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釈迦の思想と「スッタ・ニパータ4-5章」 [古代インド]


経典類以外に、釈迦(ゴータマ・シッダールタ)に関する客観的な歴史的記録はなく、釈迦伝のほとんどは、後世に作られた伝説の類であると推測されます。

また、釈迦の思想が記されたのは、釈迦没後数百年たってからですので、それが釈迦その人の思想から、どれくらい変化しているかを分かりません。
ですが、最古層の記録と思われる経典の内容と、その後の変化から推測することはできます。

このページでは、最古層経典と推測される「スッタ・ニパータ4-5章」の思想と、若干のその後の変化について紹介します。


<釈迦の思想と経典>

初期経典(原始仏典)の内容は、釈迦没後すぐに500人の阿羅漢の確認のもとで成立したことになっています。
しかし、これは教団の教説を権威付けるために都合のよい内容ですし、それが事実であるという証拠はありません。

事実だとしても、経典が最初に記されたのは、釈迦没後数百年たってからです。
この間に内容が大きく変わった可能性があります。

その後も、その時代その時代に経典は再編集されたり創作されたりし続けました。
上座部のパーリ経典は、ほぼ5世紀に形が決まりますが、それ以降もまったく書き換えられなかったわけではありません。

原始仏典でも各経典で説かれる内容は異なります。
教団は、これを対機説法のためだと説明しますが、実際には、各教典の成立時期や成立過程が異なることが原因でしょう。

ですから、釈迦の思想を確定的に知ることはできません。
もちろん、釈迦の思想にも、非整合性や時代による変化があって当然です。
それがない、釈迦の思想は知りうる、と言うのは、信仰の立場です。

ですが、文献学的な経典研究によって、最古層の経典のみを先入観なしに読むことで、釈迦の思想に近いものを知ることができると推測できます。

また、その後の仏教思想の変化と逆方向に遡ることで、釈迦の思想を予想することができます。


<スッタ・ニパータ4-5章>

最古層の経典は、韻文経典で、韻律の古さ、引用関係の古さなどから、南伝の原始仏典の小部収録の「スッタ・ニパータ(集経)」に、第4章として収められている「八つの詩句(義足経)」と、第5章として修められている「彼岸に至る道」だと推測されます。
(異説もありますが。)

これらの原典は、釈迦存命時に、弟子が布教時に使った口承経典である可能性もあるようです。
これらの経典は、弟子たちが、樹木の下や洞窟、死体置き場などに寝て、遊行していた、まだサンガとして定住していない頃の思想を反映しています。

韻文ということもあり、韻律に合わせるため、パッチワーク的に構成されたものであり、ジャイナ教などの経典と共通する句もあります。
当時の沙門の多くは、思想を共有している部分があり、広く知られる句を共有して、それらを組み合わせて詩句が作られました。

それでも、これらの経典は、かなり一貫した思想を表現しています。
これらの経典の思想には、後の仏教思想とは根本的に異なる部分があります。


例えば、「教義」、「戒律」、「儀式」などでは悟れないとして、それらを否定しています。
まだ、「教義」も「戒律」も「儀式」もなかったのでしょう。

特に、教義を持たず、論争しないようにと何度も言っています。
また、形而上学的な思考を拒否する姿勢を示しています。

また、初期仏教の基本概念とされる「無常」、「無我」、「縁起」、「輪廻」などの言葉すら出てきません。

例えば、「縁起」については、その思想的な芽生えを見つけることはできますが、いかにして「苦」が生じるかではなく、いかにして「論争」が生じるか、という文脈で分析されます。
このように、教義に執着して論争することを避けることを重視しています。

「法」に関しては、「諸法について執着であると確知すべきである」と何度も語られます。
この言葉は、「私は、これは真実であるとは説かない」、「それゆえに、諸々の論争は超越されたのだ」といった言葉と一緒に説かれます。

ですから「法に執着しないように」という主張は、実体の実在性うんぬんではなく、教義を持つな、論争をするな(他者の教義を否定するな)という文脈で語られます。

「~」が本当の仏説だ、といった論争をしている人が今もたくさんいますが、釈迦の姿勢とは正反対のものでしょう。


また、「再生」に執着するなとは語っても、「輪廻」という言葉は出てこず、転生が存在するとも存在しないとも語りません。

「涅槃」は、あくまでも現世での目標として説いています。
それは、心身の消滅ではなく、煩悩の消滅です。

「欲望の流れを滅する」ということを、比喩的に「激流を渡る」と表現し、同じ意味で「生老死を越える」と表現します。

少なくとも、「輪廻」というテーマについて、説法においてほとんど関心を持っていなかった、と言えるでしょう。


具体的な修行法に関しては書かれていませんが、「常に気をつけているように」と何度も語られます。
「渇愛の滅尽を昼夜に観察しなさい」とも語られます。

「表象作用」や「識別作用」を否定することが繰り返し語られますので、言葉やイメージの対象が存在しないことを認識し、それらに執着しないよう、常に自覚して、放逸を避けるように、ということでしょう。

これは、時間を取って瞑想を行うということではなく、日常の中での常に注意を怠らないようにすべきであるということです。
後に「正念・正知」と呼ばれる行に近いものでしょう。

ですから、上座部のヴィパッサナー瞑想(観)のような、アビダルマ論に基づいた法の識別は説かなかったでしょう。
むしろ、「世を空(スニャータ)であると観察しなさい」と語られます。

釈迦は、概念やイメージのない状態を重視しますので、この点では、当サイトの定義では神秘主義思想となります。


<仏教の成立>

先に書いたように、経典類以外に、釈迦(ゴータマ・シッダールタ)に関する客観的な歴史的記録はなく、仏伝のほとんどは、後世に作られた伝説の類であろうと想像されます。

釈迦の名前の「シッダータ」は「成就」の意味ですので、本名であるかは疑がわれます。
母の名の「マーヤー」は「無明」、息子の名の「ラーフラ」は悪魔の名ですので、これらは事実とは考えにくく、教義的な解釈から後に名付けられたものでしょう。

また、釈迦は王子だったとされます。
ですが、シャカ族の国は、国と言っても実際は、王国ではなく部族共同体だったと推測されます。
ですから、釈迦は、族長の息子だったかもしれませんが、王子ではなかったでしょう。

文化人類学者のピエール・クラストルは、部族社会が「国家に抗する社会」という側面を持っていると言います。
実際、釈迦の思想には、「国家に抗する」思想、つまり、「一」なるものである、権力の一点集中や同一性(実体的思想)を否定する思想があったと言って間違いではないでしょう。


釈迦の死後に、仏教の教義や修行法が徐々に体系化され、それと平行して、修道伝承や成道伝承、説法伝承などの仏伝が創作・再解釈されていったと考えられます。

釈迦死後の思想上の最大の変化の一つは、当時の常識だった転生としての「輪廻」からの解脱を説くようになったことでしょう。

また、釈迦が徐々に神格化されていきました。

釈迦が亡くなった後の状態を完全な涅槃である「無余依涅槃」とし、現世で到達した「有余依涅槃」と区別するようになりました。
前者は、死後存在への関心・理想化であって、釈迦が説かなかったものです。

また、「スッタ・ニパータ」では、釈迦の弟子であっても、悟った人物に対しては「ブッダ」という言葉を使っていました。
ですが、後には、「ブッダ」が釈迦だけを指す言葉になり、悟った弟子に関しては「阿羅漢」と呼び分けをするようになりました。

同時に、釈迦は、他の弟子とは違って、他者を救うという性質が強調されるようになりました。


主要参考文献
・並川孝儀の諸著作
・「スッタ・ニパータ」の翻訳は正田大観の著作

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古ウパニシャッド [古代インド]

古ウパニシャッドは、ヴェーダの最後の付随文書であり、奥義書と呼ばれます。
ここにインドで初めて哲学的思想、神智学的思想が表現されました。
古ウパニシャッドに表現された思想は、梵我一如、輪廻と業の思想、解脱などの思想です。


<ヴェーダとウパニシャッド>

インド・バラモンの正統派の聖典は、「天啓聖典(シュルティ)」である「ヴェータ」です。
「ヴェーダ」は、4段階で制作されました。

まず、原典である「サンヒター(本集)」が紀元前1200~1000年頃に作成され、それに付随する文書が順次作られました。
「ブラーフマナ(梵書・祭儀書)」(紀元前1000~600年頃)、次に「アーラヌヤカ(森林書)」、「ウパニシャッド(奥義書)」です。

1 サンヒター(本集)
2 ブラーフマナ(梵書・祭儀書)
3 アーラヌヤカ(森林書)
4 ウパニシャッド(奥義書)
4-1 古ウパニシャッド
4-1-1 初期(-8C~):ブリハッド・アーラヌヤカ、チャーンドーギヤ…
4-1-2 中期(-4C~)
4-1-3 後期(-3~-2C)
4-2 新ウパニシャッド

最古の「サンヒター(本集)」には、神々への讃歌「リグ・ヴェーダ」、祭式における歌詠「サーマ・ヴェーダ」、祭詞「ヤージル・ヴェーダ」、呪句「アタルヴァ・ヴェーダ」の4つがあり、それぞれに付随書が作られました。

4つの中で、「リグ・ヴェーダ」と「アタルヴァ・ヴェーダ」には哲学的要素があります。
「アタルヴァ・ヴェーダ」には、「カーラ(時間)」や「プラーナ」などを最高原理とする哲学もあります。

「ブラーフマナ(梵書)」は、「サンヒター」に述べられている祭祀に対する解説・解釈書です。
祭祀によって得られる力を「ブラフマン」とし、この祭祀の呪力が神を動かすと考える思想が表現されています。
祭祀の次第や詩句を絶対化する傾向があります。

「アーラヌヤカ(森林書)」は、「ブラーフマナ」の末尾に付属した、より哲学的な文書です。

「ウパニシャッド(奥義書)」は、「秘密の教え」という意味で、「ヴェーダ」の最後に位置するので「ヴェーダーンタ」とも呼ばれます。

「ウパニシャッド」は、歴史的な長い期間に渡って作られましたが、紀元前2C頃までに作られたものを「古ウパニシャッド」と呼びます。

その中でも、-8C頃から作られた初期の「古ウパニシャッド」の、「ブリハッド・アーラヌヤカ・ウパニシャッド」や、「チャーンドーギヤ・ウパニシャッド」が、思想史的に最も高い評価を受けています。
前書には、哲学者ヤージニャヴァルキヤが、後書には、哲学者ウッダーラカが登場します。


<ウパニシャッドの思想>

「ウパニシャッド」の思想は、「サンヒター」から「アーラヌヤカ」に流れる思想を継承したものです。

ですが、本来のバラモンの宗教思想である現世利益的な呪術思想とは異なる、現世否定的で神秘主義的、抽象的な哲学的思想が、徐々に表現されるようになりました。
ここには、インド東部の非バラモンや非インド人であった人々の思想の影響があると思われます。

初期の「ウパニシャッド」の中には、バラモンがクシャトリアの王に教えを受けるというシーンが8回出てきます。
「チャーンドーギヤ・ウパニシャッド」では、輪廻思想がクシャトリアの秘伝の思想とされています。

「ウパニシャッド」の思想には、このようにバラモンがクシャトリアの思想を取り入れたものがあります。
ですが、有力な地方の非インド人には、名誉クシャトリアとなる王族が多数いましたので、これらの思想には、非インド人の思想の影響もあるようです。

「ウパニシャッド」の思想は多様ですが、基本的な思想には、下記のようなものがあります。

・梵我一如
・外界の実在性、多様性の否定(マーヤー)
・輪廻と業
・知恵による解脱
・世界の構成要素としての微細、粗大な五大元素

「梵我一如」は、個人の本質である「アートマン」が、宇宙の根源である「ブラフマン」と同じであることを、個人の内面的な神秘体験の中で認識すべし、とする思想です。

「ブラフマン」という概念は、バラモンが祭祀の呪力、言葉に宿る力を思想化し、それを高める中で生まれたものです。
「ブラフマン」という言葉は、「増大」を意味する「ブリフ」が語源とする説があります。

一方、「アートマン」は、特定の階級に関わらず、死後生や個人の魂や生命力の本質を探求する中で生まれたものです。
「アートマン」という言葉は、「呼吸」を語源とするという説があります。

そして、「ブラフマン」や「アートマン」は世界を作り、世界に内制者として内在します。
ですから、世界の多様性は「幻影(マーヤー)」でしかありません。

人間の死に際して、「アートマン」は身体から抜け出て行きます。
死後の道を説いた代表的な輪廻説には、「五火・二道説」(詳細は後述)があります。


<ウパニシャッドの哲学者>

「ウパニシャッド」に登場する主な哲学者には、次の4人がいます。

まず、「アイタレーヤ・アーラヌヤカ・ウパニシャッド」で「五大」の思想を説くマヒダーサ・アイタレーヤ。

次に、「チャーンドーギヤ・ウパニシャッド」で梵我一如を説くシャーンディリヤ。

彼は、「アートマン」について、
「意(マナス)を本質とし、プラーナを体とし、光輝く様相で、真実の思考をなし、虚空を主体とし、一切の行為をなし、一切の欲望を持ち、一切の味覚と臭覚を備え、この世のすべてを包摂し、言葉なく、執着ないもの、この心臓の中にある私のアートマンである。…それはブラフマンである。この世を去った後、私はこれに合一しよう。」
と述べました。

3番目に、「チャーンドーギヤ・ウパニシャッド」で、一元的原理としての「有(サット)」や、その中の展開の力「カーマ」を説くウッダーラカ・アールニ。
彼について詳細は後述します。

最後に、「ブリハッド・アーラヌヤカ・ウパニシャッド」で、アートマン論を説くヤージニャヴァルキヤ。
彼についても詳細は後述します。


<ウッダーラカ・アールニ>

「チャーンドーギヤ・ウパニシャッド」に登場するウッダーラカ・アールニは、最高原理を「有(サット)」と表現しました。

「リグ・ヴェーダ」や「チャーンドーギヤ・ウパニシャッド」の中には、「非有(混沌)」から「有(秩序)」が生じたとする説が説かれています。
また、「ブラーフマナ」や「ウパニシャッド」では、「真実(サティヤム)」という言葉を分解して解釈し、「有と非有」、「可死と不死」と説くことがあります。

以上に対して、ウッダーラカは、「有」と「非有」の両者を越えた最高概念として、「有」を措定したのです。

また、ウッダーラカは、それを人間の内奥に見出せるとしました。
彼の、「汝はそれである」という言葉は、とても有名です。

また、ウッダーラカは、「熱」、「水」、「食物」の3元素説を支持しました。
そして、「有」→「熱」→「水」→「食物」の順番で生じ、「有」が「アートマン」として3元素に入り込むと説きました。
そして、3元素の組み合わせから、個々の精神と物質にあたる「名称と形態(ナーマ・ルーパ)」(仏教で言う「名色」)が生まれます。

また、人の死に際しては、創造の逆方向に、まず、「食物」からなる思考力が「水」からなるプラーナに溶け入り、プラーナは「熱」に摂取され、最後に「熱」が「有」に合一すると説きました。

また、人は夢のない熟睡時にも、「有」と合一しています。


ウッダーラカがパンチャラート族の王から、王族だけの教えとして教わった「五火・二道説」は、インドの最初のまとまった輪廻説で、その非常に素朴な形態です。

「五火説」は、その名前に反して、水の循環を生命とする世界観を背景にしています。
身体の水が火葬で煙となって、まず、「月」(1)に行き、その後「雨」(2)となって地に降り、「食物」(3)となって、それが食されて「精子」(4)となり、「胎児」(5)となります。
「五火」というのは、それぞれに対する祭火を意味します。

「二道説」は、「神道」と「祖道」の2つの道を意味します。
「神道」は苦行を行った人が赴く道であり、荼毘の「焔」→「太陽」→「月」→「稲妻」→「ブラフマン」という道程です。
「祖道」は祭祀や徳行を行った普通の人が赴く道であり、荼毘の「煙」→「祖霊の世界」→「虚空」→「月」という道程であり、その後は「五火説」の道程へとつながります。


<ブリハッド・アーラヌヤカ・ウパニシャッド>

ヤージニャヴァルキヤが登場する「ブリハッド・アーラヌヤカ・ウパニシャッド」では、冒頭に、誰の説とは表記されずに、アートマンとブラフマンに関する思想が書かれています。

それによれば、アートマンは、「天地の初めに、人間の形をしたアートマンだけがあった」と書かれています。
続いて、「アートマンは万物に先んじて、一切の災悪を焼尽したので、彼はプルシャとも呼ばれる」と書かれています。

このように、ウパニシャッドでは、「アートマン」は「プルシャ(原人)」とほぼ同義語のように説かれます。

このように、「ヴェーダ」の「プルシャ(原人)」は、ウパニシャッドやヴェーダーンタ哲学の「アートマン」の概念の発展に影響を与える一方、サーンキヤ哲学の「プルシャ(純粋精神)」に発展していったようです。

次に、「ブリハッド・アーラヌヤカ・ウパニシャッド」では、アートマンは、「自分を二分した。ここに、妻と夫が生まれた」と書かれています。
そして二人は、あらゆる生物、万物を生み出し、アートマンはそこに内在します。

また、ブラフマンについても、「天地の初めに、ブラフマンのみが存在した。…彼は万物になった。」と書かれています。

そして、ブラフマンであることに目覚めた神々は万物になったとして、次のように説きます。

「「我はブラフマンなり」と知る者はあらゆるものになることができる…アートマンにさえなっているのだから。」


<ヤージニャヴァルキヤ:認識主体としてのアートマン>

「ブリハッド・アーラヌヤカ・ウパニシャッド」や「シャタパタ・ブラーフマナ」に登場するヤージニャヴァルキヤは、ウパニシャッドと代表する哲学者です。
ウッダーラカの弟子ですが、ウッダーラカを論破することもありました。

ヤージニャヴァルキヤは、アートマン論を発展されました。
彼は、アートマンの本質が「認識(ヴィジニャーナ)」であり、認識の「対象」ではなく「主体」であると説きました。

彼は、アートマンを、「見ることの背後にある見る主体」、「目に見えない視覚の主体」、「認識されない認識の主体」と表現しています。

「ブラーフマナ」では、アートマンを「思考力」や「意(マナス)」と表現していましたが、ヤージニャヴァルキヤが「認識」としたのは、より本質的なものとして高めたのだと言えます。
そして、認識の「対象」とならない「主体」であるとしたことは、その後の哲学にとって重要な規定でした。

また、ヤージニャヴァルキヤは、アートマンは表現不可能で否定的にしか表現できないと説きました。

「それは粗大でもなく、微細でもなく、短くもなく、長くもなく…」
「非ず、非ずというアートマンは、捉えることができないものである。それは把握できないから不壊である。それは破壊されないから無執着である。汚染されないので、縛ることのできないものである。何者も恐れないので、何者にも害されないのである」

ヤージニャヴァルキヤの「非ず、非ず(ネーティ、ネーティ)」というアートマンの規定はとても有名です。
これは仏教の空観よりも、否定神学に近い思想でしょう。
これは、アートマンが認識の「対象」とならないことという規定ともつながっているのでしょう。


また、ヤージニャヴァルキヤは、アートマンが万物になるとし、また、「名称と形態(ナーマ・ルーパ)」を用いて万物を分化限定すると説きました。

また、アートマンが万物の「自在神(イーシュヴァラ)」であると言います。
つまり、アートマンは、「内制者(アンタルヤーミン)」なのです。

彼は、アートマンを「語の内部にあって制御しているもの」、「不死の内制者」と表現し、感覚などの認識の「内制者」であり、世界の中にある「内制者」でもあるとしました。


<ヤージニャヴァルキヤ:光としてのアートマン>

ヤージニャヴァルキヤは、アートマンを「光」であり、人の心臓の中にあるとも説いています。

この思想の背景には、「火(光)」を生命原理とする世界観があるようです。
「チャーンドーギヤ・ウパニシャッド」には次のように書かれています。

太陽の彼方には、ブラフマンの「光」の世界があります。
太陽の「光」が、褐色・白・青・黄・赤色の微粒子として心臓の脈管に入り、それが脈管を通して全身に至り、また、感覚的認識や消化も司ります。

また、心臓の内部の空間があって、そこにアートマンがいるのですが、その空間は、人間の内部であって、同時に外部であると表現されます。

ヤージニャヴァルキヤによれば、心臓の内部の空間にいるアートマンの光の微粒子が、諸感覚器官などにプラーナ(諸機能)として存在するため、人は外界の認識が可能となります。

太陽にはプルシャがいますが、心臓や諸器官にいるアートマンの光もプルシャです。
右目の中にはインダという名のプルシャが、左目の裏にはその妻でヴィラージという名のプルシャがいて、二人は心臓の中の空間で睦まじく会話します。
心臓の脈管叢とプルシャの脈管叢はつながっていて、また、心臓から上方へつながる脈管は、二人が散歩する道です。

ですが、人の死に際しては、光の微粒子は心臓のアートマンに集まります。
そして、アートマンが身体を抜け出て行くと、プラーナがそれを追い、さらに感官が追います。
そうして、知識も業もアートマンに加わるのです。
ですが、アートマン自身は、善行によっても悪行によって変化しません。

ヤージニャヴァルキヤの輪廻説は、ウッダーラカが聞いた輪廻説から進化しています。
彼は、人は死後、祖霊、ガンダルヴァ、神、造物主、その他の生物に転生するか、ブラフマンに合一するかであると説きました。

ブラフマンと合一する解脱は、欲望を捨てて、梵我一如の認識によってなされます。
ヤージニャヴァルキヤは、次のように説いています。

「欲望をあますところなく捨て去り、アートマンに専念する者は、自他の二元性を離れ、ブラフマンと一体のものとしてもアートマンを自らの内面に直観する」

また、ウッダーラカが「熟睡(夢のない睡眠)」の時にアートマンが「有」と合一すると考えたように、ヤージニャヴァルキヤはそれを「至上界」にいる状態であると表現しました。

ヤージニャヴァルキヤは、「熟睡」の時に、感官にあるプラーナが心臓の内部空間に収縮すると言います。
また、彼の影響を受けたと思えるカーシ国王によれば、心臓の内部空間から7万2千の脈管が広がって、「プリータト」という場所につながっていて、アートマンはここに安らぎます。

「プリータト」は、心臓の周りだとか、身体全体だろうとか解釈されていますが、どこなのか分かっていません。
ですが、心臓の内部空間が外部空間でもあるように、「プリータト」は実質的にブラフマンの「至上界」なのでしょう。

ヤージニャヴァルキヤは、「熟睡」の状態を男女の一体の状態にも喩えています。

「愛する婦人に抱擁されている時に内外の何物も覚えぬように、このプルシャは叡智のアートマンに抱擁された結果、内外の何物も覚知しないのです。これこそ、彼の満足、自足、無願、無苦の状態です。」

そして、この状態を「他者として彼から区別されるものがない」とも表現しています。

また、「夢睡眠」の時には、地上界(覚醒)と至上界(熟睡)の中間にいる状態であって、アートマンが自らの光によって夢の世界を創造すると考えました。
そして、プルシャは体中を巡るのです。


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大乗仏教の仏陀観と真理観 [古代インド]

大乗仏教では、部派仏教に比べて、「仏陀観」、「真理観」が大きく変化しました。


<仏陀観>

部派仏教においては、「仏」は開祖として理想化され、伝説化され、信仰の対象となっていたとしても、基本的には釈迦という人間でした。
しかし、大乗仏教では、「仏」は徐々に、超人間的存在、汎神論的真理となっていきました。

部派仏教の時代にも、釈迦の過去世の物語(ジャータカ)が盛んになり、釈迦以外の「過去仏」の存在も認められるようになりました。

大乗仏教では、釈迦が前世で、燃燈仏に出会ったことがきっかけになって菩薩になったように、菩薩になるためには、仏に出会う必要があったと考えたのでしょう。
しかし、大乗仏教の時代には、釈迦はすでに亡くなっていて「無仏」の時代になっていました。
そのため、一方では、「他土仏」、つまり、この世界の他に、十方に多数の世界があり、それぞれの世界に仏がいると考えられるようになりました。

もう一方で、仏は「不滅」、「常住」の存在であると考えられるようになりました。
つまり、肉体を越えた仏が必要とされたのです。

『法華経』では、「久遠実成の仏」という存在が考えられました。
これは、永遠の過去から存在し続け、あらゆる仏の根本となる仏です。
釈迦などはその化身のように考えられるようになりました。
「久遠実成の仏」というのは、「仏」の神格化を一歩進めた考え方です。

「大般涅槃経」でも、釈迦は肉体としては亡くなっても、如来は常在な存在であると主張します。
部派仏教では、「涅槃経」が釈迦の滅後は「法」を拠り所とすべしと説き、その後、「法」の集合体を「法身」と表現するようになります。
しかし、「大般涅槃経」では、この「法身」を、仏の「智慧」と「解脱」と一体のものとして、「仏」を抽象化して永遠の存在と考えました。
大乗仏教は「一切皆空」であり、「法」にも実体性を認めないので、「法」以外の根拠を必要としたのでしょう。
「智慧(般若)」を神格化(女神)して重視するのは、ヘレニズム思想の特徴です。

そして、これが「仏性」、「如来蔵」として、すべての人間の心の中に存在する(如来蔵思想)と主張しました。
「仏性」は、「仏の構成要素」、「仏の本性」という意味であり、「仏舎利」という物質的な存在(色身)を念頭に置きながらも、それを普遍的な原理として昇華したと考えることもできます。
こうして、仏は、すべての人間の心に存在する清浄な存在にもなりました。

その後も、超人間的・宇宙原理的な仏が、次々と登場します。
『華厳経』の「ヴァイローチャナ(毘盧遮那仏)」、浄土教の「アミターバ(阿弥陀仏・無量光仏)」、「アミターユス(阿弥陀仏・無量寿仏)」などです。

「ヴァイローチャナ」や「アミターバ」は光を特徴とした仏であるため、イランの「ミスラ」や「マズダ」の影響を考えることができます。
「アミターバ」は永遠・時間を特徴とするので、「ズルワン」の影響を考えることができます。

インドで悪神とされているアスラ(阿修羅)の神々は、本来は根源的な光の神々で、デーヴァ(天部)の神々より高い位に当たる存在でした。
アスラには、その王とされる「ヴィローチャナ」やその息子「バリ」がいます。
仏教の「ヴァイローチャナ」はこれらのアスラの光の神をモデルにしていると考えられています。
同じアーリア人のイランの宗教では、アスラに相当するアフラの神々(マズダ、ミスラなど)が、悪神化せずに主神のままにとどまりました。
ですから、「ヴァイローチャナ」、「アミターバ」、「アミターユス」などの仏は、イランの光の神の影響で、アスラ系の神々が仏教的に解釈されて復活した姿だと考えることができます。


また、「仏」という存在を階層的に分析する「仏身論」が発展し、「仏」の概念が、普遍的な原理へと高められました。

まず、「仏」は物質的な体の「色身」と、智慧としての「法身」に分別されました。
さらに「色身」は、肉体の「変化身(応身)」と、魂の体の「報身(受用身)」に分別されました。
一方の「法身」は、空そのものである「理法身(自性法身)」と、空を認識した智慧である「智法身」に分別されました。

さらにさらに、「理法身」は、超時間的で無始の「自性清浄身」と、煩悩から離れて清らかになった有始の「客塵清浄身」に分別されました。
「自性清浄身」は「初めから清らか」、「客塵清浄身」は「自然成就」と表現されます。

「自性清浄身」、「客塵清浄身」、「智法身」は、大乗仏教における三位一体説と考えることができます。

報身や変化身も細かく分別されましたが、省略します。


仏身の階層
法身
理法身・自性法身
自性清浄身
客塵清浄身
智法身
色身
報身・受用身
変化身・応身


このように、「仏」は神格化され、普遍的な原理となったのですが、大乗仏教は「空」思想が基本なので、「仏」も「空」であるということが強調されました。
たとえ「仏」が形を持つ存在となっても、それは実体のない存在であり、また、あらゆる存在の形・本質を根拠づけることはありません。

 
<真理観>

部派仏教においては、この世の実在・実体は「法」と呼ばれます。
しかし、大乗仏教は、「一切皆空」として、「法」にも実体性がない(法無我)と考えました。
つまり、大乗仏教は、「実在」を、「本質」を持たない、「実体」ではない存在と考えるのです。

一般に、存在は、「個々の存在・意識」と「諸存在・意識の母体(基体)」という2つに分けて見ることができます。
サンスクリット語では「ダルマ」と「ダルミン」になります。
母体としての「ダルミン」から、個的な存在・現象としての「ダルマ」が生まれるという関係です。
これは新プラトン主義の流出説や、サーンキヤの開展説に近い構造で、神秘主義思想の特徴でもあります。

アビダルマでは、「ダルマ」は現象ではなく個的な実体であり、「ダルミン」は「ダルマ」の基体ではなく「自性(本質)」です。
しかし、大乗仏教は、この「自性」も「空」であると否定します。
空思想では、「ダルマ」は実体性のない現象で、ナーガルジュナは「ダルミン」も「空」と考え、実在として表現しません。
そのため、真理を表現するに当たっては、「○○は空である」と否定的にしか表現できませんでした。

しかし、大乗仏教では、徐々に、「ダルミン」に当たる存在を、積極的に肯定的に表現するようになりました。

「ダルミン」に当たる言葉は、まず、「法性(ダルマター)」、「法界(ダルマダートゥ)」です。
「法」の 「母体」、「基体」に当たる「実在」ですが、それは「自性(本質)」ではなく、「我(実体)」でもありません。

また、これは、あるがままの真理として、「真如」とも表現されます。
これは、原始仏教の時代から、仏のことを、「あるがままの真理に到達した者」、大乗仏教の時代になると「あるがままの真理からやって来た者」という意味で、「如来」とも表現されることに対応します。

これらは、抽象化された「仏陀観」として生み出された、「仏性(ブッダダートゥ)」、「法身(ダルマカーヤ)」なども、これと同義の概念となります。
つまり、仏陀と智慧と真理を、主体と客体を一体とする概念となったのです。

また、これに伴って、否定的な意味であった言葉が、肯定的な意味へと変質しました。

「自性(スバヴァーヴァ)」という言葉もそうです。
本来、「自性」とは「実体」が持つ「本質」であって、大乗仏教ではこれは存在しないので、実在は「無自性」です。
しかし、「無自性」であること、つまり「無自性性」ということが、実在の「自性」であると表現するようになりました。
つまり、「自性」は、「存在しない本質」から、「本質が存在しないあるがままの真理」になったのです。
こうして「自性」という言葉も、肯定的な意味での「ダルミン」を示す言葉になりました。

同様に、「空(シューニャ)」、「空性(シュニャーター)」も、実体性を否定する述語から、あるがままの真理、現象を生み出す母体を表現する主語になりました。

また、「法」も、「法性」や「法界」の意味、つまり「ダルミン」の意味になり、「実体ではない個物」から、「あるがままの真理であり、現象を生み出す母体」になりました。

しかし、あくまでも、教義上は「ダルミン」は実在であっても、実体ではありません。
すべては「空」なのです。


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如来蔵思想 [古代インド]

「如来蔵(タターガタガルバ)」とは、人の心の中にある仏の本性のことであり、「仏性」と同義です。
如来蔵思想は、すべての人間の心の中には、仏と同じ清らかな心(自性清浄心)が存在していて、煩悩(客塵煩悩)によって覆われているが、それを取り去ると仏になることができる、という思想です。

如来蔵を主張する「如来蔵思想」は、初期の大乗仏教の思想潮流の一つです。
中観派や般若系経典が真理を「~がない」という否定的に表現したことを受けて、唯識思想と如来蔵思想は、「~がある」という肯定的な表現を行いました。
そのため、般若系経典が「第二転法輪」であるのに対して「第三転法輪」と呼びます。

如来蔵思想には、唯識派のような「意識論」はなく、「如来論」というべき思想です。
それゆえ、「修道論」もなく、人々に希望を与える「救済論」というべき思想です。

一般に、仏教は「無我」を主張し、「アートマン」のような実体を認めません。
しかし、初期の如来蔵思想の経典や論書には、「如来蔵」を「アートマン」と同様な存在であると言っているものもあります。

「如来蔵」の概念は、直接的には部派仏教大衆部の「心性本浄」の延長上にあると言えます。
インドの文脈では、ヴェーダーンタ哲学の「アートマン」、サーンキヤ哲学の「プルシャ」の影響を受けているでしょう。
また、ヘレニズムの文脈では、グノーシス主義や、心の深層にある神性があるというギリシャ・イラン系宗教からも影響を受けているしょう。
大乗仏教はヘレニズムの東端の運動であり、ヘレニズム思想の特徴であるグノーシス主義と近いのは、当然だと言えます。

仏教の経典・論書の上では、「法華経」が、如来は不滅な存在であること、すべての人が仏になることができると宣言したことが、如来蔵思想への最初の一歩だったのでしょう。

それを受けて、1C後半から2C中葉の「大般涅槃経」では、釈迦がなくなっても、如来の本性としての「智慧」(法身)は常住であり、すべての人にその如来の本性である「仏性」が存在していると、改めて宣言しました。
そして、この経典の中で、「仏性」と同じものとして「如来蔵」という言葉を使いました。

「大般涅槃経」では、「如来蔵」は、「法身」=「涅槃」でもあり、「常楽我浄」を特徴とするものとされます。
この仏の実在性を強調するために、「如来蔵」を「我(アートマン)」であると表現しているのです。
ただし、これは誤解を受けやすいので、菩薩のための秘密の教えであるとも表現します。

次に、「如来蔵経」は、「大般涅槃経」の「すべての人の心の中に仏性がある」ことを、「醜く萎れた花弁のうてな(蓮台=パドマガルバ)で光輝を放ちつつ瞑想する如来たち」という比喩で表現しました。

如来思想を論理的に表現しようとしたのは、「宝性論」です。
同書、及びその註釈書は、「一切衆生が如来の本性を有している」ことを、

・法身が遍満している(仏の智慧が人の中に浸透している)
・真如が無差別である(それは無垢なる本性なので、仏も人も不二である)
・如来の種姓が存在する(仏となる可能性を持っている)

という3つの観点で説明します。

如来蔵思想を体系的に論じた「宝性論」では、

・因である「有垢真如」=「如来蔵」、「仏性」=「智恵」
・果である「無垢真如」=「菩提」=「慈悲」
・両者の共通の性質を「真如」

としました。

また、唯識思想までは、真理の客体としての「涅槃」は無為法、それを認識する主体(心・識)としての「智恵」は有為法として区別されました。
しかし、如来蔵思想では、両者が一体のものとなりました。
「真如」という遍在性を含意する概念が、無為法と有為法の区別をとっぱらったのです。

如来蔵思想は実在論的傾向が強いため、当初は、唯識派と接近していました。
しかし、6C以降は中観派と接近し、「如来蔵」は「空」、「無我」であるとされるようになりました。

これを受けて、チベットでも、中観帰謬論証派の「自性空説」の立場から、「如来蔵」を実体視する立場を、「他空説」として否定するのが正統派となっています。


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瑜伽行唯識派 [古代インド]

「瑜伽行唯識派(ヨガ・チャーラ)」は、「中観派」と並ぶインド大乗仏教の2大学派の一つです。

「唯識派」の思想は、説一切有部の教団の中の「瑜伽師(ヨガ・チャーラ)」と呼ばれる瞑想修行を行っている僧達が、その体験を元にしつつ、アビダルマや「空」思想を取り入れて作りました。
厳密に言えば、「唯識派」は学派名で、それをになったのが「瑜伽師」です。
両者の関係は、サーンキア派とヨガ派の関係と同じでしょう。

唯識派は、無常・無我である人がどのように輪廻し、業の因果法則を引き受けるのかを、唯心論的な世界観と、無意識的な心の分析を通して理論化しました。

唯識派は、マイトレーヤ(弥勒、2-3C)に始まり、アサンガ(無著、4C)、ヴァスバンドゥ(世親、4C)の兄弟が教学を大成しました。
しかし、弥勒は、実在人物ではなく、本尊としての弥勒菩薩だと推測されます。

その後、論理学を完成したディグナーガ(陳那)、『成唯識論』の元となる思想を展開したダルマパーラ(護法)などが出ました。

主な経典は、『解深密経』、論書は、『瑜伽師地論』、『現観荘厳論』、『摂大乗論』、『唯識三十頌』、『成唯識論』などです。

唯識派は、「三時教判(三転法輪説)」といって、仏の思想は、「小乗」(初転法輪)、「中観派」(第二転法輪)、「唯識派」(第三転法輪)と3段階で、順に、より深い教えが説かれたと主張します。
その3段階の思想はそれぞれ「有」→「無」→「中道」を本質とし、最後の唯識説が仏の密意であるとします。
つまり、中観派が真理についてただ「空」と否定的に表現しただけであるのに対して、唯識派は肯定的にその構造を示そうとしました。


<教義>

仏教では瞑想において、主客未分、無概念(無分別)の状態を体験します。
中観派が「空」と表現したこの状態の対象を、唯識派は「識(ヴィジュニャプティ)」と表現します。
この言葉は、本来は「表象(作用)」という意味ですが、この主客未分の状態から、分別する作用、分別された世界まで、すべてを含んだ概念です。

唯識派は、日常的な認識世界、心身内外の世界はすべて、「識」の作用によって表象されたものにすぎない、と考えます。
このことを「唯識性」と言い、「心の法性」とも言います。
この認識を理解している状態を「住唯識」と言います。
ですから、「法」も「我」も「識」によって仮設されたものにすぎません。

アビダルマ(説一切有部)では、実在である「法」を大きく「色」、「心(王)」、「心所」、「不相応行」、「無為」の五位に分類します。
唯識派では、「識」のみが実在なので、以上の「法」はすべて二次的な存在でしかありません。

もう少し厳密に言えば、「心(王)」と「心所」が「識(ヴィジュニャーナ)」であり、「色」、「不相応行」は仮の「法」、「無為」は「識」の本性です。
説一切有部では「心王」に「識」がありますが、唯識派では、「心王」に八識(後述)があるとします。
そして、「不相応」に「名身」「句身」「文身」などの言語に関するもの、「無為」に「真如」があります。
「色」、「心所」、「不相応行」、「無為」は、本質的には「心(王)」に、つまり、「識」に帰属します。

唯識派では、説一切有部と同様、「涅槃」は無為法、「識(心)」は有為法として区別しますが、「涅槃」を「識の本性」と表現することで、両者が連続的なものとなりました。

唯識派では、未分化な状態から分別された世界が生まれる過程を、「転変(パリナーマ)」と呼びます。
これは、サーンキヤ哲学がプラクリティから世界が生まれる過程を表現した「展開(パリナーマ)」と同じです。

唯識派では「識」に8種類の階層(八識)を考えます。

・「前六識」(識) :5感に対応する「眼識」「耳識」「鼻識」「舌識」「身識」と「意識」
・「末那識」(意) :自我の執着を生み出す無意識的な意識
・「阿頼耶識」(心):一切を生み出す根源的な意識。「阿陀那識」、「一切種子識」、「異熟」とも呼ばれる

アビダルマでは「識(ヴィジュニャーナ)」、「意(マナス)」、「心(チッタ)」はほぼ同じ意味で使います。
しかし、唯識派では、一般に「識」は前六識、「意」は「末那識」、「心」は「阿頼耶識」を指します。

「阿頼耶識」は根源にある「識」で、他の七識を生み出します。
「阿頼耶識」は輪廻の主体であり、それ自体は善でも悪でもありません。

「阿頼耶識」は「種子(習気)」を蔵しています。
「種子」は、人が無常であるのに業がどう引き継がれるかを説明する概念で、部派の「経量部」より取り入れました。
ちなみに『倶舎論』では、種子は五蘊に溜ります。

行為(業)は、臭いが移るように、その影響・結果を「阿頼耶識」に「習気=種子」として植え付け(薫習)ます。
この行為の結果という側面が「習気」と表現されます。

「習気=種子」が原因となって、成長して、行為を生み出します。
この行為の原因としての側面が「種子」と表現されます。

七識が「阿頼耶識」に「種子」を植え付け、「阿頼耶識」の「種子」が七識を生み出すという、相互関係が唯識派の考える「縁起」であり、「阿頼耶識縁起」と呼ばれます。
「識」はこのように、相互関係によって、また、個々の「識」自身として、常に変化しつづけます。

ですから、唯識派の「(識)転変」は、サーンキヤ哲学の「展開」のように深層から一方向的に創造されるわけではありません。
唯識派では「識」は「転変」するから無常なのであり、一方、サーンキヤ哲学では「転変」するので常住とされます。

「阿頼耶識」の別名の「阿陀那識」は、肉体を形成する潜在的な力として『解深密経』で説かれました。
「阿頼耶識」が完全に清浄になって仏になった場合は、「阿頼耶識」という名は使えません。
しかし、「阿陀那識」は無始より仏になった後でも呼ぶことができる名前です。
「阿陀那識」には、「如来蔵」という概念を取り込んでいると考えることもできます。

「意識」の原義は「意(マナス)に依る識」、「末那識」の原義は「意(マナス)という名の識」です。
「末那識」は「阿頼耶識」を自我であると思い誤って執着する「識」です。
サーンキヤ哲学の「マナス」は唯識派の「意識」、「アハンカーラ」が「末那識」に対応します。

「末那識」は執着の根源ですが、それ自体は善でも悪でもないとされます。
具体的に善悪と伴う業を生み出すのは「意識」であり、それによって「業種子」が生まれます。

中観派までの仏教は「世俗諦」、「勝義諦」という2つの世界を考えたのに対して、唯識派では「三性説」といって認識世界を3つで考えます。

「世俗諦」・「有」に相当するのが、分別された執着のある対象としての世界である「遍計所執性」です。
「縁起」に相当するのが、相互依存する実在としての「識」の活動である「依他起性」です。
「勝義諦」・「空」に相当するのが、執着をなくした「識」である「円成実性」です。

理論的には「円成実性」は無始なるものですが、現実的には、その名の通り目標として目指されるものです。
この主観的側面は「無分別智」であり、客観的側面は「真如」です。

「阿頼耶識」には煩悩によって汚染された部分と清浄な部分があります。
修行によって「阿頼耶識」を清浄なものにしていくことを「転依(パラヴルティ)」と言います。
「阿頼耶識」の中にある「有漏の種子」をなくし、「無漏の種子」を成長されることで「智」が生まれます。

この過程は、「転識得智」とも言い、「識」が「智」に変化します。
具体的には下記のように変化します。

1. 前五識  → 成所作智
2. 意識   → 妙観察智
3. 末那識  → 平等性智
4. 阿頼耶識 → 大円鏡智

「意識」が変化した「妙観察智」は「後得智」の正体です。

「四智」を獲得すると仏になるので、「仏の三身」が獲得されます。
真理そのものである「法身(自性身)」は「真如」とも呼ばれます。
霊的な体である「報身」は「平等性智」と共に生まれます。
肉体である「変化身」は、「成所作智」と共に生まれます。
また、環境としての器世間は仏国土となります。

如来蔵思想の影響を強く受ける前の唯識思想には、「智」の原因になる「無漏種子」があるかないか(受け入れることができるかで、きないか)は、人によって異なるとする説があります。
「菩薩」になれる種子のある人、「縁覚」になれる種子のある人、「声聞」になれる種子のある人、一切種子のない人、といった区別が生まれながらにしてある、ということです。

この「四智」に「法界清浄」という考えを合わせた「五法」は、密教の「五智」へとつながります。
また、唯識派は、「識」が究極的には「光」として体験されると考える場合もあるので、これも密教につながる考えです。


<歴史>

唯識派は、その当初から、先行していた如来蔵思想の影響を受けていました。
徐々にその影響は強くなり、「阿頼耶識」と「如来蔵」の結合・同一視を生み出しました。

後期の唯識派は、「無相唯識派」と「有相唯識派」に分かれ、論争があったとされます。
この二派に関する最初の記述は、シャーンタラクシタの『中観荘厳論』(8C)です。
しかし、この当時でさえ、はっきりと二派が存在したかどうかも不明です。

「有相唯識派」は、認識は対象の形相を有していると考えます。
分別以前に感覚像としての直感があり、これは真理であるとします。

ディグナーガ(陳那、5-6C)、ダルマパーラ(護法、6C):『成唯識論』、ダルマキールティ(法称、7C)らが主な論者です。
玄奘以降の中国・日本の法相宗は、この系統です。

一方、「無相唯識派」は、認識は対象の形相を有していないと考えます。
感覚像も含めて主客の構造があり虚偽であるが、それを生み出す働きの「心の輝き」は真実であるとします。
これが、密教の「光明」につながるのかもしれません。

スティラマティ(安慧、5-6C)が主な論者です。
彼は、アサンガ、ヴァスバンドゥ兄弟が究極的には「識」の実体性を否定したことを受け継ぎ、かつ、如来蔵思想の影響を強く受けました。

また、その後、「無相唯識派」は「中観自立論証派」の影響を受け、シャーンタラクシタが「瑜伽行中観派」を形成し、カマラシーラらに受け継がれます。
この二人はチベットでも活躍します。


<実践>

唯識派の観法は「唯識観」と呼ばれますが、それでは、認識そのものを対象にした認識が重視されます。

「成唯識論」の修行体系を紹介しましょう。
これは、中観派(般若学、「現観荘厳論」)と同じく、「五位(五道)」と「菩薩の十地」を基礎としています。
「五位(五道)」は、「資糧位(資糧道)」、「加行位(加行道)」、「通達位(見道)」、「修習位(修道)」、「究極位(無学道)」の5段階です。

1「資糧位」の段階では、教説を学び、利他を行いながら、「四無量」などの「止」と初歩の「観」を行います。

2「加行位」では、唯識派独特の観法(唯識観)によって、後天的な煩悩障と所知障(法我執)を抑えます。
具体的には、「倶舎論」、「現観荘厳論」と同じく、「四善根」の瞑想ですが、その特徴は「唯識観」と呼ばれる唯識派の教学に沿った観法を行う点です。

「四善根」の最初の2段階は「四尋思観」と呼ばれ、認識の対象である言葉・概念・主語性・述語性の4つは仮の存在であり、実在しないと観察・思索します。
後半の2段階は「四如実智観」と呼ばれ、先の認識の4つの対象を作り出した主体も存在しないと観察・思索します。

ここまでが凡夫の段階で、次からが聖者の段階(菩薩十地)です。

3「通達位(見道)」は、無漏で無概念の「無分別智」によってあるがままの真如を見る段階です。
また、それを基にした概念的な「後得智」を得ます。
これによって、後天的な煩悩障と所知障の種子と習気を断じます。
菩薩の初地に入り、「妙観察智(後得智)」と「平等智」が「意識」と「末那識」から生じます。

「無分別智」の瞑想は「真見道」と呼ばれ、「住唯識」の状態になります。
「後得智」の瞑想は、「相見道」と呼ばれ、主客の空を対象にした「三心相見道」と、四諦を対象にした「十六心相見道」の2つの観法があります。

4「修習位(修道)」では、波羅蜜を行じながら十地まで進み、先天的な煩悩と所知障の種子と習気を断じます。

5「究極位」では、「四智」を得て、仏に到達します。
「大円鏡智」と「成所作智」が生まれ、「妙観察智」と「平等智」が完成します。

修行道について詳しくは、姉妹サイト「仏教の瞑想法と修行体系」の「倶舎論」(説一切有部系):各論をご参照ください。

唯識派は、無意識にある「種子」に業の結果と原因を求め、また、智の原因をも求めました。
しかし、純然たる神秘主義思想である密教のように、もともと無意識に清浄な智が存在すると考え、「種子」を創造の原型と考えるには至りませんでした。
  


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中観派と般若学 [古代インド]

「中観派(マードゥヤミカ)」は、唯識派と並ぶインド大乗仏教の2大学派の一つです。
また、中観派の修行道論などの実践的な教学は「般若学」と呼ばれます。

中観派は、ナーガルジュナ(竜樹、2-3C頃)に始まります。
ただ、実際には、彼が活動した頃には、まだ学派と呼べる存在があったわけではありません。
中観派は、ナーガルジュナの主著の「中論」を論拠として、「空性」を中心教説とします。
「中観派」というのは中国での名前ですが、正しくは「中派」、ないしは「空性論者」です。


<教学>

「中論」は、般若経典を根拠としながら、概念的認識の真理性を否定します。
一言で言えば、中観派の教学の目的は、言葉によって言葉を否定することであると言えるのではないでしょうか。

従来のアビダルマ哲学(小乗仏教の教学)では、「法」の実体性(実有論)が主張されていました。
ナーガルジュナは、これを完全否定しました。
ナーガルジュナの主な論争相手は説一切有部です。

「中論」では、「縁起」、「無自性」、「空」を同じ意味で、また「仮」、「非有非無」、「中道」もほぼ同じ意味で使います。

すべての存在は、「縁起」(相互依存)する存在であるがゆえに、「無自性」(本質を持たない)であり、それを「空」(実体性を欠いている)と表現します。
すべての存在が本質を持たないがゆえに、概念では正しく表現できないので、「空」という概念で表現することも「仮」の表現である。
しかし、それによって「有」や「無」といった極端な見解への執着を離れることができるので、これは「中道」である。

だいたい以上が、「中論」の主な主張です。
「中論」では「縁起」をアビダルマのように時間的因果関係ではなく、相互依存という論理的関係として捉えます。

「非有非無」というのは単に「ある/ない」の否定ではなく、論理学的にすべての命題の「肯定/否定」の否定を意味します。
つまり、形式論理学の基本となる「二項対立」を否定します。

「中論」では、他にも「四句分別」の否定、つまり4つの基本的な論理「A/B/A&B/notA&notB」(有/無/有&無/非有&非無)の否定も行います。

また、具体的属性の代表として、「八不」(不生不滅、不常不断、不一不異、不来不去)が論証されます。
その論法は、「一異門破」「五求門破」「三世門破」などと呼ばれる論法です。

このように「中論」では、概念や論理を、概念対象の実体性の否定のために使われます。

「中論」は「諸行(現象)」だけではなく、「涅槃」や「仏」の実体性も否定します。
ですから、「涅槃」は「輪廻」と、「仏」は「諸行」と、異なる存在ではないのです。
これは、仏教における、すべての宗教化、形而上学化、絶対化を否定するものです。

では、現象(諸法)の背後にある実在として、なんらかの基体を認めるでしょうか?
「中論」では、「空」には、「空」の直観を得て見た肯定的な世界を指すという側面もあります。
しかし、「中論」では、実在的な基体を論理的には表現しません。
ですが、後の中観派は、如来蔵思想の影響もあるのか、このような基体を認めるようになり、「空(性)」を基体のように受け止めます。


<歴史>

中期(5-7C)の中観派は、一般に「帰謬論証派」と「自立論証派」に分かれます。

「帰謬論証派」は、「空」でないと前提すると矛盾することを示すことで、帰納法的に「空」を論証します。
チャンドラキールティ(月称)、ブッダパーリタ(仏護)、シャーンティデーヴァ(寂天)などが代表的な人物です。

一方、「自立論証派」は、唯識派のディグナーガ(陳那)が作った形式論理学を使って、「空」を直接的に論証しようとします。
代表的な人物は、バーヴァヴィヴェーカ(清弁)です。

後期(8C―)の中観派は、「自立論証派」が主流となりますが、唯識派と総合されて「瑜伽行中観派」となります。
代表的な人物は、ジュニャーナガルバ(寂護)(8C)や、チベットにも仏教を伝えた、シャーンタラクシタ(寂護)、カマラシーラ(蓮華戒)などです。

ちなみに、密教やチベット仏教では、「帰謬論証派」が主流となります。


<実践>

般若経典をベースにして生まれた修行体系を「般若学」と呼びます。
般若経典を重視する中観派の実践は、「般若学」に基づきます。
「般若学」は「厳観荘厳論」(マイトレーヤ・4C)をベースにしています。

「現観荘厳論」の修行体系は、「戒・定・慧」の「三学」と、北伝仏教の修行体系の基本である「五道」、そして、大乗仏教の基本である「菩薩の十地」をベースにしています。
修行階梯は、「資糧道」、「加行道」、「見道」、「修道」、「無学道」という5段階で構成されます。

「現観荘厳論」の修行体系は、説一切有部の修行体系を基にして、それを大乗化したものです。
また、説一切有部の修行を否定するのではなく、まずそれを修めてから、大乗の修行を修めるべきとしています。

「資糧道」の段階では、初歩の「慧」まで進みます。
「加行道」では、止観一体の三昧で「空」を理解します。
「見道」では、菩薩の初地に入り、後天的な煩悩を断じます。
「修道」では、十地まで進み、先天的な煩悩と所知障を断じます。
「無学道」では、等引智と後得智が一体となり、仏地に到達します。

「見道」と「修道」における認識の対象は四諦です。
大乗仏教である「現観荘厳論」の特徴は、実体否定の「空思想」と、利他的な「菩薩道」です。

詳しくは、姉妹サイト「仏教の瞑想法と修行体系」の「現観荘厳論(中観派:弥勒)」をお読みください。


西方の神秘主義との比較で言うなら、中観派は徹底的な「否定の道」を選んでいると表現できるでしょう。
しかし、存在の母体、至高存在を積極的に語らないので、そこには「上昇」というベクトルを感じることはありません。
また、否定の後の肯定、下降を積極的に表現することもありません。 
 


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大乗仏教の誕生 [古代インド]

大乗仏教は、イラン系のサカ族、パルティア、クシャーナ朝、ササン朝などがインドを支配した時代に、イラン文化の影響の強い西北インドや中央アジアを中心に発展しました。
特に、インターナショナルな志向を持った帝国であるクシャーナ朝のもと、ヘレニズム的な宗教的シンクレティズム、マニ教などのイランの宗教、ギリシャの宗教、グノーシス主義などの影響を受け、普遍化して生まれたのが大乗仏教でしょう。

大乗仏教の特徴は、民衆救済重視・讃菩薩(華厳経)、仏に関する有神論・汎神論的傾向(法華経、涅槃経)、在家主義(維摩経)、空思想(般若経)、経典の文学的傾向、経典信仰などです。

中でも、大乗仏教の最大の特徴は、「他者救済」であり、その実践者としての「菩薩」を讃えることです。
部派仏教が目指すのは「解脱」した「阿羅漢」ですが、大乗仏教が目指すのは「他者救済」を行う「仏」であり、その道を歩む「菩薩」です。
それゆえ、従来の仏の部派仏教を「声聞乗/小乗」、自らを「菩薩乗/大乗」と称しました。
大乗仏教では「他者救済」が優先されるので、「解脱」は実質的に、無限に引き伸ばされる傾向があります。

他者を救済するためには、単に「煩悩」をなくすのではなく、そのための「智慧」が必要です。
他者に対する完全な理解である「一切種智」や、説法において真理を言葉で伝えることのできる「後得智」です。
ですから、部派仏教の聖者の段階である「四双八輩」が「煩悩をなくしていく度合い」によって決められているのに対して、大乗仏教の「菩薩の十地」には、利他を行える能力の度合いがプラスされます。

「維摩経」が主張するように、「他者救済」のためには、出家するより、在家にいるべきだという考え方もあります。 
「煩悩を断じずに涅槃に入るのが本当の三昧であり釈迦の教えである」と言い、「在家にいながら執着をなくし、清浄な戒律と修行を行うべき」と言います。
仏教が、出家を否定ないしは相対化し、在家や現世に意味を見出す思想へと変化していきます。


大乗仏教運動がどのようにして始まったのかは、ほとんど分かっていません。
おろらく、一つの起源を見つけることはできないでしょう。

大乗仏教の初期の経典が作られ始めたのは、-1C頃です。
しかし、大乗仏教の教団が確認されているのは5C頃です。
つまり、大乗仏教は500年くらいは、部派仏教教団内において、そのあり方に対する反対運動として存在したと言えるかもしれません。
大乗仏教は、長らく、部派(仏教内の異なる教団である宗派)の中で、それを越えて形成された「学派」であり、その学派の「経典作成運動」だったのです。

大乗仏教の誕生は、インドにおける民衆的なヒンドゥー教の誕生と類似したところがあります。
吟遊詩人や文学的背説法師のような存在が重要な役割を果たしたらしいことも共通点です。

また、ヘレニズム文化としては、キリスト教の誕生と類似したところがあります。
ですから、イラン系の救済宗教(マニ教、ミスラ教、ゾロアスター教)の影響を大きく受けたと考えられます。

大乗仏教の背景としては、当時、広がりを見せていた仏塔信仰が考えられます。
仏塔は、部派仏教教団に属するものもありましたが、仏塔で活動していた在家信者向けの説法師が、大乗仏教の背景を作っていったという側面も考えられます。
「仏舎利」に対する信仰が、徐々に、抽象的で不滅の「仏」へと昇華されていきました。

もう一つの背景として考えられているのは、「仏伝文学」(特に釈迦の前世物語である「ジャータカ」)とそれを担った詩人達です。
釈迦は前世において、燃燈仏に出会って、人々を救う誓願を行って菩薩となり、解脱の予言を受け、転生後に成仏しました。
大乗仏教は、この釈迦の前世の伝記物語を前提とし、それをならうものでした。

仏伝文学は超部派的存在で、「讃仏乗」と呼ばれることもあります。
仏伝文学では、大乗仏教の基本教義となる「六波羅蜜」や「十地」が生まれました。 
この流れが、原始仏典と比較してはるかに文学(物語)的な、大乗の経典につながるのでしょう。

もちろん、大乗仏教には、中観派や唯識派につながるような、学問僧(アビダルマ師)や修行僧(瑜伽師)が作ってきた部分があります。
特定の部派の教団を越えて、各教団内に「大乗学派」の僧がいたのでしょう。
初期の大乗仏教は、単に出家主義を批判するだけでなく、森の中での修行を薦めていましたが、これは瑜伽師の流れでの主張でしょう。

経典作成に関して言えば、それは大乗学派に特別なものではありませんでした。
紀元前頃から、インド哲学諸派も含めて、部派間では盛んに教義論争が行われ、互いに影響を受けながら、自らの教説を生み出してきました。
そして、その教説を元に、「経」や「論」を修正したり、新しく作成したり、「三蔵」に今まで入っていなかった文献を入れたりしました。

「経」を論じた「論(アビダルマ)」は、直接的には明らかに仏説ではありませんが、各部派は、それを「ブッダの言葉」であると認定しました。
「法性」とか、「埋没経」という観点から、仏説に矛盾しない文献や、従来知られていなかった文献も、「ブッダの言葉」と認めて、「三蔵」に入れることができるとしたのです。
さらに、従来の経典も、「未了義」なので「裏の意味」があると、新説で解釈できれば、新説も仏説にできるとしました。
これらの延長に大乗経典の作成が行われたのです。

また、大乗学派と伝統的な学派は、同じ部派の教団内部で、共存し、必ずしも排他的ではなかったのです。
つまり、部派教団において、大乗学派を仏説として認めていたのです。
例えば、法蔵部などは、「三蔵」に新しく大乗系と思われる「菩薩蔵」を付け加えています。
また、中国僧の義浄は、「四つの部派の中で大乗と小乗の区別は定まらない」と報告しています。


最初の大乗仏教の教団は、確認されている範囲では、べンガル、オリッサなど、周辺地域から生まれたようです。
エフタル(フン族の一派?)の侵攻によって、従来の部派仏教の寺院や経済基盤が破壊されたことが、新しく大乗仏教教団の誕生の一因になったのかもしれません。


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説一切有部とヴァズバンドゥの『倶舎論』 [古代インド]

西北インドで中心的な勢力を持ち、北伝の大乗仏教の修行や思想に大きな影響を与えたのが「説一切有部」です。

説一切有部は、「三世実有」、「法体恒有」という表現に代表されるように、特殊な実体主義的哲学を持って言われることが多いようです。
その部分は大乗仏教や軽量部から批判の対象となりました。
しかし、上座部と説一切有部を比較しても、煩瑣な部分をのぞけば、大きな違いはないという印象を持っています。


『阿毘達磨倶舎論(以下、倶舎論)』は、5世紀頃に、ヴァズバンドゥ(世親)が書いたもので、北伝のアビダルマ論書として最も有名な書の一つです。
これは、説一切有部の『発智論』、『大毘婆沙論』をベースにしながら、それを説一切有部の分派である軽量部の見解を取り入れた立場から書きました。

ちなみにヴァズバンドゥはその後、大乗仏教の瑜伽行唯識派に転向し、唯識派でも重要な論書を残しています。


ここでは、『倶舎論』に書かれている修行体系と、「須弥山宇宙像」と呼ばれる宇宙論を詳細しています。


<宇宙論>

「須弥山宇宙像」は、世界山を中心とした宇宙論です。
仏教では原始仏典の長部『世記経』で記載されて以来、徐々に精密化していきました。
アーリア人の神話の影響や、オリエントの宇宙論の影響があると思われます。
また、プラーナ文献で語られるヒンドゥーの宇宙論ともそっくりです。

神々を含めて生物が輪廻する世界は大きく3つの階層に分けられます。
上から「無色界/色界/欲界」の三界です。
それぞれ、「形を越えた精神の世界/執着はなくしたが肉体を持つ生物がいる世界/いまだ執着を持つ生物の世界」です。

三界は、六趣(六道)が輪廻する世界です。
梵天のような一部の高いレベルの神を除き、神々を含めた六趣のほとんどの生き物は欲界にいます。
六趣の一つ地獄も欲界の地下にいます(あります)。

さらにこの三界の上には、精神と物質を超えた涅槃の領域である「滅盡定」があります。

「無色界」は4つの層で構成されます。
上から「非想非非想処」、「無所有処」、「識無辺処」、「空無辺処」です。
「色界」は大きく分けて4層に別れます。
上から「第4禅」、「第3禅」、「第2禅」、「初禅」です。
いずれも、「止」の瞑想のレベルに対応しています。
それぞれがさらに多数の層の天によって構成されます。
第4禅の一番上は、仏が涅槃に入っていく場所である「色究竟天」です。

「初禅」以下の世界を「一世界」と呼びます。
この「一世界」は無数に存在します。

「欲界」は上から「六欲天/地上/地獄」で構成されます。

また、地上は巨大な風輪の上にあり、風輪の上に水輪がありその上部は金輪になっています。
金輪の上は海になっていて、その中心には大陸と「須弥山」と呼ばれる「世界山」があります。
その下半分には4層の張り出しがあって、これが四天王が住んでいる「四大王衆天」です。
そして、頂上には帝釈天の宮殿があり、他にも33の神々が住んでいる「三十三天」です。
「須弥山」の上空には、空中天の形で、「六欲天」の残りの4天があります。

人間(インド人)は「須弥山」のある大陸の南方の大陸に住んでいて、その北方の池からは卍状に旋回しながら4つの川が流れ出しています。

部派仏教の宇宙論では、宇宙全体は消滅しません。
消滅するのは宇宙の下層だけなのです。
ただ、生滅の規模には3段階があって、3重に生滅が繰り返されます。
そして文化の盛衰を入れると4重の生滅が繰り返されます。

文化の盛衰は戦争、飢饉、流行病のどれかによって「1劫」ごとに起こります。
ちなみに1劫は想像できないほどの長い年数を表します。

最も小規模な宇宙の生滅は、「初禅」以下の一世界の生滅です。
これは「成劫/住劫/壊劫/空劫」という4つの時期を経て、繰り返されます。
一世界の破壊は火災によって起こります。
各時期は20劫の時間を要し、全体で80劫かかります。この周期を「大劫」と呼びます。
現在は、この住劫の9劫目、つまり住劫の折り返しの手前に当たります。
この住劫では1劫ごとに人間の寿命が増減します。
現在は寿命が減少する劫に当たります。

さらに、中レベルの生滅として「第2禅」以下の世界が8大劫に一度、水災によって消滅します。

さらに、大レベルの生滅として「第3禅」以下の世界が64大劫に一度、風災によって消滅します。
この周期を「64転大劫」と呼びます。

各劫には千人の仏が出現します。
現在の劫では釈迦が4番目の仏で、次の仏は5億7600万年後に現れる弥勒です。


<修行階梯>

『倶舎論』では修行階梯は「三道」で構成されますが、実際には準備段階を入れると5段階で構成されます。
「順解脱分」→「順決択分」→「見道」→「修道」→「無学道」の5つです。
この5段階は大乗仏教にも受け継がれ、「五道」と言われます。
大乗では「順解脱分」は「資糧道」、「順決択分」は「加行道」と呼ばれます。

五道の体系は、順序としては「戒」→「定(止)」→「慧(観)」の「三学」を継承しています。

しかし、最初の「順解脱分」の段階で、すでに「戒」、「定」を終えて「観」の段階に入ります。
上座部の『清浄道論』で言えば、「戒清浄」、「心清浄」、「見清浄」、「度疑清浄」までが相当するでしょう。

「順決択分」は『清浄道論』で言えば「道非道智見清浄」、「行道智見清浄」に相当するでしょう。
「見道」からは聖者の段階で、『清浄道論』で言えば「智見清浄」の前半で、預流果までに当たります。
「修道」の段階は「智見清浄」の後半で、阿羅漢向までに当たります。
「無学道」は阿羅漢果です。

『倶舎論』の「観」の特徴は、とにかく「四諦」の観察を繰り返すことです。
『清浄道論』では諸行の無常を対象とした観察の結果として「四諦」を認識を一挙に得るとしたのに対して、『倶舎論』は「四諦」を対象とし、順次認識を得るとします。

まず知的煩悩を絶ち、次に情的煩悩を絶つとして、2つを段階的に明確に区別します。
情的煩悩を絶つには三昧が必要とします。

また、煩悩を絶つに当たって、欲界から色界、無色界へと順に煩悩を絶っていきます。
そしてそれぞれの段階でも煩悩のレベルによって上から下へ、あるいは下から上へと順に煩悩を絶つとして細かく段階分けをしています。
 
 


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南方上座部とブッダゴーサの『清浄道論』 [古代インド]

南方上座部は、インドの上座部系の分別説部がスリランカに渡り、その後、ミャンマー、タイなど東南アジア諸国に広がった部派仏教(小乗仏教)の宗派です。

一般に、仏教の経典はその時代時代に編集され、修正され、追加されるものです。
しかし、5Cにブッダゴーサ(仏音)が経典を確定して以降は、東南アジアの上座部仏教圏では、経典は変化していません。
こうして、パーリ語による同じ経典類を共有する、統一的な仏教文化圏が形成されました。

上座部仏教は合理的な思想傾向を持ち、釈迦以外の仏を認めず、神々の存在は認めますがほとんど意味を認めず、実質的には無神論的な傾向がある仏教です。

無常な世界をあるままに認識することで、心身を止滅させる(涅槃)ことを目指します。


『清浄道論』は、南インド出身のブッダゴーサがスリランカで大寺派の立場から5Cに書いたもので、それ以降、上座部最大の聖典となっています。
『清浄道論』は、それ以前の様々な経・論を参考にしながら、独自の思想・修行体系を打ち立てました。

主に影響を受けた経・論は、修行階梯を『解脱道論』から、「七清浄」をパーリ中部『伝車』から、「縁起説」(縁起は縁起支であり無常な諸行)と「四諦一時顕現説」を『無礙解道』から、「3種の完全知」を『義釈』から、「縁起成仏説」を『長部』・『相応部』から、「四諦三転十二行相」を『転法輪経』から、「四禅」の定義や「四諦」・「十二縁起」の説明を『分別論』から、などです。
ブッダゴーサは、自身の説の根拠となる『無礙解道』、『義釈』を新たに経蔵に「小部」として組み込みました。


<修行階梯>

修行の階梯は、「戒」→「定」→「慧」の3学を基本とし、詳細は「七清浄」としてまとめられました。
「戒」の段階が「戒清浄」、「止」を行う「定」の段階が「心清浄」、凡夫の「観」の段階が「見清浄」、「度疑清浄」、「道非道智見清浄」、「行道智見清浄」の4つ、聖者の段階が「智見清浄」です。
「観」の瞑想に限ると「五清浄」となります。

「五清浄」の流れは、大きく「三遍知」という観点から捉えられます。
「三遍知」は、「知遍知」→「度遍知」→「断遍知」の3段階からなります。
「知遍知」は、名色の各個別相を認識する知です。
実体(法)としての個々の名と色を分別し、その因果関係を認識します。
次の「度遍知」は、個々の名色の共通相(苦・無常・無我)を認識する知です。
最後の「断遍知」は、名色が常なるもの、楽なもの、我であるという認識の間違いをなくし、執着を絶つ知です。

また、「五清浄」の各段階は、四諦の認識とも一定の対応をします。

最初の「見清浄」は、名色(精神と物質)を知り、心身に私としての実体はなく、ただ無常である様々な名と色があるのみである理解する段階です。
これは「苦諦」の理解に相当します。

次の「度疑清浄」は、名色の因縁を知って、輪廻など三世に関する疑惑をなくす段階です。
これは「集諦」の理解に相当します。

3つ目の「道非道智見清浄」は、正しい修行道と非道を区別する段階です。
これは「道諦」の理解に相当します。

4つ目の「行道智見清浄」は、正しい修行の過程を知る段階です。
より細かくは、「八智」と呼ばれる8つの智と、総まとめ的な「随順智」、次への移行段階として「種姓智」からなります。
これらもおおむね「道諦」の理解に相当するのかもしれません。 

最後の「智見清浄」は、煩悩を離れて四諦を直接知る段階です。
より細かくは、「四道智」からなります。
この段階は、「止」と「観」が平等に結合します。
これは、「滅諦」の理解に相当するでしょう。

『清浄道論』では、「四道智」の各一瞬に「四諦」を知ります。
「四諦」を一瞬に知るので、「四諦一時顕現説」と呼ばれます。

また、認識の対象は諸行の「苦・無常・無我」であって、「四諦」は認識の結果として生じると考えます。
「智見清浄」の中では「涅槃」も対象にしますが、それ以外では、認識の対象はあくまで無常な諸行なのです。

このように、合理的に修行階梯を体系化したことが『清浄道論』の最大の特徴です。

*詳しくは姉妹サイトの仏教の瞑想法と修業体系の6つの記事をご参照ください。
 


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部派仏教のアビダルマ哲学 [古代インド]

「部派仏教(小乗仏教)」は、一般に、仏教教団が最初の分裂後、20の部派にまで分かれた、大乗仏教ではない仏教を指します。
現在、スリランカや東南アジア諸国の仏教である「(南方)上座部」は、唯一現存する一派です。

各部派はそれぞれに「経」、「律」、「論」の三蔵と呼ばれる経典を伝承していました。
「論」は「経」が説く「法(ダルマ)」や「律」に対する研究であり、「アビダルマ」と呼ばれます。
各部派は、それぞれに独自の「アビダルマ」を発展されました。
「アビダルマ」は、仏教の哲学的な思想でもあり、詳細な存在論、認識論、実践論が作られました。

北伝仏教では、西北インドを中心に最大宗派だった「説一切有部」が、大乗仏教の批判対象でしたが、同時に多くの影響を大乗仏教に与えました。
特に「説一切有部」の流れで 5C頃書かれたヴァスバンドゥの「阿毘達磨倶舎論」は、北伝のアビダルマの代表的な書として後世に大きな影響を与えました。

一方、南伝仏教では、スリランカに伝えられた「上座部」が東南アジア諸国に広まり、同じ聖典を共有する統一された宗教文化圏を形成しました。
ブッダゴーサがスリランカで5Cに書いた「清浄道論」はその最大の聖典として、現在まで大きな影響力を持っています。


アビダルマ哲学では、世界を原子論的、要素主義的に見ます。
つまり、一般の概念やイメージによる認識は、「世俗諦」と呼ばれ、その対象は微細な実在の集まりでしかなく、実際には存在しないものです。
一方、真に存在するものは、現象を構成している「法」であり、それに対する認識は「勝義諦」と呼ばれます。

たとえば、人間(魂)といったものは「五蘊(肉体・感覚・イメージ・意志や感情や連想・思考)」の集まりでしかなく、実在ではないと考えます。

「法」の分類は部派によって異なります。
まず、存在は無常な「有為法」と永遠で心身を超越した表現不可能な「無為法」に分かれます。
「無為法」は上座部では「涅槃」のみです。
説一切有部では「択滅」と表現します。

大衆部では、心の母体を「心性本浄」と呼び、煩悩のない永遠の存在であるとします。
ウパニシャッドのアートマンや大乗仏教の如来蔵思想に似ています。

「有為法」は、瞬間瞬間に、生滅を繰り返しているとします。
しかし、「法」は「本質」を持つ存在です。
大乗仏教はこれを否定し、「空」の哲学を生みます。

「有為法」は上座部では、大きく「心(精神)」、「心所(精神の作用・状態)」、「色(物質)」の3種類に分類されます。
説一切有部では、精神でも物質でもない、その関係である「心木相応行」を加えます。
経量部では、「心所」を認めません。

らさに細かい分類はもちろん、部派や論書によって様々です。
例えば、上座部の『清浄道論』の法の体系では、52「心所」、89「心」、28「色」、1「涅槃」を立てます。
説一切有部の『倶舎論』は46「心所」、1「心」、14「心不相応行」、11「色」、3「無為」です。

物質である「色」には、元素としては、オリエントの5元素説に対して、上座部は4元素、説一切有部は「虚空」、「識」を入れて6元素です。

仏教の各部派にとって、「無我説」と輪廻の主体、業の相続の矛盾の解決は困難な問題でした。
説一切有部は心の母体として「心地」と、連続的な関係性としての「心相続」を考えます。
また、業を心理的なものだけでなく、「無表色」という業物質が身体に生まれると考えました。
経量部では業の影響を心に潜在的に存在する「種子」として、また、輪廻の主体を微細な意識である「補特伽羅」としました。
大衆部は先に書いたように「心性本浄」を立てます。
上座部は、無意識的なただ生きているだけの心の母体を「有分」を立てます。


部派仏教の実践論は、原始仏教から引き継いだ「戒・定・慧」の「三学」が基本です。
「定」は、集中する瞑想法である「止」が中心で、概念やイメージを停止して対象と一体化します。
「慧」は、観察する瞑想法である「観」が中心で、対象を直観的に認識します。

釈迦は「観」に瞑想により悟ったと考えられました。
一般に「観」の対象は、「四諦」や「十二縁起」です。
そして、「法」が「苦」であり、「無常」であり、「無我」であると理解して、それに対する執着を捨て去ります。

意識や認識世界は「涅槃(滅尽定)」、「出世間心」「無色界心」、「色界心」、「欲界心」の5つの階層で構成されます。
一般に、「欲界」は「止」の瞑想を行っておらず、対象に執着を持つ世界です。
「色界」は物質を対象にして一体化した「止」の瞑想を行っている世界です。
「無色界」は物質的な形を持たない特殊な対象と一体化した「止」の瞑想を行っている世界です。

「出世間心」は「観」の瞑想によって概念やイメージなしにあるがままを認識できるようになった心です。
「涅槃(滅尽定)」は精神が完全に止滅した状態の「止」の瞑想を行っている世界です。

「無色界」、「色界」、「欲界」は三界と呼ばれ、生き物が輪廻する世界です。
神々では、肉体を持たない「無色界梵天」、「梵天」、一般の「神々」が三界に対応します。
上座部などでは、生き物は神、人間、動物、餓鬼、地獄の五趣(五道)を、説一切有部などではこれに悪神(阿修羅)を加えた六趣(六道)を輪廻します。

三界を含む部派仏教の宇宙論は、部派によって異なりますが、「須弥山宇宙像」と呼ばれるものをほぼ共有しています。
これは、原始仏典の長部『世記経』などに現れ、徐々に精密化されてものです。
これについては「説一切有部とヴァスバンドゥの倶舎論(予定)」で紹介します。

「止」の瞑想修行は3段階(三修習)からなります。
「遍作修習(遍作定)」→「近行修習(近行定)」→「安止修習(安止定)」です。
この流れで、「止」の対象を「遍作相(感覚が捉える現実の対象)」→「取相(外的感覚なしに心の捉える対象)」→「似相(純粋な本質的対象)」と順に深めていきます。
「安止定」で初めて対象と一体化した「色界定」に到達します。

「似相」という本質を対象にした「安止定」は、イデアの観照的な認識に類似しているかもしれません。
といっても、イデア界といった形而上学的な存在は認めませんが。

「色界」の「止」の瞑想は、部派によって解釈が異なりますが、上座部のアビダルマでは5段階に分けられます。
「初禅」では精神の状態として、意識的な思考(尋)、無意識的な思考(伺)、身体的な喜び(喜)、身体の消えた幸福感(楽)、一体感(一境性)があります。
「第二禅」では、意識的な思考(尋)がなくなります。
「第三禅」では、無意識的な思考(伺)もなくなります。
「第四禅」では、身体的な喜び(喜)もなくなります。
「第五禅」では、身体の消えた幸福感(楽)もなくなり、不動の心(捨)と一体感(一境性)だけになります。

さらに、「無色界」の「止」の瞑想は4段階に分けられます。
「空無辺処」は、「虚空」を対象にして一体化します。
「識無辺処」は、「虚空」をなくして識別作用に一体化します。
「無所有処」は、識別作用をなくした状態、対象を持たないことを対象に一体化します。
「非想相非非想処」は、識別作用をなくすことをなくした状態に一体化します。

瞑想修業では、「止」に続いて「観」を行いますが、煩悩のない智恵を初めて持ち始めて以降の段階を「聖者」と言います。
「聖者」はさらに、「煩悩をなくしていく度合い」によって「預流」、「一来」、「不還」、「阿羅漢」の4段階に分けられます。
各段階を、それを達成する瞬間の「向」と到達した段階の「果」に分けると、「四向四果」とか「四双八輩」と呼ばれる8段階になります。

「預流」は、7回の転生の後に解脱できるという段階です。
「一来」は、1回の転生で解脱できるという段階です。
「不還」は、もう人間として転生することなく、梵天に生まれ変わる段階です。
「阿羅漢」は解脱に達した段階です。
   
 


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