「ゲーランダ・サンヒター」(ヴィシュヌ教のガタ・ヨガ) [中世インド]
「ゲーランダ・サンヒター」は、ヴィシュヌ教サハジャ派の経典です。
一般に、ヴィシュヌ教の文献は、「ハタ・ヨガ」という言葉は使わず、「ガタ・ヨガ」という言葉を使います。
*「ハタ・ヨガ」を理解する前提としての「タントラの身体論」もご覧ください。
*ナータ派のハタ・ヨガについては、「ハタ・ヨガ・プラディーピカー(ナータ派のハタ・ヨガ)」をご覧ください。
*シャクティ教のハタ・ヨガについては、「シヴァ・サンヒター(シャクティ教のクリヤ・ヨガ)」をご覧ください。
<ゲーランダ・サンヒター>
シャットカルマ(浄化法)は、6つを言及します。
中でも、「シッダ・アーサナ」は、眉間を凝視しながら行い、解脱が得られるとします。
また、「ブジャンガ・アーサナ」はクンダリーを目覚めさせます。
ムドラーは、21を言及します。
これは「シャクティチャーラニー・ムドラー」を行った後にすべきとされます。
両目・耳・鼻口を手でふさぎ、プラーナとアパーナを結びつけ、6つのチャクラを順に念じ、クンダリーをサハスラーラに上昇させ、シヴァ神とシャクティ女神の合一を観想します。
詳細は語られませんが、「ゴーラクシャ・シャタカ」に書かれた方法と同様な方法でしょう。
特定の部位に種字を観想し、唱えながら、5元素に集中するのでしょう。
ただ、それぞれどの部位に集中するのかは、心臓と臍下しか書いてません。
・地 :パールティヴィー:ラ :ブラフマー :心臓
・水 :アーンパシー :ヴァ:ヴィシュヌ :喉?
・火 :アーグネーイー :ラ :ルドラ :臍下
・風 :ヴァーヤヴィー :ヤ :イーシュヴァラ:眉間?
・虚空:アーカーシー :ハ :サダーシヴァ :頭頂?
プラティヤーハーラは、外界から心を引き離してアートマンのコントロール化に置くといった、簡単な説明がされるのみです。
プラーナヤーマは、クンバカの8種に言及します。
最初の6つは、「ハタ・ヨガ・プラディーピカー」と同じです。
これは、気楽にクンバカを行って、意識を眉間に置き、すべての対象を捨てて、アートマンに意識を結びつけて、恍惚・歓喜の状態になります。
ディヤーナでは、「粗大なディヤーナ」、「光のディヤーナ」、「微細なディヤーナ」という3段階のディヤーナが説かれます。
複雑な観想ですが、単純に言えば、島の上にいる守護神と、頭頂の蓮の上にいるシヴァ神の観想です。
具体的には、ムーラダーラ・チャクラにクンダリニーを炎として観相し、そこにブラフマの輝きを見ます。
あるいは、眉間に意識の輝きを観想して、それと一つになります。
具体的には、眉間の集中するシャンバヴィー・ムドラーによって、アートマンと一体になって、クンダリーを覚醒させて、頭頂、あるいは、頭頂から外に上昇します。
サマディーは、真我とブラフマとの合一であり、サット・チット・アーナンダ(存在・心・歓喜)であり、自由であると説かれます。
そして、そのための6つの方法が言及されます。
アムリタを飲むのでしょう。
「シヴァ・サンヒター」(シャクティ教のクリヤ・ヨガ) [中世インド]
「シヴァ・サンヒター」は、シャクティ教シュリー・クラ派の経典であると推測されます。
この経典は「ハタ・ヨガ」という言葉は使いません。
一般に、シヴァ教、シャクティ教では「クリヤ・ヨガ」という言葉が良く使われます。
*ナータ派のハタ・ヨガについては、「ハタ・ヨガ・プラディーピカー(ナータ派のハタ・ヨガ)」をご覧ください。
*ヴィシュヌ教のハタ・ヨガについては、「ゲーランダ・サンヒター(ヴィシュヌ教のガタ・ヨガ)」をご覧ください。
<シヴァ・サンヒター>
そして、観想やマントラを使うヨガを「シャクティの道」と呼び、優れた人のための道であるとします。
また、アーサナやプラーナヤーマ、ムドラーなどの体を使うヨガを「アヌの道」と呼び、一般の人のための道であるとします。
「シヴァ・サンヒター」は、ベーシックには、アーサナ、プラーナヤーマ、ムドラーの3つを語りますが、プラーナヤーマの段階として、プラティヤーハーラ、ダラーナ、サマディが存在します。
また、補遺で、実践者の種別で、「マントラ・ヨガ」、「ラヤ・ヨガ」、「ハタ・ヨガ」、「ラージャ・ヨガ」、「ラージャ・アディ・ラージャ・ヨガ(出家のヨガ)」、「マントラ・サーダナ(在家のヨガ)」を説きます。
「シヴァ・サンヒター」は、最初の章で、この世界は、唯一なる智が顕現したものであると説かれます。
そして、イーシュヴァラ(シヴァ神)が説くこのヨガ経典が最高の見解なのだと。
そして、シヴァである精子とシャクティである経血の結合から5大元素が生まれ、カルマによってジーヴァ(個我)が身体の中に住するのようになったが、カルマが尽きればシヴァに帰入すると説きます。
次の章では、人間の肉体がミクロコスモスであると説きます。
そして、スシュムナーの中心にはチトラー管(チトラー女神)があり、そこにブラフマ・ランドラが輝きます。
また、アーダーラ・パドマ(ムーラーダーラ・チャクラ)のヨーニの中に宇宙創造者のクンダリーがいて、スシュムナーの入り口をふさいでいます。
「シヴァ・サンヒター」はチャクラを「蓮華(パドマ)」と呼び、6つを数え、サハスラーラは別扱いにします。
そして、イダーとピンガラは、スシュムナーを螺旋状に巻いています。
また、腹には火の神のアグニがいます。
次の実践の章では、最初に、プラーナヤーマが説かれます。
プラーナヤーマは、「ハタ・ヨガ・プラプラディーピカー」でも説かれた、開始(アーランバ)、壺(ガタ)、蓄積(パリチャヤ)、完成(ニシュパティ)の4段階となっていて、サマディ段階まで至ります。
これを「ヴァーユ・シッダイェ(風の成就法)」と表現します。
・アーランバ :プラーナヤーマ :スカ・プールヴァカ
・ガタ :プラティヤーハーラ:ケーヴァラ・クンバカ
・パリチャヤ :ダラーナ :パンチャ・ダラーナ
・ニシュパティ:サマディ :ケーチャリー・ムドラー
→ピンガラから吸息→クンバカ→イダーから呼息→
「パンチャ・ダラーナ」の具体的な方法は語られませんが、「ゴーラクシャ・シャタカ」に書かれた方法と同様な方法でしょう。
ただ、会陰から眉間までの6つのパドマで、2時間づつ集中するように説きます。
「ゴーラクシャ・シャタカ」とは、部位が異なりますし、元素が5つ、パドマが6つなので合いません。
アーサナは、シッダ、パドマ、ウグラ、スヴァスティカの4種が言及されます。
明言はされませんが、それぞれは上記の4段階と関係付けられているのでしょう。
次のムドラーの章では、10のムドラーを数えますが、実際には、13が言及されます。
そのためか、最初に、「ヨーニ・ムドラー」を10のムドラーと別扱いで詳細に語り、これが本経典が核とするムドラーであると打ち出しているのでしょう。
そして、10ムドラーは、「ヨーニ・ムドラー」の部分的、補足的名4ムドラーという位置づけにしたのでしょう。
「マハー・バンダ」は、プラーナとアパーナを合流させ、風を中央管に入れます。
「マハー・ヴェーダ」は、風が中央管を上昇し、クンダリーが頭上まで至ります。
「ジャーランダラ・ムドラー」は、アムリタが滴り落ちるのを防ぎ、臍下の火がそれを消費しないようにします。
「ムーラ・バンダ」は、アパーナを引き上げて、プラーナと合一させます。
「ウディヤーナ・バンダ」は、腹の火を点火し、アムリタが増加します。
ビンドゥは月から作られ、ラジャスは太陽から作られるとします。
また、出した精液を吸い戻すのが「アマローリー・ムドラー」です。
それをヨーニ・ムドラーで結ぶことが「サハジョーリー・ムドラー」です。
最後の章は補遺ですが、4種のヨガと、出家のヨガ、在家のヨガを説きます。
サハスラーラ・パドマは別扱いです。
そして、スシュムナーはメール山を登ります。
頭頂のアムリタの源である「ナーダ・パドマ」は、聖地のマーナサ湖に当たります。
ここには、カンダがあり、その中にヨーニとチャンドラと最高女神トリプラー女神がいます。
額の「シャクティ・パドマ」は、聖地のプラヤーガ(ガンガー、サラスワティー、ヤムナーの三川の合流点)に当たります。
ここは、梵孔(アーダーラ)とも呼ばれ、、チトラー女神(トリプラー女神の最微細相)がいます。
「出家のヨガ」は、「ラージャ・アディ・ラージャ・ヨガ(ラージャ・ヨガを超えるラージャ・ヨガ)」と表現されます。
すると、自らを照らす光(シヴァの恩寵の光)が輝き、一なる智が得られます。
「在家のヨガ」では、「マントラ・サーダナ」と「火の作法(護摩行)」が説かれます。
1 会陰 :アイン(サラスヴァティーの種字)
2 心臓 :クリーン(カーマの種字)
3 眉間 :フリーン(シャクティの種字)
4 頭頂 :スヴァーハー
つまり、外的儀礼における火壇の炎を、内的儀礼におけるクンダリーの上昇と象徴的に重ねています。
「ハタ・ヨガ・プラディーピカー」(ナータ派のハタ・ヨガ) [中世インド]
このページでは、ナータ派の「ハタ・ヨガ」と、その経典の「ゴーラクシャ・シャタカ」と「ハタ・ヨガ・プラディーピカー」についてまとめます。
*シャクティ教のハタ・ヨガについては、「シヴァ・サンヒター(シャクティ教のクリヤ・ヨガ)」をご覧ください。
*ヴィシュヌ教のハタ・ヨガについては、「ゲーランダ・サンヒター(ヴィシュヌ教のガタ・ヨガ)」をご覧ください。
<ハタ・ヨガの流れ>
最初に「クンダリニー・ヨガ」のような生理的なヨガを発展させたのは、後期密教の「母タントラ」の潮流に属する修行者でしょう。
「ハタ・ヨガ」という言葉が、最初に使われたのが確認されているのも、「母タントラ」です。
彼もその師のマチェーンドラ・ナートも、シヴァ教(シャクティ教)徒であり、仏教徒でもありました。
当時、非バラモンの領域では、両宗教は一体的だったのでしょう。
彼は、「ハタ・ヨガ」と「ゴーラクシャ・シャタカ」を著しましたが、前者は失われました。
例えば、ハタ・ヨガ系の重要経典である「シヴァ・サンヒター」(15C頃)は、シュリー・クラ派が作成したと思われる経典です。
同様に、「ゲーランダ・サンヒター」(17C頃)はヴィシュヌ教サハジャ派が作成したと思われる研究書です。
<ハタ・ヨガの特徴>
ハタ・ヨガは、非バラモン系のタントラ・ヨガです。
そして、身体を神の神殿とみなして重視するような、タントラ的な特徴があります。
そして、ヴァーユのコントロール、象徴や観想、マントラを利用します。
「ヨガ・スートラ」の第1支のヤマ(禁戒)、第2支のニヤマ(勧戒)はあまり重視しません。
「ハタ・ヨガ・プラディーピカー」には「戒律にこだわらないように」という記載もあります。
それが常識的な禁欲や清浄さにこだわらないタントラの特徴だとも言えるかもしれません。
「バンダ」は、身体の特定の部分の締め付け(脈管を閉じる)によって、ヴァーユ(広義のプラーナ)をコントロールする技法です。
「ムドラー」は、「アーサナ」や「プラーナヤーマ」、「バンダ」、集中、観想などを組み合わせて、総合的にヴァーユ(広義のプラーナ)をコントロールする方法です。
ですから、ハタ・ヨガの場合、複数の支則を立てても、「ヨガ・スートラ」のように階梯化されているというわけではありません。
「ゲーランダ・サンヒター」は「ディヤーナ」を3段階で行う観想法とし、第8支「サマディー(三昧)」にまで至ります。
ですから、広義の「ハタ・ヨガ」は「ラージャ・ヨガ」も含み、「ラージャ・ヨガ」は「ハタ・ヨガ」の最終段階です。
ですが、狭義の「ハタ・ヨガ」は、サマディ以前の段階となります。
そして、サマディ段階のヨガとしては、「ラージャ・アディ・ラージャ・ヨガ(ラージャ・ヨガを超えるラージャ・ヨガ)」が説かれます。
近代になると、ヴィヴェーカーナンダがハタ・ヨガの用語である「ラージャ・ヨガ」を、古典ヨガの意味、あるいは、各種のヨガ全体の美称として使ったため、「ラージャ・ヨガ」という言葉は、ハタ・ヨガから分離されて使われるようになりました。
ですが、彼らは「ヨガ・スートラ」を中心にして、バラモン的に解釈しています。
以下、4つの経典の記載内容を簡単にまとめます。
ただ、多くは口伝・秘伝で、経典に書かれたことはすべてではなく、秘した表現であったはずです。
<ゴーラクシャ・シャタカ>
また、「プラティヤーハーラ」は「ヨガ・スートラ」とは意味が異なります。
アーサナは、シヴァ神が、全生物種に相当するの84万の中から84アーサナを選んで人間に説いたと語ります。
実際に言及されるのは、シッダ・アーサナとカマラ・アーサナ(パドマ・アーサナ)の重要とされる2つのみです。
ナーディーは72,000本で、イダー、ピンガラー、スシュムナーなどの主要なものが10本が言及されます。
主要3本は下記のように、神と対応します。
・ピンガラー :スーリヤ(太陽)
・スシュムナー:アグニ(火)
チャクラは、「アーダーラ」、「スワディシュターナ」、「マニプーラカ」、「アナーハタ」、「ヴィシュダ」、眉間のチャクラ、「ランピカー」、「マーハーパドマ」の8つを立てます。
そして、7万2千本のナーディーがここから伸びています。
これは、ブッディ、アハンカーラ、マナス、5感の8つに対応するのでしょう。
そして、クンダリーは、呼吸によって火の要素が増すことで覚醒します。
アムリタの出どころであるとも語られます。
本当はこちらがアムリタの出どころのハズです。
ムドラーは、「マハームドラー」、「ナボー・ムドラー(ケーチャリー・ムドラーのこと)」、「ウッディヤーナ・バンダ」、「ジャーランダラ・バンダ」、「ムーラ・バンダ」の5つが言及されます。
「ムーラ・バンダ」はアパーナを上向きに変えるために行います。
プラーナヤーマは、基本的な方法は、以下の流れです。
→ピンガラから吸息→クンバカ→イダーから呼息
プラティヤーハーラは、「ヨガ・スートラ」の定義と異なり、月のアムリタを太陽で消費させないこととされます。
具体的には、
アナハタ・チャクラで、三重に縛られた雄牛がうなるような低く大きな音を聴き、生命力をマニプーラカ・チャクラから頭頂(マハー・パドマ)まで上昇します。
「ケーチャリー・ムドラー」で、月のエッセンスを瞑想し、月のエネルギーをヴィシュダ・チャクラで受け止めて、太陽で消費させないようにします。
ダラーナは、パドマ・アーサナで、5つの部位に5元素を2時間ずつ念じます。
ですが、部位は、すべてがチャクラではありません。
また、種字が配当されているので、マンドラを唱えるのでしょう。
「大日経」の「五字厳身観」と似ています。
・頭頂:虚空:ハ :吸収: :澄んだ水 :破壊のシヴァ
・眉間:風 :ヤ :旋回: :燃える炎 :イーシュヴァラ
・口蓋:火 :ラ :燃焼:赤い三角:美しいサンゴ:ルドラ
・喉 :水 :ヴァ:液化:三日月 :白蓮
・心臓:土 :ラ :固化:四角 :黄色の宝石
ディヤーナは、一つのことに集中するもので、「有形な対象」のディヤーナと「無形な対象」のディヤーナがあります。
具合的には下記の通りです。
・名称無表記 :眉間:真珠 :祝福された存在に
・ランピカー :口蓋:(月がある) :死から解放
・ヴィシュダ :喉 :(アムリタの源):ブラフマンと一つになる
・アナーハタ :心臓:稲妻 :ブラフマンと一つになる
・マニプーラ :臍下:明け方の太陽 :この世界が動かすことができるように
・スワディスターナ:性器:燃えるような金色:悪行の影響から自由
・アーダーラ :基底:ルビー :罪から解放
アートマンは、穢れをなくし、アートマンと異なるものを見分けることで、輝きます。
サマディは、五感の記憶を対象に深く集中することで、プラーナの流れが緩やかになり、全体に一体化します。
ダラーナは2時間、ディヤーナは1日、そして、サマディは12日間、持続します。
そして、一なる意識に定まると、「完全な自由(ムクティ・ソーパーナ)」を得ることができます。
<ハタ・ヨガ・プラディーピカー>
また、戒律へのこだわりは、良くないとも語ります。
アーサナは、84種のうち、15種が言及されます。
中でも、シッダ・アーサナは、全身のナーディを清掃するので、いつも行うべきとして重視します。
プラーナヤーマは、基本的な方法は、「ゴーラクシャ・シャタカ」同様に以下の流れです。
→ピンガラから吸息→クンバカ→イダーから呼息
これらは、単に吸息か呼息の後に保息するだけでなく、バンダを伴いながらヴァーユをコントロールします。
これは、自然に呼吸がほとんどなくなる状態で、これが真のプラーナヤーマです。
これは、クンダリーの覚醒をもたらし、ラージャ・ヨガの段階に到達すると説かれます。
ムドラーは、10のムドラーを数えますが、実際には13が言及されます。
記載されているそれぞれの結果・目的は、次の通りです。
「マハー・バンダ」は、プラーナを引き下げて3つのヴァーユを合流あせます。
「マハー・ヴェーダ・ムドラー」は、ヴァーユを中央管に入れます。
「ウディヤーナ・バンダ」は、プラーナが中央管を上昇させます。
「ジャーランダラ・バンダ」は、アムリタをせき止め、イダーとピンガラも止めます。
「ムーラ・バンダ」は、アパーナを引き上げてプラーナと合わせます。
「バンダトラヤ」は、ヴァーユを中央管から頭頂に上昇させます。
「サハジョーリー・ムドラー」は、牛糞を焼いて作った灰を水に溶いて体に塗ります。
「アマローリー・ムドラー」は、尿の中間部分を飲みます。
この2つは「ヴァジローリー・ムドラー」と併用するもののようです。
クンダリニーは臍下のカンダに眠っています。
「ラージャ・ヨガ」は、「サマディ」、「ラヤ」などと同義です。
意が消え去り、クンダリーはブラフマランドラに収まり、ジーヴァ・アートマンとパラマ・アートマンが合一した状態になります。
「ウンマニー・ムドラー」は、鼻頭に現れる光を見ます。
「ケーチャリー」という名前は、「天空を行く者」というシヴァ神の属性から来ています。
1、2、4段階ではグランディを破ります。
アーランバ :アナーハタ :ブラフマ :装身具の触れ合うような
ガタ :ヴィシュダ :ヴィシュヌ:太鼓のような
パリチャヤ :アージュニャー: :マルダラ(鼓の一種)のような
ニシュパティ:サハスラーラ :ルドラ :フルートやヴィーナのような
イスマーイール・パミール派 [中世インド]
イスラム教シーア派の中でも、より秘教的で、ミトラ教などのイラン系神智学の影響を受けた派は、スーパー・シーア派と呼ばれます。
その中のイスマーイール派のさらにその一派で、暗殺教団としても知られる「ニザーリー派(ニザール派)」は、イラン高原のアラムートなどを拠点にし、そこでは独立政権を樹立していました。
13C半ばに、そこにモンゴル軍が侵入する直前、タジク、パミール地方に脱出し、さらにインドにも入って布教したのが「パミール派」です。
パミール派の大師(指導者)は、ムガル帝国のアクバル大帝の側近にもなりました。
イスマーイール・パミール派に関しては、情報が少ないのですが、イラン、インドの神智学の統合としては興味深いものです。
パルシー(インド・ゾロアスター教)の秘教派と共に、後の、ブラヴァツキーの神智学にも影響を与えているかもしれません。
パミール派の創始者はナーシル・ホスローで、彼は、「2つの智慧の統合の書」を著し、スーパー・シーア派とヒンドゥー教を統合した思想を展開しました。
例えば、パミール派によれば、「イマーム」はヴィシュヌの化身であり、「マフディー」=ミトラは、ヴィシュヌの第10の化身のカルキであると考えました。
実際、「カルキ」は、パミール派がインドに入る前に、イラン系の神智学の影響で生まれた信仰だろうと思われますが。
パミール派は、下記のように、ミトラ教とヒンドゥー教のパンテオン(神々)を対応させました。
・イエッラー・ミール=ブラフマン
・ズルワン =シヴァ
・ミトラ =ヴィシュヌ
・ソフィア =ブラフマー
ソフィアに対応するのはシャクティが適当だと思いますが、ヒンドゥーのトリムルティに合わせているので、ブラフマーとなっています。
マニ教やミトラ教と同様に、パミール派は現地の神々の名前を使うため、表面的にはヒンドゥー教のように見えます。
しかし、パミール派には、グノーシス的神話、7大大師など、西方的な要素もあります。
シク教(カビールとナーナク) [中世インド]
シク教は、16Cにインドのパンジャーブ地方で、ナーナクを開祖として誕生した宗教です。
その本質は、ヒンドゥー教とイスラム教を、普遍主義的で、神秘主義的な内的体験重視の観点から統合しようとしたものです。
シク教は、イスラム教徒が侵入したインドの西北地域での、ヒンドゥー教との交流の中で誕生しました。
一神教で偶像を否定するイスラム教、多神教的で偶像(地上で活動すること)を肯定するヒンドゥー教は、一見まったく異なります。
シク教は、異質な2つの宗教の、その表面的、儀式的な部分を徹底的に否定します。
そして、神秘主義的な体験をもとに、神の唯一性、内在性を基本とする単純な教義によって両宗教を統合しました。
第二次大戦後、英領からヒンドゥー教のインドと、イスラム教のパキスタンが分離独立した時、シク教のパンジャーブは独立を勝ち取れず、多くのシク教徒が世界に移住しました。
ターバンに象徴されるインド人の姿は、この移住したシク教徒から来ています。
シク教には、大乗仏教と似たところがあります。
大乗仏教は、クシャーナ朝などのイラン系の王朝がインド西北から侵入したことによって、イランの宗教とインド仏教が習合して生まれました。
シク教は、ムガル朝に至るイスラム系王朝がインド西北から侵入したことによって、イスラム教とインド・ヒンドゥー教が習合して生まれました。
両宗教は、習合という点以外にも、カースト制を否定する点、在家主義の点でも似ています。
ですが、新仏教を創出したアンベードカルは、最初、アウトカースト民と共にシク教に改宗しようとして、拒否されたため、新仏教へ至ったといういきさつがあります。
<背景>
シク教のバックボーンには、スーフィズムとバクティ信仰があります。
この2つには神に対する愛を特徴としている点で、似ていますし、バクティ信仰にもスーフィズムの影響があったでしょう。
8Cからイスラムのインド侵入が始まりますが、同時に、スーフィー達が、インド民衆に対して布教を開始しました。
バクティとズィクル(神の名を唱える)を説くというシンプルなものでした。
初期のスーフィーでは、11Cのイスマーイール派のヌールディンが有名です。
そして、12C以降には、各地にスーフィー各派の道場ができました。
13Cからは、奴隷王朝、デリー=スルタン朝などのイスラム王朝が次々生まれることになり、16Cにはムガル帝国によって、インドのイスラム王朝は安定期を迎えます。
ムガル帝国のアクバル大帝は、神秘主義的宗教から強い影響を受け、諸宗教を統合する志向を持っていて、それはディーニ・イラーヒーが記した「神の宗教」に残されています。
シク教の教祖のナーナクの思想は、その先駆をカビールに見ることができます。
さらに、そのカビールは、ラーマーナンダに影響を受けました。
ラーマーナンダは、1400頃、プラヤーガに生まれました。
シュリー・ヴァインシュナヴァ派の教師に教わり、南インドに行ってラーマーヌジャ派に参入したようです。
その後、彼は、バクティを北インドに持ち込み、ヴィシュヌ派バクタとして活動しました。
彼の特徴は、異教徒やアウトカーストも弟子にしたこと、沐浴のような形式的な行為を否定したことです。
カビールは、1440頃、バナーラスに生まれました。
ナート派からイスラム教に改修した親に育てられ、ラーマーナンダの弟子になりました。
そして、在家の宗教詩人として活躍しました。
彼は、はっきりと、イスラム教とヒンドゥー教の統合を目指しました。
その普遍主義的な観点から、両宗教を批判し、両宗教の儀礼を否定し、聖典の不要を訴えました。
あらゆる形式的なもの、寺院も礼拝堂も、沐浴も巡礼も不要だと訴えました。
彼の思想の特徴は、神の唯一性、内在性です。
そして、どのような名でも良いから神の名を唱えること(ズィクル)を説きました。
彼の思想は、直弟子のバグワーン・ダースによる「ビージャク」や、シク教聖典の「アーディ=グラント」に記されています。
シク教は、先駆者としてカビールを大きく評価しています。
<ナーナク>
グル・ナーナク(1469-1538)は、パンジャーブ地方のラホール近くの村に生まれました。
幼い頃からイスラム教とヒンドゥー教の両教に接して育ち、30歳の時に神秘体験によって開眼しました。
その後、インド、ペルシャ、アラビアを回る25年の巡礼に出かけます。
この途中、カビールに会ったという伝説がありますが、確実な証拠はありません。
また、多くのスーフィーと交渉を持ちました。
その後、カタルプールで教えを説き始め、シク教が誕生します。
ナーナクの思想は、カビールとほとんど同じです。
普遍主義と、神秘主義的な内的体験重視の観点から、イスラム教、ヒンドゥー教の統合を目指しました。
そして、人類の同朋性、男女平等を説きました。
また、在家主義という点も、カビールと同じです。
彼の思想は、「ヒンドゥーでもなければ、ムスリムでもなく、唯一の神のみ」という言葉に表れされています。
彼も、儀礼や巡礼のような形式的な行為を否定します。
聖典は否定しませんでしたが、神の代弁者のグルの言葉を信じるようにと訴えました。
そして、心の中に内在する神との合一体験を重視し、神への帰依(バクティ)、神の名を繰り返して唱えるズィクルを説きました。
おそらく輪廻とカルマを信じていましたが、来世の救済は神の御業なので、そのことを考えず、今この世の一瞬一瞬を主体的に生きることを説きました。
シク教に至る神秘主義的なイスラム教とヒンドゥー教の統合は、「カーラチャクラ・タントラ」やイスマーイール・パミール派のような、イラン系神智学とインド神智学を統合した派とは正反対のベクトルを持っています。
民衆に親しみやすいシンプルな教義と実践が特徴で、むしろ、神智学的を不要としています。
ゾクチェン [中世インド]
シャンシュン王国は、キュンルンを都として、北はコータン、東はギルギット、南はムスタン、東はナムチョに至る国で、ウッディヤナは、今のパキスタンのスワット渓谷と考えられています。
初期の経典は、今は伝わっていないこの国の言語で書かれています。
中世には、西からはゾロアスター教、マニ教などのイラン系宗教とイスラム教が、南からはシヴァ教や仏教が、東・北からはトルコのシャーマニズム、中国禅などの影響を受けました。
そして、その宗教の坩堝の中から、様々な新しい宗教思想を生み出しました。
この思想は、仏教に属するという見方もできますが、仏教とは異なる独自の思想であるとの見方もできます。
チベット仏教、ボン教の両方に伝わっていることからも分かるように、普遍性の高い思想で、その基礎概念は、仏教の基礎概念と共通する部分と、相違する部分があります。
しかし、中国のチベット侵略後に亡命したチベット僧、例えば、アメリカに亡命したタータン・トゥルク、イタリアに亡命したナムカイ・ノルブなどの活動によって知られるようになり、日本にはネパールで伝授を受けた中沢新一によって伝えられました。
その後は、牧野宗永、新井サンポ、箱寺孝彦(ボン教ゾクチェン)らも、ぞれぞれに伝えています。
<ゾクチェンの思想>
この心の基盤を、「原初の境地」、「心の本性」、「リクパ(明知)」、「菩提心」などと表現し、これが「初めから清らか」であるとします。
また、この心の基盤は、常に、汚れることも、隠れることもなく存在していますが、ただ、人にはその自覚がないだけである、と考えます。
そして、その気づきを自覚した状態を「三昧」と呼びます。
ゾクチェンは「原初のヨガ(ウッディヤナ語で、「アティ・ヨガ」)とも呼ばれます。
その現れる心は、たとえ煩悩によって生まれた汚れたものとして現れても、気づきの自覚を持っていれば、すぐにあるがままで清浄なものになる、と説きます。
これを、「自然成就(自己解脱、任運成就)」と言い、「あるがままで完璧」と表現します。
それゆえに、「無努力」の教えと言われます。
そのため、インドのカルマの思想を超えた、そして、「因果の法を超越した」革命的な思想だと言われます。
世界創造をシヴァ神の「戯れ」と表現するカシミール・シヴァ派の影響があるかもしれませんが、ゾクチェンは無神論です。
「虹の身体」は、カルマのない、根源的な元素のエレメントである光の次元の身体で、「報身」よりも活動的で、他者と直接的に接触して救済することができる存在です。
<ゾクチェンの歴史>
原初仏サマンタバトラ(チベット語で「クンツサンポ」)→金剛薩埵→ガラップ・ドルジェ
です。
サマンタバトラは、青い肌の裸の姿で、坐った合体尊の形で描かれます。
ガラップ・ドルジェは、最初の生身の人間で、処女懐胎でウッディヤナに生まれたとされています。
ですが、この3人は、法身→報身→变化身の象徴であり、ガラップ・ドルジェは実在しない人物と考えられています。
マジュシュリーミトラ→シュリー・センハ
です。
次のシュリー・センハは、中国系で、「リクパのカッコウ」、「偉大な匠」、「金翅鳥」、「沈むことのない勝利の幟」を著したと考えられています。
「メンガキデ」の奥義段階は「ニンティク(心滴)」と呼ばれます。
同時に、チベット人のヴァイローチャナによって、「セムデ」、「ロンデ」が伝えられ、東チベットで発展しました。
また、彼の弟子のゾクチェンの相承者の系譜には、無住の保唐宗などの中国禅の相承者の系譜に重なる師もいました。
彼の主著である「四部からなるニンティク(ニンティク・ヤン・ラー・シ)」は、別々に伝えられ、あるいは、創造されてきた4種の「ニンティク」をまとめ、さらに、彼自身が創造した「カンドゥ・ヤンティク」を加えて説いています。
<ゾクチェンの神智学>
また、姉妹サイトでもかつて書きました。
・自性:光明 :存在を創造する力(核的次元)
・慈悲:エネルギー:存在が生まれ続いている状態(動的次元)
そして、それぞれは、「初めから清らか」、「あるがままで完璧」、「無碍・遍満」と表現されます。
ですから、ゾクチェンの3元論はインド的伝統ではなく、イラン系のズルワン主義的な3元論の伝統上にあるのかもしれません。
・自性:太陽 :反射力:父ズルワン or ミトラ
・慈悲:太陽光:映像 :アナ―ヒター
現れは、あくまでも、目の前に何かが現れてそれが目に映るといった、副次的な要因によって生まれます。
これは、中観派から後期密教、マハー・ムドラーに至る「空」の見解とは異なります。
・ロルパ:内的なイメージとしての、元素のエッセンスとしての光の現れ
・ツェル:外部に投影された主客2元的な、煩悩性の現れ
<ゾクチェンの瞑想法>
2 三昧に対して疑いをなくす
3 三昧を持続する(テクチュー=突破する)
4 三昧を深める(トゥゲル、トゥカル=跳躍する)
つまり、思考が生まれても、同じ気づきのある状態を維持するのです。
ハタ・ヨガ・後期密教的で、象徴を重視する「ロンデ」は、2から始めて4に至ります。
直接的な伝授(直指)を行う「メンガキデ」は、3から始めて4に至ります。
そして、様々な行動をたり、様々な言葉を話したり、様々に思考をしながら、それを維持できるようにします。
様々な姿勢、様々な視線、様々な体験をしながら、気づきを維持できるようにします。
ハタ・ヨガのような、特殊な体位、呼吸、視線、気の操作などを駆使します。
青空や、太陽の近くや、何もない空間を凝視したり、何日も暗闇の部屋に籠って暗闇を凝視したりして、瞑想を行います。
そして、視覚神経と胸や眉間のチャクラを結ぶ脈管などを刺激して、光の微粒子を放出して、光の顕現の4段階を順次体験していきます。
この光の顕現は、「心の本性」と呼ばれる母体からの、カルマが完全になくなった現れであるとされます。
そして、日常的な心の様々な顕現を、その光の顕現一体化することで、心の様々な顕現をより完全に開放したものにします。
タミルの18人のシッダの伝統 [中世インド]
シヴァ神を信仰するので、シヴァ教の一派、特に「聖典シヴァ派」とも言えますが、ヨガ、医学(シッダ医学、シッダ・ヴィディヤー)、錬金術、哲学、占星術などが複合した独特の伝統です。
ですが、南インドのタミル語の思想は、近・現代的な研究が、まだほとんどなされていないため、明確なことが分かりません。
この教えは、シヴァ神がナンディやアガスティヤルに伝えたのが最初とされます。
「18人のシッダ」の伝統では、「八大悉地(八大成就)」と共に、「カーヤカルパ(身体成就)」と呼ばれる「不死の身体」を伴う解脱「ソルバ・ムクティ」を目指します。
ちなみに、「18人のシッダ」の伝統として現代に伝えられている「クリヤー・ヨガ」は、動きのあるハタ・ヨガ(ヴィンヤサ・ヨガ)、マントラ・ヨガ、バクティ・ヨガ、クンダリニー・ヨガ、ディヤーナ・ヨガ(観想法)などの総合ヨガです。
<18人のシッダ>
多くは、実在性に関しても良く分からない、伝説的な存在です。
最古の医学的な詩の文献「ティルマンティラム」を著し、ここでは、10のヴァーユ(プラーナ)、10のナーディ、胎生学などを記しています。
彼は、「身体は神の歩く神殿」であり、「神体を傷つけると魂も傷つける」と書いています。
また、タミル語の文法論を定式化したとされます。
「リグ・ヴェーダ」にもミトラの息子のアガスティアという聖仙が記載されており、時代は違いますが、彼は同一人物とされます。
中国に赴いて老子になったとも言われています。
アガスティアを師とします。
父はシヴァ寺院の僧侶でしたが、ババジは子供の頃にさらわれて奴隷として売られ、その後、サンニャーシン(サドゥー、遊行の修行者)に加わり、スリランカのボーガルの寺院で彼に出会います。
ボーガルに指導を受けた後、アガスティヤルに呼吸法を習うように言われ、タミルでアガスティヤルの指導を受け、不死の解脱(ソルバ・サマディ)を獲ました。
その後は、時代を越えて姿を現して、シャンカラ、カビール、ラヒリ・マハサヤ(パラマハンサ・ヨガナンダの師の師)、ヨーギ・ラマイアなどに指導を行ったとされます。
「ヨガ・スートラ」と「18人のシッダの伝統」の思想は明らかに異なりますが、有名人物ということで、入れられているのでしょう。
<錬金術とシッダ医学>
それらは、錬金術や占星術、医学でにおいても見られます。
水銀を「シヴァ神の精子」、硫黄を「パールヴァティの卵子」、丹砂(硫化第二水銀)を2人の合体であると考えました。
また、水銀を精錬した金属灰(バスマ)はマントラと同じであるとしました。
もちろん、薬草は重視されますが、錬金術を重視し、解脱への行法と一体で、不死の身体の獲得を目指すものであるため、より秘教的性質が高いと言えます。
シャクティ教シュリー・クラ派の儀礼と行法 [中世インド]
カシミールのシヴァ派文献は、「シャイヴァ・シッダーンタ」と呼ばれるものが顕教、「バイラヴァーガマ」と呼ばれるものが密教という側面があり、シュリー・クラ派は後者に属します。
つまり、神を招いて供養する儀礼は、神に一体化する成就法とします。
飲食物の供養は、マントラとムドラーを捧げることとなります。
こうして三密によって一体化します。
具体的には、多くの場合、「ニヤーサ」と呼ばれる、マントラをヤントラや神像などに布置していく作業が中心となります。
儀式において使われる「火」は下部のチャクラから上昇する「クンダリニー」、「水」は頭部のチャクラから下降する「アムリタ」に対応させて実践します。
以下、シュリー・クラ派の内的儀礼=成就法について紹介します。
ヤントラは、上向き、下向きの三角形の組み合わせで作られ、その回りが円、その回りが四角形で囲まれています。
ヤントラの外側から内側に向かって、四角→三角→中心の器→水、とマントラ(ヴィディヤー)を順にニヤーサ(配置)します。
具体的には、中央管の外の6肢→ムーラダーラ・チャクラ→アナハタ・チャクラ→アジニャー(ヴィシュダ)・チャクラ、です。
3つのチャクラは、火(クンダリニー)、太陽、月(アムリタ)という3つの輝きに対応します。
2 三角 :ムーラダーラ:火 :クンダリニー
3 中心の器:アナハタ :太陽
4 中心の水:アジニャー :月 :アムリタ
<プラーナーヤーマの内的儀礼化>
2 プラーナを中央管に入れて保持する。
3 プラーナをピンガラ管に出して、右鼻から息を吐く。
・フリダヤ・チャクラ :太陽:クリム
・ムーラダーラ・チャクラ:火 :アイム
<クンダリニー・ヨガ>
ですが、シュリー・ヴィディヤー派では、下記のように3つのチャクラに3種類のクンダリニーが眠ると考えます。
ムーラダーラ・チャクラに眠るクンダリニーは「クラクンダリニー」と呼ばれ、アジニャー・チャクラにあるものは「アクラクンダリニー」と呼ばれます。
「クンダリニー」という概念が、プラーナの凝縮したエネルギー、あるいは、溶解液として、広義に使われているのでしょう。
・フリダヤ・チャクラ :太陽のクンダリニー
・ムーラダーラ・チャクラ:火のクラクンダリニー :シャクティ
<プラーナーヤーマ的クンダリニー・ヨガ>
シュリー・ヴィディヤーのマントラの念誦を、中央管内のエネルギーの集中に対応させます。
そして、下から順に、3部分のマントラを唱えながら、音とエネルギーを、中央管の3チャクラに集中して満たします。
この時、クンダリニーを上昇させるのではないようですが、上昇のベクトルを持って、3部分へ順に集中させるようです。
<チャクラ・プージャーの内的儀礼化>
12Cの聖典『ヨーギニーダヤ』を元に、その概要を説明します。
「シュリー・チャクラ」は、同心円状に9の部分(=チャクラ)から成ります。
これは宇宙論的な階層でもあり、そこに勧請する(それぞれに対応する)神格も階層的です。
上向きの三角はシヴァ、帰滅を、下向きの三角はシャクティ、創造を象徴します。
階層の低い女神から、根源である最高女神(シャクティ、プラクリティ)へと帰滅することが解脱となります。
花弁や三角形には、それぞれに女神たちなどが勧請(観想)されます。
2 16弁の蓮華 :主宰女神、16人の従属女神
3 8弁の蓮華 :主宰女神、8人の従属女神
4 14個の三角形:主宰女神、14人の従属女神
5 10個の三角形:主宰女神、10人の従属女神
6 10個の三角形:主宰女神、10人の従属女神
7 8個の三角形 :主宰女神、8人の守護女神(従属女神)、9人の師
8 中央の三角形:主宰女神、3人の聖地の女神(従属女神)、4つの武器
9 中央の点 :最高女神
マントラとムドラーは各女神に固有のものです。
9つのチャクラで観想・供養される「主宰女神」は、それぞれ別の女神ですが、すべて「トリプラ」で始まる名前なので、実際は最高女神「トリプラスンダリー」の化身です。
シャクティ教シュリー・クラ派の宇宙論 [中世インド]
ハタ・ヨガ系経典とされる「シヴァ・サンヒター」はこの派に属します。
このページでは、同派の宇宙論を紹介します。
・「語からなるもの」 :「最高の語」からの次の4段階で展開された言葉
・「チャクラからなるもの」:シュリー・チャクラなどのヤントラ
・「身体からなるもの」 :チャクラ、クンダリニーからなる人間の身体
「語からなるもの」は、「最高の語」<「世界の青写真」<「展開中の不分明な世界」<「分節化された世界」という言語の4階層からなります。
ヴェーダーンタ哲学のバルトリハリの言語神秘主義哲学の影響を感じます。
まず、おそらく古いと思われるもの(下記表B)です。
次に、質料である「ビンドゥ」、音・言葉である「ナーダ」の2つ(この2つは一体で「複合ビンドゥ」とも呼ばれます)、そして、「白い男性の心滴」、「赤い女性の心滴」が生まれます。
この4者が合体して、「カーマ・カラー」という愛の力が生まれます。
これが、主神の「トリプラスンダリー」、あるいは「ラリター」です。
これは、基本的にカシミール・シヴァ派の宇宙論と同じです。
タントラの他派と同様に、サーンキヤ哲学の25原理の上に、有神論的な原理を置くものです。
そこから、「永遠のシヴァ」、「限定されない能力」、「限定されない知」の3原理が生まれます。
次に、「物質創造原理(マーヤー)」、「限定された能力(カラー)」、「限定された知(ヴィディヤー)」の3原理が生まれます。
次に、「特定の対象に対する執着(ラーガ)」、「時間(カーラ)」、「特定の業の影響を被る被限定者性(ニヤティ)」の3原理が生まれます。
次の展開は、ほぼサーンキヤ25原理と同じです。
宇宙論の階層A | 宇宙論の階層B |
---|---|
シヴァ/シャクティ | シヴァ/シャクティ |
永遠のシヴァ 限定されない能力 限定されない知 |
ビンドゥ ナーダ |
マーヤー カラー ヴィディヤー |
白い男性の心滴 赤い女性の心滴 |
ラーガ
カーラ ニヤティ |
トリプラスンダリー (カーマカラー) |
サーンキヤ哲学25原理 | サーンキヤ哲学25原理 |
シヴァ教カシミール派 [中世インド]
カシミールは、古来シヴァ信仰が盛んな地です。
「振動派(スパンダ・シャーストラ)」は、上述したヴァスグプタの流れを組む派で、シヴァは自らの意志だけで創造を行うとします。
「再認識派(プラトヤビジュニャーナ・シャーストラ)」は、「シヴァ・ドリシュティ」を著したソーマーナンダに始まる分派で、アビナヴァグプタを代表的な思想家とします。
ここまでは「パティ(主)」の段階で、「清浄な道」と呼ばれます。
「5つのパーシャ」は、「ニヤティ(被限定者)」、「カーラ(時間)」、「カーマ(執着)」、「ヴィディヤー(限定された知)」、「カラー(限定された能力)」です。
ですから、「プルシャ」も、純粋な観察者ではなく、制限された行為の主体でしかありません。
実践においては、ヨガは「内的供養」、儀式は「外的供養」と表現されますが、前者が後者の前提となります。
「内的供養」は、マントラを身体に置いていく「ニヤーサ」による自己神化を本質とします。
マントラはエネルギーの人格化であり、神格そのものであると考えます。
足先から順番に、36原理を上昇していくのです。
これによって、シヴァへのバクティ(信愛)の念が起こります。
そして、「ディークシャー(儀式)」を受けたいという気持ちが生じます。
そして、「清浄な知」がシヴァの恩寵の光として体験され、自身がシヴァであることを思い出して(再認識)、解脱に至ります。
宇宙論の階層 |
---|
主:最高シヴァ/シャクティ
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主:永遠のシヴァ/主宰神/清浄な知 |
縄:マーヤー/5つのパーシャ
|
獣:サーンキヤ哲学25原理 |