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仏教の流れと神秘主義 [古代インド]

仏教は、煩悩の根本原因を無意識レベルの認識の間違いからくる渇愛と考え、それをなくすことを目指す宗教(思想)です。
その点ではきわめて合理的な思想だと言えます。

しかし、概念やイメージを通した認識を否定(間違いであると)し、直観的な認識を肯定する点で、本ブログでの定義では神秘主義思想であると言えます。

他の点については、仏教での諸派によって様々な違いがあります。
密教においては、流出論的な世界観、象徴主義、気の身体論などが完備され、完全な神秘主義思想となります。

本ブログでは、仏教の諸派、歴史的発展・変化を、大きく分けて5分類で考えています。
「釈迦の思想(原始仏教)」、「部派仏教(アビダルマ仏教・小乗仏教・南伝仏教)」、「大乗仏教(大乗顕教・菩薩乗)」、「密教(タントラ仏教・金剛乗)」、「ゾクチェン(大円満乗・究境乗・任運乗)」です。

「釈迦の思想」は、最古層の経典であるパーリ「小部」収録の「スッタニパータ(集経)」の第4章として修められている「八つの詩句(義足経)」と、第5章として修められている「彼岸に至る道」を読むかぎり、上に書いた意味できわめて合理的であったようです。
死後の存在や輪廻を認めていません(肯定も否定もせず、問題として認めなかった)。
ただ、現世での生のみを問題にし、概念やイメージによる認識も間違いによって欲望が起こらないように、常に気をつけていろと述べています。
そして、教義を持たず、あらゆる論争を避けるように述べています。

「部派仏教」では輪廻は前提とされます。
そして、教義を持つなという釈迦の思想とは正反対に、仏教が哲学的な思想として、詳細な存在論、認識論、実践論が作られていきます。
部派仏教においては、目標としての涅槃は心身の完全な止滅を意味し、絶対的な現世否定思想となります。
また、存在を原子論的・要素主義的に捉え、現象を構成している真なる実在を「法」とします。
現世のあらゆる存在は無常ですが、涅槃は永遠とされます。 
また、瞑想の状態を分析し、それが意識や宇宙の階層論という側面を持つようになります。

「大乗仏教」は、おそらくはイランの宗教の影響を受けて、有神論的傾向を持ちました。
「仏」は宇宙的な原理となり、密教に向かって複雑なパンテオンを構成していくことになります。
一方、哲学的には、部派仏教に残る実体主義を批判しながら、「空」思想を洗練します。
また、「種子」の概念で、煩悩に関わる潜在意識論を作りました。

「密教」は、先に述べたように、流出論的な宇宙論、象徴主義、気の身体論など、神秘主義思想として、世界史的にも最も完成度の高い神秘主義思想となります。
究極存在としての「空」は、流出論的な創造の母体ですが、それは一切の存在の本質性、実体性を保証しません。
究極存在は「智慧(静的・素材的次元)」=「方便(核的・創造的次元)」の一体性と考えられます。
そのため、密教では心身を活性化することが悟りにつながり、悟りは自在に現世で活動できるもの(涅槃=輪廻)となり、かなり現世肯定的な思想となります。
悟りは具体的には、意識と身体の階層としての、仏の三身(法身・報身・変化身)の獲得とされます。

「ゾクチェン」は、煩悩を断たなくてもカルマを現わさないとする思想であり、インドの「業」思想史上の革命となりました。
究極存在は、「本体(静的次元)」、「自性(核的次元)」、「エネルギー(創造的次元)」の三位一体として考えられます。
これは 「初めから清らか」、「あるがままで完成」などと表現され、「ゾクチェン」は作為性の完全な否定を目指します。
最終的には、仏の三身とは異なる「虹の身体」の獲得を目指します。
また、密教にある象徴主義(偶像主義)を乗り越えて、普遍性を指向します。


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ヴィシュヌ・プラーナの宇宙論:第二次創造と時間 [古代インド]

ヒンドゥー教の聖典「ヴィシュヌ・プラーナ」(ヴィシュヌ教パンチャラートラ派の聖典)で説かれる宇宙が生滅する循環宇宙論を紹介しましょう。
これによれば、宇宙の生滅は2重の構造を、文化を入れると3重の構造を持っています。
「倶舎論」で説かれているような部派仏教の世界観とも類似しているので、何らかの影響関係があったのでしょう。

宇宙の創造には2段階があります。
「インド・ヒンドゥー教の創造神話」で紹介したように、根源的な創造では、原初の水の中の原初の蛇の上に横たわるヴィシュヌ神が目を覚ますと、そのへそから宇宙蓮とともに創造神ブラフマーが生まれて宇宙を創造します。
「ヴィシュヌ・プラーナ」では、別項で紹介したように、蛇は宇宙卵となり、サーンキヤ哲学を取り入れてより哲学化された、素材的な創造に当たる第一次創造(サルガ)のプロセスが語られます。

第二次的な創造(プラティ・ラルガ)は、ブラフマー神の1日の始まりに行われます。
まず、ブラフマー神が様々な動物に姿を変えて、以前の水没した大地を引き上げて、そこに同心円状の7つの洲を作ります。
次に、「4界(地面、虚空、天上、聖界)」を作り、「植物」、「動物」、「神」、「人間」、そして、「文化的理念」を作ります。
さらに、ブラフマーの息子の少年神「クマーラ」たちを作りますが、彼らは子供を産まない存在です。
さらに、アスラ、ブラフマーの9人の息子で「プラジャーパティ」と呼ばれる氏族の祖神を作ります。
彼らの子孫として、神々の「アーディティヤ」と「悪神(ダイティヤ)」が生まれます。
さらに、人祖の「マヌ(スヴァーヤンブヴァ)」達を作ります。

ブラフマーによって作られた「ヴェーダ」の教えに基づいた地上の秩序ある世界は、「クリタ・ユガ/トレーター・ユガ/ドヴァーパラ・ユガ/カリ・ユガ」という4段階を繰り返して432万年かかって生滅します。
この秩序ある世界が生滅する一生の時間の単位が「マハー・ユガ」です。

「カリ・ユガ」は「ヴァーダ」の教えが最も廃れる末法期で、この時期の最後には「7聖仙(サプタリシ)」と、ヴィシュヌ神の化身で、白馬に乗った救世の英雄「カルキ」がシャンバラに生まれて、それを復活させます。
白馬に乗って現れるというのはミスラの神話を同じで、明らかにミスラ教の影響があります。
「カリ・ユガ」という考え方には、当時の外国勢力の相次ぐ侵入や、仏教の繁栄が反映しているものと思われます。

この秩序ある世界が1000回生滅する1000「マハー・ユガ」が、ブラフマー神の1昼もしくは1夜に当たり、宇宙はブラフマー神の1日周期で生滅を繰り返します。
この時間を「カルパ」と呼びます。
上記した第二次創造は、「カルパ」の最初に行われます。

また、この1カルパの間に14人の「マヌ(人間の祖)」が現れて、7聖仙や神々、神々の長、マヌの子孫の地上の聖王達と共に地上を統治します。
現在は第7番目のマヌのヴァイヴァスヴァタの時代に当たります。
つまり、ブラフマー神の1日の折り返し点の手前(明け方)なのです。

ブラフマー神の1日の終わりには、宇宙は形の上で一旦消滅します。
ヴィシュヌ神が破壊的な姿をとって、太陽の7光線の中に入り、地上の水分を蒸発させて7つの太陽となり、宇宙を燃焼させます。
次に、雲を吐き出して大雨によってそれを水没させ、さらに暴風によって雲を吹き飛ばします。
そして原初の龍の上で仮眠に入ります。

ブラフマー神の一生はヴィシュヌ神の1日であって、ブラフマー神の1日はヴィシュヌ神の瞬きあるいは一時的な仮眠のようなものです。
ブラフマー神の一生は72000カルパで、現在はちょうど折り返した次のカルパ(野猪のカルパ)に当たります。

ブラフマー神の一生の終わりには、宇宙は素材の上でも消滅します。
7層の元素が下から順に上のものに吸収されて消滅します。
こうしてすべてがヴィシュヌ神の中に吸収されます。


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ヴィシュヌ・プラーナの宇宙論:第一次創造と空間 [古代インド]

宇宙の具体的な階層構造に関して、詳細な宇宙論を述べているヒンドゥー教(ヴィシュヌ教パンチャラートラ派)の聖典「ヴィシュヌ・プラーナ」の宇宙論、その創造と宇宙の構造を紹介しましょう。
ここにも、オリエントの宇宙論の影響が感じられます。


まず、ヴィシュヌ神=ブラフマンが目覚めると、化身としてブラフマー神となり、そして、「純粋精神(プルシャ)」の形態になります。
次に、順次、「未展開物者(アヴィヤクタ)」=「根本物質(プラクリティ)」→「展開者(ヴィヤクタ)」→「時間(カーラ)」の形態になります。

そして、ブラフマーは「プルシャ」と「プラクリティ」の中に入って、まず、「思惟(ブッディ)」を生みます。
これは「大いなるもの(マハット)」とも呼ばれます。

マハットは、まず、「自我(アハンカーラ)」を生みます。
「アハンカーラ」は、「純質(サットヴァ)」の影響下に「心(マナス)」とインドラ、ミトラなどの10神々を生みます。
また、「激質(ラジャス)」の影響下に10の器官を生みます。
また、「暗質(タマス)」の影響下に、5つの「微細元素(タンマートラ)」と5つの「粗大元素(マハーブータ)」と生みます。

マハットは、次に、7層の存在に囲まれる「宇宙卵(地)」を生み出します。
そして、不可視だったヴィシュヌは、可視のブラフマー神となり、大洋の上に漂う卵の上にやすらぎます。

7層の世界は、上から「根本物質(プラクリティ)」、「思惟器官(ブッディ)」に相当する「大いなもの(マハット)」、自我意識「アハンカーラ」に相当する「元素の根源(ブータ・アディ)」、そして「4元素(虚空、風、火、水)」です。
「宇宙卵」は多数存在します。

「宇宙卵」の中の宇宙も大きく分けて7層に分けられます。

上にはまず、神々の住む4つの天上世界があります。
不死の住人が住む「サティヤ・ローカ」、ヴァイプロージャと呼ばれる神々が住む「タポー・ローカ」、ブラフマンの子供たちが住む「ジャナ・ローカ」、ヤマたちが住む「マハル・ローカ」です。

そして、次に「天界(スヴァル・ローカ)」、「空界(ブヴァル・ローカ)」、「地界(ブール・ローカ)」です。
「天界(天球)」は10層で構成されています。
上から順に「北極星/大熊座(7聖仙)/土星/木星/火星/金星/水星/星宿(オリエントの12宮に相当するもの)/月/太陽」です。
「空界」はオリエントの月下界に相当する天球の下の空間です。
「地界」は「地上」、7層の「地下」、28の地獄「地獄」を含みます。

また、地上の中心には「メール山」と呼ばれる巨大な黄金の山があります。
メール山の山頂にはブラフマー神の大宮殿があり、その八方には神々がいて世界を守護しています。
メール山の周辺には巨大な「ジャンプ樹」が生えていて、その果実からは不死の霊液を流れます。
また、ブラフマー神の宮殿からガンジス川が四方に向かって流れていきます。
人間(インド人)が住んでいるのは「メール山」の南方の国で、唯一楽園ではない場所です。

これらはシャーマニズム神話の普遍的な要素です。
ですが、「世界山」や「世界樹」は古代ペルシャの宇宙論にもありますから、古代アーリア以来伝えられていたものか、後世にペルシャから伝わったものかもしれません。

以上の宇宙創造は、ブラフマー神が誕生する時の素材的な創造であり、「第一次創造(サルガ)」とでも呼ぶべきものです。
ブラフマー神が一日の始まりに行う、人間世界などの世界の「第二次創造(プラティ・サルガ)」については別項をご参照ください。
 

(ヴィシュヌ・プラーナの宇宙構造)
根本物質(プラクリティ)
=未展開者(アヴィヤクタ)
大いなるもの(マハット)
=思惟(ブッディ)
元素の初源(ブータ・アーディ)
=自我(アハンカーラ)
虚空
地(宇宙卵)7層
4天上界
・サティヤ・ローカ
・タポー・ローカ
・ジャナ・ローカ
・マハル・ローカ
(天界)
・北極星
・大熊座
・土星
・木星
・火星
・金星
・水星
・星宿(恒星天)
・月
・太陽
空界
地界
・地上
・7層の地下
 28の地獄

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ヒンドゥー教の宇宙論:存在の階層 [古代インド]

オリエントの宇宙論、ヴェーダーンタ哲学、サーンキヤ哲学、仏教などの影響を受けて作られた、ヒンドゥー教のプラーナ文献などに記された宇宙論を紹介しましょう。
これは、ヴァーダ以来の伝統的な思想を新たに統合したものと言えます。


まず、宇宙の根源である至高存在は「パラ・ブラフマン」と呼ばれます。
これはサーンキア哲学の「プルシャ」、ヴィシュヌ派の「ヴィシュヌ」、シヴァ派の「シヴァ」に相当します。パラ・ブラフマンは「有・知・歓喜」という性質を持ちます。

このパラ・ブラフマンからは物質的な存在(素材)、宇宙的な存在(マクロコスモス)、個的な存在(ミクロコスモス)がそれぞれ階層の高いものから順に生まれます。
階層は大きく分けて「原因的(極微)な段階/微細な段階/粗大な段階」の3つに分かれます。
この3つの段階はそれぞれ「熟睡/夢見/覚醒」の状態の意識に対応し、パラ・ブラフマンの段階は至高の「第4状態」の意識に対応します。

まず、物質的存在、素材の原因的段階は未開展物「アヴィヤクタ」です。
これは3つの運動傾向「サットヴァ、ラジャス、タマス」が均衡した状態です。
これはサーンキヤ哲学の「プラクリティ」、ヴェーダーンタの根源的な「マーヤー」、タントラ派・シャークタ派の「シャクティ」に相当します。
これが微細な段階では、まず、オリエントの第1質料に相当する「タンマートラ」となって、これから「微細な5大元素」となり、粗大な段階では微細な5大元素が結びつき合って「粗大な5大元素」となります。

次に、宇宙的存在は、原因的段階が(オリエントのデミウルゴスに相当する)宇宙創造神の「イシュワラ」です。
次に微細な段階が(オリエントの世界霊魂「アニマ・ムンディ」に相当する)宇宙自体の神である「ヒラニヤガルバ」です。
そして、粗大な段階が宇宙神の物質的身体である「ヴィラート」です。
宇宙創造神や世界霊魂は「ブラフマー」、「ヴィシュヴァカルマン」、「プラジャーパティ」などと呼ばれることもあります。

次に、個的な存在、生物存在の側面です。まず、パラ・ブラフマンがパラ・ブラフマンと同質なものとして、すべての生物の霊魂の根源である普遍霊「パラマートマン」を、さらに個的な霊である「ジーヴァートマン(ジーヴァ)」あるいは単に「アートマン」を生みます。

人間にも3つの次元の存在があります。カルマによる種子を持つ霊的次元の「コーザル(カーラナ)・シャリーラ(原因体)」、魂的次元の「リンガ(スクシュマ)・シャリーラ(微細体)」、肉体である「ストゥーラ・シャリーラ(粗大体)」です。

また、より具体的な5つの段階の身体、真我を包む5つの鞘があります。
原因体に相当する「アーナンマダヤ・コーシャ(歓喜鞘)」、微細体でブッディに相当する「ヴィジュニヤーナマヤ・コーシャ(知性鞘)」、微細体でマナスとアハンカーラに相当する「マノマヤ・コーシャ(心の鞘)」、微細体でプラーナに相当する「プラーマナヤ・コーシャ(呼吸鞘)」、粗大体である「アンナマヤ・コーシャ(食物鞘)」です。

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パタンジャリの「ヨガ・スートラ」 [古代インド]

バラモン系の「六派哲学」の一派である「ヨガ派」の聖典として、2-4世紀頃に編纂された「ヨガ・スートラ」の修行体系を紹介します。
これは心身の止滅による解脱のための実践論です。
しかし、そこには意識の階層性に関する理論があります。

「ヨガ・スートラ」はパタンジャリ作とされますが、彼は伝説的人物であり、実際の「ヨガ・スートラ」は長い時期に作られた複数の文書を編集したものです。

「ヨガ・スートラ」のヨガは、精神のコントロールを行う瞑想法を中心にしていて、「古典ヨガ」と呼ばれます。
現代では、「ラージャ・ヨガ」と呼ばれることもあります。

 後にタントリズムの影響で生まれる「ハタ・ヨガ」のような、様々な座法(アーサナ)、プラーナの本格的な操作は見られません。

「ヨガ・スートラ」はヨガを8段階からなる階梯に体系化しています。
そのため「八支ヨガ(アシュタンガ・ヨガ)」とも呼ばれます。

この「古典ヨガ」の方法は、ウパニシャッドや沙門が活躍した頃にはすでにある程度、形成されていたものと思われます。

ヨガ派はサーンキヤ哲学と関係が深く、ヨガ派が行う「古典ヨガ」の体験をもとにサーンキヤ哲学が生まれたと共に、サーンキヤ哲学によって「古典ヨガ」が体系化されてきました。
ちなみに、「ハタ・ヨガ」はヴェーダーンタ哲学やシヴァ派、シャークタ派と関係が深いのです。

また、先に、仏教(アビダルマ仏教)が修行体系を宇宙論と結びつけて体系化していたので、その影響も受けています。

まず、その8段階の階梯を簡単に紹介しましょう。

①禁戒(ヤマ)=すべきでないこと:不殺生、不淫などの倫理的戒律
②勧戒(ニヤマ)=すべきこと:苦行や祈祷などによる浄化
③座法(アーサナ):安定した快適な座り方

座法は、「安定した、快適なものでなければならない」と書かれているのみです。
座法にはそれ以上の意味はなく、ハタ・ヨガのように多数の座法を説くことはありません。

④呼吸法(プラーナーヤーマ)

ハタ・ヨガのような多種の複雑な方法は説かれず、プラーナのコントロール(調気法)という意味合いは明瞭ではありません。
呼息・吸息よりも「クンバカ(止息)」を重視します。
また、おそらく最終目標と思われる、呼吸をしていないような僅かな呼吸を指す「第四の呼吸」につても言及されます。

⑤制感(プラティヤーハーラ):感覚を外部の対象から分離して意識を内部に向ける

そして、最後の3つの段階は、総合的な精神コントロールとして結びついていて、「綜制(サンマヤ)」と呼ばれます。
仏教では「止(シャマタ)」と呼ばれます。

⑥凝念(ダラーナ、英語で「コンセントレーション」):意識を外界や身体の一点、あるいは特定のイメージや観念に集中して、他の心の動きを消す。一つの対象に対して多面的から集中することはある

⑦静慮(ディヤーナ、音訳して「禅」、英語で「メディテーション」):その一つの対象に対して、一面的、かつ持続的に集中する

⑧等持(サマディー、音訳して「三昧」、英語で「コンテンプレーション」):対象と完全に一体化する

「三昧(サマディー)」とほぼ同義語として「等至(サンスクリット語で「サマーパッティー」)」という言葉が使われることもあります。
これは直観的な知とも言えます。
「サンマヤ」は開眼でも閉眼でも行われますが、開眼で行う場合は外界の視覚を無視します。
以上の8段階のうちの「サンマヤ」の3段階は、対象に対する意識、心のあり方によって分類されていますが、さらに、対象の微細さの差による分類も生まれました。
これを見ると、瞑想によって順にどのような意識の状態が生まれてくるのかが良く理解できます。

8段階の実践体系の⑧「三昧」は、主客の意識が消えた対象との一体化を意味しました。
ですが、仏教が瞑想の高い段階を詳細に分類した体系を作ったために、ヨガ行派もこの影響を受けて、「三昧」の段階を、その対象によって更に細かく分類しました。

それらは、対象の有無や、対象の微細さのレベル、潜在印象の有無で段階化されています。
その段階を進むには、心の働きを止める「修習」と「離欲」が必要とされます。

まず、「三昧」はそれがイメージのような形のある心の働きを残したものであるかどうかで、「有想三昧(有種子三昧)」と「無想三昧(無種子三昧)」に分かれます。

さらに「有想三昧」は、次の4つ段階に分かれます。
物質的なものを対象にする粗大な心の働きがある「有尋三昧」です。
それがなくなり、非物質的なものを対象とする微細な心の働きだけがあるのが「有伺三昧」です。
さらにそれもなくなり、対象が消滅して穏やかな心地良さだけにあるのが「有楽三昧」です。
そして、心地良さも消滅して自分の存在感覚だけになるが「有我想三昧」です。

ここには、仏教の「四禅」「四無色界定」の体系の影響を感じます。
仏教と違うのは、サーンキヤ哲学を基にしていて、「尋」の対象を「粗大な五大」と「11根」、 「伺」の対象を「微細な五大」、「アハンカーラ」、「ブッディ」と考えるところです。
また、「有我想」は、プルシャではなく、ブッディに自己同一化する煩悩の働きとします。

また、「有種子三昧」と表現される場合は、「有尋定」、「無尋定」、「有伺定」、「無伺定」という4分類がなされます。

「無想三昧」では、内面が清澄になり、「直観知(プラジュニャー)」が発現します。
そして、表面的な心の働きが停止し、無意識的な「潜在印象(行、サンスカーラ)」のみが残ります。

最終段階の「無種子三昧」では、「直観知」も「潜在印象」もなくなり、心が完全に止滅します。
これは、心が完全に「プラクリティ(根本物質)」に戻り、「プルシャ(純粋意識)」がそれから分離した「解脱」した状態です。

(ヨガの実践体系)

⑧三昧・等持(サマディー)=等至(サマーパッティー)
 ・無種子三昧:心の止滅
 ・無想三昧:直観知の発現
 ・有想三昧:有形対象への一体化
   無伺定(有我想三昧・有楽三昧)
   有伺三昧:微細な対象に一体化
   有尋三昧:粗大な対象に一体化

⑦静慮=禅(ディヤーナ):一面的集中の持続
⑥凝念(ダラーナ):一つの対象に集中
⑤感覚の外部対象からの分離
④呼吸法
③座法
②苦行や祈祷などの浄化法
①倫理的禁戒

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ヴェーダーンタ哲学(バルトリハリとシャンカラ) [古代インド]

バラモン系「六派哲学」の一派のヴェーダーンタ哲学は「ヴェーダ」、特にその奥義であるウパニシャッドの研究を目的とするインド哲学の最大の学派です。
-2~3Cのバーダラーヤナに始まり、5Cの「ブラフマ・スートラ」、バルトリハリの「語一元論」と展開して、8Cのシャンカラの「不二一元論」によって最初の大成がなされました。
シャンカラの哲学はブラフマン以外の実在性を認めない徹底的な非実体主義的なものですが、その後のヴェーダーンタ哲学の流れは、より実体主義的な傾向へと反転しました。

ヴェーダーンタの哲学は、その派によって様々に異なりますが、一般的に以下のような思想を語ります。

まず、最高存在を「ブラフマン」とする一元論的思想です。
そして、個人の本質である「アートマン(個我)」がそれに等しいことを知る智恵(ジュニャーナ)によって解脱すると考えます。

ブラフマンは宇宙のすべてを生み出す根源(世界原因)です。

ブラフマンの代表的な性質は「存在(サット)」、「知(チット)」、「歓喜(アーナンダ)」などがあります。
これはオリエント・ギリシャの神智学と同様です。
また、ブラフマンには抽象的な中性原理という性質と、人格神的な男性神、主宰神としての性質があって、哲学者によってその捉え方は様々です。

ブラフマンは無目的に遊戯として世界とアートマンを開展します。

「虚空、風、火、水、地」という順に「微細な5大元素」を生み出し、その組み合わせから「粗大な5大元素」を生みます。
これらから「内官(アンターカラーナ)」、「5プラーナ」、「5行動器官」、「5感覚器官」が構成されます。
これらから人間の魂の体である「微細身」と肉体である「粗大身」が作られ、そこにアートマンが入ります。
「内官」は、ほぼサーンキヤ哲学の「ブッディ」と「マナス」に相当するものです。

アートマンは4つの意識状態を廻ります。
「覚醒/夢見/熟睡/第4状態」です。

  (アートマンの4状態)
・第4状態  :種子が止滅した解脱状態、ブラフマンの状態
・熟睡状態 :対象のない純粋な知(プラジュニャー)、種子の状態
・夢見状態 :内官が潜在印象を対象として活動
・覚醒状態 :内官と5感覚器官が活動

 
<ブラフマ・スートラ>

「ブラフマ・スートラ」では、ウパニシャッドを継承して、ブラフマンを「世界原因」と定義しています。
また、ブラフマンの属性としては、有、精神、歓喜、偏在、未開展、超感覚的、無差別、無形、名称・形態を形成する作用、などをあげます。

ですが、「ブラフマン」という表現は3回しかなく、「パラ(最高者)」と8回表現され、その中には男性形で表現されている場合もあります。
つまり、ブラフマンは中性原理であるだけではなく、人格神的側面もあり、主宰神ともされます。

また、アートマンの4状態として、「第四状態」ではなく「気絶」をあげています。
そして、解脱は、アートマンのブラフマンとの合一とします。

開展された世界に関しては、元素は五元素説(虚空・風・火・水・土)と三元素(火・水・食物)の両方が説かれます。
また、「微細な身体」についいて、輪廻する時にアートマンに随伴し、解脱に達するまで存続するとしています。


<バルトリハリ>

バルトリハリは、5Cの文法学者で、一種の言語神秘主義思想によってヴェーダーンタ哲学を発展させました。
彼の著作には、「ヴァーキヤパディーヤ」と、パタンジャリの書を注釈した「大註解書解明」があります。
彼は、仏教書も精通し、その批判をしていますが、同時に影響も受けているようです。

バルトリハリは、ブラフマンには、有無・同異を越えていて、否定的にしか表現できない純粋な相(純粋ブラフマン)と、世界原因であって「言葉」である相(言葉であるブラフマン)がありますが、同時にその2相が一体の存在です。
世界原因はサーンキヤ哲学のプラクリティに相当するものです。
最高原理を言葉とする思想は、「マイトリ・ウパニシャッド」など、バルトリハリ以前から存在します。

彼によれば、聖音オームはブラフマンの本質そのものであり、「諸世界の創造主」とも表現されます。
また、ブラフマンの世界を展開力は、「種子」とも呼ばれます。

バルトリハリは、「言葉」の本質を、音声の中で「意味」を現す存在である「スポータ」であるとしました。
「スポータ」はパタンジャリに由来する概念ですが、彼はそれをより形而上学的な意味で解釈しました。
彼によれば、「言葉」の「意味」は「類」に他なりませんが、これは客観的実在であって、普遍性と特殊性の階層性を持っていて、個物の中に偏在するのです。

バルトリハリによれば、「言葉」は4つの階層で現れます。
まず、ブラフマンであり、身体の内奥に存在する「最高の言葉」、次に虚空の最初の振動であり、臍の部分に達した「見つつある言葉」、音声の微少部分であり、心臓の部分にまで到達した「中間の言葉」、最後が人間が口から発する「文節された言葉」です。

 (ブラフマンと言葉の階層)
・純粋ブラフマン
・最高の言葉としてのブラフマン
・見つつある言葉
・中間の言葉
・文節された言葉

このように、バルトリハリが言う「言葉」は、単なる概念ではなく、神秘主義的な言語観によるものであり、マントラ的まものです。

また、バルトリハリによれば、ブラフマンと同様に、アートマンにも絶対的な相と「言葉」としての相があります。

そして、「言葉」としてのアートマンは、それ自身の映像として「意味」を投影します。


<シャンカラ>

シャンカラは8C頃の人物で、ヴェーダーンタ哲学を代表する人物です。
後に、彼を信仰するスマールタ派が形成されました。

シャンカラは、仏教の非実体哲学の影響を受けたガウダパーダの弟子のゴーヴィンダの弟子です。
そのため、シャンカラの哲学も非実体主義的な傾向を持ち、「幻影主義的不二一元論」と呼ばれます。
シャンカラは、「仮面の仏教徒」と批判されることもあります。

ですが、彼は独自の思想の創造者というより、 総合・集成者です。
シャンカラの主著は、「ブラフマ・スートラ注解」、10の「ウパニシャッド注解」などの注釈と、哲学的著作の「ウパデーシャ・サーハスリー」です。

シャンカラによればブラフマン(とアートマン)以外は実際には実在しない幻のようなものなのです。

それらは「無明(アヴィディヤー)」と呼ばれる認識の間違いによって、存在しない「幻影(マーヤー)」が投影されたものでしかないのです。
ブラフマン以外の宇宙は実在しないものなので、宇宙は開展されたものではなくて、単に「仮現」されたものなのです。
「無明」がなくなると、宇宙はすべてブラフマンとしての姿を現わします。

シャンカラは、ブラフマンに、究極的な「無属性ブラフマン」と、「無明」と結合して形を展開した「有属性ブラフマン」を区別しました。
ブラフマンの属性としては、存在、知、永遠、清浄、自覚、解脱、不二、無属性などをあげます。
その一方で、ブラフマンを主宰神でもあります。

シャンカラは、ブララフマンの中にある「未開展の名称・形態」というものが、宇宙の仮現のもとになると考えました。
あらゆる形・性質を可能性として宿している存在です。
ですが、シャンカラ以降のヴェーダーンタ派の哲学はこれを認めず、代わりに「無明」を誤った認識の原因、質料因的な宇宙的な原理として考えて、ほぼ「マーヤー」と同義に扱い、これがブラフマンを隠し、開展する力と考えました。

シャンカラが説く開展された世界の構成要素や、アートマンに関わる4状態は、上記した通りです。
「内官」については曖昧ですが、主に「マナス」、「ブッディ」を指します。

ですが、アートマンは常に解脱の状態にあります。
ですから、シャンカラによれば、輪廻の主体は存在しません。

輪廻は、「無明」というアートマンと非アートマンを区別できない認識の誤り、附託によって起こります。
純粋な意識の主体であるアートマンが「ブッディ(内官)」に、その「映像」を諸観念としてを照らすことによって、「ブッディ」が意識を持つ主体であるかのように誤解をするのです。
この「映像」という発想はオリエントの思想を思い出させます。

修行には、「知識の実習」であり、「明知の近因」とされる静隠、自己抑制などと、「行為の実習」であり、「明知の遠因」とされる祭礼などがあります。
修行者は、「有属性ブラフマン」の瞑想を経て、究極的な「無属性ブラフマン」を認識し、「明知(ヴィディアー)」と「知識(ジュニャーナ)」を獲得し、「解脱」に至ります。
バクティも解脱へ導く方法として認めますが、バクティは「有属性ブラフマン」に関わるものにすぎません。

シャンカラは、四住期の中の3番目の住期を経ることなく、いつからでも出家できるとしました。
出家できるのは、バラモンのみです。
ですが、シュードラにも、「プラーナ」などの聖典をきっかけにした解脱の可能性を認めました。

ちなみに、シャンカラを始祖とするスマールタ派は、14Cに組織化されました。
スマールタ派は在家信者も擁し、その思想は、シャンカラ哲学だけでなく、多様な信仰で構成されています。
そこには、シャンカラをシヴァ神の化身と信じ、歴代の法主をシャンカラーチャーリヤと呼ぶシャンカラーチャーリヤ信仰や、
女神シャーラダー(サラスヴァティ)の恩寵を重視するシャーラダー信仰などがあります。
また、バクティを重視し、タントラ色も持っています。
そして、そのため「有属性ブラフマン」と「無属性ブラフマン」の体験をほとんど等価なものとして並置し、神と人間の合一を認めます。


<シャンカラ以降>

10Cには、ラーマーヌジャがバクティ思想に傾倒した哲学を展開しました。
彼はブラフマンをヴィシュヌ教のナーラーヤナと同一視します。

ブラフマンの属性には、有、知、歓喜、無垢、無限などがあります。

ブラフマンは、遊戯として、「純粋精神(プルシャ)」=「アートマン」と「根本物質(プラクリティ)」を自分の中から分離して世界を創造します。
このように、サーンキヤ哲学をも取り入れました。

アートマンも世界もブラフマン同様に実在であり、不一不異です。
ですが、アートマンと世界はブラフマンが限定され様態であるとしたため、彼の哲学は「被限定者不二一元論」と呼ばれます。


13Cのマドヴァは、「多元的実在論」と呼ばれる、実在論的傾向の強い哲学を展開しました。
彼は、ブラフマン、アートマン、世界の三者を実在とします。
ブラフマンとアートマンの間に差別を認めるため「二元論」とも呼ばれますが、すべてがブラフマンに依存するとする点で一元論です。

また、ブラフマンは主宰神ヴィシュヌであり、風神ヴァーユとして顕現するとしました。

ヴァーユは、ヴィシュヌの「ひとり子」とされ、友人であり救済者として降下される存在です。
ここには、マニ教はキリスト教の影響を見ることができます。

解脱は、ヴィシュヌ神の恩寵によってが可能となるのですが、恩寵にあずかるには「知識」が必要とされます。


15-16Cのヴァッラバも、ブラフマン、アートマン、世界の三者を実在とします。
ですが、ブラフマンもアートマンも世界も、マーヤーによって影響されず、純粋清浄であるとするため、彼の哲学は「純粋不二一元論」と呼ばれ、現世肯定的な哲学を展開しました。

ヴァッラは、クリシュナをブラフマンと同体としました。
そして、解脱には恩寵とバクティを重視しましたが、解脱よりも天でクリシュナに奉仕することを良しとしました。

または、豪華な衣装をまとい、美味しい食事を食べることも勧めましたが、菜食主義の戒律は守りました。
そして、彼は家長期を重んじ、結婚を行ったため、この派は在家主義者となっています。

また、何の努力もせず、神に近づくすべを持たない者も、神によって与えられる「プシュティ・バクティ」によって解脱できるとしたのが特徴です。
これはゾクチェンや親鸞の他力に近い思想でしょう。
 

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サーンキヤ哲学 [古代インド]

インドでは哲学的思考を「ダルシャナ」と呼びます。
グプタ朝期に成立したバラモン系の「六派哲学」の中で神智学的傾向の強いのがサーンキヤ哲学(サーンキヤ派)とヴェーダーンタ哲学(ヴェーダーンタ派)です。

サーンキヤ哲学は-3~4Cのカピラに始まり、4Cのイーシュヴァラ・クリシュナの「サーンキヤ・カーリカー」によって体系化されました。
サーンキヤ哲学は神話的な原人「プルシャ」を抽象化してアートマン同様の「真我」としました。

プルシャは観察するだけの純粋な意識原理で、常に解脱の状態にあります。
プルシャは多数存在して、すべてのプルシャの根源である「最高我」と同じにして異なるものだとされます。
サーンキヤ哲学が問題とするのは、この純粋な意識からこれ以外のすべてを排除して、本来の姿を見い出すことです。
サーンキヤ哲学はこの実践に適したように哲学されたためにプルシャとそれ以外の要素という2元論の形をとったのです。
ですから、この2元論はゾロアスター教的な善悪の2元論とは異なります。

純粋意識であるプルシャ以外のすべてのもの、つまり精神世界や物質世界は根本物質である「プラクリティ」から流出します。
インドでは流出を「パリナマ」と言い、日本のインド学ではこれを「開展」と訳します。
プラクリティはすべての現われが生まれる根源なので「アヴィヤクタ(未開展物)」とも呼ばれます。

ただ、プラクリティには内部構造があって、3つの要素が平衡した状態です。
これらは、光、快楽を特徴とする「サットヴァ」、活動と不快を特徴とする「ラジャス」、闇と抑制を特徴とする「タマス」です。
このように物質を元素ではなくて根源的な傾向によって分類する発想は、錬金術で「硫黄、水銀、塩」の3つの傾向を考えることに似ています。

プルシャは世界を享楽し、やがて解脱するためにプラクリティを眺めます。
つまり、インド古典思想としては珍しく、サーンキヤ哲学は宇宙創造の意味を認めているのです。

すると、プラクリティはラジャスが活動を始めて平衡状態が破れ、世界が生まれます。
まず、「ブッディ(思考・判断作用)」、「アハンカーラ(自我意識)」、「マナス(識別作用)」、「5感覚器官」、「5行動器官」が順次生まれます。
さらに5感覚器官から「微細な5大元素」、そして「粗大な5大元素」を生みます。サーンキヤ哲学ではギリシャ哲学でいうヌースのような直観的知性を宇宙論的には考えません。

サーンキヤの実践の方法論として「八成就」があります。
これは仏教の「八正道」のようなものでしょう。
「思量(考える)」、「声(教えを受ける)」、「読誦(師のもとでの学習)」、「依内苦滅(自分の心身の苦を滅する)」、「依外苦滅(他人などによる苦を滅する)」、「依天苦滅(自然や鬼神による苦を滅する)」、「友を得る」、「布施(長期的な学習)」の8つです。

また、瞑想の階梯として「6行観」があります。
これは「粗大な5大元素」、「十一根(5感覚器官・行動器官・マナス)」、「微細な5大元素」、「アハンカーラ」、「ブッディ」、「プラクリティ」の6種類の対象に関して、順に、それが自分自身ではないと理解して離れる、という瞑想法です。
つまり、プラクリティの開展物を一つ一つ自分自身から切り離していく瞑想です。
これは古代の原始仏教が「色(外界の対象)・受(感覚作用)・想(感覚像)・行(感情や意志)・識(識別作用)」という認識プロセスのどの段階も真我ではないと分析したことと似ていま。

サーンキヤ哲はバラモン教「六派哲学」の「ヨガ派」やヒンドゥー教の「ジュニャーナ・ヨガ」の基礎教学となりましたが、中世に徐々に衰退し、ヴェーダーンタ哲学に吸収されていきました。

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オリエント・イランからインドへの影響 [古代インド]

インドの中世には、ヴェーダには存在しなかった様々な思想が現われています。
これにはアレキサンダー以降の相次ぐオリエント勢力の侵入によるヘレニズム文化の影響があると思われます。
この影響は実証することはできませんが、影響があったと考えるのが自然です。
特に、西北インドの仏教へのペルシャ思想の影響は大きいはずです。
7Cにはペルシャ帝国が滅亡して多くの亡命者がインドに来ています。

詳細は省きますが、ヘレニズム文化の影響が考えられるものを列記しましょう。

生滅を繰り返す宇宙というバビロニアの循環宇宙論の影響が、プラーナ以降のヒンドゥー教と小乗仏教の宇宙論に見られます。

また、これと関係するのが、初期のズルワン主義にあった循環する宇宙の3つあるいは4つの時期とそれに対応する神という考え方です。
この影響を考えられるのが、ヒンドゥー教の「創造・維持・破壊」という3つの時期と、それに対応する神の3位一体説「トリムルティ」(ブラフマー・ヴィシュヌ・シヴァ)です。
「トリムルティ」はミスラ教の3位一体「ミスラ・アフラマズダ・アナーヒター」or「ミスラ・アザゼル・ソフィア」を元にしているのでしょう。
イスマーイール・パミール派がズルワン主義とヒンドゥーの習合を進めたようです。

仏教にも3つの時期に消滅期を加えた宇宙の4つの時期という考え方があります。
密教の法身の3段階「自性清浄身・客塵清浄身・智法身」や、ゾクチェンの「本体・自性・エネルギー」の3元論も、トリムルティの影響を考えることができます。

無限時間の神ズルワンの影響を考えられるのが、シヴァの別名マハーカーラ、シヴァの妃カーリー、阿弥陀仏の名であるアミターユス(無量寿如来)、最後の仏教経典の守護尊カーラチャクラ(時輪仏)などです。
これらはどれも時間と関係した神仏です。

光を重視するペルシャの宗教、具体的には光の神アフラもしくはミトラの影響を考えられるのが、ヴィシュヌ、大日如来、阿弥陀仏のもう1つの名であるアミターバ(無量光如来)です。
また、ゾクチェンでも存在の階層を光の階梯として考えます。

また、オリエントの5大元素の影響と考えられるのが、ヴェーダーンタ、サーンキア哲学と仏教の5大元素です。
ただ、インドでは微細な元素と粗大な元素の両方を考えます。
ちなみにヴェーダの考え方は火、水、食物の3大元素でした。
また、ズルワン主義でアフラマズダが5大元素に対応する5大天使を集めて原人間になったことは、「金剛頂経」以降の5仏を中心とした5部体系に影響を与えた可能性があります。

ゾロアスター教の救世主のサオシャントや救世主ミスラの影響を考えられるのが、ヒンドゥー教の救世主カルキと大乗仏教の菩薩、特にマイトレーヤ(弥勒菩薩)です。
「カーラチャクラ・タントラ」にもカルキは登場し、最終戦争というテーマもあります。

ゾロアスター教の3徳「善行・善語・善思」の影響も考えることができます。
仏教とジャインナ教では「身・口・意」と表現され、これがカルマとの関係で分析されました。
また、密教では「身・口・意」が3密として、成仏の3つの方法論と考えられました。

また、仏教の本初仏である「金剛薩埵」にはヘラクレスの影響が考えられています。

仏教最後の経典「カーラチャクラ・タントラ」は、ミスラ教系の占星術・神智学と、インドのタントリズムを統合したもので、中世インド神智学の最終完成形です。

また、神への絶対的献身を中心とするインドのバクティ思想は、スーフィズムの影響で生まれました。
シク教もスーフィズムとヒンドゥー教の統合・普遍化として生まれました。

また、いくつかの時代に、太陽信仰や占星術を特徴とするミスラ教系のマギがインドに入り、バラモン(マガ僧)と呼ばれるようになっています。
インド占星術の最大の古典である「ブリハット・サンヒター」(6C)を書いたヴァラーハミヒラも、「ミヒラ」はミスラの中世語である「ミフル」由来であり、マガ僧です。


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古代から中世へ [古代インド]

最初にインドの古代から中世にかけての宗教史を押さえておきましょう。

<ヴェーダの思想>

-12~13Cインドに侵入して支配層となった半農半牧のアーリア人の宗教は、「ヴェーダ」を聖典としたバラモン教です。
その特徴は、現世利益を目的とする多神教的な呪術的思想です。
ですから、宇宙と人間の心身、神の世界と自然界が対応関係を持っているという万物照応の世界観が基本です。
儀式における象徴的要素やマントラによって、象徴や自然の背後にある本質的な力、呪術的な力(「ブラフマン」と呼ばれていました)をコントロールして、人間の欲望を実現させるのがヴェーダの思想です。
バラモン達は森林部を開拓して原住民の農業を基盤とした支配体制を生み出しました。

<反ヴェーダの思想>

ですが、-7~5C頃に商業の発達・都市化と共に、輪廻からの解脱を目指す非バラモン的(非アーリア的)な新しい思想が生まれました。
伝統的な身分制であるカースト制を否定する異端派の仏教やジャイナ教です。
彼らはバラモンではなくシャラマナ(沙門)と呼ばれ、森林部で修行し、都市部で勢力を延ばしました。

彼らの思想の特徴は、解脱を目指す現世否定的な思想です。
儀式ではなく瞑想法であるヨガによって、すべての心身の作用を死滅させて、究極的な存在・意識を見出します。
この現世否定的傾向は、その後のインド思想に大きな影響を与えました。

また、非バラモン的な思想の影響を受けて、バラモンの間でも「ヴェーダ」の奥義的な哲学的思想である「ウパニシャッド」が生まれました。

いずれも人格神論ではなく抽象的な原理や、抽象的な原理としての神を問題にしました。
これは否定的にしか表現できないものとされることが多く、否定神学的な傾向がありました。

また、同時期少し異なる流れですが、8C頃に、北インドの遊牧民ヤーヴァダ族のクリシュナ(ヴァースデーヴァ)が、バガヴァッド(ヴァースデーヴァ)と呼ばれる太陽神への献身的な信仰を宗教を生み出しました。
これはバーガヴァタ派と呼ばれ、後のクリシュナ信仰につながります。

<ヘレニズムの影響>

-4Cのアレキサンダーのインド遠征以降、紀元後の頃までギリシャ人のバクトリアや、イラン系のサカ、パルチア、クシャーナなどの民族が次々とインド北西部に侵入しました。
こうして、インド思想とギリシャ・オリエント思想(ヘレニズム思想)が交流しました。

仏教を保護したのは、他地域との交易や多民族性を特徴とする外来系のインターナショナルな王朝でした。
特にマウリア朝は仏教を国教として、積極的にエジプト、ギリシャまで仏教を伝えました。

ちなみに、バクトリアはプラトン一族、新プラトン主義を始めたアンモニオス・サッカスはサカ族出身ということもあり、新プラトン主義のプロティノスには「華厳経」などの仏教の影響があるという説もあります。
 

また、仏教はイラン系宗教の影響から、有神論的・人格神的で救済的な大乗仏教を生み出しました。
大乗仏教の多くは、東イラン・中央アジア地域で発達しました。

<ヒンドゥー教の誕生>

一方、バラモン教は、仏教・ジャイナ教に対抗して、非アーリアンのドラヴィダ人の宗教観を吸収して、救済的・有神論的・民衆的なヒンドゥー教が生まれました。
2大叙事詩が聖典です。
その一部であるバァーガヴァタ派に由来する「バガヴァッド・ギーター」は、献身・帰依を重視し、バクティヨガ、カルマ・ヨガ、ジュニャーナ・ヨガが説かれます。
ヒンドゥー教は基本的には4つのカーストのうち上位の3カーストだけを救いの対象としていました。

4世紀にはグプタ朝という純粋な民族国家が生まれたため、バラモン・ヒンドゥー教のルネッサンスと仏教の弾圧が興りました。
グプタ朝期には、叙事詩的な形式を持つ「プラーナ」と呼ばれる聖典が作られました。
また、「六派哲学」と呼ばれる哲学諸派も形成されました。
「六派哲学」の中でも神秘主義的思想として重要なのは、1元論の「ヴェーダーンタ派」、2元論の「サーンキヤ派」、そしてサーンキア哲学をもとにした実践的な「ヨガ派」です。 
「六派哲学」の聖典は「スートラ」と呼ばれます。

ヒンドゥー教はインドの雑多な民族宗教を指す言葉です。
ゾロアスター教がマズダ教、ミスラ教、アナーヒター教、ズルワン教などのペルシャの諸宗教の総称でもあったように、ヒンドゥー教もヴィシュヌ教、シヴァ教、クリシュナ教、ドゥルーガー教などの総称です。
仏教、ジャイナ教、シク教(ヒンドゥー教とイスラム教の影響を受けた宗教)、そして原住民のマソーバー(水牛崇拝宗教)やマリアイ(女神崇拝宗教)もヒンドゥー教に含むと考えることもあります。

<タントラ>

5世紀には西ローマ帝国を亡ぼしたフン族(匈奴)がインドに侵入し、貨幣経済を破壊しました。
そのため、都市部の商工業者を中心に仏教やジャイナ教は衰退し、インドは中世を向かえます。

その後、仏教は都市周辺の斎場のアウト・カーストの原住民の性的儀礼を持つ母神信仰を取り込み、フン族のシャーマニズム、イラン思想の影響も受け入れながらタントリズム(密教)を生み出しました。
これはジャイナ教、ヒンドゥー教にまで広がって大きな思想運動になりました。

厳密に言えば、「タントラ」と呼ばれる聖典を持つのは、母神信仰をベースにしたシャークタ派だけです。
しかし、シヴァ派の聖典「アーガマ」、ヴィシュヌ派の聖典「サンヒター」も含めて、広義に「タントラ」と呼ばれます。
仏教の場合は中期密教までの経典は「スートラ」ですが、後期密教で「タントラ」となります。

タントリズムは神秘主義色が濃い思想です。
その特徴は、万物照応の世界観を押し進めて、肉体を否定せずにその中にある聖なる部分を探究しました。
具体的には霊的な生理学に基づくヨガと、マントラや神像のイメージを象徴として使った瞑想です。
これにより、心身を徹底的に活性化する、現世肯定的思想となりました。

<イスラム到来>

8C(一説では10C)には、ササン朝の崩壊によってゾロアスター教徒がインドに亡命し、パルシー教と呼ばれるようになります。

10C頃にはイスラム勢力がインドに侵入しました。
そして、スーフィー達が布教にやってきました。
12Cにはイブン・アラビの影響を受けたチシュティー派や、スフラワルディー教団が布教にやってきます。
スーフィー達の愛の神秘主義の影響を受けながら、民衆的なバクティ(帰依・親愛)思想が盛んになります。

また、イスラム教のスーパー・シーア派は、10Cにパミール地方に進出し、15Cにはカシミール、パンジャブ地方に進出しました。
イスマーイール派は16Cにインド、パキスタンに進出し、現在はホジャ派と呼ばれています。
イスマーイール・ニザール派はパミールでスーパー・シーア派とヒンドゥー教を習合してパミール派を興し、その後もインド、パキスタンに進出しました。

16Cには、カビールやナーナクによってヒンドゥー教とイスラム教(スーフィズム)を統合したシク教が生み出されます。
シク教はあらゆる形式主義を廃する方向で、まったく異なる2つの宗教を統合したため、結果的には神秘主義的傾向を持つ宗教となりました。

トルコ系のムガール帝国のアクバル大帝も、ヒンドゥー系諸派と、イスラム系諸派、パルシー教、ジャイナ教、キリスト教などを統合した総合宗教「神の宗教」を創始しようとしました。

また、仏教は反ヒンドゥー教としての存在意義をイスラム教に奪われ、一旦インドで滅びました。
 


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