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「ゲーランダ・サンヒター」(ヴィシュヌ教のガタ・ヨガ) [中世インド]

「ハタ・ヨガ」を生み出したのはナータ派ですが、このページでは、その影響を受けた他派の「ハタ・ヨガ」系経典である、「ゲーランダ・サンヒター」についてまとめます。

「ゲーランダ・サンヒター」は、ヴィシュヌ教サハジャ派の経典です。
一般に、ヴィシュヌ教の文献は、「ハタ・ヨガ」という言葉は使わず、「ガタ・ヨガ」という言葉を使います。

*「ハタ・ヨガ」を理解する前提としての「タントラの身体論」もご覧ください。
*ナータ派のハタ・ヨガについては、「ハタ・ヨガ・プラディーピカー(ナータ派のハタ・ヨガ)」をご覧ください。
*シャクティ教のハタ・ヨガについては、「シヴァ・サンヒター(シャクティ教のクリヤ・ヨガ)」をご覧ください。


<ゲーランダ・サンヒター>

「ゲーランダ・サンヒター」は、シャットカルマ、アーサナ、ムドラー、プラティヤーハーラ、プラーナヤーマ、ディヤーナ、サアマディの7支を立て、この順で説きます。


シャットカルマ(浄化法)は、6つを言及します。

アーサナは、32を言及します。
中でも、「シッダ・アーサナ」は、眉間を凝視しながら行い、解脱が得られるとします。
また、「ブジャンガ・アーサナ」はクンダリーを目覚めさせます。

この経典では、クンダリーの眠る場所はムーラダーラです。


ムドラーは、21を言及します。

中でも、「ヨーニ・ムドラー」を至上の秘儀として重視します。
これは「シャクティチャーラニー・ムドラー」を行った後にすべきとされます。
両目・耳・鼻口を手でふさぎ、プラーナとアパーナを結びつけ、6つのチャクラを順に念じ、クンダリーをサハスラーラに上昇させ、シヴァ神とシャクティ女神の合一を観想します。

「ヴィパリータ・カラニ」は、太陽のエネルギーを上昇させ、月のエネルギーを下に向かわせると説きます。

また、興味深いのは、「パンチャ・ダーラーナ・ムドラー(5つのダラーナ)」です。
詳細は語られませんが、「ゴーラクシャ・シャタカ」に書かれた方法と同様な方法でしょう。
特定の部位に種字を観想し、唱えながら、5元素に集中するのでしょう。
ただ、それぞれどの部位に集中するのかは、心臓と臍下しか書いてません。

記載されている各ダラーナの対応は下記の通りですが、部位の「?」は推測です。

 (元素)(名前)   (種字) (神)   (部位)
・地 :パールティヴィー:ラ :ブラフマー  :心臓
・水 :アーンパシー  :ヴァ:ヴィシュヌ  :喉?
・火 :アーグネーイー :ラ :ルドラ    :臍下
・風 :ヴァーヤヴィー :ヤ :イーシュヴァラ:眉間?
・虚空:アーカーシー  :ハ :サダーシヴァ :頭頂?

また、「シャーンバヴィー・ムドラー」は、ディヤーナで使われます。


プラティヤーハーラは、外界から心を引き離してアートマンのコントロール化に置くといった、簡単な説明がされるのみです。


プラーナヤーマは、クンバカの8種に言及します。
最初の6つは、「ハタ・ヨガ・プラディーピカー」と同じです。

中でも「ムールッチャー」は、後のサマディーでも使われます。   、
これは、気楽にクンバカを行って、意識を眉間に置き、すべての対象を捨てて、アートマンに意識を結びつけて、恍惚・歓喜の状態になります。

また、「ケーヴァリー・クンバカ」は、「ハタ・ヨガ・プラディー」とは違って、「ハン」を唱えながら吸息し、「サハ」を唱えながら呼息する「アジャパ・ガヤトリ」として行います。


ディヤーナでは、「粗大なディヤーナ」、「光のディヤーナ」、「微細なディヤーナ」という3段階のディヤーナが説かれます。

「粗大なディヤーナ」は、形ある神々を観想します。
複雑な観想ですが、単純に言えば、島の上にいる守護神と、頭頂の蓮の上にいるシヴァ神の観想です。

「光のディヤーナ」は、光として神を観想します。
具体的には、ムーラダーラ・チャクラにクンダリニーを炎として観相し、そこにブラフマの輝きを見ます。
あるいは、眉間に意識の輝きを観想して、それと一つになります。

「微細なディヤーナ」は、クンダリーを上昇させます。
具体的には、眉間の集中するシャンバヴィー・ムドラーによって、アートマンと一体になって、クンダリーを覚醒させて、頭頂、あるいは、頭頂から外に上昇します。


サマディーは、真我とブラフマとの合一であり、サット・チット・アーナンダ(存在・心・歓喜)であり、自由であると説かれます。
そして、そのための6つの方法が言及されます。

「ディヤーナ」による方法は、眉間に集中する「シャーンバヴィー・ムドラー」で、ブラフマン(のビンドゥ)と融合して、虚空とアートマンを一体化させます。

「ナーダ」による方法は、「プラーマリー・クンバカ」をしながら、呼息に黒い雄蜂のうなり声のような内なる音を聴き、歓喜を感じます。

「ラサ・アーナンダ」による方法は、「ケーチャリー・ムドラー」で、サマディに達します。
アムリタを飲むのでしょう。

*ナーダによる方法とラサ・アーナンダによる方法は、入れ替わっているかもしれません。

「ラヤ・シッディ」による方法は、「ヨーニ・ムドラー」で、シャクティ、アートマン、ブラフマンと一体化します。

「バクティ」による方法は、心臓に守護神を観想して献身の心を捧げます。

「ラージャ・ヨガ」による方法は、「マノー・ムールッチャー・クンバカ」で、パラ・アートマンと合一します。

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「シヴァ・サンヒター」(シャクティ教のクリヤ・ヨガ) [中世インド]

「ハタ・ヨガ」を生み出したのはナータ派ですが、このページでは、その影響を受けた他派の「ハタ・ヨガ」系経典である、「シヴァ・サンヒター」についてまとめます。

「シヴァ・サンヒター」は、シャクティ教シュリー・クラ派の経典であると推測されます。
この経典は「ハタ・ヨガ」という言葉は使いません。
一般に、シヴァ教、シャクティ教では「クリヤ・ヨガ」という言葉が良く使われます。

*「ハタ・ヨガ」を理解する前提としての「タントラの身体論」もご覧ください。
*ナータ派のハタ・ヨガについては、「ハタ・ヨガ・プラディーピカー(ナータ派のハタ・ヨガ)」をご覧ください。
*ヴィシュヌ教のハタ・ヨガについては、「ゲーランダ・サンヒター(ヴィシュヌ教のガタ・ヨガ)」をご覧ください。


<シヴァ・サンヒター>

「シヴァ・サンヒター」は、シャクティ教シュリー・クラ派が作成したと思われる経典です。

この経典は、シュリー・クラ派が重視する「シヴァ・スートラ」の影響下で、「ハタ・ヨガ・プラディーピカー」のハタ・ヨガをシュリー・クラ派として取り入れたものです。

ちなみに、「シヴァ・スートラ」では、意志の力で三昧に入るヨガを「シヴァの道」と呼び、これを非常に優れた人のための道であるとします。
そして、観想やマントラを使うヨガを「シャクティの道」と呼び、優れた人のための道であるとします。 
また、アーサナやプラーナヤーマ、ムドラーなどの体を使うヨガを「アヌの道」と呼び、一般の人のための道であるとします。      
「シヴァ・サンヒター」は、ベーシックには、アーサナ、プラーナヤーマ、ムドラーの3つを語りますが、プラーナヤーマの段階として、プラティヤーハーラ、ダラーナ、サマディが存在します。
また、補遺で、実践者の種別で、「マントラ・ヨガ」、「ラヤ・ヨガ」、「ハタ・ヨガ」、「ラージャ・ヨガ」、「ラージャ・アディ・ラージャ・ヨガ(出家のヨガ)」、「マントラ・サーダナ(在家のヨガ)」を説きます。


「シヴァ・サンヒター」は、最初の章で、この世界は、唯一なる智が顕現したものであると説かれます。
そして、イーシュヴァラ(シヴァ神)が説くこのヨガ経典が最高の見解なのだと。

また、一なる智から、マーヤーによって多様な世界が創造されたが、それらをアートマンに帰滅させろ。
そして、シヴァである精子とシャクティである経血の結合から5大元素が生まれ、カルマによってジーヴァ(個我)が身体の中に住するのようになったが、カルマが尽きればシヴァに帰入すると説きます。


次の章では、人間の肉体がミクロコスモスであると説きます。

例えば、月がアムリタを垂らし、イダーを通して全身を滋養する一方で、太陽はピンガラから登り、アムリタを消費すると説きます。

ナーディは35万本あり、その中の主要なもの14本について言及します。
そして、スシュムナーの中心にはチトラー管(チトラー女神)があり、そこにブラフマ・ランドラが輝きます。
また、アーダーラ・パドマ(ムーラーダーラ・チャクラ)のヨーニの中に宇宙創造者のクンダリーがいて、スシュムナーの入り口をふさいでいます。
「シヴァ・サンヒター」はチャクラを「蓮華(パドマ)」と呼び、6つを数え、サハスラーラは別扱いにします。
そして、イダーとピンガラは、スシュムナーを螺旋状に巻いています。
また、腹には火の神のアグニがいます。


次の実践の章では、最初に、プラーナヤーマが説かれます。
プラーナヤーマは、「ハタ・ヨガ・プラプラディーピカー」でも説かれた、開始(アーランバ)、壺(ガタ)、蓄積(パリチャヤ)、完成(ニシュパティ)の4段階となっていて、サマディ段階まで至ります。
これを「ヴァーユ・シッダイェ(風の成就法)」と表現します。

各段階の内容は下記の通りです。

 (段階)    (支則)      (具体的方法)
・アーランバ :プラーナヤーマ  :スカ・プールヴァカ
・ガタ    :プラティヤーハーラ:ケーヴァラ・クンバカ
・パリチャヤ :ダラーナ     :パンチャ・ダラーナ
・ニシュパティ:サマディ     :ケーチャリー・ムドラー

アーランバ段階での具体的なプラーナヤーマの方法は、「ハタ・ヨガ・プラディーピカー」と同じで、以下の流れです。

 イダーから吸息→クンバカ→ピンガラから呼息→
 →ピンガラから吸息→クンバカ→イダーから呼息→

ガタ段階の具体的な方法は、プラーナとアパーナの合流させ、3時間、息を止めるこれによってプラティヤーハーラが達成されるとします。

パリチャヤ段階の具体的な方法は、クンダリニーの上昇と5元素に集中する「パンチャ・ダラーナ(5つのダラーナ)」です。
「パンチャ・ダラーナ」の具体的な方法は語られませんが、「ゴーラクシャ・シャタカ」に書かれた方法と同様な方法でしょう。
ただ、会陰から眉間までの6つのパドマで、2時間づつ集中するように説きます。
「ゴーラクシャ・シャタカ」とは、部位が異なりますし、元素が5つ、パドマが6つなので合いません。


アーサナは、シッダ、パドマ、ウグラ、スヴァスティカの4種が言及されます。
明言はされませんが、それぞれは上記の4段階と関係付けられているのでしょう。


次のムドラーの章では、10のムドラーを数えますが、実際には、13が言及されます。

10のムドラーは、少し整理して順番を変えているだけで、ナータ派の「ハタ・ヨガ・プラディーピカー」で語られる10ムドラーと同じです。
そのためか、最初に、「ヨーニ・ムドラー」を10のムドラーと別扱いで詳細に語り、これが本経典が核とするムドラーであると打ち出しているのでしょう。
そして、10ムドラーは、「ヨーニ・ムドラー」の部分的、補足的名4ムドラーという位置づけにしたのでしょう。

「ヨーニ・ムドラー」は、具体的には、会陰部にカーマ神と観想して収縮させ、クンダリーの上昇・下降を観想しながら、実際に実践します。

次に、10ムドラーは次の通りです。

「マハー・ムドラー」は、風のめぐりを活性化、消化の火を強化、クンダリーの加熱・上昇をします。
「マハー・バンダ」は、プラーナとアパーナを合流させ、風を中央管に入れます。
「マハー・ヴェーダ」は、風が中央管を上昇し、クンダリーが頭上まで至ります。

ナータ派はクンダリーが臍下部に眠ると考えましたが、「シヴァ・サンヒター」では会陰部に眠ると考えるので、同じムドラーでも若干、その意味が変わります。

「ケーチャリー・ムドラー」は、アムリタを飲みます。
「ジャーランダラ・ムドラー」は、アムリタが滴り落ちるのを防ぎ、臍下の火がそれを消費しないようにします。
「ムーラ・バンダ」は、アパーナを引き上げて、プラーナと合一させます。

「ヴィパリータ・クリティ」では、アムリタを飲みますが、秘伝とされます。
「ウディヤーナ・バンダ」は、腹の火を点火し、アムリタが増加します。

「ヴァジローリー・ムドラー」は、精液(ビンドゥ)を放出せずに、精液を上昇させたり、経血を吸い上げて精液と混合します。
ビンドゥは月から作られ、ラジャスは太陽から作られるとします。
また、出した精液を吸い戻すのが「アマローリー・ムドラー」です。
それをヨーニ・ムドラーで結ぶことが「サハジョーリー・ムドラー」です。

後者の2つは「ヴァジローリー・ムドラー」としてまとめられ、全部で10ムドラーと数えされています。

「シャクティ・チャーラナ・ムドラー」は、アパーナに乗せてクンダリーを覚醒させます。


最後の章は補遺ですが、4種のヨガと、出家のヨガ、在家のヨガを説きます。

「マントラ・ヨガ」は、「我はシヴァ」というマントラを唱えながら、開眼で太陽の中にシヴァ神の姿を観想し、シヴァ神の顔を自分の顔に変え、次に、心臓にその同じ姿を観想します。

「ラヤ・ヨガ」は、「ヨーニ・ムドラー」で両目・鼻・耳・口を手でふさいで、保息の時にアナーハタ・パドマの発する音を聴き、サマディになります。

「ハタ・ヨガ」では、6つの蓮華について説きます。
サハスラーラ・パドマは別扱いです。

「ラージャ・ヨガ」は、霊的身体の諸器官を聖地と見て、内的巡礼のように巡ります。

イダーはヴァルナー川(ガンガー川)、ピンガラーはアシー川で、アージュニャー・パドマは、両川の間の聖地ヴァーラーナシーで、そこにはシヴァ神がいます。
そして、スシュムナーはメール山を登ります。

その上にあるサハスラーラ・パドマは、「ビンドゥ・パドマ」、「ナーダ・パドマ」、「シャクティ・パドマ」の3つから構成されます。

頭上の「ビンドゥ・パドマ」は、聖地のカイラーサ山に当たります。
頭頂のアムリタの源である「ナーダ・パドマ」は、聖地のマーナサ湖に当たります。
ここには、カンダがあり、その中にヨーニとチャンドラと最高女神トリプラー女神がいます。
額の「シャクティ・パドマ」は、聖地のプラヤーガ(ガンガー、サラスワティー、ヤムナーの三川の合流点)に当たります。
ここは、梵孔(アーダーラ)とも呼ばれ、、チトラー女神(トリプラー女神の最微細相)がいます。


「出家のヨガ」は、「ラージャ・アディ・ラージャ・ヨガ(ラージャ・ヨガを超えるラージャ・ヨガ)」と表現されます。

「我」と「我あり」の関係を、「ジーヴァ・アートマン」と「パラ・アートマン」の関係のごとく念じ、「我」と「汝」の二元論を越えて完全なるものに専心します。
すると、自らを照らす光(シヴァの恩寵の光)が輝き、一なる智が得られます。


「在家のヨガ」では、「マントラ・サーダナ」と「火の作法(護摩行)」が説かれます。

「マントラ・サーダナ」は、3つのパドマに対して、下から順に2-3秒ごとに移動して、それぞれのマントラを唱えながら集中します。

(部位)    (マントラ)
1 会陰 :アイン(サラスヴァティーの種字)
2 心臓 :クリーン(カーマの種字)
3 眉間 :フリーン(シャクティの種字)
4 頭頂 :スヴァーハー

「火の作法」では火壇(護摩壇)にバター油を献供しながら、炎をトリプラバイラヴィー女神と観想して、上記の「マントラ・ヨガ」を行い、眉間への集中の後に、頭頂に集中して「スワーハー」と唱えます。
つまり、外的儀礼における火壇の炎を、内的儀礼におけるクンダリーの上昇と象徴的に重ねています。


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「ハタ・ヨガ・プラディーピカー」(ナータ派のハタ・ヨガ) [中世インド]

ヒンドゥー系タントラの代表的な修行法の一つである「ハタ・ヨガ」は、ナータ派が生み出して伝えてきたものです。
このページでは、ナータ派の「ハタ・ヨガ」と、その経典の「ゴーラクシャ・シャタカ」と「ハタ・ヨガ・プラディーピカー」についてまとめます。

*「ハタ・ヨガ」を理解する前提としての「タントラの身体論」もご覧ください。
*シャクティ教のハタ・ヨガについては、「シヴァ・サンヒター(シャクティ教のクリヤ・ヨガ)」をご覧ください。
*ヴィシュヌ教のハタ・ヨガについては、「ゲーランダ・サンヒター(ヴィシュヌ教のガタ・ヨガ)」をご覧ください。


<ハタ・ヨガの流れ>

「ハタ・ヨガ」の起源は、仏教のようです。
最初に「クンダリニー・ヨガ」のような生理的なヨガを発展させたのは、後期密教の「母タントラ」の潮流に属する修行者でしょう。
「ハタ・ヨガ」という言葉が、最初に使われたのが確認されているのも、「母タントラ」です。

ヒンドゥー教の中で、「ハタ・ヨガ」を生み出したのは、11C頃の「ナータ派」の祖であるゴーラクシャ・ナート(ゴーラクナート)です。
彼もその師のマチェーンドラ・ナートも、シヴァ教(シャクティ教)徒であり、仏教徒でもありました。
当時、非バラモンの領域では、両宗教は一体的だったのでしょう。

ゴーラクシャ・ナートが、仏教タントラをシャクティ教と結びつけて、ヒンドゥー系タントラが生まれました。
彼は、「ハタ・ヨガ」と「ゴーラクシャ・シャタカ」を著しましたが、前者は失われました。

その後、16-17Cに、スヴァートマーラーマが「ハタ・ヨガ・プラディーピカー」でハタ・ヨガを体系化しました。

ハタ・ヨガは他派にも取り入れられました。
例えば、ハタ・ヨガ系の重要経典である「シヴァ・サンヒター」(15C頃)は、シュリー・クラ派が作成したと思われる経典です。
同様に、「ゲーランダ・サンヒター」(17C頃)はヴィシュヌ教サハジャ派が作成したと思われる研究書です。

ですが、「ハタ・ヨガ」という名称はナータ派固有のヨガという意味合いがあるため、シヴァ教などの他派では「クリヤー・ヨガ」などと呼びますし、「ゲーランダ・サンヒター」は「ガタ・ヨガ」と呼びます。

*8Cにシャンカラ・アーチャーリアが書いた「ヨガ・ターラーヴァリー」が最古のハタ・ヨガの書であるという説がありますが、この書の内容は、8Cのヴェーダーンタ派のものとは思えないので、後世の他派による作と思われます。


<ハタ・ヨガの特徴>

パタンジャリの「ヨガ・スートラ」は古典ヨガの経典ですが、これはバラモン系のヨガ経典です。
ハタ・ヨガは、非バラモン系のタントラ・ヨガです。

ですが、ハタ・ヨガは、「ヨガ・スートラ」の影響を受けているので、アンチ・バラモン的なところと、バラモン的なところがあります。
そして、身体を神の神殿とみなして重視するような、タントラ的な特徴があります。
そして、ヴァーユのコントロール、象徴や観想、マントラを利用します。

ヴァーユのコントロールでは、臍下部、もしくは会陰部に眠るクンダリー(ハタ・ヨガ系経典はほとんど「クンダリー」と表現しています)を、頭頂、もしくは頭上まで上昇させること、軟口蓋上部の「月(チャンドラ)」が生むアムリタを飲むこと、そして、性的エネルギーを逆流して上昇させることが目指されます。

「ヨガ・スートラ」に代表される古典ヨガが、心身の働きを順次止滅させていくことを目的とするのに対して、ハタ・ヨガは身体を利用した方法によって、心身の止滅だけでなくそこからの再活性化を目的とする傾向があります。


「ヨガ・スートラ」の第1支のヤマ(禁戒)、第2支のニヤマ(勧戒)はあまり重視しません。
「ハタ・ヨガ・プラディーピカー」には「戒律にこだわらないように」という記載もあります。
それが常識的な禁欲や清浄さにこだわらないタントラの特徴だとも言えるかもしれません。

一方、肉体の浄化法(シャットカルマ)や、「ヨガ・スートラ」では具体的な記載のない第3支のアーサナ(座法・体位法)、第4支のプラーナヤーマ(呼吸法・調気法)を重視して、経典にも具体的に記載されます。

また、「ヨガ・スートラ」には記載のない「ムドラー」や「バンダ」が重視されます。
「バンダ」は、身体の特定の部分の締め付け(脈管を閉じる)によって、ヴァーユ(広義のプラーナ)をコントロールする技法です。
「ムドラー」は、「アーサナ」や「プラーナヤーマ」、「バンダ」、集中、観想などを組み合わせて、総合的にヴァーユ(広義のプラーナ)をコントロールする方法です。

こられのヴァーユのコントロールは、同時に心のコントロールでもあるため、「ヨガ・スートラ」の第5支以降をも同時に行うことにもなります。
ですから、ハタ・ヨガの場合、複数の支則を立てても、「ヨガ・スートラ」のように階梯化されているというわけではありません。

また、多くの経典では、一般的にヨガの段階として、「開始(アーランバ)」、「壺(ガタ)」、「蓄積(パリチャヤ)」、「完成(ニシュパティ)」の4段階を立てます。

「ヨガ・スートラ」の第5支「プラティヤーハーラ」は、「ゴーラクシャ・シャタカ」では、月のアムリタを臍下の「太陽(スーリア)」で消費させないこととされます。

「ヨガ・スートラ」の第6支「ダラーナ」は、5元素を身体の5部に念じる「パンチャ・ダラーナ」が、複数の経典で行われます。

「ヨガ・スートラ」の第7支「ディヤーナ(静慮・禅)」は、観想法として重視します。
「ゲーランダ・サンヒター」は「ディヤーナ」を3段階で行う観想法とし、第8支「サマディー(三昧)」にまで至ります。

「ヨガ・スートラ」の第8支「サマディ」は、「ハタ・ヨガ・プラディーピカー」、「ゲーランダ・サンヒター」では、「ラージャ・ヨガ」と表現し、「ハタ・ヨガ」はこれをに至る段階とします。
ですから、広義の「ハタ・ヨガ」は「ラージャ・ヨガ」も含み、「ラージャ・ヨガ」は「ハタ・ヨガ」の最終段階です。
ですが、狭義の「ハタ・ヨガ」は、サマディ以前の段階となります。

また、「シヴァ・サンヒター」では、「ラージャ・ヨガ」を、霊的身体諸器官を聖地を重ねて、その内的巡礼とします。
そして、サマディ段階のヨガとしては、「ラージャ・アディ・ラージャ・ヨガ(ラージャ・ヨガを超えるラージャ・ヨガ)」が説かれます。


近代になると、ヴィヴェーカーナンダがハタ・ヨガの用語である「ラージャ・ヨガ」を、古典ヨガの意味、あるいは、各種のヨガ全体の美称として使ったため、「ラージャ・ヨガ」という言葉は、ハタ・ヨガから分離されて使われるようになりました。

また、クリシュマナチャリア系統の近代ヨガは、様々なアーサナを使うので、ハタ・ヨガの影響を受けていますし、そう呼ばれることもあります。
ですが、彼らは「ヨガ・スートラ」を中心にして、バラモン的に解釈しています。


以下、4つの経典の記載内容を簡単にまとめます。
ただ、多くは口伝・秘伝で、経典に書かれたことはすべてではなく、秘した表現であったはずです。


<ゴーラクシャ・シャタカ>

ナータ派の開祖であり、ハタ・ヨガの創始者ゴーラクシャ・ナートによる「ゴーラクシャ・シャタカ」は、101頌の短い経典ですが、現存する中で最古の「ハタ・ヨガ」経典です。

基本的に、「ヨガ・スートラ」の第1支ヤマ、第2支ニヤマ以外の6支を立てますが、「プラーナヤーマ」の中で「ムドラー」を扱います。
また、「プラティヤーハーラ」は「ヨガ・スートラ」とは意味が異なります。


アーサナは、シヴァ神が、全生物種に相当するの84万の中から84アーサナを選んで人間に説いたと語ります。
実際に言及されるのは、シッダ・アーサナとカマラ・アーサナ(パドマ・アーサナ)の重要とされる2つのみです。


ナーディーは72,000本で、イダー、ピンガラー、スシュムナーなどの主要なものが10本が言及されます。
主要3本は下記のように、神と対応します。

・イダー   :ソーマ(月)
・ピンガラー :スーリヤ(太陽)
・スシュムナー:アグニ(火)

イダー、ピンガラーは、会陰部から左右の鼻まで達しますが、スシュムナーの起点については記述がありません。

プラーナは10種が言及され、その中の5種が主要なものです。


チャクラは、「アーダーラ」、「スワディシュターナ」、「マニプーラカ」、「アナーハタ」、「ヴィシュダ」、眉間のチャクラ、「ランピカー」、「マーハーパドマ」の8つを立てます。

「アーダーラ・チャクラ」は、ムーラダーラ・チャクラに当たり、「カーマ」とも呼ばれ、「マハー・リンガ」があり、四角形のシンボルを持ち、「カーラ・アグニ」の炎を持ちます。

「スワディシュターナ・チャクラ」の「スワ」は「プラーナ」を意味で、このチャクラは生命力の基盤であり、生殖器を意味します。

「マニプーラカ・チャクラ」には、球根のような、鳥の卵のような「カンダ」があり、スシュムナーに貫かれています。
そして、7万2千本のナーディーがここから伸びています。

また、「カンダ」(つまり、会陰部ではなく、臍下)に「クンダリー・シャクティ」が8重のとぐろを巻いています。
これは、ブッディ、アハンカーラ、マナス、5感の8つに対応するのでしょう。
そして、クンダリーは、呼吸によって火の要素が増すことで覚醒します。

「ヴィシュダ」という名は、呼吸の浄化を意味します。
アムリタの出どころであるとも語られます。

「ランピカー」は、咽頭部で、月のある場所で、ナータ派では「チャンドラ・チャクラ」と呼ばれるものです。
本当はこちらがアムリタの出どころのハズです。

眉間のチャクラは、一般に「アージュニャー・チャクラ」と呼ばれますが、この経典では、名前が語られません。


ムドラーは、「マハームドラー」、「ナボー・ムドラー(ケーチャリー・ムドラーのこと)」、「ウッディヤーナ・バンダ」、「ジャーランダラ・バンダ」、「ムーラ・バンダ」の5つが言及されます。

「ジャーランダラ・バンダ」は、アムリタ(月の生命エネルギーと表現されます)が臍下の火で消費させないために行います。
「ムーラ・バンダ」はアパーナを上向きに変えるために行います。


プラーナヤーマは、基本的な方法は、以下の流れです。

 イダーから吸息→クンバカ→ピンガラから呼息→
 →ピンガラから吸息→クンバカ→イダーから呼息

イダーから吸息の時には軟口蓋上部の月を念じ、ピンガラから吸息の時は臍下の太陽を念じます。

プラーナヤーマでは、プラーナとアパーナを融合させて、クンダリーを上昇させることです。


プラティヤーハーラは、「ヨガ・スートラ」の定義と異なり、月のアムリタを太陽で消費させないこととされます。
具体的には、

「ヴィパリータ・カラーニ」で、太陽のエネルギーを上昇させ、月のエネルギーを下に向かわせ、2つを融合させます。
アナハタ・チャクラで、三重に縛られた雄牛がうなるような低く大きな音を聴き、生命力をマニプーラカ・チャクラから頭頂(マハー・パドマ)まで上昇します。
「ケーチャリー・ムドラー」で、月のエッセンスを瞑想し、月のエネルギーをヴィシュダ・チャクラで受け止めて、太陽で消費させないようにします。


ダラーナは、パドマ・アーサナで、5つの部位に5元素を2時間ずつ念じます。
ですが、部位は、すべてがチャクラではありません。
また、種字が配当されているので、マンドラを唱えるのでしょう。
「大日経」の「五字厳身観」と似ています。

 (部位)(元素)(種字)(力)  (形) (イメージ)   (神)
・頭頂:虚空:ハ :吸収:    :澄んだ水  :破壊のシヴァ
・眉間:風 :ヤ :旋回:    :燃える炎  :イーシュヴァラ
・口蓋:火 :ラ :燃焼:赤い三角:美しいサンゴ:ルドラ
・喉 :水 :ヴァ:液化:三日月 :白蓮
・心臓:土 :ラ :固化:四角  :黄色の宝石

*頭頂部は「ブラフマランドラ」と表現されています。


ディヤーナは、一つのことに集中するもので、「有形な対象」のディヤーナと「無形な対象」のディヤーナがあります。

「有形な対象」のディヤーナは、7つのチャクラへの集中です。
具合的には下記の通りです。

 (チャクラ)  (部位)(イメージ)   (もたらす結果)
・名称無表記   :眉間:真珠      :祝福された存在に
・ランピカー   :口蓋:(月がある)  :死から解放
・ヴィシュダ   :喉 :(アムリタの源):ブラフマンと一つになる
・アナーハタ   :心臓:稲妻      :ブラフマンと一つになる
・マニプーラ   :臍下:明け方の太陽  :この世界が動かすことができるように
・スワディスターナ:性器:燃えるような金色:悪行の影響から自由
・アーダーラ   :基底:ルビー     :罪から解放

「無形な対象」へのディヤーナは、アートマンへの集中です。
アートマンは、穢れをなくし、アートマンと異なるものを見分けることで、輝きます。


サマディは、五感の記憶を対象に深く集中することで、プラーナの流れが緩やかになり、全体に一体化します。
ダラーナは2時間、ディヤーナは1日、そして、サマディは12日間、持続します。

サマディに至ると、カルマの影響を受けなくなります。
そして、一なる意識に定まると、「完全な自由(ムクティ・ソーパーナ)」を得ることができます。


<ハタ・ヨガ・プラディーピカー>

「ハタ・ヨガ・プラディーピカー」は、ナータ派によるハタ・ヨガを大成した経典です。

最初に、ハタ・ヨガはラージャ・ヨガへ至るための階段であると語ります。
また、戒律へのこだわりは、良くないとも語ります。

「ハタ・ヨガ・プラディーピカー」では、アーサナ、シャットカルマ、プラーナヤーマ(クンバカ)、ムドラー、ラージャ・ヨガの5支が語られます。


アーサナは、84種のうち、15種が言及されます。
中でも、シッダ・アーサナは、全身のナーディを清掃するので、いつも行うべきとして重視します。

ナーディを清掃したら、次は、ナーダ音(アナーハタ・チャクラが発する音以前の音)へ集中します。


プラーナヤーマは、基本的な方法は、「ゴーラクシャ・シャタカ」同様に以下の流れです。

 イダーから吸息→クンバカ→ピンガラから呼息→
 →ピンガラから吸息→クンバカ→イダーから呼息

肉体の浄化法では、6つが言及されます。

クンバカ(保息)は、ウジャーイーやバストリカー(フイゴ法)など、8つが言及されます。
これらは、単に吸息か呼息の後に保息するだけでなく、バンダを伴いながらヴァーユをコントロールします。

基本は、吸息→ジャーランダラ・バンダ→クンバカ→ウディヤーナ・バンダ→呼息、の流れです。

最期に、自然に到達する9番目のクンバカとして、「ケーヴァラ・クンバカ」が説かれます。
これは、自然に呼吸がほとんどなくなる状態で、これが真のプラーナヤーマです。
これは、クンダリーの覚醒をもたらし、ラージャ・ヨガの段階に到達すると説かれます。


ムドラーは、10のムドラーを数えますが、実際には13が言及されます。
記載されているそれぞれの結果・目的は、次の通りです。

「マハー・ムドラー」は、アパーナを引き上げてクンダリー覚醒させます。
「マハー・バンダ」は、プラーナを引き下げて3つのヴァーユを合流あせます。
「マハー・ヴェーダ・ムドラー」は、ヴァーユを中央管に入れます。

「ケーチャリー・ムドラー」は、アムリタを飲みます。
「ウディヤーナ・バンダ」は、プラーナが中央管を上昇させます。
「ジャーランダラ・バンダ」は、アムリタをせき止め、イダーとピンガラも止めます。
「ムーラ・バンダ」は、アパーナを引き上げてプラーナと合わせます。
「バンダトラヤ」は、ヴァーユを中央管から頭頂に上昇させます。

「ヴィパリータ・カラニ」は、消化の火(サマーナ)を強化しますが、口伝です。

「ヴァジローリー・ムドラー」は、性ヨガで、精液(ビンドゥ)を吸い戻します。
「サハジョーリー・ムドラー」は、牛糞を焼いて作った灰を水に溶いて体に塗ります。
「アマローリー・ムドラー」は、尿の中間部分を飲みます。
この2つは「ヴァジローリー・ムドラー」と併用するもののようです。

「シャクティ・チャーラナ・ムドラー」は、クンダリーをバストリカーで覚醒させてブラフマランドラへ上昇させます。
クンダリニーは臍下のカンダに眠っています。

「ゴーラクシャ・シャタカ」で語られなかった性ヨガを取り上げているのが一つの特徴です。


「ラージャ・ヨガ」は、「サマディ」、「ラヤ」などと同義です。
意が消え去り、クンダリーはブラフマランドラに収まり、ジーヴァ・アートマンとパラマ・アートマンが合一した状態になります。

具体的な方法は、次の通りです。

「シャーンバヴィー・ムドラー」は、開眼で外界を見ながら、意識は内部のチャクラ(アナハタ・チャクラ?)に集中します。
「ウンマニー・ムドラー」は、鼻頭に現れる光を見ます。

「ケーチャリー・ムドラー」は、虚空のチャクラ(アジュニャー・チャクラ?)に集中しながら、舌を口蓋奥に当ててスシュムナーをふさぎ、アムリタを体中に回して滋養します。
「ケーチャリー」という名前は、「天空を行く者」というシヴァ神の属性から来ています。

「ナーダ・ウパーサ(秘音観想法)」は、チャクラの発する音を聴くヨガですが、開始(アーランバ)、壺(ガタ)、蓄積(パリチャヤ)、完成(ニシュパティ)の4段階があります。

それぞれの段階の内容は下記の通りです。
1、2、4段階ではグランディを破ります。

(段階)    (チャクラ)(グランディ)  (音)
アーランバ :アナーハタ  :ブラフマ :装身具の触れ合うような
ガタ    :ヴィシュダ  :ヴィシュヌ:太鼓のような
パリチャヤ :アージュニャー:     :マルダラ(鼓の一種)のような
ニシュパティ:サハスラーラ :ルドラ  :フルートやヴィーナのような



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イスマーイール・パミール派 [中世インド]

イスラム教シーア派の中でも、より秘教的で、ミトラ教などのイラン系神智学の影響を受けた派は、スーパー・シーア派と呼ばれます。
その中のイスマーイール派のさらにその一派で、暗殺教団としても知られる「ニザーリー派(ニザール派)」は、イラン高原のアラムートなどを拠点にし、そこでは独立政権を樹立していました。
13C半ばに、そこにモンゴル軍が侵入する直前、タジク、パミール地方に脱出し、さらにインドにも入って布教したのが「パミール派」です。


パミール派の大師(指導者)は、ムガル帝国のアクバル大帝の側近にもなりました。


イスマーイール・パミール派に関しては、情報が少ないのですが、イラン、インドの神智学の統合としては興味深いものです。
パルシー(インド・ゾロアスター教)の秘教派と共に、後の、ブラヴァツキーの神智学にも影響を与えているかもしれません。


パミール派の創始者はナーシル・ホスローで、彼は、「2つの智慧の統合の書」を著し、スーパー・シーア派とヒンドゥー教を統合した思想を展開しました。


例えば、パミール派によれば、「イマーム」はヴィシュヌの化身であり、「マフディー」=ミトラは、ヴィシュヌの第10の化身のカルキであると考えました。
実際、「カルキ」は、パミール派がインドに入る前に、イラン系の神智学の影響で生まれた信仰だろうと思われますが。


パミール派は、下記のように、ミトラ教とヒンドゥー教のパンテオン(神々)を対応させました。


・イエッラー・ミール=ブラフマン
・ズルワン     =シヴァ
・ミトラ      =ヴィシュヌ
・ソフィア     =ブラフマー


ソフィアに対応するのはシャクティが適当だと思いますが、ヒンドゥーのトリムルティに合わせているので、ブラフマーとなっています。


マニ教やミトラ教と同様に、パミール派は現地の神々の名前を使うため、表面的にはヒンドゥー教のように見えます。
しかし、パミール派には、グノーシス的神話、7大大師など、西方的な要素もあります。


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シク教(カビールとナーナク) [中世インド]

シク教は、16Cにインドのパンジャーブ地方で、ナーナクを開祖として誕生した宗教です。
その本質は、ヒンドゥー教とイスラム教を、普遍主義的で、神秘主義的な内的体験重視の観点から統合しようとしたものです。


シク教は、イスラム教徒が侵入したインドの西北地域での、ヒンドゥー教との交流の中で誕生しました。
一神教で偶像を否定するイスラム教、多神教的で偶像(地上で活動すること)を肯定するヒンドゥー教は、一見まったく異なります。
シク教は、異質な2つの宗教の、その表面的、儀式的な部分を徹底的に否定します。
そして、神秘主義的な体験をもとに、神の唯一性、内在性を基本とする単純な教義によって両宗教を統合しました。



第二次大戦後、英領からヒンドゥー教のインドと、イスラム教のパキスタンが分離独立した時、シク教のパンジャーブは独立を勝ち取れず、多くのシク教徒が世界に移住しました。
ターバンに象徴されるインド人の姿は、この移住したシク教徒から来ています。


シク教には、大乗仏教と似たところがあります。
大乗仏教は、クシャーナ朝などのイラン系の王朝がインド西北から侵入したことによって、イランの宗教とインド仏教が習合して生まれました。
シク教は、ムガル朝に至るイスラム系王朝がインド西北から侵入したことによって、イスラム教とインド・ヒンドゥー教が習合して生まれました。
両宗教は、習合という点以外にも、カースト制を否定する点、在家主義の点でも似ています。


ですが、新仏教を創出したアンベードカルは、最初、アウトカースト民と共にシク教に改宗しようとして、拒否されたため、新仏教へ至ったといういきさつがあります。



<背景>


シク教のバックボーンには、スーフィズムとバクティ信仰があります。
この2つには神に対する愛を特徴としている点で、似ていますし、バクティ信仰にもスーフィズムの影響があったでしょう。


8Cからイスラムのインド侵入が始まりますが、同時に、スーフィー達が、インド民衆に対して布教を開始しました。
バクティとズィクル(神の名を唱える)を説くというシンプルなものでした。
初期のスーフィーでは、11Cのイスマーイール派のヌールディンが有名です。
そして、12C以降には、各地にスーフィー各派の道場ができました。


13Cからは、奴隷王朝、デリー=スルタン朝などのイスラム王朝が次々生まれることになり、16Cにはムガル帝国によって、インドのイスラム王朝は安定期を迎えます。
ムガル帝国のアクバル大帝は、神秘主義的宗教から強い影響を受け、諸宗教を統合する志向を持っていて、それはディーニ・イラーヒーが記した「神の宗教」に残されています。



シク教の教祖のナーナクの思想は、その先駆をカビールに見ることができます。
さらに、そのカビールは、ラーマーナンダに影響を受けました。


ラーマーナンダは、1400頃、プラヤーガに生まれました。
シュリー・ヴァインシュナヴァ派の教師に教わり、南インドに行ってラーマーヌジャ派に参入したようです。
その後、彼は、バクティを北インドに持ち込み、ヴィシュヌ派バクタとして活動しました。
彼の特徴は、異教徒やアウトカーストも弟子にしたこと、沐浴のような形式的な行為を否定したことです。


カビールは、1440頃、バナーラスに生まれました。
ナート派からイスラム教に改修した親に育てられ、ラーマーナンダの弟子になりました。
そして、在家の宗教詩人として活躍しました。


彼は、はっきりと、イスラム教とヒンドゥー教の統合を目指しました。
その普遍主義的な観点から、両宗教を批判し、両宗教の儀礼を否定し、聖典の不要を訴えました。
あらゆる形式的なもの、寺院も礼拝堂も、沐浴も巡礼も不要だと訴えました。


彼の思想の特徴は、神の唯一性、内在性です。
そして、どのような名でも良いから神の名を唱えること(ズィクル)を説きました。


彼の思想は、直弟子のバグワーン・ダースによる「ビージャク」や、シク教聖典の「アーディ=グラント」に記されています。
シク教は、先駆者としてカビールを大きく評価しています。



<ナーナク>


グル・ナーナク(1469-1538)は、パンジャーブ地方のラホール近くの村に生まれました。
幼い頃からイスラム教とヒンドゥー教の両教に接して育ち、30歳の時に神秘体験によって開眼しました。
その後、インド、ペルシャ、アラビアを回る25年の巡礼に出かけます。
この途中、カビールに会ったという伝説がありますが、確実な証拠はありません。
また、多くのスーフィーと交渉を持ちました。
その後、カタルプールで教えを説き始め、シク教が誕生します。


ナーナクの思想は、カビールとほとんど同じです。
普遍主義と、神秘主義的な内的体験重視の観点から、イスラム教、ヒンドゥー教の統合を目指しました。
そして、人類の同朋性、男女平等を説きました。
また、在家主義という点も、カビールと同じです。


彼の思想は、「ヒンドゥーでもなければ、ムスリムでもなく、唯一の神のみ」という言葉に表れされています。


彼も、儀礼や巡礼のような形式的な行為を否定します。
聖典は否定しませんでしたが、神の代弁者のグルの言葉を信じるようにと訴えました。
そして、心の中に内在する神との合一体験を重視し、神への帰依(バクティ)、神の名を繰り返して唱えるズィクルを説きました。


おそらく輪廻とカルマを信じていましたが、来世の救済は神の御業なので、そのことを考えず、今この世の一瞬一瞬を主体的に生きることを説きました。


シク教に至る神秘主義的なイスラム教とヒンドゥー教の統合は、「カーラチャクラ・タントラ」やイスマーイール・パミール派のような、イラン系神智学とインド神智学を統合した派とは正反対のベクトルを持っています。
民衆に親しみやすいシンプルな教義と実践が特徴で、むしろ、神智学的を不要としています。


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ゾクチェン [中世インド]

「ゾクチェン」は、7C頃に、中央アジア~西北インド~西チベット辺りに存在したシャンシュン王国のウッディヤナで生まれたと考えられる思想です。
シャンシュン王国は、キュンルンを都として、北はコータン、東はギルギット、南はムスタン、東はナムチョに至る国で、ウッディヤナは、今のパキスタンのスワット渓谷と考えられています。
初期の経典は、今は伝わっていないこの国の言語で書かれています。

「ゾクチェン」はチベット語ですが、サンスクリット語は「マハー・サンティ」で、漢訳は「大円満乗」、「究竟乗」です。

シャンシュン王国のある中央アジアは、文明の十字路です。
中世には、西からはゾロアスター教、マニ教などのイラン系宗教とイスラム教が、南からはシヴァ教や仏教が、東・北からはトルコのシャーマニズム、中国禅などの影響を受けました。
そして、その宗教の坩堝の中から、様々な新しい宗教思想を生み出しました。

「ゾクチェン」は、ガラップ・ドルジェ(サンスクリット名は「プラハルシャ・ヴァジュラ」、もしくは、「プラへーヴァジュラ」)が開祖とされていますが、彼は伝説的な存在であり、実際の開祖は、マンジュシュリー・ミトラの可能性が強いようです。

「ゾクチェン」は、チベット仏教ニンマ派とボン教で、最奥義として伝えられており、ゲルグ派のダライ・ラマも重視しています。
この思想は、仏教に属するという見方もできますが、仏教とは異なる独自の思想であるとの見方もできます。
チベット仏教、ボン教の両方に伝わっていることからも分かるように、普遍性の高い思想で、その基礎概念は、仏教の基礎概念と共通する部分と、相違する部分があります。

「ゾクチェン」は、「マハー・ムドラー」と同様に、近年までその存在がほとんど知られていませんでした。
しかし、中国のチベット侵略後に亡命したチベット僧、例えば、アメリカに亡命したタータン・トゥルク、イタリアに亡命したナムカイ・ノルブなどの活動によって知られるようになり、日本にはネパールで伝授を受けた中沢新一によって伝えられました。
その後は、牧野宗永、新井サンポ、箱寺孝彦(ボン教ゾクチェン)らも、ぞれぞれに伝えています。


<ゾクチェンの思想>

「ゾクチェン」の思想の本質は、まず、仏教が「仏性(自性清浄心)」と表現した心の基盤は、本来的に清浄である、ということです。
この心の基盤を、「原初の境地」、「心の本性」、「リクパ(明知)」、「菩提心」などと表現し、これが「初めから清らか」であるとします。

そして、この心の基盤は、智慧や気づきを持っていて、そのため「リクパ(明知)」と表現します。
また、この心の基盤は、常に、汚れることも、隠れることもなく存在していますが、ただ、人にはその自覚がないだけである、と考えます。
そして、その気づきを自覚した状態を「三昧」と呼びます。
ゾクチェンは「原初のヨガ(ウッディヤナ語で、「アティ・ヨガ」)とも呼ばれます。

次に、この「心の本性」は、様々な心を縁によって生み出します。
その現れる心は、たとえ煩悩によって生まれた汚れたものとして現れても、気づきの自覚を持っていれば、すぐにあるがままで清浄なものになる、と説きます。
これを、「自然成就(自己解脱、任運成就)」と言い、「あるがままで完璧」と表現します。

そして、顕教が「放棄の道」、密教が「変容の道」であるのに対して、ゾクチェンは「自己解脱の道」であると考えます。
それゆえに、「無努力」の教えと言われます。

これは、煩悩があっても、煩悩の結果が現れないようにすることができるということです。
そのため、インドのカルマの思想を超えた、そして、「因果の法を超越した」革命的な思想だと言われます。

ゾクチェンでは、心の現れを、「戯れ」とも表現します。
世界創造をシヴァ神の「戯れ」と表現するカシミール・シヴァ派の影響があるかもしれませんが、ゾクチェンは無神論です。

ゾクチェンは、この気づきの自覚がある清浄な心の状態に、常に留まることを目指します。

その結果、最終的に得られる身体は、仏の三身に「虹の身体」がプラスされます。
「虹の身体」は、カルマのない、根源的な元素のエレメントである光の次元の身体で、「報身」よりも活動的で、他者と直接的に接触して救済することができる存在です。


<ゾクチェンの歴史>

ゾクチェンの相承の系譜の最初の3人は、
 原初仏サマンタバトラ(チベット語で「クンツサンポ」)→金剛薩埵→ガラップ・ドルジェ
です。
サマンタバトラは、青い肌の裸の姿で、坐った合体尊の形で描かれます。
ガラップ・ドルジェは、最初の生身の人間で、処女懐胎でウッディヤナに生まれたとされています。
ですが、この3人は、法身→報身→变化身の象徴であり、ガラップ・ドルジェは実在しない人物と考えられています。

その後の系譜は
 マジュシュリーミトラ→シュリー・センハ
です。

マンジュシュリー・ミトラは、7C頃セイロン生まれで、彼が実在するゾクチェンの開祖と考えられていて、「石を精錬した金」を著しました。
次のシュリー・センハは、中国系で、「リクパのカッコウ」、「偉大な匠」、「金翅鳥」、「沈むことのない勝利の幟」を著したと考えられています。

ゾクチェンの思想は、禅に似ていて「菩提心」の概念を重視する「セムデ(心部)」、後期密教の影響を受けた「ロンデ(界部)」、心の現れをより重視して光として体験する「メンガキデ(秘訣部)」という3種類の体系、3段階で発展してきました。
「メンガキデ」の奥義段階は「ニンティク(心滴)」と呼ばれます。

マンジュシュリー・ミトラは、この3部の分類をしたとされますが、彼の思想の中心は「セムデ」であり、シュリー・センハの思想の中心は「ロンデ」であると見られています。

その後、8C頃に、インド人のヴィマナミトラと、ウッディヤナ人のパドマサンバヴァによって、「ニンティク」がチベットに伝えられ、中央チベットで発展しました。
同時に、チベット人のヴァイローチャナによって、「セムデ」、「ロンデ」が伝えられ、東チベットで発展しました。

パドマサンバヴァの「ニンティク」には、グノーシス主義のバシレイデス派の影響があると言う学者もいます。
また、彼の弟子のゾクチェンの相承者の系譜には、無住の保唐宗などの中国禅の相承者の系譜に重なる師もいました。

その後、14C頃に、チベットのロンチェン・ラプジャン(ロンチェンパ)によって、様々な流れが統合され、体系化されました。
彼の主著である「四部からなるニンティク(ニンティク・ヤン・ラー・シ)」は、別々に伝えられ、あるいは、創造されてきた4種の「ニンティク」をまとめ、さらに、彼自身が創造した「カンドゥ・ヤンティク」を加えて説いています。


<ゾクチェンの神智学>

ゾクチェンの思想については、上に簡潔に述べました。
また、姉妹サイトでもかつて書きました。


ここでは、神智学的側面を書きます。

ゾクチェンは、意識と存在の基盤である「心の本性」、仏教用語で言えば「法界」、本サイトの表現で言えば「原初神の階層」を、次の3段階で考えます。

・本体:空    :何も存在しない未発の母体の状態(静的次元)
・自性:光明   :存在を創造する力(核的次元)
・慈悲:エネルギー:存在が生まれ続いている状態(動的次元)

この3つ「本体/自性/慈悲」は、「青空/太陽/太陽光」とか、「鏡/鏡の反射力/鏡に映る映像」と比喩されます。
そして、それぞれは、「初めから清らか」、「あるがままで完璧」、「無碍・遍満」と表現されます。

根源存在を、ヒンドゥー・タントラでは「シヴァ/シャクティ」、密教では「智慧(仏母)/方便(仏)」の2元論で考えます。
ですから、ゾクチェンの3元論はインド的伝統ではなく、イラン系のズルワン主義的な3元論の伝統上にあるのかもしれません。

・本体:青空 :鏡  :両性具有のズルワン
・自性:太陽 :反射力:父ズルワン or ミトラ
・慈悲:太陽光:映像 :アナ―ヒター

ゾクチェンの「空」の見解は、鏡のような「心の本性」の「本体」が、縁によって、心を現し続ける、というものです。
現れは、あくまでも、目の前に何かが現れてそれが目に映るといった、副次的な要因によって生まれます。
これは、中観派から後期密教、マハー・ムドラーに至る「空」の見解とは異なります。

途絶えなく遍満して現れる「慈悲」の「エネルギー」のあり方は、「イェシェ(原初の智慧)」とも呼ばれます。

ゾクチェンは、心身の止滅を目的とせず、自然な創造を肯定するので、インド・仏教的思想としては、現世肯定的側面が強いのが特長です。

心の現れの「エネルギー」は、3つのあり方で現れます。

・ダン :無形な、音、光、光線としての現れ
・ロルパ:内的なイメージとしての、元素のエッセンスとしての光の現れ
・ツェル:外部に投影された主客2元的な、煩悩性の現れ

です。

「ツァル」の現れは、煩悩によって生まれたものなので、「リクパ(明知)」をもって体験することで、それを解放する必要があります。


<ゾクチェンの瞑想法>

先に書いたように、ゾクチェンでは「リクパ(明知)」の自覚を保った状態を「三昧」と呼びますが、ゾクチェンの修行は、次の4段階で構成されます。

1 三昧に入る
2 三昧に対して疑いをなくす
3 三昧を持続する(テクチュー=突破する)
4 三昧を深める(トゥゲル、トゥカル=跳躍する)

「三昧の疑いをなくす」というのは、気づきを増して、体験をよりはっきりと理解するというものです。

「三昧を維持する」というのは、単に時間的に維持するのではなく、あらゆる体験においても気づきを保つことで、「三昧に体験を統合する」と表現されます。
つまり、思考が生まれても、同じ気づきのある状態を維持するのです。

「三昧を深める」というのは、カルマなしに自然に現れるエネルギー、根源的な元素のエレメントである光の次元に意識と体を転移するというものです。

分析的で、禅に近い止観を行う「セムデ」は、1から始め3に至ります。
ハタ・ヨガ・後期密教的で、象徴を重視する「ロンデ」は、2から始めて4に至ります。
直接的な伝授(直指)を行う「メンガキデ」は、3から始めて4に至ります。

「セムデ」では、心を対象にしたシンプルな「止観」の方法で、現れのない心、心の現れを観察しながら、気づきを維持します。
そして、様々な行動をたり、様々な言葉を話したり、様々に思考をしながら、それを維持できるようにします。

「ロンデ」では、後期密教の究竟次第を行いながら、気づきを維持できるようにします。

「メンガキデ」では、三昧を持続する瞑想は「テクチュー」と呼ばれます。
様々な姿勢、様々な視線、様々な体験をしながら、気づきを維持できるようにします。

三昧を深める瞑想は、「トゥゲル」と呼ばれ、「虹の身体」を得ることを目指します。
ハタ・ヨガのような、特殊な体位、呼吸、視線、気の操作などを駆使します。
青空や、太陽の近くや、何もない空間を凝視したり、何日も暗闇の部屋に籠って暗闇を凝視したりして、瞑想を行います。
そして、視覚神経と胸や眉間のチャクラを結ぶ脈管などを刺激して、光の微粒子を放出して、光の顕現の4段階を順次体験していきます。

光の顕現の4段階は、「法性の顕現」→「顕現の増大」→「顕現の完成」→「顕現の消滅」と呼ばれます。
この光の顕現は、「心の本性」と呼ばれる母体からの、カルマが完全になくなった現れであるとされます。
そして、日常的な心の様々な顕現を、その光の顕現一体化することで、心の様々な顕現をより完全に開放したものにします。

詳細は、姉妹サイトの下記をご参照ください。



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タミルの18人のシッダの伝統 [中世インド]

南インドのタミル地方で、「18人のシッダ(パッティネットゥ・シッダ)」と呼ばれる伝統的な思想潮流があります。
シヴァ神を信仰するので、シヴァ教の一派、特に「聖典シヴァ派」とも言えますが、ヨガ、医学(シッダ医学、シッダ・ヴィディヤー)、錬金術、哲学、占星術などが複合した独特の伝統です。

パラマハンサ・ヨガナンダ(ビートルズやスティーブ・ジョブズが傾倒していたことでも知られる)に代表される「ババジ」の信仰や「クリヤー・ヨガ」も、この潮流から生まれました。
ですが、南インドのタミル語の思想は、近・現代的な研究が、まだほとんどなされていないため、明確なことが分かりません。

「18人のシッダ」の伝統は、海に沈んだ古代大陸クマリ・ナドゥに発するという伝説(1Cのタミルの叙事詩「シラッパディハーラム」に記載)があります。
この教えは、シヴァ神がナンディやアガスティヤルに伝えたのが最初とされます。

「シッダ」とは、悉地(神通力、超能力)を獲得した成就者(解脱者)です。
「18人のシッダ」の伝統では、「八大悉地(八大成就)」と共に、「カーヤカルパ(身体成就)」と呼ばれる「不死の身体」を伴う解脱「ソルバ・ムクティ」を目指します。

そのための方法は、錬金薬、呼吸法や、チャクラへの集中、クンダリニー・ヨガなどのヨガです。
ちなみに、「18人のシッダ」の伝統として現代に伝えられている「クリヤー・ヨガ」は、動きのあるハタ・ヨガ(ヴィンヤサ・ヨガ)、マントラ・ヨガ、バクティ・ヨガ、クンダリニー・ヨガ、ディヤーナ・ヨガ(観想法)などの総合ヨガです。


<18人のシッダ>

18人のシッダの名前は、必ずしも定説となっておらず、場合によっては、18人以上が挙げられることもあります。
多くは、実在性に関しても良く分からない、伝説的な存在です。

まず、実在すれば、3-5C頃の人物を思われる、初期の重要な4名のシッダを紹介します。

ナンディ・デーヴァルは、シヴァの第一の弟子であり、カイラス山の守護者であり、一千万年の苦行をして、シヴァの乗り物である「雄牛」になったとされます。

ティルムラルは、カイラス出身の人物で、ナンディを師とします。
最古の医学的な詩の文献「ティルマンティラム」を著し、ここでは、10のヴァーユ(プラーナ)、10のナーディ、胎生学などを記しています。
彼は、「身体は神の歩く神殿」であり、「神体を傷つけると魂も傷つける」と書いています。

「タミルの守護聖人」であるアガスティヤルは、「タミルのヒポクラテス」とも呼ばれる医学の大成者で、彼に帰される342の医学書があるとされます。
また、タミル語の文法論を定式化したとされます。
「リグ・ヴェーダ」にもミトラの息子のアガスティアという聖仙が記載されており、時代は違いますが、彼は同一人物とされます。

ボーガル(ボーガナタル)は、タミル生まれで、錬金術に熟達し、合成薬の製造法を記した「ボーガル・サラック・ヴァイプ」、身体の保護と霊薬を記した「ボーガル・カルパム」、呼吸法を記した「ボーガル・ヴァシヨーガム」など著しました。
中国に赴いて老子になったとも言われています。
アガスティアを師とします。

その他のシッダも紹介します。

通常、18人に入れられないのですが、ババジ・ナガラジは、3Cにタミルに生まれた人物とされますが、伝説的なシッダで、様々な時代に様々な場所に現れ教えを説いたとも言われます。
父はシヴァ寺院の僧侶でしたが、ババジは子供の頃にさらわれて奴隷として売られ、その後、サンニャーシン(サドゥー、遊行の修行者)に加わり、スリランカのボーガルの寺院で彼に出会います。
ボーガルに指導を受けた後、アガスティヤルに呼吸法を習うように言われ、タミルでアガスティヤルの指導を受け、不死の解脱(ソルバ・サマディ)を獲ました。
その後は、時代を越えて姿を現して、シャンカラ、カビール、ラヒリ・マハサヤ(パラマハンサ・ヨガナンダの師の師)、ヨーギ・ラマイアなどに指導を行ったとされます。

また、「ヨガ・スートラ」を著したパタンジャリも、「18人のシッダ」に入れられ、ナンディの弟子とされます。
「ヨガ・スートラ」と「18人のシッダの伝統」の思想は明らかに異なりますが、有名人物ということで、入れられているのでしょう。

ハタ・ヨガの創始者のゴーラクナート(ゴーラクシュ・ナータ)の名も見られますが、同じ人物かどうかも含めて、良く分かりません。


<錬金術とシッダ医学>

「18人のシッダ」の伝統の身体観・自然観は、粗大・微細な五大元素をベースにした、マクロコスモスとミクロコスモスの照応です。
それらは、錬金術や占星術、医学でにおいても見られます。

南インドの錬金術(ラサ・シャーストラ)は、アラビアや中国の錬金術の影響を受けながら、8Cに最盛期を向かえました。
水銀を「シヴァ神の精子」、硫黄を「パールヴァティの卵子」、丹砂(硫化第二水銀)を2人の合体であると考えました。
また、水銀を精錬した金属灰(バスマ)はマントラと同じであるとしました。

一方、北インドの伝統医学アーユル・ヴェーダに対して、南インドの伝統医学は、「シッダ医学(シッダ・ヴィディヤー)」と呼ばれます。
もちろん、薬草は重視されますが、錬金術を重視し、解脱への行法と一体で、不死の身体の獲得を目指すものであるため、より秘教的性質が高いと言えます。

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シャクティ教シュリー・クラ派の儀礼と行法 [中世インド]

シュリー・クラ派(シュリー・ヴィディヤー派)の宇宙論に続いて、このページでは同派の儀礼と行法を紹介します。

シュリー・クラ派は、シャクティ教(ヒンドゥー教シャクティ派)の中でもタントラ色の濃さで代表的な宗派です。
カシミールのシヴァ派文献は、「シャイヴァ・シッダーンタ」と呼ばれるものが顕教、「バイラヴァーガマ」と呼ばれるものが密教という側面があり、シュリー・クラ派は後者に属します。

タントラ派はどの派でも、外的儀礼を内的儀礼化します。
つまり、神を招いて供養する儀礼は、神に一体化する成就法とします。

神を招くことは、観想として行なわれます。
飲食物の供養は、マントラとムドラーを捧げることとなります。
こうして三密によって一体化します。
具体的には、多くの場合、「ニヤーサ」と呼ばれる、マントラをヤントラや神像などに布置していく作業が中心となります。

同時に、プラーナをコントロールするヨガをそこに付け加えます。
儀式において使われる「火」は下部のチャクラから上昇する「クンダリニー」、「水」は頭部のチャクラから下降する「アムリタ」に対応させて実践します。


以下、シュリー・クラ派の内的儀礼=成就法について紹介します。

<アルグヤ儀礼の内的儀礼化>

甘露を象徴する女神(アムリテーシー)とその忿怒の配偶神(アーナンダヴァイラヴァ)に、水を献供する儀礼を、内面化した成就法です。

器に入った水は、ヤントラ(この派ではマンダラという言葉も使われます)の中心に置かれます。
ヤントラは、上向き、下向きの三角形の組み合わせで作られ、その回りが円、その回りが四角形で囲まれています。
ヤントラの外側から内側に向かって、四角→三角→中心の器→水、とマントラ(ヴィディヤー)を順にニヤーサ(配置)します。

この外から内に向か4段階は、内面化されて、体の中で中央管を上昇する4段階に対応させます。
具体的には、中央管の外の6肢→ムーラダーラ・チャクラ→アナハタ・チャクラ→アジニャー(ヴィシュダ)・チャクラ、です。
3つのチャクラは、火(クンダリニー)、太陽、月(アムリタ)という3つの輝きに対応します。

1 外の四角:6肢(頭、髭、心臓、眼、鎧、武器)
2 三角  :ムーラダーラ:火 :クンダリニー
3 中心の器:アナハタ  :太陽
4 中心の水:アジニャー :月 :アムリタ

各チャクラにマントラを置くだけなら、中期密教の五字厳身観に近い行法ですが、プラーナのコントロールを行なって、クンダリニー・ヨガを伴わせることも行えば、後期密教の行法に近いものになります。


<プラーナーヤーマの内的儀礼化>

呼吸法にビンドゥ・ヨガを組み合わせた行法です。

次のようにプラーナをコントロールして、呼吸を行います。

1 マントラ念誦を行いならが、左鼻から息を吸い、イダー管にプラーナを入れる。
2 プラーナを中央管に入れて保持する。
3 プラーナをピンガラ管に出して、右鼻から息を吐く。

同時に、3つのチャクラに、下記3根本マントラを、赤く光らせながら観想します。

・ブラフマランドラ   :月 :サウフ
・フリダヤ・チャクラ  :太陽:クリム
・ムーラダーラ・チャクラ:火 :アイム


<クンダリニー・ヨガ>

クンダリニー・ヨガでは、ムーラダーラからクンダリニーを上昇させ、眉間でアムリタを垂らします。 
ですが、シュリー・ヴィディヤー派では、下記のように3つのチャクラに3種類のクンダリニーが眠ると考えます。
ムーラダーラ・チャクラに眠るクンダリニーは「クラクンダリニー」と呼ばれ、アジニャー・チャクラにあるものは「アクラクンダリニー」と呼ばれます。
「クンダリニー」という概念が、プラーナの凝縮したエネルギー、あるいは、溶解液として、広義に使われているのでしょう。

・アジニャー・チャクラ :月のアクラクンダリニー:シヴァ、アムリタ
・フリダヤ・チャクラ  :太陽のクンダリニー
・ムーラダーラ・チャクラ:火のクラクンダリニー :シャクティ


<プラーナーヤーマ的クンダリニー・ヨガ>

シュリー・ヴィディヤー派では、マントラとクンダリニーが、同一視できる存在と考えられています。
シュリー・ヴィディヤーのマントラの念誦を、中央管内のエネルギーの集中に対応させます。

具体的には、上記の3つのチャクラにある3つのクンダリニー・エネルギーと、3部分に分けられたマントラを対応させます。
そして、下から順に、3部分のマントラを唱えながら、音とエネルギーを、中央管の3チャクラに集中して満たします。
この時、クンダリニーを上昇させるのではないようですが、上昇のベクトルを持って、3部分へ順に集中させるようです。


<チャクラ・プージャーの内的儀礼化>

ヤントラを使った「チャクラ・プージャー」という瞑想法を紹介します。
12Cの聖典『ヨーギニーダヤ』を元に、その概要を説明します。

この瞑想法は、女神を招き・供養する日常的な儀礼を、内面的に解釈して解脱を目的とする修行的な瞑想法にしたものです。

「チャクラ・プージャー」で使われるのは「シュリー・チャクラ(シュリー・ヤントラ)」というヤントラです。
「シュリー・チャクラ」は、同心円状に9の部分(=チャクラ)から成ります。
これは宇宙論的な階層でもあり、そこに勧請する(それぞれに対応する)神格も階層的です。
上向きの三角はシヴァ、帰滅を、下向きの三角はシャクティ、創造を象徴します。

瞑想では、最高女神「トリプラスンダリー」とその他の女神たちなどを、外から順に観想します。
階層の低い女神から、根源である最高女神(シャクティ、プラクリティ)へと帰滅することが解脱となります。

9のチャクラは、外から、3重線、16弁の蓮華、8弁の蓮華、14個の三角形、10個の三角形、10個の三角形、8個の三角形、中央の三角形、中央の点から成ります。
花弁や三角形には、それぞれに女神たちなどが勧請(観想)されます。

観想される神などは、1人の「主宰女神」と、複数の「従属女神」と、その他の3つに分けられます。

1 3重線   :主宰女神、8母神(従属女神)、10のシッディ女神
2 16弁の蓮華 :主宰女神、16人の従属女神
3 8弁の蓮華 :主宰女神、8人の従属女神
4 14個の三角形:主宰女神、14人の従属女神
5 10個の三角形:主宰女神、10人の従属女神
6 10個の三角形:主宰女神、10人の従属女神
7 8個の三角形 :主宰女神、8人の守護女神(従属女神)、9人の師
8 中央の三角形:主宰女神、3人の聖地の女神(従属女神)、4つの武器
9 中央の点  :最高女神

「主宰女神」はマントラとムドラーで供養し、「従属女神」はマントラだけで供養します。
マントラとムドラーは各女神に固有のものです。
9つのチャクラで観想・供養される「主宰女神」は、それぞれ別の女神ですが、すべて「トリプラ」で始まる名前なので、実際は最高女神「トリプラスンダリー」の化身です。


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シャクティ教シュリー・クラ派の宇宙論 [中世インド]

「シュリー・クラ派」は、シャクティ教(ヒンドゥー教シャクティ派)の中で、最も古くその思想を体系化した派で、「シュリー・ヴィディヤー派」とも呼ばれます。
ハタ・ヨガ系経典とされる「シヴァ・サンヒター」はこの派に属します。
このページでは、同派の宇宙論を紹介します。

シュリー・クラ派は、「シャクティ」から展開した次の4側面のそれぞれが照応すると考えます。

・「対象からなるもの」  :36原理から展開されたマクロコスモス(世界)
・「語からなるもの」   :「最高の語」からの次の4段階で展開された言葉
・「チャクラからなるもの」:シュリー・チャクラなどのヤントラ
・「身体からなるもの」  :チャクラ、クンダリニーからなる人間の身体 
 
「語からなるもの」は、「最高の語」<「世界の青写真」<「展開中の不分明な世界」<「分節化された世界」という言語の4階層からなります。
ヴェーダーンタ哲学のバルトリハリの言語神秘主義哲学の影響を感じます。

この派の宇宙創造論として、2種類を紹介します。
まず、おそらく古いと思われるもの(下記表B)です。

最初に、ア字で象徴される「シヴァ」と、ハ字で象徴される「シャクティ」がいます。
次に、質料である「ビンドゥ」、音・言葉である「ナーダ」の2つ(この2つは一体で「複合ビンドゥ」とも呼ばれます)、そして、「白い男性の心滴」、「赤い女性の心滴」が生まれます。
この4者が合体して、「カーマ・カラー」という愛の力が生まれます。
これが、主神の「トリプラスンダリー」、あるいは「ラリター」です。

この女神は、「シヴァ」と「シャクティ」の合体であり、個性を持った存在で、「個我」はこの女神から生まれ、実体として展開されます。

次に、より精密な、36原理の展開による宇宙創造論(下記表A)です。
これは、基本的にカシミール・シヴァ派の宇宙論と同じです。
タントラの他派と同様に、サーンキヤ哲学の25原理の上に、有神論的な原理を置くものです。

まず、「シヴァ」と「シャクティ」の一体の存在があります。
そこから、「永遠のシヴァ」、「限定されない能力」、「限定されない知」の3原理が生まれます。
次に、「物質創造原理(マーヤー)」、「限定された能力(カラー)」、「限定された知(ヴィディヤー)」の3原理が生まれます。
次に、「特定の対象に対する執着(ラーガ)」、「時間(カーラ)」、「特定の業の影響を被る被限定者性(ニヤティ)」の3原理が生まれます。

以上で11原理です。
次の展開は、ほぼサーンキヤ25原理と同じです。



宇宙論の階層A 宇宙論の階層B
シヴァ/シャクティ シヴァ/シャクティ
永遠のシヴァ
限定されない能力
限定されない知
ビンドゥ
ナーダ
マーヤー
カラー
ヴィディヤー
白い男性の心滴
赤い女性の心滴
ラーガ
カーラ
ニヤティ
トリプラスンダリー
(カーマカラー)
サーンキヤ哲学25原理 サーンキヤ哲学25原理



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シヴァ教カシミール派 [中世インド]

8-9Cのヴァスグプタによる「シヴァ・スートラ」に始まるのがシヴァ教の「カシミール・シヴァ派」です。
カシミールは、古来シヴァ信仰が盛んな地です。

カシミール派には、さらに次の2つの分派があります。
「振動派(スパンダ・シャーストラ)」は、上述したヴァスグプタの流れを組む派で、シヴァは自らの意志だけで創造を行うとします。
「再認識派(プラトヤビジュニャーナ・シャーストラ)」は、「シヴァ・ドリシュティ」を著したソーマーナンダに始まる分派で、アビナヴァグプタを代表的な思想家とします。

カシミール派の思想は以下の通りです。

カシミール派は、本来二元論的なシヴァ派の伝統的な聖典の「アーガマ」を、シャンカラの影響を受けて一元論的に解釈します。

「最高シヴァ」が、自由意志で「創造」、「維持」「帰滅」、「隠蔽」、「恩寵」という5つの働きを行うとしますが、これは「シャイヴァ・シッダーンタ」と同じです。

また、「最高シヴァ」と「個我」の同一性の知識が解脱であり、それがないことが束縛であること、「最高シヴァ」が、「個我」を救うために世界を創造し、「汚れ(マラ)」が弱まった時点で、グルの姿となったシヴァの恩寵によって儀礼(解脱を与えるディークシャー)を行なって取り除くとします。

カシミール派も「恩寵」を重視しますが、「無知」も含めて、その除去(宇宙創造)の全体は、「最高シヴァ」の「遊戯」であるとも表現されます。

カシミール派は、一元論的な「最高シヴァ」から、「パティ(主)」=シヴァ、「パシュ(家畜・獣)」=個我と現象世界、「パーシャ(縄)」=6つの覆い、という3実体、細かくは36原理を、実体として展開します。

カシミール派の宇宙創造論は、有神論的な原理をサーンキヤ哲学の25原理の上に置くという点で、ヴィシュヌ教の「パーンチャラート派」と同じです。

まず、「最高シヴァ」は、まず、純粋観察者で、静的で、光輝である「シヴァ」と、自己反省を本質して、動的で、世界を生む「シャクティ」が一体なる状態に展開します。

次に、そこから「永遠のシヴァ(死体が象徴)」、「主宰神」、「清浄な知」という3原理を生み出します。
ここまでは「パティ(主)」の段階で、「清浄な道」と呼ばれます。

次に、「6つの覆い(カンチュカ)」と呼ばれる、原物質の「マーヤー」と「5つのパーシャ」を生み出します。
「5つのパーシャ」は、「ニヤティ(被限定者)」、「カーラ(時間)」、「カーマ(執着)」、「ヴィディヤー(限定された知)」、「カラー(限定された能力)」です。

この「6つの覆い」=、「パーシャ(縄)」が、以下に展開される「パシュ(家畜・獣)」=サーンキヤ哲学の「25原理」を制限します。
ですから、「プルシャ」も、純粋な観察者ではなく、制限された行為の主体でしかありません。


実践においては、ヨガは「内的供養」、儀式は「外的供養」と表現されますが、前者が後者の前提となります。
「内的供養」は、マントラを身体に置いていく「ニヤーサ」による自己神化を本質とします。
マントラはエネルギーの人格化であり、神格そのものであると考えます。

「内的供養」では、観想とマントラを唱えながら、指先で自分の身体の各部分に、対応する神のマントラを置いていきます。
足先から順番に、36原理を上昇していくのです。

上昇による自己神化で終わらず、その後に下降がありますが、これの過程は、「清い原理の創造」と呼ばれます。

救済のプロセスは、まず、シヴァの自由意志による「恩寵の降下(シャクティパータ)」があります。
これによって、シヴァへのバクティ(信愛)の念が起こります。
そして、「ディークシャー(儀式)」を受けたいという気持ちが生じます。
そして、「清浄な知」がシヴァの恩寵の光として体験され、自身がシヴァであることを思い出して(再認識)、解脱に至ります。

この「再認識」は、「恋にこがれる美人」に喩えられます。



宇宙論の階層
主:最高シヴァ/シャクティ
主:永遠のシヴァ/主宰神/清浄な知
縄:マーヤー/5つのパーシャ
獣:サーンキヤ哲学25原理


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