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アブラハム・アブラフィア(預言カバラ) [中世ユダヤ&キリスト教]

スペインのカバリストの中でも、セフィロートを重視する主流派の「思索カバラ」とは異なり、「預言カバラ」と呼ばれる思想を作ったのが、アブラハム・アブラフィア(1240-1291)です。

アブラフィアは、スペインのサラゴッサに生まれ、イタリアでマイモニデスを学んで信奉します。
その後、スペインに戻り、バルセロナでメシアとしての自覚を持ち、また、「形成の書(セフィール・イエツラー)」の研究をしました。
そして、無謀にも、反ユダヤ主義だった教皇と話をしようと企てて、拘束されたようです。
その後は、迫害から逃れて、シシリアなどに滞在し、そこで「永遠の生の書」、「知性の光」、「美の言葉」、「組み合わせの書」などの書を著しました。

アブラフィアは、預言を受ける受容体としての人間を重視し、自らの思想を「予言カバラ」と表現しました。
また、預言を受けるために、神の名の瞑想を重視したため、「主の御名のカバラ」とも表現しました。
「セフィロートの道」がラビ的だとしたら、アブラフィアは「名の道」で、預言者的です。

ただ、一般には、彼の思想は「実践カバラ」、「魔術カバラ」とカテゴライズすることができるでしょう。
もちろん、「魔術」というのは、神の領域に対して働きかける「テウルギア」としての「魔術」です。

アブラフィアは、預言者、メシアとしての自覚を表明した最初のカバリストです。
彼はメシアを、アリストテレスの言う「能動的知性」と同一視しました。
ちなみに、イスラム哲学者のイブン・スィーナーが、第10知性体を「能動的知性」とし、預言と結びつけたことと似ています。

それは、人間の霊魂に作用する純粋な神の知性の働きであり、それを通して人間は神と交感し、預言を受けるのです。
それは文字の瞑想と通した純粋な思考の神秘体験によって到達できる境地であり、彼はそこに人間の救済の可能性を見出したのです。

その一方、アブラフィアは、戒律や儀礼は軽視し、カバラ主流派のセフィロート説に対しては、キリスト教の三位一体説より悪しき、多神教的な考えであると考えました。
彼が瞑想の対象とした文字は、セフィロートより上位の存在、「エン・ソフ」の次元に関わる存在と考えていたようです。

アブラフィアが重視したのは、神の名の要素としての文字と、その置換、組み合わせを対象とした瞑想です。
これは「ツェルフ(文字置換法)」と呼ばれるもので、彼はそれを、「ホクマス・ハ=ウェルーフ(結合の知恵)」とも表現しました。

その目的は、文字をその根源的な意味、神的な状態にまで戻すためのものであり、それは一切の感覚的な対象から離れた、純粋な思考の調和的な運動です。
人間は、文字を操るのではなく、文字を受け入れる存在になります。

文字置換の実践は、一種の瞑想法であり、特定の呼吸法、姿勢で行い、忘我の状態に入ります。
それによって、置換の作業は瞑想となり、無意識的・直観的に行われるようになります。
また、22のアルファベットを、それぞれ肉体の各部位に配置して念じることも行われました。

アブラフィアは、様々な瞑想法を説き、段階的にそれを弟子に果たしましたました。
これらの方法は、大きく2つ段階の門、「天の門」と「聖者の門(内なる門)」に分けられます。


<天の門:文字置換法>

最初の「天の門」では、自分を諸天使として順に観想します。

そして、まず、アルファベットや、単語の構造、結合、創造について実習します。

次に、文字と単語の「音価」の計算を実習します。
ヘブライ語のアルファベットは、子音のみで、22文字ありますが、ローマ数字がラテン文字を使う(I=1、V=5、X=10…)のと同じで、各文字は数字としても使用されます。
そのため、文字や単語は数値として計算できます。

最後に、アルファベットの逆綴り、音声系列の技法などを実習します。

一般に、文字置換法としては、「ゲマトリア」、「ノタリコン」、「テムラー」があります。

「ゲマトリア」は、単語や文章を数値に置き換え、さらにまた文字に置き換えます。
同じ数値をもった単語同士は、高い次元から見れば同じ意味であって、それぞれを暗示し合うと考えます。

「ノタリコン」は、文章を作る各単語の頭文字をとって一つの単語としたり、その反対の作業を行います。

「テムラー」は、一定の方法で、特定の文字を特定の文字に置き換えて、暗号化したり、符号を作る方法です。

置換法の実践においては、文字に対して、「メヴタ(文字の循環)」→「ミクータヴ(筆記)」→「マシャヴ(観照)」と進めます。
また、一組の語群に対して、自由連想によって観念を観察する「ディルルグ(跳飛)」を行ないます。


<聖者の門:神名発声法>

「聖者の門」、「内なる門」と呼ばれる第2段階の瞑想は、神名の発声です。

ユダヤ教では神の名前は、第一に「テトラグラマトン」と呼ばれる4文字で表されてきました。
英語のアルファベット表記では「YHVH」です。
古来、ユダヤ語の文字では母音が表記されないので、正確な表現は不明ですが、一般に、「ヤーヴェ」とか「エホヴァ」と言われています。

「テトラグラマトン」のそれぞれの文字を、順次、母音を付けながら、発音するのが、神名の発声の瞑想法です。
4文字に他の文字を組み合わせることもあります。

これらの発声時には、特定の呼吸法や観想法や姿勢を伴ないます。
また、特定の母音に対して特定の頭の動かし方があり、文字に対応する身体の部分を振動させます。

具体的には、「YHVH」の4文字に、5つの母音を順につけて唱えます。
例えば、まず、「Y」に「aah」を付けて唱えます。
次に「H」に、次に「V」に、「H」に「aah」を付けて唱えます。
その次には「ooh」と付けて唱えます。
そして…といった具合です。

また、各母音に対応する発声を行う時には、特定の頭の動かし方があります。
「o」、「i」を付ける時は、頭を上下に動かします。
「u」の時は、頭を前後に動かします。
「a」、「e」の時は、頭を左右に動かします。

また、4文字のそれぞれで、身体の対応する部位を順に集中し、振動させます。
各部位への集中・振動は、頭から心臓…基底部まで体の中心軸に沿って降ろしていきます。
例えば、まず、頭では、「Y」では頭頂を、「H」では顔の中央を、「V」では後頭部を振動させます。
同様に、心臓では、「Y」では心臓の上、「H」では心臓の中心、「V」では心臓の裏側…といった具合です。

また、4文字に、他のアルファベットの文字を組み合わせて、順に唱えることも行います。
例えば、「Y」+母音に、アルファベットの最初の「A」を付けて、「Aooh Yooh」から順に…といった具体です。

このようにして、波動としての文字を、神の基本属性として体験していくわけです。

また、瞑想が進むと、心臓に白熱する感覚が生まれますが、これを「シェファ(聖なる流入)」と呼びます。
この時、天使が現れて作業を助けてくれるヴィジョンを見ることも多いようです。


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エン・ソフと生命の樹(神智学的カバラ) [中世ユダヤ&キリスト教]

中世の神智学的カバラ(思索的カバラ)には、神の隠れた次元である「エン・ソフ(アイン・ソフ、無限)」、そして、そこから光として流出した神の内的構造である「セフィロート」についての考察が中心にあります。

この項では、特定の思想家や特定の書によらず、中世の思索的カバラで形成された「エン・ソフ」と「セフィロート」に関する神智学について簡単にまとめます。

セフィロートの位置づけは、カバリストによって様々ですが、神の属性であったり、様態であったり、神名であったり、道具(容器)であったりします。
セフィロートの探求は、聖書や律法の隠された奥義の探求であり、創造の探求であり、神智学であり、宇宙の原型論です。

セフィロートは象徴体系であり、「生命の樹」という樹状の象徴、そして図形配置で体系化されました。
「生命の樹」が今日に近い図として描かれているは、14Cまでは遡れます。

また、悪の発生や原罪による堕落、そして終末の救済という宇宙論的出来事、預言につても、セフィロートと「生命の樹」の関係で語られました。
それゆえ、「生命の樹」は、神の世界の均衡を取り戻すためのマップにもなりました。


<エン・ソフ>

中世のカバラでは、おそらく新プラトン主義やグノーシス主義の影響を受けて、否定的な表現をされる神の隠れた静的次元からの「流出」を語るようになります。
これは、人格神による「無からの創造」というユダヤ・キリスト教の正当の思想とは異なる、神秘主義の思想です。

その隠れた次元の神は、「エン・ソフ(無限)」と表現されました。
これは、人間が認識することができない次元とされます。

後に、神の隠れた次元は、3段階で考えられるようになります。

13C初め頃、スペインで最初にカバラが研究されたのはカタルーニャ地方のイユーン派が、10のセフィロート(ミトド)の上に、「原初の内密な光」、「透明な光」、「明るい光」の3つを置いたことが契機になったのかもしれません。

そして、「エン(無)」→「エン・ソフ(無限)」→「エン・ソフ・オール(無限光)」という3段階で考えられるようになりました。

「エン・ソフ」は、凝縮して空間を創造し、光をそこに送ります。
そして、「アダム・カドモン(原人間)」と、10のセフィロートが順に流出します。


<セフィロートと生命の樹>

10の「セフィロート(語源的には「数える」、「語る」)」は、紀元後の「形成の書」でも語られますが、この時点では、その配置は立体的なものでした。
中世においては、「光明の書」では、それが神の動的な諸力、階層化された光の流れになり、「光輝の書」では対立と均衡をもって展開するものとなりました
そして、14C頃までに、スペインで現在のような「生命の樹」の形で表現されるようになりました。

Zohar-ToL.jpg
*図の「生命の樹」は「ゾーハル」の写本より

「エン・ソフ」が隠れた根であり、「セフィロート」は枝に当たりますが、中央に位置する第1、6、9、10のセフィロートは幹と考えられる場合もあります。

「生命の樹」は、「聖書」ではエデンの園の中央に植えられた木で、神がアダムとエヴァをエデンの園から追放した理由は、「知恵の樹」の実を食べた人間が、「生命の樹」の実までも食べて永遠の生命を得ることで、神に等しき存在になることを恐れたから、とされます。
象徴としては、「知恵の樹」は合理的な知恵、「生命の樹」は霊的・直観的な知恵を表現します。
そのため、「生命の樹」を探求することは、神秘主義としては当然のことであるものの、異端視される危険性も伴います。

セフィロートの数が10であるのは、ユダヤ教的には十戒と結び付けられますが、古くはピタゴラス主義、そして、プトレマイオス派グノーシス主義の10アイオーン、イスラム哲学やイスマーイール派の10知性体の影響を、都度に受けていると推測されます。

セフィロートの順番、名称(神の属性)は、諸説がありますが、代表的なものは下記の通りです。

1 ケテル(王冠)
2 ホクマー(知恵)
3 ビナー(知性)
(  ダート(理性))
=======================
4 ヘセド(慈愛・恩寵)、ケデュラー(偉大)
5 ゲブラー(権力)、ディン(判断・厳格)
6 ティフェレト(美)、ラハミーム(慈悲)
7 ネツァハ(持続・永遠・勝利・忍耐)
8 ホド(威厳・栄光)
9 イエソド(基礎)
10 マルクト(王国)、シェキナー(光輝・住居・臨在)

第1の「ケテル」は、正確には「ケテル・エルヨーン(最高の王冠)」です。
「アイン(無)」と表現されることもあり、いまだ、「エン・ソフ」と変わらないような存在です。
第2の「ホクマー」は、テトラグラマトン(神の4文字YHVH)の第1字「ヨッド」でもあります。
第3の「ビナー」は、テトラグラマトンの第2字「ヘー」でもあります。
最初の女性原理であり、「上位のシェキナー」とも言われ、これより下位のセフィロート、そして万物の「母親」であり、「メシア」です。
また、「宮殿」、「安息日」とも表現されます。

第3と第4の間に、隠れたセフィラ「ダート(理性)」を置くこともあります。
これは、第2と第3のセフィロートの統合・調和の位置になります。
「ダート」は13C頃に説かれ始め、その位置は諸説がありましたが、16Cには現在の位置に落ち着きました。

第4以降のセフィロートは7つですが、これらは創造の最初の7日に対応するとされます。
第4から第9のセフィロートの名称は、歴代誌上の聖句、「主よ、あなたは偉大で、厳しく、美しく、不滅であり、そして栄光に満ちています。天と地にある万物はあなたのものです」に由来します。

第4の「ヘセド」は、創造の第1日目の光に対応し、また、「創世記」の「神の霊が水の上を漂っていた」という表現の「水」とされます。
第5の「ディン」は、創造の第2日目の神の裁きに対応し、後述するように、悪の起源となります。
第6の「ティフェレト」は、テトラグラマトンの第3字「ヴァヴ」であり、また、「神の霊が水の上を漂っていた」という表現の「神の霊」とされます。 

第9の「イエソド」は、「正義」、「義人」、「契約」、「割礼」とも表現されます。
また、後述するように、神の男根でもあります。

第10の「マルクト」の「王国」とは「イスラエル」のことでもあり、また、「シェキナー」は「神の女性性」です。
神の「妻」、「娘」、あるいは、「大地」と表現されることもあります。
また、テトラグラマトンの第4字「へー」でもあります。

各セフィロートの中にはそれぞれ10のセフィロートがあり、入れ子構造になっているとする説もあります。

セフィロートは「アダム・カドモン」、人間の身体とも対応しています。
また、それぞれがヘブライ語のアルファベットとも対応しています。
具体的には、下記の通りです。

1 ケセル   :頭(大きな顔):アレフ
2 ホクマー  :脳髄(父の顔):ベト
3 ビナー   :心臓(母の顔):ギメル
4 ヘセド   :右腕     :ダレト
5 ゲブラー  :左腕     :ヘー
6 ティフェレト:胴体     :ヴァヴ
7 ネツァハ  :右足     :ザイン
8 ホド    :左足     :ケト
9 イエソド  :性器     :テト
10 マルクト  :身体の完成  :ヨッド

第9のセフィラは、アダムとイブが創造された日に対応し、身体では性器に対応しますが、第10のセフィラが女性性の「シェキナー」なので、第9の「イエソド」は男根に当たります。


<4つの世界、3つの魂>

カバラでは、世界を4つの階層に分けて考えます。
「アツィルト(流出)界」、「ベリアー(創造)界」、「イェッツラー(形成)界」、そして、「アッシャー(活動・製作)界」の4世界です。

「アツィルト」はセフィロートが存在する原型の世界です。
「ベリアー」はメルカーバー神秘主義の玉座世界であり、大天使のいる世界、
「イェッツラー」はメタトロン率いる天使達の世界、エデンの園の世界。
そして、「アッシャー」は、悪の発生とともに、物質の世界、邪悪な殻の世界になった世界です。

セフィロート自体は、「アツィルト」に属しますが、同時に、10のセフィロートは、4つに分けられ、4つの世界に対応します。
これには諸説がありますが、例えば、次の通りです。

1 アツィルト :第1-第3のセフィロート or 第1セフィラ
2 ベリアー  :第4-第6のセフィロート or 第2-第3セフィロート
3 イェッツラー:第7-第9のセフィロート or 第4-第9のセフィロート
4 アッシャー :第10のセフィラ

また、各世界に10のセフィロートがあるとする説もあります。

そして、人間の3つの霊魂である「ネシャマー(霊的な魂)」、「ルーアハ(理性的な魂)」、「ネフェシュ(情動的な魂)」が、4世界説や10セフィロート説と対応付けられました。
3霊魂説は、プラトンの魂の3分説に似ています。
対応には諸説がありますが、例えば、以下の通りです。

1 ネシャマー:アツィルト界 :ケテル or ビナー
2 ルーアハ :ベリアー界  :ティフェレト or ヘセドからイェソドまで
3 ネフェシュ:イェツィラー界:マルクト

「ネシャマー」より上位に2つの存在を置いて、「イェヒダー」=ケテル、「ハヤー」=ホクマーとする説もあります。


<対立と均衡、破壊と堕落>

「生命の樹」では、セフィロートの流出・創造の過程が、対立する2原理の創造とその調和・均衡・統合を繰り返すと見ることができます。
対立する2原理は、生命の樹の左右の柱として、均衡は中央の柱として表現されています。
対立と均衡は、「父/母」と「子」とも表現されます。

右の柱 :慈悲  :男性:能動:静的
左の柱 :力・峻厳:女性:受動:動的

男女カップルの神格を複数設定するのは、グノーシス主義のアイオーン、そして、「形成の書」を引き継いでいます。
ですが、均衡(子)の原理を複数設定している点はカバラに特徴的です。

しかし、その創造プロセスは完全な形では行われませんでした。
まず、「アダム・カドモン」が上位の3つのセフィロートを生み出した後、下位のセフィロートが生み出されます。
しかし、第5セフィラ「ゲブラー(厳格)」が第4セフィラ「ヘセド(慈悲)」を拒否して均衡を崩すことで、「ベリアー界」、「イェッツラー界」のセフィロートである光の「容器」が破壊されます。
「アツィルト界」から流出した光が強烈すぎたために、壊れたなどと説かれます。

そのため、容器と光はバラバラになって、そして第10セフィラの「マルクト=シェキナー」も一緒に、「クリフォト(壊れた殻)」の領域である「アッシャー界」に落ちました。
これが「悪」の発生とされます。

ここには、グノーシス主義やマニ教の影響を見て取れます。
最下位の女性の神格が堕落する、女性の神格がカップルを壊すことで堕落する、という点はグノーシス主義に見られます。

これによって、「悪の樹」が生まれたとも考えられました。
「生命の樹」の通常の聖なるセフィロートの裏側に、「悪の樹」のクリフォト(「セフィラ」に対応する単数は「クリファ」)があるという教説です。
これらは、セフィロートが均衡を崩した状態を表現しています。

さらに、その後、アダムが犯した罪によって、「マルクト=シェキナー」が改めて上位9のセフィロートから切り離されます。
この原罪は、「生命の樹」(イエソド)と「知恵の樹」(マルクト=シェキナー)の分離、「知恵の樹」のみを崇拝することであるとも説かれます。


<小径>

「形成の書(セフィール・イエツラー)」以来、22のアルファベットが21番目から32番目までの「径(パス)」とされてきましたが、これらはセフィロートの間をつなぐ「小径(パスウェイ)」とは別のものでした。
ですが、16C頃までに「小径」が22のアルファベットに対応させられました。

「小径」の結び方には様々なパタンがありました。


パスウェイ.jpg

図の1が多数派、2はイサク・ルーリア、3はエリヤフ・ベン・シュロモです。
ちなみに、17Cに以降の4はクリスチャン・カバラの説で、アタナシウス・キルヒャーに由来します。

キルヒャーは「小径」の上から下への順と、アルファベットの順を対応させましたが、ユダヤのカバリストはこの対応はさせていません。
ただ、ごくごく大まかな対応を見て取ることは不可能ではありませんが。

それより重視されたのは、アルファベットの母字を3つの水平線に、重複字を7つの垂直線に、単純字を12の斜線を対応させていることです。


<占星学的宇宙像との対応>

中世ユダヤ神秘主義、カバラの潮流」でも書いたように、ユダヤの神秘主義思想はバビロニアを中心に発展してきたものです。
ですから、カバラの神智学・宇宙論には、新プラトン主義やグノーシス主義、カタリ派の影響のさらにその背景である、占星学的宇宙像(カルデアン・マギの宇宙像)やズルワン主義(ミトラ教神智学)からの影響を推測することができます。
そのため、対応関係について書いてみます。

カバラの神智学における、神の隠れた3の次元、「エン(無)」→「エン・ソフ(無限)」→「エン・ソフ・オール(無限光)」は、ズルワン主義においては、「両性具有のズルワン」→「父なるズルワン」→「母なるアナーヒター」に対応します。
そうすると、次のセフィロートの原点である「ケテル」が、「子なるミトラ」に対応することになるのでしょう。
もちろん、より直接的にはミトラは大天使メタトロンに対応します。

セフィロートに関して言えば、セフィロート自身は神の内部構造なので、物質的な宇宙に直接対応はしませんが、その象徴的な対応はあります。
第1のセフィラは宇宙卵、第2のセフィラは恒星天、第3から第9のセフィロートは、7惑星天、第10のセフィラは地上に対応します。

また、ルネサンス期以降のキリスト教カバリストは、10のセフィロートを偽ディオニュシオスの天使の9位階を結びつけました。

ルネサンス期以降のキリスト教カバリストや魔術的カバリストは、10のセフィロートの間をつなぐ22の道に対して、次のような対応を考えました。
つまり、22の道を、12宮+7惑星+3元素(空気は媒体と考えて省く、もしくは、土はマルクトなので省く)と対応付けました。

また、「アツィルト」、「ベリアー」、「イェッツラー」、「アッシャー」の4世界説は、直接的な対応はありませんが、プトレマイオス派グノーシス主義の4世界(アイオーン、中間界=恒星天、7惑星天、地上)とも似ています。


*セフィロートと「生命の樹」の瞑想に関しては、姉妹サイトの「カバラの生命の樹の観想」をご参照ください。

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イユーン、ゾーハル、テムナー(スペインのカバラ) [中世ユダヤ&キリスト教]

12Cにフランスのプロヴァンスやラングドックで生まれたカバラは、その後、13Cにはスペインに引き継がれ、カバラ最大の聖典「ゾーハル(光輝の書)」などが著され、カバラ思想が一つの総合された姿で確立されました。

その後、スペインからのユダヤ人の追放をへて、カバラはパレスチナなどでさらなる発展をします。

この稿では、13Cのペインのカタルーニャやカスティーリャで発展したカバラについて紹介します。


<イユーン(思索の書)とミドト>

13C初め頃、スペインで最初にカバラが研究されたのは、カタルーニャ地方です。
トレドのイユーン派が代表的存在で、「セフェル・ハ=イユーン(思索の書)」、「セフェル・ハ=イフード(結合の書)」などを著しました。

イユーン派で特徴的なのは、10の「セフィロート」ではなく、13の「ミドト(様態)」を中心としたことです。
「ミトド」は、隠れた栄光から生じる神の様態・力です。
まず、「原初のエーテル」が存在し、13の「ミトド」のカップルが生まれます。

13の「ミトド」と10のセフィロートの対応は、10のセフィロートの上に3つの「ミトド」に当たる「原初の内密な光」、「透明な光」、「明るい光」があると、しました。

また、カタルーニャでは、ジローナが現在のセフィロート名で、その関連を「生命の樹」として説きました。


<ゾーハル(光輝の書)とシモン・ベン・ヨハイ>

その後、カバラ研究の中心地は、カスティーリャ地方に移ります。

1280年から86年にかけて、カスティーリャのゲロナで「セフェル・ハ=ゾーハル(光輝の書)」が著されました。
「ゾーハル」は、「聖書」、「タルムード」に継ぐユダヤ教の聖典であり、カバラ最高の聖典となりました。
ただし、「ゾーハル」が初めて出版されたのは、北イタリアで、1558-60年にかけてです。

この書は、2C頃のミシュナー教師のシモン・ベン・ヨハイが洞窟で行った、旧約を注釈する講義と偽って、当時のアラム語を模して書かれました。
全体は20章ほどの断章からなり、決して体系的な書ではなく、説教的な形式のものです。
しかし、その内容は、当時までに発展した様々なカバラ思想が集約されています。

その内の18章の本当の著者は、モーセス・デ・レオン(1240-1305)であると考えられています。
レオンは、グノーシス派のトードロス・アブラフィアのサークルに近かった人物で、マイモニデスを学んだ後、プロティノスの影響を経て、カバラの研究に至ります。
 
「ゾーハル」では、セフィロートを光の流れとして描き、今日に近い形で「生命の樹」が語られます。
ちなみに、一般に「ティファレット(美)」とされる第6のセフィラを、ほとんどの場合、「ラハミーム(慈悲)」と呼んでいます。

「ゾーハル」に特徴的な思想としては、セフィロートの流出において、「生命の樹」の左右の柱に相当する、男性(能動)と女性(受動)の対立原理が、中央の柱に相当する均衡を繰り返しながら、創造が行われるとする点などがあります。

また、「ゾーハル」では、従来のユダヤ教が説いて来なかった「原罪」を説きます。
これは、カタリ派やグノーシス主義の影響でしょう。
「原罪」は、蛇がエヴァを誘惑して結合したことに由来し、これによって「マルクト」が汚されたとします。
「ゾーハル」における輪廻は、他のカバリストとは違って、人への輪廻に限られ、子を産まなかったゆえに再度、人間へと転生するということが説かれます。

また、アブラハム・アブラフィアの弟子でもあったヨセフ・ギカティラは、預言カバリストでしたが、シモン・ベン・ヨハイとも交流を持って神智学カバラに転向しました。
そして、「シャアレイ・オラー(光の門)」を著して、聖書のモチーフを元に、セフィロートの象徴を解説しつつ、それを発展させました。


<グノーシス主義系グループと悪の問題>

「ゾーハル」とほぼ同時期のカスティーリャでは、イサク・ハ=コーヘンや、ジャコブ・ハ=コーヘン、トドロス・アブラフィア(1220-1298)らの、2元論的・グノーシス主義的なカバリストのグループの活動があって、モーセス・デ・レオンとも交流がありました。
彼らは、悪の問題を中心テーマとしたカバラ思想を展開しました。

通常の聖なる10のセフィロートとは異なる、「左」からの10のセフィロートの流出の説を唱えました。

また、サマエルとリリトによる悪の王国と、神の側の戦いというテーマも語られます。


<テムナー(形象の書)と世界周期論>

14C初頭頃に、おそらくスペインでなくビザンツ帝国のどこかで、「セフェル・テムナー(形象の書)」が著されます。
この書には、世界周期論をセフィロートや律法(トーラー)と結びつけた興味深い思想が見られます。

13C頃には、カバラの一部で、世界の創造・終末は一回限りのことではなく、7回繰り返されるとする思想が生まれました。
1つの世界は誕生後6000年経つとメシアが現れ、7000年で終末を向かえ、それが7回繰り返して、最終的な終末を迎えると考えました。

「テムナー」では、最初の世界は、第4セフィラ「ヘセド」に対応し、それ以降の世界は第5から第10セフィラに対応します。
そして、最後の終末には、世界は第3セフィラ「ビナー」に戻ると考えました。

また、律法に関しては、それぞれの世界において、7度、異なる律法がもたらさせるとします。
「テムナー」以前に、カバラには、現在の律法は「知恵の樹」が支配する時代の「創造の律法」であるのに対して、終末には、「生命の樹」に対応する「流出の律法」がもたらされるという考えがありました。
「テムナー」では、現在の周期の律法は厳格な裁きに対応しますが、次の周期はユートピアの周期となり、律法の見えない文字が浮かび上がって、禁止命令のないものになるとします。

こういった世界周期論、循環宇宙論は、古くはバビロニアの宇宙像やゾロアスター教にありますが、ほぼ同時代のイスラム教イスマーイール派が、7周期という点でも、律法(シャリーア)が更新されるという点でも似ていて、その影響を受けたと思われます。


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コルドヴェロとルーリア(パレスチナのカバラ) [中世ユダヤ&キリスト教]

12Cから13Cにかけて、プロヴァンスやスペインで生まれたカバラは、スペインからユダヤ人が追放された後、16Cにパレスチナのサフェドで、二人の重要な人物を中心に新たな発展をしました。
モーゼス・コルドヴェロとイサク・ルーリアです。


<モーゼス・コルドヴェロ>

モーゼス・コルドヴェロ(1522-1570)は、文字置換法に関する「バルデス・リモニーム(柘榴の園)」や「ゾーハル」にたいする注釈の大著「気高き光(オール・ヤカル)」や「エリマー・ラッバティ(大いなる樹)」の著者として知られています。

コルドヴェロは、セフィロートの体系や「エン・ソフ」の概念、流出説を深めました。
また、「神の身体の書(シウール・コーマー)」では、セフィロートとアダム・カドモンの身体の各部とアルファベットの対応に関して著しています。
彼は、スピノザが影響を受けたことでも知られています。 

「カバラ教義入門集成」を著したコルドヴェロの師、サロモン・ベン・モーゼ・アルカベツは、「セフィロート」の本質は神的でないと考えました。
ですが、コルドヴェロは、セフィロートは神的実体であると同時に、道具・容器であるとしました。

コルドヴェロに特徴的な概念は、「ベヒノト」です。
これは、セフィラが次のセフィラを流出するプロセス、その間のつながりを、6つの局面で理解するものです。
新プラトン主義が流出を3原理で理解したこと(トリアス)と類似していますが、「ベヒノト」はより時間的・段階的な観点からの考えです。

具体的には下記のようなものです。

1 流出されるセフィラは、先行するセフィラの中で隠蔽される
2 先行するセフィラの中で顕在化する
3 先行するセフィラの中で独立したものになる
4 先行するセフィラが、十分に力を持つ
5 次のセフィラを流出できる力を自分に与える
6 次のセフィラを流出する

また、コルドヴェロは、4世界説を重視しました。
それもあってか、4世界のそれぞれに10のセフィロートがあるとしました。
さらに、個々のセフィロートの中にも10のセフィロートがあるなどとして、複雑な入れ子構造にしました。

コルドヴェロは、転生についても、セフィロートと対応させて考えました。
転生のそれぞれの生は、各セフィロートに対応してテーマを持っており、合計10回の転生が行われるとしました。


<イサク・ルーリア>

イサク・ルーリア(1534-1572)は、コルドヴェロを師と考えていた人物で、エルサレム生まれのアシュケナジー系ユダヤ人ですが、晩年にサフェドに移住して、そこで大きな影響を与えました。
自らの著作はありませんが、弟子が言行録をまとめた「聖なる獅子の著作」、思想をまとめた「八つの門」などがあります。

彼は「ゾーハル」の思想を発展させると共に、幻視者としての資質も持っていました。
弟子たちは、彼が預言者エリアの啓示を受けて「ゾーハル」の新解釈を行った、そして、メシアであると考えていました。
と言っても、メシアというのは、律法の秘密の教えを説き広めるような人物のことです。

彼の思想の特徴は、「悪」の問題を重視した考えたこと、それゆえグノーシス主義やマニ教(カタリ派)的な傾向が見られる点です。
このため、カバラ思想は、ルーリアによって、スペイン追放以降の状況に合った新しい姿に変質したと考えることもできます。

彼は、世界の創造の本質を「収縮(ツィムツム)」、「容器の破壊(シェヴィラート・ハ=ケリーム)」、「修復(ティククー)」の3原理で考えました。
ただ、それぞれの原理自体は、彼は独創ではありません。
3原理は、大きな歴史でもあり、常に存在する現在の原理でもあります。
また、彼のこの思想には、彼がメシアとして期待をしていた自分の息子の死も、影響を与えたようです。


<収縮と容器の破壊>

まず、無限なる「エン・ソフ」である神が、一点(モナド)に「収縮」し、「本当の光」が中心点の周辺部に遠ざかることで、「空間(テヒル)」が創造されます。

「エン・ソフ」の中には「裁き」という負の要素が含まれており、同時に、自らを浄化するために、それを「空間」に排出します。
これは、「残光(光の滓、レシーム)」とも表現されます。

次に、「エン・ソフ」は、その「空間」に「直線の光」を投入します。

そこから、最初の光の「容器」である「アダム・カドモン(原人間)」が生みだされます。
「アダム・カドモン」の中には、能動的な「直線の光」と、「裁き」である受動的な「残光」があり、この2つの光が戦っています。
ゾロアスター教~カタリ派のような光と闇の戦いではなく、2種の光の戦いとされます。

「アダム・カドモン」には、同心円上の10のセフィロートがあり、これが彼の「ネフシュ(情動的な魂)」です。
また、垂直に配置された10のセフィロートがあり、これが彼の「ルーアハ(理性的な魂)」です。

そして、「アダム・カドモン」の耳・鼻・口から放たれた光から、10個のセフィロートの芽生え(線上の世界)が生まれます。
この後、「アダム・カドモン」の横隔膜で「第2の収縮」が起こります。
そして、目から放たれた光から、10個の独立したセフィロートの容器(点在の世界)が生まれます。
これらのセフィロートの世界は、「テトラグラマトン」の発展として生まれます。

セフィロートの世界は、まず、上位の3つのセフィロートが生み出され、次に、下位の7つセフィロートが生み出されるとも説かれます。

セフィロートには、2つの光の戦いが受け継がれています。

「裁き」が凝縮するのは、第5のセフィラ「ディン(厳格・判断)」であり、「神の左手」とも表現されます。
「ディン」は、第4のセフィラ「ヘセド(慈愛)」を拒否することで、下位の7つの「容器の破壊」が生まれます。
これは、「厳格さ」の過剰によるものであり、2つの光の戦い(残光の攻撃?)に耐えられなかったためだとされます。

つまり、「エン・ソフ」の中にあった「裁き」が、第5のセフィラにおいて均衡を崩して「容器の破壊」を起こし、これが「悪」の起源となります。

これによって、バラバラになった光、容器と、最後のセフィラである「マルクト=シェキナー」が、「クリフォト(殻)」と呼ばれる地上世界に落下します。
純粋に霊的であるべき「アッシャー界」は堕落し、「クリフォト」と下を接することになりました。
「殻」は「悪」であり、中に閉じ込められた「光」を栄養として、力をつけます。
この「容器」が破壊された世界は、「混沌の世界」と表現されます。


<原罪と修復>

破壊されたセフィロートは、再構成され、「第2のアダム・カドモン」となります。
これは、5つの「パルツフィム(顔)」のイメージで語られます。
そして、セフィロート全体は、神的な「家族」とイメージされます。

破壊されていない、第1のセフィラ「ケテル」は、「甘えを許す面長の顔」です。
第2、3のセフィラ「ホクマー」、「ビナー」は、「父の顔」と「母の顔」です。
二人は向かい合って結びついていましたが、破壊によって、背中合わせの状態になってしまいます。
破壊された、第4から第9のセフィロートは、「短気で甘えを許さない短い顔」です。
これらの破壊は、「諸王の死」とも表現されます。
そして、最後のセフィラ「シェキナー」は、「短気な女神の顔」です。

それぞれの顔には10のセフィロートが包摂され、4世界に発展します。
つまり、セフィロートは入れ子の状態になります。

そして、創造の6日目に、「短い女の顔(シェキナー)」と「短い顔(第4から第9のセフィロート)」が、「父の顔」と「母の顔」の次元に上昇して結合することで、「アダム・ハリショーン(最初の人間)」が作られます。
しかし、「最初の人間」は罪(原罪)を犯してしまい、「シェキナー」は「短い顔」とのつながりを絶たれてしまいます。

人間の魂は「殻」の中の「隠れた火花」であり、地上に生きるユダヤ人の使命は、バラバラになって殻の中に閉じ込められた光を、もとの世界に上昇させ、セフィロートの調和を復元することです。
これが「修復」です。
それは、人間が「アダム・カドモン」としての本来の姿を取り戻すことであり、「シェキナー」と神との再結合であり、「アッシャー界」を「クリフォト」と切り離すことです。

ただし、最後に残された光を上昇させることができるのは、メシアだとされます。

以上が、ルーリアが説く、善と悪、堕落と救済の物語ですが、マニ教やグノーシス主義の影響が明らかです。


<ハイム・ヴィタルの輪廻説>

ルーリア派のハイム・ヴィタルは、ルーリアからメシアを受け継いだと主張した人物です。彼は「霊魂転生の門」、「霊魂転生の書」などで、輪廻を重視してルーリア派の世界観を語り直しました。

彼によると、「最初の人間」の霊魂は、原罪によって分裂し、人間が地上で「転生」することになります。
ユダヤ人のディアスポラス(離散)は、この人間の霊魂が殻に包まれて地上を生きることになったことの現れとされます。

そして、その状態の「修復」は、ユダヤ人が転生を繰り返しながら、前世で守りきれなかった戒律を徐々に成就していくことです。
そして、すべてのユダヤ人が戒律を満たした時に、「最初の人間」の霊魂が回復されます。

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バーヒルと盲人イサク(フランスのカバラ) [中世ユダヤ&キリスト教]

917年頃に、バビロニアからフランスのプロヴァンスやラングドックに、ユダヤ教の秘教が伝わりました。
カバラは、これらの影響を受けて、12Cに、プロヴァンスやラングドックで、「バーヒル(光明の書)」や、盲人イサクらによって生まれました。

その後、13Cには、スペインに引き継がれ、カバラ最大の聖典「ゾーハル(光輝の書)」などが著され、カバラ思想が一つの総合された姿で確立されました。

この稿では、プロヴァンスとラングドッグで誕生したカバラについて紹介します。


<流出に関する論説>

12C初頭、プロヴァンスでは、ヤコブ・ハ・ナジールが「流出に関する論説(マセヘト・アツィルート)」を著しました。

ここには、階層的な4つの世界の理論があります。
これは、後に、「アツィルト(流出界)」、「ベリアー(創造界)」、「イェッツラー(形成界)」、そして、「アッシャー(活動界)」と呼ばれる4世界です。

4世界説は、カバラ思想の1つの基盤です。
直接的な対応はありませんが、プトレマイオス派ぐのーシス主義の4世界(アイオーン、中間界=恒星天、7惑星天、地上)とも似ています。


<バーヒル(光明の書)>

バビロニアから伝わった「大いなる秘密」(失われた書です)などの秘教を、1180年頃に、プロヴァンスで新しくまとめられたのが「セフェル・ハ=バーヒル(光明の書)」です。

この書は、聖書注釈を対話形式にしたもので、決して体系的に記述された書ではありません。
また、用語やテーマから、グノーシス主義の影響を感じさせます。

輪廻についての触れる最初のカバラの書でもあります。
そして、すべての魂が登場した後に、メシアが登場すると語ります。

この書では、「形成の書」ではピタゴラス的な概念に近かった「セフィロート」を、動的な神の諸力として扱っているのが特徴です。
この宇宙的諸力を「コホト」と表現します。

「セフィロート」という言葉は、「サファイア」と結び付けられています。
また、「セフィロート」は、「マアマロト(言葉)」であるとされますが、これは「ロゴス」という意味です。
さらに、「ミドト(様態)」でもあるとされますが、この概念は、後にスペインのイユーン派において、「セフィロート」に変わる概念とされます。

「セフィロート」の数の10は、十戒に結びつけられています。
そして、その有機的関連が、「生命の樹」の比喩で、第2セフィラから逆向きで第10セフィラまで成長すると語られます。
ですが、「生命の樹」の図像はまだ生まれていません。

各セフィロートの名称・意味は、後世に定式化されるものと、異なっている部分もかなりあります。

第2セフィラの「ホクマー(知恵)」は、樹を潤す水とされます。
また、第10セフィラが「ホクマト・エロイム(神の知恵)」であり、この2つが対となっています。
ここには、「二重のソフィア」というグノーシス主義の影響が見て取れます。

第3セフィラの「ビナー(知性)」は、諸世界の母とされます。
第4セフィラ「ヘセド(恩寵)」、第5セフィラ「パハド(厳格)」は、ハヨート、セラフィムの両天使とされます。
第6セフィラは「ラハミーム(慈悲)」、あるいは「エメト(真理)」は、栄光の玉座であるとも表現されます。
第7セフィラは「イエソド(基礎)」に相当するもので、これは後世に第9セフィラになります。
第10セフィラは「シェキナー」でもあり、これは神の「妻」であり、「娘」であり、「イスラエルの教会」であり、そして、人間の「ネシャマー(魂)」でもあるとされます。


<盲人イサク>

ラングドックのナルボンヌでは、ラビのアブラハム・ベン・イツハクの学塾が大きな役割を果たしました。
彼の義理の息子アブラハム・ベン・ダヴィッドが二代目の塾長で、三代目が盲目イサクです。

盲人イサクは、「セフィール・イエッツラー(形成の書)」の注釈を口述で行いました。

彼は、新プラトン主義を取り入れて、神の「無」としての側面の「エン・ソフ(無限)」、そして、そこからの世界の流出について理論化しました。
「エン・ソフ」の概念は、彼に起因すると考えられます。

また、瞑想と懺悔を通した神への上昇に関しても語りました。
「バーヒル」と同様、「シェキナー」についても語りました。

盲人イサクは、神性の3つの次元、「エン・ソフ(無限)」、「思惟(マーシャバ)」、「言葉」を区別しました。

第1セフィラの「ケテル(王冠)」は「アイン(無)」とも表現され、「エン・ソフ」のもう一つの姿です。
「思惟(マーシャバ)」は、第1セフィラと第2セフィラの間に当たり、「ハスケル」と表現され、ギリシャ哲学の「ヌース」に相当します。
「言葉」は「ホクマー」以下のセフィロートで、各セフィロートはそれぞれにアルファベットが対応します。

人間の思惟と、神の純粋な思惟とは次元の異なるものですが、断絶があるわけではありません。
盲人イサクは、「イェニカ」という瞑想法と説きました。
これは、瞑想の対象を、「形をとった本質」→「形をとらない本質」→「本質に関する思惟(マーシャバ)」→「思考の原因(エン・オフ)」と、順に上昇していくものです。

彼は、セフィロートの名称を、第4は「ケデュラー(偉大)」、第5「ゲブラー(権力)」、第6「ティフェレト(美)」、第8「ホド(威厳・栄光)」としました。

彼の弟子には、「10種のセフィロートに関する注釈」を著し、イサクの「エン・ソフ」の思想を深めたアズリエル・ベン・メナヘムなどがいます。
彼はセフィロートを3つの世界(思想、魂、有形)に対応する区分で考えました。

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中世ユダヤ神秘主義、カバラの潮流 [中世ユダヤ&キリスト教]

中世のユダヤ思想には、アリストテレスの影響が濃い哲学・神学者のマイモニデスに見られるように、宗教を啓蒙主義的、合理主義的に理解する方向に向かう傾向がある一方、それに反発するように、神秘主義的傾向での発展もありました。

中世のユダヤ神秘主義の直接の源泉は、古代期のユダヤ神秘主義で、パレスチナを中心とした神の戦車や玉座を幻視するメルカーバー神秘主義と、バビロニアを中心とした「セフィール・イエツラー(形成の書)」に代表される数(セフィロート)やアルファベットの象徴を重視する潮流です。

11C頃には、これらが新たな発展をする中で、「カバラ」と呼ばれるようになります。
「カバラ」という言葉は「受容」、つまり、啓示を受け取ること、「秘伝」を意味します。


<カバラとは>

「カバラ」は思想的には多様で、様々に分類されます。
例えば、形而上学的な探求志向の強い「思索的カバラ」、「神智学的カバラ」、何らかの実践を重視する「実践的カバラ」、特に魔術的な働きかけを重視する傾向の強い「魔術的カバラ」、預言を受け取ること重視する「予言的カバラ」、忘我的な神秘体験を重視する「忘我的カバラ」などです。

「思索・神智学カバラ」における中世的発展は、セフィロートを神的諸力として、「生命の樹」の形で体系化することや、新プラトン主義の影響を感じさせる、「エン・ソフ(無限)」からの流出的宇宙論が特徴です。
これらが対象としたのは「神性そのものの世界」、隠れた内なる世界であり、それゆえ、純粋な「神智学」の領域です。

カバラは、基本的には「聖書」や律法の隠れた意味・奥義を探るものであり、戒律を守り、祈りを捧げることで、神の世界の調和を取り戻すことを目標とします。
地上での戒律や祈りが神の世界に影響を与えるということは、魔術的・照応的な世界観と言えます。
また、瞑想による神秘体験によって、神の世界を上昇し、また、神的なものを受容する、降ろすという思想もあります。

神の女性的側面としての「シェキナー(光輝・住居)」が重視されるようになったことも特徴です。
そして、「シェキナー」と男性としての神との、あるいは人間との結婚(合一)が語られます。
神秘主義では普遍的な思想ですが、ユダヤ教においては異端性を帯びた思想です。


カバラの象徴体系としてのセフィロート理論は、神話の抽象化・体系化であり、「エン・ソフ」からの流出論にしても、他の宗教では古代から中世早期にすでに出来上がっていたものです。
ユダヤ教においては、それらの影響を取り入れながらも、聖書や律法といったユダヤ教の伝統を解釈してそこに基づけながら、遅れて整備されたと言えます。

ユダヤ教は、ユダヤの伝統にこだわる傾向が強く、他の宗教からの影響があっても、それについてほとんど語ることをしません。
カバラに関して、研究者は新プラトン主義やグノーシス主義、カタリ派の影響を語ります。

ですが、ユダヤ思想の展開は、11C頃までバビロニアが中心でした。
バビロン捕囚とペルシャによる解放以来、ユダヤ教はバビロニアの宇宙論、イラン系宗教の影響を受けています。
例えば、終末論や堕落する「アダム・カドモン(原人間)」は、ゾロアスター教などのイラン系宗教の影響を受けたものでし、大天使「メタトロン」はミトラ神を取り入れたものです。
ですから、新プラトン主義やグノーシス主義の影響のさらに背後には、マニ教やズルワニズム(ミトラ教神智学)の影響があると推測できます。


<カバラの潮流>

具体的な歴史の流れを追ってみましょう。

紀元前から中世に至るまでのユダヤ神秘主義の中心地はバビロニアです。
バビロニア・タルムード期の後の7C-11Cは、ゲオニム時代と呼ばれます。
この時期には、神の女性性を意味する「シェキナー」の概念が形成され、実体化されました。
また、輪廻思想が受け入れましたが、これはマニ教の影響と思われます。
一方、ゲマトリア的な数秘術も生まれました。

12Cには、バビロニアからもたらされた秘教的な思想が、まず、フランスのプロヴァンスやラングドッグで新たな形をとり、カバラ思想の起点となりました。
グノーシス主義の影響のある「バーヒル(光明の書)」は、「セフィロート」を動的な神の諸力として扱いました。
盲人イサクは、新プラトン主義の影響を受けて、「エン・ソフ(無限)」からの「セフィロート」の流出を説きました。
プロヴァンスやラングドッグは、カタリ派の中心地であり、輪廻思想などの点では、改めてカタリ派からの影響もあったと推測されます。

13Cには、それらはスペインに引き継がれ、モーセス・デ・レオンらによるカバラ最大の聖典「ゾーハル(光輝の書)」が著され、カバラ思想が一つの総合された姿を見せます。
「ゾーハル」は、「セフィロート」の流出過程を、対立原理と均衡という動的な過程として画きます。

また、スペインでは、アブラハム・アブラフィアが、「セフェル・イェッツラー」の影響のもと、アルファベットの置換や結合、神名に対する瞑想を通して、預言を受け入れることを重視する「預言カバラ」を生み出しました。

14C初頭には、「テムナー(形象の書)」が、7回世界が創造されるという世界周期論を唱えました。
その度に新しい律法がもたらさせ、次の周期では禁止のなりユートピアが来るとされます。
この世界周期論には、イスマーイール派の影響が推測されます。

1492年に、スペインでユダヤ人の大追放があり、スペインにいたセファルディ系ユダヤ人は各地に移住します。
この追放によって、ユダヤ思想は、終末論的、グノーシス主義的な傾向が強まったと思われます。

そして、カバラの中心地は、16Cにはパレスチナのガリラヤのサフェドに移ります。
モーゼス・コルドヴェロがカバラ思想の体系化を進め、セフィラの流出を6局面で理解する「ベヒノト」の理論を説きました。
イサク・ルーリアは、世界を「収縮」、「容器の破壊」、「修復」の3原理で説き、悪に関する独自に思想によって、大追放後の状況を反映したグノーシス的なカバラ思想を発展させました。

その後、カバラ思想は、ルネサンス期にはキリスト教徒にも受け入れられ、「キリスト教カバラ」として、魔術色を強めるなど、独自の発展をします。


<ハシディズム(敬虔主義)>

カバラではありませんが、12-13Cにドイツのラインラントで、アシュケナジー系のユダヤ人によって、「ハシディズム(敬虔主義)」と呼ばれる、厳格な信仰的態度を持つ大衆的な神秘主義的思想が興りました。
ハシディズムの文献には、「セフェル・ハ=ハッイーム(生の書)」などがあります。

ハシディズムは、今ここにおける帰依を重視し、祈りを通した個々人と神との「密着(デヴェクート)」を目指しました。
そして、義人は「密着」によって神の光の流出を地上へ媒介すると考えました。

メルカーバー神秘主義の影響があり、エクスタシーに至ることも否定されません。
しかし、ハシディズムの祈りは、カバラ(ルーリア派の神学・祈祷)に負っています。

また、神の観念としては、汎神論的、内在神的な傾向が強くありました。
そして、隠れた神=「ボレ(創造主)」と、神の現れた力=「カボド(栄光)」の2つの次元を区別しました。
後者の「カボド」は、「シェキナー」でもあり、預言者に現れる神です。


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グレゴリオス・パラマス [中世ユダヤ&キリスト教]

ギリシャ正教(東方教会)では、アトスなどの修道院で、神を祈る中で光として現れる神との一体化する伝統が認められていました。
これを理論的に正当化したのが、グレゴリオス・パラマスです。

ギリシャ正教ではこの神との一体化を「人間神化(テオーシス)」と呼び、修道士が目指す人間の完成です。
人間神化にいたる祈りの修行法やその思想は「ヘシュカズム」と呼ばれます。
身体をまるめてへそを凝視し、意識は心臓の当たりに置きながら、「主イエス・キリスト、神の子よ、僕を憐れみたまえ」という祈りの言葉を繰り返し唱え、光として現れる神に触れ、一体化するというものです。

基本的に、キリスト教では、人は神に直接に触れることができないとし、人間の魂と神との間に断絶を認め、これを「神の闇」と表現します。
ローマ・カトリックでは「人間神化」は不可能であって、終末の神の国での至福こそが目標なのです。


グレゴリオス・パラマスは、ビザンチン帝国の末期の1296(もしくは1297)年に、コンスタンチノープルに生まれました。
彼は、アリストテレスなどを勉強した後、二十歳の頃に修道生活に入り、アトス山にて20年間、「ヘシュカズム」の実践に潜心しました。
1326年には、テサロニケで司祭になります。

その後、カトリックの国、イタリアからやってきたパルラアムが、「ヘシュカズム」を批判したため、パラマスは論争を行ないました。

パラマスは、人間が触れることができない神の「本質(ウーシア)」と、触れることができる神の「働き(エネルゲイア)」を区別しました。
ギリシャ正教はこれを認め、1347年に、パラマスは大主教となりました。


パラマスによれば、神の「ウーシア(本質)」は、人間が分有できないもので、「エネルゲイア(働き)」の原因です。

一方、「エネルゲイア」は、人間が分有できるもので、神の恵み、愛の流出です。
予知、意志、存在、光、真理、生命、不死、単純性、神性、無限…などの、神の属性であって、神の名であり、神と被造物をつなぐ働きです。

「ウーシア」と「エネルゲイア」は、太陽と太陽光のように、区別することができない一体のものです。

「エネルゲイア」は、神の実体(ヒュポスタシス)である「父」と「子」と「聖霊」に共通して存在しますが、人は「聖霊」を通してそれに触れることができます。
ギリシャ正教においては、「聖霊」は「父」なる神が直接に発する、「子」なる神と同格の存在です。

パラマスの「エネルゲイア」は、アリストテレスの「エネルゲイア(現実態)」の影響は受けていません。
パラマス自身は、擬ディオニュシオスを論拠としますが、擬ディオニュシオスは、パラマスのような区別を語っていません。


パラマスによれば、ヘシュカズムは、「肯定神学」です。
彼は、「否定神学」は言葉であり、言葉を超えるものを観想するのがヘシュカズムだと言います。

「エネルゲイア」は、神の「光」として体験されます。
ギリシャ正教では、福音書に記された、イエス・キリストがタボル山で弟子たちに白く光り輝く姿を示したことを、人間神化のモデルとして重視します。

パラマスによれば、「光」を見る「人間神化」は、知的な認識ではなく、「霊的感覚」であり、「テオリア(観照)」です。

祈りによってヌース(知性)を聖霊の恵みに結び付けます。
人間の魂が能動的な認識を捨て、受動的に「聖霊」としての神の「恩寵」=「照明」を受け入れ、神の似姿に作り直されるのだとされます。

ちなみに、カトリックでは、神秘的合一を、子なる「キリスト」=「ロゴス」を受け入れるとする点が異なります。


パルラアムは、アトスの修行の断食や屈拝は、触覚を強化すると批判しました。
しかし、パラマスは、修道士の行う実践が、ヌースから魂の情念の暗さを払拭し、清めることで、ヌースは聖霊の恵みに一致し、聖霊によって見ると反論しました。

パラマスは、人間の身体性を否定しません。

「精神から身体へ来る霊的な喜びは身体と関わっても、それ自体劣ったものとならず、身体を変容して、霊的なものとなし、肉の悪しき欲望を拒絶し、魂を引き下げないで、ともに引き上げ、…人間は全体として霊となる」

「霊を肉に釘付けしないで、肉を霊の尊厳の近くまで引き上げ、上に向かせ、同意させる幸いな情念、魂と身体に共通なエネルゲイアがある」

彼は、霊的なものが、身体を霊的なものに変容させると考えました。


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アビラのテレサと十字架のヨハネ [中世ユダヤ&キリスト教]

16世紀スペインのカルメル会の、アビラのテレサ(女子修道会)と十字架のヨハネ(男子修道会)は、中世カトリックの神秘主義の一つの代表的な形を示しています。

両者は共に、否定神学の実践的な傾向を持ち、言葉やイメージを伴った祈り・瞑想ではなく、言葉もイメージもない黙想(コンテンプレーション)を重視します。

また、最終的な神との触れ合いを「霊的結婚」、「聖婚」というイメージで語ります。
そのため、従来からあるキリスト教神秘主義の修行のプロセス「浄化」→「照明」→「合一」を、同時に「交際」→「婚約」→「結婚」と表現します。


ラビアのテレサは、『霊魂の城』で、神との霊的結婚に至る魂の上昇の過程を、人の魂の中にあるダイヤモンドや宝石で作られた「7つの宮殿」として表現して書いています。
中心の宮殿には花婿である神がいます。
また、魂は光の球のように光を放つ鏡であり、その中心にはキリストがいるとも表現します。

「7つの宮殿」はそれぞれ下記のような境地、試練を表現しています。

1 魂が自我の汚れを知る 神の現存に気づいていない
2 神の呼びかけに応えて神に近づいていく
3 神でないものから離れて、愛の業に励む
4 神の平和と甘味を実感する
5 自我を乗り越え神だけを求める
6 神との愛の一致への憧れに焦がれる(婚約)
7 神と魂が一つになる(結婚)

最後に神と魂が一つになると言っても、両者には区別があって結びつくという意味です。
「合一」という言葉は分かりにくいですが、「融一・融合」ではなく「結合」です。

この段階では、感覚的直観や想像力はなくなります。
「知性は働かずに休み、小さな小窓から何が行われているか覗かせてくれる」と表現しています。


十字架のヨハネは、ラビアのテレサを慕いながらも、独自な表現をしました。

彼は、『カルメル山登攀』、『暗夜』において否定神学的なアプローチを表現します。
彼は人間の心の要素を分類し、それを否定することで神に近づく道を示します。
それは「浄化」のプロセスであり、「暗夜」のイメージをもって示されます。

五感である外的な、肉体的・感覚的な働きをなくします。
想像力のような内的な、感覚的な働きもなくします。
様々な霊的な働きもなくします。

霊的な働きを細かく見ると、まず、「霊的視覚(見神体験)」、「啓示」、「霊的言語」、「霊的直観」に分けられます。
これらは「個別的・明瞭な」働きとしてまとまられます。
この霊的体験は、魂の「本体」による「接触」的体験として語られます。
イメージや観念を伴った体験であるにもかかわらず、視聴覚よりも触覚のイメージで語られるというのは、それを越えようとしている側面があることを思わせます。

次に、「全体的・不明瞭な」霊的働きがあります。
これは、すでにイメージや観念が一切ない体験で、瞑想ではなく観照(コンテンプレーション)と表現されるべきものです。
仏教の体系で言えば「無色界」の諸天に当たるのかもしれませんが、ヨハネはこれを「受
動的」、「平安」、「愛」といった言葉で表現します。

この段階で、否定神学的なアプローチは限界を向えているようです。
そのため、『カルメル山登攀』、『暗夜』は未完で終わり、ヨハネは霊的な結婚のイメージで語る『愛の生ける炎』を書き始めます。
これは、否定神学ではなく、神秘神学、恋愛神学と表現すべきものでしょう。

上記したすべての霊的体験の次に来るのが、神との「合一」であり、「結婚」と表現される体験です。
もちろん、花婿としてのキリストと、花嫁としての魂との結婚は、イメージによる表現であって、実際の体験にはイメージも観念もありません。
そして、この「合一」は、テレサと同じく「融一・融合」ではなく「結合」です。

この合一体験に関して、彼女は神が「愛の生ける炎」として、「甘味な接触」を行う、あるいは逆に「優しく傷つける」と表現します。

また、神の炎、光は、神が「投影した陰」であり、魂はそれを「鏡」として「照らし返し」、「輝きへと変容する」と表現します。

また、結婚のイメージでは、「私の胸の中であなたは目覚める」、「共に目覚める」、「神を神自身(恋人)に与え返す」と表現します。

ヨハネは日常的な言葉で表現し、スコラ学の言葉を使用しません。
これによって、異端とされることを避けつつ、スコラ学を越えた地点を表現しようとしたのでしょう。

そして、最終的な表現として、「あなたは私で、私はあなたであるでしょう」と表現します。
これは「合一・結合」を越えて、「融合・融一」の状態であり、現在形では異端的表現となるため、未来形として、終末における出来事として表現します。


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エックハルトと自由心霊派 [中世ユダヤ&キリスト教]

たった一度の神秘体験によって語ることを止めたトマス・アクィナスに対して、神秘体験からこそ語ったのがヨーロッパ中世最大の神秘主義的神学者のエックハルトです。
エックハルトはトマスがちょうど亡くなった頃、彼と入れ替わるようにドミニコ会に入会しました。

彼は師のアルベルト・マグナス同様、アリストテレスと新プラトン主義の両方から影響を受けました。
ちなみに、13Cはドミニコ会を中心にアリストテレス主義が全盛をきわめたに対して、14Cはフランチェスコ会を中心にした新プラトン主義の反撃の時代でした。

すでに紹介したように、キリスト教神秘主義は通常、神と無から創造された被造物である魂が断絶していると考えて、花嫁である魂が花婿である子なる神キリスト=ロゴスと結合するという表現によって、魂が本来の神の似像に戻ることを目指します。
ですが、エックハルトはこれを越えて、魂は父なる神を受け入れて子なる神を生むと考えました。
エックハルトはキリスト教の一線を越えて、魂の神性を認めたのです。

そのためには、魂はあらゆる被造物を「離脱」しなければなりません。
この時、あらゆる心身の働き、自我はもちろん、あらゆる神に対する思いも神に対する認識も神に至る能動的な方法論も捨て、神の像、3位一体の神格も捨てます。
すると、この「乙女」のように「無」である受け身の魂を父なる神が能動的に満たし、父なる神と父なる神と等しくなった「婦女」である魂が一人子を生むのです。

この父なる神が魂の中で子を生むのは、神が本性の内で一人子を生むのとまったく同じなのです。
そして、この時、神がイエスとして現れたのと同じように、神は人となっています。
この父なる神と、父なる神と等しい魂は、「原初の根源」、「魂の根底」、「原初の純粋性の充填」、「認識されない深く隠された暗黒」、「何者も住まない静寂の砂漠」と表現されます。

父なる神が魂の中で子なる神=ロゴスを生むのなら、この時、人は父の語るロゴスをそのまま語ることになるはずです、エックハルトは自分が話しているのではなく、真理そのものが話していると語りました。
ですから、彼はトマスのように沈黙することなく、語る必要があったのです。

エックハルトの教説はインド思想に似ています。
彼は、被造物に愛着をいたくことが悩みの原因なのでこれを放棄すべきこと、そして、すべてのものに神を見ることを語りました。

エックハルトの言う「離脱」は単なる被造物の否定に留まりません。
この「神の不動の離脱」と表現されるのは、神が天地を創造したり、人となるその時も、つまり被像物と関わっているその時も同時に被造物から離脱し続けているのです。

これと同じように、人間の最終的な目標も、被造物から離脱しながら、現実生活で活動を行うべきなのです。
エックハルトは行為そのものよりも、離脱しているかどうか、いかなる状態でその行為を行ったかを問題としたのです。

エックハルトは晩年に異端の審問を受け、死後に異端とされました。
彼は1314年からシュトラスブルグ、1323年からケルンで説教しましたが、その頃、この地には「自由心霊派」と呼ばれる神秘主義的な異端思想が盛んでした。

修道院は比較的裕福な人間が入会する組織なのですが、これとは別に貧しい人間が入会する組織である「ベギン会(女性会)」、「ベガルト会(男性会)」がドイツに存在しました。
ベギン会は花婿としてのキリストと、花嫁としての魂の結合を目指す一般的なキリスト教神秘主義の傾向を持っていました。
シュトラスブルグからケルンにかけてのライン川上流の地域のベガルト・ベギン会には過激な自由心霊派が生れました。

自由心霊派は完全に霊化された人間はどんな行動をしようが、それは神聖なもので、教会の規則や一般的な倫理などに縛られず、キリストさえ必要ないと考えました。
この考えは、エックハルトとほぼ同じです。
これは、社会道徳を否定したグノーシス主義的な自由の考え方に近いものです。 
 


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托鉢修道院とスコラ学 - スコラ学を捨てたトマス・アクィナス [中世ユダヤ&キリスト教]

もともと、修道院は都市から離れて山間で隠遁生活を行う場所でした。
ですが、多くの異端が生まれた都市部で、正統説を説教して異端派を改宗させるための存在として新しいタイプの教皇直属の修道院が生まれました。
これは「托鉢修道院」、あるいは「説教修道院」と呼ばれます。
具体的にはドミニコ会とフランチェスコ会です。

托鉢修道院は異端に対抗するために異端同様の清貧さを重視しました。
ですが、これ自体が異端視の危険を持っていたのです。
カトリック教皇は、托鉢修道院の清貧さを認めつつ、それが過度にならないように制限し、これに反発したフランチェスコ会の厳格派に対して異端宣告をしました。


また、托鉢修道僧達は1200年に生まれたパリ大学の教師職を独占しました。
彼らは神学や哲学のスペシャリストとなり、一方で異端を恐れない革新的な新思想を担うと共に、他方で異端審問官を勤めました。

13Cにはトレド発のイスラム哲学の翻訳運動が進展して、本格的にイブン・ルシド(アヴェイロス)主義、アリストテレス主義が輸入され、スコラ学的方法が発展します。
ですが、1210年以来、アリストテレスの著作は次々と禁書にされました。
しかし、パリ大学これに屈せずに1255年には人文科を実質的にアリストテレスを中心とした哲学科としました。

すでに紹介したように、旧約聖書とアリストテレス哲学(アヴェイロス主義)には矛盾があって、これがイスラム哲学で問題とされました。
西欧の哲学や神学で問題とされた矛盾は次の2点です。

アヴェイロスによれば、世界は始まりも終わりもなく、個々人の霊魂の最高の部分である能動的知性(アリストテレスの言う「一切をなす知性」)は個人を越えた単一なる存在です。
ですが、キリスト教では世界は始まりのある有限の存在で、霊魂は個的な多数ある存在です。

この矛盾に対して、アリストテレス哲学を否定する立場、キリスト教に矛盾しない範囲で認める立場、宗教と哲学は立場が違うとして2つの真理を共に認める立場がありました。

13Cのフランチェスコ会の代表的な神学者であるボナヴェントゥラは、新プラトン主義的な神学の立場からアリストテレスを否定しました。
彼は偽ディオニシオスが存在をその階層に応じた受容能力によって神の似像となると考えたこと、また、アヴィセンアが魂を宇宙や霊的知性界の全体を映す鏡だと考えたこと、この2つの思想を統合しました。
そして、人間の霊を階層を映す鏡にして階層を見る目差し、人間の魂をすべてを互いに表現する教会的存在と考えました。


一方、中世のキリスト教神学、スコラ学を代表する思想家は、ボナヴェントゥラと同時期にパリ大学で教えていたドミニコ会のトマス・アクィナスです。
彼は、アリストテレスが「一切をなす知性」を一なる存在とは言っていないことを突き止め、また、世界の永遠性については、理性の範囲を越えたものとして聖書の啓示を優先しました。
トマスのアリストテレス主義は最初は異端とされましたが、彼の死後、正統説として認められるようになりました。

ですが、トマスの、そしてスコラ学の主著である『神学大全』は実は未完なのです。
トマスは『神学大全』を執筆中の1273年のある日のミサの時、神秘体験を経験しました。
そしてその後、彼は一切の執筆も教授も絶ったのです。

彼は秘書に「たいへんなものを見てしまった。それに比べれば私のこれまでに書いたものはワラクズのように思われる」と述べました。
つまり、キリスト教最大の神学者であるトマスは、ただ一度の神秘体験によって神学の価値を否定して沈黙を通したのです。 


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