中国のミトラ教(明教・白蓮教) [中国]

中国では、ミトラ教系の諸宗教が多様に展開しました。
明教(マニ教)や弥勒信仰の影響を受けて多数生まれた民間宗教の多くは、革命的思想を持っていたため、各王朝で弾圧され、秘密結社化しました。
清朝も、危険な宗教結社を総称して「白蓮教」と名付けて弾圧しました。

当ブログでは、東條真人氏の見解を参照して、ミトラ神、及びその影響下で生じた神を主神とする宗教、信仰を総称して、広義に「ミトラ教」と表現しています。
そして、その中国での展開も、同様に「弥勒教」と表現します。
「ミトラ教」、「弥勒教」は分析概念として抽象して初めて見える運動体です。



<ミトラ教>

まず、前提として、「ミトラ教」について復習的にまとめます。

ゾロアスター教は実質的にはアフラマズダを主神とするので「マズダ教」であると言えます。
一方、マニ教は実質的にはミトラ神を主神するので「ミトラ教」の一種であると言えます。

ミトラ教は伝統的なイランの宗教であり、マズダ教はイラン東部に新興した改革派でした。
両宗教潮流はその後も、長く、敵対的関係にあります。

マズダ教は民族宗教でイラン人以外に布教しないのに対して、ミトラ教は世界宗教となりました。
この関係は、ユダヤ教とキリスト教、ヒンドゥー教と仏教の関係に似ています。

ですが、キリスト教、仏教、イスラム教が帝国の国教となった世界宗教であるのに対して、ミトラ教は帝国の国教にはほとんどならず、むしろ弾圧されて、諸帝国を超えて全ユーラシアに渡って広がった宗教であり、「超世界宗教」と呼ぶべき宗教です。

また、ミトラ教は、神格に固有名詞を使わず、各地の神の名前を使ったり、各地の宗教に入り込む形で、時代、地域によって様々に形を変えてきました。
実際、ミトラ教は、ユダヤ、キリスト、イスラム、仏教、ヒンドゥー教、道教にも大きな影響を与えた宗教です。

また、ミトラ教はカルデアの占星学と結びついて、ユーラシアの神智学の原型となりました。
ミトラ教には秘教という側面が大きくありませんが、人間の魂の深層に神性が眠っているというグノーシス的な人間観を持っているため、秘教性を秘めています。

ミトラス教、マニ教は、ミトラ教の代表的な形ですが、中国におけるミトラ教である弥勒教(白蓮教)は、信者数で言えば、それを上回ります。

ミトラ神は、光、太陽、契約、友愛、軍神、終末の救世主、星座の主宰者、死後審判の神、少年神、岩(洞窟)からの誕生、牛の供犠、岩を射て泉を湧かせる、などを特徴とする神です。

ミトラ神の各地での呼び名は、インド、ミタンニで「ミトラ」、古代イランのアヴェスタ語で「ミスラ」、ギリシャ語で「ミトラス」、パファビー語で「ミフル」、ソグド、カシミール、クルドで「ミール」、バクトリアで「ミイロ」などです。

また、ユダヤ教の「メタトロン」、仏教の「マイトレーヤ(弥勒)」、マニ教の「マニ」、ボン教の「ミーウォ」という語も、「ミトラ」の変形と思われます。

そして、オルフェウス教の「エロス=ファーネス」、「ヨハネ黙示録」の「キリスト」、イスラム教シーア派の「アル・マフディー」、ヒンドゥー教の「カルキ」、道教の「金闕聖後帝君」などの神格も、ミトラ神が原型でしょう。


<弥勒信仰・布袋信仰>

中国の弥勒教の核心は、救世主としての弥勒の下生信仰です。
ですが、中国の弥勒は、「マイトレーヤ」と「ミトラ」の習合神です。

仏教の「マイトレーヤ(弥勒菩薩)」は、紀元前後、パルティア、バクトリアのミトラ信仰の影響で、イラン東部からインド北部で生まれました。

弥勒菩薩が修行している兜率天に往生したいという「上生信仰」と、未来に弥勒仏が地上に現れて人々を救うという「下生信仰」があります。

シルクロード都市(西域)でも、中国、朝鮮、日本でも、この仏教化した弥勒菩薩信仰と、仏教化していないミトラ神の信仰が併存していました。
中国には、ソグド人を通して、マニ教だけでなく、多様なミトラ神の信仰がもたらされたと思われます。

そのため、ミトラ神の方も「弥勒」と呼ばれるようにもなり、各地、各時代に、互いに影響を与えあうことで、両神格が複雑な歴史を重ねることになりました。

中国では北魏時代に弥勒信仰が興隆し、552年が末法の始まる年とされました。
そして、5-6Cに、「法滅尽経」、「普賢菩薩説証明経」などの偽経によって、弥勒信仰が末法思想と結びつき、弥勒は、軍勢を率いて魔物を退治する、イラン的・非仏教的な存在となりました。
仏教の弥勒信仰には導入されていなかった末法思想が、中国でミトラ教から結びついたものでしょう。
弥勒信仰は、「下生信仰」を中心に、仏教から離れて、他の宗教と結びつき、民衆の革命思想となっていきました。

また、弥勒信仰は布袋信仰と結びつきました。
布袋は、唐末の明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したとされる伝説的な仏僧です。
布袋が死の間際に残した偈文の内容が、弥勒の化身が世に現れても誰も気付かない、というものだったため、布袋は弥勒菩薩の化身だったという伝聞が広まりました。

そして、布袋は、釈迦の裏仏(後戸の神)や、白蓮教徒の守り神になりました。

また、布袋は禅僧だったとされるようになり、禅宗とも結びつきました。

禅の「十牛図」の最後に描かれているのは、どう見ても布袋であり、この意味は、修行者が最後に弥勒菩薩に出会うことを意味します。

イランにはミトラに托鉢僧が出会う物語や絵があります。
「十牛図」では、真の自己が牛として描かれますが、牛はミトラ神の属性と一致しますし、ミトラ教には、心の奥にある明性を呼び起こす教えがあります。
「十牛図」には、禅だけでなく、ミトラ教の求道物語の影響があるのでしょう。


<明教>

唐代に王朝によって保護されて広がった西方起源の宗教を「三夷教」と呼びます。
「景教(ゾロアスター教)」、「景教(ネストリウス派キリスト教)」、「明教(マニ教)」です。

マニ教は、唐時代の694年に中国に伝来し、「明教」、「摩尼教」、「末尼教」、「二宗教」と表記されました。
則天武后が官寺として長安城に明教の寺院の大雲寺を建立したのですが、これは、明教を国教としていたウイグルとの関係を良好に保つためと言われています。
また、中国では、明教がもたらした占星学や暦が魅力的でした。

明教を中国に伝えたミフル・オルムズド(密烏没斯)は、則天武后に「二宗経」を献上しました。
「二宗」というのは、明暗二元論という意味です。
明教は、漢訳に当たって、仏教用語を多数転用しました。
明教では、ミトラを「古仏弥勒」や「天真弥勒」、最高神ズルワンを「明尊」、悪の最高神アーリマンを「魔王」などと表現しました。

ですが、843年に武宗によって明教が、また、845年の会昌の廃仏では仏教のみならず三夷教も禁教とされました。
そのため、明教の司祭は、福建省の泉州に逃れて、この地で布教を行いました。

それ以降、明教は変質し、秘密結社化、民衆化、多様化して拡大していきました。
そして、民衆の不満を革命思想として表現してまとめる役割を果たし、何度も反乱を起こしました。

その一方で、明教自身は道教化を企てて、北宋時代の1019年には、「道蔵」に明教経典も掲載され、明教は正式に道教の一派になりました。
その後も道教化を進めて、12Cの前半には明教の寺は完全に道観になりました。


<白蓮教の歴史>

「白蓮教」は、清朝が革命思想を持つ一連の民間宗教結社を総称して禁教としたものです。
ですから、この名前には、体制側からは危険な邪教という意味が含まれます。

弥勒下生信仰を核として、多数の宗教・信仰を折衷しているのが特徴です。
当ブログでは、「明教」、「白蓮教」を含んで、ミトラ教の系列の宗教を広義に「弥勒教」と総称します。

白蓮教は、南宋代に天台宗系の慈昭子元によって、浄土教系の念仏結社の「白蓮宗」に、弥勒下生と終末救世思想を結びつけることで生まれたとされます。
そして、元代には、民衆宗教の代表というべき宗教に成長しました。

廬山東林寺の普度が「廬山蓮宗宝鑑」10巻を著し、大都に上京して白蓮教義の宣布に努めたため、布教の公認を得ましたが、その後すぐに、再度、禁教とされました。
韓山童が教主になると、自分は宋の徽宗皇帝の子孫だと宣言し、元朝を倒して宋の復興を主張しました。

明の創始者の朱元璋は、白蓮教徒として、白蓮教が起こした「紅巾の乱」(1351-1366)に参加して元を倒しました。
「明」という国名は、ミトラの「光の国」から命名されたという説もあります。
ですが、朱元璋が皇帝となると、一転して白蓮教を弾圧したため、秘密結社化しました

白蓮教は、清代には乾隆帝の時に勢力を盛り返し、新教団が次々誕生し、各地山東省、四川省などで反乱を起こしました。
行政府は、信仰の内容に関わらず、取り締まるべき逸脱した民間宗教結社をまとめて「白蓮教」と呼んで、弾圧しました。

代表的な宗教結社には、「八卦教」、「西天大乗教」、「西大乗教」、「東大乗教」、「大乗円頓教」、「混元教」、「三陽教」、「黄天道」、「一貫道」などがあります。

そのため白蓮教は秘密結社化し、乾隆帝が嘉慶帝に皇位を譲ると、1796年には「白蓮教徒の乱」が起こりました。
白蓮教徒たちは弥勒下生を唱え、死ねば来世にて幸福が訪れるとの考えから命を惜しまずに戦いました。


<弥勒教(白蓮教)の思想>

弥勒教(白蓮教)では、ミトラ神を、「白仏」、「白仏明王」、「白弥勒」、「弥勒明王」、「聖弥勒観音」などと表現します(以下、「弥勒」と表記)。
弥勒は、世が乱れた時に救世主として現れ、人々を救い、神秘の都に導きます。

また、ミトラ神は12正座の主宰者なので、北極星信仰と習合して「妙見大菩薩」とも表現されます。
「妙見菩薩」は「すべてを見張る」というミトラの属性を翻訳したもので、北斗七星を使って天地を動かし、人間の心身を作ります。

弥勒には、根源神ズルワン=ミトラとしての「古仏弥勒」の姿と、終末の救世主(未来仏)としての「弥勒仏」の姿と、現在の世で化身となって教えを説く「無為祖師」の姿と、その童子形の「弥勒童神(聖弥勒観音)」の姿があります。

また、ソフィア(アナーヒター)は、白衣観音、西王母、碧霞元君が習合して、「無極聖母(無生老母)」と呼ばれるようになりました。
弥勒教の特徴は、根源女神としての「無極聖母」を重視することです。
「無極聖母」は、弥勒に救世を依頼する存在です。


現代末から明代にかけて、ミトラ教神話が中国化した弥勒教の神話が成立しました。
明代末に成立した、無為金丹教の教典「九蓮宝巻」は、次のような神話を説きます。

「古仏弥勒」が宇宙を創造し、時間を分けて、過去・現在・未来の「三陽」とした。
「三陽」は三面一仏(定光仏・釈迦仏・弥勒仏)が管理する。
「古仏弥勒」は9億6千万の光の子(明性)をこの世に下ろし、男女を分けた。
すると、彼らは欲に染まってしまった。

「無極聖母」は明性達を救い出して、西天浄土に連れ帰るように「古仏弥勒」に頼み、「白蓮の教え」、金丹術を記した聖なる経典を渡した。

「古仏弥勒」は何度も転生して、善男善女を西天浄土に送り届け、仏教・儒教・道教を作り上げた。
現在の化身である「無為祖師」は、「皇極金丹大道」教えを説いて人々を導いている。
「皇極の劫」の世の終わりには、三災が世界を破壊することになるが、その前に弥勒仏が現れ、真の宗教を打ち立てて西天浄土への道を作り出す。


また、「弥勒教」は、民衆的である一方、実践においては、仏教の時輪タントラのヨガと称するものや、道教の全真教の内丹法などの、秘教的な修行も取り入れたようです。


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中国禅の流れ2(唐代禅から宋代禅へ) [中国]

「中国禅の流れ1(北宗禅から南宗禅へ)」から続く、中国禅の流れの後編です。

このページでは、唐代禅の主流となった洪州宗の馬祖の「祖師禅」から、宋代禅の主流となった臨済宗の大慧の「看話禅」までを簡単にまとめます。


<馬祖道一と洪州宗>

洪州宗の祖である馬祖道一(709-788)の禅は、「祖師禅」と称され、唐代禅の主流となりました。
彼の師は慧能の弟子の南嶽懐譲で、その法系は、次のように受け継がれました。

慧能→南嶽懐譲→馬祖道一→百丈懐海→黄檗希運→臨済義玄

馬祖の禅の特徴は、「即心是仏」、「作用即性」、「日用即妙用」、「平常心是道」、「平常無事」などの言葉で表現されます。

「作用即性」といっても、荷沢宗のように、「体(性)」と「用」が不二であるとは説かず、「用」がそのまま「体(性)」であると説きます。

「今、見聞きし、知覚しているのが、もともと汝の本性であり、本心である」(馬祖語録)

そのため、馬祖は、日常の心身の働きから離れた「体(性)」、つまり、「心の本体」や「智恵」を説きません。
ですから、「即心是仏」の「心」は、働いている「心」です。
日常の心・行為がそのまま仏であるとして、そんな仏を「実相法身仏」とも表現します。
そして、作為のない「あるがまま」の心、生身の人間を肯定します。

「道を修めようとする作為、あるいは道に向かおうとする目的意識、それから一切がすべて汚すことである。…平常心、それがそのまま道なのである。…それは、作為なく、是非なく、取捨なく、断常なく、凡聖の対立なきものである。…行住坐臥それらすべてがそのまま道なのである」(馬祖語録)

ただ、馬祖は、いつも、そのように説いていたわけではなく、時には、まったく神会と同じように説くこともありました。

馬祖は、教えにおいては、生身の人間をそのまま指し示す「直指」を特徴とします。
例えば、相手を去り際に呼び止めて、振り返ったその行為、それを行った作為のない心を、指し示します。

また、「直指」とは逆なものが「喝」です。
「喝」は、迷いが生まれた瞬間を指し示して、大声というリアルな体験で迷いを破ります。

今、この場の人間を重視する、我々が良く知る、中国禅の姿です。

洪州宗の禅は以上のような特徴を持ちますが、そのため、見性・開悟のない、煩悩を持った心・行為を、そのまま肯定してしまうといった批判が、荷沢宗の宗密、石頭宗、宋代の圜悟など、各方面からなされました。


<宗密の洪州宗批判>

圭峰宗密(780-841)は、荷沢宗の五祖であり、華厳宗の第五祖です。
彼は、華厳教学を使いながら、荷沢宗の立場から、禅の他宗を批判しました。

禅宗は「不立文字」が特徴で、教学を持たないことが多いため、論理的に自らの立場を主張したり他派を批判することは少ないのですが、華厳教学を学び「教禅一致」を主張する宗密は例外的です。

特に注目すべきは、馬祖の洪州宗に対する批判です。

一般に、荷沢宗の禅は「如来禅」、洪州宗の禅は「祖師禅」として対比されます。
宗密は、荷沢宗の禅を「最上乗禅(如来清浄禅)」と称し、達磨がもたらした頓悟の禅であり、自性清浄心を日常で働かせる禅だと言います。

荷沢宗は「体用不二」を説きます。
馬祖の言葉の「作用即性」も、言葉の上では同じ意味です。

ですが、宗密は、「自性の本用」と対象的な「随縁の応用」を区別して、前者を荷沢宗の「用」、後者を洪州宗の「用」であるとしました。
荷沢宗の「自性の本用」は、心に備わった本来的で透明な映すという働きです。
これに対して、洪州宗の「随縁の応用」は、個々の物を対象化する煩悩性の働きだと言うのです。

つまり、洪州宗は迷いと悟りを区別せず、洪州宗の「用」は、「体」が欠如した単なる迷いでもあると批判したのです。

荷沢宗の立場からすれば、北宗は「体」のみで、洪州宗は「用」のみです。

ですが、私見を述べれば、華厳教学の「四種法界」で考えると、北宗禅は「理法界」的です。
そして、荷沢宗は「体」寄りで、神会が言うように「理事無礙法界」的です。
また、洪州宗は「用」寄りで「事事無礙法界」的ですが、「事法界」に陥る危険もあるのということではないでしょうか。

・北宗 :守一不移:体重視      :理
・荷沢宗:如来禅 :体寄り:自性の本用:理事無礙
・洪州宗:祖師禅 :用寄り:随縁の応用:事・事事無礙


<向上>

神会、宗密は、「体用不二」、「定慧不二」を説きましたが、荷沢宗の禅は、その比重はどちらかと言えば、「体」、「定」の方にありました。

洪州宗の「用」は宗密から「随縁の応用」と批判されましたが、実際は、比重を「用」の方に移したものでしょう。

その後の禅の歴史は、この比重の偏りを移し続けた歴史という見方もできます。
石頭宗が「体」寄りに戻し、さらに雲門宗は「用」寄りに戻し、という具合にです。

ですが、この比重の移動は、修行階梯を螺旋状に上昇しているとも解釈でき、「向上」とか「超越」と表現されます。

洪州宗にある「仏向上(法身向上、超仏越祖)」は「用」への上昇ですが、これは「体(仏性)」を「用」として働かせる段階です。
次に、石頭宗にある「自己向上」は「体」への上昇ですが、これは「用(自己)」が固まって「体」を欠くことを避ける段階です。
次に、雲門宗にある「向上自己向上」とでも言うべきものは「用」への上昇ですが、これは再度、「体」を欠かさずに「用」を働かせる段階です。


<大慧と宋代禅>

唐代の禅では、祖師の説法や問答の記録として語録が重視されました。
それらは、仏教用語で教義を説くのではなく、日常の中での具体的な譬えの形で表現されました。

ですが、寺院や僧が官僚化された宋時代には、禅も制度化されました。
そして、唐時代の個々の記録だった問答の中から、特に評価されたものが「古則」と呼ばれるようになり、それらが、悟りへ導く普遍的な問答である「公案」として整理されるようになりました。

そして、その「公案」を様々に論評する「文字禅」が重視されるようになりました。

ですが、唐代に具体的な意味を指し示していた「問答」における譬えの表現は、時代が変わってその意味が分からなくなるものがありました。
そのため、それらを、論理を超えた「開悟(見性)」、つまり、無分別な空の智恵へと導く、無意味な表現であると解釈するようになりました。
その超意味的な言葉は、「活句」と呼ばれます。

臨済宗の圜悟克勤(1063-1135)の講義録「碧巌録」は、「文字禅」を代表する書です。
圜悟は、洪州宗のあるがままの禅を批判して「大悟」の重要性を主張し、また、「公案」を「活句」として解釈しました。

その後、圜悟の門下の大慧宗杲(1089-1163)が、「公案」の「活句」に集中して坐禅を行う「看話禅(話頭禅)」を確立しました。
「公案」の「活句」に集中することで、「疑団」、つまり、意味を解決できない葛藤いだき、それが爆発することで「開悟」に至るのです。

「活句」による「公案」の例には、有名な「趙州無字」があります。
これは、無門慧開(1183~1260)が「無門関」の第一則として取り上げたことでも知られます。

「無字」の「公案」は、「犬に仏性があるか」という問に対する返答の「無」を、「ない」ではなく、「有無」の二元論を超える「活句」として解釈します。
それを単に「空」や「無」という概念として理解するのではなく、それへの集中を「大悟」に至るきっかけにするのです。

*「無字」の公案の瞑想の詳細は姉妹サイトの下記を参照してください。
無字の公案の瞑想(臨済宗

ちなみに、鈴木大拙や西田幾多郎らが参禅し、影響を受けたのも大慧流の「看話禅」です。

また、大慧は、曹洞宗の宏智正覚の「黙照禅」を、ただぼんやり座っているだけとして批判しました。

ですがその宏智には、「事に触れずして知り、縁に対せずして照らす…その知おのずから微なり…その照おのずから妙なり…かつて分別の思なし」という言葉があります。
これは神会や宗密に近いと感じます。


<禅宗の修行階梯>

部派仏教やインド・チベットの大乗仏教は、煩悩の理論、止観の理論に基づいて、修行の階梯を体系化しています。
ですが、禅宗は「頓悟」と「任運(あるがまま)」を説くため、煩悩を滅していく修行の階梯を体系化しません。

「頓悟漸修」の「開悟」の後の「漸修」については、「機関」や「言栓」、「向上」といった言葉でおおまかな段階が示されます。
上に書いたように、「向上」は何段階かで考えることもあります。

ですが、これらはしっかりと体系化されているとは言えず、それを進めたのは、日本の白隠です。

ちなみに、禅と同様に、「頓悟」と「任運(あるがまま)」を説くゾクチェンは、副次的な行として「開悟」までの行が整備され、「後悟」の修業階梯も体系化されています。


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中国禅の流れ1(北宗禅から南宗禅へ) [中国]

中国禅の思想潮流を、開祖の達磨から、東山法門、そして、荷沢宗まで、簡単にまとめます。
特に、「南宗禅(荷沢宗)」の初祖である神会に重点をおいて紹介します。

神会は、従来の禅宗を「北宗」とひとまとめにしてその坐禅を批判して、ほとんど坐禅修行を否定するような「頓悟禅」を主張し、その後の禅の潮流に大きな影響を与えました。
また、「見性」、「自然知」といった概念を使って、「心の本体」に備わった「知」に気づくことが大切だと主張しました。


<達磨の二入四行論>

禅宗の開祖とされる菩提達磨(ボディ・ダルマ)は、5-6Cの人とされていますが、実在人物であるかどうかも疑われる伝説的人物です。
一般にインド人とされますが、最も古い記録では、ペルシャ生まれの胡人(サマルカンドのイラン系のソグド人)です。

達磨の禅は、弟子の曇林が語録の形でまとめた「二入四行論」で知られていますが、曇林の思想が大きく反映されているかもしれません。

「二入」というのは、「理入」と「行入」です。
「理入」は理論、「行入」は実践でその方法が4種なので「四行」と呼ばれます。

「理入」は、経典によって仏法を知り、凡夫も聖者も平等な本性を持っていることを知ることです。
そして、分別を止めて真理と一体化し、作為のない状態になることです。
達磨の弟子の曇林は、如来蔵思想の経典である「勝鬘経」の研究者だったので、如来蔵思想の影響を見ることができます。

一方、「行入」というのは、次の4つの、実践的な生き方のことです。


・報怨行 :苦を受けても、自分の過去世の悪行の報いであると考えて、他人を憎まずに、真理と一つになること
・随縁行 :「私」は無我であり、楽を受けても、過去の因縁によるものであって、縁が尽きれば終わりだと考えて、喜ばず、道に沿うこと
・無所求行:身体がある限り苦はまぬがれないと見抜き、執着をなくし、真実の道を歩むこと
・称法行 :自己が本来は清浄であると理解し、空を悟り、執着をなくし、法に従って行動し、六波羅蜜を作意なしで行うこと


達磨の「四行」は、小乗仏教の修行法である「四念処」と対比して示されたものかもしれません。
「四念処」が坐禅による瞑想修行であるのに対して、「四行」は生活中の実践法である点が、特徴的な違いです。

「二入四行論」には、在家主義を主張した「維摩経」からの引用が多くあって、生活中の実践法を説く点には、「維摩経」の影響もあるのでしょう。

また、「二入四行論」は「作為」のないことを重視します。
これは老荘思想の影響を推測できますが、ひょっとしたらゾクチェンなどと共通する西方起源の思想の影響があるのかもしれません。


<東山法門>

初期の禅者は、頭陀行(托鉢などの清貧の修行)の実践者であり、「楞伽宗」とも呼ばれました。
その後の、唐初の第四祖道信、第五祖弘忍の頃の禅の一門は、「東山法門」と呼ばれました。
法系は、次の通りです。

達磨→恵可→僧燦→道信→弘忍→神秀

「東山法門」は、天台智顗の「摩訶止観」との対決から、天台宗的な総合より、シンプルな一行を選びました。
また、禅宗は「教外別伝」と呼ばれますが、経典では、「華厳経」、「大乗起信論」、「維摩経」、「金剛般若経」などを重視し、また、華厳教学とも結びついていきました。

道信(580-651)は、「楞伽師資記」によれば、次のように語りました。
「坐禅の時は、必ず自己の意識の最初の動きに注意しなければならぬ。…すべてを知りながら、分別のとらわれを越えたところを完全な智と呼ぶ」
「(起信論の究竟覚に関して)一心の動き始めによく注意するならば、心にはもとより妄念の始めなどないのだ。…そうした心の内面を見届けることができてこそ、心は常に安住するのであり、これを絶対の目覚めと名付ける」

つまり、想念が起こる瞬間を意識することで分別にとらわれない、という教えを説いたのです。
これは、実践上の特徴的な教えであり、小さいながら、後世まで影響が続きました。

ですが、道信の禅の基本は、何か一つのものに心を集中させる「守一不移」によって、無分別な法界に同化する「一行三昧」です。
次の弘忍も、「一」の字に集中して、法界に留まる「看一字」という禅を行いました。
これらは「守心」とも表現されます。

第六祖の神秀は、分別を離れて真如に目覚めることを強調し、煩悩(塵)を払って清浄な心(鏡)を悟ることを説きました。
神秀は、その禅を「守心」ではなく「観心」と表現しました。

ちなみに、神秀の二代後の摩訶衍は、チベットに行ってインド仏教のカマラシーラと論争して負けたされます。
ただ、こういった論争には政治がからみます。


<神会の北宗批判>

神会(680-762)は、ソグド系中国人で、732年に、洛陽の大雲寺で、神秀を代表として東山法門の禅を批判して、仏教界に登場しました。
彼は、東山法門の禅をひとまとめにして神秀に代表させて「北宗禅」と呼び、それを批判して自らの立場を宣伝したのです。

神会以降、彼の系列の禅は「南宗禅」、東山法門の禅は「北宗禅」と呼ばれるようなりました。
ですが、この対立は、中唐期頃までには、なくなっていきました。

神会は、禅宗の正統な法系を次のように主張しました。

達磨→恵可→僧燦→道信→弘忍→慧能

第六祖を、神秀ではなく、自分の師である慧能(638-713)とし、「南宗」の祖として祭り上げたのです。
神会は、達磨が印可の証として恵可に袈裟を授け、現在、それを慧能が持っていると、根拠のない主張を根拠としました。

ですが、実際には、慧能がどのような禅を説いたのかは不明です。


<神会の禅思想>

神会は、達磨が「如来禅」の祖であったと主張しました。
つまり、「南宗」の禅を「如来禅」であると名付けているのです。

また、彼は、「南宗」の禅の特徴を「頓悟」とし、「北宗」は「漸悟」であるとして区別しています。

「漸悟」は、煩悩をなくしていく修行の結果、悟りを得るという考え方ですが、「頓悟」は、煩悩があっても清浄な心の本体は変わらずに存在しているので、それに気づけば良いという考え方です。
ただ、「頓悟」しても、その後、智恵を伸ばしていかなければいけないので、「頓悟漸修」となりますが。

・北宗:神秀:漸悟:煩悩を払って仏性を現す
・南宗:神会:頓悟:煩悩を払わずとも仏性は現れている

学問的には、どちらも如来蔵思想だとしても、「漸悟」は「仏性内在論」、「頓悟」は「仏性顕在論」と呼ぶことができます。

神会は、「煩悩即涅槃」を説明して、次のように語っています。
「煩悩即涅槃というのは、…去来する迷・悟の相の区別はあるが、その相の去来する場である菩提心そのものには、本来いかなる動きもない」
「菩提心」は仏性、心の本体のことです。

また、神会は、「頓悟」を、「理事無礙法界」的な認識として理解しているようで、「事と理が一つに融解するのが頓悟である」(神会語録)とも語っています。
つまり、「事」は念、分別であり、迷いがあっても、「理」である心の本体がいつも存在することに気づけば良いのです。

一方、神会は、「北宗」の禅を次のように否定しました。
「単に心を集中して禅定に入るのは、判断停止の空に落ち込むこと…」(南陽和上頓教解脱禅門直了性壇語)
「悟りの時には禅定がなく、禅定の時は悟りがない…」(同上)

つまり、単に念をなくす「定」ではなく、心の本体を見る「智恵」が必要だという批判です。

また、次のように語ります。
「定を得ようと行ずることが、そもそも妄心である…」(神会語録)
「妄心が起こらないことを戒、妄心がないことを定、心に妄がないことを知るのが慧」(南陽和上頓教解脱禅門直了性壇語)
「念の起こらぬことを坐とし、自己の本性を見るのを禅とする」(菩提達磨南宗定是非論)

つまり、作為することは妄念でしかなく、妄念をなくして、心の本体には妄念がないことを知ることが必要だという主張です。

作為的な坐禅の否定は、「ただ坐れ」という曹洞宗に近い考え方ですが、神会は、「頓悟」を主張しているので、ほとんど坐禅修行を否定します。


<自然知>

神会は、「心の本体」に、自然に「知」が備わっていることを重視します。

この「知」を、「見性」、「本知」、「自然知」などと表現しています。
「自然知」という言葉は、もともと道家の言葉で、「法華経」でも説かれます。

神会は、「知」について、次のように語っています。
「澄み切った鏡がもともと常にものを映すという、それ自らの本質的な働き(自性の照)を持つからである。同じように、人々の心はもともと清浄で、自然にすぐれた智恵の光があって、完全な涅槃の世界を照らすのである」(南陽和上問答雑徴義)
「寂静なる本体を定といい、その定から自然知が出て、寂静なる本体自身を知る、それを慧というのである」(神会語録)
「慧とはその無分別な本性が空虚でありながら無限の作用を具えているのを見ること」(同上)

「知」は、自分自身、つまり「心の本体」とそれが「知」の働きを持っていることを見る「知」なのです。

神会は、禅宗の中で初めて「見性」という言葉を打ち出しました。
「見性」とは、「心の本体」である自性に目覚めること、開悟のことですが、「自然知」と別のものではないでしょう。

また、神会は、「心の本体」が無分別な「空」に留まらずに、「知」を持って働くこと、その活動性を「無住」とも表現しました。

「心の本体」が「自然知」を持つとする神会の思想は、ゾクチェンと似ています。


<定慧・体用の不二一体>

神会は、「定と慧」、つまり、「体と用」の不二一体を説きます。
比喩的には「鏡と反映力(照)」、あるいは、「灯と光」の不二一体です。

上述した、「心の本体」は「体」、「自然知」は「用」に当たります。

中国仏教は、インド仏教にはない概念の、「体」と「用」の観点を重視します。
これは、無分別(空)と分別(念)、あるいは、密教的な用語では「非顕現」と「顕現」に当たるでしょう。

神会は、次のように語ります。
「真空を体とし、妙有を用とす」(頓悟無生般若頌)
「空虚なる体の上に知が起こって世間の諸相を善分別する、これが慧である」(神会語録)

つまり、心の本体の「空」と一体なら、「用」は「妙有」、「善分別」であり、単なる「有」、「分別」、「妄心」ではないのです。
「妙有」や「善分別」は、インド仏教の概念では、「後得知」に近いものでしょう。

・体:定:真空:無分別:心の本体:鏡:灯
・用:慧:妙有:善分別:自然知 :照:光


* また、荷沢宗の五祖の宗密は、禅の他宗を批判しましたが、この件は「中国禅の流れ2(唐代禅から宋代禅へ)」をお読みください。


<無住の保唐宗>

神秀や慧能の兄弟弟子に慧安がいます。
その法系であり、慧能にも学んだ無住を祖とするのが保唐宗です。
慧安の禅は、神秀より慧能に近かったと想像されます。

無住は四川で活動したのでチベットにも近く、保唐宗の法系には、チベット仏教ニンマ派のゾクチェンの法系と重なる師がいるようで、両者の交流を感じさせます。

無住の禅は、無分別な「無念」でいることを重視しました。

ですが、次のような説法があります。

「私の禅は…その用には動と静の区別なく、不浄と清浄の区別もなく、良い悪いの区別もない。ピチピチ(活溌溌)していて、常にすべて禅の状態である」

活きがいい魚がピチピチ跳ねる様子を「活溌溌(地)」と言いますが、この表現は、臨済など、何人かの禅師が使っています。
ですが、最も古い記録が無住のものです。


<南宗禅のバックボーン>

禅宗は達磨に始まるので、シルクロード経由、北中国発祥です。
ですが、南宗禅は、慧能も南中国(広東省)にいましたし、南中国から発祥したと言っても過言ではありません。

ですから、南宗禅には道教の影響が強く、現世肯定的なのでしょう。
道教でも、北宗に対して南宗が現世肯定的です。

また、南中国には、イスラムの居住地があって、スーフィーの行者もいました。
禅が伝える物語や、師の振る舞い方、修行法には、スーフィーのそれとそっくりなものがあります。
スーフィズムの研究家のイドリス・シャーは、禅がスーフィズムから生まれたと書いています。
そう断言するのは極端過ぎるとしても、南宗禅にはスーフィズムの影響があった可能性は高いでしょう。


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法蔵と華厳教学 [中国]

大乗仏教の代表的な経典である「華厳経」を元にして中国で生まれたのが「華厳宗」です。
そして、その教学を大成したのが法蔵です。

「華厳経」は悟りの境地を表現した経典とされ、華厳教学はそれを「四法界説」、「十玄縁起説」などで合理的、哲学的に体系化しました。
華厳教学の世界観は、「円融無礙」、「重重無尽」、「一即一切、一切即一」といった言葉でも知られています。


<華厳経>

「大方広仏華厳経(以下「華厳経」)」は、4C頃に中央アジアのシルクロード都市で、複数の経典をまとめて作られたもので、翻訳によりますが、34~45品からなります。

中でも、菩薩の修行段階を説いた「十地品」(これは単独で「十地経」として存在していました)、善財童子の求道物語を説いた「入法界品」が有名です。
他に、仏の命の現れを説いた「性起品」、 無数の蓮華蔵世界を説いた「盧遮那仏品(華蔵世界品)」などがあります。

蓮華蔵世界は、須弥山宇宙像とは異なる大乗仏教の宇宙像で、大蓮華の中に無数の香水海と世界種があり、その各々の世界種の中に多数の仏と無数の世界があるとするものです。
この蓮華蔵世界は、「華厳経」の教主である宇宙的な毘盧遮那仏が請願によって作り出したものとされます。

「華厳経」は、部分が全体を映し、部分と全体、そして部分同志が妨げ合わないという無礙な世界観で知られます。
「華厳経」では、例えば、次のように書かれています。

「蓮華蔵世界海の中においては、一々の微塵の中に一切の法界を見ることができる」(盧遮那仏品)
「菩提を求める心を発するならば、微細な世界がすなわち大世界であり…」(初発心菩提功徳品)
「菩提心を発する時、永遠の時間が一瞬に収まり…」(初発心菩提功徳品)

この世界観は、法蔵の「華厳五教章」などでは、「因陀羅網の譬え」、つまり、帝釈天の宮殿を荘厳する「因陀羅網」は、無限の結び目に宝珠がくくられていて、それぞれの宝珠が他のすべての宝珠を映し、その映された個々の宝珠の中にもまたすべての宝珠が映っている、を使って説明されます。

この華厳経の「一即一切」の世界観は、西方世界にも伝わり、新プラトン主義のプロティノスのヌースの世界の描写に影響を与えたと推測する説もあります。


<華厳宗>

「華厳経」の初の漢訳は、400年頃のブッダバトラによるものです。
その後、隋唐時代の中国で、この経典を根拠とする「華厳宗」が興隆しました。

ですが、「華厳宗」の先駆としては、世親の「十地経論」を根拠とする「地論宗」があって、唯識説と如来蔵説を研究していました。

ちなみに、日本では南都六宗の一つで、奈良の東大寺がこの宗派の寺です。

華厳宗は、天台宗と同様に、声聞、独覚、菩薩の三乗に対して「一乗」を名乗りました。
ですが、天台の「一乗」が三乗を越えた「同教」であるのに対して、華厳宗の「一乗」は三乗を内に包摂する「別教」であり、真の「一乗」であると、華厳宗は主張しました。

また、天台宗は「性具」という概念を特徴とし、一方、華厳宗は「性起」を特徴とする言われます。
「性起」は、如来蔵系の経典の「如来性起」に由来し、「如来蔵(仏性)」が個々人に顕現することを意味します。
天台宗の「性具」は凡夫の側からの見解、向上門で、禅では臨済宗が近い立場です。
それに対して、華厳宗の「性起」は仏の側からの見解、向下門で、禅では曹洞宗が近い立場です。

そして、華厳宗では、修行論に関して「三生成仏」を主張します。
始教では成仏までに三大阿僧祇劫かかると説きますが、「華厳経」は、優れた教えであるため、3回の人生で成仏できるとするものです。
最初の生では華厳の教えに出会って菩提心の種子を生み、次の生では修行を完成し、3つ目の生で成仏できるのです。


<五師>

中国華厳宗の始祖は、伝説的な人物の杜順(557-640)とされます。
彼は、「法界観門」で三種法界(三種観法)を説きました。

第二祖の智儼(602-668)は、「華厳経」の注釈書「華厳経捜玄記」や、「一乗十玄門」などを著し、華厳教学の基礎を築きました。
彼は、「華厳経」に出てくる「性起」を重要概念としました。

また、智儼は、教相判釈(経典の分類評価)として、次のような「五教判」を定めました。

1 小乗
2 初教     :般若経系・唯識系経典
3 終教     :如来蔵系経典
4 頓教     :維摩経
5 円教・同教一乗:法華経
   円教・別教一乗:華厳経

また、様々な縁起の全体である「法界縁起」を、「異体」と「同体」という概念を使いながら、「十玄門」として説きました。

次の第三祖の賢首大師法蔵(643-712)はソグド系(サマルカンドのイラン系)中国人で、華厳教学を大成しました。
著作には、教学綱要書「華厳五教章」、「華厳経」の注釈書「華厳経探玄記」、「般若心経」の注釈書「般若心経略疏」などがあります。

法蔵は、法相教学に対する華厳教学の優位を確立することを目的として、「華厳五教章」などで教学を体系化しました。
彼の思想は、主に四つの説、「三性同異義」、「縁起因門六義法」、「十玄縁起無礙法」、「六相円融義」で表現されます。
「三性同異義」のみが法蔵の独創で、他は智儼から継承して発展させたものです。

第四祖の澄観(738-839)は、起信論、三論宗、天台宗、南北禅宗(牛頭宗が中心)を学んだ後、華厳宗の門下となりました。

彼は、「法界玄鏡」などを著し、杜順の「法界観門」と法蔵の「十玄説」を統合して、三論宗の空観の観点から「四種法界説」を立てました。

また、「五教判」の「頓教」と「終教」を入れ替えて、「頓教」に禅宗を入れました。
これは、四法界説に合わせて、「頓教」=「理法界」、「終教」=「理事無礙法界」、「円教」=「事事無礙法界」とするためでしょう。
この対応だと、禅は「理法界」になるのですが、禅の真意は「理事無礙法界」にあるとしました。

また、禅の「不立文字」、「教外別伝」を批判し、禅の実践と教学の両立を主張しました。

第五祖の宗密(780-841)は、儒学、そして、南宗禅の荷沢宗で禅を学んだ後、澄観の門下となりました。
彼も、実践と教学の両立である「教禅一致」を主張し、荷沢宗の立場から洪州宗などの禅宗の他派を批判しました。


<四種法界>

華厳教学で有名な「四種法界説」は、4段階の世界の見方、境地です。
始祖の杜順が「法界観門」で三種の法界の観法を説いたことを元にして、第四祖の澄観が「法界玄鏡」で体系化したものです。

また、法蔵も「探玄記」において、四種法界や三種観法という形ではありませんが、それらに相当するものを説いています。

名称の対応は下記の通りです。

(法界観門)   (探玄記)  (法界玄鏡)
1   ―    :  ―   :事法界
2 真空第一観  :無住不二法門:理法界
3 理事無礙観第二:理事無礙門 :理事無礙法界
4 周遍含容観第三:事融相摂門 :事事無礙法界

1の「事法界」は、通常の煩悩を持つ人間が見る世界です。
分別知によって個々の事物である「事」を実体として、その個的な差異を見ます。
煩悩の世界は観法とはならないので、「法界観門」では扱われませんでした。

2の「理法界」は、無分別な空観です。
「理」は「空」による普遍、同一性を意味します。
ですが、「空」の否定性だけではなく、「縁起(依他起性)」の肯定性を合わせて含みます。

3の「理事無礙法界」は、1の「事」と2の「理」が、同時に互いを妨げない見方です。
この段階は、天台宗の認識とされます。

法蔵はこの法界を、「大乗起信論」に独特の如来蔵思想に基づいて説きました。
つまり、「理」は「真如」であり「如来蔵」であり、それが、個の世界を生み出します。
法蔵は、その「空」に留まらない「真如」の働きを「如実不空」と表現し、それが煩悩に汚染されないとしました。

「大乗起信論」では、真如の心「心真如」と無明の心「心生滅」の両方を「和合」して「阿梨耶識」と呼びます。
「理事無礙法界」は、両者が「相即相融」する世界です。

4の「事事無礙法界」は、華厳宗に独自の境地とされます。
個々(事)が現象的に自己同一性を保ちながら、一対一で互いに他を含み含まれる存在と見ます。

法蔵は、「事事無礙」という言葉は使っていませんが、「探玄記」では「事融相摂門」としてこの法界を説いています。

「事事無礙法界」の境地の理論化は、杜順の段階では、まだ、個の固有性を十分に確保できていませんでした。
法蔵が「相即相入」という概念を導入することで、個を主とする立場を説くようになりました(後述)。

「事事無礙法界」は、ライプニッツのモナド論と似ていますが、その違いは、非実体主義で認識論的であること、そして、動的な関係があることでしょう。


<法蔵の空観>

法蔵は、「般若心経略疏」で、「空」=「自」と「色」=「他」の相補的な関係から「般若心経」の「空」を解釈しました。

法蔵は、「般若心経」の四句「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」を、次の4つの場面に対応させて解釈しました。

1 第四句  :空が隠れて色が前面に出る(空の観点から色を見る)
2 第三句  :色が眠って空が前面に出る(色の観点から空を見る)
3 第一・二句:空と色が共に成立する
4 明言されず:空と色が共に眠る

第四の場面は、究極の境地で、「般若心経」には明言されず、暗示に留まっているとします。

この4つの場面は、「四種法界」とは対応はしていませんが、似たところがあります。
法蔵は、「般若心経」を強引に華厳宗の立場から解釈しています。
この解釈は、「空」も「色」も「法界」の様態して等価に考えるもので、中観派の空観とは異なり、中国的です。


<法蔵の三性説、唯識観>

法蔵が「華厳五教章」で説いた「三性同異義」は、唯識派(法相宗)の「三性説」を「起信論」の真如説に基づきながら、一元的な縁起世界の無礙を理論化したものです。

これは、「三性」のそれぞれに下記の二義があり、その一義においては三性は同じであり、もう一義において異なる、つまり、「三性」はそれぞれが不一・不異の関係があるとするものです。

・円成実性 :不変/随縁(現象世界を生む)
・依他起性 :似有(仮に存在すること)/無性
・遍計所執性:情有(迷いの心において存在)/理無(道理として存在しない)

これは、唯識派の「三性・三無性」とは構造が異なります。
また、唯識派が「三性」を遍計所執性から向上的に語るのに対して、華厳宗は円成実性から向下的に語ります。

法蔵は、これを論証するに当たって、ナーガルジュナの四句分別を使いましたが、四句否定だけでなく四句肯定も行いました。

また、法蔵は、「華厳経」に出てくる「三界唯心」を説明するに当たって、法相宗(唯識派)の「五重唯識観」を発展させて「十重唯識」としました。
これは10段階の認識の深まりに対応し、「五教判」の大乗の四教を順に進みます。

まず、客観を心に帰一させ、阿頼耶識から如来蔵へ進み、如来蔵と他の識との無礙な状態に至ります。
第7段階が「理事無礙」、第8以降が「事事無礙(事融相摂)」に相当し、「相入」、「相即」といった概念も使って説かれます。


<縁起因門六義法>

智儼は、「捜玄記」で縁起を説くにあたって、「有力」、「無力」という概念を使いました。
「有力」とはそのもの自身の因だけが結果を生じさせる力があること、「無力」とは因にその力がないので、他の縁によって結果が生じることです。

法蔵は、「華厳五教章」の「縁起因門六義法」で、これを継承し、唯識派の「種子の六義」を種子以外にも拡大して縁起を説きました。

法蔵はここで、あるものが「有力」で縁を持たず因が主力の場合と、「有力」だが因と縁がバランスを取って縁を持つ場合、そして、「無力」で縁を持ち縁が主力となる場合の3つに分けます。
そして、それぞれに無性の面と似有の面を考えて、「六義」で分析しました。

このように、華厳教学では、因と縁は互いに他を奪い合う関係にあります。
この関係は、後述する「同体・異体」、「相入」という概念とも関係します。


<十玄縁起>

現象の円融無礙な縁起の関係を、10種の観点から説いた説が「十玄縁起」です。

最初に、智儼が「一乗十玄門」で説き、法蔵が「五教章」でこれを解説し、「探玄記」で修正して深めました。
それぞれで、十玄の名称や順序は異なります。

「探玄記」の「十玄門」と、その「五教章」での対応は次の通りです。

(探玄記)   (一乗十玄門・五教章)
1 同時具足相応門 :そのまま
2 広狭自在無礙門 :7の諸蔵純雑具徳門
3 一多相容不同門 :同名で2
4 諸法相即自在門 :同名で3
5 秘密顕了倶成門 :6の秘密穏顕倶成門
6 微細相容安立門 :同名で5
7 因陀羅微細境界門:同名で4
8 託事顕法生解門 :同名で10
9 十世隔法異成門 :同名で8
10 主伴円明具徳門 :9の唯心廻転善成門

「探玄記」の順で、簡単に説明します。

1は、すべてのことが同時に起こっていることを見ます。
2は、一(狭)が一切(広)を蔵している「純」と、一切が一に蔵される「雑」の関係を見ます。
3は、一つのものが一切を包み込んでいる作用の「相入」の関係を見ます。

4は、一つのものが一切のものである「同体・異体」の「相即」の関係を見ます。
それゆえに、初発心を起こした菩薩は、すでに仏と一体になります。
5は、それぞれのものにおいて隠れているものと顕になっているものが同時に成立していることを見ます。
6は、微細なものの中に一切の作用が入り込んでそれが顕現している関係を見ます。

7は、因陀羅網の譬えのように、重重無尽に反映し合う、「相即相入」の関係を見ます。
8は、すべての事物の重重無尽の関係、個々に特徴があって他の事物を象徴的に表現していることを見ます。
「事」という言葉があるように、事事無礙を表現しています。
9は、あらゆるものが時間的に区別があっても「相即相入」して成立していることを見ます。

10は、如来蔵自性清浄心が諸法(現象)を生じさせる「性起」を見ます。
「唯心廻転善成門」は、「理事無礙」的と言われますが、如来蔵が「自性を否定して諸法を生じさせる」と書かれているため、「事事無礙」的な側面もあります。
ですが、「主伴円明具徳門」の表現はより「事事無礙」的になっています。
個々の事物は主であり他から見れば伴となる関係です。


<異体・同体、相即・相入>

智儼は「一乗十玄門」で、「異体」と「同体」を重要な概念としました。

「異体」は、個々のものが他の縁を受けて成り立つことです。
「同体」は、個々の中に他のものを含んでいて、それ自身の因で成り立つことです。
つまり、他との関係を、「異体」は外に見て、「同体」は中に見る観点です。

法蔵は、縁起を「異体/同体」の観点と「体/用」の観点を組み合わせて考えます。

・異体:外との関係:縁で成立
・同体:内での関係:因で成立

「体」、つまり、存在・基体の観点では、あるものが「有」であると見る時、他のものは必ず「空」となり、他はあるものに即し、包み込みます。
その逆の関係もあります。
つまり、あるものは他のものであり、他のものはあるものとなります。

法蔵は、この関係を「五教章」では「相即」、「探玄記」では「相是」と表現します。

また、「用」、つまり、作用の観点では、あるものが他のものを成立させている時、あるものは「有力」であり、他は「無力」となります。
「有力」というのは、力を働きかけて入り込むことで、「無力」というのは、潜在化することです。
その逆の関係もあります。
つまり、自他は互いに成り立たせています。

法蔵は、この関係を「五教章」では「相入」、「探玄記」では「相在」とも表現します。

・体:有か空か  :相即
・用:有力か無力か:相入

この「相即」、「相入」の関係は、「異体」においても、「同体」においても存在します。
「同体」の「相即」の関係については、それを「一即多」、「多即一」と表現します。
また、「相入」の関係については、「一中多」、「多中一」と表現します。

・同体の相即:一即多・多即一
・同体の相入:一中多・多中一

法蔵は、自然数の一から十までの個々の関係で「相入相即」を説きました。
これは、「華厳経」の中で説かれる「十銭の比喩」と言われるもので、智儼も解説しています。

特に、「相入」の概念は、力動的な関係を示すため、注目すべきものです。
法蔵は、これについて、「ここに現象しているのはあくまでも作用の奪い合い」と「華厳遊心法界記」で書いています。
彼は、「事事無礙(事融相摂)」を、個同志が力のせめぎあいを行っている動的な関係として見たのです。


<六相円融>

「六相円融」も、「十玄縁起」と同じく現象の円融無礙な縁起の関係を、別の観点から説いたものです。
「六相」という言葉は「華厳経」にあり、それを世親、地論宗、智儼らが説いたものを、法蔵が「五教章」で深めました。

「六相円融」は、各部分がそれぞれの特徴を保ちつつ、他と関係を持ちながら、全体をなしていることを、六相から説きます。
六相とは、「総相(全体性)」と「別相(個別性)」、「同相(一致性)」と「異相(特殊性)」、「成相(統一性)」と「壊相(独立性)」です。

法蔵は、それを具体的には、建物の部分と全体の譬えで説きました。

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智顗と天台教学 [中国]

中国天台宗の教学を大成したのが天台智顗です。
智顗は、華厳教学の法蔵と共に、中国仏教教学を代表する人物です。

また、智顗は「天台小止観」、「摩訶止観」などの瞑想の実践書を著して、宗派を超えて影響を与えました。

智顗の教学・止観は、「中論」を独自解釈した「円融三諦」や、「三千世界」を一心に観る「一念三千」などが特徴です。


<法華経と天台宗>

天台宗が最も重視する「法華経」は、初期大乗仏教の経典です。

「法華経」は、釈迦は今生で初めて悟りを得たのではなく、その本体は、久遠の五百塵点劫の過去世において成仏し、久遠の寿命を持つ「久遠実成」の仏であると主張します。
そして、その仏が、永遠に衆生を救済へと導き続けるので、一切の衆生がいつかは必ず仏に成るのです。

「法華経」の最初の漢訳は、286年の竺法護訳「正法華経」、次の漢訳は、400年の鳩摩羅什訳「妙法蓮華経」であり、天台宗は、後訳に依っています。

天台宗の初祖は北斉の慧文、第二祖は南嶽慧思(515-577)とされますが、第三祖の天台智顗(538-597)が実質的な初祖であり、天台教学の大成者です。

南嶽慧思は、自性清浄心を根拠として頓悟を説いた人物です。
また、彼は、「法華経」が三乗(声聞・縁覚・菩薩乗)を統合する「一乗」の教えであるという立場を明確にしました。
また、「法華経」は、頓覚(一瞬に悟る)の教えであり、疾成仏道(すぐに悟れる)の教えであり、師なしに悟れる教えであると説きました。


<智顗>

智顗は、南嶽慧思に師事し、「法華経」、「摩訶般若波羅蜜経」、「大智度論」、そして「涅槃経」などを基にして天台教学を大成しました。
天台宗は、智顗が講義し、それを弟子がまとめた「法華玄義」、「法華文句」、「摩訶止観」を三大部として重視します。

初祖の慧文は、「中論」や「大智度論」から「一心三観」を読み取ったとされます。
智顗はそれを継承して「円融三諦(三諦円融)」の教学を体系化しました。

智顗は「三諦」(詳細は後述)と関係づけながら、以下のような教相判釈を行い、仏教の教えを段階づけました。

1 蔵教:小乗 :空諦(析空観)・界内の理事不相即
2 通教:大乗 :空諦(体空観)・界内の理事相即 
3 別教:華厳経:仮諦     ・界外の理事不相即
4 円教:法華経:中諦     ・界外の理事相即 

蔵教(小乗)の「析空観」は構成要素に分けて分析的に空を理解するのに対して、通教(大乗)の「体空観」は一挙に理解します。

別教(華厳経)は「仮諦」までを説き、円教(法華経)は「中諦」までを説くとされます。
この二教は、三界を越えた世界(界外)における菩薩のための教えとされます。

また、智顗の「次第禅門」、「天台小止観」、「摩訶止観」は、禅(止観)の実践書として、宗派を越えて重視されました。
もともと「禅」とか「禅門」というのは、天台宗のことを指していて、禅宗は「達磨宗」と名乗っていました。


<三諦>

天台宗では、中観派のナーガルジュナ(龍樹)の「中論」を解釈した「空諦」、「仮諦」、「中諦」の3つを「三諦」と呼びます。

智顗の「三諦」は、「三諦偈」と呼ばれる「中論」の24章18詩を、慧文の「一心三観」の見解を継承しながら、解釈したものです。
ですが、智顗の理解は、「中論」原典の意図とは、大きく異なります。

この部分の原典を訳すと、「どのようなものであれ縁起なるものを、我々はそれを空性と呼ぶ。それは仮説であり、また中道である」となります。

2つ目の「それ」は「空性」を指し、「空性」という言語表現は「仮」のものであり、その「仮」の表現が(有、無に偏らない)「中道」であるという意味です。

論理的には、「縁起」=「空」であり、「仮」=「中」です。

ですが、修行主体の体験段階で考えると、「有/無」の分別→無分別の「空」→「仮」=「中」となります。
中観派では、無分別の「空」は「等引智」、「仮」は「後得智」と呼び、2段階で考えます。

ですが、智顗は「それ」が「縁起」を指すと理解して、「縁起」が、「空」であり、「仮」であり、「中」であると解釈しました。
つまり、「縁起」によって生じる現象に「三諦」が備わっているという解釈です。

智顗における「仮」には、「空」の言語表現だけではなく、「有/無」の意味があります。
つまり、煩悩的な分別によって見る現象そのものとしての諸法が「仮」なのです。

また、「空」は、単に実体性の否定や無分別な智恵が見る実在ではなく、「仮」である現象を生む、心の母胎です。

そして、「中論」では、「仮」=「中」ですが、智顗にとって「中」は、「空」と「仮」の総合です。

後述するように、智顗は、最初、「三諦」を順次に観じる「漸次止観」を説きました。
ですが、後には、「三諦」のそれぞれが他の二諦を含む「円融三諦」と、「三諦」を一挙に観じる「円頓止観」を説きました。

ですが、智顗の「円頓止観」においても、「空諦」は、「従仮入空観」とされるように、「仮」から「空」へという方向性があり、「仮諦」は「従空入仮観」とされるように、「空」から「仮」への方向性があります。
しかし、「中論」の意図では、「仮」から「空」への方向性はなく、智顗の言う「仮」は、「有/無」のことです。

また、「円融三諦」における「中諦」の統合は、以下のように説かれます。
「空諦」は実体の否定であり、「仮諦」は「空」に留まらないという意味で否定の否定で、その両方の否定を認めます。
また、「空諦」の実体の否定を肯定し、「仮諦」の縁起する「仮」を肯定する、その両方の肯定を認めます。
この2つの否定と肯定を認めるのが、「中諦」における統合です。


<天台小止観>

智顗は、「次第禅門」で、「禅」という言葉を使って「止」について説きました。
ですが、「天台小止観」では、「止観」という言葉を使って、「観」についても説くようになりました。

ところが、智顗は「止」と「観」を必ずしも伝統的な意味で使っていません。
伝統的な意味においては、「止(奢摩他)」は「定」、「観(毘鉢舎那)」は「慧」として区別されます。
部派仏教のアビダルマでは、「止」と「観」はそもそも対象が異なるので両立しません。
インド大乗では対象が同じでも使いますが、「止」は集中、「観」は智恵を得るための観察であり、大雑把に言えば「止」に「観」を加えていきます。

しかし、智顗にとって、「止」と「観」は必ずしもそのように区別されるものではなく、連続的で一体的なものです。
時には、「止」と「観」がほとんど区別されず、どちらも「慧」とされることもあります。

智顗は、すべては心が作り出したものという唯識派的な世界観を持っています。
そのため、「観」に関しては、心を観察すること、つまり「観心」に他ならないと考えます。
ですから、「止」では外的対象を対象としても、「観」では外的対象を作る心を対象とする、という傾向があります。

修行の階梯も、「止」から「観」へと進むというよりも、「止観」の瞑想を順次深めていくという形になります。

「天台小止観」では、「証果」、つまり、「止観」の瞑想の成果として、「三止三観」が説かれます。
簡単に言えば、「空諦」→「仮諦」→「中諦」と「止観」を階梯的に行うもので、「漸次止観」と呼ばれます。
「次第禅門」でもこの「漸次止観」が説かれました。

「三諦」における「止」、「観」、「智恵」は下記のように名付けられています。

   (止)     (観)  (智)
空諦:体真止   :従仮入空観:一切智
仮諦:方便随縁止 :従空出仮観:道種智
中諦:息二辺分別止:中道正観 :一切種智

詳細は姉妹サイト「仏教の瞑想法と修行体系」の下記も参照ください。
天台小止観


<摩訶止観>

「摩訶止観」では、智顗の完成された思想を反映した「止観」の方法が説かれます。
「天台小止観」と比較したその特徴は、まず、「三諦」を段階的にではなく、一挙に総合して捉える「円頓止観」です。
そして、「摩訶止観」では、「中諦」の観法名は、「中道第一義観」に変わります。

この「円頓止観」は、中国仏教に特徴的な、超時間的・超合理的な、総合の論理です。
これは、「法華経」を「円教」として、すべてを総合して捉える発想に基づいて、「三止三観」を捉えたものです。

また、「摩訶止観」の特徴には、「止」に関して「四種三昧」を、「観」に関しては「十境十乗観法」や「一念三千」を説くことがあります。

「四種三昧」は、歩きながら阿弥陀仏の念仏、観想を行う「常行三昧」、座禅による三昧の「常坐三昧」、この2つを順に行う「半行半坐三昧」、日常の中で常に瞑想を行う「非行非坐三昧」です。

観法における「十境十乗観法」や「一念三千」など、「円頓」、つまり無時間的な総合という観点から説かれています。

また、「十境十乗観法」と「一念三千」の世界観は、教学として非常に複雑で完成度の高いものです。
ですが、現実に実践が可能であるのか、疑問が生じます。


<十境十乗観法>

「十境十乗観法」は、観察の対象を「十境」に分類し、観察の方法を「十乗」に分類し、その組み合わせ全体で100種類の観察を行う観法です。

「止観」の正行である「正修止観」は、大きくは、まず、観察の対象で「十境」に分類されます。
ここでの「対象」の意味は、「止観」をさえぎる10種の対象界とされます。

「陰入界境」以外は、何らかの問題があった場合に生じてくるものなので、「陰入界境」が最初に観察すべき、代表的な対象です。
具体的には、「五陰(五蘊)」、「六境」、「六根」、「六識」で、つまり、一般的な名色であり、凡夫にあっては、清浄ではないものです。

智顗は心がすべてを作り出すという唯識的な発想を持っているので、中でも、まず、「識」を対象として観察すべきであるとします。

その観察方法に「十乗」による観法と、「歴縁対境」による観法があり、まず、「十乗」観法を行います。
「十境」の一つ一つで、「十乗」という10種類の観察方法で「止観」を行います。

中でも、最初の「不可思議境の観察」が重要とされます。
これは、対象の世界が概念的な理解を越えているということの観察です。
その観察法の一つが、「一念三千」の観察です。


<一念三千>

「一念三千」は、一つの心の中に、「十法界」、「三界」、「十如是」を組み合わせた3000の性質を見るという観法です。
「三千」は「十法界」と「三世界」と「十如是」の組み合わせです。

「十法界」は、「六道」、「二乗(声聞・独覚)」、「菩薩」、「仏」の十の世界であり、いずれも心が生み出すものです。
その心のあり方は、「六道」は「有」、「二乗」は「空」、「菩薩」は「仮」、「仏」は「中」に対応します。

そして、それぞれの法界には、他の法界も含めて「十法界」が潜在的に存在すると観察します。
つまり、10×10=100種となりますが、これを「十界互具」と言います。

また、それぞれの世界には、名色の構成要素としての「五陰(五蘊)世界」と、生き物としての「衆生世界」と、容れ物としての「国土世界」の3つの世界があります。

「十如是」は、以上の世界のそれぞれが持っている十の側面です。
具体的には、「相」、「性」、「体」、「力」、「作」、「因」、「縁」、「果」、「報」、「本末究竟等」です。
「本末究竟等」は、「相」から「報」まですべてが「空」という点では同じであるという性質です。

ただ、「十如是」は「法華経」の「方便品」に説かれているとされるのですが、サンスクリット原典には「五如是」しかありません。
それを鳩摩羅什が「十如是」の形に訳し、南岳慧思が「十如」として取り上げたものです。

以上を組み合わせて10×10×3×10=3000となります。
こうして、すべての心の中に、この「三千世界」があると観察します。

そして、一瞬の一つの心と、一切法である三千世界は、どちらかが先にあるというものでもなく、一つの心が「三千世界」を生むのでもなく、一つの心が三千世界を含むのでもありません。
そのあり方が、精妙で、「不可思議」、つまり、概念的認識を越えていると観察します。

詳細は姉妹サイト「仏教の瞑想法と修行体系」の下記も参照ください。
摩訶止観 

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大乗起信論 [中国]

「大乗起信論(以下、「起信論」)」は、インドの馬鳴の撰述とされますが、おそらくは6C前半に中国北朝で、地論宗に近い者によって、様々な漢文の仏教文献を参考にして作られた偽書です。

ですが、この書は大乗仏教の綱要書的な書で、如来蔵系思想を中心に、独自の唯識説を展開し、中国、日本の仏教思想に大きな影響を与えました。


<一心・二門・三大・四信・五行>

「起信論」の内容は、「一心・二門・三大・四信・五行」としてまとめられます。

「一心」、あるいは「心」とは、無分別で清浄な如来蔵の心と、煩悩・無明の部分を合わせた、煩悩即涅槃としての心です。
煩悩のある心も、本来的には、清浄な心と同じということです。
そのため、「衆生心」とも表現されます。

「心」は、存在論的には「真如」と呼ばれます。
つまり、「真如」も、清浄な部分だけではなく、分別された現象をも含む概念です。

「二門」とは、無分別で清浄な部分の「真如」と、分別・煩悩の「生滅」の2つです。
「一心」をこの2つに分けると、「心真如」と「心生滅」となります。

「三大」は、基体の側面である「体」、性質の側面である「相」、作用・働きの側面である「用」です。
これらの概念は、中国仏教に独特のものであり、インド仏教には存在しません。

「真如」については、「体」は永遠の存在であり、「相」は功徳を持っていること、つまり、智恵であり、光明であり、清浄な自性清浄心であること、そして、「用」は善の因果応報、つまり、他者を救済し続ける働きを持っていることとされます。

「四信」は、仏、法、僧の三法に加えて、「真如」の4つを信じることです。

「五行」は、修行の項目で、六波羅蜜に当たりますが、禅定波羅蜜と智恵波羅蜜を合わせて「止観」として、全部で5つにまとめて、数合わせをしたものです。

また、六波羅蜜ができないような普通の人には、「念仏」を勧めています。


<真如>

「起信論」で最も重要な概念は、「真如」であり、それを別の側面から表現した「覚」です。
「如来蔵」という言葉はほとんど使われません。

「真如」は「空」なのですが、それを否定的表現と肯定的表現で、「如実空」と「如実不空」と表現します。

「如実空」とは、分別を完全に離れていることで、否定的表現です。
ですが、「如実不空」とは、常恒不変で清浄であることです。
つまり、「如実不空」は、「真如」が肯定的な表現される性質を持っているということです。

また、「真如」は、「如来蔵」として迷いの心の中にも存在しています。
そのあり方を、「智浄相」と言います。

そして、「真如」は、人が仏になって他人を教化する働きの中にも存在しています。
そのあり方を、「不思議業相」と言います。
これは、煩悩のない分別であり、後得智に相当するものでしょう。

「真如」は、煩悩がなくなっても、「智恵」として存在し続けます。
唯識派では、「真如」は無為法、「智恵」は有為法です。
ですが、「起信論」では、「真如」は「智恵」でもあり、共に無為法とされます。

・真如
 =如実空  :無分別性
 =如実不空 :清浄性
 =智浄相  :迷いの中に内在
 =不思議業相:仏の働き
 =智慧   :煩悩がなくなった時

また、「起信論」は、「真如」の働きという観点から、独自の「三身説」を説きます。

「法身」は、「真如」そのものですが、他人を救済する功徳を持っているという肯定的側面を強調します。
「報身」は、菩薩が智恵を心の中で仏の形で見る姿であり、「真如」の働きです。
「応身」は、凡夫が心の中に見る仏の姿ですが、外界に存在していると見間違います。
これも真如の働きです。

このように、「真如」の積極的な働きを強調することが「起信論」の特徴です。


<識>

「起信論」は、如来蔵系の書ですが、独自の唯識説によって論じています。
その唯識説は、本来のインド唯識派、中国の法相宗の説とは異なり、如来蔵系の経典である「楞伽経」の唯識説を継承しています。

唯識派(法相宗)では、五感に対応する「前五識」と「意識」を合わせて狭義に「識」と呼び、「末那識」を「意」、「阿頼耶識」を「心」と呼びます。
これに対して、「起信論」では、独自の「五識」を「意」と呼び、「意識」はそのまま「意識」、そして、「阿頼耶識」を「阿梨耶識」と書きます。

「起信論」の「五識(五意)」は、五感とは無関係で、分別心の5段階を表現したものです。
「業識」が分別心へ動き出す心、「転識」は主体が現れる心、「現識」は現象世界が現れる心、「智識」は分別する心、「相続識」は執着する心です。

そして、「意識」は「相続識」と異なるものではなく、それが展開したものです。

「阿梨耶識」という言葉は、「起信論」では次のように語れられます。

「不生不滅と生滅と和合して、一に非ず、異なるに非ざるを、名付けて阿梨耶識と為す。この識に二種の義あり。一切の法を摂政し、一切の法を生ず」

「阿梨耶識」という言葉が出てくるのは、これ一度だけで、これ以上の説明はなされません。

「阿梨耶識」は「阿頼耶識」で、それを無分別な「心真如」と、分別智の「心正滅」の両方を合わせたものと解釈しているのでしょう。
ですが、唯識派では「阿頼耶識」は無分別な「如来蔵」を含みません。


<熏習>

「起信論」は、独自の熏習理論を持っています。
唯識派では、「阿頼耶識」の「種子」から生じた「現行」が、「種子」を「阿頼耶識」に熏習します。
ですが、「起信論」では、「無明」が「真如」を熏習し、また、逆に、「真如」が「無明」を熏習します。
唯識派では、「真如」から「無明」の方向への熏習はありません。

「無明」が「真如」を熏習することは、「染法熏習」と呼びますが、これを3段階で考えます。

まず、「無明」が「真如」に働きかけて「妄心」が生まれますが、これを「無明熏習」と呼びます。
次に、「妄心」が「無明」を増長させて、「妄境界」(対象世界)を生み出しますが、これを「妄心薫習」と呼びます。
さらに、「妄境界」が「妄心」に働きかけて「執着心」を生み出しますが、これを「妄境界薫習」と呼びます。

一方、「真如」が無明を熏習することを「浄法熏習」と呼びます。

まず、「真如」が「妄心」に働きかけて、「厭求心」(向上心のこと)を生み出しますが、これを「真如薫習」と呼びます。
次に、「厭求心」が「真如」に働きかけて「無明」を消滅させますが、これを「妄心薫習」と呼びます(同じ名前が上記にもありましたが別のものです)。

また、「真如熏習」には2種あって、「真如」が自分の心の内から働きかける熏習を「自体相熏習」、「真如」が他人に働きかける熏習を「用熏習」と呼びます。
「真如」が他人の救済のために働きかけることは、「真如」が持つ自然な性質であり「自然業」と呼びます。

・無明→真如:染法熏習(無明熏習→妄心薫習→妄境界薫習)
・真如→無明:浄法熏習(真如薫習→妄心薫習)
 >内から:自体相熏習
 >外から:用熏習

このように、「起信論」では、熏習の理論においても、「真如」の積極的な働きを強調する理論になっています。

これは、心の奥底の智的存在が表層の意識に働きかけて救済しようとするものであり、グノーシス主義的で、マニ教(明教)、ミトラ教(弥勒教)とも似ています。
どのような影響があったか、なかったかは分かりませんが、影響関係を想像したくなります。


<覚>

「真如」は「覚」、「無明」は「不覚」と呼ばれますが、修行によって「不覚」から「覚」に向かうその段階によって、「覚」を区別して命名します。

・不覚(随染本覚)→始覚→相似覚→隋分覚→究竟覚(性浄本覚)

初めて「不覚」の状態から「覚」を目指そうと目ざめた「覚」を、「始覚」と呼びます。
「始覚」は、最初だけでなく、「覚」が完全になるまでの道全体を指します。

次に、粗い分別をなくした段階は、「覚」に似ているので、「相似覚」と呼ばれます。
声聞や縁覚の「覚」は、「相似覚」とされます。

次に、法身を自覚した菩薩の段階が「隋分覚」です。
これは一時的な「覚」です。

最後に、修行を完成して「真如」と一体となったのが「究竟覚」です。

ですが、「覚」は、もともと「如来蔵」として潜在的にであれ、存在しています。
そのため、この意味で「本覚」と呼びます。

また、「本覚」が、「不覚」の状態の時の汚れた状態にあることを「随染本覚」と呼びます。
これに対して、目覚めた状態の「本覚」を「性浄本覚」と呼びます。


<不覚>

「起信論」は、「不覚」のあり方を、煩悩が働く段階の観点から、「三細」と「六麁」としてまとめます。

「三細」は、微細な迷いの状態で、3段階からなります。

・無明業相:分別の心が動き始める段階
・能見相 :主体が生まれる段階
・境界相 :対象が生まれる段階

「六麁」は、粗い迷いの状態で、6段階からなります。

・智相  :愛・不愛の分別
・相続相 :苦・楽の分別
・執取相 :対象への執着
・計名字相:言語的認識
・起業相 :言語による執着
・業繋苦相:業による因果応報

また、迷いの心を「染心」と表現し、迷いを6種に分けて「六染」と呼びます。
主客分離以前の無自覚なレベル(不相応)の「染心」が3つ、そして、自覚できるレベル(相応)の「染心」が3つあります。
「染心」は、自覚できるレベルの粗いものから順に、なくしていく必要があります。


<発心・行>

「起信論」は、独自の修行階梯を立てていて、3段階の「発心」を数えます。

まず、最初が、普通の発菩薩心ですが、これを「信成就発心」を呼びます。
「起信論」では、これによって、必ず涅槃が約束される「不退」となるとされます。
この状態を「正定聚」とも表現します。

その後、「四方便」という修行を行います。
「無住処涅槃」という目標を学ぶ、悪行をやめる、善行を行う、平等な大悲を起こす、の4つの行です。
「無住処涅槃」は、日常の分別の生活の中で、それにこだわらずに、そこに「涅槃」を見出す大乗の理念です。

次に、「解行発心」を起こします。
これは、一大阿僧祇劫の行、つまり、無限のように長い菩薩行を続けることを願う発心です。
菩薩の「五十二位」で言えば、「十信」を成就し、「十住」に進むことに当たります。

その後、「六波羅蜜」の修行を行います。
無分別智に向かう修行段階に当たります。

次に、「証発心」を起こします。
「真如」を証する発心です。

そして、無分別智によって「真如」と一体化する修行を行います。
これは「十地」の段階に当たります。

「起信論」では、「止(奢摩他)」の瞑想は、対象を持たずに、無分別の状態に至ることを行います。

そして、法身と衆生身を同じと見る「止」を「一行三昧」、分別・無分別にこだわらない「止」を「真如三昧」と呼びます。

「観(毘鉢舎那)」の瞑想は、縁起する現象を対象にしますが、他に無常、苦、無我、不浄の4つの観察を行います。
また、「観」は、日常の中においても行うべきとされます。

ですが、「止観」を行えない人に向けては、「念仏」を勧めます。
「念仏」としか書かれていないので、「観仏」か「称名念仏」か不明ですが、後者と推測されます。


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南宗・北宗の内丹法 [中国]

現在まで伝わる内丹の基準となる行法は、「金丹派南宗」を始めた張伯端によって作られました。
この派の内丹法は、以降のほとんどすべての派に影響を与え、北宗の伍柳派は、内丹法を広く一般に分かりやすく公開しました。

この項では、両派の清修の内丹法を紹介します。


金丹派南宋は張伯端(987-1082)が開祖で、白玉蟾が大成しました。
張伯端は四川の成都で活動した人物で、「周易参同契」を受け継ぎ、鍾離権、呂洞賓を奉じています。
南宗の丹法は、「悟真篇」、「玉清金笥青華秘文金宝内煉丹訣」、「金丹四百字」、「張紫陽八脈経」などに記されています。

清代の伍守陽(1574-1644)、柳華陽(1736-)の2人が確立した内丹派を「伍柳派」と呼びます。
全真道の北宗の、丘処機の竜門派を源流としています。
その内丹法は、伍守陽の「天仙正理直論」、「仙仏合宗語録」、柳華陽の「慧命経」、「金仙証論」などに記されています。

南宗、北宗ともに、その内丹法は、「性命双修(精神と気の両方をコントロールする)」です。
ですが、南宗は「先命後性(先に気のコントロールをする)」で、北宗は「先性後命(先に精神のコントロールをする)」です。
そして、南宗は「陰陽双修派(性的な房中術=栽接法も行う)」ですが、北宗は出家の教団のため、房中術を行わない「清修派」です。

南宗、伍柳派ともに、その内丹法は、大きくは、「煉己築基(築基入手工夫)」、「煉精化気」、「煉気化神」、「煉神還虚」の4段階に分けられます。

この中で、行法の対象は、「後天の精・気・神」→「元精」→「元気」→「元神」→「虚」と変化させていきます。

先天の「元精」、「元気」、「元神」の数は、「三」→「二(元気+元神)」→「一(元神)」→「〇」と変化します。

また、「元精」、「元気」、「元神」を結びつけて凝縮したものは、「外薬(小薬)」→「内薬」→「大薬」→「聖胎」→「陽神」と変化させます。

以下、具体的に順を追って、行法を紹介します。


1 煉己築基

「煉己築基」では、後天の精・気・神を煉り、元気の減少を補充し、任脈・督脈を通します。

基本的に、内丹で煉る対象となるのは、先天の「精」・「気」・「神」(以下、元精・元気・元神)で、これは「薬」、「三宝」、「真種子」と呼ばれますが、この段階では、後天の「精」・「気」・「神」が薬となります。

まず、心を落ち着かせ、黄庭に集中して、「欲神」をなくし「元神」を現わします。
これを、「守竅煉心」、「煉己守竅」、「玄関一竅」などを呼びます。
心が落ち着いた瞑想状態は、潜在意識的な意識の状態で、「意」と表現され、これは神と気を結びつける「媒」であり、「黄婆」とも表現されます。

北宗の場合は、この「性功」、つまり、無心(虚)になる精神的な瞑想を重視します。
そのため、この段階を「煉心還虚」と表現することもあります。
「先命後性」と「先性後命」の違いは、この段階での精神的な瞑想の重視する度合いの違いです。

次に、腎臓にある「精」が「気」に変わると、これを任脈・督脈に沿って回し、三関を通します。

これを行っているうちに、黄庭に「元気」が生じると、この段階が完成します。


2 煉精化炁(初関・三を二に帰す)

「煉精化炁」は、「初関」とも呼ばれ、「三を二に帰す」と表現されます。
このでは、「元精」を煉って「炁(精と気を煉った混合物)」に変えます。
この段階の瞑想の場所は、下端の「炉」は下丹田、上端の「鼎(鍋)」は泥丸で、「大炉鼎」、「大河車」と表現されます。

「煉精化炁」は、大きく「外薬煉採」と「内薬採煉」の2段階から構成されます。 

2-1 外薬煉採

さらに、「外薬煉採」は、「調薬」、「採薬」、「煉薬」の3段階から構成されます。

2-1-1 調薬

下丹田(黄庭)に集中し、「元精」と「神火」(気を煉って熱を持ったもの)を混ぜると、「陽光一現(眼前に光が現れる)」という現象が現れて、温かい感覚と共に「元気」が生じます。
これが下丹田から命門(腎臓の中間)に上がると、「外薬(小薬)」と呼ばれるものになります。

2-1-2 採薬

「外薬」を下丹田に入れて、そこに意識をかけて「神」をこらし、凝縮します。

意識かけて「神」を融合することを「採る」と表現します。
「外薬」は「生じてから採る」、次の「内薬」は「採ってから生じる」と言います。

2-1-3 煉薬(小周天)

「外薬」をさらに煉っていくと、「元精」が「炁」に変わり、動き出します。
これを任脈・督脈に回して下丹田に蓄えます。
これを「小周天」と呼びます。

2-2 内薬採煉

300回ほど小周天を重ねて、「外薬」を凝縮、蓄積します。
すると、すべての「精」が「炁」に変わり、「陽光二現(眉間に水銀のような一筋の白い光が現れる)」という現象が現れます。

そこで、火(熱)を止めて、下丹田で「元神」と結合させていると、会陰から丹田に「炁」が昇り、「内薬」が生じます。


3 煉炁化神(中関・二を一に帰す)

「煉炁化神」は、「中関」とも呼ばれ、「二を一に帰す」と表現されます。
この段階では、「炁」を「神」と一つにして煉り、「聖胎」・「陽神」にします。
この段階の「炉」は下丹田、「鼎」は黄庭で、「小炉鼎」、「小河車」と表現されます。

「煉炁化神」は、「七日採工」と「十月大周天」の2段階から構成されます。

3-1 七日採工(採丹)

「七日採工」は「採丹」とも呼ばれ、さらに、「採大薬過関」と「移胎服食」の2段階から構成されます。

3-1-1 採大薬過関

蓄積されていた「外薬」と「内薬」を結合させていると、「陽光三現(部屋に白い光が立ち込める)」という現象が現れて、「炁」が黄庭に集まります。

七日ほど煉り続けると、「六根震動」という現象が現れ、「大薬」が下丹田に生じます。
「六根震動」は、丹田では火が激しく燃え、腎は沸騰したようになり、目からは金色の光が出て、耳の後ろでは風が起こり、頭の後ろでは鷲が鳴き、身は沸き立つようで、鼻がひきつけられる、という6つの現象を指します。

3-1-2 移胎服食

「大薬」は頭頂から尾骨まで動きますが、鼻孔や肛門から体外に漏れないようにし(漏れる時は液体状になります)、最終的に黄庭に落ち着かせて、「神」と一つにして煉ります。
すると、「大薬」は「聖胎(胎児、嬰児)」と呼ばれるものになります。

3-2 十月大周天(養胎)

精神を無心にして、「聖胎」を下丹田と黄庭の間に安定させます。
これを「大周天」と言います。
瞑想を続けていると、4-5カ月で「胎」の形が出来上がり、「神」が「霊胎」と一体になって「陽神」になります。
「炁」が「神」に変化したのです。

さらに続けていると、10ヶ月で、「胎(丹)」は完成し、体は純粋な陽の性質になります。
この過程を「養胎」と呼びます。


4 煉神還虚(上関・一を〇に帰す)

「煉神還虚」は「上関」とも呼ばれ、「一を〇に帰す」と表現されます。
この段階では、「陽神」を、「道」に一体化させ、「虚」に戻します。

「煉神還虚」は、「三年哺乳」と「六年温養」の2段階から構成されます。
「虚空粉砕」や「還虚合道」を別に数えることもあります。

4-1 三年哺乳(出胎)

「陽神」を上丹田に移し(移胎)、静かに意識をかけて強化することを、3年続けます。

すると、六通が完全になり、美しい景色が見えるようになります。
そして、天門(頭頂の門)が動き出し、骨と肉が離れるように、「陽神」が肉体から分かれます。
これを「出胎(出神)」と呼びます。

4-2 六年温養(虚空粉砕)

その後、頭頂から「陽神」を少しだけ体外に出して、また戻すことを、六年ほど続けます。
体の回りに金色の光が現れるので、この光を外に出した「陽神」の中に吸収し、「陽神」を体の中に戻します。

「陽神」を「虚」に戻すように煉っていると、光が放射されます。
さらに肉体を煉って「陽神」の中に溶け込ませ、光を照らすと、肉体は消失して「炁」になります。
これを「虚空粉砕」と呼びます。

こうして、「陽神」は「虚」に還り(還虚)、「道(タオ)」と一体化(合道)します。


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鍾呂派の内丹法 [中国]

五代の10C頃、伝説的な隠者の鍾離権と呂洞賓(798-)を奉じる「鍾呂金丹派」とい内丹派が生まれました。
鍾呂金丹派は、内丹の行法を、最初に確立した内丹派で、後代の内丹に大きな影響を与えました。

この派の内丹に関する有名な書には、二人の名による「霊宝篇」、「霊宝畢法」や、呂洞賓の弟子の施肩吾による理論中心の「鍾呂伝道集」などがあります。

「鍾呂伝道集」は、次のように18章から構成されています。
真仙論、大道論、天地論、日月論、四時論、五行論、水火論、竜虎論、丹薬論、鉛汞論、抽添論、河車論、還丹論、煉形論、朝元論、内観論、魔難論、証験論。

「霊宝畢法」は宋代の書で、具体的な行法が説かれており、次の10章で構成され、それが、内丹行法の10段階になっています。
10段階というのは、受胎から出産までの10か月に合わせているのでしょう。

そして、10段階が大きく3乗に分けられています。
小乗は、長寿を得て「人仙」になる段階、中乗は不老不死になって「地仙」になる段階、大乗は昇仙して「天仙」になる段階です。

具体的には下記の通りです。

・小乗
第一:匹配陰陽、第二:聚散水火、第三:交媾龍虎、第四:焼煉丹薬
・中乗
第五:肘後飛金晶、第六:玉液還丹、第七:金液還丹
・大乗
第八:朝元煉気、第九:内観交換、第十:超脱分形


<陽気陰液循環相生説>

鍾呂派では、「陽気陰液循環相生説」と基本としています。
陰陽五行説に基づいて、天の気の循環、身体の気の循環に合わせて、内丹の行を行うものです。
年周期、日周期の循環を、八卦の周期として捉え、五行に対応する五蔵の気の動きを利用します。
つまり、どの季節、どの時間に、どの行を行うかが決まっています。

陰陽五行説では、陰が極まると陽が生じ、陽が極まると陰が生じます。
陰には液、陽には気が対応するので、液から気が、気から液が生じることになります。

五臓では、陰には肺、陽には肝が対応します。
また、地つまり陰には腎が、天つまり陽には心が対応します。
腎には水=液があり、心には火=気があります。

つまり、下記のような対応関係になります。

・陰:液:肺…地:腎:水
・陽:気:肝…天:心:火

心臓の気と、腎臓の液を混ぜることで、陰陽を相生させる、陰から陽を生み、陽から陰を生むようにするということです。
これが自然の創造の原理であって、胎児が生まれ育つことの再現になります。


<具体的な行法>

具体的な各段階の方法について、簡単に説明します。

・第一:匹配陰陽

基礎である「築基」の段階で、「気を閉ざして液を生じ、液を集めて気を生じる」と表現されます。
天地の気を吸収し、「元気」を少しだけ吐き出し、この二気を合わせ、気を蓄えることで、「液」を生じさせます。

・第二:聚散水火

導引、按摩、津液(唾液)を飲み込む嚥津法を行い、「心火」(心臓の温かい気)を下し、膀胱の気を上昇させ、腎蔵の気の火に合わせて、下丹田を温める。

・第三:交媾龍虎

「腎水」と「心火」を合わせて、上昇・下降させます。
上昇した陽が極まると陰を生じて下降する、下降した陰が極まると陽を生じて上昇すると考えます。

「腎気」は、「真水」ですが、陰中の陽、「一陽」、「臣火」であり、「嬰児」、「虎」と表現されます。
膀胱から「民火」が上昇する時、この「臣火」=「虎」を心臓に上げて、心臓の「君火」と合わせます。
すると、心臓の陽が極まって陰=「液」を生じますが、これを「タ女(タは女偏に宅)」、「龍」と表現し、これを下降させます。
そして、黄庭で「真気」が発生する時に、心臓の上、肺の下で「竜虎」を合わせます。
この「竜虎」を合わせたものを「黄芽」とも言います。
これを、「下丹田が中丹田へ返る」と言います。

「龍」と「虎」を生むことを「採薬(離卦採薬)」と言い、これを合わせることを「採合」と言います。

・第四:焼煉丹薬

黄庭に意識を集中して気を温めます。
これを、「勒陽関(乾卦勒陽関)」と言い、「中丹田が下丹田へ返る」とも表現します。
中丹田と下丹田の間、五臓のルートを中心に気を回すので、これを「小河車」と表現します。

これを続けて100日経つと、「薬」は完全になります。

・第五:肘後飛金晶

「肘後」は、脊髄に沿って体の背面を走る「督脈」のことです。
「金晶」は竜虎が合わさったものことで、これを督脈に沿って脳に上昇させ、三関を突いて頭頂の泥丸に入れます。
これを「下丹田が上丹田に返る」と表現します。
下丹田と上丹田の間で気を回すので、これを「大河車」と表現し、「小周天」とも言います。

これを200日続けると、「胎」は堅くなります。

・第六:玉液還丹

「玉液」は、気を煉って竜虎を交えた後、舌の下に生じる甘い唾液(津液)のことです。
この「玉液」を飲み込んで中丹田から下丹田に入れて、(金)丹に合わせることを、「玉液還丹」と呼びます。

その後、「玉液」を、これを下丹田から手足に流して煉ると白くつややかになりますが、これを「玉液煉形」と呼びます。

・第七:金液還丹

「金液」は、腎気と心気を合わせて、肺に入れて生まれる肺液のことです。
これを下降させて下丹田に入れるのが、「金液還丹」です。
その後、上丹田に上げます。
下丹田・黄庭に入れて、「金液」が丹になるので「金丹」と言います。

これを300日ほど続けていると、「真気」を生じる「大薬」になります。
「大薬」になってからの「大河車」は「大周天」と呼ばれます。

その後、これを下丹田から手足に流すことを、「金液煉形」と呼びます。

・第八:朝元煉気

天地人体の気の動きに合わせて丹を煉ります。
「四季煉気法」では、季節ごとにバランスをとって、五臓各所の気を煉ります。

聖胎で五臓を煉ると陰気が消えて、神々が顕現し、「陽神」が上丹田へ上りますが、これを「五気朝元」と呼びます。

また、中丹田の陽気と、下丹田の先天の陽気と、金丹を上丹田に上らせますが、これを「三花朝元」と呼びます。
この時、身体が純陽になって、「陽神」は不老不死となります。

・第九:内観交換

「内観」は、無心の瞑想によって、気・丹を煉ることです。
魔境(妄想・幻覚)が起これば、「焚身」と言って、魔境を無視して、気で火を起こし上昇させます。

・第十:超脱分形

「内観」していると、真気が昇天し、体が空中にあるよう感じ、美しい風景が出現するようになります。
これを「陽神出頂」と言い、陽神は、嬰児の姿をしています。

精神的な到達で見るヴィジョンではなく、生み出した不死の気の身体と共に、肉体を離脱し、昇仙するのでしょう。


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内丹の思想 [中国]

道教の思想は、生を肯定し、死を否定することが特徴であり、実践においては養生術が重視されます。
養生術は、健康・長寿だけでなく、不老不死・昇仙を目指すもので、外丹(煉丹術)、存思法(観想法)、房中術、導引・服気(気功)、吐納(呼吸法)、食餌・辟穀(食事法)などの方法があります。

内丹法は、仙道の養生術の一つであり、宗代以降は、内丹法が養生術で第一のものとされるようになりました。
その目的は、不死の霊体を作り、肉体をそれに溶けこませ、最終的には「道」に一体化することです。

内丹法を一言で表現すると、気をコントロールする瞑想によって、体内に気の「胎」を作り(結胎)、成長させる(養胎・出胎)方法です。
そのため、道教に関わらず、中国思想の気の身体論や、胎生学の影響を受けています。

また、内丹は、道家の「忘坐」などの瞑想法や、「道」に関する思想、儒教の陰陽五行説、仏教(禅)の瞑想法や思想などの影響を受けています。
そのため三教の一体や一致を主張する派が多くあります。

仙道の初期の養生術は、外丹(煉丹術)や存思法、房中術が主な養生法であったため、内丹には、それら用語を比喩的に使用することが多くあります。
「丹」という表現も、外丹から取った象徴表現です。


<性と命、天と人>

「内丹」は「外丹」に対比した呼び名ですが、外丹を「陽丹」、内丹を「陰丹」と表現することもあります。

内丹には大きく2種の方法があります。
精神・心をコントロールする「性功」と、気をコントロールする「命功」です。
多くの派は両方を必要とすると考えており、これを「性命双修」と呼びます。

どちらを重視するか、どちらから先に取り組むかによって、2派に分かれます。
先に心(性)に取り組み、それを重視するのが「先性後命」で、北宗などがこれに当たります。
先に気(命)に取り組み、それを重視するのが「先命後性」で、南宗などがこれに当たります。

「性功」は、心を集中し、静め、無心になることが中心です。
道家の言葉で「忘坐」、仏教の言葉で「定」などと表現することもあります。

無為、無心な心を「元神」、あるいは、禅宗の影響で「見性」と表現することもあります。

「性功」の目的には、最終的には心を「道(虚・無)」に一体化し、それに還ることです。
根源存在に還ることは、神秘主義思想に共通する目的です。

「命功」は、気を煉って凝縮し、その性質を変えたり、その塊を体の中で移動させていくことが中心です。
最初は、後天的な「気」を使い、その後、先天的な「精」を「気」にし、「気」を「神」にします。
「命功」の目的は、同じく、身体を「道」に還すことです。


「命功」には、2種類の方法があります。
一つは、異性を相手にした性的な方法を使って、男女の間で陰陽の気を交換する「房中術」、「陰陽栽接法」と呼ばれる方法です。
この方法を使う派を「陰陽双修派」と呼びます。
南宗とその系統の西派、東派、三丰派などがこれに当たります。

もう一つは、一人で、自分の体内で陰陽の気を結びつける方法で、「清修」と呼ばれます。
これのみを行う派を「清修派」と呼びます。
文始派、北宗とその系統の伍柳派などがこれに当たります。

清修を「天元丹法」、房中術を「人元丹法」を呼ぶこともあります。
この対比では、外丹を「地元丹法」と呼びます。 


<逆修返源>

中国の胎生学では、天と地が交わり、「陰陽二気」が胎内に降りて「胎」が結ばれ、「精」となり、やがて「神」に変化し、人身となる、と考えます。

胎児の間は、「先天の気」のみが働きますが、誕生後の嬰児は、呼吸や食物を通して「後天の気」が働くようになり、老死に向かいます。

その後も成長し、16歳になると、男性の場合は、先天の気の部分では、「純陽」の身体が完成します。
ですが、異性に性欲を感じるようになると、「純陽」の体が破れ、その中から「陰」が発生します。
これは、陽が極まると陰が生じる、という陰陽説の基本原理により説明されます。
そのため、ここで生じる陰気は、先天の気であるとします。

八卦で表現すると、「乾」から「離」への変化です。
―   ―
― → - -
―   ―

女性の場合は、陰陽が逆となり、「坤」から「坎」へと変化します。
- -   - -
- - → ―
- -   - -

こうして、男女ともに、先天の気・精が減少していきます。

内丹は、後天の気と、先天の気の減少によって死すべき存在となった身体を、逆行させます。

つまり、再度、身体の中で陰陽を結んで「胎」を作り、成長させて純陽の不死の身体とします。
ただし、子供を生める女性の場合、「胎」がすでに存在するので、「胎」を結ぶプロセスは不要です。

次に、成長した「胎」は体から出して(出産に相当する「出胎」、「出神」)、さらに成長させます。
最後には、それを根源存在の「道(無、虚)」に戻します。

この逆行を「逆修返源」と呼びます。

ただ、逆行とは言っても、純粋に時間を遡っていくわけではありません。
「胎」を結んで成長させるプロセスは、やり直し、再生と言うべきものです。

また、結胎以降、「気」は「精」、「気」、「神」という3形態に分離しますが、内丹法では、これを順次統合して戻していきます。
ちなみに、「精」と「気」を一つにしたものを「炁」と表現します。
また、「炁」と「神」を一つにしたものを「陽神」と表現します。

この点でも「逆修返源」となっていますが、やはり、純粋に時間を遡っていくわけではないようです。


<三関修煉>

上記の人間の成長プロセスは、次のように「三変(3段階)」を経ると考えます。

まず、陰陽二気が結ばれ、受胎して胎児になることが「第一変」です。
出産して嬰児になり、胎息ではない外呼吸が開始され、「後天の気」が生まれることが「第二変」です。成人して純陽の体が破れ、先天の気・精が減少していくことが「第三変」です。

内丹法のプロセスは、上述したように「逆修返源」です。
それは、「三変」を逆行させ、「精」、「気」、「神」を順に変化・統合するプロセスです。

この内丹法のプロセスは、宗代の金丹派南宗以降、多くの派では、次の4段階で考えられるようになりましたが、最初の段階は準備段階ですので、本質的には3段階になります。

0 煉己築基    :後天の気を煉る
1 煉精化気(初関):三を二に帰す(精・気・神→炁・神)
2 煉気化神(中関):二を一に帰す(炁・神→神)
3 煉神還虚(上関):一を○に帰す(神→虚)

この3段階の「初関」、「中関」、「上関」の3つを「三関修煉」と呼びます。

とは言っても、「三変」と「三関」は、直接的に逆対応するものではありません。

「築基」は、「第三変」で成人になって以降の先天の気の減少を、後天の気を煉ることで補うものです。
「初関(百日関)」は、「第一変」以降に分離した先天の精を気に戻すものでしょう。
「中関(十月関)」は、結胎して「第一変」後の胎児に還り、養胎という胎児としての成長をやり直すものでしょう。

「上関(九年関)」は、「煉神」と「還虚」に分けることができます。
「煉神」は、移胎・出胎して、「第二変」後の嬰児になってさらに成長するものでしょう。
「還虚」は、温養によって「第一変」以前に戻って逆行し、虚に還ることです。 


<元神と欲神>

「神」は意識性を持った「気」です。

内丹は「先天の精・気・神」を重視します。
「後天の神」が通常の作為的な意識、自我の意識であるのに対して、「先天の神」は、無意識的な、無為の意識です。

「先天の精・気」の動きに対応するのが、「先天の神」であり、「元神」とも呼ばれます。
「後天の精・気」の動きに対応するのが、「後天の神」であり、「欲神」とも呼ばれます。

また、内丹派は、禅宗の影響も受けています。
禅宗では、通常の意識・智恵を「分別智」と呼ぶのに対して、心の基盤としての仏性の知恵を「見性」と表現します。
なので、内丹派は「元神」を「見性」と同じと考えて、そう呼ぶこともあります。
あるいは、「真性」、「真心」などとも表現されます。

「神」の瞑想には、「性功」の側面と「命功」の側面があります。

「性功」においては、「元神」が現れた状態とは、概念もイメージもなく、作為性もない無心の状態です。
基礎の段階の「煉己築基」では、初歩的な「性功」を行います。
伍柳派はこの段階を「煉己還虚」と表現しますが、「煉己」の「己」は、「後天の神」であり、「還虚」に対応するのは「先天の神」です。
最後の「煉神還虚」の段階では本格的な「性功」を行いますが、いずれも、無為無心の状態になります。
「煉神」の「神」は、「先天の神」です。

一方、「命功」においては、「煉己築基」の段階では、「後天の精・気」をコントロールし、煉りますが、これを行うのは作為的・意識的な「後天の神」です。
しかし、「煉精化気」以降の段階では、「先天の精・気」を煉りますが、これを行うのは無為の「先天の神」です。
まったくの作為性、コントロールの意識なしに「命功」の瞑想はできませんが、作為性を最小限にしてこそ、「先天の精・気」が動きます。


<龍虎の交わり>

房中術を行う陰陽双修派の論理では、男女が互いに先天の気を補うために房中術が必要と考えます。

つまり、男性の場合は、先天の純陽の体が破れて先天の陰気が生まれ、女性の場合は先天の純陰の体が破れて先天の陽気が生まれます。
そのため、男性は女性から先天の陽気をもらい、女性は男性から先天の陰気をもらいます。
卦で言えば真ん中の爻に当たる部分です。

陰陽双修派は、房中術によってしか、この自分に欠けた先天の気を補えないと考えます。
ですが、清修は、自分の体の中で、先天の陰陽二気を結んで「胎」を生み出します。

陰の気は、腎臓の部分にあり、ここから陽の気が生まれますが、これを「竜」と表現します。
陽の気は、心蔵の部分にあり、ここから陰の気が生まれますが、これを「虎」と表現します。
この二気を結んで胎を作りますが、これを「竜虎の交わり」と言います。

「竜虎の交わり」を重視するのは、唐末から五代の鍾呂金丹派です。

また、陽から生まれる陰である「虎」は、「た女(「た」は女偏に宅)」とも表現され、一方、陰から生まれる陽である「竜」は「嬰児」とも表現されます。


<五行と黄庭>

陰陽五行説では、対極→陰陽→五行→万物と展開します。
内丹法では、五行は五臓に相当します。
そのため、気を五臓の巡回ルートで移動させることが、鍾呂金丹派などでは重視されました。

五臓の気のルートは、肝(木)→心臓(火)→脾臓(土)→肺(金)→腎臓(水)という五行の順番で考えるのが一般的です。

陰陽の「竜虎の交わり」の主役である心臓は「火」、腎臓は「水」に対応します。
ですから、これは火と水、「腎水」と「心火」の交わりでもあります。

また、五行で、方位が中央に位置するのは土で、色は黄です。
そのため、陰陽である竜虎が交わったものを育てる場所としては、五臓の中央である脾臓を重視し、それを「黄庭」と呼びます。
ここは、中丹田と下丹田を結ぶ場所でもあります。

また、五臓の神を上丹田で会合させることを、「五気朝元」と呼びます。


<外丹の比喩>

上述したように、内丹では、先に発達した養生法の外丹の用語を比喩で使います。

外丹(煉丹術)では、鉱物などの素材を「薬」、それを化学変化させて製造する生成物を「丹」と呼びます。
この外丹の比喩から、内丹における素材である先天の精・気・神を「薬」、それを変化させたもの、胎も含めて「丹」と表現します。

内丹の「薬」には、「外薬(小薬)」、「内薬」、「大薬」などがあります。
内丹の「丹」には、「金丹(玉丹)」、「金液(玉液)」などがあります。

また、性功を「内薬」、命功を「外薬」と表現することもあります。

外丹では、「水銀(汞)」が陰とされ「兎」とも表現され、「鉛」が陽とされ「烏」とも表現されます。
そのため、内丹の「竜虎の交わり」で生まれる「虎」は「水銀」、「兎」、「竜」は「鉛」や「烏」とも表現されます。

外丹では、化学反応をさせるためには加熱が欠かせません。
内丹でも、意識(神)をかけて気を煉ると、熱が発生します。
そのため、内丹は、熱のコントロールを「火候」と呼びます。 

外丹の化学反応では、加熱するための「炉」、そして「鼎(鍋)」を使います。
そのため、内丹法では、気を体内で移動・循環させますが、その主要なスポットの下端は「炉」、上端は「鼎」と表現されます。

「煉精化気」の段階の行法では、「炉」は下丹田、「鼎」は上丹田となり、その距離が長いのでこれを「大鼎炉」、または「大河車」と表現します。
「煉気化神」の段階の行法では、「炉」は下丹田、「鼎」は中丹田となり、その距離は短いのでこれを「小鼎炉」、または「小河車」と表現します。

また、房中術では、男性を「乾鼎」、女性を「坤炉」と表現します。

「煉精化気」の段階で、「外薬」を「大河車」で回すことを「小周天」と言い、これによって「精」を「炁」に変えます。
「煉気化神」の段階で、「大薬」、「聖胎」を「小河車」で回すことを「大周天」と言い、これによって「炁」を「神」に変えます。

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気の身体論 [中国]

多くの中国思想では、「気」を重視して世界を見ます。
別項で、インドの「プラーナの生理学」を紹介しましが、本項では、それに類する中国の「気の身体論」を、時代、宗派に限らずに紹介します。


<気と万物照応>

道教では、ミクロコスモスである身体は、マクロコスモスである自然と照応関係があると考えます。
そして、身体、自然はともに、気が凝固した物質的部分と、そこを変化しながら流れる気の部分からできています。

気の照応関係は、例えば、身体においては、気の流路である「経絡」と、気の流れのスポットである「経穴(ツボ)」があり、それが、風水で言う大地における「龍脈」と「龍穴」に対応します。

風水では、山脈は天に突き出た大地(=風)で「陰」とされ、川などの窪地(=水)は大地に突き出た天で「陽」とされ、天地陰陽の気の交わりが十分に行われる場所を良い場所と考えます。

高い山から低い山に向けて流れる大地の陰気の流れ(龍脈)が、うまくよどみながら溢れ出るような平地(龍穴)があって、それを逃がさないように囲む小山(砂)があって、そして天の陽気の流れである川がそこに流れこむような場所が、理想的な場所なのです。

人間においても、男女陰陽の気の交わりによって身体が生まれ、身体には、様々な気の流れとスポットが存在します。
各スポットに存在する気は、神が体内に入った存在と考えて、「体内神」と呼びました。


<胎生学と結節・三関>

六朝期の「上清九丹上化胎精中記経」は、解結と養胎の存思を説く経典です。
これによると、天と地が交わり、陰と陽の「二気」(陽気は赤色で玄丹、陰気は黄色で黄精)が胎内に降りて結ばれ、「精」となり、やがて「神」に変化し、人身となる、とします。

そして、九天の「気」が一カ月ごとに子宮に降りてきて、「精」と融合し、人は十カ月目に誕生します。
存思法では、自分の身体を胎児の状態に戻す瞑想を10カ月かけて行います。

「二気」が交わって受胎すると、「結」が作られると考えます。
これは死の原因となるものなので、長寿や不老不死を目指すには、焼き解いて「解結」する必要があります。

「結」は、身体の奥に伸びる3本の赤い紐の結び目とイメージされます。
1本ごとに8結があり、それぞれは体内神の「八景神」に対応します。
また、3本の紐に対応して、「三元君」と呼ばれる3人の女神が、それぞれの「八景神」を統率します。

「結」の中には、病気の原因となる「節」があり、人体には、12の「結」と12の「節」があります。

また、「三関」と呼ばれる主要な気の流れの障害(結節に類するもの)があります。
頭部の「上関(玉沈関)」、胸部の「中関(夾脊関)」、腹部の「下関(尾閭関)」です。
場所に少し違いがありますが、これはインドの「グランディ」に相当するものでしょう。

「関」は、障害が取り除かれて開くと、「竅」と呼ばれるようになります。
内丹で集中するスポットは、「竅」となっています。


<体内神と三尸>

道教では、身体の各部には、宮殿があり、そこに神々が住んでいると考えます。
これらの神々を「体内神」と呼びますが、これらは、人体を作り、動かしている気の働きを神格化したものです。

神々は気に乗って自然から身体にやってきて、留まり、またいつかは去って行きます。
このように、人間は、様々な気=神々の集合体であり、流動体であると考えます。
例えば、眉間と両目に太極と陰陽に相当する神々、五臓には五臓の神々、三丹田には三天の神々、といった具体です。

体内にはこのような良い働きをする神々の他に、悪い働きをする悪鬼的存在もいます。
これらは人間の気の陰性の汚れを実体化して表現したもので、病死の原因となります。
最も重要なのは、三丹田に住む「三尸」です。

「三尸」は穀物に由来する穀物の精の一種と考えられているので、穀物の断食(辟穀)によって追い出すことができると考えられています。
このような悪鬼には、他にも五臓に住む「五尸」などがいます。


<先天と後天の精・気・神>

先に書いたように、「気」は姿形を持った「神」としても表現されますが、より直接的には、「神」は主宰的機能、意識性を伴った「気」の形態です。

「気」は、受胎後、「精」・「気」・「神」という3形態に分かれます。
「精」は、「気」のエネルギー物質的形態、生命力としての形態です。

また、人間の「精」・「気」・「神」には、先天性のものと後天性のものがあります。
先天性のものは、胎児の時から持っていて「元精」、「元気」、「元神」などと呼びます。
後天性の「精」・「気」・「神」は、出産後、呼吸や食物を通して生まれます。

先天の「精」・「気」・「神」は清浄なのに対して、後天の「精」・「気」・「神」は汚れたものもあり、老死の原因にもなります。

「先天の気」は、基本的に男性は陽、女性は陰です。
性的な成熟を迎える頃(16歳頃)には、それが極まり、
逆に、男性には陰、女性には陽の気が生れます。
また、基本的な陰陽の「先天の精・気」が失われていきます。
これは人間の根源的な生命力の源泉で、これが尽きると寿命も尽きます。

「先天の精・気」は主に腎臓(2つの腎臓の間の「命門」、女性の場合は子宮)にあります。
男性の場合、多くの「精」は、腎臓から降りて精液などに変わります。
一方、女性の場合は、「精」、「気」は、乳房、胸などに多くあって、ここから降りて経血などになります。

仙道の内丹法では、まず、後天の「精」・「気」・「神」を煉りながら、先天の「精・気・神」を目覚ませます。
そして、「精」を「気」に、「気」を「神」に変えて統合していきます。


<気の種類と経絡>

身体を流れる気には様々な種類があります。
まず、上述もしましたが、人が生まれながらに持っている「先天の気」と、生後に外部から取り入れる「後天の気」です。
「先天の気」は「元気」以外に、「真気」、「内気」、「炁」などとも呼ばれます。

「先天の気」は主に腎臓と口の間を流れ、全身にも流れていきます。
仙道の内丹法では、清浄な「先天の気」を重視するので、「後天の気」をなるだけ排除して、「先天の気」の漏れをなくし、蓄積しようとします。
「後天の気」は「外気」とも呼ばれます。
これには、呼吸によって取り入れる「天の気」と食物によって取り入れる「地の気(穀気)」があります。

「地の気」には、外部からの邪気の侵入を防衛するために身体の表面全体をめぐる「衛気」と、胸部を中心に巡って呼吸や飲食に関わる「宗気」、そして、身体の「経絡」に沿って流れる「営気」、があります。
「衛気」は濁った荒々しい気で、「宗気」と「営気」は澄んだ気です。
「営気」が流れる流路が「経絡」は、は川に譬えられ、その主流が「経」、これを結んでいる支流が「絡」です。
中でも主要な「経」は12本の「正経」、主要な「絡」は15本あります。
また、「経」には、主要な経を管理・調整するより根源的な流路が8本あって、これは「奇経」と呼ばれます。
「奇経」は胎児の時に働いていますが、誕生後は閉じます。

中でも特に、下唇から会陰までの体の前面の中心線を通る「任脈」、会陰から背中、そして頭頂から上唇までの主に脊髄に沿って体の後方を流れる「督脈」、両脈の間を通る「衝脈」の3本は、仙道の行法では重要です。
「督脈」は、ほぼインドのスシュムナー管(中央管)に当たるものでしょう。

・先天の気(=元気、真気、内気、炁)
・後天の気(=外気)
 >天の気(呼吸の気)
 >地の気=(穀気)
  >>衛気(身体の表面)
  >>宗気(胸、呼吸・飲食を司る)
  >>営気
   *経脈
    **8本の奇経(任脈・督脈・衝脈など)
    **12本の正経
    **その他の経
   *絡脈
    **主要な15絡 
    **その他の絡

「宗気」が司っている呼吸システムは、後天的な「外気」の気です。
一方、人間は胎児の時、「胎息」と呼ぶ先天的な「内気」の呼吸システムがあったと考えて、道教ではこれを重視します。


<丹田システム>

身体には気の中枢的なスポットが3つあって、これは「丹田」と呼びます。
頭部の「上丹田」、胸部の「中丹田」、腹部の「下丹田」です。

「丹田」は気が全身に流れていく源流の地帯で、海に例えられます。
また、「丹田」は気を蓄積して凝縮しやすい場所です。
丹田は「気海」、あるいは、「気街」とも呼ばれます。
3つの丹田は、後期密教のティクレ(心滴)のある位置に、ほぼ対応しています。

頭頂の「上丹田」は、「泥丸宮」、「内院」などとも呼ばれます。
胸部の「中丹田」は、「中宮」、「膻中」、「上気海」、「気府」、「絳宮」、「中元」などと呼ばれます。
臍下の「下丹田」は、「下元」、「正丹田」、「気穴」などと呼ばれます。
ただし、女性の場合は「中丹田」が「気穴」です。

各丹田は、臓器などの他の気のスポットと結びついて、丹田のシステムを形成しているとも考えられます。

頭部の上丹田は、口を含むシステムです。
口は「玉池」とも呼ばれ、五蔵の気を含んだ「津液(唾液)」が流れます。

胸部の中丹田は、心臓、肺を含むシステムです。

腹部の下丹田は、腎臓、会陰などを含むシステムです。
腎臓部は「命門」などと呼ばれます。
会陰は、「危虚穴」などと呼ばれます。
尾骨部は、「玉沈関」、「尾閭関」などと呼ばれます。

また、脾臓は「黄庭」と呼ばれ、中・下の丹田を中継します。

また、3本の主要な奇経は、この三丹田と密接に関係しています。
「衝脈」は三丹田を直接結びつけています。「任脈」は中・下の丹田を結びつけて「督脈」につながり、「督脈」がさらに上・下の丹田を結びつけています。

また、存思法や内丹法では、五臓を巡るルートを考える場合があります。
気の身体論では、五臓は肉体的な臓器そのものではなく、臓器と関係した「気の場」を指します。
五臓の気のルートは、肝(木気)→心臓(火気)→脾臓(土気)→肺(金気)→腎臓(水気)という五行の順番で考えるのが一般的です。

このルートは、中丹田と下丹田を結んでいます。
ちなみに、心臓は「神」、腎臓は「精」、肺は魂と「衛気」、肺は魄、脾臓は「営気」と関係づけられています。

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