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グルジェフのワークとムーヴメンツ [近代その他]

このページでは、「グルジェフの生涯と思想」、「グルジェフの宇宙論と人間論」に続いて、そこから開放されるための「自己想起」などの実践的なワークについてまとめます。


gurdjieff.gif

<グループとワーク>

グルジェフが教えた、修練の実践法は、「ワーク」と呼ばれます。
「ワーク」の中でも、舞踏(体操)に当たるものがあって、これは「ムーヴメンツ」と呼ばれます。

ワークは、師が指導し、グループで互いに助け合うスクールで行うことが望まれます。

グルジェフは、「自己想起や注意を促すためにありとあらゆるものを身につけてもみた。…(しかし)慣れてしまうと、すべては元のもくあみになってしまうのだった。…解決作は…一つだけあった。私の外部に、いわば「決して眠ることのない監視人」を置くことである」
と「私が存在する時にのみ生は真実である」で書いています。

つまり、常に自分を自覚し続ける「自己想起」を行うために、他者の助けとしてグループ・ワークが必要となるのです。

ワーク・グループは、互いに観察をして、「自己想起」を思い出させる役目を果たします。
メンバーは、成長するほど、他人が「自己想起」を行っているかどうかを判断できるようになるので、他人を見ると「自己想起」を思い出すことができるのようになるのです。

グルジェフは、人間は3つの世界(機能統合体)を持っていると言います。
外界の印象からなる「外なる世界」、それに対する反射運動からなる「内なる世界」、そして、その2つの要因を意図的に融合させる「人間の世界」です。
「自己想起」は、「外なる世界」と「内なる世界」を同時に意識することで、第3の「人間の世界」を生み出すのです。

ワークでは、まず、「自己想起」を行うために、エネルギーの無駄使いをやめる必要があります。
人間は、緊張、否定的感情、空想、センターの誤用などによってエネルギーの無駄使いをしているのです。
肉体的ワークの最初に必要なのも、筋肉の緊張を観察し、弛緩させることです。
無駄使いをやめることによって、余ったエネルギーを自己想起に振り分けることができるようになります。


<ワークの3種類>

ワークは大きく3つに分けることができます。

第一の系列のワークは、自分自身に関するワークです。
これは「第1のショック」を生み出すためのものだと言いです。

まず、「自己観察」を行うのですが、観察対象が動作から感情、思考に進むにつれて、「自己想起」になります。
「自己観察」、「自己想起」には、3センターすべてが関与します。
最初はその3機能を人為的に喚起して行います。

また、「自己観察」、「自己想起」と並行して、自分の習慣的な行動を変えていくことも試みます。

第二の系列のワークは、他人とのワーク、他人のためのワークです。
これは「第2のショック」を生み出すためのものだと言いです。

これは、他人との関係の中で、否定的な感情を抑制し、表現しないように心掛けます。
すると、感情の質が変化していきます。

第三の系列のワークは、ワーク自身のためのワークです。

これは、グループに対して無私の奉仕を行うもので、ある程度「人格」が縮小された後で行います。


<自己観察と自己想起>

「ワーク」の基本となるのは「自己観察」と「自己想起」です。

「自己観察」は、まず、自分を内省して、各センターの機能の区分の分析から始めます。

次に、それぞれの印象はどのセンターの働きに当たるか、そして、一つのセンターが他のセンターに代わって働こうとすることを分析します。
この時、空想と白昼夢をしっかり観察することも必要となります。

その次には、様々な習慣に気づくことが求められます。


「自己想起」は、自分の全体、真の自己を、意識することであり、常に継続して行うことが望まれます。

「自己想起」は難しいため、最初は、「自分観察」の時に、「自己想起」をしていると想像することから始めます。
この詳細については、後述します。

「自己想起」のための基本的な方法には、「注意力の分割」があります。
外部の対象への注意と、内部(反応)への注意を同時に行うのです。
そして、内外に意識を同一化しないようにすければ、「第三の世界(人間の世界)」として、「存在」、「真の自己」が現れます。


常に「自己想起」を継続することは困難で、すぐに気が散って忘れてしまうため、それを思い出したり、継続するための様々な方法があります。

「目覚まし時計」と呼ばれる方法は、何かをする時に想起を思い出すことです。
例えば、鏡を見てひげを剃る時には自分の存在を意識するとか、コーヒーカップ手に持つ時はそれを感じるようにするとか、怒りを覚えた時はそれを意識する、といった課題、ルールを決めるのです。

また、「小目標」と呼ばれる方法は、まず、簡単な目標を設定してそれをクリアするように努力するものです。
例えば、歩いてる時に、この信号からあの信号までは気を散らさないようにするといったルールを決めて、自己想起の継続の努力をします。

また、「自己想起」に関わる、基礎的なワークに、「朝のエクササイズ」があります。
これは、いわゆるボディ・スキャンで、まず、順に身体の諸部分の感覚に集中し、次に、全体に集中し、次に、聞こえるものに集中し、最後に、見えるものに集中します。

また、「就寝前のエクササイズ」もあります。
これは、その日の行動を、分単位で時間をさかのぼって思い出すものです。
覚えていない時間帯があれば、その時、自己観察、自己想起がおろそかだったことが分かります。
寝る前には、朝と同様に、ボディ・スキャンも行ってから寝付きます。


<「私が存在する時にのみ生は真実である」で語られるエクササイズ>

「私が存在する時にのみ生は真実である」に収録された講和では、いくつかの基本的なエクササイズが語られます。

最初に語られるのは、「土壌整備」と名付けられた一連のエクササイズの、最初に行うべきもので、それは次のようなものです。

まず、注意力を3つに分けて、左右のどちらかの手の人差し指、中指、薬指に集中します。
そして、その一本の中で、「感覚的に感じる」と呼ばれる身体的なプロセスから生じる結果が進行するのを体験します。
次の指では、「感情的的に感じる」と呼ばれるプロセスから生じる結果が進行するのを体験します。
三本目の指では、指をリズミカルに動かしながら、同時に、連想の流れに従って数を数えます。


また、上記のエクササイズとの関係は分かりませんが、「私(真の自己)」を獲得するための「準備的エクササイズ」が2つ書かれています。

その最初のものは、次の通りです。

「私は存在する」という言葉を発して、太陽神経叢に反響が生じていると想像する。
「私は存在する」、「私はできる」、「私は望む」という言葉を発し、まだ存在していないその「味わい」を知る。

具体的に唱える言葉は、次の通りです。
「私は存在する、私はできる、私は存在する・できる」
「私は存在する、私は望む、私は存在する・望む」

「私が存在する」なら、その時初めて「私はできる」、そして、「私ができる」なら、その時初めて私は何かを望むに値する人間になる、のです。
ですが、この「存在する」、「できる」、「望む」は、人間だけが持つ7つの心的要因のうちの3つに過ぎないとされます。

第2の「準備的エクササイズ」は、次の通りです。

注意力を2つの均等な部分に分けます。
そして、まず、その一つを、呼吸のプロセスに注意し、呼吸が有機体全体に広がるまで意識します。
まだ、使っていない残りの注意力は、自然に、自動的な連想(雑念)にも向くため、それが邪魔をすることは少なくなります。

次に、注意力の第2の部分を脳に向けて、連想の流れ全体から生じる微妙な「あるもの」を意識します。
次に、自己全体を想起しながら、その「あるもの」が太陽神経叢に流れ込むのを助け、その流れを感じるようにします。
すると、もはや自動的な連想が進行しなくなり、そのことに気づけます。


<ストップ・エクササイズ>

指導者が前もって決めた言葉、ないしは合図を聞いた時、その時点に行っていた動作を止め、「それまで」と言われるまで、自身を想起するのが、「ストップ・エクササイズ」です。
このエクササイズでは、意志、注意力、すべてのセンターの機能に同時に働きかける必要があります。

スクールでは、指導者に相当する者だけが、ストップをかける資格を持っています。
この停止は、普通の生活では止めない動作で止められます。

このエクササイズを行う場合、絶えず、油断なく、準備をしておく必要があるため、常に「自己想起」を継続することを促がします。

グルジェフがそう語ったわけではありませんが、この「ストップ・エクササイズ」は、スーフィーの行に由来します。
一般に、スーフィーの中では、聖者のアッタールに結び付けられているエクササイズです。


<ムーヴメンツ>

「ムーヴメンツ」は、体操であり、舞踏です。
「ワーク」は、「ムーヴメンツ」はその中心となるものです。

「ムーヴメンツ」のレパートリーは200を超え、様々なタイプがあります。
中央アジアの秘教的スクールで行われていたものがもとになっているとされますが、その起源は不明です。

「ムーヴメンツ」では、手・足・頭などの身体の各部分を、別々のリズム、パタンで動かすことが一つの大きな特徴です。
その動きは、日常にはない動きでなので、思考・感情・動作の習慣的なつながりを立ち切ることになりますし、常に全体を意識する必要があります。

そして、肉体だけでなく、思考、感情、肉体を同時に意図的に働かせるものです。
体の感覚、そして、感情、頭によるリズムのカウントの3つを同時に意識します。

また、「ムーヴメンツ」は、様々に対立する力があり、その両方を意識して、緊張を手放し、動的な均衡状態でいる必要があります。

つまり、「ムーヴメンツ」は、「自己想起」が必要となり、それを促すものです。

「ムーヴメンツ」には、「エニアグラム(別ページ参照)」の幾何学的パタンを反映しているものもあります。
また、「オクターブの法則」からの意図的な「逸脱」が挿入されていて、それによって覚醒させる作用があります。
「エニアグラム」のソの「インターヴァル」は、この意図的な逸脱であると、解釈する者もいます。



*ムーヴメンツの例

 
*映画「注目すべき人々との出会い」の中のムーヴメンツ

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グルジェフの宇宙論と人間論 [近代その他]

このページでは、「グルジェフの生涯と思想」に続いて、グルジェフの宇宙論と人間論についてまとめます。


<宇宙の階層と法則数>

グルジェフによれば、宇宙は「絶対」から流出論的に、階層的に順次、創造されます。
そして、その全体の連鎖を、「創造の光」と呼びます。

各階層にはそれぞれに法則数があり、下位の階層ほど、多くなります。
その階層と法則数は、下記の通りです。

(階層)(法則数)
・絶対 :1
・全宇宙:3
・全太陽:6
・太陽 :12
・全惑星:24
・地球 :48
・月  :96

全太陽というのは銀河系のことで、全惑星は太陽系の諸惑星のことです。

法則数は、その階層より上の全法則数(ただし、絶対の法則数1除く)に、その階層で生じる3つの法則を加えた数です。
例えば、太陽の法則数は、(3+6)+3=12、となります

各階層の素材である、「物質性」は、上位ほど密度が低く、振動数が高くなっています。

また、絶対は1つの原子からできていますが、全宇宙(法則数3)の原子は、絶対の原子3
つからなり、以下、それぞれの階層の原子は、法救数の原子からなります。

地球の法則数が48ですが、これは、地球にいる人間は48種の機械的法則によって、絶対の意志から隔てられているということを意味します。
もし、自己の内を観察し、これらの法則の半分から自己を解放できれば、24種の法則、つまい、1つ階層を上昇した全惑星界の法則に従うことになります。

逆に、人間が死ぬと、エネルギーの一部を解放して「創造の光」を月に送ります。
魂は月に行き、鉱物の生命の状態で96の法則に従うのです。
グルジェフは、「人間は月の食物である」、「我々の機械的な部分は月に依存している」とも語りました。


<進化>

宇宙の創造には2つの流れがあります。
一つは、上に述べた下降する創造の流れです。

これに対して、上昇し、回帰する流れもあります。
これは、進化でもあります。

1 創造、拡散、下降、分化
2 回帰、進化、上昇、統合   

2は、人間にとっては、高次の意識を成長させた個人が、上昇して戻るプロセスです。

創造主は、エネルギー変換システムを創造して、創造のある段階で、上昇の流れが生まれるようにしました。

進化には、創造主が定めた進み方があります。
普通の人間の機械的な状態は、現在における、その定めた状態なのです。

ですから、グルジェフの説く「第四の道」のような、「隠れた可能性の開発の道は、自然に背き、神に背く道」なのです。

また、グルジェフは、人類の進化は、あるグループの進化を通してのみ可能であるが、今の人類はその指導を受け入れられない状態にある、と言います。
彼はこのグループについて具体的には語りませんでしたが、神智学の「白色同胞団」に似た考え方です。


<3の法則と7の法則>

宇宙には普遍的な法則として、「3の法則」と「7の法則」があります。

「3の法則」は、「能動」、「受動」、「中和」の3法則からなります。

物質性に関しては、その能動的側面を「炭素」、受動的側面を「酸素」、中和的側面を「窒素」、そして、いずれでもないそれ自身の側面を「水素」と呼びます。

そのため、各階層の物質性についても、それをその階層の法則数をつけて「水素12」といった表現をします。


「7の法則」は、「オクターブの法則」とも呼ばれ、普遍的なものとされます。
これは、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドの7音階(西洋のメジャー・スケール)として表現されます。

「オクターブの法則」は、運動、変化の法則であり、宇宙が非連続の振動からなっていることを表します。

ミとファの間、シとドの間の半音の場所は、「インターヴァル」と呼ばれます。

「インターヴァル」では、減速と脱線(進路変更)が起こってしまいます。
ですが、「付加的ショック」が加われば、オクターブは途切れずに進むことができます。

下降するオクターブでの「インターヴァル」は、意志疎通や現実化の困難として現れます。
一方、上昇するオクターブでの「インターヴァル」は、創造、成長の苦しみとして現れます。

「オクターブの法則」は普遍的法則なので、様々なものに多重に存在します。
まず、「創造の光のオクターブ」は、絶対から始まる下降のオクターブです。

・ド :絶対
・シ :全宇宙
・ラ :全太陽
・ソ :太陽
・ファ:全惑星
(インターヴァル:有機生命体)
・ミ :地球
・レ :月

有機生命体は、全惑星(ファ)と地球(ミ)の間の「インターヴァル」にある、力の伝達所としての機械装置です。
下降するエネルギーの中継点であり、人間は高次エネルギーを受け取れる存在です。

また、「創造の光のオクターブ」には、より小さな「従属的なオクターブ」があると考えることもあります。
次のような「太陽に始る下降のオクターブ(側方オクターブ)」もあります。

・ド :全陽
・シ :全惑星
・ラ・ソ・ファ:有機生命体
・ミ :地球
・レ :月


<4つの意識と4つの体>

人間には4つの意識があります。

1 客観的意識
2 自己意識、存在の意識
3 覚醒
4 眠り

3は、普通の起きている時の意識です。

2の「自己意識」は、「自己想起」を行うことで生まれる、行っている時の意識です。
1の「客観的意識」は、世界をあるがままに認識できる意識です。

1、2、修練によって高次センター(後述)の機能が働いて初めて生まれます。


また、人間には4つの階層の体があります。

1 原因体   :意志:主人:全太陽:6
2 メンタル体 :思考:御者:太陽 :122
3 アストラル体:感情:馬 :全惑星:24
4 肉体    :感覚:馬車:地球 :48

それぞれの体の名称は、神智学の言葉を使ったりしますが、グルジェフは、「原因体」を「第四の体」とも呼んでいます。

グルジェフが良く使う「馬車」の喩えでは、肉体が「馬車」、アストラル体(感情)が「馬」、メンタル体(思考)が「御者」、として「第四の体」が「主人」となります。

ですが、グルジェフは、通常の人間には皆、感情や思考、意志は存在しても、体として最初から存在するのは、肉体だけだと言います。
他の体は、修練することによって、順次、獲得されるのです。

これは、神智学や伝統的な秘教の考え方とは異なる、彼の思想の特徴です。

肉体しか持たない場合、感覚→感情→思考という具合に、下位の機能が上位の機能を自動的に生み出します。
ですが、より上位の体を獲得すると、逆に、上位の機能が下位の機能をコントロールして、それらの機能を生み出します。

グルジェフは、「四つの体を持つ人間だけが、本当の意味で「人間」と呼ばれうる」、「第四の体の獲得によって人間は不死性を獲得する」と言います。
「第四の体」は太陽系を超えているので、太陽系の領内では不死なる存在であると言えるのです。

彼は、高次な身体を形成できると、死後、高次の身体から順に肉体から離れていき、その最高次の部分は「絶対の太陽」へと戻り、最高の意識性を帯びたその脳細胞の一部になる、とも語っています。


<人間論の7つのセンター>

人間には、それぞれに固有の機能を持つ7つのセンターがあります。
それらは、大きく、3つの階に分けられます。

・3階:思考センター、高次の思考センター
・2階:感情センター、高次の感情センター
・1階:動作センター、本能センター、性センター

ただし、「高次の思考センター」、「高次の感情センター」は、修練によって初めて、働き始めます。
ちなみに、神話は「高次感情センター」にとどく表現で、象徴は「高次思考センター」にとどく表現だとされます。

また、「動作センター」、「本能センター」、「性センター」はまとめて考えることもできるので、人間は1階から3階の「3つの脳を持つ生き物」とも表現されます。
それぞれの肉体上の源泉は、太陽叢、脊柱、脳の一部に位置しています。

これらの7つのセンターは、3重に「3の法則」に従っていると捉えることができます。
まず、1階の動作・本能・性センターの3つ組が「3の法則」に従っています。
次に、それを一体として、感情・思考センターとの3つ組が「3の法則」に従っています。
最後に、さらにそれを一体として、高次感情・高次思考センターとの3つ組が「3の法則」に従っています。

これらの7つのセンターとは別に、「磁気センター」と呼ばれるものがあります。
これは、秘教的な教えの影響が集積して生まれるもので、人の態度を良い方向性に変えて進ませ、道を探させます。

また逆に、人間の成長を阻害する器官があり、「クンダバッファー」と呼ばれます。
これは、ウソや幻想によって、人間の心理的なショックを和らげ、自分の愚かさを隠す器官です。
道徳も「クンダバッファー」でできているとされます。

「クンダバッファー」は、人間が創造された初期の発達段階の時に、成長より生存が重視されたために、意識を制限して、日常の単調な行動パタンを守る器官として与えられたました。
本当は、「クンダバッファー」はすでに除去されているのですが、まだ影響が残っているのです。

ちなみに、「クンダリニー」について、グルジェフは、空想の力、どのセンターでも働くことができ、人間を現在の状況に留めておくために注入されたものだと言っています。
これらの表現は、「クンダバッファー」とほとんど同じです。


<センターのエネルギー>

人間の各センターは、下記のように、それぞれの階層のエネルギー(水素)で働きます。

水素6 :高次思考センター         …メンタル体
水素12:高次感情センター、性センター   …アストラル体
水素24:動作・本能センター、感情センター …肉体
水素48:思考センター

「第四の体」は、全センターの調和のとれた働きが必要とされます。

「思考センター」のエネルギーが、「本能センター」や「感情センター」より低いこと、「性センター」のエネルギーがそれらより高いことが、特徴的です。

また、思考-高次思考と感情-高次感情が、上下対象の構造になっている点も興味深いところです。
シュタイナーの身体の階層の上下対象の発想に似ています。
後述するように、シュタイナーとは、下位のものを意識することで、それが微細に変容すると考える点でも同じです。

各センターには、本来的なそれぞれの役割の機能があり、それぞれのエネルギーがあります。
ですが、通常の機械的な人間の場合、それらの誤用があり、各センターは分裂した状態になっています。
ですから、各センターに正しいエネルギーで正しい役割の機能を果たさせ、各センターを調和・統合する必要があります。

例えば、「性センター」は、本来のエネルギーである水素12で働く時、他のセンターが受け取ることができない非常に微細は印象という食物を受け取ることができます。
ですが、「クンダバッファー」が「性センター」の機能を妨害し、他のセンターが「性センター」のエネルギーを奪って様々なことを行います。
「性センター」は、逆に、他のセンターの粗悪なエネルギーを使わざるをえなくなります。

思考、感情、本能、動作センターには、肯定的な働きと否定的な働きがあるのですが、「性センター」には、本来、肯定しかありません。
ですが、「性センター」が他のセンターと結びつくと、否定的なもの、例えば、嫉妬が生まれるのです。

「性センター」が正しい形になると、「高次感情センター」のレベルに立ち、他のセンターはこれに従って、自分自身のエネルギーを使って正しく働くことができるようになります。


<食物の変性>

各センターを働かせるために、人間は3種類(3つの階層)の「食物」を取ります。
普通の「食物」と、「空気」と「印象」です。
それぞれの階層(法則数)は下記の通りです。

・水素48 :印象
・水素192:空気
・水素768:普通の食物

人間は、これら「食物」を順次、高次なものに変換し、高次な体を形成していきます。
人間は粗悪な水素を取り入れ、一連の複雑な錬金術的過程を通して、純度の高い水素に変える工場なのです。

ですから、アストラル体は、元をたどれば、肉体と同じ素材、物質から生まれます。
食物は変換され、それが肉体全体に浸透した時、結晶化してアストラル体を形成します。
余剰分があれば、それを使って、さらに上位の体が作られます。

3つの食物の変性は、それぞれに上昇オクターブを持っています。
普通の食物は、ドに始まってミに至った時点で、インターヴァルとなります。
この時、空気を摂取することがショックとなって、さらに変性してきます。

空気も、ドに始まりミに至った時点でインターヴァルとなります。
この時には、印象を摂取することがショックとなって、さらに変性してきます。
ただし、単なる印象ではなく、「自己想起」された印象でないといけません。

さらに、印象を変性して完成させるには、外界からもたらされる否定的感情を変性する第2のショックが必要となります。


<エニアグラム>

「3の法則」と「7の法則」を合わせて表現した図形「エニアグラム」は、円を9分割し、その点を結んだものです。
これは、普遍的シンボルであり、恒久的運動であり、賢者の石にもなるものです。

ちなみに、グルジェフは、「エニアグラム」は重要なので、秘教グループの間で完全に秘密にされてきたと言っています。
実際、グルジェフが公開する以前にも、以降にも、グルジェフの教え以外からは見つかっていません。
ということは、これがグルジェフの独創である可能性も否定できないということです。

「エニアグラム」の各点は、「オクターブの法則」の音階とも対応しています。

9:ド(インターヴァル)
1:レ
2:ミ
3:インターヴァル
4:ファ
5:ソ
6:インターヴァル
7:ラ
8:シ

enneagramshock.jpg

点9・6・3が「インターヴァル」であり、それを結んだ三角形は、「3の法則」と「7の法則」を結び付けています。

点9(ド)は、より高次のオクターブとの「インターヴァル」に当たります。

ですが、「エニアグラム」には大きな謎があります。
本来、シとドの間にあるはずの「インターヴァル」が、ソとラの間にあります。
この謎の答えについて、グルジェフは明言せず、自分で考えるように促しました。

ウスペンスキーによれば、食物変性の3つのオクターブにおいて、点3をドとして第2オクターブを始めると、点6はミとファの間のインターヴァルに当たり、また第3オクターブの始まりのドのインターヴァルにも当たるからだと書いています。

また、「エニアグラム」では、シがソに引っ張られるため、「第二のショック」はソの段階から準備が始まり、ソで内向と外向の流れの分岐が生まれるのだと解釈する人もいます。
また、これは法則からの意図的逸脱でもあり、それは「ムーヴメンツ」でも存在するのだと。


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グルジェフの生涯と思想 [近代その他]

グルジェフは、20世紀の代表的な神秘主義者の一人です。

彼の思想は、東洋の秘教を、当時の西洋人に向けて分かりやすくカスタマイズしたものだと言われています。
ですが、その思想の背景はほとんど明らかにされておらず、独創性の高いものです。

最初に、このページでは、グルジェフの生涯と、彼の思想の核心となる人間=機械論、そして彼の思想の背景について、簡単にまとめます。

grujeff.jpg


<生涯>

ゲオルギイ・イワノヴィッチ・グルジェフは、コーカサス地方で、カッパドキア出身のギリシャ人の父とアルメニア人の母のもとに生まれました。
生年には諸説があり、1866-77年の間です。

家庭はロシア正教徒であり、彼はロシア軍属大聖堂の司祭長の下で教育を受けました。
そして、黒海とカピス海の間のカーズに移住してそこで育ちましたが、そこは宗教的な坩堝の地でした。

グルジェフの若い頃のことは、「注目すべき人々との出会い」という自伝に書かれていますが、この書には寓話的なフィクションという側面があり、どこまで事実であるか分かりません。

自伝によれば、グルジェフは「真理の探求者たち」という秘教的な知識を探求するグループに入りました。
メンバーは各地の聖地や遺跡を訪れ、各メンバーが様々な知識を得て、それを持ち寄って共有したそうです。
ですが、このグループが実在したかどうかは確認されていません。

ベネットによれば、グルジェフはロシア秘密警察のスパイとしても活動していて、各国への入国が容易で、ブラバツキー夫人も行けなかったチベットにも入国できたようです。

グルジェフは、教えを求めて各地をめぐり、アフガニスタンのブハラのナクシュバンディー教団(スーフィーのダーヴィッシュ系修道場)を経て、ヒンズークシのサルムング教団(古代バビロニアから続く伝統を継承しているとされる)に至り、そこから大きな影響を受けたそうです。
ですが、サルムング教団が実在することは確認されていません。

グルジェフは、ロシアの宮廷で一時期を暮らし、1912年頃から聖ペテルスブルグとモスクワでグループの指導を始めました。
これ以降の彼の活動に関しては、弟子達などによる客観的な記録があります。

この時期には、神秘学者で神智学協会員でもあったピョートル・ウスペンスキー(1878-1947)や、音楽家のオルガ・ド・ハルトマンらが弟子になりました。
グルジェフの思想を広く知らしめたウスペンスキーによる著作「奇跡を求めて」は、この時期のグルジェフの教えとワークの記録です。

グルジェフは、グループの中で、メンバー達を心理的に追い詰めることを頻繁に行いました。
メンバー同時の対立を煽ったり、わざと人前で恥をかかせたり、嫌なこと、無理なこと、意味のなさそうな作業をやらせたり、弟子に対してまったく正反対の態度を取ったり…
これらは、個々人の欠点を、あるいはその他の何らかのことを自覚させるための、ショック療法的な実験だったのでしょう。
ですが、そのせいで、精神を壊す人間もいたした。

1917年、グルジェフは、弟子達と、ロシア革命から逃れて、チフリスでグループを結成して共同生活を始めました。
ここにはパリからも弟子達のジャンヌ・ド・ザルツマン夫妻らが合流しました。
グルジェフは、ここでムーヴメンツ(神聖舞踏)を教え始め、1919年にはムーヴメンツの公演を行いました。

その後、彼らはコンスタンチノープル、ベルリン、ロンドンを経て、1922年にパリ郊外の館「シャトー・プリュウレ」を買い取り、「人間の調和的発展のための協会」を設立し、以降ここでワークに取り組みました。
ここでは、ロシア人とイギリス人を中心とする70人ほどで共同生活を行いました。

1924年、グルジェフは、36人の弟子とNYへ行き、ムーヴメンツの公演を行いました。
NYでは、ウスペンスキーの知り合いで神智学協会員でもあったA・R・オレージが迎えました。

同年、グルジェフは、大きな交通事故を起こして瀕死の重傷を負いました。
そして、彼は、協会を解散させ、多くの弟子を去らせました。

ウスペンスキーは、もともとグルジェフの人格に疑問をいただていたのですが、このような事故を起こしてしまうグルジェフに対して、より不信をいだくようになりました。
そして、ウスペンスキーは、グルジェフが、彼が伝えようとしている秘教の思想を伝える資格がない人物であると判断しました。
そして、その思想(ウスペンスキーはこれを「システム」と呼ぶ)を、彼と切り離して教え始めました。

グルジェフとの関係を断ってジョン・ベネットは、ウスペンスキーのグループに合流しました。
ですが、後に、ウスペンスキーはベネットが勝手に自分の思想とは異なるものを出版したことで破門し、ベネットはグルジェフの元に戻りました。

オレージも、1929年には、グルジェフの高圧的な態度と金銭の要求から、関係を断ちました。

グルジェフは、事故以来、病床で「全体とすべて」という三部作の著作を構想し、回復してからはこの著作に取り組みました。

1936年、グルジェフはパリ凱旋門近くのアパートに移住しました。
そして、ここで、新しいムーヴメンツを創作し、指導を行いました。

1947年、グルジェフは、世界の弟子(ロンドンのウスペンスキー、ジョン・ベネット、アメリカのオレージの弟子達)をパリに集め、ムーヴメンツを指導し、「ベルゼバブ」の朗読会、「馬鹿への乾杯」という儀式的ワークを行いました。

「馬鹿への乾杯」は、各人が役割と規則を与えられて行うもので、ユーモアと教えを含む、乾杯と会食の儀式です。
馬鹿のタイプによってその愚かさと可能性を、各人のセリフで示します。

1949年、グルジェフは亡くなり、葬儀は、パリのロシア正教会で行われました。


<著作>

グルジェフは、上記「全体とすべて」三部作に関して、「これまで私が偶然学ぶにいたった神秘、すなわち人間の内なる世界に関するこれまで知られていなかった神秘のほとんどすべてを…分かち合いたいと思うのである」、「最低限、その理論だけでも死ぬまでになんとか彼らに伝えなくてはならない」と、最後の著作で書いています。

「ベルセブブが語る孫への話」は、調和的な3つの脳を持つ生物の目から人間を見たという設定のフィクションで、不調和な人間を批判し、伝統的な常識の破壊をテーマとしています。

「注目すべき人々との出会い」は、若い頃の自伝という形式ですが、真理探究者のタイプを描いて、向かう道を指示する、新たな創造のための素材を知らせることをテーマとしています。

最後の「私が存在する時にのみ生は真実である」は、直接、自身の思想とワークについて書いたもので、現実に存在している世界を理解するのを助ける、現実と融合して一体となる可能性を分かち合うことをテーマとしています。
弟子たちへの講演を含み、ワークがなぜうまくいっていないのかの分析も行っています。

ですが、1935年、グルジェフはなぜか執筆を中止し、「私が存在する時にのみ生は真実である」は未完となりました。

グルジェフは、「ベルセブブ…」と「注目すべき…」は、ザルツマンに出版の時期を任せ、「私が存在する…」は、出版の是非も含めて任せて亡くなりました。

また、グルジェフは、1933年に、三部作とは別に、小著「来たるべき善の先駆け」をグループ内に配布しましたが、後にこれを回収して、弟子にも読むなと言っています。

また、著作の他に、講話や対話の記録がいくつが発表されています。


<継承グループ>

1949年、臨終に近づいたグルジェフは、ジャンヌ・ド・ザルツマンを呼んで後を託し、ザルツマン夫妻は、世界中の「グルジェフ・ファウンデーション」の代表を務めました。

ですが、英米の弟子たちの中にはザルツマン夫妻に反発する者もいて、各地で様々なグループが生まれました。

いくつかあげると、例えば、ウスペンスキーの流れでは、その弟子のロバート・S・ド・ロップが、カリフォルニアで「チャーチ・オブ・ザ・アース」を設立しました。

また、ベネットは、1971年、シャーボーンに「生涯教育のための国際学院」を設立し、彼が1975年に没した後は、ウエスト・ヴァージニアに「生涯教育のためのクレイモント協会学校」が設立され、活動が引き継がれました。

また、アメリカのオレージの流れでは、ポール・アンダーソン夫妻が、「グルジェフ・ファウンデーション」から分離して、「コンウェイ・グルジェフ・グループ」を設立しました。


<中心となる教え>

グルジェフの教えの核心の一つは、「人間は機械」だということです。
彼は、「人間は機械だ。…自分自身では、一つの考え、一つの行為すら生み出すことはできない」(「奇跡を求めて」)と言っています。

また、彼は、人間の「本質」と「人格」を区別します。
「本質」は生まれながらの自分自身の個性であり、「人格」は社会的に作られたもの、自分の外からやってきたものです。

つまり、普通の人間は、本当の自分自身である「本質」として、主体的には何も行っておらず、習慣的に作られた「人格」で、機械的な反応を繰り返しているだけなのです。

また、人間には、複数の機能の中心(センター)があって、それが分裂していると言います。
この分裂した状態を「自己観察」し、これらを統合することで、真の自己を取り戻すことができます。
センターが統合され、真の自己が見出された状態は、「存在する」と表現され、それを体験し、深める方法は、「自己想起」と呼ばれました。

「自己想起」は、簡単に言えば、外と内に同時に注意を向けて、自分の全体を自覚する方法です。
これを常時、継続することを目指します。

グルジェフは、自分が説く道は、苦行によって肉体に働きかける「ファキールの道」や、信仰という感情に働きかける「修行僧の道」、知識、精神に働きかける「ヨーギの道」に対して、「第四の道」であると言います。

「第四の道」は、他の道と違って、日常生活の中で歩める道です。
そして、意志を獲得し、同時に肉体、感情、精神の複数の機能に働きかけ、コントロールする道なのです。


<思想の背景>

一般に、グルジェフの教えは、東洋の教えを西洋人に向けてカスタマイズしたものだと言われることが多いようです。
ですが、具体的な背景が何で、どこからがカスタマイズした部分なのか、ほとんど分かっていません。
そのほとんどが、彼の独創である可能性もあります。

一般に、グルジェフの思想の背景は、スーフィズムだと推測されています。
一方、グルジェフ自身、彼の思想が「秘教的キリスト教」であると、述べたこともあります。
ですが、実は、スーフィーのバックボーンに秘教的キリスト教(愛の神秘主義)があって、スーフィー達はそれを意識していたので、矛盾はありません。

また、彼は、自身の最も核となる背景を、ヒンズークシにあるバビロニア時代から続くサルムング教団であるとほのめかしています。
ですが、この教団は見つかっておらず、おそらく存在しないでしょう。

彼は、ワークのメソッドのことを、「ハイダ・ヨガ」と表現したこともあるようです。
「ハイダ」は「即座に」という意味の言葉のようですがですが、他では聞いたことがありません。
今すぐに、「自己想起」して真実なる自己存在になれ、という意味でしょうか?

彼の思想の表現、その宇宙論や物質論子、エネルギー論の発想などには、明らかに近代科学の影響が読み取れます。
また、普遍的な法則とされるオクターブの法則のオクターブは、西洋のメジャー・スケールであり、客観的に言えば、これは地域的にも時代的にも限られており、普遍的とは考えられません。

また、彼の教えの多くは、これだと名明言できるような、対応する伝統を見つけることはできません。
彼が重視した「エニアグラム」という図も、グルジェフ以前にも以降にも、グルジェフの影響圏以外からは見つかっていません。

「自己想起」は、確かに、仏教の正念正知やヴィパッサナーに似ていますし、禅やゾクチェンの目指すところとも似ています。
思考、感情、本能などを識別する「自己観察」は、「四念処」と似ています。
ですが、これらを行う目的に、方向性の違いがあります。

その一方で、重要なエクササイズである「ストップ・エクササイズ」は、スーフィズムに存在します。
彼の教えの中で、その背景を指摘できる数少ない例です。




*グルジェフの動画での生前の姿

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カントールの無限論と数理神学(数学と物理学の神秘主義) [近代その他]

「無限論」や「集合論」の創始者として知られるゲオルグ・カントールは、現代数学の父です。
彼は、それらを、単に数学であるだけでなく、「神学」であり、「哲学」であると考えていました。
そして、彼は、「集合」を「イデア」であると考え、「無限」を「神」、「無限論」を「神学」であると考えていました。

ですが、「無限」に「大きさ(階層)」の違いを発見した彼の理論は、神秘主義的です。


<数学と物理学の神秘主義>

当ブログでは、古今東西の神智学、宗教、神話、哲学、そして、その他の人文諸学などに存在する神秘主義思想を取り上げています。
ですが、自然科学にも神秘主義思想を見つけることができます。

東洋や古代、西洋でもルネサンス期の自然科学は、自然哲学や神学と一体性が高いので、当然そうです。
ですが、近現代においても、神秘主義的なものがあります。

古代からの数学の神秘主義、数秘術は、ピタゴラス主義のように、数に関する象徴主義です。
近代以降の純粋数学においては、この象徴主義は否定されました。
また、現代物理学においては、例えば、方程式が何を意味していえるのかを問わず、純粋に計算の実用性のみが求められる傾向があります。

純粋数学・物理学のような厳密に理性的・合理的に探求され、あるいは、実験によって実証されるものを、神秘主義的と表現するのはおかしいと思う人もいるでしょう。
ですが、神智学、神秘哲学には、理性や合理、現実を重視するものも多いですし、真理を目指せば、どうしても日常的な合理の限界を超えて神秘主義的にならざるをえないと思えます。
それに、現代数学、現代物理は、どんどん日常的な現実や実証から遠ざかっている傾向があります。

もちろん、どんなものを神秘主義的と考えるかは、定義の問題です。

例えば、近代哲学の父と呼ばれるデカルトは、解析幾何学を創造しました。
これは、古代数学が直観を重視する学であったのに対して、デカルト座標をもとにした解析を重視します。
これに時間を組み込んで物体の運動を記述するのがニュートン力学です。
そして、そのような時間、空間の感性的直観形式が先験的だとしたのがカントです。

また、デカルト座標は、実数で構成される3次元空間で成り立っています。
デカルトは、「虚数」を認めず、それを「想像上の数(nombre imaginaire)」と名付けました。
また、4次元以上の高次空間も認めませんでした。
「複素数(実数と虚数で構成される)」は、それ自身、実数次元にプラスして「虚数」次元という高次次元を持っている数だとも言えるので、これは、デカルト的認識では、認められません。

これらが、近代の合理的な世界観を築きました。
いわば、近代科学における公教、顕教です。

ですから、「虚数」や「高次元空間」を扱う数学は、一種の秘教、神秘主義だと考えることができます。
一般的な世界観識の外側だからです。

ですから、この定義で考えれば、現代物理においては、「虚数」を含む波動方程式や、無限次元ヒルベルト空間における作用素論としても定式化されている量子力学、10次元空間を前提とする超弦理論は、神秘主義的です。

量子力学は、「相補性(Aでもあり非Aでもある)」や、「不確定性原理」、確率的存在概念を物理学に持ち込んでいて、これらの点でも神秘主義的です。
さらには、素粒子を真空のエネルギーのゆらぎとしての「場」に還元した「場の量子論」は、ほとんど、「色即是空」の世界です。
そのためか、量子力学の創始者達には、ハイゼンベルグ、ボーア、湯川秀樹のように、タオイズムなどの東洋思想に傾倒していた人は多くいます。

また、「無限」を扱う数学は、神学的であり、その扱い方によって神秘主義的です。

デカルト座標には、無限遠点という形で、「無限」が想定されるのですが、当時、「無限」について定式化することは行われませんでした。
それどころか、カントは、「無限」に関して、物自体の世界には存在しても、あるいは、数学的には存在しても、我々の現実の認識世界には存在しないと考えました。

以下、「無限」を数学であると同時に、哲学、神学として考えた、カントールの「無限論」を中心に、「無限論」に関して書きます。 


<ギリシャの無限論>

ギリシャにおける合理主義的思想は、数的な比率の調和を重視しました。

ピタゴラス教団には、「無理数」という割り切れない数の存在を漏らしたヒッパソスが殺された、という伝説があります(あくまでも伝説です)。
「無理数」は、世界の調和の教説に矛盾するからです。

「有理数」は、離散的で、有限であるのに対して、「無理数」は、連続体であり、「無限(数字では小数点以下が無限に続く形でしか表せない)」を含んでいます。

ギリシャの合理主義思想は、アリストテレスが代表します。
アリストテレスは、2つの無限、「可能無限」と「実無限」を区別しました。

「自然数」を数え続けると、終わりがないことが、「可能無限」、「加算無限」です。
それに対して、「自然数」全体の総数が無限であることが「実無限」です。

アリストテレスは、可能態である「可能無限」は認めましたが、現実態である「実無限」は認めませんでした。
無限を認めると、「部分=全体」という論理矛盾が生じるから、それを否定したのです。

ですが、ピタゴラスもプラトンも、「実無限」に相当する存在を認めていました。

プラトンの不文の教説では、世界は「一/不定の二」の2原理からなります。
ピタゴラス派では、これを「限定/無限」と表現していました。
これらは「形相/質料」に対応するものです。
つまり、「無限」は「質料」に対応し、それは「悪」の原理なのです。

このように、ギリシャにおいては「実無限」は存在を認められなかったり、認められても質料的な「悪」なる存在でした。


<西欧の無限論>

ところが、ギリシャ教父の時代になって、神を「無限」と考えるようになりました。
キリスト教では、神=「無限」であって、「無限」=神になったのです。

つまり、ギリシャ的な「調和」の思想は、西欧・キリスト教的な「無限(連続体)」の思想へ移行し、「無限」の意味は180度反対になったのです。

「無限」には不思議な性質があります。
例えば、「整数」全体の総数と、「偶数」全体の総数はどちらが大きいでしょうか?
「整数」は「偶数」と「奇数」からなるので、「整数」全体の総数が、「偶数」全体の総数の2倍ありそうに思えます。
ですが、数学的には、どちらも同じ「無限」となります。
つまり、「偶数」全体は「整数」全体の部分であるにも関わらず、同じ大きななのです。

17Cにガリレオは、離散的な「自然数」についてこのことに気づきましたし、19Cにボルツァーノは、連続体の「実数」についてもこれに気づきました。
ですが、両者共に、この考えを進めることはしませんでした。

また、先に書いたように、カントは、我々の世界には「実無限」は存在しないと考えました。
彼は、「部分=全体」となる「実無限」を認めないアリストテレスを継承していると言えます。

「無限」は、「無限小」にも表れます。
「微分」や「無限小」の発明者であるライプニッツは、「虚数」を存在と無の両面を備えた「聖霊」的存在と考えました。
ライプニッツの「微分」、「無限小」は、彼の哲学における最小存在単位の「モナド」の発想とも関わります。
彼の哲学は、新プラトン主義を継承する神秘主義的傾向も持っています。

微分には、アナロジーとして「出来上がった世界」に対する「それを作る世界」という側面があって、これはベルグソン=ドゥルーズ的な哲学では「潜在性」の世界であり、宗教的には秘教の世界です。


<カントールの無限論> 

この無限についての数学的な探求を、常識を超えて進めたのが、ゲオルク・カントール(1845-1918)です。
彼は「集合論」の創始者であり、「集合論」に基づいて「無限論」を創造しました。

カントールの「無限論」は、当初、多くの数学者から空論として批判されました。
彼の上司だった数学者のレオポルド・クロネッカーは、「自然数だけが神が作り給うた」と主張し、カントールの論文の学術誌への掲載を拒否するなど、彼をイジメました。

ですが、ローマ法王レオ13世が率いる神学者達は、カントールの味方をしました。
レオ13世は、神学と科学の一致を旨とする新トマス主義を掲げていました。
「無限論」は神学であることを、カントールもレオ13世も理解していました。

カントールが証明したのは、まず、無限において「全体と部分は同じ」ということです。
例としては、「自然数」全体の総数と「有理数」全体の総数は同じということです。
彼は、これを、両集合のすべての要素を1対1で対応づける(全単射)ことができるので、同じ大きさであると証明しました。

「自然数」は「有理数」に含まれ、「有理数」は「自然数」と違って、稠密(例えば、0と1の間に無限に存在する)な数なので、その総数が同じであるというのは、大変不思議で、常識的な「直観」に反します。

これは、神学的には、全体としての神と、部分としての神が、どちらも同じ神であるということです。
キリスト教的には「三位一体説」が成り立っても良いことになります。
また、自然界にも無限はあるので、神は自然に内在しても良い、人間として受肉しても良いことになります。

次に、カントールが証明したのは、無限には「大きさ(濃度)」の違う無限が存在すること、そして、無限に大きな(無限に濃度の濃い)無限が存在する、ということです。
例としては、「実数」全体の総数は「有理数」全体の総数より大きいのです。
言い換えると、連続体の無限は非連続体の無限より大きいということです。

一般化すると、「べき集合」(ある集合のすべての部分集合を要素とする集合)の要素の総数(無限)は、もとの集合の要素の総数(無限)よりも大きいのです。
実際、「実数」は「整数」の「べき集合」になっています。

これは、無限において「部分の総和は全体を超える」ということです。

無限に大きさの違いがあるということは、神に階層がある、神に内部構造が認められるということです。

これは神学的には、例えば、ギリシャ正教(パラミズム)の、神の「本質」と「活動(エネルゲイア)」の違いを認める説が成り立っても良いのです。
パラミズムでは、神の「活動」は瞑想によって直観可能だけれど、「本質」は直観不可能なのです。
あるいは、カバラが神の内部構造として10のセフィロートの階層性を認める説が成り立っても良いのです。

この無限に大きさの階層性があることは、神学的というより、神秘主義的です。

次に、カントールは、「実数」の総数(直線上の点の総数に当たる)の無限と、「複素数」の総数(平面上の点の総数に当たる)の無限の大きさの違いを証明しようとしました。
ところが、これに3年間を要し、両者の大きさが同じことを証明してしまいました。

つまり、無限=神においては、次元の違いはない、実数と虚数に違いはないのです。
これも、常識的な「直観」に反します。
この証明をした時、カントールは、「見たけれども、信じることができない」と書きました。

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<カントールの数理哲学>

カントールは、「無限論」を構築する中で、神学だけでなく、哲学も意識していました。
実際、彼は、プラトン、アリストテレス、クザーヌス、ブルーノ、カント、ライプニッツ、スピノザらが無限をどう考えていたかを研究しています。

そして、自分の「無限論」の成果を反映した哲学を構想していました。
それは、スピノザ、ライプニッツを基礎として、彼らを乗り越えようとするものでした。

カントールが創造した「集合論」は、数学を基礎づけ、数学を新たな段階に飛躍させるものとなりましたが、彼自身は「集合論」を、数学より包括的な「哲学」であると考えていました。
そして、「集合」を、プラトンの「イデア」や「混合者(ミクトン)」に近いものと考えていました。

彼は、自分が「無限論」の中で創造している諸概念が、プラトン哲学の、「限定(ペラス)」、「無限(ト・アペイロン)」、「混合者」のどれに当たるかも考えていました。

カントールは、自分が数学的に定義した無限が、「実無限」に当たると考えました。
また、それは、スピノザの言う、「形相的無限者」ではなく、「神」である「本来的無限者」であるとも考えました。

また、カントールは、当時の物理学の中にあったエネルギー論と原子論の対立に対して、「物体モナド」と「エーテル・モナド」の2種類の構成最小単位を導入し、それぞれの「濃度」に違いがあるという説を提唱しました。
つまり、物質界とエーテル界の階層の違いを「無限」の「濃度」の違いとして考えたのです。

カントールの「無限論」は、従来の数学とは性質の違うものです。
従来の数学は、「問題」を解決するために発展してきましたが、カントールの数学は、「無限とは何か」を問うことによって、新しい「概念」を創造するものでした。
こうして、抽象的な現代数学が始まったのです。

そして、従来の数学が、「直観」を重視したのに対して、カントールの「無限論」は、通常の「直観」が捉えることができないものであり、「論証」によって認識されるものでした。
カントールは、点や直線、時間は「直観形式」ではなく、概念の「表象」にすぎないと主張しました。
彼は、ギリシャ的な「直観」を否定し、カント的な「直観形式」を否定し、ニュートン的な絶対時間を否定しました。
ところが、カントールは、「論証」の限界に突き当たったのです。


<連続体仮説とカントールの精神病>
カントールは、「自然数」全体の総数の無限は、一番小さい無限であることを証明しました。
「有理数」全体の総数は、それに同じです。
では、「実数」全体の総数の無限は、次に大きな無限なのでしょうか?
これを一般化すると、「ある無限集合の濃度と、そのべき集合の濃度の間の濃度は存在しない」となります。
カントールは、「直観的」にそうだと感じていて、それを証明しようとしました。
これは「連続体仮説」と呼ばれます。
これが真であるかどうかは、無限論の体系化の基礎に関わることです。

カントールはこれの証明に注力しましたが、証明に至りませんでした。

先に書いたように、カントールは、無限が神であることを意識しており、彼にとって、「無限論」は神の秘密を説く神学でした。
無限の大きさの違いの問題は、公教的な神学を超えて、神秘主義的神学の問題でしょう。

カントールは「連続体仮説」の証明に失敗しつづける中で、徐々に精神を病んでいきました。
鬱になり、妄想を抱くようになり、発作を起こすようになりました。
そして、とうとう、「連続体仮説」は証明すべきものではなく、神の「啓示」であると考えるようになりました。

カントールが「連続体仮説」を信じたのは、「直観」によるとしか言えません。
ですが、彼は、無限には常識的な「直観」が通じないことを知っていましたので、「啓示」と表現したのでしょう。

これは、「常識的直観」ではなく、「神秘的直観」と言い換えても良いでしょう。


<ゲーデルの不完全性定理と精神病>

カントールが亡くなった後、「不完全性定理」を証明した天才、クルト・ゲーデルが「連続体仮説」に挑みました。
ただ、彼は、カントールと反対に、「連続体仮説」は間違っていると「直観」していたのですが。

ゲーデルの有名な「不完全性定理」は、証明できない命題(真理)がいくらでも存在する、そして、体系の無矛盾性の証明はできない、といった内容の定理です。
これは、神学的に言えば、完全な神学は存在しえない、ということです。
拡張解釈すれば、全知なる神は存在しない、となります。

ちなみに、ゲーデルは、発表はしませんでしたが、「神の存在証明」を行っています。

で、結果はどうなったかといえば、ゲーデルは「連続体仮説」を証明できませんでした。
ですが、彼の予想とは反対に、それが真実であるとしても無限論の体系と矛盾しないことが証明できました。

そして、なんと、ゲーデルは、カントール同様に、「連続体仮説」に挑む中で、精神を病んでしまいました。

一般に、神秘主義的体験の探求では、精神を病むことは多いのですが、「無限論」に挑むことも、精神を病む原因になるようです。

ですが、その後、ポール・コーエンが、ゲーデルの「不完全性定理」を用いて、「連続体仮説」が、偽であっても体系と矛盾しないことを、つまり、「連続体仮説」は証明できないことを証明しました。

こうして、無限の濃度、つまり、神の内部階層に関する基本的な真理の一つは、証明できず、「直観」する(公理化する)しかないことが証明されたのです。


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ユングによる東洋神秘主義の曲解(道教、インド哲学、仏教) [近代その他]

ユングは、道教、易経、ヴェーダーンタ哲学やサーンキヤ哲学といったインド哲学、仏教、チベット密教、禅などの東洋の神秘主義的思想を研究し、その影響を受けています。

ですが、それらに関する解釈は、自身の理論に引きつけたもので、ほとんど曲解というべきものでした。

このページでは、ユングが行った東洋神秘主義の曲解をまとめます。


<論文と基本姿勢>

ユングが東洋の思想や瞑想法に関して書いた、主な論文などは、下記の通りです。
講演を別にして、ユング一人で、一冊まるまる書いて発表した著作はありません。

1929年 リヒャルト・ヴィルヘルム「太乙金華宗旨」の解説
1932年 講演「クンダリニー・ヨガ」
1935年 エヴァンス・ヴェンツ訳「チベット死者の書」の序文
1936年 論文「ヨーガと西洋」
1939年 鈴木大拙「禅仏教入門」の序文
同年  エヴァンス・ヴェンツ訳「チベットの大いなる解脱の書」の註釈
1943年 論文「浄土の瞑想」
1944年 ハインリヒ・ツィンマー「インドの聖者」の編集・序文
1950年 ヴィルヘルム英訳「易経」の序文

ユングは、東洋の瞑想法を、西洋人がそのまま行うべきではないと考えました。
逆に言えば、西洋人は、ユングの開発した「能動的創造力」という「瞑想法」を行うべきだということです。

その理由の一つは、西洋人は、まず、自らの「影」と対決しなければいけないからです。

ユングは、「中国的瞑想を直接試みさせることは大変な過ちであろう。そんなことをすれば、西洋の意志と意識が問題に突き当たるのであるから、意識は無意識に対して一層強められるだけになり…」(「黄金の華に秘密」)と書いています。

同様な意味で、ユングは、インド志向だった神智学を批判しています。
「神智学の徒にならって、貧弱な身体を東洋風の華美な衣装で包み込もうとする者があれば、彼は自分自身の歴史に対して不誠実になるであろう」(「元型論」)。


<道教>

ユングは、中国学のリヒャルト・ヴィルヘルムから送られた道教の内丹の瞑想書「太乙金華宗旨(黄金の華の秘密)」を読んで、この書に、西洋の錬金術と同様のものを見出して、本格的に西洋の錬金術の研究を始めました。

ですが、西洋の錬金術が「外丹」であるのに対して、この書は「内丹」の書です。
つまり、この書がテーマにしているのは、思考を滅しながら、「気」をコントロールして、実際に不死の「気の身体」を作る瞑想法です。
無意識の心理との対面や統合を目指したものではありません。
ですが、ユングは、すべてを心理的に解釈します。

例えば、ユングは、「黄金の華の中に、あるいは一インチの空間(寸田)の中に、「金剛身」すなわち永久に朽ちることのない微差身が生まれるという観念が、形而上学的に主張されている」、「心理的事実に対する象徴的表現」と書きます。
ですが、「金剛身」とは、心理的概念でも、形而上学的概念ではなく、気を練って実際に作る「陽神」のことです。

また、この書が説く「回光」に関しても、ユングは、回転、囲い込むこと、聖域の隔離…といった心理的解釈をしますが、これはユングにとっては「マンダラ」です。
実は、ユングが「マンダラ」について初めて書いたのは、この書でです。
ですが、「回光」とは、気を身体の前後の脈にそって移動させる「小周天」と呼ばれる具体的な方法のことです。

ユングが、西洋の錬金術に見出したものは、錬金術師が化学的過程に投影した無意識ですから、この内丹書に関しても、気を練る操作に無意識を投影したのだと無理に解釈することは可能かもしれません。
ですが、ユングは、内丹の本質が、気の具体的な操作であるということそのものを理解していないでしょう。

ちなみに、ヴィルヘルムは、中国の霊魂観の「魂」を「アニムス」、「魄」を「アニマ」と訳しています。
また、ユングは内丹における「性(=心)」が「ロゴス」、「命(=気)」が「エロス」に当たると解釈しています。
これも、あまり適当とは言えないでしょう。


<インド哲学、仏教>

ユングの「自己」という概念は、インド哲学の「プルシャ」や「アートマン」から影響を受けていて、「プルシャ」や「アートマン」を「自己」であると書いています。
また、「仏陀」も「自己」の象徴であると書いています。

ユングは、それらを、「無意識」であると言います。

「インド哲学では「高次の」意識と呼ばれているが、これはじつは西洋人が「無意識」と呼ぶものと一致している」(「個性化とマンダラ」)。
「ヨーガ行者が到達するサマーディの完成、恍惚の状態は、われわれの知るかぎり無意識の状態に当たる」(「個性化とマンダラ」)。

ですが、「プルシャ」や「アートマン」は「純粋意識」と表現されるべきものであって、最初から、決して「無意識」ではありません。
ユングが「無意識」と言っているもの、「自己」と言っているものは、サーンキヤ哲学で言えば、「プルシャ」ではなく、「プラクリティ」に当ります。

ユングは、「西洋人は上へと高まろうとするのだが、インド人は、母なる自然の深みに帰ることを好むのである」(「浄土の瞑想」)と書きますが、そうとは限りません。

ユングは、「自我のない意識というものを思い浮かべることすらできない」(「個性化とマンダラ」)と書いていて、東洋思想の核心を完全否定しています。
東洋思想の多くは、まさに、「自我」のない「意識」を求めます。

また、ユングは、東洋の瞑想法は、無意識を統合するものであると考えました。

ですが、東洋の瞑想の本質は、意識的であれ無意識的であれ、思考やイメージをなくすことであり、また、その無分別な状態で「知恵」を得ることです。
「仏陀」は、「知恵」を通して「煩悩」を滅した存在であって、「自己」ではありません。
仏教の知恵は、内面の無意識に対する「知恵」ではなく、「煩悩」はそれらに対する無知、統合されざる無意識ではありません。

インド哲学は、「純粋意識」とそれ以外のものを区別する認識を求め、仏教は、諸行無常の認識を求めます。
ですが、ユングには、無意識の意識化以外に、「認識」という観点がありません。

ユングは、「意識が拡大するについてれ、意識の個々の内容は明晰さを失っていく」(「個性化とマンダラ」)と書きますが、東洋の瞑想は、集中によって明晰さを高めていきます。

東洋の諸宗教の瞑想法では、一般に、イメージにこだわらないこと、それを否定することを原則としています。
ですが、ユングの思想では、イメージと対面してそれを統合しなければいけません。

「能動的創造力」はイメージを発展させる「夢見」の技術であって、イメージを統御する意味での「瞑想法」ではありません。

このように、正反対のことが説かれるのですが、ユングはこの矛盾を、次のように言って回避します。
東洋では無意識のイメージが力を持っているので、それを否定するように説かれるけれど、西洋では無意識のイメージが単なる幻想として否定されるので、むしろ、その実在性を理解しなければいけないのだ、と。

ただ、タントラ(密教)やバクティ・ヨガには、ユング的に解釈可能な瞑想法もあると思いますが。


<チベット仏教>

「チベット死者の書」は、3つのバルド(意識の次元)を区別しながら、死の瞬間の純粋な空の状態(チカイ・バルド)から、神々などのイメージが現れ(チェニィド・バルド)、最終的に再生に至る(シドパ・バルド)過程を説いています。

1935年、ユングは、エヴァンス・ヴェンツ訳「チベット死者の書」の序文を書きました。彼は、「チベット死者の書」が説く3つのバルトの2つに関して、次のように心理学的に解釈しています。

1 チカイ・バルド  
2 チェニィド・バルド=集合的無意識の元型的イメージの世界
3 シドパ・バルド  =フロイトの精神分析学の領域

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*チェニィド・バルドで現れる神仏のマンダラ的イメージ

ですが、ユングは、「テキストを逆に読んでいくことによって…」と書いているように、「チベット死者の書」を後ろから読んで、それが、東洋的なイニシエーションの過程、つまりは、ユングの「個性化の過程」に当たっていると解釈します。
無茶な解釈です。

1939年には、エヴァンス・ヴェンツ訳「チベットの大いなる解脱の書」の序文を書きました。
この書は、「明知」、「自己解脱」といった概念を含む、ゾクチェンの書です。
当時、ゾクチェンは、まだ西洋世界には知られていませんでしたので、この書を理解することは不可能でした。

ユングは、ゾクチェンの「自己解脱」を「自己を救い出すこと」と解釈していますが、違います。
「空」から心に現れたものが、自然に煩悩性をなくし、消滅することです。

また、「明知」に関して、「意識の解消のようなものであり、従って、無意識状態に直接近づくことであるだろう」と解釈しますが、違います。
「明知」は、基盤としての本来の心が、最初から自覚的な意識を伴っていることを表現します。


<禅>

1939年、ユングは、鈴木大拙「禅仏教入門」の序文で、「禅」について、次のように書きました。

「意識がその内容についてできるだけ空っぽになった場合、その内容は、一種の(少なくとも一時的な)無意識の状態にある」
「(無意識は)…心の全体を意識的に方向づけるために必要な一切のものを、意識の表面へもたらすのである」
「弟子の無意識の内なる本性が、師匠や公案の問いに対して応答するものが、明らかに「悟り」なのである」

つまり、禅の瞑想で、思考を停止させると、無意識の状態になり、無意識から意識に上げるにふさわしいものが意識に上がってくる、というのです。
公案の答えも、そのように答えるのだと。

禅の瞑想では、基本的に無意識の状態を目指しませんし、無意識から上がってきたものは、捨てられます。
一般に、公案の答えは、合理を超えたものを、態度や言葉で示すことです。


<東洋思想への投影>

ユングの錬金術研究は、実際の化学的変成という物理的事実でもなく、錬金術のヘルメス主義的な形而上学でもなく、錬金術師が錬金過程に投影した無意識が研究対象であり、ユングはそれを自覚していました。

それに対して、ユングが東洋思想・東洋の瞑想法に対して行った解釈は、実際の瞑想法でもなく、その形而上学でもなく、ユングがそこに投影した自分の思想であり、ユングはそれについて無自覚でした。


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ユングによる西洋宗教潮流の解釈(キリスト教、グノーシス主義、錬金術) [近代その他]

ユングは、ミトラス秘儀、グノーシス主義、錬金術などの、ヘレニズム、西洋の秘教を研究し、それらを一つの根拠として、彼の分析心理学の理論を作り上げました。
また、彼は、西洋の思想潮流の表層にキリスト教が、深層に古代ゲルマンの宗教や秘教があると考えました。

このページでは、ユングのユダヤ・キリスト教、及び、西洋の神秘主義の解釈をまとめます。


<ゲルマンの神とキリスト教>

ユングは、作家オスカー・シュミッツ宛書簡で、
「神々はヴォータンの樫の木のように打倒され、その切り株にキリスト教が接ぎ木されました。
…ゲルマン人は今なおこの切断に苦しんでいます。
…私たちは自らの中の原始的なものへと掘り下げていかなければなりません。
…必要なものとは、つまり、神を新たに経験することです。」
と書いています。

ユングは、ユダヤ・キリスト教を文明化されたもの、キリスト教以前のゲルマン人を野蛮、と表現します。
ですが、キリスト教は残酷に押し付けられたユダヤ人の宗教であり、人を自然から、自然な本性から切り離してしまったのです。
また、ユダヤ人の宗教は、アーリア人や他の人種の宗教のように、イニシエーションによる再生のイメージを持っていないと。

ところが、ゲルマン人の無意識の層には、キリスト教以前のアーリア人の自然宗教(ヘレニズム秘儀も含む)が生きていると考えました。

ユングは、ヴォータン(オーディン)がゲルマン人の真の神であり導師であったと言いいます。
そして、彼は、ドイツにおけるナチズムの台頭について、ヴォータンが現れてきていて、この神に対して無意識のままであれば、それに憑依されてしまうけれど、それを意識化すると霊的再生が可能だと、注意を促しました。

ちなみに、ユングは、アメリカでナチズム批判をして、著作が発禁になりました。


<旧約と新約>

ユングは、生涯に渡って、ユダヤ・キリスト教の「善なる神」が、善悪の両面を持つ人間を作った意味、そして、人間イエスに受肉した意味を、心理学的に考え続けました。

ユングは、晩年の著作、「ヨブへの答え」(1952年)で、旧約の「ヨブ記」が、ユダヤ教の神観念(罰する神)がキリスト教の神観念(愛する神)へと変化する最初のポイントであったと解釈しています。

ヨブは、悪行をなしていないのに、様々な試練を受けて、罰せられ、このことを不当だと、神に訴えました。
ユングの解釈では、人間であるヨブの方が正しく、ヨブは神よりも倫理的に上位に立ったのです。
ヨブは、神を疑うような、反省的な意識を持つ存在になりましたが、一方の神は、人間よりも無意識で、意識(善なる神)と無意識(悪魔)が分離した存在でしかなかったのです。

神はこれに気付き、ショックを受け、反省して、人間に追いつくために、人間になる必要があると決意したのです。
こうして、神は、イエス・キリストとして人間に受肉して、贖罪を行いました。
これは、神自身による、神自身の無意識に対する贖罪であり、無意識の内的葛藤の意識化です。

ですが、神の人間化は、まだ、不十分なのです。
神は、まだ、純粋に善なる男性的存在であり、イエスという特殊な人間になっただけです。

ですから、イエスの後、パラクレート(聖霊)が人間に霊感を与えるという形で、普通の人間への受肉が続くのです。

「ヨブへの答え」は、1950年にカトリックが「聖母被昇天」(聖母マリアが肉体のまま昇天したとする説)を認めたことをきっかけに出版されました。
ユングは、「聖母被昇天」は、従来のキリスト教の正統教義「三位一体」に加えて、第4の「母」の神性を認める革命的なものであり、神の人間化の進展を示すものだと考えたのです。


<表層のキリスト教と深層の秘教>

キリスト教では「父/子/聖霊」の「三位一体説」が正統教義ですが、ユングは、錬金術や民衆の中には、「四位一体」があったと考えました。
第四の者は、「母」であり、極端に表現すれば「悪」であり、それは、「エロス」、「肉体」、「無意識」の原理です。

例えば、民衆の中にあった聖母信仰は、「三位一体」に欠けた第四者です。

また、ユングは、古代の女性錬金術師マリア・プロフェティサの言葉、「一は二となり、二は三となり、第三のものから第四のものとして全一なるものの生じ来るなり」を取り上げ、錬金術が「四位一体」の思想を持っていたと指摘しました。
この錬金術師が女性であることも象徴的です。

ユングは、「錬金術とは表面を支配したキリスト教に対抗する底層流のようなものである。…夢と意識の関係のようなものであって、ちょうど夢が意識面にあらわれた心の葛藤を補償するのと同じように、錬金術はキリスト教的魂における「相反するものの緊張」から生まれた「魂の」溝を埋めようとするものである」(心理学と錬金術)と書いています。

つまり、ユングは、西洋の精神潮流を、表層に意識的なキリスト教があり、深層には無意識的な錬金術のような神秘主義(オカルト)思想や、民衆的宗教があったと解釈しました。

ところが、宗教改革が、儀式や象徴を否定したことで、その深層の潮流を絶たせてしまったのです。
ユングは、「われわれはなるほど、キリスト教のシンボル体系の正統な相続人であるが、しかし、この遺産を失ってしまった」(「元型論」)、「魂に対する配慮は、プロテスタンティズムではひどいことになっている」(変容の象徴)と書いています。

また、ユングは、その後のプロテスタントの地域に、一方では、インド学が、もう一方では、神智学や人智学が盛んになったことは、それに対する補償的なものであると考えました。

ですが、原人アントロポスが壺の水を魚の口に注ぐという、新しい時代の「水瓶座」のイメージを、意識と無意識がつながった人間が現れる前兆であると考えました。


<グノーシス主義>

前のページで書いたように、1916年に、ユングは、彼の指導霊であるフィレモンが、十字軍の騎士をキリスト教からグノーシス主義へと回心させて救済する「死者への七つの説教」を、バシレイデス名義で書きました。
ここで、グノーシス主義の神アブラクサスについて「両者(神と悪魔)の上に存在し、神の上の神」、「善と悪との母なるもの」と表現しています。

グノーシス主義は、この世界を作った悪神である創造主(旧約の神)と、より高い至高神を区別します。
ユングは、フロイトが分析したのはヤーヴェ以下の世界であると考えました。
それに対して、ユングの分析心理学は、霊的な世界=女性的な無意識の世界を重視するのです。

グノーシス主義には、キリストの三重身という考え方があります。
霊・魂・体の3つの次元でキリストを考えるわけです。

肉のキリストは、無定形、無知、無思考とされます。
ユングは、これは、無意識の底に眠っている霊的で内面的な「全体的人間」の完全性=「自己」を象徴していると解釈しました。

グノーシス主義のナース派は、「蛇」がソフィアの使者であり、悪い創造主のヤルダバアドが禁止した知恵の実を、人間のために食べさせたと考えます。
ナース派にとっては、「蛇」は無意識の知恵の象徴であり、キリストと「蛇」を同一視します。

また、グノーシス主義の神話に、キリストが自分の脇腹から生み出した女を交わるという、近親相姦的なモチーフがあります。
ユングは、これを、男性が、無意識の女性像のアニマを統合する過程と解釈しました。

ユングは、著「アイオーン」(1951年)で、ヘレニズム期の共有認識では、イエス・キリストは「原人アントロポス」と同様の全体的存在=「自己」の象徴だったとしています。


<錬金術と増幅法>

ユングは、リヒャルト・ヴィルヘルムから送られた道教の内丹書「太乙金華宗旨」を読んだことをきっかけにして、研究対象をグノーシス主義から西洋の錬金術に変えました。

ユングの錬金術関連のまとまった著作は、1941年の講演「医師としてのパラケルスス」、「精神現象としてのパラケルスス」、1944年の著作「心理学と錬金術」、1946年の著作「転移の心理学」、1955-6年の著作「結合の神秘」などです。

ユングは、「実験者は自己の投影を物質の特性として体験した。しかし実際に彼が体験したのは無意識だったのである」(「心理学と錬金術」)と書いています。
彼は、錬金術師が錬金術の作業過程の中に、「集合的無意識」の「元型」を投影し、また、「個性化」を体験しながらその過程を投影したと考えました。

同時に、ユングは、「(「プラトンの四書」のように)錬金作業と哲学的、心理学的な事象との間の平行関係を示す体系が見出させるのである」、「人間の精神には物質をも変化させうる一種の魔力が内在していると考えられたからでもある」(「心理学と錬金術」)とも書いています。
つまり、錬金術師の中には、術師の精神的変容が、物質の変容を促すという魔術的な関係を意識して、それについて書いた者もいたということです。
もちろん、その根底にはヘルメス主義の万物照応の世界観があり、それは意識的に理解されている形而上学です。


「投影」を論証しようとすると、物質変成の記述の中に、実際の化学的変成とも、錬金術の形而上学ともズレた記述があった時にのみ、「投影」が類推されうるハズです。
ですが、ユングはそのような論証はしません。

ユングの方法は、「増幅法」による類推です。

分析心理学では、夢を解釈する時に、それと類似する素材を集めて理解を深めますが、彼はこれを「増幅法(拡充法)」と呼びました。
ユングが錬金術に「集合的無意識」の「投影」があることを論じる時に行ったことも、これを同じです。

つまり、物質変成の記述のモチーフと類似する、他の精神的領域のモチーフを集めたのです。
これは論証的方法ではないのではないでしょうか。

実は、ユングは、錬金術師が思想を形成する方法も、「増幅法」であり、錬金術の変成作業も、その一つの素材だったと書いています。


<錬金術と個性化の過程>

ユングは「心理学と錬金術」で、
「主として投影されたのはこの世の闇に囚えられている霊というイメージだった。換言すれば、相対的に無意識の状態に置かれている心、その状態から開放されずに苦しんでいる心、これが投影されたのである」
それゆえに、
「救済者像の投影、すなわち賢者の石とキリストとのアナロジーが、同様に、また救済の「務め」ないし、「聖なる務め」と「錬金術の業」とのアナロジーが生まれるのである」
と書いています。

つまり、錬金術の過程に「投影」されたのは、無意識の解放であり、「賢者の石」は救済者という点でキリストと同じくみなされた、ということです。

一般に、「黒化」、「白化」、「赤化」を経て「哲学者の石」を作る錬金術の作業過程を、ユングは「対立物の結合」というテーマで語ります。
これは、分析心理学が言う、「影」、「アニマ/アニムス」を統合し、「自己」を見出す「個性化の過程」と対応しています。

彼は、1946年の著作「転移の心理学」で、錬金術書「賢者の薔薇園」が掲載する10枚の挿絵の解釈を行いながら、その過程を説明しています。
それを簡単にまとめましょう。

1 メルクリウスの泉
錬金作業の根底のある秘密を描いている。
5つの星は4大元素と第5元素、四位とその一体の象徴。
水槽である「錬金術の容器」は変容が起こる場所で、円形は完全性の象徴。
「錬金術の水」=「メルクリウス」は無意識の象徴で、3つの管は・天地・地下の象徴。
4→3→2→1の過程も描かれている、などなど。

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2 王と女王
女王(ディアーナ)は男性のアニマ、王(アポロン)は女性のアニムス。
宮廷服を着ているのは、まだ、よそよそしい状態。
左手を握っているのは、良くない関係、つまり、意識と無意識が「混合(分裂しつつ同一化)」している状態。

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3 裸の真実
裸になった両者は、部分的に結合した状態、「影」とエロスの領域が意識にもたらされ、自我意識の抑圧が取り払われた状態。

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4 浴槽の水に浸かる
両者が水に浸かるのは、無意識が上昇した状態。

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5 結合
両者が交わり、翼を生やすのは、対立物の結合、「影」の統合、衝動的エネルギーが象徴活動に移された状態。

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6 死
二人が死して石棺で合体して両性具有になったのは、アニマ、アニムスとの対決による従来の自我の死。

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7 魂の上昇
幼児=霊魂の上昇は、意識水準が低下して、無意識の中に沈む状態。
6-7は「黒化」の段階。

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8 浄化
露が垂れるのは、直観が目覚めた状態、新たな誕生の前兆。
無意識への下降が上からの照明に移行する。

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9 魂の帰還
幼児=世界霊魂が降りるのは、浄化されて、肉体が復活、栄光化する状態。
意識と無意識の混合状態を脱して統合、アニマ/アニムスの統合へ。
「白化」の段階。

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10 新たな誕生
全体性、対立物の結合の状態、「哲学者の息子」、「哲学の木」、「哲学者の石」は「自己」の表現。

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ユングは、10枚で終わっているように書いていますが、実際には、この後に作業はまだまだ続くのです。
1622年に発表された「改革された哲学」の20枚シリーズの挿絵と照らし合わせると、その最初の10枚に当たることが分かります。

また、錬金術の挿絵は、化学的な物質変成過程を暗喩的に示すものです。
ユングは、錬金作業に投影された心理の分析を行ったとしています。

ですが、もし、そうであれば、まず、挿絵の意味を、それが暗喩する物質的過程に戻してから、それに心理が投影されたことを論証しなければいけません。
ですが、ユングはそれを行ってはいません。


<分析心理学と魔術>

実験化学者のルードヴィッヒ・シュタウデンマイアーが1912年に出版した「実験科学としての魔術」は、自動書記の手法や、それから書記をなくした手法を使って、魔術を科学的に解明しようとした書です。
彼は、この書で、「下意識」に鍵があり、人格化が重要となると書いています。
ユングはこの書を読んでおり、「能動的創造力」を生み出すに当たって参考にした可能性が多分にあります。

ですが、ユングは、具体的に、現実の「魔術」についてほとんど興味を持っておらず、まとまった論考も行っていません。

「赤の書」では、ユングはフィレモンに「魔術」について教えてもらっています。
ですがそれは、「理解できないもの」、「教えることができないもの」、「法則のないもの」といった、単に抽象的な議論にすぎません。
ユングは、「魔術」を無意識の非合理的な創造力、と解釈しているようです。

それにもかかわらず、ここに「魔術」というテーマをもうけたのは、ユングの分析心理学と類似した側面と、異なる側面があって、両者を比較することが、興味深いと思えるからです。

例えば、類似する部分を並べると、次にようになります。
「元型」と魔術の象徴体系、「集合的無意識」と「アストラル界」、「個性化の過程」と「イニシエーションの階梯」、「影」と「クリフォト」、「アニマ/アニムス」と「左右の柱」、「自己」と「守護霊」、「能動的創造力」と「スクライング(アストラル・プロジェクション)」、「マンダラ」と「魔法円」などです。

つまり、普遍的な象徴、人格的象徴に対する瞑想や夢見の術を通して、力や知識を受け取り、人格や能力を広げ、統合していくという点で、両者は共通しています。

一方、分析心理学と「魔術」の違いは、まず、「個性化の過程」は無理をして意識の側から促さないけれど、魔術の「イニシエーション」は、意識的に努力して行う点です。
ユングは、無理をして「元型」と対面すれば、道徳的に耐え切れないと考えました。

また、対面すべき「元型的イメージ」は、ユングにおいては、基本的には、外部から与えるものではなく、自然に、「集合的無意識」から生まれるものです。
ですが、伝統的な「魔術」においては、正しい「象徴体系」やその定形のイメージが存在し、それを勉強と瞑想によって無意識に植え付けていきます。(現代的な魔術では必ずしもそうではありませんが)

このように、一見すると、象徴的イメージと、それに対するアプローチの点で、正反対の側面があります。

ですが、ユング自身は、自分が本格的に無意識と対面する以前から、神話や秘教の勉強を行っており、彼が対面した「元型的イメージ」やヴィジョンのストーリーには、その勉強の影響があったことが明らかです。

また、ユングの患者には、ユングの理論や神話などに興味を持って勉強していた人が多く、そうでなくても、ユングは、治療の過程で、自身の理論を説明したり、神話的なイメージを例として見せることがありました。
ですから、ユングも患者も、無意識にその影響を受けていて、純粋に自然に任させていたとは言い難いのです。

それに、魔術においても、大枠は決まっていても、最終的には個々人の想像力に任される側面があります。

また、「魔術」の「イニシエーション」は、それ自身が目的ではなく、それを前提として、現実で望む変化を起すことが目的であるという側面があります。
ですが、この点でも、ユングには「シンクロニシティ(共時性)」という概念があり、通常の因果関係を越えて、心と現実が一致することがあるとします。
「シンクロニシティ」は、「集合的無意識」とつながっている時に起こりやすいとされます。

これらを考えると、両者はとてもよく似ています。
もちろん、実際に魔術として役立たせるには、分析心理学の「元型」だけでは象徴が足りませんが。


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ユングの理論と問題点(個性化と能動的創造力) [近代その他]


前の2つのページでは、ユングが分析心理学の思想を形成することになった背景をまとめました。
このページでは、分析心理学の基本的な理論、技法、そして、問題点をまとめます。


<集合的無意識と自己>

ユングは、「無意識」を、意識によって抑圧された存在ではなく、本来的に自律的で、創造的、目的論的(未来的で潜在的)なもの、意識に対して補償的なものであると考えました。 

そして、意識的なシステムの中心である「自我」と、意識と無意識システムの全体、その中心としての「自己(本来的自己、selbst)」を区別しました。

また、「無意識」には、「個人的な無意識」のさらに深層に「集合的無意識(普遍的無意識)」があると考えました。
「集合的無意識」は、遺伝子的要因によって、先天的に継承されてきた魂の領域であって、経験や個人の記憶内容ではなく、心的な機能の様式、方向づけを与える力として作用します。

「自我」や、社会に向けた人格である「ペルソナ」のような意識的な存在、そして、個人的無意識は、「コンプレックス」として作られ、それによって成り立っています。
「自我」や「ペルソナ」を「元型」であると書いている文献を見かけることがありますが、間違いです。

それに対して、「集合的無意識」は、いくつか種類の「元型」と、それが創造する「元型的イメージ」によって構成されています。
「元型」は、神話やおとぎ話に見られる典型的なイメージの元になるもので、心の生得的な構造であり、本質をなすものです。 

「元型」自身は、認識や意識の対象となりませんが、「元型的イメージ」は「自我」と内面を媒介する心像として、宗教的な感情(ヌミノース)と共に体験されます。
「元型」の多くは人格化されていて、力(マナ)を持った存在なので、「マナ人格」とも呼ばれます。

ユングは「元型」という言葉自身は、ユダヤのフィロンや偽ディオニュシオスが使っていると言っています。
また、聖アウグスティヌスも同じ観念として「根源的イデア」という言葉を使っていて、これ自身は人間の精神は目にすることはできないもので、この点でユングは影響を受けています。

「元型」の多くは人格的に表現されるので、全体としての「元型」は、一種の神々のパンテオンを構成します。


<個性化の過程>

ユングは、意識が「集合的無意識」を統合していくことで、心が分割できない一つの全体になることを、「個性化(individuation)の過程」と呼びました。

これは、患者の治療の過程にも、宗教的な求道の過程にも見出だせるものです。
ユングは、一般的に、人生の後半生において果たされるものと考えました。

「個性化の過程」は、「集合的無意識」に現れる複数の「元型」を順に意識化し、統合していく過程です。
「元型」である人格は、力を持った「マナ人格」ですが、それを統合すると、その力は「元型」から失われ、「自我」に移りがちです。

「元型」の統合は、「対立物の合一(反対物の結合)」という側面も持ちます。
ユングは、この統合・合一を進める働きを「超越的機能」と呼びました。

ユングは、「個性化の過程」は、本来、自然に進むもので、無理に進めるべきではないと考えました。
また、「元型」が表現するイメージは、無意識の自然な想像に任せるべきで、意図的なイメージを植え付けるべきではないとも考えました。

「元型」は、否定的に現れる場合と、肯定的に現れる場合があります。
特に、意識化されていない時は否定的になりがちです。

通常、「元型」は、それと認識されないままに他者に「転移(投影)」されています。
そのため、他者の本来の姿を隠してしまい、二人の関係を混乱させます。
「元型」の投影を意識化するには、自分自身の知りたくない心を知ることが必要なので、道徳的抵抗を乗り越える必要があります。

「元型」は、合理主義的な意識によって、完全に抑圧されている場合もあります。
ユングは、この状態を、「無意識の知的簒奪」と表現しています。

一方、「集合的無意識」の「元型的イメージ」と出会った場合、その「元型」と自分自身(自我)を同一化して、一種の「憑依」的状態になってしまいがちです。
この同一化を「自我のインフレーション(自我膨張)」と呼びます。
「元型」は、宗教的、神的な力を持っていますので、「自我のインフレーション」が起こると、自分自身を神のように思ってしまいます。

「元型」の統合のためには、それに同一化せず、脱同一化(対象化)する必要があります。

ちなみに、ユングは、ヘーゲルに「無意識の知的簒奪」を見て取り、ニーチェに「自我のインフレーション」を見て取りました。

「個性化の過程」における「元型」の統合は、「投影」や「自我のインフレーション」、「知的簒奪」を行わずに、客観的に「元型」を意識化することです。
それによって、「自我」と「元型」の機能の結びつきを作り、意識を成長させることです。


<元型>

ユングはそのようなまとめ方はしていませんが、以下に紹介するように、「集合的無意識」の「元型」は4層、「個性化の過程」は4段階で捉えることができます。

最初の層・段階は、「影」の統合です。
ユングは、フリーメイソンのイニシエーションと位階を意識してか、この段階を「職人試験」と表現しています。

「影」は、意識と両立し難い劣等な部分であり、意識に対して補償的な関係にあります。
意識にとっては否定的な価値を帯びた人格的存在です。

「影」は、「意地悪い同性」、「悪魔」、「怪物」、「子供」、「動物」などのイメージで現れます。
「影」は、自己中心的欲求、不安、恐怖、嫉妬、敵意、怨恨、憎悪などの心情と結びついています。

「影」には2種類があります。
個人的な「影」と「集合的影」です。
前者は個人的無意識を象徴する「元型」であり、後者は集団が共有している「影」です。
前者が「相対的悪」なら、後者は「絶対的悪」です。

文化人類学・神話学の「トリックスター」のモチーフは、後者の「集合的影」に当たります。
「影」は、シュタイナーの言う「境域の小守護霊」と似ています。


第二段階(第二層)は、「アニマ」もしくは「アニムス」です。
ユングは、この段階をフリーメイソン風に「親方試験」とも表現しています。

これは、異性像の「元型」で、男性の中には「アニマ」、女性の中には「アニムス」が存在します。
男性の無意識にある女性像である「アニマ」は、「エロス」的原理です。
一方、女性の無意識にある男性像である「アニムス」は、「ロゴス」的原理です。
ですが、必ずしも人格イメージとして表現されるとは限りません。

「赤の書」などで語られる、ユング自身のヴィジョンにおいては、「サロメ」が代表的な「アニマ」でした。

「アニマ」にも「アニムス」にも、4段階を考えることができます。

「アニマ」の4段階
1 生物学的   :旧約のイヴ
2 ロマンティック:トロイのヘレナ
3 霊的     :聖母マリア
4 叡智的    :ソフィア

1は「母」、「大地」としても表現されます。
2が狭義の「アニマ」に当たります。
この4段階は、古代後期に知られていたと、ユングが書いています。

「アニムス」の4段階
1 力
2 行為
3 言葉
4 意味

ただし、このアニムスの4段階は、ユング自身は述べておらず、彼の妻で心理学者のエマ・ユングによるものです。


第3段階(第3層)は、「老賢者」、もしくは「太母」です。

「老賢者/太母」は、「アニマ/アニムス」を統合した時に現れる「元型」で、「老賢者」は、主に、男性に、「太母」は女性に、自分の一種の理想的な姿として現れます。

ユダヤ教の「黙示文学」の「日の老いたるもの」、道教の「老子」、ニーチェの「ツァラトゥストラ」、トート神、ヘルメス・トリスメギストス、オルフェウス、ポイマンドレスなどが、「老賢者」のイメージです。
また、人格以外では、「大鷲」、「峰」などとして表現されることもあります。

「赤の書」などで語られる、ユング自身のヴィジョンにおいては、「エリヤ」や「フィレモン」が「老賢者」でした。

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*フィレモン(「赤の書」より)

インド哲学の「プラクリティ」、女神カーリーなどは、「太母」のイメージです。
人格以外では、「神の国」、「大地」、「森」、「海」、「冥府」、「月」、「庭」、「洞窟」、「泉」、「花」、「子宮」、「雌牛」、「魔女」、「竜」、「墓」、「死」、「深淵」などとしても表現されることもあります。

「太母」は、男性の現れる場合は、「影」や「アニマ」と融合していることもあります。
男性の「太母」のイメージは、母親、祖母への投影を経て「天母」になりがちで、一方、女性の場合の「太母」のイメージは、「天母」ではなく「地母」が多いと言います。

両者は、第4の存在であるとも表現されます。
男性の場合なら、自分の「自我」、自分の中の「アニマ」、アニマを投影する「女性パートナー」という3者に次いで現れる第4の存在だからです。
ユングの理論では、「4」は全体性や安定の象徴です。

また、「老賢者」と「太母」は、次の第4段階で現れる「自己」の二つの側面であると表現されることもあります。


第4段階(第4層)は、「自己(本来的自己、個我)」です。

「自己」は、意識と無意識の隠れた中心であり、自我がその中心と結びついていくと、そのイメージが現れます。

ユングは、キリスト教の「キリスト」、仏教の「仏陀」、道教の「タオ」、インド哲学の「アートマン」、「プルシャ」、グノーシス主義の「原人(アントロポス)」などが、「自己」の「元型的イメージ」であると書いています。
「幼児(児童神、永遠の少年・少女)」も、「自己」のイメージとして表現されることもあります。
また、人格以外では、「マンダラ」、錬金術の「賢者の石」、などとして表現されることもあります。

「幼児」は、それ自身が「元型」と表現されることもあります。
ユングは、第3段階で生まれた4者に続いて、「幼児」がその4者の統合の象徴として生まれ、「四位一体」が完成されると、書いています。

錬金術の「哲学者の子ども」や「ホムンクルス」、エックハルトの夢の「裸の少年」、この「幼児元型」の表現です。

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*哲学者の子ども(「改革された哲学」の挿絵より)

人格以外では、「宝石」、「花」、「金の卵」などとしても表現されます。

「赤の書」で語られるユング自身のヴィジョンでは、アイオーン的な姿をした「息子」がこれに当たります。
ユングは、この「息子」を、フィレモンがユングの魂に妊ませた子であるとも書いています。

また、ユングは、弟子のコンスタンス・ロングに、「…創造的リピドーは、個性化の過程を通して人間のなかで変容します。そして、この妊娠に似た過程の中から、聖なることもが、再生した神として現れます。…このことは他の人たちには話さないでください」、語っています。

ユングの言う「マンダラ」は、仏教やヒンドゥー教の「マンダラ」に限定された概念ではなく、中心と円や四角などの形を伴って、「全体性」を表現するイメージです。
「マンダラ」は、回転したり、中心から光線を放射状に放つ場合もあり、四角は「四位一体」を表現します。

「マンダラ」は、必ずしも「個性化の過程」の最終段階で現れるものではなく、「マンダラは魂の分裂や定位の崩壊が生じた時に決まって現れる」と書いています。
「自己」の象徴は、「マンダラ」ではなく、「マンダラ」の中心と言えるのかもしれません。

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*マンダラ(「赤の書」より)

また、「英雄」のイメージも、「個性化」の潜在的先取りとして現れることがあります。
ユングは「英雄」を変容するリピドーの象徴であるとしていて、「自己」や「自我」の象徴それ自体とは異なりますが、「英雄」は死ぬこと、母性に回帰するによって「個性化」を進む存在の象徴となります。

また、ユングは「個性化の過程」、「変容」自体も「元型」であると書くこともあります。
これは、非人格的なイメージとして、状況、場所、手段、方法などとして表現されます。
具体的には、錬金術の寓意画のシリーズ、チャクラの体系、タロットのアルカナのシリーズなどがそうだと言います。


<類型論と個性化>

ユングには、「元型(アーキタイプ)論」とは別に、性格の「類型(タイプ)論」があり、この理論も「個性化」と結びつけて考えられます。

「類型」には、まず、「内向/外向」という対立的な2つのエネルギーの向きがあります。
そして、「思考/感情」という対立的な合理的機能と、「直観/感覚」という対立的な非合理的機能があります。
人の性格はこの2×4の組み合わせで分析されます。

対立する2項の一方が意識的になり、もう一方は無意識になります。
機能の場合は、4つの内の一つが最も意識であり、その対立機能が最も無意識的になります。

無意識的な性格、機能を発達させることが、個性化の過程につながります。


<能動的創造力>

ユングが、「集合的無意識」の「元型的イメージ」と対面して、それを統合するために重視した方法が、「能動的創造力」です。

ですが、著作であまり詳細が語られません。
また、ユングの弟子も、積極的に使用していないようです。

その理由の一つは、この方法が簡単ではないことがありますが、もう一つの理由は、患者の自立を促すものだからでしょう。

バーバラ・ハナが明かしていますが、「能動的創造力は、分析を経てその人が本当に(医者からの)自立したのかどうかの試金石になる」とユングが彼女に述べたそうです。
つまり、「能動的創造力」は、精神医を必要としなくなる方法なのです。

ユングによれば、「能動的創造力」は、「意図的な集中によって生み出される一連の空想」です。
そして、「重要だと思われる空想のいずれかの断片に思いを深めていき、…その断片がはめこまれている全体の関連が見えるようになるまでその作業をつづける」(以上、「元型論」より)ことです。

具体的には、「書簡集」に、次のように書いています。

「例えば、あなたの夢にあったあの黄色い塊から始めなさい。それを熟視し、そのイメージがどう展開し、変化するのか注意深く見つめなさい。それを何かに変えようとしてはいけません。ただその自発的な変化がどうなるのか見つめなさい。」

「そして、最終的にはそのイメージの中に入っていきなさい。それがもし、話をする人物なら、その人にあなたが言わねばならないことを言いなさい。そして、また、その人物が何か言いたいのなら、それを聞きなさい。…このことにより、意識と無意識の統一体を次第に作ることなのです。これなしに個性化はありえません」

つまり、「能動的創造力」は、白昼夢や明晰夢のように、覚醒した状態で、意識と無意識のバランスを取って、自然に無意識的なイメージを自律的に展開し、それと会話する技術です。

当サイトや姉妹サイトの用語では、これは「瞑想」ではなく「夢見の技術」です。

ユングは、イメージを観察し、イメージの対象と会話し、それを記録することは重要だけれど、解釈や分析は重要ではないと書いています。

ユングの弟子のマリー・フォン・フランツは、ただイメージを動かすだけでなく、実生活の中での結論を引き出さないといけないと言います。
そして、もし、イメージの世界で約束をした場合は、必ず守らないといけないとも言います。


<分析心理学の問題>

ユングは、「集合的無意識」や「元型」が存在することを、客観的に論証できていないという批判が多くなされています。
それはその通りだと思いますし、これに関することは、この後のページでも書きます。
ですが、ここでは、分析心理学の理論上の問題点について、思いつくままに列記します。

まず、ユングの「元型論」は、内面を象徴する「元型的イメージ」の意識化を問題にしますが、イメージが持つ「認識」という機能については語りません。

イメージは、外界を体験する中で、その認識を反映して成長するものです。
ですが、ユングは、「内面」の象徴性だけを重視するため、「認識論」の観点がありません。


次に、ユングにおいては、男性と女性によって「元型」の扱いがまったく異なります。
男性の無意識には「アニマ」がありますが、女性の無意識には「アニムス」があります。
また、「老賢者」と「太母」の意味も、男性と女性では異なります。
「集合的無意識」は遺伝的なものなので、この男女の違いは先天的なものとされます。

ですが、多くの神秘主義の象徴体系の中では、男性的原理と女性的原理は普遍的な原理として立てられ、男女差を強調しません。

ユングの当時とは違って、現代では、男女の文化的アイデンティーはずっと自由で、流動的になり、男女差の多くが後天的なものという認識が広がっています。
もし、ユングが、現代にいれば、違った理論の立て方をしたかもしれません。


次に、ユングは、「(無意識は)一方ではその存在は意識以前の先史時代に根ざしており…」(「個性化とマンダラ」)と書いているように、彼の「無意識」概念は、進化論的な時間軸で古いものです。
「無意識」が未来的であるという彼の考えは、あくまでも、個人において、未成長な側面という意味です。

ユングにおいては、無意識は「体」的でもあり、「霊」的でもあり、「体」と「霊」の区別は本質的ではありません。
ですが、伝統的な神秘主義思想においては、存在のヒエラルキーは絶対的なもので、「霊・魂・体」の3分説では、「霊」と「体」は存在の次元が異なります。

ですが、ユングにある「霊」と「体」に関わる違いは、意識化の有無、「自我」との結びつきの有無だけです。

これと関係しますが、ユングの理論は、大地の霊には親近性があっても、「天使論」が欠如しているのではないでしょうか。
これは、「認識論」の欠如とも関係があるでしょう。
また、「天使論」の欠如は、次のことにつながるでしょう。


ユングが認めた主な「元型」は、「影」、「アニマ/アニムス」、「老賢者/太母」、「自己」だけです。
これらは、主に、意識と無意識(=肉体的なもの)の統合、関係の観点から認められたものだと思います。

ですが、伝統的な宗教、神秘主義思想には、他にも普遍的な象徴が多数あります。

例えば、世界的に最も普遍的な象徴体系としては、春夏秋冬、十干十二支のような、季節循環・生命循環に関わるものがあります。

また、意識や言語に関係の深いような、あるいは、人間の精神や行動の全般に関わるような、抽象的理念・観念が、多くの宗教、神秘主義思想の象徴体系となっています。

例えば、7惑星や12宮にも、抽象的観念が当てられています。
また、ゾロスター教のスプンタ・マンユが率いる6大天使「アムシャ・スプンタ」の「善思」、「正義」、「統治」、「敬虔」、「完全」、「不滅」は抽象的観念です。
ユングが研究したグノーシス主義のプトレミオス派の30アイオーンも、ほぼ抽象観念です。
こういったものは、ユングでは「元型」になりません。

人間の精神の成長、霊的成長には、こういった多数の象徴の理解が重要となります。
ユングの限られた「元型」にこだわることは、人間精神の成長に関して、一面的になるのではないでしょうか。


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分析心理学という民族宗教運動 [近代その他]

先のページでは、ユングがヴィジョンの中でミトラス秘儀のズルワン神になったことをきっかけに、「アーリア人のキリスト」になろうとしていた、ということを書きました。

このページでは、改めて、ユングの生涯と思想形成を追いながら、分析心理学の宗教的側面にも光を当ててみましょう。

ユングは、人間の魂は宗教的なものであると考え、精神病理的体験を宗教的体験として捉えていました。
そして、精神医学の仕事は、哲学的、宗教的性格を帯びざるをえないものであると考えていました。

ですが、それだけではありません。
ユングには、心理学を宗教運動化して、人々を救済しようという意識がありました。
彼の弟子達は、新しい使徒であり、新しい騎士団なのです。

ユングは、フロイトの門下にいた時代にも、彼への書簡で、次のように書いています。
「精神分析には、…素晴らしい壮大な使命があるのではないかと思うのです。…知識層に象徴と神話への感覚を蘇らせ、キリストをかつての姿である葡萄の樹の預言者に穏やかに回帰させ、こうしてキリスト教の陶酔的な直感力を、キリスト教団の本来の姿と固有の神話を作るために吸い上げなければならないと思うのです。」
つまり、精神分析学を、ディオニュソス的な新しいキリスト教のようにすべきだというのです。

ユングにはこういった志向があったため、分析心理学は、20世紀の新異教主義の思想潮流や、ニューエイジ運動にも影響を与えました。


<精神分析学へ>

ユングは、牧師を父として生まれ、若い頃から幻視を見るような子供でした。

ユングはバーゼル大学医学部に入学し、精神医学の教科書を読んだことをきっかけに、その道に進むことを決めました。
これは、彼の第一の人格が持つ科学への興味と、第二の人格が持つ心への興味の両方を満たす道でした。

医学生の時、従姉妹のヘリーを霊媒として、祖父らと交流する降霊術を何度か行いました。
ユングは、死者の霊の存在を信じていたようですが、ヘリーが、ヘリー自身が忘れている記憶によって、物語を創作していることに気付きました。

そして、1902年に、論文「いわゆるオカルト現象の心理学と病理学」で、チューリヒ大学の学位を受けます。
この論文では、ヘリーに降りた大人の女性の霊の人格が、ヘリーが20年後にこうありたいと思う女性像であると解釈し、無意識を抑圧されたものではなく、未来の潜在的な人格として、無意識を目的論的、展望的、予言的な機能を持つものとして捉えました。

ユングは、その後、フロイトの「夢判断」に感銘を受けて、1907年にフロイトを訪問して、精神分析学に傾倒します。
ですが、ユングは、ブロイラー、ジャネ、ブルールノアらの影響を受けており、また、すでにコンプレックス理論を発表していたのであって、彼にとってフロイトは、多数の影響の一つでしかありませんでした。

1908年、ユングは、フロイト派を代表してオットー・グロスの治療を担当しました。
オットーは、ニーチェに傾倒するフロイト派の医師であり、性解放思想の有名な旗手であり、麻薬常習者でした。
ですが、ユングはオットーの治療に失敗するばかりか、オットーの影響を受けて、性解放思想に染まりました。
ユングは、その後、妻帯者であるにもかかわらず、複数の女性患者、研究者と性的関係を持ち、時には、患者にそういったことを勧めることもありました。

性解放思想は、バッハオーフェンによる古代母権制の分析を一つの根拠にしています。
ユングも、古代宗教が性を聖なるものとみなしたことの影響を受けています。
後に出会う、患者であり共同研究者であり愛人であったトニー・ヴォルフは、ユングの霊的かつ性的パートナーとなりました。
つまり、グノーシス主義の伝説による、イエスにおけるマグダラのマリアのような存在になりました。
ちなみに、ユングは、トニー・ヴォルフ経由で、東洋思想や占星術を知ったようです。


1910年、フロイトは、ユングによって、精神分析学がユダヤ人の学問から普遍的な学問になることを期待し、国際精神分析学会の初代会長にユングを選びました。

ですが、ユングは、当時のドイツ文化圏における、アーリア民族主義、反近代、反キリスト教の思想潮流に影響を受け、反ユダヤ的で、アーリア人に根ざした心理学を志向するようになりました。

また、ユングは、精神分析を文化を解放する宗教運動にしたいと考え、そして、大衆に向けて新しい神話を作るべき、精神分析学者の組織はイニシエーションや階級制度を持つ秘密結社的組織であるべきであると、フロイトに訴えました。


<変容体験から異教主義へ>

1909年頃から、ユングの意識に変容が始まりました。
彼は、春に病院の職を辞して、自宅近くで個人的に患者を診るようになります。

ユングは、この自分の体験から、人は人生の後半になると、「個性化の過程」を歩むべきだと考えるようになりました。

「自伝」によれば、ユングは、古い館のロココ調の最上階から地下の洞窟まで降りると、原始文化の遺産、2人の頭蓋骨を見つけるという夢を見ました。
これは、「集合的無意識」を思いつくきっかけの一つになったようです。

そして、マックス・ミュラー、フリードリヒ・クロイツァー、アルブレヒト・ディートリヒ、フランツ・キュモン、神智学協会の頭脳だったG・R・S・ミードらの書を読み、世界の神話、特に、ミトラス秘儀などのヘレニズム秘儀、そして、グノーシス主義の勉強に注力してきました。

1909年のうちに、ユングは、おぼろげながら、彼自身の新しい理論の大枠の着想を得たようです。
そして、1911年から12年にかけて、ユングは、「リピドーの変容と象徴」を発表しました。

リチャード・ノルは、この書は、エルンスト・ヘッケルの「個体発生は系統発生を繰り返す」に基づき、個人と文化のリピドーの変容過程の一致を科学的に証明しようとしたものだと言います。

ユングは、当時の比較言語学の影響を受けており、それを精神分析学に取り入れようとしていました。
比較言語学は、セム語族と印欧語族(アーリア人)との違いを明確化し、今日の言語の中に祖先伝来の古い要素が含まれていると分析していました。
また、比較言語学者であり、比較宗教学者、神話学者であるマックス・ミュラーは、印欧語族の神話を太陽神話を中心に、言語学と関連させて研究していました。

「集合的無意識」という系統発生的な遺伝要素を重視するユングの思想は、精神分析学に比較言語学や比較神話学を統合したものだと言えます。

ユングは、この書で、「魂の生命力であるリピドーは、太陽によって象徴され、または擬人化されて太陽の性質を備えた英雄の姿となる」と書いています。

彼は、フロイトの「リビドー」概念を、性的なものから拡張して「生命エネルギー」として捉え直しました。
そして、「リピドー」は「太陽」に、そして擬人化されて「英雄」に象徴されるとして、異教の太陽神や英雄の神話の分析を行いました。

誕生し没する「太陽」、死して復活する「英雄」は、常に無意識である「母」からの自立と回帰を繰り返す存在であり、変容する「リビドー」なのです。

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*「赤の書」より

また、ユングは、キリスト教に関して、死して復活するイエスにも同様の象徴が受け継がれていたと考えました。
ですが、「人間全体を捧げる」ことで、キリスト教は「人間を自分の本性及び自然一般から遠ざけることにならざるをえなかった」と書いています。

この書は、決してアーリアの神話・宗教を特別視するものではありません。
ですが、この書は、ユングがフロイトと別れるきっかけになった書であり、生涯何度も書き直しています。
フロイトは、この頃、同僚に向けた手紙で、「ユングは今、顕症期の神経症であるにちがいありません」と書き、ユングが病気であるとの判断を示しました。

さらに、フロイトは、同僚アーネスト・ジョーンズの「ユングは世界を救済しようとしています。もうひとりのキリストとして。そこには確かに反セム主義が入り混じっています」という指摘を受けて同意し、「彼はまるでキリストその人のようです」と返事をしています。
「反セム」は「アーリア主義」を意味するので、つまり、「アーリア人のキリスト」になろうとしている、という認識です。

1913年4月、ユングは、国際精神分析協会の会長を辞職し、さらに、チューリヒ大学の職も離れました。
7月には、チューリッヒの精神分析協会も、国際精神分析協会から離脱し、「分析心理学協会」と名を変え、ユングはここと密接な関係を持ちました。


<「黒・赤の書」とミトラス秘儀の参入>

1913年の11月、12月には、前のページで書いたように、本格的に「能動的想像法」を使ったヴィジョンを観る実験を始め、それを「黒の書」に記録し始めました。
ここには、ミトラス秘儀と同様の体験、神への一体化と、死と復活をユングがしたことが記されています。

ユングは、「黒の書」を書き続けるのと平行して、「黒の書」に解釈や絵を付け加え、文字を装飾文字にした「赤の書(新しい書)」の制作を始めました。

ユングによれば「赤の書」は未完に終わったのですが、彼自身にとっても、研究者にとっては極めて重要な書です。
ですが、「ユング自伝」の編集者アニエラ・ヤッフェは、「黒の書」、「赤の書」の引用をほとんど避けました。
「赤の書」は秘伝として一部の者にコピーで読まれましたが、これが出版されたのは2009年です。

また、1913年から1914年にかけて、つまり、第一次大戦の直前に、ユングは、大洪水や寒波に襲われるような幻視や夢を何度も見ました。
これらのヴィジョンは、無意識が現れてヨーロッパに死と再生をもたらすことを象徴したものでしょう。
ユングは、これらのヴィジョンが、無意識の個人を越えた領域から生まれたものであると確信を得ました。


<グノーシス主義へ>

1915年頃から、ユングは、古代思想の中心的な研究対象を、ミトラス教からグノーシス主義に変えました。

1916年夏、ユングは、十字軍の騎士達が、エルサレムで救いの地を見つけられず、ユング邸に現れるというヴィジョンを見ました。
これを受けて、ユングは、「死者への七つの説教」という文章を、古代のグノーシス主義者のバシレイデス名義で書きました。
これは、キリスト教に真理を見つけられなかった者に対して、「フィレモン」が、グノーシス主義へ、善悪を越えた内なる神アブラクサスへと回心するように説くものです。

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*アブラクサス

ちなみに、後年(1952年)にですが、エラノス学会の同士だったユダヤ人のマルチン・ブーバーは、ユングの分析心理学を、心理学を越えて、グノーシス主義的宗教であると批判しました。


1916年、ユングは、分析家と患者ら60人からなる「心理学クラブ」を結成しました。
彼は、ここで、精神分析とは、「集合的無意識」へのイニシエーションであると説きました。
また、「心理学クラブ」を「聖なる騎士団」に喩えました。

ユングは、同年には、セミナーをもとにした「無意識の構造」、1917年には「無意識過程の心理学」を発表します。
ここで、初めて、「集合的無意識」、「個性化」、「優勢因子(優勢形質)」という概念を使うようになりました。
「集合的無意識」は、「死者の国」の言い換え、「個性化」は、「人間生成」とも表現されましたが、「神化」を経た「再生」の言い換えだと言えます。
また、「優勢因子」は「神々」の言い換えであり、ブルクハルトの「原始神像」をユングが心理学化した概念であり、1919年に「元型」という概念に変わりました。

ユングは、1916年に初めて「マンダラ」を「黒の書」に描きました。
ユングの言う「マンダラ」は、中心があり、円と四角から構成される絵のことです。
1917年8月には、每日のように描くようになります。
そして、1918年頃、ユングは、「マンダラ」を描くことを通して、「自己」の概念に到達しました。
ユングは、「マンダラ」を、「個性化」の道、目標、そして、全体性の象徴であると考えるようになりました。

*これらユングの理論については別ページを参照してください

1925年に、ユングは、「心理学クラブ」でセミナーを行い、ここで初めて、「赤の書」に書かれた自分のヴィジョン(ミトラス秘儀のヴィジョンを含む)について語りました。
ですが、このセミナーのノートが発表されたのは、1989年です。


<弟子の異教への回心>

ユングのイギリス人の重要な弟子の一人に、コンスタンス・ロングがいます。
ユングは、彼女がユングの分析心理学をイギリス、アメリカに広げる人物として大きな期待をしていました。

ところが、1921年頃から、彼女は神秘家のウスペンスキー、そして、彼の師のグルジェフに傾倒して、とうとう、ユングから離れてしまいました。
ロング以外にも、モーリス・ニコル、ジェームス・ヤングが一緒に回心してしまい、大きなショックを受けました。

ユングは、ロングに対して、「異国の神々は甘い毒ですが、あなたが自分の庭で育ててきた植物神は滋養に富んでいるのです。…そこは間違った祖霊と間違った魔力の国だからです。…あなたは自分の国に留まり、そして強くあるべきです。」という書簡を送っています。

ユングがウスペンスキーやグルチェフの思想を理解していたとは思えませんが、彼ら、彼らの思想は、スラブ、イスラム系です。
ユングは、ロングに自分の民族の「宗教」にとどまるべきだと、訴えているのです。
ユングが分析心理学を、普遍的なものではなく、民族的な「宗教」と考えていたことが表れています。


<錬金術へ>

ユングは、夢で錬金術の本を見たこともあって、1926年頃から、錬金術に関心を持ち始めました。
そんな時、1928年、中国学のリヒャルト・ヴィルヘルムから、道教の内丹の瞑想書であり、錬丹術の書である「黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)」の解説の依頼を受け、その書を読みました。
ユングは、東西の錬金術に普遍的なものを見出すことがでると考えて、本格的に西洋の錬金術の研究を行うようになりました。

ユングは、錬金術の研究を始めると同時に、「赤の書」の制作を中断しました。
これは、ユングの内面との対決の終わりを意味しており、ユングにとって錬金術との出会いがいかに大きな出来事であったかが分かります。

また、歴史的な文献の研究に関して言えば、ユングは、グノーシス主義から錬金術に対象を移したわけですが、この理由には、当時、グノーシス主義は資料が少なく、現代の状況とのつながりも見出だせなかったことがあります。
ユングは、錬金術を、現代とグノーシス主義をつなぐ思想と考えるようになりました。

ですが、ユングが研究対象としたのは、あくまでも、錬金術師が錬金術の変成過程に無意識を投影したという点です。
*詳細は別ページを参照してください

また、ユングは、錬金術の研究と平行して、道教以外の東洋思想として、易経、インド哲学、チベット仏教、禅などの研究も行いました。
そして、ユングは、これらにも、自身の無意識の理論と一致する内容を見出したと、考えました。
*詳細は別ページを参照してください

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ユングのミトラス秘儀参入 [近代その他]

カール・グスタフ・ユングの「分析心理学」は、錬金術やヘレニズム期の秘教などの文献的研究と、一種の「夢見の技術」である「能動的創造力」を使った自分自身の深層意識との対決を通して作られました。
また、ユングは、自身のヴィジョンを通してミトラス秘儀に参入したと考えており、「分析心理学」を、自分が救世主となる新しい宗教的運動のように考えていました。

そのため、「分析心理学」は、神秘主義思想の一面の心理学的解釈であると言えます。
ユングの「集合的無意識」は、霊界、アストラル界の、「元型(的イメージ)」は、神的諸原理の心理学的解釈であり、彼のパンテオンです。
また、心の全体性を獲得するプロセスである「個性化の過程」は、神秘主義におけるイニシエーションの階梯の心理学的解釈です。

そして、「能動的創造力」という技法は、覚醒した状態で夢を見る「夢見の技術」であり、魔術における「スクライング」や「アストラル・プロジェクション」などと似ています。
そのため、現代の魔術師の中には、魔術を分かりやすく紹介するための方便として、ユングの心理学用語を使う人もいます。

ユングには反ユダヤ・キリスト教の「新異教主義」という側面があります。
そのため、20世紀以降の新異教主義的な思想や、ニューエイジ思想にも影響を与えました。

また、ユングは、インド、チベット、中国などの東洋の瞑想法、思想に関しても興味を持ち、その解釈を発表しましたが、それはほとんどが曲解でした。

この項では、まず、ユングがミトラス秘儀でズルワン神になったことをきっかけに、「アーリア人のキリスト」になろうとしていた、という側面を紹介します。

次のページでは、ユングの人生と思想形成を辿りながら、分析心理学の宗教運動的側面にも光を当てます。


<ユングの霊統>

あまり知られていませんが、カール・グスタフ・ユング(1875-1961)の祖父はユングと同名で、スイスのフリーメイソンの最高責任者でした。

この祖父は、ドイツにいた若い頃には、民族主義的な集会に参加して、そこで、ロマン主義のシュレーゲル兄弟やティークらとも知り合いになり、また、敬虔主義の神学者のシュライエルマッハーに傾倒したという人物です。

また、この祖父にはゲーテの私生児であるという噂があり、ユングは半ば信じていたようです。
それでか、晩年のユングは、自分がゲーテの生まれ変わりであると信じていたようです。
ゲーテは高位のフリーメイソンの会員で、実際のメイソンには失望していました。
ですが、薔薇十字団をモチーフにした作品「秘儀」があり、ユングの祖父もユングも、これを諳んじるほど愛読していました。
また、ユングのヴィジョンには、「フィレモン」と名乗る老賢者が良く出てきますが、「フィレモン」は、薔薇十字団の伝説の創始者、クリスチャン・ローゼンクロイツが名乗っていた名前でもあります。

ユングは、自分が設立した「心理学クラブ」を「新しい騎士団」と形容したことがあり、聖杯の騎士や薔薇十字団を受け継ぐものと考えていました。


一方、ユングの母親エミーリエは、スイスの由緒ある旧家で、このプライスヴェルク家には、降霊術の伝統がありました。
彼女の祖父サミュエルは、牧師長であり学者でしたが、定期的に降霊術を行い、亡くなった妻とも話をするのが常でした。
エミーリエも透視能力を持っていて、しばしばトランス状態になっては、あの世からの情報を伝えました。
ユングは、この家から降霊術を学び、後に、それをもとに「能動的創造力」を生み出しました。
また、この家の従姉妹であるヘリーを熱心にさそって降霊術を行いました。

ユングは、若い頃から自分の中にもう一つの人格が存在すると感じており、それを「No.2」と呼んでいました。
「No.2」は、18世紀の初老の紳士を思わせる人格で、この人格は、祖父たち先祖の人格が反映したものと考えていたようです。

ユングは、「意識されていないものは普遍的なものであり、個人を相互に結びつけて民族にするだけでなく、過去の人々やその人々の心理とも結びつけるものである」(「リピドーの変容と象徴」)と書いています。
ユングにとって、「集合的無意識」は、系統発生的に獲得遺伝されたものです。
つまり、民族の記憶、先祖の記憶であり、内なる先祖であり、それは「先祖信仰」の一種と解釈することもできるのではないでしょうか。


<異教主義>

ユングには「ユング自伝(思い出、夢、思想)」という著作があります。
ですが、この書の実体は、彼自身による著作というより、アシスタントだったアニエラ・ヤッフェが編集し、彼女とユングの遺族が意向するユング像を伝えたもの、つまり、「伝説」です。
同様に、ユングの「書簡集」もまた、遺族の意向に沿って編集されたものです。

ユング自身は、キリスト教と敵対する異教的な意識を持っていましたが、「自伝」では、そういった部分は削除され、あるいは、表現が書き換えられました。

ユングは、ヨランデ・ヤコービ宛の手紙で、「教会に居場所を持つ者は、誰であろうと私とは居られない。…私は教会の外にいる人々のためにいるのだ」と書いていますが、これは「書簡集」には取り上げられませんでした。

また、1922年に、ユングは、「赤の書(新しい書)」で、自分の「魂」と次のような対話を行いました。
「魂:よく聞きなさい。もうキリスト教徒ではなくなること、これは簡単なことです。いったい、それがどうしたというのですか?

私:でも、私の召命とは何なのですか?
魂:新しい宗教と、それを宣言することです。」

ユングは、ユダヤ人とアーリア人(ゲルマン人)の違いを重視しており、1918年の「無意識の彼岸」で、ゲルマン人はユダヤ的な精神分析では満足できないと書いています。

ユングは宗教的使命感を持って生きていました。
友人のオイゲン・ボーラーの言葉を信用するならば、その使命とは、神のために神を意識化する、というものです。
これは、ユング晩年の書「ヨブへの答え」の思想とも一致するので、おそらく、間違っていないでしょう。

ユングは、ヨーロッパ人の心の深層には、古代アーリア人の宗教があると考えていました。
また、「個性化の過程」によって無意識を意識化することで、各個人が救済されると考えましたが、同時に、先祖たちも救済されると考えていました。


<ミトラス秘儀のイニシエーション>

1913年12月21日から25日にかけて、ユングは、「能動的創造力」によって、彼の人生にとって決定的な転換点となるような重要なヴィジョンを体験しました。
これは2009年になって公開された秘伝の書「赤の書」の「第1の書」のクライマックス部分です。

「能動的創造力」は、ユングが学んだ降霊術の技術、そして、ジルベラーが1909年に始めた入眠時のイメージの観察法、シュタウデンマイヤーが1912年に発表した、自動書記を応用した魔術研究法などの影響を受けて生まれたものでしょう。

この時のヴィジョンは、ユングが、「口にできないくらい神聖な秘密を経験した」と語ったように、その重要な部分は、「自伝」にも掲載されていません。
ですが、1925年になって、セミナーで初めて口にしました。

21日の「密儀/出会い」と題されたヴィジョンでは、死者の国へ下降して、老人の預言者「エリヤ」、盲目で両手に預言者の血のついた少女「サロメ」、そして、「黒蛇」と出会うヴィジョンを見ました。
「サロメ」はユングを愛していて、私を愛せるか聞きましたが、ユングは拒否しました。
ですが、「エリヤ」は、「サロメ」が自分の娘であり、ユングは「サロメ」に触れて彼女のことを分かるようにならねばならないと言いました。

「エリヤ」は、ユングが後に「老賢者」と名づけた「元型」であり、「サロメ」は「アニマ」に当たります。
ヴィジョンのタイトルが「密儀」なので、ユングは、このヴィジョンが「密儀(秘儀)」であると認識しています。

これに続いて、22日の「教え」と題されたヴィジョンでは、サロメが、自分はユングの姉であり、二人の母はマリア(つまり、ユングはイエス)であると語ります。
そして、サロメがユングを抱擁すると、ユングは預言者になりました。

続いて、クリスマス、つまり、ミトラスの生誕祭であるの25日の「解決」と題されたヴィジョンでは、両手を伸ばした磔刑の姿勢のユングの身体に、「蛇」が巻きつき、自分の顔がライオンになりました。

ユングはこのヴィジョンについて、「はじめから終わりまですべてがミトラ教の象徴なのです」(「分析心理学セミナー1925」)と語っています。

つまり、ユングは、ミトラス秘儀の最高神、「デウス・レオントケファルス」と呼ばれる獅子頭の神になり、救世主になったのです。
ミトラス秘儀はミトラ教のヘレニズム的形態です。
ユングは、この神を「アイオーン」と呼び、太陽神であるとしていますが、これは、イランの無限時間神「ズルワン」のヘレニズム的表現です。

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*アイオーン(ズルワン)

ユングは、キュモンの「ミトラス教の秘儀」をもとに、ミトラス秘儀の第4位階の「獅子」のイニシエーションを受けたと解釈しました。

ユングの解釈では、「アイオーン」は、意識の誕生と消滅、意識と無意識の結合を象徴します。
「赤の書」では、「新しい神を見た」、「(神は、神と悪魔、ロゴスとエロスの)両原理の結合である」と書いて言います。


<ヴォータンの首吊りと新しい神の出現>

翌年の1914年の2月、ユングは、このヴィジョンの続きとして、数日間も、神の木に首吊りにされるヴィジョンを見ました。
彼は書いていませんが、これは、ゲルマンの主神ヴォータンが世界樹ユグドラシルに9日間、首吊りにされたことの再現であり、今度は、ユングはヴォータンになったのだと言えます。

このヴィジョンの意味は、先にミトラス秘儀の最高神アイオーンになったことで、生まれようとしている新しい人格と、古い人格の葛藤でしょう。

次のヴィジョンでは、新しい人格が、ユングの「息子」として、水中から現れます。
「赤の書」の「第二の書」のクライマックスです。
この息子は、頭上に冠をいただき、ライオンのたてがみのような髪を波立たせ、体は玉虫色に輝く蛇の皮で覆われていて、翼を生やした姿でした。
ライオン、蛇、翼は、「アイオーン(ズルワン)」の特徵です。

この「息子」は、ユングの「自己」元型です。

ちなみに、この頃、ユダヤの預言者エリヤと入れ替わって、「老賢者」は「フィレモン」と名乗る存在に変容します。
彼の姿は、牡牛の角飾りを付け、かわせみの7色の翼で飛行し、金と赤の法衣を着て、手に4つの鍵を持つ、東洋風の老賢者です。
この中の、翼、鍵は「アイオーン」の特徴であり、牡牛は「ミトラス」の特徴です。

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*フィレモン


<アーリア的心理学へ>

ミトラス秘儀ではミトラスによる「牡牛殺し(タウロクトニー)」のモチーフ、図像が重視されます。

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*牡牛を殺すミトラス

フロイトは、これを人間的自我が動物的な自我を殺すことを意味すると解釈したのですが、ユングはこの解釈には満足しませんでした。
ユングは、牡牛はミトラスと一体であり、古い秩序、自我の否定をも含むものであり、無意識と意識の新生を意味すると解釈しました。(「リピドーの変容の象徴」)

さらに、リチャード・ノルによれば、ここにはユングにとって特別な意味があると、ユングは解釈していました。
つまり、牡牛は、牡牛座であるフロイトであり、フロイトの性的リピドー説を意味し、一方、ミトラスは、獅子座であるユングであり、ユングの生命的リピドー説を意味するのです。
そして、「牡牛殺し」は、ユング理論がフロイト理論に打ち勝つことを意味するのです。

ミトラスやズルワン(アイオーン)はイラン系の神、つまり、アーリア人の神です。
ヴォータンもゲルマン系なので、アーリア人の神です。
ユングのこれらの体験は、ユングが、セム語族のユダヤ・キリスト教からアーリア人の伝統の宗教へ回心したこと示します。
重要なのは、アーリアの宗教には、人間が神化して新生する秘儀があるのに対して、ユダヤ・キリスト教は、それを欠いている、という認識です。

このことは、ユングには、ユダヤ的精神分析学から離れて、新しい異教的な精神分析学の道を進む必要があることを示します。
彼は、秘儀宗教的な新しい心理学を創造して、「アーリア人のキリスト」として、ヨーロッパを救済する人間になる、という使命を持ち、それを意識していたのです。
次のページでも書きましたが、フロイトも同様の指摘をしています。

こういった新異教主義の救世主の自覚者というユング像は、リチャード・ノルが、「ユング・カルト」、「ユングという名の「神」」などの書で指摘していることです。
彼の見解は、ユングの一面を誇張しすぎているきらいがありますが、間違ってはいないと思います。

ノルは、ユングが、社会に対しては、キリスト教のアレゴリーを使い、キリスト教徒のペルソナをかぶることによって、自分のアーリア=ゲルマン的な異教主義を隠していたと書いています。

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アンリ・ベルクソンと神秘主義 [近代その他]

アンリ・ベルクソン(1859-1941)は、一般に、「生の哲学」とカテゴライズされる潮流に属する、フランスの大哲学者で、「生命の飛躍(エラン・ヴィタル)」の概念が有名です。

ですが、彼が作った「持続」、「強度」、「異質多様性」、「潜在性」などの独特の概念は、ジル・ドゥルーズが引き継いだように、ベルグソンは真に現代的な存在論・形而上学を切り開いた哲学者として、再評価されています。

また、あまり知られていませんが、ベルグソンは、神秘家を「持続」や「エラン・ヴィタル」を体現した存在、人間が人間を越える存在になることを導く英雄、と捉えて評価しました。
ですから、ベルクソン哲学による神秘主義の解釈は、現代的な神秘主義を考える上で重要です。

ちなみに、彼の妹のミナ・ベルクソンは、儀式魔術結社ゴールデン・ドーンの首領であるマグレガー・メイザースの妻モイナ・メイザースであり、美術的才能を持つ、ドールデン・ドーンの主要な魔術師でした。


<「二源泉」における神秘家>

「道徳と宗教の二源泉」(1932)は、ベルクソンの最後の著作であり、彼の哲学の集大成となるものです。
この書で、彼は、「閉じた社会」とその「静的宗教」、「開かれた社会」とその「動的宗教」を区別し、後者を評価しました。
「動的宗教」とは、ほぼ、神秘主義のこと、あるいは、神秘家によって活力を取り戻された宗教のことです。

ベルクソンは、「静的宗教」を、「社会を解体させるものに対する防御的反作用」、「規律を与える」、「個人を社会に執着させる」などと表現しています。
それに対して、「動的宗教」を、「魂の高揚」、「歓喜の中の歓喜」、「ただ愛だけであるものへの愛」などと表現しました。

また、ベルクソンは、「真の神秘主義」、「完全な神秘主義」と、そうではない神秘主義を分けています。
「真の神秘主義」は、「行動」、「創造」、「愛」、「意志」、「意欲」を持つ神秘主義であって、そうでない神秘主義は、単に、観照・瞑想するだけの、生命力に欠ける神秘主義です。

そして、「真の神秘主義」は、具体的には、聖パウロ、聖カテリナ、聖テレサ、聖フランチェスコなどのキリスト教神秘主義であると書いています。

それに対して、ギリシャ神秘主義は、観照主義であって、行動や意志を欠くのです。
また、仏教は、生存意欲の滅却を特徴とし、全的な献身を知らないとして評価しません。
そして、ラーマクリシュナやヴィヴェーカーナンダは、全的な献身を知っているけれど、それはキリスト教の影響を受けたからだと書いています。

また、ベルクソンは、神秘主義、神秘家について、
「偉大な神秘家とは、種に、その物質性によって指定されている限界を飛び越え、このようにして神的活動を続け、それを発展させるような個性のことであろう」、
「神秘的天才が一度出現すれば、…彼は人類を新しい種にしようと欲するだろう…」、
と書いています。

つまり、ベルクソンは、神秘家を、人類を別の種にまで進化させる存在であるとして、英雄視しているのです。
彼にとって、「生命」とは、「飛躍的な創造(エラン・ヴィタル)」を持つものであり、神秘家は、それを体現する存在なのです。

では、ベルクソンにとって、どういう体験が神秘体験ものなのでしょうか。
それを理解するためには、彼の哲学を理解する必要があります。
以下、ドゥルーズの解釈を参考にしつつ、神秘主義解釈と関係しそうな部分を、なるだけ簡単に説明します。


<「試論」における持続と直観>

ベルクソンは最初の著作、「意識に直接与えられたものについての試論」(1889)で、彼の哲学の基本となる概念、「持続」について語っています。

ベルクソンには、「物質」と「精神」の独特の二元論の考え方があります。
「物質」の特徴は、「空間」的観点から「延長」と表現され、「精神」の特徴は、「時間」的観点から「持続」と表現されます。

精神的な存在に対して「持続」という時間的な言葉を使った背景には、人間は、知覚・刺激に対して、直ちに予測可能な自動的な反応をするのではなく、精神的要素(情動や記憶)による時間的な遅滞を経て、不確定な行動をするという見方があります。

「持続」というのは、非常に分かりにくい表現ですが、彼は、「持続」の本質を「異質多様性」と表現しています。
これは、分かりやすく言うと、質的に生成変化し続ける、「明確な輪郭を持たない」、「錯雑」で「稠密」な「集塊」のことです。

また、情動などの「精神」の大きさの度合いを「強度」と表現しますが、これは、多くの心理的諸要素が「相互浸透」している度合いであるとします。
「強度」は、「精神」の本質的性質です。
この相互浸透は、「時間」的観点からも言えることで、生成変化する「諸瞬間が互いに浸透し合う」状態です。

つまり、「精神」は、特定の性質を保持する、不変で、固定的で、個別的なものではなく、生成変化し続け、相互浸透し合う存在なのです。
ベルグソンは、「精神」のそのあり方を「持続」と表現したのです。

ベルクソンは、「持続」を対象とする認識を「直観」であると言います。
つまり、「直観」とは、単なる「表象」のような静的なものを対象とするのではなく、動的で錯綜した「持続」を対象とする認識を指すのです。

また、ベルクソンは、「物質」、あるいは、物質に近い単純な心理を、「自動運動」する存在であるとします。
それに対して、「持続」である「精神」は、「自由」なのです。

以上のように、ベルクソンは、神秘体験を、「持続」を「直観」する体験であり、「自由」を生むものと理解しました。
つまりは、「霊的存在」(「spirit」は「精神」とも「霊」とも訳せます)とは「持続」であり、「叡智」とは「持続」を対象とする「直観」であり、動的で生成的なものなのです。


<「物質と記憶」における意識論>

ベルクソンは、難解なことで有名な主著、「物質と記憶」(1896)で、分かりやすく言えばですが、意識の深層と表層の違いを、心理学的、形而上学的に理論化しました。

「試論」では、「精神」と「物質」の二元論を展開しましたが、「物質と記憶」では、「精神」と「物質」は程度の違いとされます。
そして、日常的な表層の意識は、「物質」に近いものだとされます。

つまり、「精神」には、「純粋持続」である「精神」的特徴が強い極と、外界に接して「知覚」し、「行動」する、「物質」と言って良いような極があるのです。

表層の「知覚」は、「イマージュ」と表現される固定的・個別的な表象でなされますが、この「イマージュ」は物質的存在で、外界や身体と区別されず、外界の対象物の場所にあるとされます。

「イマージュ」を物質的存在として使い、それが外部にあると考えたのは、観念論や実在論を避け、見たままを受け取って哲学化するというベルグソンの特徴があります。

表層は、外界に接して、現在の意識を構成し、「自動運動」で行動をする状態の精神です。
一方、深層は、過去の無数の「記憶」が、相互浸透し、常に全体で生成変化しながら働いている状態の精神です。

ベルクソンは、「表層意識」という表現は使っていないのですが、それを単に「意識」と表現することはあります。
同様に、「深層意識」という表現も使っていませんが、それを「深み」といった比喩で表現したり、「無意識」と表現することはあります。
ちなみに、ベルクソンの影響を受けたメルロー・ポンティは、これを「奥行き」表現し、ドゥルーズも「奥行き」という表現を継承しました。

ベルクソンは、「純粋記憶」と「純粋知覚」の二極の関係を、「強度」の度合いの違いであるとしました。
つまり、「精神(持続)」と「物質(延長)」の二元論が、「強度」の異なる「持続」の一元論に統合された、とも言えます。

ベルクソンは、認識し、知覚する時、対象(物質)と精神が、回路を作ると言います。
外界の「知覚」は「記憶」を呼び起こし、「記憶」が「知覚」に重なる、という回路が作られるのです。
そして、この回路を、何度も新しく拡張していくことで、意味の豊かさが生まれ、存在の深層を認識できるのだと言います。

そのため、観念や記憶されたイマージュは、「純粋記憶」と「純粋知覚」の間を運動します。

ベルクソンは、下のような図式を使います。

bergson_ensui.jpg

Pは外界である物質、円錐が人間の精神です。
そして、頂点Sが現在である「純粋知覚」、底面ABが過去である「純粋持続(記憶)」です。

ベルクソンは、深層(AB)の「純粋記憶」の状態の「記憶イマージュ」が、表層(S)の「知覚イマージュ」になる運動を「収縮(濃縮、集中、結晶)」、その逆の運動を「膨張(弛緩、分散)」と表現します。
あるいは、前者を「活動化(現実化)」、後者を「潜在化」とも表現します。

つまり、「膨張」、「潜在化」は、深層化、強度化、錯綜化であり、「収縮」、「活動化」は、表層化、固定化、個別化です。

これを神秘主義の問題、用語と結びつければ、「叡智(イデア)」的認識は、「持続(純粋記憶)」、「潜在性」への「膨張」であり、「叡智的存在」による創造は、「持続(純粋記憶)」からの「収縮」、「現実化」です。

ベルクソンにとっては、普遍概念は単に表層的存在であり、深層にある「叡智的存在(イデア)」は、錯綜した強度ある存在です。

「叡智」的認識が「記憶」であるというのは、プラトンが「叡智」を「想起(魂がかつていた霊界を思い出すこと)」と表現したことと似ています。


<「創造的進化」における人間論>

ベルクソンは、「創造的進化」(1907)で、「持続」を本質とする「生命」は、「物質」の中に入って、進化をしながら、それ自身の本来の性質を発現するものであるという考えを述べています。
そして、生命は人間の「意識」において、その「持続」としての本質を十分に発現し、「自由」になったのです。

この考え方は、近代神智学や人智学の神秘主義的な進化観と似ています。
先に書いたように、「持続」は、神秘主義の「霊」を解釈した表現といっても良い概念ですから。

ベルグソンは、進化は、「分化」によってなされると考えます。
「持続」としての生命は、まず、植物と動物に分化します。
動物は、本能的動物と知性的動物(人間)に分化します。
そして、人間に至って、「持続」の本来の「強度」が発現されるのです。

ただ、分化といっても、それは「持続」なので、互いに他の性質を少しは持っています。
これは、神秘主義の「万物照応」の考え方に結びつけて考えることもできるでしょう。

また、ベルクソンは、「持続と同時性」(1922)で、個々の種、個々の個体の「持続」は、孤立したものではなく、全体としての「持続」とつながっていると書いています。
この考え方も、神秘主義的です。

最初に述べた神秘家の役割に戻れば、神秘家は、神秘体験という「純粋持続」の体験をすることで、「生命の飛躍(エラン・ヴィタル)」を体現して、「持続」の「強度」を増すように、人類を新しい種へと進化させる、というのが、ベルクソンの考えです。


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