暗い部屋でしたが、アテン神殿では屋外で太陽光が当たる場所にしました。
このように、アマルナ革命には、当時のエジプトでは考えられないような多数の革命が行われ、そこには進歩的な側面がありました。
<アマルナ王家>
アテン神の信仰は、アメンホテプ3世が重視し、アメンホテプ4世によって一神教化されました。
ちなみに、アメンホテプ3世の時代の改革派のアテン神官に、モーセ(モーゼに似ています)という名の神官がいます。
アテン神を信仰してアマルナを首都としたアメンホテプ4世からアイまでの王は、アマルナ王家を呼ばれ、後に、エジプトの宗教的伝統に反逆したとして王名表から削らました。
ですが、アマルナ王家のエジプトは、平和的な時代です。
それに対して、アメンホテプ三世以前のエジプトは積極的に軍事侵攻をしましたし、アマルナ王家から代わって王となったホルエムヘブも次のラムセス1世も軍人で、以降、王に軍人の属性が生まれした。
アマルナ王家の継承関係は、アメンホテプ4世→スメンクカーラー→ツタンカーメン→アイとされますが、はっきりとは分かりません。
アメンホテプ4世の王妃ネフェルティティは、王と同格なほどの絶大な権力を持ち、一時、共同統治も行ったかもしれません。
彼女の祖父母は、おそらく西アジア出身です。
アメンホテプ4世の後を継いだスメンクカーラーの正体ははっきりせず、普通に考えるとツタンカーメンの兄ですが、ネフェルティティが男性王として名乗った名の可能性も指摘されています。
ちなみに、アマルナ王家は、王族の肖像を両性具有で表現していました。
次のツタンカーメン(BC1342-1324年頃)は、アメンホテプ4世の息子ですが、ツタンカーメンの母は不明です。
ネフェルティティの子には娘しかなかったのです。
ツタンカーメンは、最初、「トゥト・アンク・アテン」を名乗りましたが、これは「アテン神の生きた似像」、つまり、化身という意味です。
ツタンカーメンは、アメン神へ改宗し、同時に、「トゥト・アンク・アメン(ツタンカーメン)」に改名しました。
ツタンカーメンには息子がおらず、軍人のホルエムヘブを後継指名していました。
次のアイ(=ケペルケペルウラー、アイは王の父という称号、BC1323-1319年頃)は、アメンホテプ3世の王妃の兄で、ひょっとしたらネフェルティティの父かもしれないと指摘されています。
彼は、ツタンカーメン王の宰相で、アマルナ王家の長老的人物でした。
彼の墓にはアテン讃歌が彫られているので、アテン神と信仰していたのでしょう。
彼は、アテン信仰とアマルナ王家を守るために、ホルエムヘブへの継承をやめさせて、老齢にもかかわらずに無理やり即位したと推測されます。
<反革命と出エジプト>
サバは、アイが、ツタンカーメンにアメン(多神教)信仰への復帰を決意させたと推測しています。
だとすれば、それは止むなくのことであったのでしょう。
もしかしたら、アイは反対した可能性もあるでしょう。
そして、アイは、アテン信者を、アケトアテンからエジプトの辺境の属国であるカナンに移住させました。
移住はアテン神官が率いましたが、モーゼに相当する歴史的人物は記録にありません。
ちなみに、アラム語の旧約には、モーゼをエジプト語で「神の息子」と表現し、ユダヤ人とは書いていません。
サバは、アイがモーゼのモデルの一人だと考えます。
アイはアテン信者の前ではアテン神の化身として振る舞ったはずです。
サバは、他にも旧約の主要人物のモデルを、下記のようにエジプトの王に当てはめています。
・アブラハム:アメンホテプ4世
・ヨセフ :アイ
・モーゼ :アイ、19王朝を開いたラムセス1世、
<イスラエルとユダ>
追放されたアテン神官達は、「ヤフウド」と呼ばれ、ユダ族になりました。
一方、他の雑多な信者達は「イスラエル」を作りました。
アラム語の聖書は「ヤフウド」と下層の「イスラエルの子ら」を区別しています。
エジプトでは王は神の化身で、アメンホテプ3世は「ヤフー」と呼ばれ、神=「ヤフー」でした。
これが「ヤフウド」の神の名「ヤーヴェ」の語源になりました。
神の4文字の本来の発音は、「ヤフウ(ヤフウヘ)」でした。
一方、「イスラエルの子ら」の神の名が「イェホヴァ」でした。
ただ、旧約の神の属性には、アテン神の属性はほとんど見られません。
カナン、バビロニアに移って以降、大きく変質したのでしょうか?
<ヘブライ語アルファベットのエジプト宗教由来の意味>
サバによれば、ヘブライ語アルファベットは、フェニキアの22文字のアルファベットのシステムを取り入れたものです。
ですが、各文字はフェニキア文字と似ておらず、ヒエログリフをもとにして作られました。
そして、サバは、エジプトの宗教に基づく各アルファベットの本来の意味を、下記のように解きました。
アレフ :アテン神、アメン神
ベート :世界内の神の内的活動
ギメル :ファラオ
ダレット:神(アドナイ)
へー :ファラオの5つの名
ヴァヴ :角のある蛇
ザイン :プタハ神の杖
ヘット :アテンの首都アケト
テット :トート神
ユッド :ピラミッドの中の王
ハフ :生命力カー、オシリスの王杖
ラメド :王の蛇形記章
メム :アメンの妻ムウト女神であるハゲワシ
ヌン :原初の海
サメフ :昼夜循環としての蛇
アイン :王杖を持つプタハ神
べヘイ :神聖な言葉を発するプタハ神の口
ツァディ:アクエンアテン王
コフ :原初の蛇
レーシュ:ラー神
シン :葦原
タヴ :雌牛であるハトホル女神
ヨーロッパの神秘主義者の中には、モーゼがエジプトの秘教を奪って、それがカバラになった、といった説を唱えた人もいましたが、このように、アルファベットの中にもエジプトの宗教の影響があるとすると、その説もまったくの間違いとは言えないのかもしれません。
ですが、3世紀頃のカバラにつながる書「形成の書(セフィール・イエツラー)」に書かれたアルファベットの象徴と比較すると、ほとんど共通する意味は見いだせません。
1500年以上の開きがありますから、その間に失われたのでしょうか。
イエスの思想とキリスト教神話 [古代ユダヤ&キリスト教]
イエスの実在性や生涯について、キリスト教の福音書など以外には、客観的な歴史的記録は存在しません。
ですが、ドイツ、スイス系の聖書学の成果によって、イエスその人の思想は、ギリシャ哲学の一派の「キュニコス派(犬儒派・犬学派)」の思想に近いものだということが判明しています。
その思想は、一切の社会的な因習などを否定して、必要最小限の生活をするというものです。
ここには、宗教性も神秘主義性もほとんどありません。
ですが、キリスト教の原点を理解することは重要ですので、このテーマを扱います。
キリスト教は、イエスの死後、様々な地域、様々な年代に、様々な人々によって、イエスと使徒に関する伝説や神話が作られて誕生しました。
それらには、ユダヤ教の神話・叙事詩の曲解や、ゾロアスター教の終末論、オリエントの秘儀宗教の影響が感じられます。
<語録福音書Q>
キリスト教の起源になった、ガリラヤで活動したヨシュアという名前のユダヤ人(以下、イエスと表記)は、おそらく存在したのでしょう。
新約聖書にはイエスの物語を記した『マルコ』、『マタイ』、『ルカ』、『ヨハネ』の4つの福音書が収録されています。
ただし、これらのように正典とはされずに、そこから外された福音書はその10倍以上存在します。
それぞれの福音書は書かれた年代、場所、思想が異なります。
最初の3つの正典福音書は内容的に似ていて『共観福音書』と呼ばれます。
また、1945年にはナグハマディで新たに発見された『トマス福音書』は、語録形式の福音書で、正典の福音書以上に古い語録を多く含んでいることが推測されました。
『共観福音書』や『トマス福音書』などを詳細に比較した結果、これらの著者が参考にした古いイエスの語録が存在したことが推測されました。
聖書学者はその失われた福音書を『Q(Q資料)』と名付けました。
さらに研究の発達の結果、『Q』には3つの発展段階『Q1』、『Q2』、『Q3』が考えられるようになりました。
『Q1』は、イエスが活動していたガリラヤの弟子たちが持っていた最初のイエスの語録集で、それが後の福音書の資料となりました。
<イエスの思想>
『Q』では、イエスの復活はもちろん、死についても、奇跡物語についても語られません。
特に、『Q1』は、宗教化される前の、初期(50年代)のイエス運動を反映しているのでしょう。
これがイエスの思想に近いものであると推測するのが合理的です。
最初の弟子たちは、元々、イエスの復活の神話を信じない、非宗教的な弟子の集団でした
ですから、弟子はイエスを「先生」と呼んでいて、救世主や預言者、ましてや神の子や神とは思っていませんでした。
先に書いたように、『Q』の語録が示すイエスの思想は、「キュニコス派」に近いものです。
「キュニコス派」は、ギリシャ哲学の一派で、ストア派がその先駆としている派です。
一切の社会的な因習を否定して、必要最小限な生活しようという思想を持っています。
イエスが生きたヘレニズム時代に特徴的な思想的課題は、諸民族が過去の因習に捉われず、自由な個人として一緒に生活する共同体(=神の国)を探求することでした。
イエスが活動した当時のガリラヤは、ヘレニズム的な国際性を持った都市で、政治的にも宗教的にも権力が存在しない諸国の緩衝的地帯でした。
つまり、ガリラヤは、ヘレニズム的な自由が最も追求可能な場所でした。
「キュニコス派の教師」という『Q1』のイエス像は、このガリラヤの状況にマッチします。
『Q2』、『Q3』は、イエス運動がガリラヤから外に出る過程で変質したものです。
他の福音書やキリスト教の神話も、ガリラヤ以外の地で生まれまたものです。
『Q1』の内容を分かりやすくまとめると、次のようになります。
敵を愛せ。
愛してくれる人を愛したとしてそれが何だ。
家族を憎まない者は私の弟子にはなれない。
持っているものは蓄えず、見返りを期待せずに与えよ。
蓄えを知らない動物でも、神はちゃんと養ってくれるのだから、心配はいらない。
そのように生きる者の心は、豊な神の王国にある。
このように、「神の王国」は死後や未来の話ではなく、今、現実できるものです。
*復元された『Q』は、『失われた福音書』(バートン・L・マック)で読めます。
<キリスト教の神話>
ユダヤ-ローマ戦争(66-73年)を経て、イエス運動は大きく変化し、ガラリアから北パレスチナに移動していきました。
『Q2』では、洗礼者ヨハネが登場し、また、この時代への審判、最後の審判が語られるようになります。
そして、『Q3』では、人々との論争から身を引くことを語り、集団が孤立傾向が強めたことが分かります。
『Q』以外の集団でも、教師だったイエスは神話化され、非宗教的だったイエス運動は、宗教化されてキリスト教となっていきました。
イエスの奇跡物語は、戦争以前に北パレスチナで生まれました。
戦争後の80年代には、南シリアで『マルコ福音書』が作られ、イエスの生涯の物語が作られました。
正統派キリスト教の神話は、4つの福音書、『ヨハネ黙示録』、『パウロの手紙』などをもとに作られた、次のようなものです。
イエスは、「神の一人子」あるいは「言葉(ロゴス)」と呼ばれる神であり、聖霊と処女によって原罪を持たない存在として地上に受肉し、様々な「癒しの奇跡」などを行い、「預言者」として神による「審判の告知」を行い、迫害を受け、人々の原罪の「贖い」のために死に、「復活」して父なる神の元に「昇天」し、モーゼのもたらした律法に代わる新たな愛の契約をユダヤ人以外の人間にももたらした。
そして、イエスは、父なる神をして正しい人々に「救いの霊」、「真理の霊」である聖霊を送り、終末には白馬の乗った騎士の姿のメシアとして再来し、悪を一時、撃退して1000年間の神聖な統治(千年王国)を行い、その後、悪を最終的に撃退し、人々を裁き(最後の審判)、天から降りてくる「新しいエルサレム(神の国)」を統治する。
イエスをキリストとする神話には、ユダヤ教の様々な神話的人物像が合成されています。
旧約聖書の「列王記」の昇天した預言者エリア、「イザヤ書」のメシア、あがないのため苦難を受ける僕=小羊、癒しを行う者、神の審判を告知する預言者、「ヨナ書」のあがないのため3日間魚に飲まれて解放された者、「ダニエル書」の終末に神の国を受け継ぐ「人の子」などです。
また、ユダヤ教経由かもしれませんが、処女懐胎や、終末論には多くの点でゾロアスター教の神話の影響があります。
そして、「死して復活する救済の神」という部分は、ユダヤの伝統ではなく、オリエント・ギリシャの秘儀宗教の神話の影響でしょう。
ですが、キリスト教でのその「贖い」、「終末における復活の約束」という意味づけは異なります。
秘儀宗教は個人の霊魂の内部に神性を見出すことを求め、ゾロアスター教は信仰よりも善を行うことを求めるのに対して、キリスト教はイエス・キリストを信じて教会に加わることを求めます。
偽ディオニシオスと天使の位階 [古代ユダヤ&キリスト教]
教父哲学を締めくくる重要な人物であるディオニシオス・アレオパギテス(偽ディオニシオス)は、プロクロスの影響を受けながら新プラトン主義をキリスト教化して、また、独自の天使論を生み出したことで後世に影響を与えました。
彼は5-6Cのシリアの教父だと推測されていますが、高名なパウロの弟子であるディオニシオス・アレオパギテスを名乗って著作して、中世を通じてこれが信じられたので、彼の著作はとても重視されました。
そして、逆に新プラトン主義の方が彼の影響を受けたのだと考えられました。
偽ディオニシオスが初めて階層という意味の「ヒエラルキア」という言葉を使いました。
彼は世界は順次上位の存在から下位の存在が生み出されたのではなくて、すべては直接神によって創造されたと考えました。
ですが、すべての存在はその階層の能力に応じて神の似像となり、神を目指すのです。
また、その階層の能力に応じて他者を照らし(神を伝えて神に導き)ます。
そして、階層のすべては神の象徴であって、象徴を超えた表現できない神へと導きます。
また、偽ディオニシオスは中期プラトン主義のアルビノスの「否定の道/上昇の道/類比の道」をキリスト教化して、「否定神学/肯定神学/象徴神学」を位置付けました。
興味深いのは、肯定神学で神を表現する場合、プラトン主義同様、「善」、「存在」、「生命」、「知性」などがまず考えられるのですが、それぞれが3段階で考えられている点です。
つまり、例えば「先存在(存在以前の存在)/存在そのもの/存在するもの」という3段階があるのです。
偽ディオニシオスは「3」を聖数として、3分割を3重に考えて位階を考えました。
彼にとってこの「3」は「完成/照明/浄化」という性質を持っています。
3分割の最上部は「完成」、中央は「照明」、最下部は「浄化」という性格を持つのです。
これはプロティノスの「合一/観照/浄化」をキリスト教化したものです。
まず、被造物を新プラトン主義の「霊的直観/魂/感覚界」の3位階に対応して「天使/人間/事物」に分け、それぞれを「天使の位階/教会の位階/律法の位階」として考えました。
そして、それぞれの位階はさらに3×3の9段階に分けられます。
新約聖書には天使に関してはほとんど記述されていません。
キリスト教では4世紀に天使の崇拝が偶像崇拝として禁止されましたが、8世紀に東ローマ世界世界では大天使の崇拝だけが許されました。
偽ディオニシオスが「天上位階論」で天使論を体系化したのはちょうどその間の6世紀頃です。
彼が天使の階層を体系化したのは、異教のダイモン信仰に対抗するためでしょう。
偽ディオニシオス以前にすでに9種類の天使が数えられていました。
また、ルシファーの堕落(多分、アフリマンの堕天やシリアの明けの明星の神の堕落の神話がオリジナル)、堕天使と良い天使の2分、天使の知的性質などが論じられるようになっていました。
偽ディオニシオスは天使を肉体を持たない知的存在だと考えました。
天使は新プラトン主義のヌースが「有/生命/知性」に3分割されることに対応して、「存在/力(軍)/知性」の3つ階層(側面)に分けられます。
そして、おそらく新プラトン主義でそれぞれの階層が、「限定/非限定/混合」に3分割されることに対応して、さらに3分割されます。
偽ディオニシオスの天使の位階は上から順に以下の通りです。
(偽ディオニシオスの天使の位階) | ||||
完成 | 完成 ・ 存在 | 完成 | 天使の位階 | 熾天使(セラフィム) |
照明 | 智天使(ケルビム) | |||
浄化 | 座天使(トロウンズ、オファニム) | |||
照明 ・ 力 | 完成 | 主天使(ドミニオンズ) | ||
照明 | 力天使(ヴァチューズ) | |||
浄化 | 能天使(パワーズ) | |||
浄化 ・ 知性 | 完成 | 権天使(プリンシバリティーズ) | ||
照明 | 大天使(アークエンジェルズ) | |||
浄化 | 天使 (エンジェルズ) | |||
照明 | 教会の位階 | |||
浄化 | 律法の位階 |
これらのうち座天使、主天使、力天使、能天使、権天使はパウロに、熾天使、智天使、大天使、天使は旧約聖書に由来します。
熾天使は「火を発する者」、智天使は「知恵を発する者」、座天使は「玉座」という意味を持ちます。
通常、熾天使は1(4)頭6翼で、智天使は4頭6(4)翼、座天使は多くの目を持った車輪の姿をしています。
メタトロン、サンダルフォンは熾天使です。
下の3位階の天使は戦士の姿をしています。
ミカエル、ガブリエル、ラファエル、オウリエルらは通常、大天使と考えられます。
教父哲学と神の闇 [古代ユダヤ&キリスト教]
キリスト教の神学的な哲学は新プラトン主義をキリスト教化する形で成立しました。
古代のキリスト教神学は、一般に「教父哲学」と呼ばれます。
主要な思想家(教父)は、3世紀アレキサンドリアのオリゲネス(彼は元アンモニオス・サッカスの弟子でした)、4世紀トルコのニュッサのグレゴリウス、4-5世紀イタリアのアウグスティヌス(彼は元マニ教徒でした)、5-6世紀シリアのディオニシオス・アレオパギタ(偽ディオニシオス)らです。
彼らの思想には違いもありますが、総体としての教父哲学を紹介しましょう。
キリスト教やユダヤ教、そして「教父哲学」の特徴は、まず、神が新プラトン主義の「一者」のような抽象的な存在ではなくて、「人格神」であることです。
ですから、霊的知性界(叡智界)も神の「思考内容」であって、神の語る「言葉(ロゴス)」なのです。
第2に、神からの啓示をもとにした「聖書」は絶対的なもので、その解釈が重視されました。
第3に、世界は神によって「無から創造」されたものなので、神と被造物の間に絶対的な「断絶」があるのです。
プラトンやプロティノスにとっては霊魂の本質は「一者」と連続的なものなので、霊魂が自らを浄化して上昇して、あるいはその延長で「一者」を映すことで合体できると考えました。
ですが、教父にとっては霊魂は神と断絶しているので、霊魂が上昇すると、霊魂は神との断絶を体験するのです。
そして、神そのものは絶対に知ることができないのです。
これは、神秘主義の否定のようにも思えますが、接することのできない神と密接な関係を持つという、逆説的に表現される神秘的な体験が行われていたとも言えます。
また、神は言葉で表現することができないとする「否定神学」は、キリスト教神秘主義の伝統となりました。
「人格神」や「聖書の重視」、「無からの創造」という教義は、ユダヤ教やイスラム教とも共通する点です。
ですが、キリスト教独自の教義は、父なる神が子なる神「キリスト」として肉体に宿って、つまり「受肉」して地上に降りてきたという教義です。
これが第4の特徴です。
そして、このキリストとは「ロゴス」なのです。
新プラトン主義では霊魂が一者を「愛(エロス)」して上昇を行うことが重要であったのに対して、キリスト教では神が積極的に被造物を「愛(アガペー)」して下降して「恩恵」を与える存在なのです。
これは「照明」とも表現されます。
ですから、キリスト教は新プラトン主義に比較して現世肯定的です。
下降してくるキリストと「ロゴス」は「花婿」、受け入れる教会と個人の霊魂は「花嫁」と表現されます。
旧約聖書では、モーゼが神と契約をする前に、神はシナイ山で濃い雲におおわれて現れ、モーゼはその中に入って闇を見ます。
これは神の認識には雲や闇として表現される否定的な体験が必要であると解釈されました。
また、契約の後で、モーゼが神にその姿を直接見たいと懇願すると、神はモーゼを岩の裂け目に入れ、モーゼの前に現れた時にはモーゼを手でおおい、その後で後ろ姿だけを見せます。
これは、岩の裂け目がキリストであって、後姿しか見れないことが、神との断絶を表現していると解釈されました。
旧約聖書によれば人間は神の「似像」として創造されました。
これは新プラトン主義でも同じですが、新プラトン主義では魂の中に神性が潜在的に内在するのに対して、キリスト教では被造物である人間の魂は神、キリストと断絶していて、これを認識することはできません。
ですから、人間の魂は磨かれた鏡のように浄化されることで、本来の神の「似像」となって、ロゴスの「似像」を映すのです。
こうして、間接的に神と接するのです。
教父達は、プロティノスと同じようにすべての認識を捨てさって神に近づいていきます。
ですが、教父達はプロティノスとは違って、神が直接は知りえないこと、神との隔たりとして神を体験します。
この体験は「神の闇」と表現されます。
この「神の闇」の中で、知りえない神に限りなく近づくのです。
これはグノーシス主義の神話の「原父」=「深淵」を思い起こさせます。
ですが、グノーシス主義の「深淵」はあくまでも神性の表現であるのに対して、「神の闇」はまずヌース段階の認識を捨てるということの表現で、また、神の認識不可能性=断絶の表現です。
ですから、これはグノーシス主義の「境界」に近いかもしれません。
先ほどキリスト教は神そのものを認識できないとしている書きましたが、ギリシャ正教は神を認識できると書いたことと矛盾しているように見えます。
実は、ギリシャ正教では神を光として見ることができることと、闇としてしか見れないことの両方を認めるのです。
この矛盾は14Cにグレゴリオス・パラマスによって、神の「本質」は見れないけれど、その「働き」は見れるのだとして理論化されることになります。
そして、「神の闇」は単純な光の反対の闇なのではなくて、光を生むような闇、光の過剰によって目がくらむような闇、つまり「光=闇」と表現されるような矛盾的に表現される闇なのです。
ギリシャ正教のテオーシスとヘシュカズム [古代ユダヤ&キリスト教]
4Cにエジプトでキリスト教の修道院が、砂漠で独居して修行する形で始まりました。
ですが後には、導師の指導のもとに集団生活する形に変化しました。
砂漠での修行は、聖域での修行ではなくて、むしろ物質的な悪魔の世界での戦いという意味がありました。
修道士達の中には、祈りの中で神を見るという体験をする者が現れ、やがてそのための方法が確立されていきました。
こうしてギリシャ正教(ビザンチン教会などの東方教会)では神との合体が伝統として認められるようになりました。
ですが、ローマ・カトリックでは認められません。
ギリシャ正教ではこの神との一体化を「人間神化(テオーシス)」と呼びます。
ギリシャ正教の修道院で重視される、人間神化にいたる祈りの修行法やその思想は「ヘシュカズム」と呼ばれます。
ギリシャ正教では人間神化は異端どころか、人間の目的・完成なのです。
人間の目標は、アダムの堕落によって失った神の「似像=霊=人間神化」を、キリストの贖罪を契機にして取り戻し、人間の本性である霊性を再創造してキリストの内に再統合することです。
一方、ローマ・カトリックでは「人間神化」は不可能であって、終末の神の国での至福こそが目標なのです。
つまり、ギリシャ正教は人間を霊・魂・体からなると考えるのに対して、ローマ・カトリックは魂・体しかないと考えているのです。
その具体的な方法は、インドやイスラムの神秘主義的修行と似ています。
祈りの言葉を唱えながら、神秘的恍惚の状態に入って、光として現れる神に触れ、一体化するのです。
身体をまるめてへそを凝視し、でも意識は心臓の当たりに置きながら、「主イエス・キリスト、神の子よ、僕を憐れみたまえ」という祈りの言葉を繰り返し唱えます。
最初は声に出して、後には心の中で、前半で息を吸い後半で息を吐きながら唱えるのです。
キリスト教の三位一体説と異端説 [古代ユダヤ&キリスト教]
初期キリスト教の主要な教会は、ローマ、トルコのビザンティン(コンスタンチノープル)、シリアのアンティオキア、エジプトのアレキサンドリアの4つでした。
オリエントの教会は神秘主義的傾向があり、中でもアレキサンドリアではギリシャ哲学を継承した知的傾向がありました。
一方、最も権力を持つことになるローマ教会は宗教から哲学を切り離し、神秘主義的でなく法的な傾向を持っていました。
初期のキリスト教では神やキリストに関して様々な神学的な説が考えられましたが、正統とされたのは、主にローマ教会が主張していた説です。
これは東西ローマ帝国の政治的問題や各教会の権力争いの中で決定されたものです。
キリスト教の正統説では、神は「父」/「子」/「聖霊」の3つからなります。
正確に言うと、ギリシャ正教(ビザンチン教会)では神はこの3つの神の同じ「本質(ウーシア)」と異なる「存在(ヒュポシスタス)」を持ちます。
これが「三一説」です。
一方、ローマ・カトリックでは、神はこの3つの神の同じ「本質(エッセンティア)」と「位格(ペルソナ)」を持ちます。
これが「三位一体説」です。
そしてキリスト教の正統説では、キリストは「神性」と「人性」(人間的な迷いのある魂)の2つが結合した存在です。
これは「二性一体説」とでも表現できるでしょう。
これらの説は2-3Cローマのテルトゥリアヌスによって提唱され、後に4Cのニケーアの公会議、5Cのエフェソスの公会議などによって正統とされました。
ただ、ローマ・カトリックとギリシャ正教では解釈に違いがあります。
ローマ・カトリックでは父から子が生まれ、聖霊は父と子から生まれるのに対して、ギリシャ正教では父から子と聖霊が生まれるのです。
聖霊は人間が神性と結びつくための重要な意味を持つものなので、神秘主義的傾向を持つギリシャ正教では聖霊の地位を低くすることは認められなかったのです。
「三位一体説/三一説」はキリスト教の一神教としての性質を危うくするものですが、キリストの神性が物質世界に現れて人間と外から関わること、聖霊が内から関わることを理論化しようとしたものです。
「三位一体説/三一説」は一なるものから段階的に世界が生まれるとする神秘主義の流出論とは異なります。
ですから、正統説に対して様々な異説も主張されました。
そのほとんどは神智学的には正統説よりも妥当なものですが、ほとんどは異端として弾圧、追放されました。
それらを簡単に紹介しましょう。
至高神が三位一体ではなく、一なる存在と考えるのが「単一神論」です。
中でも、父なる至高の神が子と聖霊の神格を生み出すと考えるのが、シリア・アンティコアで勢力を持っていた「勢力論的単一神論」です。
その代表的人物のパウロスによれば、キリストは本質的には被造物であり、父の非人格的な一属性であって、洗礼時に神性を与えられたと考えます。
つまり、キリストは神の子ではなく「養子」なのです。
そして、一なる至高の神が一時的に3つの神格として現れると考えるのが、トルコ・コンスタンチノープルで大きな勢力を持っていた「様態論的単一神論」です。
また、エジプト・アレクサンドリアで主流だったのが、プラトン主義の影響を受けた教父オリゲネスによる「キリスト」=「ヌース」の考えです。
これはキリストはヌースに相当するもので、父と被造物の媒介的存在です。
そして、聖霊は被造物に属するのです。
オリゲネスとキリスト教グノーシス主義は、キリストは「霊」、「魂」、「肉体」の三重の存在と考えてこれらを区別し、霊的段階がキリストの本体であって、他のものは仮の現れにすぎないとしました。
この考えは、仏教で仏の3身を考えることと似ています。
オリゲネスと単一神論の影響を受けて、キリストは無から創造された被造物であって神の実質を持たないとしたのが、アンティコア出身でアレキサンドリアで活動していたアリウスです。
「アリウス派」は異端とされゲルマンに伝道をしました。
また、キリストの神性と人性に関して、神性を強調し、人性が神性にほとんど吸収され融合しているという考えがアレキサンドリアで主流だった「単性論」です。
これは、仏陀は清浄な心身しか持たないとする考えと似ています。
そして、神性と人性が結合せずに分離して存在し、彼の人間的な意志によって神と結合したと考えたのがアンティコアの「ネストリウス派」です。
ネストリウス派は異端とされペルシャから中国にまで伝道しました。
パウロとヨハネのキリスト教神秘主義 [古代ユダヤ&キリスト教]
キリスト教は神智学的には実りの少ない宗教です。
むしろ、神智学に対立する宗教であって、神智学的な部分はほとんど他の宗教や思想から取り入れたものです。
キリスト教の神秘主義はパウロが聖霊の働きを重視したことに始まり、神智学はパウロがキリストがロゴスであるとしたことに始まります。
ヘレニズム化したユダヤ教では、神が息吹く「知恵(ホクマー)」を、宇宙創造の原型であって、宇宙に内在し、生命を与える女性の神的存在であると考えていました。
紀元前後のアレキサンドリアのユダヤ人神智学者のフィロンは、一神教をギリシャ哲学的に解釈した思想家です。
彼はプラトン主義、例えばクセノクラテスがイデアを神の思考とした考えと、ストア派の「ロゴス」の考え方を受け継いで、神が「知恵(ソフィア)」に男性の神的存在の「ロゴス」を生ませると考えました。
「ロゴス」は父なる神の思考内容であり言葉であって、世界の原型です。
そして、ストア派のように世界に内在するものではなくて、神と被造世界を媒介する存在です。
また、天使ケルビムが神の「恩寵」と「統治」の現れであると考えました。
彼の言う「ロゴス」はズルワン主義のミスラ、「ソフィア」はアナーヒターに相当します。
これらの考えを受けて、パウロやヨハネ文書などが「イエス・キリスト=救世主(人の子)=ロゴス=光=生命=真理=恩寵=聖霊を送る存在」と考えました。
「ロゴス」であるキリストは父なる神の口から現れた言葉であり、宇宙創造の原型であり、知恵=真理であり、アダムが失った生命(具体的には終末後の永遠の復活として得られるもの)なのです。
そして、「聖霊」はマリアに降りてキリストを生ませる存在、キリストが洗礼を受けた時に降りた存在、人々に生命と真理を与える存在、終末に人々の救済にやってくる助け主なのです。
つまり、イエス・キリストをフィロンの「ロゴス」、あるいは「ホクマー」を男性化したものとして、「聖霊」を「ホクマー」や「ソフィア」から女性としての性質を取り除いたものとしたのです。
ですが、このようなキリスト教の理解は一部の傾向でした。
多くは、キリストは新たな律法をもたらす存在、ペテロが考えたようにキリストは神の下僕であり復活によって天に召された存在と考えられていました。
ギリシャ・オリエントの神智学の影響を受けたパウロ・ヨハネ的解釈から、聖霊によってキリスト=生命(不死性)を得てそれを通して父なる神との結合を目指す神秘主義的な傾向が現れました。
ただ、あくまでもキリストという恩寵を通して受動的にしか霊的体験や不死性の獲得がありえないという点がキリスト教独自の特徴です。
初期の代表的な神秘主義的な教父には、シリアのアンティオキアのイグナティオスがいます。
このような神秘主義的な傾向は、シリアやトルコで顕著でした。
もう一つ重要なのは、パウロがイエス・キリストの受難・復活を宇宙的な出来事としたことです。
ゾロアスター教においても、ゾロアスターの登場は悪の撃退へと向かう宇宙的な転機に当たりますし、ゾロアスターは昇天して霊的な存在となります。
ですが、イエス・キリストの場合、アダムの原罪=死に対するイエス・キリストの贖罪=生命・不死と考えられた点が特徴です。
パウロではまだ現れませんが、後に、キリスト教ではイエス・キリストの受肉に関する考え方と相まって、その宇宙的な解釈はより重要性を持つようになります。
セフィール・イエツラーとセフィロート [古代ユダヤ&キリスト教]
メルカーバー神秘主義がヴィジョンと聖書と終末論を重視したのに対して、理論と神智学と宇宙創成論を重視したユダヤの神秘主義思想が「セフィロート神秘主義」です。
この思想はヘレニズム、アレキサンドリアの神智学に大きな影響を受けて生まれたもので、3世紀頃に書かれた「形成の書(セフィール・イエツラー、「創造の書」とも訳される)」という書に集約されています。
「形成の書」は1から10までの「セフィロート(数)」と、ユダヤ語の22の「アルファベット」、そして「境界」を宇宙を構成する基本的な要素と考えました。
メルカーバー神秘主義が天使を問題にしたのに対して、これらを数と文字に置き換えたのです。
そして、これを「智恵の32の秘密の径(パス)」と呼びました。
数の神秘思想にはピタゴラス主義や新プラトン主義の影響があり、文字の神秘思想にはバビロニア(ズルワン主義?)やエジプト(ヘルメス主義?)の影響があるようです。
ただ、バビロニアやエジプトの文字の神秘主義は現在まで伝わっていません。
「形成の書」による宇宙生成論では、宇宙はまず神の世界のレベルで行なわれ、次に物質のレベルで行なわれます。
セフィロートなどの基本的な要素は、神の世界のレベルで生まれます。
まず、空間が3つの次元とその鏡像反射された6つの方向によって封印、構成されます。
また、10のセフィロートの中心には、「発声器官のような、裸体のような統合の契約」があります。
これについてはほとんど謎ですが、セフィロートなどを生み出す、あるいは働かせる根源的な存在でしょう。
「形成の書」が最も重視した10のセフィロートは、順番は語られますが、後世に考えられたような階層的な性質は希薄です。
「4大元素(霊、空気、水、火)」と「6方向(上下と東西南北)」を表わしていました。
「4大元素」は、「善」、「悪」、「始まり」、「終わり」とも表現されました。
また、グノーシス主義のアイオーンが男女対になっているように、5つずつが対になっていました。
1 :神の生ける聖霊(最初・統合の契約)
2 :空気(最終)
3 :水(善・無形にして虚しきもの)
4 :火(悪・栄光の座)
5 :上(高さ)
6 :下(深淵)
7 :東(前)
8 :西(後)
9 :南(右)
10:北(左)
セフィロートの空間的な関係としては、後世に考えられたような、「生命の樹」は、まだありません。
「6方向」ということからも、それらが立体であることが分かります。
「4大元素」は、中央に、層状になっているという考え方もあったようです。
22のアルファベットは、3つの「母字」、7つの「重複文字」、12の「単純文字」に分類されました。
これらは階層的な構造をなします。
3つの母字は3大元素(火・水・空気)に対応します。
7つの重複文字は抽象的な7つの言葉(生命・平和・知恵・富・優雅・種子・王権)に対応し、また、6方向と中央、7惑星にも対応します。
12の単純文字は12の人間の行動や能力(言葉・思考・運動・視覚・聴覚・動作・性交・臭覚・睡眠・怒り・味覚・笑い)に対応し、また、6方向の頂点で作られる正8面体の辺、12宮、12の臓器に対応します。
単純文字の中のY、H、Wは上に書いた3つの方向に対応します。
・アレフ :空気・大気
・ベート :生命・土星 ・上
・ギメル :平和・木星 ・下
・ダレット:知恵・火星 ・東
・へー :言葉・白羊宮・東上
・ヴァヴ :思考・金牛宮・東北
・ザイン :運動・双子宮・東下
・ヘット :視覚・巨蟹宮・南上
・テット :聴覚・獅子宮・南東
・ユッド :動作・処女宮・南下
・ハフ :富 ・太陽 ・西
・ラメド :性交・天秤宮・西上
・メム :水 ・地
・ヌン :臭覚・天蝎宮・西南
・サメフ :睡眠・人馬宮・西下
・アイン :怒り・磨羯宮・北上
・べヘイ :優雅・金星 ・北
・ツァディ:味覚・宝瓶宮・北西
・コフ :笑い・双魚宮・北下
・レーシュ:種子・水星 ・南
・シン :火 ・天
・タヴ :王権・月 ・中央(神殿)
また、この3つの単純文字は神の名前YHWHを構成します。
ただし、この神の名前の本当の発音は、ソロモンの神殿の年に1度の祭儀の際に最高位の神官一人が発音していたのですが、やがて忘れ去られました。
また、アルファベットはそれぞれが特定の数値を持ち、その数値の合計が同じ単語は象徴的に同じ意味を持つものとして入れ替えが可能とされました。
また、アルファベットは10のフィロートの間をつなぐものとも考えました。
そして、10のセフィロートと22のアルファベットを足した32の存在が、「知恵の道」とされました。
神の世界 | 10のセフィロート | 1-10の数、4大元素+6方向 | |
22のアルファベット | 3母音 | 3元素 | |
7重複文字 | 7言葉、7惑星、6方向と中心 | ||
12単純文字 | 12能力、12宮、12辺 | ||
境界 | |||
物質世界 |