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大乗起信論 [中国]

「大乗起信論(以下、「起信論」)」は、インドの馬鳴の撰述とされますが、おそらくは6C前半に中国北朝で、地論宗に近い者によって、様々な漢文の仏教文献を参考にして作られた偽書です。

ですが、この書は大乗仏教の綱要書的な書で、如来蔵系思想を中心に、独自の唯識説を展開し、中国、日本の仏教思想に大きな影響を与えました。


<一心・二門・三大・四信・五行>

「起信論」の内容は、「一心・二門・三大・四信・五行」としてまとめられます。

「一心」、あるいは「心」とは、無分別で清浄な如来蔵の心と、煩悩・無明の部分を合わせた、煩悩即涅槃としての心です。
煩悩のある心も、本来的には、清浄な心と同じということです。
そのため、「衆生心」とも表現されます。

「心」は、存在論的には「真如」と呼ばれます。
つまり、「真如」も、清浄な部分だけではなく、分別された現象をも含む概念です。

「二門」とは、無分別で清浄な部分の「真如」と、分別・煩悩の「生滅」の2つです。
「一心」をこの2つに分けると、「心真如」と「心生滅」となります。

「三大」は、基体の側面である「体」、性質の側面である「相」、作用・働きの側面である「用」です。
これらの概念は、中国仏教に独特のものであり、インド仏教には存在しません。

「真如」については、「体」は永遠の存在であり、「相」は功徳を持っていること、つまり、智恵であり、光明であり、清浄な自性清浄心であること、そして、「用」は善の因果応報、つまり、他者を救済し続ける働きを持っていることとされます。

「四信」は、仏、法、僧の三法に加えて、「真如」の4つを信じることです。

「五行」は、修行の項目で、六波羅蜜に当たりますが、禅定波羅蜜と智恵波羅蜜を合わせて「止観」として、全部で5つにまとめて、数合わせをしたものです。

また、六波羅蜜ができないような普通の人には、「念仏」を勧めています。


<真如>

「起信論」で最も重要な概念は、「真如」であり、それを別の側面から表現した「覚」です。
「如来蔵」という言葉はほとんど使われません。

「真如」は「空」なのですが、それを否定的表現と肯定的表現で、「如実空」と「如実不空」と表現します。

「如実空」とは、分別を完全に離れていることで、否定的表現です。
ですが、「如実不空」とは、常恒不変で清浄であることです。
つまり、「如実不空」は、「真如」が肯定的な表現される性質を持っているということです。

また、「真如」は、「如来蔵」として迷いの心の中にも存在しています。
そのあり方を、「智浄相」と言います。

そして、「真如」は、人が仏になって他人を教化する働きの中にも存在しています。
そのあり方を、「不思議業相」と言います。
これは、煩悩のない分別であり、後得智に相当するものでしょう。

「真如」は、煩悩がなくなっても、「智恵」として存在し続けます。
唯識派では、「真如」は無為法、「智恵」は有為法です。
ですが、「起信論」では、「真如」は「智恵」でもあり、共に無為法とされます。

また、「起信論」は、「真如」の働きという観点から、独自の「三身説」を説きます。

「法身」は、「真如」そのものですが、他人を救済する功徳を持っているという肯定的側面を強調します。
「報身」は、菩薩が智恵を心の中で仏の形で見る姿であり、「真如」の働きです。
「応身」は、凡夫が心の中に見る仏の姿ですが、外界に存在していると見間違います。
これも真如の働きです。

このように、「真如」の積極的な働きを強調することが「起信論」の特徴です。


<識>

「起信論」は、如来蔵系の書ですが、独自の唯識説によって論じています。
その唯識説は、本来のインド唯識派、中国の法相宗の説とは異なり、如来蔵系の経典である「楞伽経」の唯識説を継承しています。

唯識派(法相宗)では、五感に対応する「前五識」と「意識」を合わせて狭義に「識」と呼び、「末那識」を「意」、「阿頼耶識」を「心」と呼びます。
これに対して、「起信論」では、独自の「五識」を「意」と呼び、「意識」はそのまま「意識」、そして、「阿頼耶識」を「阿梨耶識」と書きます。

「起信論」の「五識(五意)」は、五感とは無関係で、分別心の5段階を表現したものです。
「業識」が分別心へ動き出す心、「転識」は主体が現れる心、「現識」は現象世界が現れる心、「智識」は分別する心、「相続識」は執着する心です。

そして、「意識」は「相続識」と異なるものではなく、それが展開したものです。

「阿梨耶識」という言葉は、「起信論」では次のように語れられます。

「不生不滅と生滅と和合して、一に非ず、異なるに非ざるを、名付けて阿梨耶識と為す。この識に二種の義あり。一切の法を摂政し、一切の法を生ず」

「阿梨耶識」という言葉が出てくるのは、これ一度だけで、これ以上の説明はなされません。

「阿梨耶識」は「阿頼耶識」で、それを無分別な「心真如」と、分別智の「心正滅」の両方を合わせたものと解釈しているのでしょう。
ですが、唯識派では「阿頼耶識」は無分別な「如来蔵」を含みません。


<熏習>

「起信論」は、独自の熏習理論を持っています。
唯識派では、「阿頼耶識」の「種子」から生じた「現行」が、「種子」を「阿頼耶識」に熏習します。
ですが、「起信論」では、「無明」が「真如」を熏習し、また、逆に、「真如」が「無明」を熏習します。
唯識派では、「真如」から「無明」の方向への熏習はありません。

「無明」が「真如」を熏習することは、「染法熏習」と呼びますが、これを3段階で考えます。

まず、「無明」が「真如」に働きかけて「妄心」が生まれますが、これを「無明熏習」と呼びます。
次に、「妄心」が「無明」を増長させて、「妄境界」(対象世界)を生み出しますが、これを「妄心薫習」と呼びます。
さらに、「妄境界」が「妄心」に働きかけて「執着心」を生み出しますが、これを「妄境界薫習」と呼びます。

一方、「真如」が無明を熏習することを「浄法熏習」と呼びます。

まず、「真如」が「妄心」に働きかけて、「厭求心」(向上心のこと)を生み出しますが、これを「真如薫習」と呼びます。
次に、「厭求心」が「真如」に働きかけて「無明」を消滅させますが、これを「妄心薫習」と呼びます(同じ名前が上記にもありましたが別のものです)。

また、「真如熏習」には2種あって、「真如」が自分の心の内から働きかける熏習を「自体相熏習」、「真如」が他人に働きかける熏習を「用熏習」と呼びます。
「真如」が他人の救済のために働きかけることは、「真如」が持つ自然な性質であり「自然業」と呼びます。

・無明→真如:染法熏習(無明熏習→妄心薫習→妄境界薫習)
・真如→無明:浄法熏習(真如薫習→妄心薫習)
 >内から:自体相熏習
 >外から:用熏習

このように、「起信論」では、熏習の理論においても、「真如」の積極的な働きを強調する理論になっています。

これは、心の奥底の智的存在が表層の意識に働きかけて救済しようとするものであり、グノーシス主義的で、マニ教(明教)、ミトラ教(弥勒教)とも似ています。
どのような影響があったか、なかったかは分かりませんが、影響関係を想像したくなります。


<覚>

「真如」は「覚」、「無明」は「不覚」と呼ばれますが、修行によって「不覚」から「覚」に向かうその段階によって、「覚」を区別して命名します。

初めて「不覚」の状態から「覚」を目指そうと目ざめた「覚」を、「始覚」と呼びます。
「始覚」は、最初だけでなく、「覚」が完全になるまでの道全体を指します。

次に、粗い分別をなくした段階は、「覚」に似ているので、「相似覚」と呼ばれます。
声聞や縁覚の「覚」は、「相似覚」とされます。

次に、法身を自覚した菩薩の段階が「隋分覚」です。
これは一時的な「覚」です。

最後に、修行を完成して「真如」と一体となったのが「究竟覚」です。

ですが、「覚」は、もともと「如来蔵」として潜在的にであれ、存在しています。
そのため、この意味で「本覚」と呼びます。

また、「本覚」が、「不覚」の状態の時の汚れた状態にあることを「随染本覚」と呼びます。
これに対して、目覚めた状態の「本覚」を「性浄本覚」と呼びます。


<不覚>

「起信論」は、「不覚」のあり方を、煩悩が働く段階の観点から、「三細」と「六麁」としてまとめます。

「三細」は、微細な迷いの状態で、まず、分別の心が動き始める段階(無明業相)、次に、主体が生まれる段階(能見相)、最後が、対象が生まれる段階(境界相)です。

「六麁」は、粗い迷いの状態で、愛・不愛の分別(智相)、苦・楽の分別(相続相)、対象への執着(執取相)、言語的認識(計名字相)、言語による執着(起業相)、業による因果応報(業繋苦相)の6段階です。

また、迷いの心を「染心」と表現し、迷いを6種に分けて「六染」と呼びます。
主客分離以前の無自覚なレベル(不相応)の「染心」が3つ、そして、自覚できるレベル(相応)の「染心」が3つあります。
「染心」は、自覚できるレベルの粗いものから順に、なくしていく必要があります。


<発心・行>

「起信論」は、独自の修行階梯を立てていて、3段階の「発心」を数えます。

まず、最初が、普通の発菩薩心ですが、これを「信成就発心」を呼びます。
「起信論」では、これによって、必ず涅槃が約束される「不退」となるとされます。
この状態を「正定聚」とも表現します。

その後、「四方便」という修行を行います。
「無住処涅槃」という目標を学ぶ、悪行をやめる、善行を行う、平等な大悲を起こす、の4つの行です。
「無住処涅槃」は、日常の分別の生活の中で、それにこだわらずに、そこに「涅槃」を見出す大乗の理念です。

次に、「解行発心」を起こします。
これは、一大阿僧祇劫の行、つまり、無限のように長い菩薩行を続けることを願う発心です。
菩薩の「五十二位」で言えば、「十信」を成就し、「十住」に進むことに当たります。

その後、「六波羅蜜」の修行を行います。
無分別智に向かう修行段階に当たります。

次に、「証発心」を起こします。
「真如」を証する発心です。

そして、無分別智によって「真如」と一体化する修行を行います。
これは「十地」の段階に当たります。

「起信論」では、「止(奢摩他)」の瞑想は、対象を持たずに、無分別の状態に至ることを行います。

そして、法身と衆生身を同じと見る「止」を「一行三昧」、分別・無分別にこだわらない「止」を「真如三昧」と呼びます。

「観(毘鉢舎那)」の瞑想は、縁起する現象を対象にしますが、他に無常、苦、無我、不浄の4つの観察を行います。
また、「観」は、日常の中においても行うべきとされます。

ですが、「止観」を行えない人に向けては、「念仏」を勧めます。
「念仏」としか書かれていないので、「観仏」か「称名念仏」か不明ですが、後者と推測されます。


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南宗・北宗の内丹法 [中国]

現在まで伝わる内丹の基準となる行法は、「金丹派南宗」を始めた張伯端によって作られました。
この派の内丹法は、以降のほとんどすべての派に影響を与え、北宗の伍柳派は、内丹法を広く一般に分かりやすく公開しました。

この項では、両派の清修の内丹法を紹介します。


金丹派南宋は張伯端(987-1082)が開祖で、白玉蟾が大成しました。
張伯端は四川の成都で活動した人物で、「周易参同契」を受け継ぎ、鍾離権、呂洞賓を奉じています。
南宗の丹法は、「悟真篇」、「玉清金笥青華秘文金宝内煉丹訣」、「金丹四百字」、「張紫陽八脈経」などに記されています。

清代の伍守陽(1574-1644)、柳華陽(1736-)の2人が確立した内丹派を「伍柳派」と呼びます。
全真道の北宗の、丘処機の竜門派を源流としています。
その内丹法は、伍守陽の「天仙正理直論」、「仙仏合宗語録」、柳華陽の「慧命経」、「金仙証論」などに記されています。

南宗、北宗ともに、その内丹法は、「性命双修(精神と気の両方をコントロールする)」です。
ですが、南宗は「先命後性(先に気のコントロールをする)」で、北宗は「先性後命(先に精神のコントロールをする)」です。
そして、南宗は「陰陽双修派(性的な房中術=栽接法も行う)」ですが、北宗は出家の教団のため、房中術を行わない「清修派」です。

南宗、伍柳派ともに、その内丹法は、大きくは、「煉己築基(築基入手工夫)」、「煉精化気」、「煉気化神」、「煉神還虚」の4段階に分けられます。

この中で、行法の対象は、「後天の精・気・神」→「元精」→「元気」→「元神」→「虚」と変化させていきます。

先天の「元精」、「元気」、「元神」の数は、「三」→「二(元気+元神)」→「一(元神)」→「〇」と変化します。

また、「元精」、「元気」、「元神」を結びつけて凝縮したものは、「外薬(小薬)」→「内薬」→「大薬」→「聖胎」→「陽神」と変化させます。

以下、具体的に順を追って、行法を紹介します。


1 煉己築基

「煉己築基」では、後天の精・気・神を煉り、元気の減少を補充し、任脈・督脈を通します。

基本的に、内丹で煉る対象となるのは、先天の「精」・「気」・「神」(以下、元精・元気・元神)で、これは「薬」、「三宝」、「真種子」と呼ばれますが、この段階では、後天の「精」・「気」・「神」が薬となります。

まず、心を落ち着かせ、黄庭に集中して、「欲神」をなくし「元神」を現わします。
これを、「守竅煉心」、「煉己守竅」、「玄関一竅」などを呼びます。
心が落ち着いた瞑想状態は、潜在意識的な意識の状態で、「意」と表現され、これは神と気を結びつける「媒」であり、「黄婆」とも表現されます。

北宗の場合は、この「性功」、つまり、無心(虚)になる精神的な瞑想を重視します。
そのため、この段階を「煉心還虚」と表現することもあります。
「先命後性」と「先性後命」の違いは、この段階での精神的な瞑想の重視する度合いの違いです。

次に、腎臓にある「精」が「気」に変わると、これを任脈・督脈に沿って回し、三関を通します。

これを行っているうちに、黄庭に「元気」が生じると、この段階が完成します。


2 煉精化炁(初関・三を二に帰す)

「煉精化炁」は、「初関」とも呼ばれ、「三を二に帰す」と表現されます。
このでは、「元精」を煉って「炁(精と気を煉った混合物)」に変えます。
この段階の瞑想の場所は、下端の「炉」は下丹田、上端の「鼎(鍋)」は泥丸で、「大炉鼎」、「大河車」と表現されます。

「煉精化炁」は、大きく「外薬煉採」と「内薬採煉」の2段階から構成されます。 

2-1 外薬煉採

さらに、「外薬煉採」は、「調薬」、「採薬」、「煉薬」の3段階から構成されます。

2-1-1 調薬

下丹田(黄庭)に集中し、「元精」と「神火」(気を煉って熱を持ったもの)を混ぜると、「陽光一現(眼前に光が現れる)」という現象が現れて、温かい感覚と共に「元気」が生じます。
これが下丹田から命門(腎臓の中間)に上がると、「外薬(小薬)」と呼ばれるものになります。

2-1-2 採薬

「外薬」を下丹田に入れて、そこに意識をかけて「神」をこらし、凝縮します。

意識かけて「神」を融合することを「採る」と表現します。
「外薬」は「生じてから採る」、次の「内薬」は「採ってから生じる」と言います。

2-1-3 煉薬(小周天)

「外薬」をさらに煉っていくと、「元精」が「炁」に変わり、動き出します。
これを任脈・督脈に回して下丹田に蓄えます。
これを「小周天」と呼びます。

2-2 内薬採煉

300回ほど小周天を重ねて、「外薬」を凝縮、蓄積します。
すると、すべての「精」が「炁」に変わり、「陽光二現(眉間に水銀のような一筋の白い光が現れる)」という現象が現れます。

そこで、火(熱)を止めて、下丹田で「元神」と結合させていると、会陰から丹田に「炁」が昇り、「内薬」が生じます。


3 煉炁化神(中関・二を一に帰す)

「煉炁化神」は、「中関」とも呼ばれ、「二を一に帰す」と表現されます。
この段階では、「炁」を「神」と一つにして煉り、「聖胎」・「陽神」にします。
この段階の「炉」は下丹田、「鼎」は黄庭で、「小炉鼎」、「小河車」と表現されます。

「煉炁化神」は、「七日採工」と「十月大周天」の2段階から構成されます。

3-1 七日採工(採丹)

「七日採工」は「採丹」とも呼ばれ、さらに、「採大薬過関」と「移胎服食」の2段階から構成されます。

3-1-1 採大薬過関

蓄積されていた「外薬」と「内薬」を結合させていると、「陽光三現(部屋に白い光が立ち込める)」という現象が現れて、「炁」が黄庭に集まります。

七日ほど煉り続けると、「六根震動」という現象が現れ、「大薬」が下丹田に生じます。
「六根震動」は、丹田では火が激しく燃え、腎は沸騰したようになり、目からは金色の光が出て、耳の後ろでは風が起こり、頭の後ろでは鷲が鳴き、身は沸き立つようで、鼻がひきつけられる、という6つの現象を指します。

3-1-2 移胎服食

「大薬」は頭頂から尾骨まで動きますが、鼻孔や肛門から体外に漏れないようにし(漏れる時は液体状になります)、最終的に黄庭に落ち着かせて、「神」と一つにして煉ります。
すると、「大薬」は「聖胎(胎児、嬰児)」と呼ばれるものになります。

3-2 十月大周天(養胎)

精神を無心にして、「聖胎」を下丹田と黄庭の間に安定させます。
これを「大周天」と言います。
瞑想を続けていると、4-5カ月で「胎」の形が出来上がり、「神」が「霊胎」と一体になって「陽神」になります。
「炁」が「神」に変化したのです。

さらに続けていると、10ヶ月で、「胎(丹)」は完成し、体は純粋な陽の性質になります。
この過程を「養胎」と呼びます。


4 煉神還虚(上関・一を〇に帰す)

「煉神還虚」は「上関」とも呼ばれ、「一を〇に帰す」と表現されます。
この段階では、「陽神」を、「道」に一体化させ、「虚」に戻します。

「煉神還虚」は、「三年哺乳」と「六年温養」の2段階から構成されます。
「虚空粉砕」や「還虚合道」を別に数えることもあります。

4-1 三年哺乳(出胎)

「陽神」を上丹田に移し(移胎)、静かに意識をかけて強化することを、3年続けます。

すると、六通が完全になり、美しい景色が見えるようになります。
そして、天門(頭頂の門)が動き出し、骨と肉が離れるように、「陽神」が肉体から分かれます。
これを「出胎(出神)」と呼びます。

4-2 六年温養(虚空粉砕)

その後、頭頂から「陽神」を少しだけ体外に出して、また戻すことを、六年ほど続けます。
体の回りに金色の光が現れるので、この光を外に出した「陽神」の中に吸収し、「陽神」を体の中に戻します。

「陽神」を「虚」に戻すように煉っていると、光が放射されます。
さらに肉体を煉って「陽神」の中に溶け込ませ、光を照らすと、肉体は消失して「炁」になります。
これを「虚空粉砕」と呼びます。

こうして、「陽神」は「虚」に還り(還虚)、「道(タオ)」と一体化(合道)します。


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鍾呂派の内丹法 [中国]

五代の10C頃、伝説的な隠者の鍾離権と呂洞賓(798-)を奉じる「鍾呂金丹派」とい内丹派が生まれました。
鍾呂金丹派は、内丹の行法を、最初に確立した内丹派で、後代の内丹に大きな影響を与えました。

この派の内丹に関する有名な書には、二人の名による「霊宝篇」、「霊宝畢法」や、呂洞賓の弟子の施肩吾による理論中心の「鍾呂伝道集」などがあります。

「鍾呂伝道集」は、次のように18章から構成されています。
真仙論、大道論、天地論、日月論、四時論、五行論、水火論、竜虎論、丹薬論、鉛汞論、抽添論、河車論、還丹論、煉形論、朝元論、内観論、魔難論、証験論。

「霊宝畢法」は宋代の書で、具体的な行法が説かれており、次の10章で構成され、それが、内丹行法の10段階になっています。
10段階というのは、受胎から出産までの10か月に合わせているのでしょう。

そして、10段階が大きく3乗に分けられています。
小乗は、長寿を得て「人仙」になる段階、中乗は不老不死になって「地仙」になる段階、大乗は昇仙して「天仙」になる段階です。

具体的には下記の通りです。

・小乗
第一:匹配陰陽、第二:聚散水火、第三:交媾龍虎、第四:焼煉丹薬
・中乗
第五:肘後飛金晶、第六:玉液還丹、第七:金液還丹
・大乗
第八:朝元煉気、第九:内観交換、第十:超脱分形


<陽気陰液循環相生説>

鍾呂派では、「陽気陰液循環相生説」と基本としています。
陰陽五行説に基づいて、天の気の循環、身体の気の循環に合わせて、内丹の行を行うものです。
年周期、日周期の循環を、八卦の周期として捉え、五行に対応する五蔵の気の動きを利用します。
つまり、どの季節、どの時間に、どの行を行うかが決まっています。

陰陽五行説では、陰が極まると陽が生じ、陽が極まると陰が生じます。
陰には液、陽には気が対応するので、液から気が、気から液が生じることになります。

五臓では、陰には肺、陽には肝が対応します。
また、地つまり陰には腎が、天つまり陽には心が対応します。
腎には水=液があり、心には火=気があります。

つまり、下記のような対応関係になります。

・陰:液:肺…地:腎:水
・陽:気:肝…天:心:火

心臓の気と、腎臓の液を混ぜることで、陰陽を相生させる、陰から陽を生み、陽から陰を生むようにするということです。
これが自然の創造の原理であって、胎児が生まれ育つことの再現になります。


<具体的な行法>

具体的な各段階の方法について、簡単に説明します。

・第一:匹配陰陽

基礎である「築基」の段階で、「気を閉ざして液を生じ、液を集めて気を生じる」と表現されます。
天地の気を吸収し、「元気」を少しだけ吐き出し、この二気を合わせ、気を蓄えることで、「液」を生じさせます。

・第二:聚散水火

導引、按摩、津液(唾液)を飲み込む嚥津法を行い、「心火」(心臓の温かい気)を下し、膀胱の気を上昇させ、腎蔵の気の火に合わせて、下丹田を温める。

・第三:交媾龍虎

「腎水」と「心火」を合わせて、上昇・下降させます。
上昇した陽が極まると陰を生じて下降する、下降した陰が極まると陽を生じて上昇すると考えます。

「腎気」は、「真水」ですが、陰中の陽、「一陽」、「臣火」であり、「嬰児」、「虎」と表現されます。
膀胱から「民火」が上昇する時、この「臣火」=「虎」を心臓に上げて、心臓の「君火」と合わせます。
すると、心臓の陽が極まって陰=「液」を生じますが、これを「タ女(タは女偏に宅)」、「龍」と表現し、これを下降させます。
そして、黄庭で「真気」が発生する時に、心臓の上、肺の下で「竜虎」を合わせます。
この「竜虎」を合わせたものを「黄芽」とも言います。
これを、「下丹田が中丹田へ返る」と言います。

「龍」と「虎」を生むことを「採薬(離卦採薬)」と言い、これを合わせることを「採合」と言います。

・第四:焼煉丹薬

黄庭に意識を集中して気を温めます。
これを、「勒陽関(乾卦勒陽関)」と言い、「中丹田が下丹田へ返る」とも表現します。
中丹田と下丹田の間、五臓のルートを中心に気を回すので、これを「小河車」と表現します。

これを続けて100日経つと、「薬」は完全になります。

・第五:肘後飛金晶

「肘後」は、脊髄に沿って体の背面を走る「督脈」のことです。
「金晶」は竜虎が合わさったものことで、これを督脈に沿って脳に上昇させ、三関を突いて頭頂の泥丸に入れます。
これを「下丹田が上丹田に返る」と表現します。
下丹田と上丹田の間で気を回すので、これを「大河車」と表現し、「小周天」とも言います。

これを200日続けると、「胎」は堅くなります。

・第六:玉液還丹

「玉液」は、気を煉って竜虎を交えた後、舌の下に生じる甘い唾液(津液)のことです。
この「玉液」を飲み込んで中丹田から下丹田に入れて、(金)丹に合わせることを、「玉液還丹」と呼びます。

その後、「玉液」を、これを下丹田から手足に流して煉ると白くつややかになりますが、これを「玉液煉形」と呼びます。

・第七:金液還丹

「金液」は、腎気と心気を合わせて、肺に入れて生まれる肺液のことです。
これを下降させて下丹田に入れるのが、「金液還丹」です。
その後、上丹田に上げます。
下丹田・黄庭に入れて、「金液」が丹になるので「金丹」と言います。

これを300日ほど続けていると、「真気」を生じる「大薬」になります。
「大薬」になってからの「大河車」は「大周天」と呼ばれます。

その後、これを下丹田から手足に流すことを、「金液煉形」と呼びます。

・第八:朝元煉気

天地人体の気の動きに合わせて丹を煉ります。
「四季煉気法」では、季節ごとにバランスをとって、五臓各所の気を煉ります。

聖胎で五臓を煉ると陰気が消えて、神々が顕現し、「陽神」が上丹田へ上りますが、これを「五気朝元」と呼びます。

また、中丹田の陽気と、下丹田の先天の陽気と、金丹を上丹田に上らせますが、これを「三花朝元」と呼びます。
この時、身体が純陽になって、「陽神」は不老不死となります。

・第九:内観交換

「内観」は、無心の瞑想によって、気・丹を煉ることです。
魔境(妄想・幻覚)が起これば、「焚身」と言って、魔境を無視して、気で火を起こし上昇させます。

・第十:超脱分形

「内観」していると、真気が昇天し、体が空中にあるよう感じ、美しい風景が出現するようになります。
これを「陽神出頂」と言い、陽神は、嬰児の姿をしています。

精神的な到達で見るヴィジョンではなく、生み出した不死の気の身体と共に、肉体を離脱し、昇仙するのでしょう。


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内丹の思想 [中国]

道教の思想は、生を肯定し、死を否定することが特徴であり、実践においては養生術が重視されます。
養生術は、健康・長寿だけでなく、不老不死・昇仙を目指すもので、外丹(煉丹術)、存思法(観想法)、房中術、導引・服気(気功)、吐納(呼吸法)、食餌・辟穀(食事法)などの方法があります。

内丹法は、仙道の養生術の一つであり、宗代以降は、内丹法が養生術で第一のものとされるようになりました。
その目的は、不死の霊体を作り、肉体をそれに溶けこませ、最終的には「道」に一体化することです。

内丹法を一言で表現すると、気をコントロールする瞑想によって、体内に気の「胎」を作り(結胎)、成長させる(養胎・出胎)方法です。
そのため、道教に関わらず、中国思想の気の身体論や、胎生学の影響を受けています。

また、内丹は、道家の「忘坐」などの瞑想法や、「道」に関する思想、儒教の陰陽五行説、仏教(禅)の瞑想法や思想などの影響を受けています。
そのため三教の一体や一致を主張する派が多くあります。

仙道の初期の養生術は、外丹(煉丹術)や存思法、房中術が主な養生法であったため、内丹には、それら用語を比喩的に使用することが多くあります。
「丹」という表現も、外丹から取った象徴表現です。


<性と命、天と人>

「内丹」は「外丹」に対比した呼び名ですが、外丹を「陽丹」、内丹を「陰丹」と表現することもあります。

内丹には大きく2種の方法があります。
精神・心をコントロールする「性功」と、気をコントロールする「命功」です。
多くの派は両方を必要とすると考えており、これを「性命双修」と呼びます。

どちらを重視するか、どちらから先に取り組むかによって、2派に分かれます。
先に心(性)に取り組み、それを重視するのが「先性後命」で、北宗などがこれに当たります。
先に気(命)に取り組み、それを重視するのが「先命後性」で、南宗などがこれに当たります。

「性功」は、心を集中し、静め、無心になることが中心です。
道家の言葉で「忘坐」、仏教の言葉で「定」などと表現することもあります。

無為、無心な心を「元神」、あるいは、禅宗の影響で「見性」と表現することもあります。

「性功」の目的には、最終的には心を「道(虚・無)」に一体化し、それに還ることです。
根源存在に還ることは、神秘主義思想に共通する目的です。

「命功」は、気を煉って凝縮し、その性質を変えたり、その塊を体の中で移動させていくことが中心です。
最初は、後天的な「気」を使い、その後、先天的な「精」を「気」にし、「気」を「神」にします。
「命功」の目的は、同じく、身体を「道」に還すことです。


「命功」には、2種類の方法があります。
一つは、異性を相手にした性的な方法を使って、男女の間で陰陽の気を交換する「房中術」、「陰陽栽接法」と呼ばれる方法です。
この方法を使う派を「陰陽双修派」と呼びます。
南宗とその系統の西派、東派、三丰派などがこれに当たります。

もう一つは、一人で、自分の体内で陰陽の気を結びつける方法で、「清修」と呼ばれます。
これのみを行う派を「清修派」と呼びます。
文始派、北宗とその系統の伍柳派などがこれに当たります。

清修を「天元丹法」、房中術を「人元丹法」を呼ぶこともあります。
この対比では、外丹を「地元丹法」と呼びます。 


<逆修返源>

中国の胎生学では、天と地が交わり、「陰陽二気」が胎内に降りて「胎」が結ばれ、「精」となり、やがて「神」に変化し、人身となる、と考えます。

胎児の間は、「先天の気」のみが働きますが、誕生後の嬰児は、呼吸や食物を通して「後天の気」が働くようになり、老死に向かいます。

その後も成長し、16歳になると、男性の場合は、先天の気の部分では、「純陽」の身体が完成します。
ですが、異性に性欲を感じるようになると、「純陽」の体が破れ、その中から「陰」が発生します。
これは、陽が極まると陰が生じる、という陰陽説の基本原理により説明されます。
そのため、ここで生じる陰気は、先天の気であるとします。

八卦で表現すると、「乾」から「離」への変化です。
―   ―
― → - -
―   ―

女性の場合は、陰陽が逆となり、「坤」から「坎」へと変化します。
- -   - -
- - → ―
- -   - -

こうして、男女ともに、先天の気・精が減少していきます。

内丹は、後天の気と、先天の気の減少によって死すべき存在となった身体を、逆行させます。

つまり、再度、身体の中で陰陽を結んで「胎」を作り、成長させて純陽の不死の身体とします。
ただし、子供を生める女性の場合、「胎」がすでに存在するので、「胎」を結ぶプロセスは不要です。

次に、成長した「胎」は体から出して(出産に相当する「出胎」、「出神」)、さらに成長させます。
最後には、それを根源存在の「道(無、虚)」に戻します。

この逆行を「逆修返源」と呼びます。

ただ、逆行とは言っても、純粋に時間を遡っていくわけではありません。
「胎」を結んで成長させるプロセスは、やり直し、再生と言うべきものです。

また、結胎以降、「気」は「精」、「気」、「神」という3形態に分離しますが、内丹法では、これを順次統合して戻していきます。
ちなみに、「精」と「気」を一つにしたものを「炁」と表現します。
また、「炁」と「神」を一つにしたものを「陽神」と表現します。

この点でも「逆修返源」となっていますが、やはり、純粋に時間を遡っていくわけではないようです。


<三関修煉>

上記の人間の成長プロセスは、次のように「三変(3段階)」を経ると考えます。

まず、陰陽二気が結ばれ、受胎して胎児になることが「第一変」です。
出産して嬰児になり、胎息ではない外呼吸が開始され、「後天の気」が生まれることが「第二変」です。成人して純陽の体が破れ、先天の気・精が減少していくことが「第三変」です。

内丹法のプロセスは、上述したように「逆修返源」です。
それは、「三変」を逆行させ、「精」、「気」、「神」を順に変化・統合するプロセスです。

この内丹法のプロセスは、宗代の金丹派南宗以降、多くの派では、次の4段階で考えられるようになりましたが、最初の段階は準備段階ですので、本質的には3段階になります。

0 煉己築基    :後天の気を煉る
1 煉精化気(初関):三を二に帰す(精・気・神→炁・神)
2 煉気化神(中関):二を一に帰す(炁・神→神)
3 煉神還虚(上関):一を○に帰す(神→虚)

この3段階の「初関」、「中関」、「上関」の3つを「三関修煉」と呼びます。

とは言っても、「三変」と「三関」は、直接的に逆対応するものではありません。

「築基」は、「第三変」で成人になって以降の先天の気の減少を、後天の気を煉ることで補うものです。
「初関(百日関)」は、「第一変」以降に分離した先天の精を気に戻すものでしょう。
「中関(十月関)」は、結胎して「第一変」後の胎児に還り、養胎という胎児としての成長をやり直すものでしょう。

「上関(九年関)」は、「煉神」と「還虚」に分けることができます。
「煉神」は、移胎・出胎して、「第二変」後の嬰児になってさらに成長するものでしょう。
「還虚」は、温養によって「第一変」以前に戻って逆行し、虚に還ることです。 


<元神と欲神>

「神」は意識性を持った「気」です。

内丹は「先天の精・気・神」を重視します。
「後天の神」が通常の作為的な意識、自我の意識であるのに対して、「先天の神」は、無意識的な、無為の意識です。

「先天の精・気」の動きに対応するのが、「先天の神」であり、「元神」とも呼ばれます。
「後天の精・気」の動きに対応するのが、「後天の神」であり、「欲神」とも呼ばれます。

また、内丹派は、禅宗の影響も受けています。
禅宗では、通常の意識・智恵を「分別智」と呼ぶのに対して、心の基盤としての仏性の知恵を「見性」と表現します。
なので、内丹派は「元神」を「見性」と同じと考えて、そう呼ぶこともあります。
あるいは、「真性」、「真心」などとも表現されます。

「神」の瞑想には、「性功」の側面と「命功」の側面があります。

「性功」においては、「元神」が現れた状態とは、概念もイメージもなく、作為性もない無心の状態です。
基礎の段階の「煉己築基」では、初歩的な「性功」を行います。
伍柳派はこの段階を「煉己還虚」と表現しますが、「煉己」の「己」は、「後天の神」であり、「還虚」に対応するのは「先天の神」です。
最後の「煉神還虚」の段階では本格的な「性功」を行いますが、いずれも、無為無心の状態になります。
「煉神」の「神」は、「先天の神」です。

一方、「命功」においては、「煉己築基」の段階では、「後天の精・気」をコントロールし、煉りますが、これを行うのは作為的・意識的な「後天の神」です。
しかし、「煉精化気」以降の段階では、「先天の精・気」を煉りますが、これを行うのは無為の「先天の神」です。
まったくの作為性、コントロールの意識なしに「命功」の瞑想はできませんが、作為性を最小限にしてこそ、「先天の精・気」が動きます。


<龍虎の交わり>

房中術を行う陰陽双修派の論理では、男女が互いに先天の気を補うために房中術が必要と考えます。

つまり、男性の場合は、先天の純陽の体が破れて先天の陰気が生まれ、女性の場合は先天の純陰の体が破れて先天の陽気が生まれます。
そのため、男性は女性から先天の陽気をもらい、女性は男性から先天の陰気をもらいます。
卦で言えば真ん中の爻に当たる部分です。

陰陽双修派は、房中術によってしか、この自分に欠けた先天の気を補えないと考えます。
ですが、清修は、自分の体の中で、先天の陰陽二気を結んで「胎」を生み出します。

陰の気は、腎臓の部分にあり、ここから陽の気が生まれますが、これを「竜」と表現します。
陽の気は、心蔵の部分にあり、ここから陰の気が生まれますが、これを「虎」と表現します。
この二気を結んで胎を作りますが、これを「竜虎の交わり」と言います。

「竜虎の交わり」を重視するのは、唐末から五代の鍾呂金丹派です。

また、陽から生まれる陰である「虎」は、「た女(「た」は女偏に宅)」とも表現され、一方、陰から生まれる陽である「竜」は「嬰児」とも表現されます。


<五行と黄庭>

陰陽五行説では、対極→陰陽→五行→万物と展開します。
内丹法では、五行は五臓に相当します。
そのため、気を五臓の巡回ルートで移動させることが、鍾呂金丹派などでは重視されました。

五臓の気のルートは、肝(木)→心臓(火)→脾臓(土)→肺(金)→腎臓(水)という五行の順番で考えるのが一般的です。

陰陽の「竜虎の交わり」の主役である心臓は「火」、腎臓は「水」に対応します。
ですから、これは火と水、「腎水」と「心火」の交わりでもあります。

また、五行で、方位が中央に位置するのは土で、色は黄です。
そのため、陰陽である竜虎が交わったものを育てる場所としては、五臓の中央である脾臓を重視し、それを「黄庭」と呼びます。
ここは、中丹田と下丹田を結ぶ場所でもあります。

また、五臓の神を上丹田で会合させることを、「五気朝元」と呼びます。


<外丹の比喩>

上述したように、内丹では、先に発達した養生法の外丹の用語を比喩で使います。

外丹(煉丹術)では、鉱物などの素材を「薬」、それを化学変化させて製造する生成物を「丹」と呼びます。
この外丹の比喩から、内丹における素材である先天の精・気・神を「薬」、それを変化させたもの、胎も含めて「丹」と表現します。

内丹の「薬」には、「外薬(小薬)」、「内薬」、「大薬」などがあります。
内丹の「丹」には、「金丹(玉丹)」、「金液(玉液)」などがあります。

また、性功を「内薬」、命功を「外薬」と表現することもあります。

外丹では、「水銀(汞)」が陰とされ「兎」とも表現され、「鉛」が陽とされ「烏」とも表現されます。
そのため、内丹の「竜虎の交わり」で生まれる「虎」は「水銀」、「兎」、「竜」は「鉛」や「烏」とも表現されます。

外丹では、化学反応をさせるためには加熱が欠かせません。
内丹でも、意識(神)をかけて気を煉ると、熱が発生します。
そのため、内丹は、熱のコントロールを「火候」と呼びます。 

外丹の化学反応では、加熱するための「炉」、そして「鼎(鍋)」を使います。
そのため、内丹法では、気を体内で移動・循環させますが、その主要なスポットの下端は「炉」、上端は「鼎」と表現されます。

「煉精化気」の段階の行法では、「炉」は下丹田、「鼎」は上丹田となり、その距離が長いのでこれを「大鼎炉」、または「大河車」と表現します。
「煉気化神」の段階の行法では、「炉」は下丹田、「鼎」は中丹田となり、その距離は短いのでこれを「小鼎炉」、または「小河車」と表現します。

また、房中術では、男性を「乾鼎」、女性を「坤炉」と表現します。

「煉精化気」の段階で、「外薬」を「大河車」で回すことを「小周天」と言い、これによって「精」を「炁」に変えます。
「煉気化神」の段階で、「大薬」、「聖胎」を「小河車」で回すことを「大周天」と言い、これによって「炁」を「神」に変えます。

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気の身体論 [中国]

多くの中国思想では、「気」を重視して世界を見ます。
別項で、インドの「プラーナの生理学」を紹介しましが、本項では、それに類する中国の「気の身体論」を、時代、宗派に限らずに紹介します。


<気と万物照応>

道教では、ミクロコスモスである身体は、マクロコスモスである自然と照応関係があると考えます。
そして、身体、自然はともに、気が凝固した物質的部分と、そこを変化しながら流れる気の部分からできています。

気の照応関係は、例えば、身体においては、気の流路である「経絡」と、気の流れのスポットである「経穴(ツボ)」があり、それが、風水で言う大地における「龍脈」と「龍穴」に対応します。

風水では、山脈は天に突き出た大地(=風)で「陰」とされ、川などの窪地(=水)は大地に突き出た天で「陽」とされ、天地陰陽の気の交わりが十分に行われる場所を良い場所と考えます。

高い山から低い山に向けて流れる大地の陰気の流れ(龍脈)が、うまくよどみながら溢れ出るような平地(龍穴)があって、それを逃がさないように囲む小山(砂)があって、そして天の陽気の流れである川がそこに流れこむような場所が、理想的な場所なのです。

人間においても、男女陰陽の気の交わりによって身体が生まれ、身体には、様々な気の流れとスポットが存在します。
各スポットに存在する気は、神が体内に入った存在と考えて、「体内神」と呼びました。


<胎生学と結節・三関>

六朝期の「上清九丹上化胎精中記経」は、解結と養胎の存思を説く経典です。
これによると、天と地が交わり、陰と陽の「二気」(陽気は赤色で玄丹、陰気は黄色で黄精)が胎内に降りて結ばれ、「精」となり、やがて「神」に変化し、人身となる、とします。

そして、九天の「気」が一カ月ごとに子宮に降りてきて、「精」と融合し、人は十カ月目に誕生します。
存思法では、自分の身体を胎児の状態に戻す瞑想を10カ月かけて行います。

「二気」が交わって受胎すると、「結」が作られると考えます。
これは死の原因となるものなので、長寿や不老不死を目指すには、焼き解いて「解結」する必要があります。

「結」は、身体の奥に伸びる3本の赤い紐の結び目とイメージされます。
1本ごとに8結があり、それぞれは体内神の「八景神」に対応します。
また、3本の紐に対応して、「三元君」と呼ばれる3人の女神が、それぞれの「八景神」を統率します。

「結」の中には、病気の原因となる「節」があり、人体には、12の「結」と12の「節」があります。

また、「三関」と呼ばれる主要な気の流れの障害(結節に類するもの)があります。
頭部の「上関(玉沈関)」、胸部の「中関(夾脊関)」、腹部の「下関(尾閭関)」です。
場所に少し違いがありますが、これはインドの「グランディ」に相当するものでしょう。

「関」は、障害が取り除かれて開くと、「竅」と呼ばれるようになります。
内丹で集中するスポットは、「竅」となっています。


<体内神と三尸>

道教では、身体の各部には、宮殿があり、そこに神々が住んでいると考えます。
これらの神々を「体内神」と呼びますが、これらは、人体を作り、動かしている気の働きを神格化したものです。

神々は気に乗って自然から身体にやってきて、留まり、またいつかは去って行きます。
このように、人間は、様々な気=神々の集合体であり、流動体であると考えます。
例えば、眉間と両目に太極と陰陽に相当する神々、五臓には五臓の神々、三丹田には三天の神々、といった具体です。

体内にはこのような良い働きをする神々の他に、悪い働きをする悪鬼的存在もいます。
これらは人間の気の陰性の汚れを実体化して表現したもので、病死の原因となります。
最も重要なのは、三丹田に住む「三尸」です。

「三尸」は穀物に由来する穀物の精の一種と考えられているので、穀物の断食(辟穀)によって追い出すことができると考えられています。
このような悪鬼には、他にも五臓に住む「五尸」などがいます。


<先天と後天の精・気・神>

先に書いたように、「気」は姿形を持った「神」としても表現されますが、より直接的には、「神」は主宰的機能、意識性を伴った「気」の形態です。

「気」は、受胎後、「精」・「気」・「神」という3形態に分かれます。
「精」は、「気」のエネルギー物質的形態、生命力としての形態です。

また、人間の「精」・「気」・「神」には、先天性のものと後天性のものがあります。
先天性のものは、胎児の時から持っていて「元精」、「元気」、「元神」などと呼びます。
後天性の「精」・「気」・「神」は、出産後、呼吸や食物を通して生まれます。

先天の「精」・「気」・「神」は清浄なのに対して、後天の「精」・「気」・「神」は汚れたものもあり、老死の原因にもなります。

「先天の気」は、基本的に男性は陽、女性は陰です。
性的な成熟を迎える頃(16歳頃)には、それが極まり、
逆に、男性には陰、女性には陽の気が生れます。
また、基本的な陰陽の「先天の精・気」が失われていきます。
これは人間の根源的な生命力の源泉で、これが尽きると寿命も尽きます。

「先天の精・気」は主に腎臓(2つの腎臓の間の「命門」、女性の場合は子宮)にあります。
男性の場合、多くの「精」は、腎臓から降りて精液などに変わります。
一方、女性の場合は、「精」、「気」は、乳房、胸などに多くあって、ここから降りて経血などになります。

仙道の内丹法では、まず、後天の「精」・「気」・「神」を煉りながら、先天の「精・気・神」を目覚ませます。
そして、「精」を「気」に、「気」を「神」に変えて統合していきます。


<気の種類と経絡>

身体を流れる気には様々な種類があります。
まず、上述もしましたが、人が生まれながらに持っている「先天の気」と、生後に外部から取り入れる「後天の気」です。
「先天の気」は「元気」以外に、「真気」、「内気」、「炁」などとも呼ばれます。

「先天の気」は主に腎臓と口の間を流れ、全身にも流れていきます。
仙道の内丹法では、清浄な「先天の気」を重視するので、「後天の気」をなるだけ排除して、「先天の気」の漏れをなくし、蓄積しようとします。
「後天の気」は「外気」とも呼ばれます。
これには、呼吸によって取り入れる「天の気」と食物によって取り入れる「地の気(穀気)」があります。

「地の気」には、外部からの邪気の侵入を防衛するために身体の表面全体をめぐる「衛気」と、胸部を中心に巡って呼吸や飲食に関わる「宗気」、そして、身体の「経絡」に沿って流れる「営気」、があります。
「衛気」は濁った荒々しい気で、「宗気」と「営気」は澄んだ気です。
「営気」が流れる流路が「経絡」は、は川に譬えられ、その主流が「経」、これを結んでいる支流が「絡」です。
中でも主要な「経」は12本の「正経」、主要な「絡」は15本あります。
また、「経」には、主要な経を管理・調整するより根源的な流路が8本あって、これは「奇経」と呼ばれます。
「奇経」は胎児の時に働いていますが、誕生後は閉じます。

中でも特に、下唇から会陰までの体の前面の中心線を通る「任脈」、会陰から背中、そして頭頂から上唇までの主に脊髄に沿って体の後方を流れる「督脈」、両脈の間を通る「衝脈」の3本は、仙道の行法では重要です。
「督脈」は、ほぼインドのスシュムナー管(中央管)に当たるものでしょう。

・先天の気(=元気、真気、内気、炁)
・後天の気(=外気)
 >天の気(呼吸の気)
 >地の気=(穀気)
  >>衛気(身体の表面)
  >>宗気(胸、呼吸・飲食を司る)
  >>営気
   *経脈
    **8本の奇経(任脈・督脈・衝脈など)
    **12本の正経
    **その他の経
   *絡脈
    **主要な15絡 
    **その他の絡

「宗気」が司っている呼吸システムは、後天的な「外気」の気です。
一方、人間は胎児の時、「胎息」と呼ぶ先天的な「内気」の呼吸システムがあったと考えて、道教ではこれを重視します。


<丹田システム>

身体には気の中枢的なスポットが3つあって、これは「丹田」と呼びます。
頭部の「上丹田」、胸部の「中丹田」、腹部の「下丹田」です。

「丹田」は気が全身に流れていく源流の地帯で、海に例えられます。
また、「丹田」は気を蓄積して凝縮しやすい場所です。
丹田は「気海」、あるいは、「気街」とも呼ばれます。
3つの丹田は、後期密教のティクレ(心滴)のある位置に、ほぼ対応しています。

頭頂の「上丹田」は、「泥丸宮」、「内院」などとも呼ばれます。
胸部の「中丹田」は、「中宮」、「膻中」、「上気海」、「気府」、「絳宮」、「中元」などと呼ばれます。
臍下の「下丹田」は、「下元」、「正丹田」、「気穴」などと呼ばれます。
ただし、女性の場合は「中丹田」が「気穴」です。

各丹田は、臓器などの他の気のスポットと結びついて、丹田のシステムを形成しているとも考えられます。

頭部の上丹田は、口を含むシステムです。
口は「玉池」とも呼ばれ、五蔵の気を含んだ「津液(唾液)」が流れます。

胸部の中丹田は、心臓、肺を含むシステムです。

腹部の下丹田は、腎臓、会陰などを含むシステムです。
腎臓部は「命門」などと呼ばれます。
会陰は、「危虚穴」などと呼ばれます。
尾骨部は、「玉沈関」、「尾閭関」などと呼ばれます。

また、脾臓は「黄庭」と呼ばれ、中・下の丹田を中継します。

また、3本の主要な奇経は、この三丹田と密接に関係しています。
「衝脈」は三丹田を直接結びつけています。「任脈」は中・下の丹田を結びつけて「督脈」につながり、「督脈」がさらに上・下の丹田を結びつけています。

また、存思法や内丹法では、五臓を巡るルートを考える場合があります。
気の身体論では、五臓は肉体的な臓器そのものではなく、臓器と関係した「気の場」を指します。
五臓の気のルートは、肝(木気)→心臓(火気)→脾臓(土気)→肺(金気)→腎臓(水気)という五行の順番で考えるのが一般的です。

このルートは、中丹田と下丹田を結んでいます。
ちなみに、心臓は「神」、腎臓は「精」、肺は魂と「衛気」、肺は魄、脾臓は「営気」と関係づけられています。

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内丹の歴史 [中国]

道教の養生術の中で、気のコントロールを使う瞑想的方法が「内丹」です。
「内丹」の方法は、長い歴史の中で徐々に形成されてきたもので、多数の流派、多数の方法があります。

「内丹」には、精神をコントロールする「性功」も必要で、この側面では道家や禅の影響を受けています。
気をコントロールする側面の「命功」では、インドのハタ・ヨガや密教の影響もあると思われますが、確かなことは分かりません。


<戦国時代~隋唐代>

伝説によれば、老子が、関尹子(尹文始)と王少陽の二人の弟子に仙道を伝えたと言います。
尹文始は「性功」のみを行ない、「命功」はせずとも自然に成ると説きました。
彼の流派は「文始派」と呼ばれます。
一方、王少陽は「性命双修」を説き、その方法は鍾離権に伝えられたとされます。
その影響を受けて「性命双修」を行う派は幅広く「少陽派」と呼ばれます。


戦国時代の「荘子」や「山海経」、「楚辞」には、仙人に関する記述があります。
ですが、具体的な内丹法に関しての記述が最初に現れるのは、後漢時代の魏伯陽による「周易参同契」です。

この書は、内丹を、「心の修行は黄帝老子の無為自然を基本として進めて行って最高の境地に達し、老化の過程を遡って原初の状態に変える」と表現しています。
そして、マクロコスモス(自然)とミクロコスモス(身体)の照応を基本に、八卦や五行説と結びつけて内丹の手順を記述しています。
また、人体を「外丹(煉丹術)」の「鼎炉(鍋と炉)」と見なし、精気を「薬」、神を「火候(火加減)」と表現するなど、外丹の用語を比喩的に使用して、内丹法を説明しています。


六朝時代には、上清派の「胎精中記経」のように、胎生学の「懐胎十月観」に基づく「存思法」が説かれるようになります。
「胎」を育てることを目的とする点では、この存思法と内丹は共通しており、後の内丹法に影響を与えました。

葛洪の「抱朴子」の「内篇」には、「房中術」や「行気」、「導引」などの養生法が説かれますが、本格的な内丹は説かれず、外丹を最も重視します。

南北朝時代には、「黄庭外景経」が、「太平経」の五臓神の存思法を継承しながら、元精・元気・元神が存在する黄庭へと、精・気・神を帰し、入れることの重要性を説きました。

隋代には、蘇元朗が「周易参同契」や「竜虎経」、「金碧潜通秘訣」を分かりやすく編集した「竜虎金液還丹通元訣」を著すなどして、内丹が初めて一般にも知られるようになりました。

唐代には、内丹思想は発展しましたが、まだ断片的なものが多い段階に留まっていました。
また、内丹の初歩としての「気功」は、分かりやすかったため流行しました。


<唐末から五代>

唐末から五代には、各種技法・思想の点から、内丹の定型が確立されていきます。
行法が四段階化され、また、禅からの影響も受けました。

この時代には、伝説的な仙人・隠者の鍾離権と呂洞賓(798-)を奉じる内丹派の「鍾呂金丹派」が生まれます。
この派の内丹法は、「霊宝篇」、「霊宝畢法」や、呂洞賓の弟子の施肩吾による「鍾呂伝道集」に書かれています。
その特徴は、「性命双修」、「先命後性」です。

具体的には、「陽気陰液循環相生説」といって、陰陽五行説に基づいて、天の気の循環、身体の気の循環に合わせて、内丹の行を行います。

まず、「先天の気」を根本とし、五行に対応する五臓の気の循環ルート、陰陽に対応する腎水と心火の「龍虎の交わり」を重視します。
次に、玉液(津液)と金液(肺液)による還丹(丹を沐浴させる)と煉形(全身を煉る)を行ないます。
そして、五臓の気を上丹田に上げる「五気朝元」、腎気・真気・心液を合体して脳に上げる「三花聚頂(三気朝元)」を行ないます。

呂洞賓とともに鍾離権に従事したとされる陳朴は、「陳先生内丹訣」を著しました。
彼は、九転(9段階)の修煉・精煉として内丹のプロセスを説きました。

また、「指玄編」、「無極図」を著した陳搏(871-989)も重要です。
彼の内丹法は「先性後命」で、内丹の全過程を系統的に記述し、順行すると人間が生まれ、逆行すると丹が形成されるとして、宋・元時代の内丹理論の基礎となりました。


<宗・元代>

北宋時代には、外丹に代わって内丹が仙道の養生法の主流になります。
「金丹派南宗」の内丹法が、南・北宗で展開され、両者が統合されました。


四川の成都では、「悟真篇」を著した張伯端(987-1082)が内丹を集大成し、「金丹派南宗」が生まれます。
この派は師と弟子のつながりとして存在し、教団組織はありませんでした。

「金丹派南宗」は、内丹を唯一の道とし、「周易参同契」を受け継いでいて、「性命双修」の「先命後性」が特徴です。
そして、そのプロセスは、「築基」、「煉精化気」、「煉気化神」、「煉神還虚」の4段階から構成されます。

最後の「煉神還虚」では、「明心見性」と表現される純粋な「性功」が重視されます。
「見性」は今来の心を悟るという禅で重視されるもので、禅の理論による解釈をしながら、先天の心で妄想を断つとします。


金・南宋代には、北部の北宗と南部の南宗でそれぞれに内丹法が発展しましたが、両派ともに、張伯端の内丹法を継承しています。

「北宗」の内丹法は、全真道の王重陽(1112-1170)によるものです。
その内丹法は、鍾離権、呂洞賓、劉海蟾から王重陽に伝わり、その弟子の「北七真(七真人)」へと伝わりました。
中でも丘処機の「竜門派」が勢力を伸ばしました。

「北宗」は出家道士からなり、民衆救済を重要な活動としていました。
それゆえ、房中術を行わない「清修派」で、「性功」を重視します。

禅宗の影響を受けて、「明心見性」が中心理念とし、「元神」を「真性」、「真心」などと表現し、「金丹」を「本来の真性」と捉えます。

江南を中心とした「南宗」は、「金丹派南宋」が全真道と合流し、その南宗と呼ばれるようになった流派です。
張伯端の内丹法を五祖とされる白玉蟾(1194-1229)が大成し、「快活歌」などを著しました。
「南宗」の内丹法の継承系統は下記のように考えられており、張伯端から白玉蟾までが「南五祖」呼ばれます。
鍾離権→呂洞賓→劉海蟾→張伯端→石泰→薛道光→陳楠→白玉蟾

「南宗」は、在家か遊行者の集団でしたが、白玉蟾によって勢力が広がり、教団化していきました。
房中術も行う「陰陽双修派」と、行わない「清修派」があり、後者は「性命双修」の「先命後性」です。
「南宗」の口訣は、「神は主宰者、気は作用、精は基礎」という「清修」を伝えています。


元代(13-14C)には、李道純が、宋学を取り入れながら、南北二宗を融合した「中派」を興します。
ですが、彼は内丹法を九品三乗にランク付けし、「性功」だけで「命功」も兼ねてしまう方法を、最上一乗としましたので、「北宗」の「性功」を重視する伝統にいると言えます。
「性」は主宰者、「命」は根源的エネルギーで、両者を一体とします。

また、陳致虚は、南北両宋を受け継いで統合し、「全真道南北宋」と称しました。


<明・清代>

明・清代には、いくつもの派閥が生まれましたが、「陰陽双修派」が多く、中でも「西派」、「東派」が二大流派となりました。

張三丰(1247-)は南部で活動し、三教一致と唱え、陳致虚、陳博や南宗の内丹法を継承して、「三丰派」を開きました。
彼の影響は大きく、清末には、彼を祖と仰ぐ派が17派に及びました。
李西月が編纂した「張三丰先生全集」には、「無根樹」など多数の書が収録されています。
張三丰は、会陰の陰蹻を重視し、真陽が生じる時は必ずここを通過すると言います。

陸西星(陸潜虚、1520-1606)の一派は、江蘇・浙江で勢力を持ったため、「東派」と呼ばれます。
陸西星には「玄膚論」などの著作があり、「東派」の特徴は、「陰陽双修」です。
彼は、先天の体が情欲によって破れた後には、先天の炁は体内にないので、男性は女性に求める必要があると言います。

男性の場合、先天の体は純陽の「乾」ですが、それが破れると「離」となり、先天の炁の陰が生じます。
女性の場合、先天の体は純陰の「坤」ですが、それが破れると「坎」となり、先天の炁の陽が生じます。
男性が女性から陽をもらって丹を作ることは、懐胎を意味します。
また、自分の中の薬を「内薬」と、異性の中の薬を「外薬」と表現します。

彼は、内丹法を、「性功」→「命功」→「性功」の三段階で考えました。
そして、「性功」を「玉液錬己」と表現し、「命功」を「金液煉形」と表現しました。 

李西月(李涵虚)の一派は、四川で勢力を持ったため、「西派」と呼ばれます。
「西派」は「陰陽双修派」であり、「東派」と似ていますが、より複雑化されています。
「東派」と同様、女性の陰の中の陽=精と、男性の陽の中の陰=気を交換することを重視します。
そして、内丹の「逆修返源」を「陰陽双修」に他ならないと考えます。

李西月は、伝説では、呂洞賓と張三丰に教えを受けたと言います。
著作には、「無根樹注解」、「道竅談」、「三車秘旨」、「後天串述」などがあります。


清代には、北宗の丘処機の竜門派が源流とする「伍柳派」が現れ、内丹法を隠語を使わずに分かりやすく公開しました。
「伍柳派」は、伍守陽(1574-1644)と柳華陽(1736-) を奉ずる派です。
伍守陽には「天仙正理直論」、「仙仏合宗語録」、柳華陽には「慧命経」、「金仙証論」などの著作があります。

その特徴は、基本的には「南宗丹法」を継承していますが、「北宗」なので、「性功」を重視します。
そのため、「丹道九篇」では、第一段階を「煉己還虚」と表現しています。


劉一明(1734-1822)は、「竜門派」の教義と「伍柳派」の内丹法を、発展させ、高度に哲学化しました。
その特徴は、易学と道教思想の一致を説くもので、「易道同一」と表現されます。

彼は、無形の「虚無(道)」と有形の「万物」の間の存在が「先天真一の気」であり、陰陽二気の交換で「虚無」から生じるとします。

また、「煉己築基」→「聖胎凝結」→「煉神還虚(無極復帰)」の3段階で考えます。
そして、精・気・神を煉って作った丹を「外薬」、心の本性を見る性功を「内薬」と表現するなどの特徴もあります。


<女丹>

男性と女性では生理が違うので、女性には固有の内丹法があり、これを「女丹」と呼びます。
男性の方法を「益陽」、「太陽煉陽」と呼ぶのに対して、「接陰」、「太陰煉形」と呼ぶこともあります。

男性は丹を一から作る必要がありますが、女性には生命を育む機能が始めからあるので、丹も最初から存在しているのです。
そのため、中丹田に気を戻して生理を停止させてから、中丹田で丹を成長させます。
中丹田への集中が重要で、丹の循環よりも、胎息が強調されます。

有名な女性の仙人・内丹家には、呂洞賓の弟子の何仙姑、王重陽の弟子の「七真人」の一人の孫不二がいます。

ですが、具体的な女性向けの内丹法「女丹」に関する記述が現れるのは、清代です。
最も早い時期のものは、「西王母女修正途十則」と「泥丸李祖師女宗双修宝筏」です。
前者は孫不二が沈一炳に、後者は李泥丸から沈一炳に伝えられたとさる書です。

その後は、19C初めに、傅金銓「女金丹法要」があります。
また、20C初めには、賀龍驤がコレクションした「女丹合編」が有名です。


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上清派と存思法 [中国]

<上清派>

上清派は、「上清経」を信奉する神仙道の一派です。

上清派は、東晋時代の4Cに、茅山に住む許謐、許翽の親子が、霊媒の楊羲を通して、諸真人との交流から得たお告げによって、神仙の修行を始めたことに始まります。
そのお告げを元にして作られたのが「上清経」です。

上清派は、神々を体内などに観想する「存思法」を重視します。
「上清経」には様々な存思法が説かれいますが、その後、存思法は「大洞真経」において大成されます。

例えば、「奔二景の道」という方法は、日の五帝君と月の五帝夫人が体内に入るのを瞑想した後、天上から車駕(天子が乗る車)と九龍、十龍が彼らを迎えに来て、体内の彼らと共に天に昇る、といった瞑想をするのが存思法です。

また、上清派は、仏教の影響か、経典の読誦を重視して、それも神仙術としました。

そして、上清派は、仏教やマニ教などの終末論の影響を受けました。
近い将来に終末が訪れるが、善人は神仙境で災害を逃れて生き残り、新しく出現する太平の世で救世主の金闕後聖帝君にまみえることができる、という終末論を展開しました。
この終末論は、葛氏道や五斗米道にも影響を与えて広がりました。


<存思法>

「存思」は、神々を観想する瞑想法で、上清派が重視します。
ですが、存思を行うのは上清派だけではなく、上清派の発明でもありません。

存思は、神々を主に体内に観想するので、それらの神々は「体内神」と呼ばれます。
体内神は気を神格化して捉えたもので、天から体内に招くと観想する場合と、最初から体内にいると観想する場合があります。

体内神を観想することで、病死の原因となる体内の穢れ=気のよどみをなくして延命したり、さらには、不老長寿や昇仙ができる体とすることができると考えられました。

存思法の中でも「守一」と呼ばれるものが、最高の方法とされます。
「守一」は、五斗米道の張陵「老子想爾注」にも、「太平経」にも「抱朴子」にも説かれています。
「一」は「道(太極)」を神格化した神です。

「抱朴子」では「一」の本当の名前や姿は口伝で伝えられる秘密で、体内では居場所を変えるとされます。
「洞真経」では、「存三一」とも呼ばれ、3人で一体の神を三つの丹田に観想します。

「黄庭内景経」では、あらゆる体内神を存思することが説かれます。
例えば、両目に日月、心臓もしくは胃に両者から生まれた「真人子丹」、五臓六腑の宮殿に童子(嬰児)の姿の神、などを観想します。

「太上老君中経(老子中経)」では、18000の体内神がいると説きます。
中でも主要な神は、眉間にいる「天皇大帝(もしくは目中童子)」、左目にいる「東王父(日精)」、右目にいる「西王母(月精)」、胃にいる「子丹」、三丹田にいる「三天王」、「五蔵神」、二十四節気に対応する「二十四真人」(身体の上・中・下のそれぞれの結節にいる「八景神」)などです。


<茅山派>

南北朝(梁)時代には、天師道の陸修静の孫弟子に当たる陶弘景(456-536)が、神仙信仰の体系化を行い、教義をまとめた「真誥」を編集しました。

彼は、鬼神は七層の存在とし、それぞれに主神を当てました。
上の相の主神から、「元始天尊」、「玉晨玄皇大道君」、「金闕帝君」、「太上老君」、「九宮尚書」、そして、地上の「中茅君」、地獄の「北陰大帝」です。

また彼は、「道」の神格化である一なる神を体内に観想する「守一」を重視しました。
神は、呪符で召喚します。

陶弘景は茅山を拠点にしたので、彼の流れは上清派の流れの中でも「茅山派」と呼ばれます。
茅山派は陶弘景以前から存在していましたが、彼が大成したと言われます。

上清派の存思法は難しく、信奉者は知識人に限られ、梁末には消滅してしまいます。
陶弘景以降、上清派は、天師道に吸収されていきました。
ですが、「上清経」と存思法は、天師道に受け継がれました。

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全真道(北宗・南宗) [中国]

金時代には、天師道が呪符を重視する御用道教となり腐敗したのに対して、「全真道」、「太一道」、「真大道」という3つの新道教が生まれました。
「太一道」は神に祈願して病気治療を行うこと、「真大道」は足るを知る生き方が中心で、両教は教義が単純すぎるため、正式に道教と認められたのは、「全真道」だけです。

全真道は王重陽(1112-1170)により始められました。
彼には、「七真人」と呼ばれる七人の高弟たちがいましたが、弟子の丘処機(丘長春、1148-1227)が天師道の基本教義を受け入れて道教化しました。

全真道は、五代時代の伝説的な仙人の呂洞賓に対する信仰をベースにして生まれました。
呂洞賓と、鍾離権の2人を奉じる内丹修行者は、五代からあり、「鍾呂金丹派」と呼ばれます。
全真道はこの流れにあって、内丹を重視し、他の道術を軽視するのが特徴です。

全真道は、この内丹の瞑想=「内修」=「真功」と、布教である「外修」=「真行」の2つを実践の柱とします。

また、この時代の潮流に同じくして、道教・儒教・仏教の「三教一家(三教一致、三教融合)」を主張しました。

全真道は、チンギス・ハンから支援を得て、元朝は丘処機の流れである「龍門派」の全真道に、北方の道教界を管理させました。

この北方の全真道は、「北宗」と呼ばれます。
特に、最も勢いのあった丘処機の派は、「竜門派」と呼ばれます。

全真道は南方にも進出しましたが、張伯端によって始まった内丹を重視する「金丹派南宗」と合流し、「南宗」と呼ばれます。
「南宗」の内丹法は、白玉蟾によって大成されます。

「北宗」の特徴は、出家道士を中心にしたもので、民衆救済を重視することで、これに対して、一方の「南宗」の特徴は、在家や遊行者を中心にしています。

そのためか、「北宗」は内丹の実践に関して、精神のコントロールの修行(性功)から始め、それを重視する「先性後命」を主張したのに対して、「南宗」は、気のコントロールの修行(命功)から始め、それを重視する「先命後性」です。

また、「北宗」は、仏教の「仏性」に対応する「明心見性」、つまり先天的な意識を重視します。
一方、「南宗」では、陰陽双修派と呼ばれる、性を利用した養精術の房中術を行う派が多いことも特徴です。

元代には、李道純や陳致虚が、この南北の流れを統合しようとし、陳は「全真道南北宗」と名乗りました。

しかし、明時代以降、全真道は衰退しました。


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陰陽五行説 [中国]

陰陽五行説は、長い歴史の中で徐々に形成されたものです。
そして、道教や儒教などの宗教の世界観の基礎理論となりました。
また、十干・十二支などと結びついて暦や方位、そして、風水などの各種占術の基礎理論にもなりました。
オリエントのヘルメス学と同様、古代の科学に相当するようなものでしょう。


<陰陽説>

「陰陽」は、古くはBC6Cの「春秋左伝」に見られますが、これは「天の六気」である、「陰」、「陽」、「風」、「雨」、「晦」、「明」の2つです。
「陰」と「陽」は「日陰」と「日向」を意味するのでしょうが、「気」なので、それを抽象化した概念です。
しかし、自然を構成する「天の六気」であって、万物の根本原理ではありません。

占いの書、「周易」の爻である「- -」、「―」は、本来の意味は「柔」、「剛」です。
しかし、BC1C頃の「十翼」で、爻に「陰」、「陽」が結びつけられました。


<五行説>

「五行」は、古くは「書経」に見られますが、「水火木金土」の順番で記され、さらに、「穀」を加えて「六府」とも表現されます。
また、「春秋左伝」では、「六材」と表現されます。
どちらも、人間の生活に必要な材料という意味であって、自然を構成する五大元素ということではありません。

戦国時代のBC4C頃、陰陽家の鄒衍により、「五行」の「相克説」が生まれました。
これは、「木→土→水→火→金→」という順番で、前者が後者に勝つという関係です。
彼は、政治を季節に合わせるべきという時令思想を「五行」に結び付けて考え、王朝交代にも当てはめました。
政治と結びつけたため、「五徳」とも表現します。

鄒衍は、季節循環を下記のように五行に配当しました。
春=木 → 夏=火→ 秋:金 → 冬:水→
「土」は季節の変わり目の「土用」です。

秦王朝が「相克説」で自身の正当性をアピールしたため、「五行説」は広まり、万物の原理と考えられるようになっていきました。

季節に配当された「五行」は、方位にも配当されるようになります。
殷時代には中央を含めた五方の神を祀る「五方信仰」があり、これとも関係があるのでしょう。

他にも、「五行」が配当されたものには、「五臓」、「五色」、「五惑星」などがあります。

・木:春 :東 :青:脾
・火:夏 :南 :赤:肺
・土:土用:中央:黄:心
・金:秋 :西 :白:肝
・水:冬 :北 :黒:腎

万物の「五行」の配当は、呂不韋(BC290-BC235)の「呂氏春秋」の「十二紀」などにまとめられました。

BC1C頃、劉向・劉歆親子により「相生説」が生まれました。
これは、「木→火→土→金→水→」という順番で、前者から後者が生じるという循環の関係です。
彼らも、王朝交代の原理に当てはめて考えました。
しかし、すでに鄒衍には「相生説」に類する説があり、劉向・劉歆親子がそれを整理して声高に唱えました。


<陰陽五行説>

鄒衍は、「陰陽説」と「五行説」を下記のように結びつけました。
これは「主運説」と言います。

・木:陽
・火:陰
・土:-
・金:陽
・水:陰

時代は流れて、北宋の周敦頤(1017-1073)は「太極図説」で、続く南宋の朱熹(1130-1200)は「太極図解」で陰陽説と五行説を結び付けて、下記のような順番で宇宙創造論を展開しました。

 太極→陰陽→五行→太極→男女→万物


<十干・十二支>

上述の「呂氏春秋」では、殷時代にはすでに存在していた「干支」にも「五行」が配当されています。

「甲乙丙丁…」の「十干」は、一カ月を3分して10日ごとの「旬」に区切り、それを十本の指で数えるものとして生まれましした。

「十干」にも五行が、下記のように配当されました。
 甲・乙=木 → 丙・丁=火 → …

また、「五行」に配当される「十干」はそれぞれ2つになりますが、前者を陽=兄、後者を陰=弟という具合に、「陰陽」を配当しました。
そのため、「十干」を「兄弟(えと)」とも表現します。

また、「十干」の循環には、植物が芽吹いて成長し種になる生命循環の意味が付けられました。
そのため、植物との比喩で「十幹」とも表現されます。

一方、「子(し)・丑(ちゅう)・寅(いん)・卯(ぼう)…」の「十二支」は、殷時代までに、木星の見える方向で、公転周期が12年なので、それに合わせて天を12分したことに由来します。
その後、木星から北斗七星の方向に変わりました。

秦漢時代に、民衆に分かりやすいように、動物が配当され、「子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)…」となりました。

「十二支」にも、植物の生長循環の意味が付けられ、「十幹」に対して「十二枝」と表現されることもあります。

「十二支」にも「五行」と「陰陽」が配当されました。

「十干」と「十二支」は組み合わされて「60干支」となりました。

「十干」は10年周期、旬(10日)、「十二支」は12年周期、12カ月、一日の時刻、方向を示しますので、それに配当された陰陽五行との関係で、様々な占いが可能とありました。
これらは象徴体系なので、魔術にも使用されたはずです。


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天師道 [中国]

道教の源流の一つである五斗米道は後漢末に、張陵によって始められました。
五斗米道は、「道(タオ)」を神格化した「太上大道(=無極大道)」を最高神とし、鬼神に祈祷して罪を取り除いて病気を治療することに重点を置いていました。

五斗米道は、漢から独立した政権を建てていましたが、やがて張陵の孫の張魯の時に曹操に投降しました。
張魯に従って多くの人が南から北方に移住しました。
張魯が曹操から優遇されて大官になると、官僚の多くが影響を受けて五斗米道を学びました。

その後、五斗米道は、「天師道」という名前に変わっていきます。

五斗米道・天師道は、北魏の冦謙之(365-448)の改革によって、北方では「新天師道」、「北天師道」などと呼ばれるようになります。
彼は、教職の世襲を禁止し、教団規則を厳密化しました。
彼の改革によって、天師道は、貴族階級に浸透しました。

一方、南朝の宋(劉宋)でも、腐敗に対する改革が行われ、政治色が薄れてより宗教的なものになり、教団は出家した道士が道観に住むようになります。
そして、仏教と対比して、自分たちの宗教を「道教」と命名しました。
この時、狭義の「道教」=「天師道」が成立しました。


天師道の特徴は、「三天思想」です。
これは、鬼神の支配者が「六天」から「三天」に変わると太上老君が五斗米道の張陵に伝えたとするものです。
「三天」は、「太上大道」の居場所であり同格の神格です。
そして、「三天」を助ける道が「正一盟威の道」と呼ばれます。

その後、天師満では、「霊宝経」の最高神の「元始天尊」が取り入れられ、「太上大道」と一体化されました。
また、「太上老君」が「太上大道」を補佐する存在で、玄・元・始の三気からなる「玄妙玉女」の左脇より生まれたとされました。
ですが、その後、「太上大道」と同格の存在に昇格していきます。


江南の陸修静(406-477)は、道教経典の整理を行い、「三洞経書目録」(471)を著しました。
この分類法は「三洞四輔十二類」(三洞説)という分類法で、道教の基本としてその後も受け継がれ、整備されていきました。
この分類は、天師道がこれまでの道教系思想を統合する存在であることを示しています。

「三洞」とその重要さの順位は次の通りです。

1 洞真部:「上清経」、「黄庭経」など、思神、誦経、修丹、善行が特徴
2 洞玄部:「霊宝経」など、法事、呪符が特徴
3 洞神部:「三皇経」など 葛洪 

「四輔」とその順位は次の通りです。
1 正一:三洞全体を補佐、「正一経」を含む
2 太玄:洞真部を補佐、「老子道徳経」を含む
3 太平:洞玄部を補佐、「太平経」を含む
4 太清:洞神部を補佐、「金丹経」を含む

結局、「正一経」が一番重視されたことになります。

また、道士の7位階は「正一法位」と呼ばれ、この「三洞四輔」の学習の順番と対応して作られました。
そして、彼は、戒律と斎醮儀規を制定しました。


唐時代には、「三洞四輔十二類」を基本として、「道蔵」の編纂が始まりました。
また、唐の皇帝は道教の救世の予言を利用するためか、老子の後裔であるとして、道教を援助しました。
そのため、鎮護国家と皇帝の長寿を祈る斎醮を行う符籙派(呪符を重視)が盛んになりました。
北宋時代には、天師道では「天心正法」という雷法(呪符で雷神を操り駆邪・治病・祈雨する新しい道術)が創案され、これを信奉する一派が「天心派」、「神霄派」と呼ばれるようになりました。

南宋時代には、天師道に浄明派、清微派、東華派が興りました。
また、符籙派である正一派が興りました。張盛 

元朝は、南方では正一派に道教界を管理させました。
続く明朝は、北方も含めて正一派に道教界全体を管理させました。
明時代には、道教が認めていなかった関帝や媽祖などの民間信仰を取り入れていきました。

そして、以下のような神話を語ります。

宇宙の始めの3つの気「玄気/元気/始気」から生まれた「玄妙玉女」の左脇から「太上老君」が生まれ、「太上老君」がこの世界を創造しました。
「太上老君」は春秋戦国時代に老子として現れて道家思想を説き、後漢時代に五斗米道の開祖、張陵に教説を伝えました。
またこの時、世界の統治者が六天から「三天(清微天/禹余天/大赤天)」に変わったことを伝えました。

三天は「太上大道」の3つの現れであり、神格でありその居場所であって、「三尊説」のような垂直的な構造ではなく水平的な存在です。
また、三気は陰・陽・冲の3気とは違って、これらを生み出す元になるものです。
この「三気・三天」の説は上清派から取り入れたものです。

ちなみに宋時代以降はさらに体系化が進んで、一気である「妙一」から「三元」が生まれ、これから三気と三天、三清、三宝君が生まれるとい説くようになりました。

天師道では「太上老君」は三天を補佐する存在で、三天より低い神格です。
ですが、「太上老君」を至高存在として考えることもありました。
つまり、天師道は、仏教が至高の真理そのものである仏陀が説いた教えであることと同様に、道教は至高の真理そのものである道=太上老君=老子が説いた教えであるとしたのです。


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