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ファーブル・ドリヴェの哲学的人類史 [ルネサンス~近世ヨーロッパ]

ファーブル・ドリヴェは、古代の音楽、言語、歴史に興味を持ち、独自の思想を形成しました。
彼は、人類の原初の言語に近いと考えた原へブライ語を復元し、「創世記」や各民族の聖典を研究することで、古代の知識や歴史を発見しようと試みました。

ドリヴェの思想、特にその空想的な人類史観は、19Cフランスのオカルティズム復興運動や、ブラバツキーの人類史観などに影響を与えました。

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<古代音楽>

アントワーヌ・ファーブル・ドリヴェ(1767-1825)は、南フランスの裕福な家庭に生まれましたが、フランス革命によって一族の財産は没収されてしました。
少年時代から人類の叡知をすべてまとめた厖大な書物を書き上げることを夢見て育ちました。

ドリヴェは、古代音楽の復興や、音楽と星辰との関係の研究を主張した音楽神秘主義者ピエール・ジョセフ・ルシエ神父の影響を受けました。
神父は、古代ギリシャ音楽は古代エジプトの音楽の後継であると考えていました。

ドリヴェは、音楽家として活動し、古代ギリシャ音楽の復興を唱えて、「ギリシャ旋法」なる音階を提唱しました。
彼は、ピタゴラス、プラトン、新プラトン主義の影響を受けて、その理論と音楽を結びつけていました。
その後、カバラの研究も行い、それを音楽理論に組み込みました。

ドリヴェの音楽理論には、「膨張力」と「収縮力」の2元論があります。
それは、「創世記」における、天となるべき「希薄な水」と海となる「濃厚な水」や、プラトンの「ティマイオス」の「叡智」と「必然」、プラトンの不文の教説の「同」と「異」、ヘルメス主義における「上昇」と「下降」と対応します。

時期は不明ですが、ドリヴェはフリーメーソン系の結社「真のメーソンと天の耕作」を率いて、その儀式も作成したようです。
上記の音楽の2原理は、フリーメーソンの2柱の「ヤキン」と「ボアズ」に対応させました。

これらのドリヴェの音楽思想は、フリーメーソンの象徴体系や、多くの音楽神秘主義者達に影響を与えました。


<原ヘブライ語の復興>

ドリヴェは1813年に、これまでの自身の思想をまとめた「ピタゴラスの黄金詩篇」を発表しました。
これは、カバラ、ヘルメス文書、ゾロアスター、インドの「パカヴァット・ギーター」から、中国の「荘子」をも含んだ壮大なものでした。

ドリヴェの基本的な世界観では、宇宙の原理は「摂理」、「意志」、「運命」の3つです。
この3原理は、マクロコスモスとしての人間では、「霊」、「魂」、「体」に対応します。
そして、歴史もこの3原理の展開として捉えらます。

1815-6年に発表した大著「ヘブライ語の復興」は、ドリヴェの最初の主著です。

この書でドリヴェは、ヘブライ語は原初の言語を最もよく保存していて、「創世記」の中には古代エジプトの神官たちの秘密の奥義が隠されていると主張しました。
ですが、バビロン捕囚の間に原ヘブライ語の知識が失われてしまったため、翻訳に重要な間違いがあると言います。

特に問題を感じていたのは、「創世記」の語る世界創造の時期が、他の聖典や科学的な考古学に比して新しすぎること、そして、モーゼが死後の霊魂を否定しているように書かれていること、この2点でした。

「ヘブライ語の復興」は、ヘブライ語文法、語源一覧、「創世記」の訳、その註解から構成されます。
訳は、原典の一語一語の語源の意味を転記した、フランス語と英語の直訳、そしてそれを普通の文法に改めた正訳から構成されます。

ドリヴェはヘブライ語の研究をし、ヘブライ語が、「霊」、「魂」、「体」の3つの次元の意味を持っていることを発見したと主張しました。
「文字通りの意味」、「秘教的な意味」、「ヒエログリフ的な意味」の3つです。

従来の翻訳は、「文字通りの意味」しか伝えていません。
ドリヴェは、「秘教的な意味」については明かしていますが、「ヒエログリフ的な意味」については、最奥の秘儀としてほのめかすのみでした。

それでも当時、彼の著作は、高い評価を受けました。


<哲学的人類史>

ドリヴェが続いて1821年に発表した「哲学的人類史」は、もう一つの主著です。

この書では、「ヘブライ語の復興」で行った彼独自の解読法を他の文明の聖典にも拡大し、空想的な地球史、人類史を描きました。

ドリヴェは、地球や他惑星が生物であると考えました。
そして、地球は太古に多くの惑星が融合して作られたのであり、諸大陸は融合した各惑星の名残りだとしました。
ですが、月だけは地球に融合せず、進化の道から外れたのです。

地球で最も進化した大陸はアジアで、以下、レムリア、アトランティス、アフリカ、ヨーロッパの順に、固有の人種と文化が発展しました。

1万年ほど前の時代には、白色人種が北極地方に発生し、「ハイパーボーリア人」と呼ばれていました。
この頃、黒色人種のアトランティス人は、赤道付近に発してアフリカ、アジアを広く支配し、高度な文明を誇っていて、黄色人種は黒色人種に隷属させられていました。
赤色人種はかつての支配者でしたが、その大陸が天変地異で海に沈み、今はアメリカ大陸の高山部の残るのみでした。

しかし、ケルト系の白色人種にラムという名のドゥルイド神官が現れます。
彼に導かれて、白色人種は黒色人種との戦いに勝利し、インドを中心にしてリビアにまで至る世界帝国を築きました。
そして、黒色人種の一元論思想と、ケルトの祖霊信仰などを統合した普遍的な統一原理を作り上げました。

ですがその後、男性原理の宗教、女性原理の宗教、善悪2元論の宗教などが現れて、帝国に分裂が生じました。
ですが、インドでは、クリシュナが、「霊(ブラフマー)」、「魂(ヴィシュヌ)」、「体(シヴァ)」の3分説を創始し、統一を回復しました。

また、エジプト文明は、この赤色人種、黒色人種、白色人種などの古代の知恵を保存してきた。
それを部分的に継承したのが、モーゼ、ブッダ、オルフェウスで、3人の思想は、「霊」、「魂」、「体」の知恵に対応します。

ドリヴェはキリストを特別視せず、多くの選ばれた人間の一人に過ぎないと主張しました。
そして、「原罪」の思想は、間違った2元論のゾロアスター教からもたらされた思想であるとしました。
このように、彼はキリスト教に特権的な地位を与えませんが、それは白人種に特権的な地位を与えることの裏返しでした。

ドリヴェのもう一つの特徴は、古代に優れた文明があったとしながらも、人類の歴史を進化論的に考えたことです。
原罪を認めないのもその考え方の表れです。
また、ヒンドゥー教の4つのユガを、退化・堕落ではなく、進歩として逆転させ、鉄の時代から黄金の時代に至るものとしました。


ドリヴェの「哲学的人類史」は、その後、ほとんど忘れ去られてました。
ですが、サン=ティーヴによって発掘されます。
サン=ティーヴは、1884年に出版した「ユダヤ人の使命」で、出典を明記せず、自説のようにしてドリヴェの説を主張しました。
ですが、これをきっかけに、ドリヴェは、パピュス周辺のフランスのオカルティスト達に知られるになりました。

また、「哲学的人類史」は、ブラバツキーが「シークレット・ドクトリン」で展開した人類史にも影響を与えたと思われます。

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マルチネス・ド・パスカリとサン・マルタン [ルネサンス~近世ヨーロッパ]

主に18C後半から19Cの初頭にかけてのヨーロッパ、特にフランスを中心にした、合理主義的な啓蒙思想や理神論に反発する神秘主義的な思想は、「イリュミニズム」、それを担う人々は「イリュミネ」、「イリュミニスト」と呼ばれました。
神的、霊的な知としての「照明(光)」に由来する名称です。

ちなみに、1776年にドイツのバイエルンで、アダム・ヴァイスハウプトによって結成された政治結社の「イルミナティ(バヴァリア・イルミナティ)」の思想も「イルミニズム」と呼ばれます。
ですが、これはフリーメイソンの理神論と同様、合理的な理性を重視する思想であり、この項が取り上げる「イリュミニズム」とは正反対の方向性を持っています。

「イリュミニズム」の中心にあったのは、「マルティニズム」です。
「マルティニズム」は、神秘主義的な結社の「エリュ・コーエン(選ばれた僧侶)」の創始者マルチネス・ド・パスカリと、彼の弟子だったサン・マルタンの一派の思想を指します。

「マルティニズム」は、堕落した人間が霊的に上昇して原初の調和を取り戻す「再統合」を、アグリッパ流の降神術や、自然との霊的関係を通して目指しました。

「イリュミニズム」、「マルティニズム」は、ロマン主義運動や、19Cフランスのオカルティズム復興運動にも大きな影響を与えました。


<マルチネス・ド・パスカリ>

マルチネス・ド・パスカリ(1727or1710-1774)は、フランスのグルノーブルでスペイン系ユダヤ人として生まれたのではないかとされていますが、生誕についても、その後の歩みについても、確かなことは分かっていません。

パスカリは、フリーメイソンの組織を参考にして、「エリュ・コーエン(選ばれた僧侶)」という名の宗教結社を結成し、支部を各地に立てました。
一般にフリーメイソンの思想は合理的な理神論ですが、「エリュ・コーエン」は、アグリッパ流の降神術を中心にした活動を行う、神秘主義的思想を持った団体でした。

パスカリは、自身の思想を表現した「諸存在の再統合論」を執筆しました。
この書は、団員の中だけで回し読まれていましたが、1世紀以上経った1899年に、ネオ・マルティニストであるパピュスによって発掘され、発表されました。

パスカリは、1772年、突如、カリブ海のサント・ドミンゴに旅立ち、2年後にそこで亡くなりました。

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「諸存在の再統合論」は、「創世記」の秘境的解釈の形で、以下のような、グノーシス主義に近い「神話」を語ります。

創造主である神は、超天界に、第1の存在である「第1諸霊」を流出しますが、この神は神を礼拝することをやめて、邪悪な思惟をいだき、「悪」の原因となりました。
そのため、神は物質的宇宙を創造して、背反した悪霊たちを閉じ込めました。
そして神は、「第1諸霊」と同じ力を持ち、その上に立つ長子として、輝く巨大な体を持つ神人のアダムを流出し、悪霊たちを監視し、導く使命を与えました。

ところがアダムは、悪霊たちにそそのかされて、神に背いて創造行為を行って、転落してしまいました。
アダムは自ら犯した行為を反省して、自分の神的な力を神に返して和解しました。
ですがこれ以降、アダムの子孫の人間と物質宇宙は、神との直接的関係も途絶え、病んだ状態になりました。
しかし、人間は、キリストの手助けのもとに会心することで、原初の神人の地位を回復することができ、宇宙も本来の状態を取り戻して、「再統合」が可能となります。

この神話で語られる「再統合」へ導くための、「エリュ・コーエン」の実践の中心が降神術でした。

もう少し詳しく紹介すると、「第1諸霊」は、神の4つの本質を反映して、「上位霊」、「大霊」、「下位霊」、「小霊」の4種類からなります。
神に背いた後は、「小霊」が他の悪霊を率いることになりました。
また、パスカリの思想では、数には神的な意味があり、この4種の霊たちにも、それぞれに数値、10、8、7、4があります。

パスカリは、数の基本的な意味については、下記のように考えています。

1 一者、創造主
2 混乱、女
3 地、人間
4 神の4重の本質
5 悪霊
6 日々の業
7 聖霊
8 2倍の力を持つ霊、キリスト
9 悪魔、物質
10 神的数

また、神は、「小霊」を流出した場所に、「6つの円」とそれと接する「1つの円」を描きました。
「6つの円」は、宇宙の創造に用いた6種の無限の思惟を表現し、「1つの円」は神の霊と人間の結びつきを表現します。

アダムも神を真似て「6つの円」を創造しましたが、これは闇の性質を持ったものになり、自分たちの檻となってしまいました。

神に由来する善なる思惟は「非受動的な形相」を持っていますが、アダムが悪霊にそそのかされた悪なる思惟は「受動的・物質的な形相」しか持たないのです。


<サン・マルタン>

サン・マルタン(1743-1803)は、アンボワーズの小貴族に生まれ、新プラトン主義の影響を受けた宗教書を愛読して育ちました。

彼はパスカリと出会うと、パスカリにその才能を認められ、1768年には彼の秘書になります。
そして、「諸存在の再統合論」の執筆にも協力し、「エリュ・コーエン」の主導的立場につきました。

しかし、彼は、教団の活動、特に降神術に対して反発して、より内面的な道である、認識や祈りを重視して、「エリュ・コーエン」を離れます。

そして、1775年には、「知られざる哲学者」の名前で、「誤謬と真理」を発表します。
これは、合理主義的な啓蒙主義の宗教批判に反駁するために書かれた、マルティニズムの思想を表現した書です。
数秘術や錬金術などを織り込んだ難解な表現であるにもかかわらず、一部で注目を集めました。

続いて、82年に「タブロー・ナチュレル」、90年に「渇望する人」、92年に「この人を見よ」、「新しき人間」を発表し、「知られざる哲学者」はサン・マルタンではないかと、推測されるようになりました。

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「タブロー・ナチュレル」は、人間と自然の結びつきに、人間の転落から上昇への変換点を見出し、以下のように説きます。

人間が霊的に目覚めると、人間は知性によって自然に働きかけて、物質化した自然を本来の非物質性に戻します。

すると、自然の一部である人間の体も純粋に霊体な体となります。
そして、自然を通して、人間に神の智恵がもたらされます。
その人間と自然の関係は、数秘術的な数の関係として表現されます。

また、「渇望する人」は、ロマン主義者たちの間で好まれ、影響を与えました。

例えば、同郷のバルザックは「セラフィタ」で数ページに渡って窃盗を行う他、作品で何度もサン・マルタンの名を出しています。
他にも、サン・マルタンは、ユゴー、ネルヴァル、ボードレール、ブルトンら作家に影響を与えたのではないかと、言われています。
特に、ボードレールの「悪の華」の「万物照応」との類似が指摘されています。


サン・マルタンは、88年からのストラスブールに滞在中、ヤコブ・ベーメを知り影響を受け、ベーメ4作品の翻訳を行いました。
サン・マルタンは、これ以降、パスカリとベーメの思想を結びつけることを目標とするようになります。
そして、それは、1800年の「事物の精神について」、1802年に「霊的人間の使命」に反映されました。

「事物の精神について」でも、自然は催眠状態にあり、自然は生成原理のみが、霊的次元と直接の照応関係を持っていると言います。
そして、人間の中には、万物を知らしめる「生きた鏡」があり、これが能動的に、自然の中になかったものを植え付けて生み出させます。

また、神の性質を映し出すのは魂をおいて他にはないとし、我々の真の本性は、神性そのものに絶えず導かれ活動を与えられることにあると言います。
そして、神は我々を愛していて、人間が回復するために必要な力を、人間がそれを渇望する思いの中に注ぎ入れているのです。


サン・マルタンのロマン主義の思想家にも影響を与えました。

ドイツ・ロマン主義の思想家バーダーは、ベーメをシェリングに紹介した人物ですが、バーター自身は、サン・マルタンの研究をしてベーメの影響を受けました。
また、フリードリヒ・シュレーゲルがカトリックに改宗したのは、サン・マルタンの影響ではないかと言われています。


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ノヴァーリスの魔術的観念論 [ルネサンス~近世ヨーロッパ]

ノヴァーリスことフリードリヒ・フォン・ハイゼンベルク(1772-1801)は、「青い花」や「夜の讃歌」、「ザイスの学徒」など作品で、ドイツ・ロマン主義の代表的作家の一人として知られる人物です。
ですが、当時の思想家・作家の中で最も科学に精通した人物でもあり、また、哲学的思想家でもあり、神秘主義的な傾向も持っていて、自らの思想を「魔術的観念論」と称していました。

ノヴァーリスは親交もあったシェリングと同世代の思想家であり、同じような課題に取り組みながら、よりラディカルで理想主義的な答えを導こうとしました。

ノヴァーリスはフィヒテの「自我哲学」に「自然哲学」を加え、そこにパラケルススやベーメのような「自然神秘主義」、そして、ゲーテの自然学を手本にした自然科学、そして詩学などの諸学の総合を目指しました。

ノヴァーリスは、自然的な照応の世界観が失われた時代において、認識と創造が一体であり、概念とイメージが結びついた「創造的な想像力」によって、世界の意味を動的に再創造することを目指しました。

また、ノヴァーリスはカント以降ということを意識し、霊的認識を、客観的認識としてではなく、内面的な創造行為として捉えます。
彼にとっては、受動的な「知的直観」や「主客の合一」、「脱自」は意味をなさず、「創造的な想像力」こそがそれに変わるものでした。

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<生涯>

ノヴァーリスは、イェーナ大学、ライプツィヒ大学、ハイデルベルク大学で、法学、哲学、数学などを学びました。
ノヴァーリスの父はフィヒテの後見人であり、1795年には、イェーナの哲学者ニートハマーの集まりで、フィヒテ、ヘルダーリンと出会いました。

1796年には、フライベルクの鉱山学校に入学し、専門的な自然諸科学を学び、当時の思想家の中で最も専門知識を持つに至ります。
ほぼ同時期に、シェリングも自然科学を学んでいますが、ノヴァーリスの方がより高い知識を持っていたと思われます。
同年、シュレーゲル兄弟がイェーナに移住し、ヴィルヘルムの自宅での集まりで、ノヴァーリスはティーク、シェリングらと親交を持ちました。

1799年には、断片という形式で思想を表現した「断片集」を発表しました。
断片主義は、観念論の哲学者が体系的に思想を表現したことに対するアンチテーゼです。
ノヴァーリスは、断片を、有機的に結びつきながら成長するものとして考えました。
ちなみに、フリードリヒ・シュレーゲルは、批判・批評という形式で思想を表現しましたが、これも体系主義へのアンチテーゼです。

しかし、ノヴァーリスは1801年に、29歳の若さで亡くなりました。
彼は、自身の思想の断片を十分に成長させることができませんでした。
ですが、若々しく、理想主義的な可能性として、未完で残された彼の思想は、ノヴァーリスに似つかわしいものなのかもしれません。


<自然哲学>

ノヴァーリスは、フィヒテの「自我哲学」に関して、シェリングと同様に「自然哲学」との統合が必要と考えていました。
しかし、シェリングの「自然哲学」に関しては、自然科学の知識や表現において不十分であると感じていました。

ノヴァーリスはその解決のために、プロティノスやゲーテを持ち出します。

ノヴァーリスは、シェリングのように精神と自然を2元的に見ず、プロティノス的な階層的な構造の中で捉えます。
そして、「世界霊魂」に由来する神性をわずかでも含んでいれば、それを成長させることができると考えました。

表現においても、プロティノスのように、「流出」や「光」、「闇」といった概念とイメージを結びつけることが必要だと考えました。

また、思弁的なシェリングと、イメージで直観するゲーテの自然科学へのアプローチ(後述)の統合を模索しました。

また、フィヒテにおいては、「自我」と「非我」の関係が闘争的で、「愛」や「出会い」がないと批判しました。
ノヴァーリスにとって「非我」たる「自然」は、相互的な関係を持つべき「汝」なのです。
そして、万物には相互表象的な関係があると考えて、「自我」と「自然」は互いに表象であり対称的な関係なのです。


<照応的自然観>

ノヴァーリスは、デカルト以来の機械論的自然観に反対する立場であり、シェリングの有機体的自然観を共有します。
同時に、ヘルメス主義的な万物照応の自然観、パラケルスス、ベーメ的な「自然神秘主義」の影響を受けています。

人間は「ミクロコスモス(小宇宙)」ですが、反対に、自然は「マクロアントロポス(大人間)」であると表現されます。
また、人間は「無限大の自然」の「微分」であり、「無限小の自然」の「積分」であると、数学的にも表現します。

また、個々の自然は、「個性」を持つミクロコスモスであり、魂を持つ人間的存在であるとも言います。
ミクロコスモスたる人間の自我の中には、複数の自然、「複数の汝」がいるとも表現します。

ですが、重要なのは、ノヴァーリスが万物照応の世界観を歴史的に考えたことです。


<照応と歴史観>

ノヴァーリスは、1799年に発表した「キリスト教世界あるいはヨーロッパ」で、歴史を理念的に、大きく3段階で考えました。

第1の時代(黄金時代)   :聖なる感覚・世界の意味を持つ
第2の時代(現代)     :聖なる感覚・世界の意味を喪失
第3の時代(新たな黄金時代):聖なる感覚・世界の意味を回復

「第1の時代」は、ヨーロッパの中世がモデルで、真に普遍的、真にキリスト教的な時代とされます。
「聖なる感覚があり」、「世界の意味を持つ」と表現され、「万物照応」の世界観があり、言葉は自然に照応を反映していた時代です。

「第2の時代」は、ノヴァーリスの当時の時代です。
この時代は、徐々に、「聖なる感覚」、「世界の意味」、「万物照応」を失っていく時代です。
つまり、ノヴァーリスは、彼の時代には、万物照応が世界観においても、言葉においても失われていた、という認識を持っていました。

「第3の時代」は、期待される未来であり、「聖なる感覚」、「世界の意味」が回復される時代です。
「新たな霊が降り」、「何千もの人びとにメシアが宿る」時代とも表現されます。

ノヴァーリスは、この時代に求められている、世界の意味を回復することを「ロマン化」、求められるその表現のあり方を「ポエティッシュ」と呼びました。
もちろん、それらを説くのが、彼の「魔術的観念論」です。


<魔術的観念論>

ノヴァーリスは、自身の思想を「魔術的観念論」を表現しましたが、彼が言う「魔術」の意味は、ルネサンス的、薔薇十字的な「魔術=自然科学」としての魔術観を、さらに追求したものです。
哲学や自然科学・技術の進歩の歴史も、「魔術」の純化の結果だと考えますが、降神術や護符魔術のようないわゆる魔術は含みません。

ノヴァーリスは「魔術」の本質を、抽象化と具象化を結びつけて、想像力を創造的に使用し、失われた調和を回復する行為だと考えました。

ノヴァーリスは、「魔術的観念論」を、カント、フィヒテを超える哲学であるだけではなく、哲学と自然科学、詩学などを総合したの学の最終形と考えました。
そのためには、超越論哲学と自然科学を「ポエジー化」して、理念や概念と詩を統合して表現することが必要です。

シェリングが芸術と哲学を分けて考えていたのに対して、ノヴァーリスはさらに一歩踏み出して、総合しようとするのです。


<ロマン化とポエティッシュ>

ノヴァーリスは、世界に意味を再び取り戻す「ロマン化」を、フィヒテ的な自己理解の「内への道」と、ゲーテ的な他者を知る「外への道」を結びつけることだと考えました。

その表現方法は、「ポエティッシュ」と呼ばれますが、これは、「ポエム(詩)」と、「ポイエイン(作る)」を合成した言葉です。

「ポエティッシュ」な表現は、認識と創造が同時であるような実践です。
認識しつつ想像力によって表現し、理性と感情の両方に働きかけます。
これはシェリングが言う「神的想像力」に似ていますが、ノヴァーリスは「創造的な想像力」と表現します。

ノヴァーリスは、神の創造に対して、人間は想像力によって万物を再創造できると考えました。
彼にとっては、真理は、受動的なものではなく、自由に詩的に創造するものなのです。

「ポエティッシュ」な表現の理想、根拠は、ベーメが説いた、内面の心情の音楽性です。
ノヴァーリスは、自然も本来的には、その生成の状態においては、音楽的であると考えました。

「ポエティッシュ」な表現をした具体的なモデルは、哲学ではプロティノスであり、自然科学ではゲーテです。

プロティノスは、先に書いたように、概念とイメージを結びつけた表現を行いました。
ノヴァーリスは、カントの「実践的理性」を、「ポエティッシュな理性」とすべきであると考えました。
その一方で、ノヴァーリスは、ロマン主義のあるべき形の詩を、「超越論的ポエジー」と呼び、存在の認識を踏まえたものであるべきとしました。

ノヴァーリスはゲーテの自然研究の方法を評価し、ゲーテを何度か訪問しています。

ゲーテは、例えば、植物のメタモルファーゼを、原植物の普遍的理念をイメージとして直観し、その収縮拡張で描きました。
ゲーテ自身は、自分の表現を「対象的思惟」と呼びました。 

ノヴァーリスは、それを「能動的観察」と表現しました。
それは、経験しつつ創造する、観察しつつ思考する方法で、「創造的な想像力」を働かせ、概念と形象・イメージを結びつけるものです。


<象徴>

では、照応的世界観が失われていることと、「ポエティシュ」な表現はどう関係するのでしょうか?

万物照応の世界観では、照応し合う存在同士に「共感」という力、作用が働きます。
そして、互いが、あるいは下位のものが上位のものの「象徴」となります。

「自然」には星辰世界の影響としての「印し(シグナトゥール)」があり、「黄金時代」の人間はそれを読むことができました。
「象徴」は客観的な照応の事実に基づくもので、「しるし」と表現されました。

ですが、照応の世界観が失われた「第2の時代」では、「しるし」は読めなくなり、人間が使う言葉、記号は恣意的なものになってしまいました。

第3の「来るべき黄金時代」には、世界の意味を回復する必要がありますが、それは「ポエティッシュな象徴」となります。

それは、形象と概念・記号、感覚と悟性が相互作用し合うものであり、「黄金時代」のように定まったものではなく、常に創造されるべきものです。
つまり、自然は、認識かつ創造しながら、解読すべきものなのです。


<神と悪>

ノヴァーリスは、「絶対者」の探求は、「たえず裏切られ、たえず新たにされる期待」であり、その終わりなき活動、到達し得ないことを行為によって見出すことで、否定的にのみ認識されると考えました。
この考え方は、前期ロマン主義に特徴的な思想でもあり、前期のシェリングの思想とも同じです。

後期ロマン主義のバーダーや後期のシェリングは、ベーメの影響を受けて、「悪」の問題を重視しました。
ですが、彼らに先駆けてベーメを評価していたノヴァーリスは、「悪」の問題を重視しませんでした。

彼にとって、「悪」は錯覚であり、善に至るためのフィクションでしかありません。
「罪」は、人間の精神の怠惰、自由の刺激の欠如、弱さであるとしました。

「悪」を重視しない点にも、ノヴァーリスの理想主義的な性質が感じられます。


*参考文献:「ノヴァーリスと自然神秘思想」中井章子(創文社)

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シェリングの無底と神話 [ルネサンス~近世ヨーロッパ]

フリードリヒ・シェリング(1775-1854)は、一般に、その前期の哲学によって、フィヒテとヘーゲルをつなぐ存在として知られています。
ですが、後期の哲学は、ヤコブ・ベーメの影響を受け、理性を越えた実存を扱い、神話がその偶然性を表現しているとする、神秘主義的な傾向の強い思想です。
また、後期の哲学は、マルクス・ガブリエルのような現代の新実在論の哲学者からも再評価されています。

シェリングの哲学は大きく前期と後期に分けられ、前期は「同一哲学」、後期は「積極哲学」と呼ばれます。

「同一哲学」は、フィヒテの「自我哲学」とスピノザの汎神論的な「実体の哲学」を結びつけようとしたもので、芸術を重視したので、「美的観念論」とも呼ばれます。

「積極哲学」は、ベーメの影響を受けて、理性を越えた実存を扱おうとするもので、「神話」を重視しました。

また、シェリングは、イェーナで前期ロマン主義のメンバーと、ミュンヘンで後期ロマン派のメンバーと親交を持ち、それぞれ、自身の前期哲学、後期哲学の形成に影響を受けたようです。

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<自我哲学から自然哲学へ>

シェリングは、チュービンゲン大学時代、寮で同室だったヘーゲルやヘルダーリンとともに、古代ギリシャの秘儀復興運動に参加しました。
彼の最初の論文は18歳の時の「神話、歴史的伝説、および最古の世界の哲学説について」であり、神話や秘儀に興味を持っていました。
また、スピノザの哲学に共感し、その特徴がギリシャ古典神秘哲学のテーゼ「ヘンカイパン(一即全)」である、という認識を学友のヘーゲルと共有しました。

ですが、卒業後にフィヒテに影響され、1795年に執筆した「哲学の原理としての自我について」は、ほとんどフィヒテ哲学です。
前期のシェリングは、スピノザの「実体」の哲学と、フィヒテの「自我」の哲学の統合を目指しました。

シェリングは、チュービンゲン大学卒業後、ライプチッヒ大学で数学や物理学などを学び、自然学への興味を具体的に持ちました。
1797年にはイェーナに移住して、前期ロマン主義のメンバーと親交を持ち、彼らの自然観にも影響を受けたのでしょう。
シェリングは、「自然」を扱った著作を、1797年に「自然哲学への理念」、1798年に「世界霊魂について」を発表します。

シェリングは、フィヒテ哲学の「非我」が主観の構成する存在であるので、客観的な「自然」という観点がないと批判し、フィヒテから距離を取り始めました。
「自我」の哲学だけでは不完全であると感じ、「自然」を対象とした「自然哲学」を構想したのです。

彼にとって「自然」は、「有限的自我」から独立した存在です。
フィヒテにおいては「自我」が「非我」に先行するのに対して、シェリングにおいては、「自然」が「有限的自我」に先行します。

シェリングは、「自然」を生きた一つの「有機体」であると考えました。
自然の根底に「世界霊魂」という無意識的な精神的な原理があり、それが自然を有機させる原理なのです。
それによって自然は、低次なものから高次なものへと発展過程をなします。

また、シェリングは、「自然」には二性(二重性)があるとしました。
その二元性は、例えば、電磁気のプラスとマイナスであり、収縮と拡張、感受性と興奮性などの原理です。


<同一哲学>

シェリングの「自然哲学」は、すでにフィヒテ哲学から離れた思想ですが、1800年の「超越論的観念論の体系」、1801年の「わが哲学体系の叙述」によって、はっきりとフィヒテとは異なる「自我」の思想を表明しました。

シェリングは、フィヒテの「絶対的自我」が自己を対象化する自己意識であると批判し、その意識以前、主客以前の「絶対的自我」を立てます。

これは、「有限的自我」と、「自然」の根底に存在する、無差別な同一性としての「絶対者」、唯一の神です。
そのため、このシェリングの哲学は「同一哲学」と呼ばれます。
「絶対的自我」はすべてを内に含み、「非我」による阻害も存在しません。

「絶対的自我」の創造・産出活動は無意識です。
ですが、それを意識化することは、「知的直観」と呼ばれます。
哲学は、無意識的なものを「知的直観」によって反省する、「内へ向かう道」です。
この「知的直観」は、創造(産出)と直観(制限)が同時であるような自覚的行為です。

人類の歴史は、「絶対的同一性」からの堕落と帰還であり、帰還は「絶対者」が徐々に姿を現す啓示の歴史であると考えました。
自然の産出行為は無意識ですが、人間の「有限的自我」に至って意識的となります。

人間の「有限的自我」は、次第に自己に目覚めて「絶対者」に近づきますが、到達はできません。
永遠の努力によっても「絶対者」には到達できない、という否定性によってのみ「絶対者」は認識されます。
ここに至って「自我」は喪失され、有限と無限が無差別になっている状態が「知的直観」です。

シェリングは、スピノザやフィヒテの「知的直観」を批判し、それを、神秘主義一般に広げました。

スピノザは「絶対者」の中に自己の喪失を体験したと考えたが、実際には、自己を直観する中に客体を喪失しただけだった、とシェリングは言います。
これは、神秘主義が直観の対象を外化することへの批判です。

フィヒテの「知的直観」に関しても、「自我」の働きを対象化する自己意識でしかないとしました。
そして、シェリングの「知的直観」は、フィヒテ的な自己意識そのものを生み出す働きの直観なのです。

ですが、哲学の「知的直観」は、理論的な「自我」を基礎づけても、実践的な「自我」は基礎づけることができません。


<美的観念論>

シェリングは、1802年から3年にかけて、「芸術の哲学」という講義をします。

彼は、哲学は詩(芸術)によって完成すると考えました。
彼は、理論と実践、意識と無意識、本質(内容)と形式を統合するものとして、「芸術(美的活動)」を考えました。
芸術は作品という客観によって反省する、「外へ向かう道」です。

シェリングにとっては、哲学が無意識を意識化するのに対して、芸術は意識的に構想して創作しながらも、最終的には無意識的な働きによって「絶対者」を「美的直観」によって表現するものなのです。

「美的直観」は、想像力と一体のものであり、客観化された「知的直観」なのです。
 また、「美的直観」は、実践に関わる「叡智」の自己直観なのです。

そのため、彼の哲学は「美的観念論」と呼ばれることもあります。

また、シェリングは、「絶対者」の活動を、本質と形式の完全な相互浸透であると考えました。
哲学は理性的であり、本質にのみ関わりますが、芸術は本質を形式のうちに創造し、普遍を特殊のうちに表現します。
彼はこれを「神的想像力」と表現し、芸術は自然を模倣するのではなく、「神的想像」の模倣であると考えました。

また、シェリングは、哲学が詩へと至る媒介項が神話であると考えます。
神話は芸術の素材であり、原像であり、理念を「美的直観」に転移させるものです。

彼は、人類全体が一人の詩人として共通の理念を描き出す「新しい神話」を期待しました。
それは、神々の観念的神性を自然のうちに植え付けるものです。


<自由論、積極哲学>

シェリングは、1806年、ミュンヘンに移住します。
ミュンヘンでは後期ロマン主義のメンバーと親交を持ち、彼らを通してヤコブ・ベーメの影響を強く受けました。
彼はベーメの思想を「客観的神秘主義」、「思弁的神秘主義」と名付け、自分の哲学と同じであると考えました。

ロマン主義者の間では、ベーメはティークによって発見され、ノヴァーリス、バーダーを経てシェリングにもたらされました。
バーダーはエックハルトの発見者でもあります。

ちなみに、移住直前の1802年に発表された「ブルーノ」では、ジョルダーノ・ブルーノを通して新プラトン主義が語られます。
後期シェリングの「無底」や「脱自」には、プロティノスの影響もあるのかもしれません。

また、1812年の未発表の対話篇「クラーラ」では、スウェデンボルグを肯定的に紹介しています。
シェリングの「自由」に関する考え方には、スウェデンボルグの影響もあるのかもしれません。

シェリングの中期の主要な著作は、1804年の「哲学と宗教」、1809年の「人間的自由の本質」です。
彼は、自分の後期の哲学を「積極哲学」と呼び、中期の作品にはその芽生えが見られます。
中後期の哲学では、理性を越えた存在を扱い、キリスト教的な「堕落」や「悪」の問題も重要視されます。 

シャリングによれば、「積極哲学」とは、純粋な現実性から出発するものです。
それに対して、フィヒテやヘーゲルのように、実在の認識について語らず、思惟の関係のみ語るのは「消極哲学」なのです。
「積極哲学」は、現実の存在に関わり、観念論と実在論の結合を目指すものでしょう。
また、「積極哲学」は、ヘーゲルによる「なぜ絶対者から有限者が生じるのか」というシェリングの「同一哲学」に対する批判に答えるものでもありました。

シェリングは、神の根源は「無底(無根拠)」であり、「自由」な意志から自己を啓示しようとして、有限存在が生じたと考えました。
「自由」には「偶然」があり、理性によって認識できる対象ではありません。

「積極哲学」では、「無底」である「絶対者」を、客観(対象)とならない「絶対的主体」であると考えました。
対象とならないので、それを把握する「知」を放棄する必要があります。
ですから、「知的直観」は捨てられ、「脱自」が求められます。

「積極哲学」では、存在と歴史に関して下記のように考えます。

神には「無底」と「実存」の2つのレベルがあります。

「無底」としての神にも2つのレベルがあり、第1は「無差別」、そして第2が「愛」です。
後期の哲学では、「無差別」は「同一」とはっきりと区別されます。

「実存」は「意志」、「意欲」でもあり、2つのレベルがあり、「実存するもの」とその「根拠」です。

1 無底
-1 無差別
-2 愛
2 実存
-1 実存するもの:実存する神、神的悟性、光
-2 根拠:神の中の自然、憧憬、我性、悪、闇
3-1 自然
3-2 歴史

「実在するもの」は、観念的なものであり、一般に言う「神」です。
「神」の自己を啓示しようとする「意志」から「神」は分割されます。
分割された神は統一を目指す「悟性」、「光」の原理を持ちます。

もう一方の「根拠」は、「神の中の自然」であり、「我性」であり、「悪」、「闇」とされます。
分割された両者を結合するのが、「精神(聖霊)」であり、「愛」です。

そして、「神の内の自然」である「憧憬」に対して、「悟性」が対立する時、「自然」が創造されます。
神のよる「第一の創造」がこの「自然」です。

そして、「第二の創造」が、「自然」が成長する「歴史」です。
人間は「歴史」の中で「自我」と「自由」を得て、「我性」を捨てることを目指します。

以上、「無底」や「神の内なる自然」、「我性」などなど、ベーメの強い影響が明らかです。


<神話の哲学、啓示の哲学>

シェリングは1842年に講義「神話の哲学」を、1854年に講義「啓示の哲学」を講じます。

シェリングの「神話の哲学」は、理性を越えた現実存在を表現するものとして、神話を重視しました。
それは、ヘーゲルが「理性の神話」を語ったことと正反対です。

シェリングは、神話が、人間の主観を越えた絶対的客観性を持ち、歴史的事実を表現していると考えました。
彼は、「絶対者」の意識、人間の意識が生まれた根源的な出来事を考え、それを「原始偶然」と表現します。
これは意識以前の出来事であり、理性の対象となりません。
ですが、神話に「暗い痕跡」を残し、それを表現しているのです。

これを表現しているのが、エレウシス秘儀のベース神話であるペルセポネー神話です。
ペルセポネーは、花咲き乱れる野原からハデスによって冥界にさらわれ、「処女」から「女性」になりました。
シェリングは、この神話に「原始偶然」が表現されていると考えるのです。

また、オルフェウス教が伝える神話によれば、ペルセポネーはゼウスと交わりザクレウス(ディオニュソス)を生みました。
始原の事件の神話であるペルセポネーが、ギリシャ神話の主神ゼウスにつながり、神話の終局としてのディオニュソスの秘儀に至るのです。

シェリングは、多神教の神話と、一神教のキリスト教を統合するために、「神の系譜学」を導入しました。
神話はギリシャ神話によって完成し、その多神教から一神教へと至ることで、キリスト教は多性を含む絶対的な一神教になったと、考えます。

シェリングは、神観念にも関わる存在のポテンツ(力)を、下記のように3つの段階で考えました。

1 可能性
2 無限性
3 1、2を総合した自由、形態性

これに対応して、神観念の歴史的な3段階を下記のように考えました。

1 天体信仰:星に畏敬を感じる
2 ウラニア:天上の女神(ウラノスの女性形)
3 クロノス、キュベレ(大地の女神)

ウラノスやウラニアが潜在態であるのに対して、クロノスやキュベレは現実態の神です。
3の段階では、民族の分離によって、各地の神話が生まれますが、それにも歴史的な3段階があると考えました。

1 エジプト神話:肉体的な神
2 インド神話 :幽体の神
3 ギリシャ神話:肉体かつ精神的な神

このように、神話はギリシャ神話で完成し、ギリシャ神話は秘儀で完成し、次にキリスト教の啓示へとつながると考えました。
スウェデンボルグとはまた異なる古代の諸文化観ですが、恣意的で強引な点は同じです。

シェリングは、「神話」が実在的なもの、自然的関係を象徴によって表現しているのに対して、「啓示」は観念的なもの、人格的関係を寓意によって表現していると考えます。
人格的な精神が誕生すると「自由」が生まれます。
彼は、「啓示」の時代になって、真なる「歴史」が始まると考えました。


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ドイツ観念論と知的直観 [ルネサンス~近世ヨーロッパ]

この項目では、ドイツ観念論の哲学者の思想について、「知的直観」や「絶対的自我」と神秘主義との関連を中心にして書きます。
本ブログでは、動的・元型的な観念などに対する直観や、理性を越えた主体を、神秘主義を定義づけるものと考えていて、ドイツ観念論の思想には、それに相当するものがあると思います。

ただし、シェリングノヴァーリスは別項で扱いますので、彼らについては簡潔にまとめ、彼らの前提となったカントとフィヒテ、そして、論敵であるヘーゲルを中心にします。

ノヴァーリスは、一般にロマン主義の作家として知られますが、カント、フィヒテ、シェリングらの哲学の批判しながら形成した自らの思想を「魔術的観念論」と呼んでいます。


<ドイツ観念論とロマン主義と知的直観>

18Cの後半から19Cにかけての時代は、合理主義的な啓蒙思想、神を宇宙の法則と見なす理神論、実証的・唯物的な科学思想、デカルト的な機械論的世界観、ヒュームの懐疑論などが影響を持った時代です。

ドイツ観念論とドイツ・ロマン主義には、この時代に、神性に対する思想や形而上学がどのように成り立つかを探求したという側面があります。

カントはギリシャ哲学以来の霊的直観(叡智)である「ヌース」を否定したため、その後の観念論の哲学者は、純粋な自我に関わる「知的直観」を追求しました。
その背景には、インド思想の影響も考えられます。

当時はインド文化が紹介され始めた時代であり、1785年には「バガヴァッド・ギーター」が英訳され、1818年にはヴィルヘルム・シュレーゲルがラテン語訳を出版しました。
「バガヴァッド・ギーター」の背景には、「プルシャ」や「アートマン」などの純粋意識・純粋自我を直観するサーンキヤ哲学やヴェーダーンタ哲学があります。

ちなみに、ヴィルヘルムの弟でロマン主義思想家のフリードリヒも、インド文化・サンスクリット語の研究を行い、印欧語の祖語に当たるサンスクリット語が哲学に適した言語であると考えました。
印欧語族(白人種)に「アーリア人」という名称を付けたのは彼で、ヨーロッパ人をバラモンの子孫と考えました。

ドイツ観念論とドイツ・ロマン主義の間には、親交を通した影響関係もありました。

ヘルダーリンとシェリング、ヘーゲルは神学校の寮で同部屋であり、親交がありました。
彼らは、スピノザの汎神論に古代ギリシャ神秘哲学の「ヘンカイパン(一即全)」を見出したり、古代ギリシャの秘儀復興運動を行ったりしました。

また、シェリングは、イェーナで前期ロマン派のシュレーゲル兄弟、ノヴァーリス、ティークらと親交を持ち、ミュンヘン移住後は後期ロマン派のリッター、バーダーらと親交を持ちました。
ヤコブ・ベーメの影響は、ティーク、ノヴァーリス、バーターを経て、後期シェリングに至ります。

また、ノヴァーリスの父親はフィヒテの後見人であり、ノヴァーリスはイェーナの哲学者ニートハマーの集まりでフィヒテ、ヘルダーリンと出会い、その後、ノヴァーリスとヘルダーリンは共にフィヒテを面会に訪れています。


<カントの超越論的観念論>

イマヌエル・カント(1724-1804)は当時、霊視者として著名だったスウェデンボルグの調査を依頼され、熱心な調査を元に、1776年に「霊視者の夢(形而上学の夢によって解釈された霊視者の夢)」という書を出しました。
この書でカントは、スウェデンボルグの霊視は妄想であると書いています。

この書は、タイトルが示しているように、スウェデンボルグの霊視(感覚の夢想)と当時の形而上学(理性の夢想)を併置して両者を否定しています。

ところが複雑なのは、調査に関する書簡の中で、カントは、スウェデンボルグの千里眼事件、死者からの伝言事件などを、ほとんど否定出来ない事実として認めています。
しかし、「霊視者の夢」では、これらの事件の真偽を論評せずに、否定的な文脈に置いています。

また、書簡でも「霊視者の夢」でも、形而上学は道徳のために要請されると書いていて、「霊視者の夢」では、スウェデンボルグの思想に対して、「一滴の理性も見当たらない。それにもかかわらず、彼の著作には、理性的な慎重な吟味が似たような対象について行った結果との不思議な一致が見られる」、「私の体系と一致する」とも書いています。

つまり、カントは、超感覚的な世界に関して認識も理性による判断もできないとして否定しながらも、必要とする形而上学の道徳の点では、スウェデンボルグと一致すると考えていたのです。

そして、この書の延長上に、カントの「純粋理性批判」、「実践理性批判」が書かれます。
カントはこの二書で、まったく新しい形で形而上学を復活させることを目標として、自身の哲学を作り上げました。

カントはプラトン以来の伝統的な「叡智界」を、「物自体」と表現し直します。
これらは理性や認識の対象とならないとして、「ヌース(霊的知性・叡智・知的直観)」を否定しました。
神と合一するスピノザの「知的直観」も否定されます。

しかし、実践においては、「叡智界」を反映することができるとしました。
これは、スウェデンボルグが、地上の人間はそれと知らずに霊界と交流している、と主張したことと似ています。

カントが、真理を認識できないとして、実践においてそれ(他者、自由)を考えた点は現代的です。
特に重要なのは、「叡智界」が現象界の安定を保証しないということです。
ですが、先天的な認識の形式が決められているとし、その創造を否定したことは現代的ではありません。

カントが霊的認識を否定して以降、神秘主義思想は、それを科学的に捉えようとする潮流と、認識できないことを前提にする潮流に別れました。


<前期フィヒテ>

ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ(1762-1814)は、カント哲学を受け継ぎながら、カント哲学が、認識(理論理性)と実践(実践理性)が分離している矛盾を、純粋な「自我」の実践を根底に置くことで解決しようとしました。

フィヒテの前期の主著は、1794-5年に出版された「全知識学の基礎」です。

フィヒテは、デカルトやカントとは違って、非日常的な限界のない意識から出発します。
彼は、「私」しか存在せずに、「私は私」と意識するような限界のない状態の自我の意識を「絶対的自我」と呼びます。
それは、日常的な意識の根底に存在するものです。

この「絶対的自我」は、自我を阻害する「非我」を、そして、「非我」と互いに制限しあう日常的な「有限的自我」を認めて生み出します。
外的な「自然」は、「自我」が「非我」を対象として構成したものです。

「非我」は「自我」を制限しますが、実践的な「自我」は、能動的に「非我」を制限して成長し、「非我」による制限を受けない「絶対的自我」を目指します。
その過程は弁証法であり、その体系は「知識学」と呼ばれました。 

「絶対的自我」は神ではありませんが、「有限的自我」が目的とする理念とされるので、その意味では「絶対者」たる神と同様の存在になります。

そして、フィヒテは、「自我」がこの「自我」の働きを自己直観することを「知的直観」と表現しました。


<後期フィヒテ>

フィヒテは、後期の哲学で、より宗教色、神秘主義色のあるものとなり、「自我」の成長よりも、神である「絶対者」との合一を強調するようになりました。
「絶対者」は、「自我」と「非我」の両方の根底に存在するものです。

この変化には、シェリングが、フィヒテ哲学には客観的な「自然」という観点がないと批判した影響があります。

「絶対者」は概念の否定によってのみ捉えられ、努力なしに、「愛」によって存在そのものと「合一」します。
そして、「絶対者」の智慧である「絶対知」は「知」自体を対象とする知です。
フィヒテの思想は、伝統的な神秘主義の思想と類似するところに落ち着いたのかもしれません。

ですが、フィヒテは神秘主義の直観を観想的・受動的意識とみて、神の中に主体性や自由を失うと批判しました。
フィヒテの「知的直観」が「働き」の直観であったように、彼は、神が自分の中で活動しているように生きることが必要だと言います。
そして、その合一体験を反省して、自由を生むことが重要と考えました。


<シェリング>

詳しくは別項で扱いますが、フリードリヒ・シェリング(1775-1854)は、「有限的自我」と「自然」の根底に、無差別な同一性である神としての「絶対的自我」を立てました。

この点では後期フィヒテも似ていますが、シェリングはフィヒテと違って、「絶対的自我」の創造・産出活動が無意識的なものであるとしました。

人間の「有限的自我」は、次第に自己に目覚めて「絶対者」に近づこうとしますが、永遠の努力によっても「絶対者」には到達できません。
「絶対者」は、このように否定的にしか認識できません。
ですが、ここにおいて「自我」は喪失され、有限と無限が無差別になっている状態が、シェリングにとっての「知的直観」です。

また、芸術においては、理論と実践、意識と無意識が統合されるとしました。
そして、「絶対者」を直観する「美的直観」を、客観化された「知的直観」、「叡智」の自己直観であるとして、重視しました。

そして、シェリングは、スピノザやフィヒテの「知的直観」が、「絶対者」ではなく自己を直観しただけだと批判しました。

後期のシェリングは、ヤコブ・ベーメの影響を受けて、神の根源的次元を「無底」と表現し、客観、対象とならない「絶対的主体」として考えました。
これは対象とならないので、それを把握する「知的直観」は捨てられ、「脱自」が求められます。


<ノヴァーリス>

詳しくは別項で扱いますが、ノヴァーリス(1772-1801)は、自然的な照応の世界観が失われた時代において、認識と創造が一体であり、概念とイメージが結びついた「創造的な想像力」によって、世界の意味を動的に再創造することを目指しました。

ノヴァーリスはカント以降ということを意識し、霊的認識を、客観的認識としてではなく、内面的な創造行為として捉えます。

彼にとっては、受動的な「知的直観」や「合一」、「脱自」は意味をなさず、「創造的な想像力」こそがそれに変わるものでした。

それはシェリングの「美的直観」に似たものですが、ノヴァーリスはそれを芸術に限定せず、哲学や自然科学にも求めました。


<ヘーゲルの絶対的観念論>

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(1770-1831)は、大学時代に、寮で同室だったシェリングやロマン主義作家のヘルダーリンとともに、古代ギリシャの秘儀復興運動を行い、エレウシス秘儀をテーマにした詩を書くなど、神秘主義的志向を持っていました。

ヘーゲルは、シェリングの誘いでイェーナに移住する直前に、「1800年体系断片」を発表しました。
これは、シェリングの自然哲学を受けて、ヘルダーリン的な「合一」と「対立」をキーワードとして、有機的全体の合一性と多様性を統一的に把握しようとしたもので、ほとんどシェリング哲学の立場にありました。

ちなみに、ヘルダーリンは、主観と客観の合一が「知的直観」であり、その状態でのみ「存在」を語ることができると考えました。

しかし、その後、シェリングの「同一哲学」に関しては、主客、認識と存在の「同一性」は認めても、「無差別性」は拒否し、絶対者を「同一と非同一の同一」として理解しました。

そして、1807年の「精神現象学」では、ロマン主義やシェリングの「同一哲学」を批判して、独自の哲学の構築にたどり着きます。
ここで彼は、「同一性」やその「知的直観」は空虚であり、「すべての牛が黒くなる闇夜」、「区別も運動もない実体性」と批判します。

また、彼は、「パガバット・ギータ」やサーンキヤ哲学などのインドのヨーガ的な認識を、無内容、無対象、空虚への逃避として批判しており、これがシェリングやロマン主義への批判と重なります。

ヘーゲルの哲学は「概念」の運動を中心としたものです。
彼は「精神現象学」の序文の中で、「純粋概念(絶対概念)の自己運動」というアイディアは、新プラトン主義の時代なら好意的に受け入れられるだろうが、今は難しいだろうと書いています。
彼は、特にプロクロスを評価しました。

ヘーゲルは、新プラトン主義の「忘我」を「思惟」と解釈し、「一者」を「普遍概念」、「本質としての本質(自身を本質として規定する本質)」と解釈しました。
そして、新プラトン主義が、「一者」と「ヌース」を統一していないことを解決しようとしました。

ヘーゲルは「絶対者」たる神の超越性を否定し、それを有限の存在に内在する、未来に実現する可能性としてのみ認めるのが特徴です。
ですから、シェリングのように、「絶対者」から有限の存在が生じる理由が必要とされることはありません。

「絶対者」は、現実の物質世界と交流を経て、概念(理想)と対象(現実)が一致した「絶対知」として実現しますが、それを概念の自己運動という観点から考えます。

彼にとってイエス・キリストは、概念(神)が外在化して現実(イエス)となった存在であり、「対象が概念に一致する」運動です。

一方、イデアの観照としてのギリシャ的な「美しき魂」、特にアリストテレスの神である「思惟の思惟」は、「神的なもの(概念)の自己直観でもあるような自己意識」であり、「概念が対象に一致する」運動です。

しかし、後期のシェリングは、ヘーゲルの哲学を、実在の認識について語らず、思惟の関係のみ語る「消極哲学」であると批判しました。


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スウェデンボルグの救済論と歴史観 [ルネサンス~近世ヨーロッパ]

キリスト教史上最大の霊視者、エマニュエル・スウェデンボルグは、「スウェデンボルグの神論と宇宙論」で紹介したように霊界を霊視しただけでなく、聖書の独自解釈をもとにした、人間論、救済論、歴史観を説きました。


<人間論>

スウェデンボルグは、人間には「原罪」は存在せず、自由意志で善を選択できる存在だと考えました。
そして、天使と同様、人間は、その中には神的なものはなく、神が発する神性を受け入れる受容器的存在です。

人間は、次の3つの階層からなる存在です。

1 合理的なもの:霊的なものと自然的なものの中間で働く理性
2 自然的なもの:自然界の内面
3 感覚的なもの:自然界の外面

人間の霊的成長は、内奥の「合理的なもの」を開き、「自然的なもの」を「合理的なもの」に従わせていくプロセスです。
それは、イエスが「人性」を「神性」に一致させたプロセスと同じです。

「合理的なもの」の「善」が、「自然的なもの」の理解力の中に「真理」として働きかけ、「自然的なもの」の「善」を新生させるのです。
ですが、人間の成長は、霊界の天使になっても、永遠に終わりません。
つまり、「神性」との完全な一体化は不可能なのです。

人間は「意志」と「理解力」で「神性」を受け取ります。
「意志」で受け取るのは、神の「愛」であり、それは「善」にもあります。
「理解力」で受け取るのは、神の「知恵」であり、「信仰」と「真理」となります。

また、地上の人間は霊界や天界、または地獄とつながっていて、知らないまま、霊たちと交流しています。
一方、霊たちも、人に近づくと、人間の記憶と思考の中に浸透し、それに気づかずに、自分のものであると思っているのです。


<聖言と照応>

天界、霊界は人間と照応しています。

天界全体と等しい「最大の人間」は地上の人間の精神と照応し、その頭は「善」、胸は「信仰」と「愛」、手足は「真理の能力」、目は「知性」などと照応します。
霊界の「精神」、「理性」、「意志」は、人間の肉体、感覚、行動と照応します。
第1天界は人間の心臓、第2天界は肺の照応物です。

これら照応の根本となるのは、神から発する真理であり、「聖言」と呼ばれます。
これえは、「愛」であり「知恵」でもあります。

「聖言」には、「天的意味」、「霊的意味」、「自然的意味」という、3層の階層的な意味の体系があり、それぞれが「照応」していると考えます。

例えば、霊的意味における「愛」は、自然的意味における物理的な「暖かさ」と照応します。
つまり、神秘主義的な照応理論、創造理論としての、客観的な象徴関係です。

地上で霊的なものを「照応」によって反映したものは、「表象」と呼ばれます。

そして、厳密な照応関係に基づいて書かれた文書があり、「聖言」の中の「創世記」や「福音書」、「ヨハネ黙示録」などがこれに当たります。


<聖書解釈>

スウェデンボルグは「天界の秘儀」で、独自の「聖書」の解釈をしました。
つまり、その「聖言」としての意味を読み解いたわけです。

「創世記」の1-12章は、人間の成長のプロセスの表現と解釈します。
つまり、感覚的な経験、知識の獲得から、イエスが示した「栄化」へ向かうプロセスです。
7日間の天地創造は、人間の成長の7段階とされます。

創造以前の「混沌」、「深淵」は日常生活に埋没する状態を表現し、「光あれ」の言葉によって、霊性の自覚が始まります。
そして、7日目には、天界的人間となります。
「エデンの園」は新生した人間の秩序であり、そこからの追放は、自然的なものが霊的なものを支配する状態の表現です。

次に「創世記」の13-50章は、イエスの「栄化」のプロセスの表現と解釈します。
これは、人間の堕落後のイスラエル民族の父祖の歴史に当たりますが、例えば、ヨセフは、「合理的なもの」から発現する「霊的なもの」の象徴です。
また、エジプトは、「自然的なもの」の象徴であり、それを従属させるのです。


<終末論と歴史観>

本来、霊界は善悪が均衡していますが、周期的に、悪の力が優勢になる時があります。
この時、神によって霊界で「最後の審判」が行われ、均衡を取り戻します。
これが、やがて地上にも及び、新しい時代、人間、教会が生まれ、人間が進化します。

過去においては、ノアの箱舟を作った大洪水の時代、アブラハムの時代、そして、イエスの時代がこれに当たります。
そして、スウェデンボルグが「天界の秘儀」の出版を終えた翌年の1757年にも、審判が行われたとします。

つまり、下記のように、過去に4つの時代があり、1757年から第5の時代が始まったとしたのです。

1 黄金時代:原古代教会  :アダム以降  :照応で思考
2 銀の時代:古代教会   :ノア以降   :照応の知識で思考
3 銅の時代:イスラエル教会:アブラハム以降:自然の善で生きる
4 鉄の時代:キリスト教会 :イエス以降  :外面的で善が存在しない
5 新時代 :新しい教会  :1757年以降  :普遍宗教


・原古代教会の時代

「原古代教会」の時代は、原始的な生活をしていた時代ですが、高度な宗教的資質に達した人間がいました。
「原古代教会」はオリエント地域にあったようです。

アダム以降の時代に当たりますが、アダムは人間の始祖ではなく、人間は成長した結果、この時代を迎えたのです。
アダムは「原初の宗教」の象徴です。

この時代の人間は、「天界的」な資質の人間です。
神への愛と隣人愛を特徴とし、無垢で、夢や幻視の中で天使と交流していました。

彼らは、道徳や真理を、夢や幻視の中で内的直観により把握し、自然界には霊的なものの象徴を視ました。
また、感情は表情に現れて、言葉を必要とせずに直接的にコミュニケーションをしました。

しかし、外的なものを基盤としはじめ、利己的知性が働くようになって、堕落しました。
「聖書」の楽園追放、ネフィリムは、このことを示します。
そして、ノアの洪水の審判で滅びました。
彼らが体験した楽園喪失は、すべての人間の成長過程でも繰り返されます。


・古代教会の時代

「古代教会」は、洪水以降に新しく作られ、オリエント諸国にありましたが、各国の文化にはそれぞれに違いがありました。

この時代は、「霊的」な資質の人間の時代です。
理解力を通して道徳や真理を把握し、音声言語によるコミュニケーションが発生しました。
宗教的には、「照応」の知識に基づく表象的な礼拝を行いました。
古代の「聖言」は韃靼(タタール、モンゴル)に保存されていたとされます。

エジプトの文化(ハムの系統)は、内なる礼拝を陳腐化し偶像崇拝と魔術に陥ったとします。
本来、象形文字は照応の知識を反映していました。
ですが、感覚的な記憶の知識が支配的になり、情愛や思考を追い出し、「照応」の知識が廃棄されました。

ギリシャの文化(ヤフェトの系統)は、「照応」した外なる礼拝を行っていました。
しかし、偶像崇拝を経て自然崇拝に堕落しました。

ギリシャ文化は、古代の「聖言」を寓話の形にしてギリシャ神話を生みました。
ゼウスは「天界的」、ポセイドンは「霊的」、ハデスは「自然的」な世界の象徴でした。

ヘシオドスは、黄金時代から鉄の時代に至る5つの時代を記しています。
スウェデンボルグの言う5つの時代は、これに影響を受けて読み替えたもののようです。
ヘシオドスの5つの時代は、退化のプロセスですが、スウェデンボルグは成長のプロセスと読み替えました。

1 黄金時代=原古代教会の時代
2 白銀時代=古代教会の時代
3 青銅時代=イスラエル教会の時代
4 英雄時代=対応なし
5 鉄時代 =キリスト教会の時代
6 新時代 =新しい教会の時代    

また、彼は、「ダニエル書」のネブガドネツァル王が見た夢の巨像の各種の金属でできた部分とも対応させました。

その他の文化に関しては、イスラエル(セムの系譜)は霊的な精神性を、アッシリアは合理的な推理力を、エルサレムは「天界的」な精神性を、ソドムは悪しき欲望を持っていたとします。


・イスラエル教会の時代

「イスラエル教会」は、セムの子孫のアブラハムの系統の教会で、「表象教会」とも呼ばれます。
儀式や戒律など、表面的なものを信奉し、その霊的意味は理解しませんでした。
一神教を保持し、セムは内なる礼拝を持っていましたが、徐々に偶像崇拝に陥りました。

周辺諸国の文化に関しては、バビロニアは支配愛、ペルシャ、メディアは仁愛から発する信仰、ギリシャは仁愛を欠く信仰を持っていたとします。


・キリスト教会の時代

すでに書いたように、イエスが「受肉」し、「栄化」を達成しました。
そして、聖言が「聖書」という形で文字にされました。

しかし、神性を分割する三位一体説という間違った教義が生まれ、徐々に教会は形骸化しました。
宗教改革も正しい改革ではありませんでした。


・新しい教会の時代

「新しい教会」の時代は、1757年以降ですが、スウェデンボルグ以降の時代ということかもしれません。
彼は、この時代について、今後、教会はより自由に考えることができるようになると言っています。

スウェデンボルグは、自ら新しい教会や宗派を設立することには興味を持っていませんでしたが、彼の信奉者が、「新エルサレム教会」を作りました。


各地の文化と人種を単純にまとめて、進化論的に配列することは、ブラヴァツキーの神智学やシュタイナーの人智学にも受け継がれました。


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スウェデンボルグの神論と宇宙論 [ルネサンス~近世ヨーロッパ]

エマニュエル・スエデンボルグは、キリスト教史上最大の霊視者にして、一流の科学技術者、そして神学者です。
彼は、自身の霊視と、聖書の独自解釈によって、普遍的な宗教としての真のキリスト教を回復しようとしました。

彼の思想は、ヘレン・ケラーやバルザックに大きな影響を与え、鈴木大拙も影響を受けて彼の著書の翻訳を行いました。
また、彼の思想には、神智学を近代化へと一歩進め、ブラヴァツキーの神智学やシュタイナーの人智学の先駆となったという側面も持っていました。 

スウェデンボルグの霊界の記述は、宗教が批判されたり、神を世界の原理としてのみ考える理神論が生まれた、啓蒙主義と合理主義が特徴の18Cにしては、あまりにも素朴です。
ボルヘスは、彼の文章を、論争をせず、巧妙な議論はなく、隠喩もなく、シンプルだと論評しています。
彼の文章は、誰にも分かりやすいのが特徴なのです。

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<生涯>

スウェデンボルグ(1688-1772)の父はルター派の牧師で神学者、そして、スウェーデン語初の聖書を刊行し、男爵位を受けた人物です。
ストックホルムに生まれたスウェデンボルグは、科学技術の勉強のためにイギリス、オランダ、フランス、ドイツなどに留学しました。

1716年には、スウェーデン初の科学雑誌を発行し、王立鉱山局の監督官に就任しました。
1721には、「自然的事物の諸原理に関する先駆」、1734年には「哲学的・鉱物学的論文」を出版し、ヨーロッパ中で知られる人物となりました。

スウエデンボルグは、数学、物理学、冶金学、地質学、心理学、解剖学など、当時のあらゆる科学を学び、いくつかの分野では、最先端の研究を行いました。
特に解剖学の分野では、脳下垂体や小脳の機能を解明するなど、当時の学問のレベルを越えた研究を行っていたことが、後世に発見されました。

しかし、彼の興味は徐々に心や魂、哲学や宗教に向かいます。
スウェデンボルグは、50代の中頃からは、一種の内面的危機を迎えます。
1744年、56歳の時に「夢日記」をつけるようになります。
やがて、起きている時にもヴィジョンを視るようになりました。

4月には、ベッドに主が現れ、抱かれるヴィジョンを視ます。
翌年の4月にも再度、主が現れて、聖書の霊的な意味を明らかにするために彼が選ばれたことを告げ、その後、天国と地獄を視ました。
以降、彼は霊界の霊視などに基づく神学に専念するようになります。

スウェデンボルグは、日常のさなかでも、霊たちと交流を持ったり、霊界を訪れたりしましたが、周りの者には気づかれませんでした。
1746年には、「霊界日記」を書き始め、以降19年の間、記録を続けました。

また、ヘブライ語、ギリシャ語を学んで聖書の研究を始めました。
そして、1749から56年にかけて、主著の「天界の秘儀」全8巻(邦訳28巻)をロンドンで出版します。
この書は、創世記と出エジプト記の象徴的な真意を解釈するものです。

その後も、「天国と地獄」、「真のキリスト教」など多数の書を出版しました。
しかし、1770年には、ストックホルムの王立評議院が異端と判断して、その書の輸入を禁止します。
そして、1772年、スウェデンボルグはロンドンで亡くなりました。

スウェデンボルグの活動は、聖書の解釈を元に、真のキリスト教を復元しようとしたものでした。
しかし、彼の中では、「真のキリスト教」のサブタイトルの「新しい教会の普遍的神学」が示すように、それはキリスト教を越えた普遍宗教というべきものでした。

また、彼は千里眼や死者とのコミュニケーションの能力を持っていて、周りの者を驚かせたと言います。  
有名な事例には、ストックホルム大火災を、300マイル離れたところにいながら、周りの者に同時中継的に詳細を知らせたことがあります。
また、スウェーデン女王ユルリカに、彼女の亡くなった兄からの、他人が知るはずのない伝言を伝えたこともあります。


<スウェデンボルグの神学>

スウェデンボルグにとっての神は、あくまでも、人格神です。
神から人格性を取ってしまえば、汎神論になるしかないと考えました。

神の愛は自己投影的で、それは創造において表現されます。
神は常にその「神性」を流出しています。
それは「愛」であり、「知恵」であり、「生命」です。

スウェデンボルグは、三位一体説を否定しました。
イエス(子)はヤーヴェ(父)そのものであると考えました。

イエスの受肉は、神=「神性」が人間に直接接触するために、「人性」をまとったこととされます。
十字架の苦難は「贖罪」のためではなく、「人性」を「神性」に一致させるための試練だと言います。
これによってイエス=神は、「神的人性」を獲得し、救済の働きかけとしての「聖霊」が生まれました。

この時、イエスの中に「神的三一性」が生まれたのであって、正当神学が言うように、最初から「三位」が存在したのではないのです。

イエスが「人性」を「神性」に一致させるために歩んだ道は、人間の成長のモデルでもありました。

最初は、「神性」に由来する愛の要求と、「人性」に由来する利己的要求が衝突している状態ですが、これを「卑下の状態」と呼びます。
順次に「人性」を脱ぎ捨てて、人のままに「人性」を「神性」に一致させた状態、つまり「神的人性」を獲得した状態を、「栄化の状態」と呼びます。


<宇宙論>

スウェデンボルグは、宇宙を大きくは、3層で後世されていると考えました。
「天界」、「霊界」、「自然界」です。
あるいは、「天界」、「霊界」、「地獄」の3層です。

「天界」と「地獄」はそれぞれ3層から構成されます。
ただ、「天界」の3層は、上下の関係ではなく、内外の関係です。
内奥部に位置するのが「第3天界」で、「天的天使」がおり、「神への愛」と「正義」を特徴とします。
中間部に位置するのが「第2天界」で、「霊的天使」がおり、「隣人愛」と「公平」を特徴とします。
最外部に位置するのが「第1天界」で、「自然的天使」がいます。

1 天界
-1 第3天界(内奥部):天的天使、神への愛、正義
-2 第2天界(中間部):霊的天使、隣人愛、公平
-3 第1天界(最外部):自然的天使
2 霊界:死者が一時的に滞在する中間・中継的な場所
3-1 自然界
3-2 地獄

「霊界」は、死んだ人間の霊が一時的に存在する場所です。
そして、天使や悪魔は、死後の人間のその後の姿です。

つまり、「天界」は、死んだ人間の中で良い霊が上昇して入って、天使になる場所です。
反対に、「地獄」は悪い霊が落ちて、悪魔となる場所です。
神によって落とされるのではなく、自ら居心地が良くて行きます。
「天界」は互いに喜び合うこと、「地獄」は自分が上に立つように争うことが特徴です。

天使は神から流入する神性を受け取る存在です。
天使は時空の概念を持ちません。
「天界」における時間は、状態の変化です。
そして、空間的な距離は、物理的にはなく、内的状態の類似性を表します。

天使の言葉は生まれつきのもので、情愛から流れ出る、その配分の形が概念です。
天使には性別があり、男性は理性、女性は意志の現れです。

「霊界」は、「天界」からの神性が下降し、「地獄」からの悪なるものが上昇し、それが均衡しています。
これは、地上も同じです。
この「均衡」があって初めて、人間は「自由意志」を持つことができるのです。


「天界」、天使は、全体で一人の人間の形を持ちます。
スウェデンボルグは、これを「最大の人間」と表現します。
アダムカドモン(原人間)のスウェデンボルグ版です。

「天界」や「地獄」には、似た性質の霊が集まる、各種の社会があります。
各社会も、1つの人間の形を持ちます。
ミカエル、ラファエルなどの天使は、社会全体として天使です。
各天使も、1つの人間の形を持ちます。

そして、全自然は、天界(最大の人間)や霊界と照応します。


<宇宙間の諸地球>

スウェデンボルグは科学者でした。
彼の時代、天文学では、地動説はもちろん、我々の太陽系外の恒星や惑星の存在も常識となっていました。
彼は、その時代に相応しい、宇宙論、霊界観を考えました。

スウェデンボルグは、惑星のことを「地球」と呼びます。
我々の太陽系の諸惑星や、他の太陽系の諸惑星にも、人間がいて、その霊と交流したと、言います。
月などの衛星にも人間がいます。
各人間の外見は似ていますが、性質には違いがあります。

ただし、「天界」は1つであり、全宇宙、全地球の人間が共有しています。
彼は、宇宙も「天界」も無限であると考えました。

また、神が受肉したのは、我々の地球のみであり、その目的は聖言(聖書)を記されたものとすることです。

「天界」=「最大の人間」が照応するのは、全宇宙とその人間です。
我々の地球の人間は、「最大の人間」の自然の外なる感覚と照応します。
他の地球の人間は、それぞれに、照応する部分があります。

例えば、火星の人間は天的人間であり、原古代教会に属した人間に似ています。
土星の人間は、霊的な人間と自然的な人間の中間に相当する人間です。

諸惑星における人間を考えるのは、ブラヴァツキーの神智学やシュタイナーの人智学にも受け継がれます。
ですが、スウェデンボルグは、両者と違って、それらを人間の進化軸での順序や階層としては捉えませんでした。


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薔薇十字啓蒙運動 [ルネサンス~近世ヨーロッパ]

薔薇十字宣言とアンドレーエ」で書いたように、薔薇十字宣言が出された時、薔薇十字団は架空の存在であり、宣言書の制作メンバーだったヴァレンチン・アンドレーエにとっては、それは改革理念の演劇的・喜劇的表現でした。

ですが、宣言書に表現された思想は、時代が生んだ必然でした。
そして、宣言をきっかけにして起こった運動は、17世紀を特徴づける啓蒙運動となり、その後の啓蒙思想や、神秘主義思想に大きな影響を与えました。


<時代背景と著者グループ>

薔薇十字宣言の著者は、チュービンゲンの理想主義者のグループであると推測されています。
そこにはアンドレーエが含まれますが、彼の役割が中心的存在であったか、そうでなかったか、あるいは、ほとんど関わっていなかったかは、分かりません。


薔薇十字の最初の宣言書、「友愛団の名声」が出版されたのは、30年戦争の4年前です。
当時、ヨーロッパでは、カトリックとプロテスタントとの争いが激しく、各国の思惑が複雑にからむ状況がありました。
別項で書いたように、ドイツのプロテスタント勢力は、ファルツ選帝候フリードリヒ5世を支持し、イギリスとのプロテスタント同盟にも期待をしていました。

また、ルネサンス以来の新しい知が発展し、それらによる改革を期待する声が増えていました。
ですが、当時、科学と魔術は一体であり、数学や天文学(地動説)、化学は、魔術の同類と考えられ、特にカトリックからは異端視される危険がありました。 

また、ヨアキム・デ・フィオレが予言した終末と「聖霊の時代」、そして千年王国の到来が迫っていると信じる人が多くいました。


薔薇十字文書が生まれたチュービンゲンは、ルター派神学の中心地で、アンドレーエの親交範囲には、様々な人物がいて、様々なサークルがありました。

ヴァレンティン・アンドレーエ(1586-1654)は、ルター派の牧師・神学者です。
祖父のヤコブはルター派の最高位の神学者で、ルター派の分裂の回避に尽くした人物です。
また、父のヨーハンは、錬金術にも興味を持つ牧師でした。

アンドレーエは、チュービンゲン大学で神学を学び、イギリスの演劇の影響を受けて喜劇を中心にして作家活動を始めました。
薔薇十字文書の「化学の結婚」は、そんな彼が10代に書いた初期の作品です。
しかし、おそらくシュトゥットガルトの宮廷批判が原因のスキャンダル大学から追放され、ヨーロッパ各地を遍歴しました。
しかしその後、「友愛団の名声」が出た1614年には、ファイヒンゲンの副牧師になっています。

1619年には、カンパネッラの「太陽の都」やジョン・ディーの思想の影響を受けた、ユートピア的キリスト教国家を描く「クリスティアノポリス」を出版します。
1620年には、それを実現するために「キリスト者協会」を設立しました。

次に、アンドレーエと親交のあった人物やサークルなどです。

クリストフ・べゾルトは、カバラに詳しく、ケプラーの友人でもあり、カンパネッラの影響を受けた理想主義的な人物でした。
幅広い教養を持った万能人であり、4000冊弱の蔵書を持ち、アンドレーエはそれを閲覧でき、アンドレーエに大きな影響を与えた人物です。

トビアス・ヘス(1568-1614)は、パラケルススに影響を受けた錬金術師的な医師で、ヨアキムの終末論にも傾倒していました。
彼の周りには人が集まり、サークルが生まれていました。
彼は宣言書作成の主要人物であったのではないかと推測されています。

ベネディクト・フィグルスは、パラケルスス主義者で、「新たなる祝福された哲学の薔薇園」を1608年に出版し、彼の周りにもサークルができていました。
この書は「名声」のネタの一つかもしれません。

ヴィルヘルム・ヴェンセは、イタリアのカンパネッラの弟子であり、カンパネッラの「太陽の都」の独訳者であり、アンドレーエの友人でもありました。
彼は、アンドレーエやべゾルトに、カンパネッラ風の学者結社「太陽協会」の設立を持ちかけていました。
後に、アンドレーエの「キリスト者協会」にも参加しました。

他に、アンドレーエの重要な友人に、アブラハム・ヘルツェル、トビアス・アダミらがいました。
アダミは「キリスト者協会」に参加しました。
ヘルツェルは、宣言書作成の主要人物であったのではないかと推測されています。

また、当時、新興のドイツ民族主義の結社が複数存在していて、ドイツ語普及運動を行っていた「豊穣協会」には、アンドレーエが関わっていました。
その「豊穣協会」が関係していた「親友協会」は、錬金術に興味を持った結社で、アンドレーエも会員であったかもしれません。

このように、終末的、改革的な時代のムードの中、チュービンゲンには、理想主義的、神秘主義的な思想を持つ人物、グループが多数ありました。
その中から薔薇十字思想・運動が生まれるのは、自然なことでした。


<薔薇十字の思想のモデル>

薔薇十字文書の思想は、終末論と、科学と魔術が一体となった普遍的な知による、啓蒙的・進歩主義的な社会改革、そして、聖職者、科学者、賢者が治める理想社会です。
それは、反カトリック的なプロテスタントの宗教改革を、ルネサンスのヘルメス・カバラ+錬金術の知によって高めることです。

薔薇十字思想の主なバックボーンは、ジョン・ディー、パラケルスス、カンパネッラでしょう。

ディーは、イギリス・ルネサンスを代表する人物であり、科学技術=魔術の啓蒙者です。
彼はドイツを旅行しており、その際に様々な交流を行っています。
パラケルススは、ローゼンクロイツのモデルの一人かもしれず、パラケルスス派には、キリスト教化された錬金術と、「普遍的知(パンソフィ)」という理念があります。
友愛団のモデルとしては、カンパネッラのユートピア小説「太陽の都」が描く学者の組織があります。

また、友愛団は、カトリックのイエズス会をモデルに、プロテスタントの同様の組織として考えられたという説もあります。
「化学の結婚」では、ローゼンクロイツは白地に赤い十字の旗をかかげて「石の騎士団」となっていますが、これは、ガーター騎士団がモデルでしょう。
また、設立者の神秘的性質から、友愛団は聖杯を守る騎士がモデルになっているという説もあります。

「薔薇十字」という名称に関しては、アンドレーエとルターとパラケルススの紋章に、その両方が含まれているところからつけられたという単純で説得力ある説があります。
また、「薔薇十字宣言とアンドレーエ」に書いたように、ガーター騎士団の紋章に由来するという説、ジョン・ディーの「象形文字のモナド」に由来するという説もあります。
あるいは、シモン・シュトゥディオンが「ナオメトリア」で主張した「福音主義同盟」に由来するという説もあります。

一般に、「十字」は「キリスト」の象徴であり、対する「薔薇」は「聖処女マリア」の象徴とされます。
「薔薇」は、キリスト教以前では、「ヴィーナス」やその「聖娼」の象徴でもありました。
ですから、「マグダラのマリア」の象徴でもあるでしょう。

錬金術でも、「薔薇」という言葉はよく使われ、「聖処女」の象徴として使われます。
「薔薇の花園」としては、「子宮」の象徴となり、「薔薇」に降りる「露(=十字)」は女神の中で再生する精子の象徴です。
また、「薔薇」の赤は、錬金術の「大作業」、「赤化」、「赤色の賢者の石」の象徴にもなります。

一方、スーフィーの象徴では、「薔薇」=「行」、「十字」=「本質を抽出する」です。
これが伝わっているとすれば、「薔薇十字」は霊的な本質を顕現させる方法という意味になります。


<影響>

薔薇十字文書は当時としてはベストセラーになり、中北部ヨーロッパに広がり、多くの賛同と批判を集めました。

賛同者には、ジョン・ディーを継承するイギリス・ルネサンスの最後の大物、ロバート・フラッド(1574-1637)がいます。
彼は、1616年の「薔薇十字の友愛団に対する簡単な弁明」、1617年の「薔薇十字の結社のための弁論的論考」でいち早く友愛団に対する批判から団の擁護をし、自身の団への参加を求めました。
彼は友愛団が実在すると信じていましたが、接触がなかったため、自分にはその資格がないのだろうと思っていたようです。

フラッドの主著「両宇宙誌」(1617-19)は、ディーのウィトルウィウス主義を継承し、ルネサンスの万物照応思想の最後の総合を示す書です。
この書は、30年戦争の足音が近づく中、薔薇十字団の聖典として急いで書かれた、とも言われています。

神聖ローマ帝国のルドフル2世の侍医であり、私的秘書であったミハエル・マイヤー(1566-)も賛同者でした。
彼は、皇帝の死後に反宗教改革派に追われてイギリスに1612年に逃亡し、ロバート・フラッドと知り合いになりました。
彼の「逃げるアタランタ」は、錬金術的な寓意書で、美しい寓意画で有名です。
マイヤーも友愛団の実在を信じていましたが、近づくことは僭越と考えていたようです。
また、彼は錬金術師でもあり、友愛団の錬金術が精神的なものであり、その秘密を知っていると信じました。

オックスフォード大学のアシュモール博物館の創設者であり、古物研究家、錬金術師のエリアス・アシュモール(1617-)も賛同者です。
彼の「英国の化学の劇場」は、イギリスにおける錬金術文書の選集であり、マイヤーを継承
するものですが、この書は「名声」の引用から始めています。
彼は友愛団への加入希望の手紙を書きましたが、これは、勤行として行ったのであって、実際に連絡を取ろうとしたのではない、との解釈もあります。

フランシス・ベーコンも影響を受けています。
彼の著作「ニュー・アトランティス」(1626)は、「太陽の都」のベーコン版です。
この書が描く島の役人は赤い十字を身につけるなど、薔薇十字文書の影響が見られます。

また、ライプニッツも薔薇十字団に接触しようとした人物です。
彼は、1666年に薔薇十字を名乗る何らかの団に加入したようですし、アンドレーエのキリスト者協会にも興味を持っていました。
そして、彼が提案している慈悲の結社の規則は、ほとんど「名声」の引用です。

また、薔薇思想の影響を受けて誕生した学者の組織もいくつかあります。

1622年に、植物学者、医学者、論理学者のヨアヒム・ユンギウスが設立した、「エレウニス協会」もそうです。
この協会は、大学から独立したヨーロッパで最初の学者集団で、ユンギウスはチュービンゲン・グループと接触もあり、薔薇十字思想やフィチーノの「アカデミア・プラトニカ」の影響を受けています。

ドイツのファルツ出身のテオドーア・ハークがオックスフォード内に設立した「見えない学院」も、薔薇十字文書の影響を受けています。
この学院は、王直属の科学アカデミー兼文化人交流会である「ロイヤル・ソサエティ(王立協会)」の前身となりました。

「ロイヤル・ソサエティ」のメンバーには、近代化学者の父ロバート・ボイルやニュートンがいますが、2人とも錬金術に興味を持っていました。
ニュートンはアシュモールの「英国の化学の劇場」を研究しています。

先に書いたアシュモールは、「見えない学院」にも「ロイヤル・ソサエティ」にも参加してます。
また、「ロイヤル・ソサエティ」設立の立役者にロバート・マリはがいます。
この2人はどちらも薔薇十字思想に興味を持つ人物であり、また、マリは1641年にエジンバラの、アシュモールは1646年にロンドンの、フリーメイソンリーに入会しています。

この2人が入会しているのなら、これらのフリーメイソンのロッジは、単なる石工組合の結社ではなく、思想的な興味を持つ「思弁的メイソン」のロッジでしょう
薔薇十字思想の影響を受けて、「思弁的メイソン」が誕生した可能性もありますが、少なくとも影響は与えたのでしょう。
アンドレーエの弟子的存在であったヨハネス・コメニウスは1641年以降にイギリスに滞在しており、彼がなんらかの役割を果たしたようです。

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*「薔薇十字の見えない学院」テオフィルス・シュヴァイクハルト

薔薇十字運動は、18世紀以降の欧米の神秘主義思想の本流にも大きな影響を与えました。
ドイツの黄金薔薇十字団、思弁的メイソン、フランスの薔薇十字カバラ団、ブラヴァツキーの神智学協会、ルドルフ・シュタイナーの人智学協会、黄金の夜明け団などです。
そして、多数の組織が、「薔薇十字」という名称を使用しました。


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薔薇十字宣言とアンドレーエ [ルネサンス~近世ヨーロッパ]

1614年と翌年に、現ドイツのカッセルで匿名で公開された2つの薔薇十字(ロジクルジャン)文書は、まとめて「薔薇十字宣言」と呼ばれます。
この宣言は、薔薇十字友愛団の設立の経緯を紹介し、参加を呼びかけていますが、これは架空の団体でした。

しかし、これが17世紀の進歩主義的な改革の啓蒙運動につながり、また、その後のヨーロッパの神秘主義思想にも極めて大きな影響を与えました。
薔薇十字の啓蒙運動は、科学と魔術が一体であるルネサンス思想の最後の展開であり、やがてその潮流は、18世紀には、合理的啓蒙主義と反啓蒙主義的な神秘主義へと分離していきました。

薔薇十字運動のきっかけとなるオリジナルの文書は、1614年の「友愛団の名声」、1615年の「友愛団の告白」の両宣言、そして、1616年にシュトラスブルクの版元から出版された関連小説「クリスチャン・ローゼンクロイツの化学の結婚」の3書です。

これら文書の著者は、ヴァレンチン・アンドレーエと、彼と親交のあったチュービンゲンの理想主義者のグループであると推測されています。


<友愛団の名声>

1614年に出版された「友愛団の名声」(以下「名声」)は、サブタイトルが「あるいは誉れあるRC友愛結社の発見、ヨーロッパの首長、諸身分、ならびに学者たちに捧げる」です。
しかし、イタリアの作家トラヤーノ・ボッカリーニの「全世界の普遍的にして一般的改革」に付録する形で出版されました。

「名声」は、1610年前後には作成され、写本として流通していたようです。
1612年には早くもハーゼル・マイヤーが「名声」の呼びかけに反応した内容の出版をしています。
「名声」の出版された初版には、これが添えられ、この反応をしたためにマイヤーがイエズス会に捉えられたことを記しています。

「名声」と訳された原語の「ファーマ」は、「伝説」や「神話」と訳しても良い言葉です。

「名声」の内容は、C・Rと記される人物の人生、彼が友愛団を結成した経緯と、この書が出版された経緯、そして、友愛団への参加を呼びかけです。

「C・R」は、「R・C」、「C・R・C」、「C・Rose・C」など複数の表記方法で表記されています。
彼は、ドイツに生まれ、アラビア文化圏を遍歴し、真実の知識を発見し、それが書かれた「Mの書」をラテン語に翻訳して持ち帰りました。

C・Rはそれに基づいてスペインの学者達に、技術、哲学、教会の改善を提案しましたが、彼ら自身の保身のために拒否されました。
C・Rは、教育的かつ国王を支援するための財宝を持つ協会が必要だと考え、3人の同士と「薔薇十字友愛団」を創設し、さらに新たに4人を加えました。
団員はいくつかの国に分かれて活動することになりましたが、友愛団については100年間秘密にすることが規則でした。

パラケルススも「Mの書」を読み、友愛団と同じ理念で活動したが、友愛団ではなかったと記されています。
パラケルススは、C・Rのモデルの一人なのでしょう。
友愛団は無料で病気治療を行ないます。

C・Rが亡くなった時、いつか友愛団が消滅しても再建できるように、宇宙の真理を表現した建築物として、C・Rの埋葬所が建設され、各種の書も収められました。
彼の知は、彼の時代が受け取るには相応しくなかったため、後世に託されました。
そして、120年後に埋葬所が発見されると予言されました。

予言通りにC・Rの埋葬所は発見されました。
これを機会に、友愛団の存在を公表し、団員への参加をヨーロッパに参加を呼びかけることにしました。

最後に、近い内に人間、社会の全般的改革がやって来る、友愛団に興味ある人は、公の場で口頭で、もしくは、著作で公表すれば、友愛団の方から接触すると、述べています。

他にも、「名声」では、友愛団は社会を変革する秘密の知識を持っていること、魔術を善用する方法を知っていることを記しています。
また、錬金術に関しては、偽りの黄金作りを批判、錬金そのものの重要性を否定しています。
しかし、錬金術が存在しないとは述べず、また、錬金術の本意が霊的成長であるとも述べていません。

C・Rの生誕は1378年、死は1484年の106歳の時、埋葬所の発見は1604年、つまり、「名声」の出版の10年前であることが、翌年の「告白」の記述から判明しました。


<全世界の普遍的にして一般的改革>

「名声」の前に置かれた「全世界の普遍的にして一般的改革」(以下「改革」)は、イタリアの作家トラヤーノ・ボッカリーニの寓意的風刺作品「パルナッソスからの報告」から抜粋したものです。
当時のヴェネチアには、反教皇の自由主義勢力がいたので、イギリスやドイツのプロテスタント勢力からも、連携の可能性を考えて注目されていました。

「改革」は、アポロンが世界の改革をしようとして賢者達と協議するのですが、改革案は実行不可能なものばかりで、改革者達はつまらない事に忙殺されて改革を断念してしまいます。
これは、プロテスタントとの分裂を回避せずに断罪した、ローマ教会のトリエントの宗教会議をパロったものです。
それで結論としては、博愛や隣人愛を人類に吹き込むことが救済策であると、最後にソロンに語らせます。

博愛による改革を目指す点では、「改革」は「名声」と共通します。
また、「改革」が架空の設定の物語であることは、「名声」も同様であることを暗示しているようです。


<友愛団の告白>

1615年に出版された「友愛団の告白」(以下「告白」)は、「名声」の新版の付録として出版され、サブタイトルは「あるいはヨーロッパの全学者に宛てて書かれた、薔薇十字のもっとも立派な結社の称えられるべき友愛団の告白」でした。

また、フィリップ・ア・ガベッラ作の「より秘密の哲学の短い考察」(以下、「考察」)を併載していいて、最初にこれを読むようにと記されています。
ガベッラは知られた人物ではなく、宣言書を書いたメンバーの偽名かもしれません。

「考察」の内容は、ジョン・ディーの「象形文字のモナド」を引用してのその解説であり、最後に、薔薇十字団メンバーによる祈りが付いています。
全体の構成から、薔薇十字団の哲学の核心が、ディーの思想と同じあることを示しています。
彼の思想は、科学技術と魔術が一体となった普遍的な知を志向するものです。

ディーが考案したモナドの図像は、中央に十字があり、上部の天から露が落ちると考えます。
「露(ルス)」は「薔薇(ローズ)」に通じ、錬金術的には黄金の溶剤です。
「薔薇十字」という名称は、これに由来するという説があります。

「告白」の内容は、「名声」の続編にあたり、友愛団の説明です。
ですが、ドイツ語で書かれた「名声」と異なり、ラテン語で記されているため、知識人を対象としています。

最初に辞では、ローマ教皇をアンチキリストと表現して批判しています。

本文では、友愛団が作り話ではない、教皇を断罪する、友愛団は異端ではない、世俗の支配をもくろんでいない、友愛団への加入については適正を判断する、といった内容が語られます。
さらには、アラビアには賢者だけが治める町がありヨーロッパでも同様となる、間もなく訪れる終末の前に神が真実と生命などを贈る決意をした、と。

また、秘密の隠された文字と記号が必要になる、神はそれらを被造物のうちに刻み込んだ、という主張もなされています。


<化学の結婚>

1616年に出版された「クリスチャン・ローゼンクロイツの化学の結婚」(以下「化学の結婚」)は、宣言書ではなく、幻想譚的な小説です。
サブタイトルは、「秘密を暴かれた秘法は価値を失い、神聖冒涜は恩寵を破壊する 豚どもに真珠を投げ与えるなかれ、ロバに薔薇の床をしつらえるなかれ」です。
そして、1459年という日付が記されています。

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この書は、後世の1779年に発見・出版されたヴァレンチン・アンドレーエの自伝で、自分が作者であることを認めています。
*アンドレーエのプロフィルについては、「薔薇十字啓蒙運動」を参照してください。

しかし、アンドレーエには出版する気がなく、本人の意志を無視して海賊版として出版されました。
「化学の結婚」は、「名声」以前に写本として読まれていて、「声明」の反響が大きかったためか、勝手に出版社に持ち込まれたのです。
この書は、アンドレーエの10代の作品であり、この書をもとに、宣言文書が作られたようです。

「化学の結婚」は幻想譚的な小説で、錬金術のイメージに溢れています。
また、タイトルページにディーのモナスの図像を掲載しています。
この書の具体的な内容は、ローゼンクロイツが、王と王妃の結婚式へ召命を受けて旅立ち、様々な体験をする7日間の出来事です。

2日目には、入城する際に、ローゼンクロイツは「赤い薔薇十字の同胞」であると答えます。

4日目には、3組の6人の王族(老いた王と若い王妃、浅黒い肌の王とヴェールをかぶった老夫人、高価な王冠をかぶった2人の若い人)が斬首され棺に入れられますが、5日目にオリンポスの塔へと船で行き、6日目に錬金術の作業によって彼らの遺体を変化させ、1組の王と王妃を生みだして生き返らせ、二人を船に乗せて送り出します。

最終日には、ローゼンクロイツは「黄金の石騎士団」に入団し、王と共に宮殿に戻ります。

「化学の結婚」は、王と王妃の結婚式をテーマにしていますが、出版の2年前の1613年に、イングランド王女エリザベス・テューダーと、錬金術を研究していたファルツ選帝候フリードリヒ5世が結婚しており、それは反カトリック同盟の意味合いを持っていました。
「化学の結婚」は1613年以前に書かれていますが、1616年に出版された版には、2人の結婚を象徴する内容になっており、そのように書き直されたのでしょう。

薔薇十字関連書は、明言はせずとも、反カトリック的なプロテスタント同盟を求めようとするものであり、ファルツ選帝候フリードリヒを支持するものです。

フリードリヒは、イギリスからガーター勲章を授与されましたが、ガーター騎士団の紋章は白地に赤い十字であり、ローゼンクロイツが7日目に王を守りながら騎上で掲げた旗と同じです。
また、ローゼンクロイツの白と赤の装いとも重なります。

フリードリヒは、ローゼンクロイツのモデルの一人であり、「薔薇十字」はガーター騎士団の紋章に由来するという説もあります。

また、錬金術的には、ローゼンクロイツが身につけている薔薇は、聖処女の象徴、もしくは、赤化の過程や赤い賢者の石を象徴するのかもしれません。


<キリスト教神話>

1618年に、アンドレーエは「キリスト教神話」を出版しました。
彼はこの書で、喜劇、笑劇の道徳的教育効果を述べて評価しています。
もともと、彼が最初に書き始めたのは、イギリスの演劇に影響を受けた喜劇でした。

アンドレーエはこの書で、薔薇十字団を想定して、「ヨーロッパ中に喜劇を上演して歩くすばらしい友愛団」と書いています。

また、1619年に出版した「バベルの塔」では、「友愛団を待っていても無駄、喜劇は終わった」と書いています。

つまり、アンドレーエにとって、薔薇十宣言は、そのままに受けとられるべきものではなく、彼らの改革理念を、演劇的・喜劇的に表現したものだったのです。

ところが、宣言をそのままに、友愛団が実在すると受け取る者達によって、様々なつまらない論争がされるようになったため、アンドレーエは、薔薇十字運動から距離を取り、批判する側に回りました。


<クリスティアノポリス>

1619年に、アンドレーエはユートピア小説「クリスティアノポリスの理想的またはユートピア的都市の記述」(以下「クリスティアノポリス」)を出版します。
これは、賢者が治めるキリスト教徒の理想の都市の話で、カンパネッラの「太陽の都」のアンドレーエ版です。

この書の序文では、改革の必要性を説きながら、ある友愛団体がこれを約束したが、結果は、ペテン師や詐欺師によって、人々の間に完全な混乱の種を巻いてしまった、と述べています。

そして、船に乗り込んでクリスティアノポリスに向けて出港するように誘います。
このことは、「化学の結婚」でローゼンクロイツが船で婚礼の場に向かったことを思い起こします。
また、「不当に薔薇十字の同胞を名乗るペテン師ども」は、クリスティアノポリスの門をくぐれないと記されています。
これは、「化学の結婚」でローゼンクロイツが「赤い薔薇十字の同胞」と名乗って門をくぐったことを思い起こします。

つまり、「クリスティアノポリス」は、「化学の結婚」のヴァージョン・アップなのです。
そして、一番の違いは、今回は架空の喜劇ではなく、翌年から実現にするシナリオだった点です。


<キリスト者協会>

アンドレーエは1619年に「キリスト者協会の見本」、1620年に「さしだされたキリスト教的愛の右手」を出版します。
この両書は、薔薇十字宣言書のヴァージョン・アップと見なすことも可能です。

薔薇十字団は架空の存在でしたが、今回、アンドレーエは「キリスト者協会」という現実の組織を1620年に設立しました。
この協会には、「太陽の都」の独訳者のヴィルヘルム・ヴェンセやトビアス・アダミといったアンドレーエの友人も参加しました。
彼らは、薔薇十字文書に関わっていたメンバーかもしれません。

「キリスト者協会」の活動には、ヨハネス・ケプラーやライプニッツが興味を持っていたようです。
しかし、残念ながら、30年戦争のために活動は短い期間で終わりましたが、その後、継承者や分派を生みだしました。

*「薔薇十字啓蒙運動」に続く

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ヤコブ・ベーメ [ルネサンス~近世ヨーロッパ]

無学な靴屋だったヤコブ・ベーメ(1575-1624)は、幾度か体験した神秘体験をもとに、それを独自の思想として表現しました。

シェリングは彼を、「人類の歴史における、とりわけドイツ精神史における1つの奇跡的現象」、「彼が我々に記述する神の生誕でもって、近代哲学のあらゆる学問的体系に先行した」と評しました。
ヘーゲルも、「ドイツ最初の哲学者であり、その哲学内容は真にドイツ的である」、「最も生ける弁証法」と評しました。
また、ノヴァーリスなどのドイツ・ロマン主義者に与えた影響も多大です。


<神秘体験と執筆>

ベーメが住んでいた当時のドイツのゲルリッツでは、キリスト教の宗教改革派・反改革派の争い、両派による異端への攻撃が激しく、また、ペストの流行があり、30年戦争前夜で戦争の足音も聞こえていました。
そして、コペルニクスの地動説によって伝統的な世界観が崩れて、文字通り足元が揺らいでいました。

ベーメは諸悪を現前に見て、時代そのものの憂鬱と悲嘆の中にいました。
彼は、この精神的な暗黒の状態で、光明を希求した時、神秘体験をしました。

ベーメは、遍歴をしていた18歳頃、神の光によって捉えられ、7日間、神的省察と歓喜の中に留まり続けました。
また、25歳の時には、暗い錫器に太陽の光が反射して、突如、錫器が明るく輝くのを見て、神秘体験をします。
この時のことを、「自然の最内奥の誕生の内へと至り、花婿がいとしい花嫁を抱くように、愛に包まれた…死の真只中で生が生まれる時以外の、何ものとも比較されず、死者の復活に比される。この光の中に、私の霊はたちまち一切を見通した。そして、木や草にいたるまで、すべての被造物に神を認識した。神が何者であり、神がいかにあり、その意志が何であるかを認識したのである」、と書いています。

しかし、彼は、すぐにそれを表現することはありませんでした。
彼は学者でも聖職者でもなく、ラテン語も読めません。
ですが、友人と通して、パラケルススやカバラ、そして、プロテスタントの霊性主義者のヴァレンティン・ヴァイゲルやセバスチャン・フランクを教えられて、その影響を受けたようです。

そして、25歳の時の神秘体験から12年後、1612年に初の書、「アウロラ」を仕上げます。
これは写本で友人達の間から徐々に広く読まれるようになります。
しかし、異端的な内容のために、教会によって執筆禁令が出され、ベーメは、その後6年間断筆します。

ところが、30年戦争が勃発した1918年に、ベーメは執筆を再開しました。
1619年には、「神の本体の3つの原理について」、「人間の3重の生」など、1620年には「神智学の6つのポイント」などを著します。
「アウロラ」の思想はこの間に発展、修正され、この時点で彼の思想の体系がほぼ完成します。
1624年には、「キリストへの道」が匿名で初めて出版されますが、またもや教会から異端視され、町から追放されてしまいます。
この書は彼の生前に唯一出版された書となりました。

その後、ベーメは、故郷に帰還し、美しい音楽が聴こえると言いながら、亡くなりました。

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<無底>

ベーメは、1620年頃から、根源的な神的存在を、「無底」と表現しました。
彼は、「無底」について、「神は…立ち処のないまなざし…顕霊へのあこがれであり意志である」、「万物の根底であり永遠の一者であって、そこには根底も場所もない」と書いています。

根源的存在を否定的に表現することは、神話の時代の「混沌」、「深淵」などからあり、キリスト教でも「無」と表現する否定神学の伝統があります。
しかし、ベーメはエックハルトなどの否定神学を読んでいないと思われます。
おそらく、カバラの「無限(エンソフ)」の影響を受けたのでしょう。

しかし、「無底」というインパクトある表現を使った人は、ベーメが初めてでしょう。
彼の後でも、シェリングを例外として、ほとんど使われていません。

この言葉は、「内奥の無限」、そして、「無根拠」を表現すると共に、「奈落の底」としてイメージされる鬱病的な心情とつながった表現でしょう。
「無底」は善と悪、光と闇、愛と怒りを内に含む存在、「母」で、普通に言う「善なる神」は、そこから生まれた存在です。


<宇宙論>

「無底」は展開して、諸世界とその歴史が生まれると考えます。
ベーメは、「光の世界(天国)」と「闇の世界(地獄)」と、この我々の地上の「光と闇の混ざった世界」の3つの世界があると考えます。
ですが、詳しく見ると、次の5つの世界になります。

1 透明な「意志の世界」
2 不透明な「欲の世界」=「永遠の自然」(第1の創造)
-1 第1原理(性質1~4)=「闇の世界」=「不安の輪」
-2 第2原理(性質4~7)=「光の世界」=「愛のたわむれの輪」
3 ルシフェルの「闇の世界」(第2の創造)
4 第3原理=「光と闇の世界」=「自然の輪」(第3の創造)
5 キリストによって回復される世界

1は、「無底」、そして神の三位とソフィアに対応する神の至高の世界です。
2は、神の7つの性質の内部展開であり、大きく2段階の世界に別れます。
カバラで言えば、セフィロートの世界で、破壊が及ぶ第4~第10セフィラの領域でしょう。
3は、2-1が2-2に向かわずに閉じた世界です。
4は、天球を含む我々の物質世界です。
5は、キリスト以降の4の世界、終末に至る未来です。

1から5にかけては、上から下への下降や、外から内への収縮ではなくて、内から外への拡張としてイメージされます。


<意志の展開>

最初の「意志の世界」は、次のように、「無底」と7つの段階からなります。
「無底」が「意志」に至るのは2の段階ですが。

0 無底、混沌、何も映さない鏡、愛と怒りの根源
1 求め、あこがれ(ソフィア1)
2 微細な意志、視線(父)
3 無限の円、何も映さない鏡(ソフィア2)
4 把握、底(子1)
5 第二の太い意志、霊(聖霊)
6 閉じた円、鏡となった鏡(ソフィア3)
7 心臓、中心、ロゴス(子2)

0の「無底」は、カバラの「エンソフ(無限)」に相当する存在です。

1は、まだ主体も対象もない、「求める」という衝動です。
2は、「無底」たる神の衝動が、自己を顕示しそれを見たいという、外へ出ていく「意志」、「父」となったものです。
「父」は、「鏡」である3の「ソフィア」の中に自分を見て、4の「子」を生みます。
「子」は、神の自己認識であり、「無底」が「底」を持つ存在になります。

1、3、6は、女性原理の「智」、「鏡」であり、「ソフィア」に相当します。
「ソフィアの鏡」は、「形象」を映しますが、これは意味や対象とは無縁の、「力」であり「響き」であり、「自由な戯れ」です。
これは、「霊」となり、「理」となります。


<欲の展開>

「意志」は次に、「欲」に展開します。
「欲の世界」=「永遠の自然」は、7つの「欲」による神の内部運動であり、「第1の創造」と呼ばれます。
7つの存在は、「性質(流出)」、「霊」と呼ばれます。

先に書いたように、第3~10のセフィロートに対応する次元ですが、カバラとは違う独自性があります。

これは大きく「第1原理(性質1~4)」と、「第2原理(性質4~7)」に別れます。
これらは、4で反転して表裏に分離した2つの世界です。

以下、7性質を代表的な表現で見てみましょう。

「第1原理」は「左」、「闇」、「怒り」、「悪」の世界です。
これらは直線的な層状になっているのではなく、輪状にもなっているので、「不安の輪」とも呼ばれます。

1 収縮、第一物質or塩
2 拡張、水銀
3 不安、硫黄
4 熱、火

性質1の「収縮」は、「渋さ(辛さ)」といった味覚でも表現されます。
2の「拡張」は、最初の書「アウロラ」の時点では、「甘さ」、「緩和」と表現しましたが、後に「苦さ」、「拡張」へと変化します。
3は、最初は「苦さ」、「浸透」、「歓喜」と表現していました。

味覚のような触覚的表現をする点には、ベーメの思想の独自性、内面体験の生々しいリアリティが現れています。
1から3の性質に「3原質」を取り入れているのは、もちろん、パラケルススの影響です。

1の「収縮」と2の「拡張」は、根源的に相反する2つの性質です。
両者の闘争が3、そして4を生み出して、3つの性質、4つの性質になります。

1と2の闘争は輪を描いて回転し、多数の固まった存在物・本質を生みます。
そして、その周りを「意志」が包み込んで、「心情」となります。
これらの統一体が、性質3の「不安」です。

性質3の「不安」の緊張が高まって、閃光を放って性質4となります。
4は、「死」を経て「生」を与える「火」です。
4の閃光、「火」によって、1~3も生命を持つものに変質します。

したがって、4は、「移行」であり、1~3の「振り返り」です。
4からは、光を求めて7に進む運動と、それを恐れて1へ戻る運動があり、自由に意志が選択できます。

4から7へと進むことで、「第2原理」が生まれます。
「第2原理」は、「右」、「光」、「愛と喜び」、「善」の世界であり、「愛のたわむれの輪」、「ソフィアの鏡」とも呼ばれます。
そして、輪の中心には、「光の子」=キリストがいます。

5 愛、光
6 音、言葉
7 体、器

性質4から5へと進むことは、闇から光へと進むことです。
5では、4大元素が揃い、5感が生まれ、「喜び」、「優しさ」が生まれます。

6では、「響き」が外に向かって出て、自然の「理」があらわになります。
6で多様性が生まれて、7で統一されます。
6までは霊的存在であり、7は物質的存在です。


<ルチフェルによる闇の世界>

一方、性質4の「火」を恐れて、1に戻るのは、エネルギーの逆流であり、収縮であり、「第1原理」の閉じた空間=「地獄」、「闇の世界」、「闇の鏡」を作ります。
これは「第2の創造」と呼ばれます。
この道を自由意志によって選択したのは天使の中の王であった「ルチフェル(ルシファー)」です。
それは「我性」であり、「悪」です。

このルチフェルの意志による「闇の世界」は、キリストの意志による「光の世界」の裏返しです。
2つの世界は互いに存在を知ることができず、「闇の世界」は「光の世界」から見れば「怒り」の世界ですが、「闇の世界」から見れば「喜び」の世界なのです。


<自然の輪>

ルチフェルの逆流した創造に対して、神はそれらを浄化するために、地上の物理的世界を「第3の創造」として創造します。
ルチフェル堕落後の神による世界の(再)創造という考えには、パラケルススの影響があるかもしれません。
ルチフェル「闇の世界」は閉じてその外に空間が広がり、その外側に物質世界が作られます。
これは、「意志の世界」、「欲の世界」の外側です。

しかし、「闇」の汚染は、この世界にも残っています。
大地はルチフェルの凝縮エネルギーによって凝縮したものです。

大地以外には、「第2原理」からの光が差し込んで、「第3原理」が生まれました。
これは、「自然の輪」とも呼ばれます。
この我々のいる「第3原理」の世界は、「第1原理」、「第2原理」を含み、神の中にあります。

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この世界には、宇宙的存在、原人間である「アダム(天上のアダム)」が作られます。
「ルシフェル」が自由意志で反抗した後に生まれた「アダム」は、神の自己顕現エネルギーが結ぶ最後の完全な像です。

この点では、「人間が神の似姿で創造されたのは神が自己を啓示するためである」と考えた、ヴァイゲルの影響を受けたのかもしれません。

それゆえ、第1~3原理の3世界を含んでいて、善悪、男女、精神と体を含む点で神と同じ完全な存在であり、天使でもあり悪魔です。
彼は神の意志の回復をになう「第二のルチフェル」であり、万物にエネルギーを与える存在です。
アダムは、男性の火の魂と「ソフィア」の光の体から構成され、神と同じ「自然の言葉」(言葉=存在)を使っていました。

ですが、「アダム」は自然の多の世界に心を惹かれたために転落し、「ソフィア」は天に飛び去ります。
ちなみに、女性原理の「智慧」が飛び去る話は、ユダヤの知恵文学にあります。
そして、宇宙も統一から分離した多なる存在となってしまいました。

そのため、神は「エヴァ」を作りましたが、二人は4大の霊と星辰の実を食べて、第2の転落を起こします。


<キリストへの道>

アダムと自然、人間が転落した地上には、世界を回復するために、「第二のアダム」である「イエス・キリスト」が送られてきます。

「イエス・キリスト」は、「意志の世界」では、「ロゴス」=「神の子」であり、「欲の世界」では、「光の子」であり、「ソフィア」のパートナーです。

堕落した人間は、「闇の世界」の暗い火を通って、「光の世界」へ帰る必要があります。
つまり、転落した古い「アダム」は焼け死に、新しい「光のアダム」が復活するのです。

イエスは、受難・死と復活によってこの道を示しました。
人間は、イエスを真似て、「我意」を殺して、神の内に復活する必要があります。
ベーメは、十字架のなねびとして、完全な受動性、「我意」の放棄を説きます。

この点では、「キリストを真似て自己自身に死ななければならない」と考えた、ヴァイゲルの影響を受けたのかもしれません。

また、合理的な理性を捨てて、直観によって自然の「理」を理解し、神の意志・運動を知ることが重要です。
それは、「ソフィアの鏡」に現れる透明な形象の戯れです。

キリストの十字架の死とそれによる人間の堕落からの復活は、神と世界の展開の折り返し点なのです。

この点では、「十字架のキリストを宇宙の歴史の転換点であり、キリストは単なる贖罪ではなく人間を神とするために現れた」と考えた、スコトス・エリウゲナの思想と似ています。

また、宇宙論全体としては、「エンソフ」の中に「裁き」という否定的存在があり、宇宙の歴史を「収縮」、「破壊」、「修復」の3原理で語った、カバリストのイサク・ルーリアの思想との類似も感じます。


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