現代物理・現代数学と神秘主義思想のアナロジー2 [現代]


量子論、量子重力理論、絶対数学などを扱った「現代物理・現代数学と神秘主義思想のアナロジー1」から続くページです。

このページでは、現代物理の宇宙論、現代数学の圏論、諸学の統一と、神秘主義思想の類似性について、思いつくままに書きます。


<宇宙論:始まりと終わり>

現代物理の宇宙論では、宇宙が膨張していることを前提として、宇宙の始まりと終わりに関して多数のモデルが提案されています。
それぞれは、伝統的な宗教・神秘主義の宇宙論と似たところがあります。

ホーキングらの量子宇宙論(無境界仮説)は、「虚時間」から宇宙が生まれたと考えます。
これは、「無」としか表現できないもの、あるいは、「無限時間神(ズルワン)」から宇宙が生まれたという神秘主義思想の宇宙論と似ています。

また、超弦理論の宇宙論では、その原初の虚時空間で、「弦」が回転しながら振動していたと考えますが、これは原初の深淵の海で泳ぐ蛇、という神話のイメージと似ています。

宇宙の終わりについては諸説がありますが、もとの状態にまで収縮する「ビッグクランチ説」は、神秘主義的な宇宙論が説く原初的存在への「帰還」に似ています。

収縮の後、再爆発(ビッグバウンス)を繰り返すとする「サイクリック宇宙論」は、量子重力理論でも提唱されていますが、これは、カルデア系の周期的宇宙論に似ています。

ただ、エントロピーの増大という一方向的な時間が貫いているので、同じことの繰り返しではありません。
超弦理論では、膨張が繰り返される度にその大きさが膨れていき、やがて収縮しなくなるというモデルも提案されています。
これは宇宙が周期ごとに物質次元へと下降する近代神智学の宇宙論と似ています。


<宇宙論:相転移>

ジョージ・ガモフらによって提唱された「ビッグバン説(火の玉宇宙論)」(1984)や、その前段階としてアラン・グース、佐藤勝彦、アンドレイ・リンデらによって提唱された「インフレーション宇宙論」(1980-82)などの膨張宇宙論は、何段階にもわたる物質の「相転移」の歴史を語ります。

「相転移」というのは、例えば、気体が温度(エネルギー)を失うことで、液体になり、固体になるように、物質の状態が変わることです。

これは、神秘主義思想、例えば、新プラトン主義的な「流出論(発出論)」などが語ってきた、多層的な宇宙が創造されるプロセスと似ています。


オリエント・ヨーロッパの宇宙論では、最も階層が低い地上(月下界)は「四大元素」で出来ていて、その上の天球世界は「アイテール」で出来ているとしました。

四大元素の「風」、「水」、「土」は、現代の物理・化学で言えば、気体、液体、固体に当たるでしょう。
そして、「火」は分子の組成が変わる化学変化の状態、「アイテール」は分子が陽イオンと電子に別れたプラズマの状態です。

神秘主義思想は、天球世界より上位の世界の階層についても語りますが、現代宇宙論でも、宇宙の始まりに遡るに従って、エネルギーの高い状態の物質の多数の段階の「相転移」を語ります。

まず、素粒子の状態が、「レプトン/反レプトン」状態と、その前の「ハドロン/反ハドロン」状態。
さらにその前の、クォークの状態である「クォーク・グルーオン・プラズマ」状態。
その前の、4つの基本的な力(電磁気力、弱い相互作用、強い相互作用、重力)が順次統一されていく状態が、「統一力(電弱力)」の状態、その前の「大統一力(電核力)」の状態、その前で最初の「超大統一力」の状態です。


宇宙が指数関数的に膨張する「インフレーション」は、「大統一力」の状態になった後に起こりました。
これが始まる時点では、通常の意味での物質はまだ存在せず、「インフレーション」は「真空エネルギー」によって起こりました(この時の温度は絶対零度です)。

「インフレーション」が終わった後に物質が生まれて、「真空エネルギー」が物質の熱のエネルギーに変換され、いわゆる「火の玉宇宙」の膨張が始まりました。

この宇宙創造が、物質以前の真空エネルギーから物質に至ることは、神秘主義の宇宙創造論で、霊的世界が創造されてから物質世界が創造されたとすることに似ています。
あるいは、無形の質料の創造の後で、それが形相を獲得することに似ています。

また、我々の宇宙の長い歴史の中で、真空の場のエネルギーは不変ですが、物質の熱エネルギーは減少し続けます。
現在の時間は、ちょうど物質エネルギー密度が真空エネルギー密度を下回った時期に当たります。
つまり、主要なエネルギーが、物質から真空へと反転したところなのです。

これは、近代神智学の宇宙論的時間論において、現在がちょうど下降から上昇への折り返しを越えた時点に当たると考えることと似ています。


<善と悪:光と重力>

このテーマでは、さらに強引なアナロジーで考えます。

人を地に貼りつかせる「重力」や、変化を拒む「慣性」は、「束縛」や「不自由」の象徴となりますが、伝統的な世界観では、これらは「悪」の原理です。
ただ、神秘主義思想では、「悪」を「絶対悪」ではなく、条件によってそういう側面を持つという「相対悪」として捉えることが多いのですが。

一方、「光」は、神的、天使的なもの、自由やエネルギーの象徴であり、「善」の原理です。
光は、物理的にも、質量を持たないので直接「重力」の影響を受けず、宇宙最高速で移動し、また、物質から放射されてそのエネルギーを示します。

現代物理の宇宙論では、「重力」は4つの力が未分化だった超大統一力から最初に分離した力です。
そして、その後すぐに、ヒッグズ場によって「慣性」や「質量」が生まれて、物質が「重力」の影響を受けるようになりました。
一方、「光」は「重力」と分かれた大統一力から生まれます。

この最初の力の分離は、原初神から善神(天使)と悪神(堕天使)が別れた神話を思い起こさせます。


また、エントロピック重力理論(エリック・ヴァーリンデ、2010)は、「重力」を「エントロピー」的な現象であると考えます。
物体の位置に関する情報量の変化によって生じるエントロピー的な力なのです。
この理論には批判もありますが、他の研究でも「重力」と「エントロピー」の関連が指示されています。

「エントロピー」とは「乱雑さ」であり、その増大が「熱死」と表現されるように、「死」の原理であり、伝統的価値観では一種の「悪」の原理です。

全体として「エントロピー」が増大することで、局所系の「エントロピー」が減少して構造や生命が生まれるので、「必要悪」のようなものかもしれませんが。

とは言え、同じ「悪」の原理である「重力」と「エントロピー」が、現代物理でも結びつけられるのは不思議です。


<ホログラフィック原理とアカシック・レコード>

フアン・マルダセナの「ホログラフィック原理(ゲージ重力対応、1997)」によれば、ある次元の時空の重力を含む理論が、その一次元低い時空の重力を含まない場の理論と等価(双対)であるとされます。
具体的には、ある3次元空間の物理は、それを取り囲む境界面の重力をふくまない物理と等価なのです。

宇宙の場合は、宇宙のはてである事象的地平面に宇宙内のすべての情報があるということです。

ミトラ教から神智学や人智学に継承された考え方よれば、宇宙の外殻(天球面)にその宇宙の歴史のすべてが記録されています。
これは「アカシック・レコード」と呼ばれる領域で、アストラルライトの形態の世界と形態を超えた世界の境界にあるとされます。

「アカシック・レコード」は過去の情報、ホログラフィー理論では現在の情報ですが、どちらも宇宙を取り囲む平面に全情報があるとする点で、不思議に共通します。


<現代数学とカバラの抽象性>

現代数学は、経験的世界や実証性から離れ、抽象的世界の中で、自由に創造されるものとなりました。
現代数学は、理論の抽象化、一般化を進めることで伝統的数学を包括しますが、この抽象化のはてに、数も量も図形もなくなる世界に至っています。

ほとんど経験世界と無関係に抽象的に創造された数学理論が、後に物理学で使われることがあります。

例えば、非ユークリッド幾何学は、一般相対性理論の定式化に使われました。
虚数はデカルトが実在性を否定して名付けた数ですが、シュレディンガー方程式に使われました。

フォン・ノイマンは、ヒルベルトの無限次元空間を拡張し、量子力学をこの無限次元複素ヒルベルト空間で定式化(1932)しました。
ノイマンは、抽象的な数学空間の中で、粒子性と波動性、ハイゼンベルグの無限行列方程式とシュレディンガーの2階微分方程式を統合したと言えます。


大まかに言って、近代合理主義、近代科学はギリシャ、ヨーロッパ的な思考の枠組みで作られています。
ですが、現代数学、現代物理の多くの創造はユダヤ人によって行われました。
そこには、おそらくユダヤ思想の特徴が反映されているでしょう。

現代数学の抽象性は、ユダヤ神秘主義のカバラの抽象性と似ています。

カバラでは、セフィロートや数、アルファベットを表象として高度に抽象化された意味を、組み合わせたり、入れ替えたり、数値化して計算したりします。
諸象徴を統合して作られたセフィロート体系の構造は、非常に抽象的なもので、経験世界にあるものではなく、経験世界からの一次的な抽象でも生まれません。
ですが、どのような経験世界の事項、事項の関係をも説明することもできますし、魔術を介して経験世界で実理化することもできます。

現代数学は、カントールの無限論(無限に階層があることも論証しました)以来の「無限」の可能性を展開する中で生まれました。
カバラも、「アイン」、「アイン・ソフ」、「アイン・ソフ・オール」という「無限」の階層を前提として展開されます。

これらの特徴の多くは、カバラに固有なものではなく、例えば、密教のマンダラ的体系にもありますが、西洋においてその特徴を最もよく持っていたのはカバラでしょう。


<圏論と諸学の統合>

神智学、哲学、自然科学、数学などの諸分野がそれぞれに分離したのは、ルネサンスより後の時代で、それ以前は、諸学の大統一が当たり前でした。

神智学の大統一は、様々な時代、場所で試みられてきました。
中世インドの「カーラチャクラ・タントラ」や、近代のブラヴァツキー夫人の神智学、ニュー・エイジ時代のケン・ウィルバーの「インテグラル理論」などがそうでしょう。
これらは、それなりに諸学の大統一理論を目指して言いました。

現代数学、現代物理からも、諸学の大統一の動きが生まれています。


量子力学は、古典力学を包括する一般理論であることから、ミクロを対象としていない領域でも、量子力学を取り入れた一般化が研究されています。

「量子認知科学」は、量子論的な数理モデルを用いて心理学などの実験結果を説明します。
人間には、古典的な合理性とは異なる種類の、量子論的な合理性があると考えられています。

他にも、確率変数の値があらかじめ確定していない「量子確率論」、主語と述語がエンタングルメントする(量子のように絡み合う)ことを表現する「量子言語学」などがあります。


また、物理学で理論の大統一が目指されているように、数学でも数学の諸分野の大統一を目指す「ラングランズ・プログラム」が研究されています。
これは物理学の大統一とも関連しています。

一方、数学の諸分野の統一を下から、つまり、数学基礎論として支えているのが「圏論」の発展です。
圏論は、集合論に変わって数学諸分野を基礎づけるだけではなく、科学や哲学などの諸学の基礎論として、諸学を大統一する理論になりつつあります。
上記した諸学の量子化でも圏論が利用されます。

圏論は、量子力学の公理化を行っていて「圏論的量子力学」と呼ばれます。
これは、情報物理学の一形態です。

統一理論の一つでもある「量子情報理論」は、量子情報が宇宙を構成する最も基本的な要素と考えます。
そして、宇宙の物理プロセスを量子コンピュータの量子計算と同じものとみなします。
これは、宇宙を知性と考える神秘主義哲学の考え方と似ています。


圏論は、異なる領域の数学ごと、異なる科学ごとに多元的な圏を扱います。
集合論と違って、圏論は最初から本質的に「マルチバース(多宇宙)」的です。

これは、物理学においては、超弦理論が、多数の異なる物理法則を持った宇宙が存在していると考えるマルチバース説と似ています。
宇宙のインフレーションで発生している無数の泡宇宙のそれぞれで、物理法則(方程式の解)が異なるのではないかと考えるのです(ランドスケープ理論)。

また、これは、チベット仏教の多体系主義とも似ています。
インド密教では、異なるマンダラ宇宙を説く様々な体系の経典が作られ、最後に「カーラチャクラ・タントラ」がすべての諸体系を統一した一つの体系を作りました。
ですが、チベット仏教の各宗派は、諸体系をそれぞれに認めて多体系的統合を行いました。
つまり、チベット仏教は、マルチバース的です。


<圏論の思想>

圏論は、集合論やブルバキ流構造主義とは異なり、実体を前提とせず、世界を出来事の連鎖として捉え、関係の構造のみを扱います。
ですから、哲学的には非実体主義、関係主義、プロセス(出来事)主義の思想です。

その意味では、仏教的な「空」と「縁起」の世界観、特に「空」と「有」と「仮」を対等に見てその関係を扱う天台教学の考え方と似ています。


抽象性の高い数学や論理学は、諸学で使われる共通の学です。
圏論は、「数学の数学」と表現されることもあり、諸学基礎論となるのは、圏論が思考の構造を抽象する、いわば「思考の思考」だからでしょう。

これは、シュタイナーが言う思考自身を対象とした「純粋思考」に似ています。


圏論の基本要素は、「点(対象)」とそれらをつなぐ「矢印(射)」です。
これは、物理学で、ループ量子重力理論が、宇宙の根源を「点(ノード)」と「線(リンク)」で考えることと似ています。
また、「表象(概念、イメージ)」と「連想」からなる思考の基本的な働きとも似ています。

圏論は、圏と圏との間の関係も扱います。
圏がアナロジーを扱うとしたら、これは「アナロジーのアナロジー」であるとも言われます。

圏論では、圏と圏の間の射を「関手」、関手と関手の間の射を「自然変換」と呼びます。
圏論では、圏や射を対象として「高次元圏」をいくらでも考えることができます。
高次元圏論は、より抽象的、一般的で、下位を基礎づけるものとなりえます。
また、高次の圏の概念は、意識の問題に関わるかもしれないと言う人もいます。

圏論の階層性は、神秘主義の万物が照応する象徴体系的宇宙論における階層性と似ています。
象徴体系的宇宙論は、諸領域の知識体系(圏)の事物(対象)の間の照応(射)を語ります。

諸体系(例えば、地上の金属の体系、人間の身体部位の体系、天球の惑星の体系、セフィロートのような観念の体系、神仏のパンテオン的体系など)の間には階層の違いがあって、下位の諸体系の関係は、上位の体系内、体系間の関係の結果とされます。
最上位の根源的な象徴体系は、諸体系間の「アナロジーのアナロジー」を働かせるものであり、それ自身は地上に存在しない、抽象的存在そのものです。

(試論)

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現代物理・現代数学と神秘主義思想のアナロジー1 [現代]


このページでは、現代物理の様々な理論、宇宙論、及び、一部の現代数学と、「永遠の哲学」とも称される神秘主義思想の世界観との類似性をテーマとして、思いつくままにいくつかの事項を扱います。

例えば、両者の間には、古典的な論理の基本法則が否定される、物質的現象の背後が語られる、波動を根源的存在とする、多数の階層性が語られる、非局所的な関係性が語られる、抽象的な関係を扱って諸学を統合する、などの類似性が見られます。

ただ、このページで扱っているのは、あくまでも素朴に感じる大まかな類似性です。
ですが、類似性が生まれる理由を考えれば、両者の成り立ちの枠組に類似性があることを、あげることができるかもしれません。

それは、どれもが非日常的な世界(現代物理なら超ミクロ、超高温、超重力、宇宙的スケール…、現代数学なら経験世界から遠い抽象的世界、神秘主義なら変性意識が体験する世界)の認識によって、日常的世界の認識を拡張して包括するものである、ということです。


このページでは、現代物理の量子力学、量子場理論、量子重力理論、ホログラフィック原理、絶対数学などを扱います。

そして、宇宙論、圏論、諸学の統一を扱う「現代物理・現代数学と神秘主義思想のアナロジー2」に続きます。


<相補性:波動かつ粒子>

古典的な論理の基本には、「同一律」(AはAである)、「矛盾律」(Aは非Aではない)、「排中律」(Aか非Aかのどちらかである)の3つの法則があります。
ですが、神秘主義思想では、これらを否定する論理を使う場合があります。

例えば、大乗仏教の論理であるナーガルジュナのテトラレンマ(四句否定)は、「Aでない」かつ「非Aでない」かつ「Aかつ非Aではない」かつ「Aでもなく非Aでもない、でもない」です。

プロティノス、華厳経には、すべての部分が他を映すという思想がありますが、これは「Aは非Aである」、「A(部分)は全体である」という論理です。

量子力学でも、3つの基本律や分配律をはみ出た論理が使われます。


古典力学では、「粒子性」と「波動性」は、物質の運動における最も基本的な対立概念です。

ですが、アインシュタインは、光量子仮説(1905)で、それまで波動だと思われていた光に、粒子として側面があることを提唱しました。
その後、ド・ブロイは、波動方程式とともに「物質波」(1924)という概念を提案し、光以外の物質も「粒子」と「波動」の両方の性質を持つことを示しました。

ニール・ボーアはこれを、古典力学の矛盾する2つの概念が合い補う「相補性」(1927)として解釈しました。
一方、ヴェルナー・ハイゼンベルグは、古典力学の表現はもはや使えず、どちらでも表現できるという意味で「二重性」として解釈しました。

どちらにせよ、これは「Aであり非Aである」ということになり、古典論理学の基本律が否定されます。


また、ハイゼンベルグは、素粒子の「位置」と「運動量」の(正準共役な)2つの物理量を同時に“測定する”ことはできない(誤差の積が下限を持つ)という「不確定性原理」(1927)を発見しました。
彼は、物質存在そのものについて物理学は語れないと考えて、「不確定性原理」を認識論的に考えました。
この、観測結果以前の物質については語れないというハイゼンベルグの「行列力学」の考え方は、「量子力学」の標準的な考え方になりました。

一方、ボーアは、「不確定性原理」を、2つの物理量が同時に確定した“値を持つ”ことはない、という実在に関する原理として存在論的に考えました。

そして、ボーアは、この2つの(正準共役な)物理量の関係も「相補的」であるとしました。
観測の仕方が、どちらの物理量が実在であるかを決めるのですが、これは「様相解釈(文脈解釈)」と呼ばれます。

「不確定性原理」においても、古典的な実在観、論理は成り立ちません。

そのため、量子力学に対応した形式論理である「量子論理学」や、量子力学に対応した実在観とそれを数学的に表現する「量子集合論」が生まれました。

「量子論理学」は、基本3律は守っていますが、分配律が成り立たない無限多値論理です。
「量子集合論」は、物理量を「量子集合論」の実数に対応させ、観測の文脈に依存せずに定義できるようにしました。


量子力学の世界観・物質観は、西洋近代の合理的なそれでは理解できないため、ボーアもハイゼンベルグも、タオイズムなどの東洋思想の世界観に注目していました。

ボーアは「相補性」を表すシンボルとしてタオ・マークを使っていましたし、「我々は仏陀や老子がかつて(2600年以上も前に)直面した認識論的問題に立ち返り…」と語っています。

ハイゼンベルクは、「過去数十年の間に、日本の物理学者たちが物理学全体の発展に大きく貢献してくることができたのは、東洋哲学(仏教や老荘思想)と量子力学が、根本的に似ているからだと思う」と語っています。
湯川秀樹が老荘思想に傾倒していたことも知られています。

後述するシュレディンガーも、ヴェーダーンタ哲学に傾倒し、「西洋科学には東洋思想の輸血が必要である」と語りました。


<波動関数:粒子と場>

エルヴィン・シュレディンガーがド・ブロイの波動方程式を発展させた「シュレディンガー方程式」(1926)は、量子力学の最も中心となる方程式の一つです。
これは、物質の位置や運動量に変わって「波動関数」の時間変化を表現するもので、物質を粒子ではなく完全に「波動」として表現しています。

そして、マックス・ボルンが、この方程式の波動の絶対値の2乗が表現しているのは、ある状態にあった粒子がその後にどこに移動している可能性があるかを示す量(確率振幅・遷移振幅)であるという「確率解釈」を提唱しました(1926)。

シュレディンガーは、波動関数の波動を、実在する波であると考えていたのですが、ボルンは実在しない計算上のものと考えて、これが標準的な考え方になりました。

ですが、光子を二重スリットを通して干渉パターンを作る実験から、1つの光子が複数の経路を同時に通るにもかかわらず、観測するとそれが一つになることが分かっています。

ですから、「波動関数」の表現する「確率」は、単に、未来に観測される遷移の確率を示すのではなく、従来の存在概念に収まらない存在の仕方そのものを示しているはずです。
観測前の物質は、どこかに「ある」でも「ない」でもなく、粒子という観点から見れば「確率」で表現されるような形で同時に様々な場所に広がって存在しているのです。
ですが、観測するとどこかに局所化されます。

つまり、「量子力学」の考える物質(量子)には2つの状態があります。

一つは、「波動関数」とシュレディンガーの方程式が表現する、観測以前の物質の状態です。
これは、非局所的、連続的、因果的な状態で、多数の確率の波動の「重ね合わせ」(コヒーレント、スーパーポジション)の状態です。
つまり、AかつBかつ…という可能なすべてが同時に起こっていて、互いに影響を与えあっている状態です。

もう一つは、観測(マクロな系との相互作用)によって物理量が一つに確定し、数えられる離散的な粒子になった状態です。
つまり、AまたはBまたは…のいずれかの一つだけが偶然に確定した状態です。
正統派であるコペンハーゲン解釈は、これを観測によって「波動関数」の確率波が非因果的(偶然)に「収束」したと解釈します。
この過程についても、語れません。


この2つの状態は、神秘主義思想が語る、霊的・原因的世界と物質世界との関係と似ています。
例えば、近代神智学の言葉で説明すると、アストラル界やメンタル界には、相反するような多様な思念形態が実在し、物質界に直接的に影響を及ぼしますが、少なくとも物質世界から見れば、どれがどのように現実化するかは偶然的です。

また、仏教の法界と現象界の関係にも似ています。
仏が見る真実は、「縁起」の世界、つまり、一つの必然的な因果関係ではなく、多数の偶然的な相互関係によって成り立つ、「重ね合わせ」に似た世界です。
そして、それは、「有」でも「無」でもない「空」の世界ですが、凡夫の日常では「有」もしくは「無」の世界になります。


<統一場理論:波動としての場>

ポール・ディラックが、電磁場を量子化した(1927)ことが「量子場理論(場の量子論)」の始まりです。
量子場理論は、古典力学では別の実在だった「場(空間の性質)」と「粒子」を、「量子場」として統合しました。
波動関数が表現するのは、「場」の値になりました。

量子場理論では、「場」は、多数の確率の波動が重なってその値が変化する存在です。
「素粒子」は「場」の励起した状態で、確率波の振動が定常化した正弦波になって、局所的な波束と見なせるようになった存在です。
また、物質が存在しない真空状態でも、「場」は一定のエネルギーを持っていて、あらゆる振動数を持つ電磁波が重なり合って存在します。

量子場理論では、場の状態を表現する波動関数としての波と、場の状態が伝わっていく波の2種類の波が存在します。

このように、量子場理論は、存在を波動的な「場」の一元論にしました。


量子場に電磁力以外の3つの力を統一するのが「統一場理論」です。
弱い相互作用を統一したのが「電弱統一理論」、さらに、強い相互作用も大統一するのが「量子色力学」、さらに、重力も超大統一するのが「量子重力理論」です。
(現在では、基本的な4つの力以外にも多数の力が存在すると予想されています。)

量子重力理論の一つである「超弦理論」は、物質の最小構成要素を、従来のように0次元の「点粒子」ではなく、1次元の「弦(ひも)」の振動であると考えます。
もちろん、これらは確率的に広がった存在です。

そして、「素粒子」の違いとして見えているものは、「弦」の振動の違いになります。
「弦」は、単に振動するだけではなく、回転、伸縮、開閉、分割・合体といった運動をします。

また、超弦理論は、時空を10次元、あるいは、11次元で考えるので、4次元時空に存在する「弦」は、内部に余剰次元を持ち、その次元でも振動していて、それが素粒子に多様性の原因となります。

つまり、超弦理論では、存在は、高次元における様々な「弦」の振動なのです。


以上のような現代物理の波動的世界観は、例えば、インドのタントリズム(密教)のそれと似ています。

タントリズムでは、宇宙(霊的世界や物質世界)は周波数の異なる波動(マントラ)でできていて、ヤントラやマンダラの階層はこれを表現します。

日常的な言語は周波数の低い波動であり、マントラの言語はより高い周波数の波動です。
もちろん、これは音声としての空気の波動ではなく、意味の次元の話です。
実践的にも、マントラは音声として発話するレベルと、発話されないレベルがあります。

これは、物理学で、海の波や音のように物質を媒体とする波と、電磁波のような場の波、さらには、波動関数が表現するような確率の波や、超弦理論の剰余次元の波など、波動にも様々な違いがあることと似ています。

また、粒子的現象の世界を生み出す「場」は、密教的な「空」に似ています。
つまり、仏教で言えば、粒子的世界観を残す量子力学の矛盾的な表現は顕教的ですが、波動的な量子場理論は密教的です。


<絶対数学と根>

黒川信重の提唱している「絶対数学」は、量子場理論に適合する新しい数学となる可能性があります。
また、「絶対数学」は、神秘主義思想の考え方とも似ています。

「絶対数学」は、環や群より基本的で、演算を積だけにした「モノイド(単圏)」の数学であり、中でも最も単純な「一元体(1だけの体)」上の数学です。

黒川は、「絶対数学」の「数(絶対数)」は「根」(一元体が根に当たる)を持つ数であり、従来の数学はこの「根」を見逃してきたと書いています。
これは、量子場理論が、古典力学が見逃してきた、「粒子」の「根」である「場」を扱っていることと似ています。

また、「絶対数学」の「点(絶対点)」は広がりを持っていて、これは量子が広がりを持っていることと似ています。
黒川は、「絶対空間論」が量子重力理論の空間を記述する可能性に期待しています。

また、黒川は、「絶対点」がライプニッツの「モナド」に当たるとも書いています。 
中沢新一は、「絶対数学」の数論が、中国華厳宗の法蔵が「華厳五教章」で論じた数論と似たものであると書いています。
「絶対数」や「絶対点」は、華厳教学の理事無碍的な「一」に近いということです。


<量子もつれと縁起>

量子論では、量子同士が相互作用することで「量子もつれ(エンタングルメント)」が生まれると考えます。
もつれた量子同士は、遠距離にあっても、一方が観測などによって確率波が収束して物理量が確定すると、即座にもう一方もそれに対応して物理量が確定します。

「量子もつれ」は、局所性が厳密には成立せず、距離の離れた存在が時間を越えてつながっていることを意味します。

また、量子重力理論によれば、「量子もつれ」が「空間」を創発します。
宇宙は「量子もつれ」によって出来ていて、「量子もつれ」はエントロピーと同様、時間とともに増大し続けます。

「量子もつれ」は、無時間的な相互関係なので、仏教的に表現すれば「縁起」です。
また、神秘主義思想が宇宙全体を一つの生命としてみなすように、宇宙は自身の結びつきを深めていきます。


*宇宙論、圏論、諸学の統一を扱う「現代物理・現代数学と神秘主義思想のアナロジー2」に続きます。


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欧米新仏教とインド新仏教 [現代]

このページでは、20C後半から現れた仏教の新しい形態である、「欧米新仏教」と「インド新仏教」について簡単に紹介します。
中心とするのは「欧米新仏教」とその背景です。

ただ、「欧米新仏教」と「インド新仏教」は、どちらも当サイトでの呼称です。
「欧米新仏教」とは少し意味は違いますが、類似した言葉としては、アメリカには「ナイトスタンド・ブッディズム」という呼称もあります。
「インド新仏教」は、一般には「インド仏教復興運動」と呼ばれます。

両者には共通した側面もありますが、まったく異なるものです。


<欧米新仏教の特徴>

20世紀後半くらいから、欧米では、仏教が独特な受容をされ、新しい運動体になっています。
はっきりと一つの性質を持ったものではなく、多様な運動ですが、新しい仏教の世界的な潮流として捉えることもできます。

仏教史の観点から見れば、仏教が新しい形に変化・進化していると言っても良いでしょう。
大きな見方をすれば、原始仏教、部派仏教、大乗仏教、密教に継ぐ新しい形態とも見なせます。

別ページで紹介した「ネオ・オリエンタリズム」の一潮流とも言えます。

「欧米新仏教」の最大の特徴は、広く一般人(在家仏教徒や仏教に関心のある人)が瞑想を行うことです。
これは、長い仏教の歴史の中でも稀なことです。

また、仏教は一種の心理療法としても受け止められていて、これら仏教の瞑想法を取り入れた心理療法が生まれました。

「欧米新仏教」は、東南アジアの上座部仏教のヴィパッサナー瞑想と、日本やベトナムの禅宗の座禅と、チベット仏教の後期密教やゾクチェン、マハー・ムドラーなどの瞑想法などをバックボーンとしてます。

「欧米新仏教」は、教団仏教・寺院仏教ではなく、旧来の寺院組織とは距離を置く傾向があり、超宗派的です。
供養や儀礼を中心にした葬式仏教、儀式仏教でもありません。

拠点は特定の宗派の寺院ではなく、瞑想センターです。
アメリカには少なくとも1000以上の瞑想センターがあり、その一割以上が超宗派です。

アメリカの仏教徒は 約300万人ですが、仏教に大きな影響を受けた人は 約2500万人という調査があります。
特定の組織に属さずに、日常生活の中で仏教を勉強している人達を指して「ナイトスタンド・ブッディスト」と呼ぶこともあります。
仏教に関心を持つ層は、かなり知的なレベルの高い傾向があり、女性も多いのです。

「欧米新仏教」の指導者は、アジアから来た僧侶であったり、アジアの僧侶に学んだ欧米人です。
ですから、もともとは何らかのアジアの宗派と結びつきがあります。
ですが、多くは意図的にそれから距離を置き、独自の思想・組織・活動形態を持つに至ります。
指導者は出家していないことが多く、また、師の権威を絶対化しない傾向があります。

そして、死後にあまり関心がなく、出家主義ではなく、この世での自由な生き方を求めます。
社会運動にも積極的で「エンゲージド・ブッディズム」と呼ばれることもあります。

経済的には、布施よりも会費や参加費が基盤になります。
インターネットの活用も多く、「ヴァーチャル・サンガ」と呼ばれることもあります。

思想的には、初期仏教の基本思想に重点を置いて、現代的解釈で各派の思想が抽出される傾向があります。

瞑想法では、気づき(マインドフルネス)瞑想を中心に各派の修行法が折衷されます。
指導者も勉強している人も、特定の宗派にも、特定のセンターにも、依存せず、複数の宗派(上座部仏教、チベット仏教、禅宗)などの修行法を勉強する傾向があります。

以下、上記の3つの宗派・瞑想法が「欧米新仏教」に与えた影響について説明します。


<上座部のヴィパッサナー瞑想>

上座部の正式な瞑想法は、アビダルマ哲学や『清浄道論』に基礎をおいた複雑なもので、なかなか一般人が実践できるものではありません。
ですが、50年ほど前にミャンマーで、誰でも行えるように簡略化した瞑想法が作られ、「改革派」の潮流が生まれました。
マハーシ・サヤドーや、レディー・サヤドーの3代目の弟子でインド人のS.N.ゴエンカらが作った新しい「ヴィパッサナー瞑想」です。

この簡略化された「ヴィパッサナー瞑想」の広がりによって、出家者が在家の瞑想指導を行うことが当たり前になりつつあります。
これは、上座部の伝統の中では新しい出来事です。

この種の瞑想は、欧米では「マインドフルネス・メディテーション」、「インサイト・メディテーション」、日本では「気づき瞑想」と呼ばれ、現在、欧米、アジア諸国を中心に、世界的に猛烈な勢いで広まっています。
カウンセリングや心理療法とも親近性が強く、様々な交流があります。

アメリカでの最初の大きなきっかけになったのは、タイで仏教に出会い、インドでゴエンカの指導を受けたジョセフ・ゴールドスタインと、タイでアチャン・チャー(タイ有数の森林僧院であるワット・パー・ポンの設立者)に従事して僧侶になったジャック・コーンフィールドが、2人で設立したマサチューセッツの「インサイト・メディテーション・ソサイエティー」です。

コーンフィールドはその後、カルフォルニアに「スピリット・ロック・メディテーション・センター」を設立します。

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前者が『入出息念経』や『四念処経』をベースにした伝統的な指導スタイルなのに対して、後者は心理療法なども取り入れた総合的なプログラムを行いました。
彼らは上座部の組織や信仰・思想とは距離を置き、新しい運動体(欧米新仏教)となっていきました。 

禅が日本人禅師など、チベット系仏教が亡命チベット僧侶らの直接指導とカリスマ性の元に始まったのに対して、ヴィパッサナー瞑想は、欧米人が海外から持ち帰って流行させたものであるという特徴があります。

また、スリランカの僧侶バンテ・ヘーネポラ・グナラタナは、ウェストバージニア州の森林に僧院と瞑想センター、バーワナー・ソサエティを設立して、一般に向けても指導を行い、影響を与えました。


<禅宗と座禅>

日本の禅が欧米で人気なのは日本人も良く知るところです。
ニューエイジのネオ・オリエンタリズムとネオ・シャーマニズム」で紹介したように、「禅仏教のエッセイ」シリーズなどの著作で知られる鈴木大拙、「サンフランシスコ禅センター」などを設立した鈴木俊隆、「ロサンゼルス禅センター」などを設立した前角博優などが、アメリカやヨーロッパに大きな影響を与えました。
彼らは日本の臨済宗や曹洞宗と距離を置いた活動をしたことが特徴です。

前角の弟子でアメリカ人のローリ大道は、「ゼン・マウンテンモナストリー(山川教団)」を設立し、新しい禅宗を作っています。
「十牛図」に対応した10階梯を設けるなど、独自の組織化された僧院を創設し、在家者にも出家者用修行を指導し、学問研鑽も行っています。
また、彼は亡命チベット僧のチョギャム・トゥルンパの影響も受けています。

しかし、欧米では日本の禅だけではなく、ベトナム、台湾、韓国の禅も注目されています。
これらの国の禅は臨済宗系の禅宗ですが、日本と違って総合仏教的な性質が強く、日本ほど座禅にこだわりません。

ベトナムの禅は、「ニューエイジのネオ・オリエンタリズムとネオ・シャーマニズム」で紹介したティク・ナット・ハンの欧米での活躍によって、知られるようになりました。
彼は、ダライ・ラマと並んで世界的に有名な仏教僧です。
アメリカには彼の禅センターが200ほどあります。

彼の禅は「行動する仏教(エンゲージド・ブッディズム)」として知られていますが、これは、必ずしも社会運動をするということではなく、仏教や瞑想を日常社会の中で生かすこと、日常の行為を瞑想的に行うことを重視しています。
思想や瞑想法は折衷的で、上座部的なシンプルなヴィパッサナー瞑想に、大乗的な慈悲の心、禅宗的な現世肯定の思想が組み合わさっています。
例えば、五戒を現代的に解釈し、それを瞑想するといった方法もあります。
「生命に敬意を払う」、「寛容になる」、「性的責任を果たす」、「深く耳を傾け愛をこめて話す」、「意識的な消費をする」などです。

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<ゾクチェン、マハー・ムドラー>

1950年の中国の侵攻によりチベットの仏教僧たちは、インド、ネパール、欧米などに亡命して、チベット仏教は新たな時代を迎えました。
ダライ・ラマやチベット仏教の各宗派は、亡命先で伝統宗派に基づいた活動もしています。
ですが、チョギャム・トゥルンパ、タルタン・トゥルク、ナムカイ・ノルブなど、独自の活動をしている亡命チベット僧達もいて、彼らの活動の方が「欧米新仏教」のバックボーンになっています。

彼らが説いた「ゾクチェン」や「マハー・ムドラー」は、高度に発達した仏教思想で、欧米では仏教の研究者にすら知られていなかった、未知の思想でした。

「マハー・ムドラー」をアメリカに紹介したチョギャム・トゥルンパは、生け花、茶道、医術、武道などにも興味を示し、無宗教・超宗教なアプローチを行いました。

「ゾクチェン」をアメリカに紹介したタルタン・トゥルクは、チベット仏教の伝統に即した活動をするだけではなく、現代的で総合的なアプローチで「ヒューマン・ディヴェロップメント・トレーニング・プログラム」も行い、ニューエイジ系の学者が参加しました。

彼らは、伝統的な枠組みで、伝統的な仏教用語で伝えるのではなく、仏教を対象化して、抽象的に捉え直して、西洋人に向けて、新しい表現で新しい言葉で説きました。

ナムカイ・ノルブは、イタリアの高名な仏教学者のトゥッチに招かれてナポリ大学で学者としての研究を行う一方、ゾクチェンの瞑想指導を行い、その組織は世界に広がっています。
彼の書籍は日本でも多数翻訳されていますが、学者でもあることから、ゾクチェンと仏教の他の思想との違いや、歴史についても、分かりやすく説明してくれます。

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<心理療法への影響>

仏教やその瞑想法は、現在の欧米諸国では、一種の心理療法として受け止められているという側面があります。
実際、釈迦の思想は、苦しみの原因を究明して取り除く方法を示すという、医学的発想に近いものでしょう。

仏教が影響を与えた現代心理療法には、「マインドフルネス認知療法」、「マインドフルネス心理療法」、「マインドフルネス・ストレス低減法」、カウンセリングの「ロジャーズ派(クライアント中心療法)」などがあります。

間違った認識を改めることで、鬱などの治療を行うのが「認知療法」ですが、これに瞑想的な技法を利用するのが、「マインドフルネス認知療法」です。
無意識に行っている認識の間違いを自覚して修正する、という点は仏教と共通します。
ただ、「マインドフルネス認知療法」は、常識的な判断に沿って認識を改めると点で、仏教とは異なります。

これに対して、鬱などが直るのは、間違った認識を改めるからではなくて、認識や感情を、客観的に自覚して、それを受け入れ、それと距離を置くからだと考えるのが、「マインドフルネス心理療法」です。
ヴィパッサナー(マインドフルネス)瞑想は、自覚のための方法として利用できます。
また、認識や感情と自分を同一視せず、距離を置くという意識のあり方は、仏教の無我観と共通するところがあります。
ただ、価値判断をしない点は仏教と異なります。

「マインドフルネス・ストレス軽減法」は、禅やヴィパッサナー瞑想、ハタ・ヨガなどの影響を受けたジョン・カバットジンによって作られました。
これは、心理療法ではなくて行動医学の一つで、その名の通り、マインドフルネス瞑想を用いてストレスを減らします。
日常のすべてを自覚することによって自我のあり方そのものを変えることで、結果的にストレス症状が癒されます。
その技法はほとんどマハーシ式、ゴエンカ式のヴィパッサナー(サティ)瞑想そのままです。
目的意識を持たずにただ坐れと言う道元の「只管打坐」からの影響もあるようです。

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「治療」よりも「自己実現」を目指す「人間性心理療法」に属する「ロジャーズ派(クライアント中心療法)」のセラピストの多くも、それぞれに仏教を取り入れようとしています。
ロジャーズ派は、原則としてすべての判断や感情に対して肯定的で、それを表現し、発展させるので、仏教の中でも、あるがまま瞑想に近いでしょう。
親仏教派では、クライアントもカウンセラーも、自我の外に出て空虚な状態になることを重視します。
これは仏教の無我観に近づくもので、ここに至っては、ロジャーズ派は「人間性心理療法」を越えて「トランスパーソナル心理療法」に近づいていきます。

ロジャーズ派のセラピストでニューエイジ系の論客の一人でもあったジョン・ウェルウッドについては、「トランス・パーソナル心理学」でも紹介しました。
彼は、「空」を心理学的に心的なプロセスにおける、多数の層として捉え直しました。
通常の、言葉やイメージなどの「形」を対象化した意識に対して、その「形」の「背景」となる心のプロセス、意味を発生させる場を掘り下げていきました。
<インド新仏教>

「インド新仏教(インド仏教復興運動)」は、原始仏教回帰(ファンダメンタリズム)という点で、「欧米新仏教」と共通する側面を持っているので、付記します。

一般に仏教は、非言語的認識を重視するので、当サイトではこの点で神秘主義として扱っています。
ですが、「インド新仏教」はこの傾向をほとんど持っておらず、「欧米新仏教」のバックボーンでもありません。

 日本ではあまり知られていませんが、インドではここ数十年の間に仏教徒が急増しています。
これほど短期間に急激に多数の仏教改宗者が出たことは、インドの歴史上でも始めてではないでしょうか。

 「インド新仏教」は、アウトカーストの指導者、ビームラーオ・アンベードカル(1891-1956)に始まります。
彼は政治家としては、カースト制度の廃止の消極的だったガンディーを批判し、1949年には、法務大臣として、不可触民制度の廃止を謳うインド新憲法の制定に寄与しました。
また、彼は、ヒンドゥー教が差別の根源であると考え、仏教の傾倒しました。
1954年にはインド仏教徒協会を設立、1956年には、自身が仏教徒に改宗し、50万ほどのアウトカーストの民衆が彼に続いて改宗しました。

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その後、日本人の佐々井秀嶺(1935-)が引き継いで発展させ、インド仏教のトップとして信者(一説では1億人を超えるという)を束ねています。
カースト差別からの解放という、インドにおける仏教本来の役割が、20世紀になって復活したことで、大きな社会運動になっています。

アンベードカルの死の翌年、その著「ブッダとそのダンマ」が刊行されました。
彼のインド新仏教の思想は、この著に表現されています。
それは、近代主義的な立場から徹底的に合理的に解釈された仏教で、神秘主義的側面は皆無です。

死後の輪廻も、魂の存在も認めません。
人が死ぬと肉体の四大に分解されますが、四大がまた結合するして肉体になることが再生です。
霊魂は再生せず、再生した新しい肉体は別人です。

また、涅槃とは、身心の止滅ではなく、八正道による煩悩のない正しい生活です。
現世における人間の幸せを目指しています。
カルマは一つの人生の中での法則なのです。

つまり、釈迦の教説は道徳であり、瞑想より社会的な実践を重視します。

ですが、佐々井秀嶺は、真言宗で得度した日本の大乗仏教の出身であり、タイで上座部の修行もしているので、アンベードカルに比較すると、いくぶん折衷的になっているのではないでしょうか。
佐々井は、「新仏教」という名前を否定する一方、「極大乗」という言葉も使っています。
佐々井にとっては、アウトカーストの民衆救済こそが重要であり、教義にこだわることは本末転倒なのでしょう。

インドでは仏教は途絶えていたので、伝統的な寺院組織はありませんでした。
インド新仏教は、スリランカの上座部や日本の仏教との交流がありましたが、思想的に大きな隔たりがあり、事実上まったく新しい道を歩みつつあります。

実際、内外の上座部や大乗仏教から、数々の批判がなされています。
ですが、「インド新仏教」の方が釈迦の本来の思想に近い部分もあります。

「インド新仏教」は、原始仏教回帰運動(ファンダメンタリズム)です。
これは世界的な仏教の傾向の一つです。
例えば、ネパールのシャカ族の仏教は、伝統的にハイブリッドですが、ファンダメンタリズム的な回帰運動もあるようです。



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プロセス指向心理療法のワーク [現代]

アーノルド・ミンデルのプロセス指向心理学」に続くページです。

このページでは、プロセス指向心理療法の様々なワーク(プロセス・ワーク)について、簡単に紹介します。


<ワークと自覚>

ミンデルは、プロセス指向心理療法の手法には「自覚」だけしかないと書いています。
ですが、「自覚」にも様々な種類があります。

ミンデルが、「漂うようなリラックスした自覚」と表現する自覚は、仏教の「観(ヴィパッサナー)」に対応します。
そして、「焦点が合っていて正確な自覚」と表現する自覚は、「止(サマタ)」に対応します。

他にも、ミンデルは、「自覚していることの自覚」、相手(二次プロセス)の立場からの自覚も持つ「複眼的自覚」などをあげています。

ミンデルは、著作「24時間の明晰夢」で、夜の夢見の時にも覚醒時にも「センシェント」な自覚を保ち続けることを「24時間の明晰夢」と表現して、それを目指すことを主張しました。

ミンデルは、この「24時間の明晰夢」を、チベット仏教の「大いなる覚醒」、「仏心」とつながること、ヒンドゥー教の「サハジャ・サマディ」、タオイズムの「無為」であるとも書いています。

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プロセス指向心理療法の手法には「自覚」だけしかないとは言っても、具体的には、様々な対象と方法があります。

ワークの基本的な方法は、特定の対象を選んで、それを十分に感じること、そして、それらになったり、それらの立場から考えたり、それらを擬人化してコミュニケーションをとって、その正体や希望などを尋ねたりすることです。
あるいは、それをイメージや動作などの様々なチャンネルで表現したり、物語として展開したりします。
もちろん、これらは、半覚醒・半夢見の意識の状態で行います。


また、日常生活の意識に戻って、以上の体験がどのように役立たせることができるかを考えます。

プロセス指向心理学のワークは「プロセス・ワーク」と総称されますが、その対象や方法によって、様々な名称が存在します。

以下、「ワーク」の種類をあげて、簡単に説明します。


<ドリームボディ・ワーク>

一人で内面を対象にして行うワークは、「インナー・ワーク」と総称されます。
これには、以下のような様々なワークがあります。

夢のイメージや身体症状を対象にしたものは、「ドリーム・ワーク(ドリームボディ・ワーク)」です。
夜見た夢の続きを見たり、登場人物や気になるものを対象にして展開したりします。
身体の症状、痛みや慢性症状も「ドリームボディ」の表現と考えて、それを対象とします。

「嗜癖」も同様です。
「嗜癖」には、自己のアイデンティティを支えるものと、アイデンティティと対立する部分を支えるものがあります。

「ドリーム・ワーク」を二人で行うことは、「共に作り出すドリーミング」と呼びます。
これは、解釈者と一緒に夢見し、解釈するワークです。


<センシェント・ワーク>

「ドリーミング」の次元にある漠然とした「センシェント(微細)」な感覚、意味の「エッセンス」(種)を対象にするワークは、「センシェント・ワーク」と呼ばれます。
これは、ユージン・ジェンドリングの「フォーカシング」とほぼ同じです。
この「センシェント・ワーク」は、一種の変性意識的状態が求められます。

「センシェント・ワーク」では、直接「エッセンス」を見つけてそれを感じることもあれば、夢のイメージなどからその「エッセンス」へ遡ることもあります。
そして、次には、それを「展開」させます。
つまり、イメージや言葉にしたり、擬人化して会話したりするのです。


<フラート・ワーク>

プロセス指向心理学では、「ドリーミング」、「ドリームランド」、「合意的現実」の3つのリアリティ間に存在するものがあって、これらを対象とするワークも行います。

「ドリーミング」と「ドリームランド」の間にあるとされるのは、「フラート(フラッシュ・フラート)」で、これを対象とするのは「フラート・ワーク」です。

「フラート(魅惑するもの)」は、ふっと瞬間的に魅力を感じるもの、一瞬、心をよぎるものです。
あるいは、視覚で言えば、周りを見渡して、目を引くもの、なぜが気になって魅力を感じるものです。
ミンデルは、「フラート」がはっきりしない願い事に対する返答だとも書いています。

「フラート・ワーク」でも、まず、「フラート」の「エッセンス」を感じて、その後、展開します。


<秘密のドリーム・ワーク>

一方、「合意的現実」と「ドリームランド」の間に存在するものは、「ドリームドア」です。
これは「ドリームランド」への入口です。
これを対象とするのは「ドリームドア・ワーク」、あるいは、「秘密のドリーム・ワーク」です。

「ドリームドア」は、視覚的には、周りを見渡して、継続的に注意を引いて離さないものです。
会話の中では、今、ここ、私でない誰かとして語られるもの、繰り返し力説する話題だったりします。
他にも、不完全な文章、混ざる外国語、繰り返される言葉、思い出せない言葉、誇張されるもの、良く浮かぶメロディなども、「ドリームドア」かもしれません。

「ドリームドア」を対象にすると、夜に夢を見ない人でも、あるいは、夜に見た夢を対象としないでも、「ドリームランド」に入っていくことができます。

「ドリームドア」のワークもそうですが、日常生活を夢と捉えて、そのどこかに焦点を当てていくワークを、「秘密のドリーム・ワーク」と呼びます。
人間関係を夢と捉えたり、過去の記憶を夢と捉えたりして、それらとワークすることができます。


<人間関係のワーク>

一人で内面に向かう「インナー・ワーク」に対して、人間関係を対象とするワークは「人間関係のワーク」と総称されます。

「人間関係のワーク」で重視され、対象とされるのは、転移、投影、逆投影、「ランク(権力)」、「ドリーミング・アップ」、「シグナル」、「エッジ」、「ビッグ・ドリーム」、「センシェントなもつれ」、など数多くあります。

「ドリーミング・アップ」は、ある人の夢や無意識的な行為が、相手を刺激して感情を作るという作用です。

「シグナル」は、人が会話でコミュニケーションしている時に、本人が意図せずに、会話の内容と違うメッセージを、言い方や表情、動作などを通して送っていることがあります。
これを「ダブル・シグナル」と表現します。
こういった「身体シグナル」も、人間関係の中で表現される「夢」と言えます。
シグナルを対象としたワークは、「シグナル・ワーク」と呼びます。

また、「ドリームボディ・ワーク」の対象だった「嗜癖」も、コミュニティと結びついていることが多いため、コミュニティを対象とした「コミュニティ・ワーク」が必要になることがあります。

人間関係にも「エッジ」があって、特定の人間に対して、何らかの感情から自分を制限している壁です。
「エッジ」を対象とするワークは「エッジ・ワーク」と呼ばれます。

ある人との長期的な関係を、最初の大きな体験の記憶や夢が規定する場合、その体験や夢を「ビッグ・ドリーム」と呼びます。
ミンデルは、それを一種の神話であると言います。

「センシェントなもつれ」とは、人間関係の中で、特定の誰かに属するような形のはっきりしたものではなく、関係の中に微細な雰囲気として存在するものです。
これを対象にするワークは、相手の体に触れていき、ある場所に何か感じたら、それに集中する方法で行います。


<コーマ・ワーク>

「コーマ・ワーク」は、昏睡状態の人とコミュニケーションを行うワークです。
おそらく、これはミンデルによる人類史上初の画期的な発見ではないでしょうか。

昏睡状態の人にも、思考やコミュニケーション能力があって、皮膚感覚による合図、眼球の動き、うなり声、呼吸のリズムなどを通して、長時間をかけてコミュニケーションを行うのです。

ミンデルは、昏睡状態を、選択された必要な一つの「プロセス」として受け止め、「コーマ・ワーク」によって「プロセス」を進展させることをサポートします。

ミンデルは、たくさんの実証を行いました。
そして、そのコミュニケーションを通して、昏睡状態の人が、自分が夢見の状態にあることを自覚し、その夢見を進行させることで、人格を統合・成長させました。
その結果、患者は、奇跡的に覚醒したり、あるいは、人生を完成させて死ぬことを決意したりしました。


<ワールド・ワーク>

「ワールド・ワーク」は、世界的に普遍的なテーマ(人種や男女の差別など)を取り上げて行う一種のグループをセラピーです。
グループをセラピー対象の個人と同様に捉えるのが特徴です。

個人のセラピーでは、「一次プロセス」、「二次プロセス」、「エッジ」を意識して、最終的に「ドリーミング」の観点に立ちます。
同様に、グループ対話では、主流派と非主流派、あるいは、発言されない意見(ゴースト・ロール)、話が進まなくなる「エッジ」などを意識しながら、「場」としての癒しのプロセスを進行させます。

この時、主流派と非主流派を同等に扱うことを「ディープ・デモクラシー」と呼びます。


<道の自覚・ジグザグ歩きのワーク>

ミンデルは、著作「大地の心理学」で、プロセス指向心理学の思想を、あらためて量子力学やシャーマニズム、タオイズムと重ねて解説しながら、「道の自覚(パス・アウェアネス)」や「大地の導き」、「ジグザグ歩き」といった新しい考え方、新しいワークを提唱しました。

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ミンデルは、次のように書いています。

「「大きな自己」は、平行世界の多様性を通して自らを知ろうとする重ね合わせの知性と言える。私はこの知性に参加する活動を「ジグザグ歩き」あるいは「プロセスの知恵」と呼ぶ」

つまり、簡単に言えば、多様性(平行世界)を重ね合わせることで、「大きな自己」が進もうとする方向が分かる、ということです。

以下、ミンデルが量子力学をどのように比喩的に扱いながら、「道の自覚」を説いているかについてまとめます。

まず、量子力学のおける「場(量子場)」と「粒子(量子)」の関係を、「センシェント」な領域の「大きな自己」と、それが展開した「ドリームランド」、「合意的現実」の領域の様々な人格などに喩えます。

ミンデルは、「大きな自己」が波動関数であると書きます。
そして、「粒子」を自己(一次プロセス)、「反粒子」を夢の登場人物(二次プロセス)に喩えます。

そして、「センシェント」な領域は、非時間的かつ非局所的で、観念と出来事がもつれている、つまり、「量子もつれ(エンタングルメント)」の状態にあると喩えます。
「量子もつれ(エンタングルメント)」の状態は、人間が「一次プロセス」では分離しているように見えても、「二次プロセス」ではつながっていることにも喩えます。

また、ミンデルは、一つの「大きな自己」が、多様に展開したそれぞれを、量子力学の多世界解釈の「平行世界」で喩えます。
そして、「大きな自己」が最終的に進む方向を、それらの「重ね合わせ」、「最小作用」と喩えます。

つまり、「プロセス」の進展する方向は、多様性の「重ね合わせ」として存在するのです。
そして、この方向は、量子力学でファインマンが言う「最小作用」の方向であると喩えられます。

この方向性を理解することは、「道の自覚(パス・アウェアネス)」とも表現され、私たちに本来備わっている「方向性を感じ取る能力」によって可能なのです。
ミンデルは、「センシェント」な領域での方向性の感覚を「クオンタム・コンパス」と表現します。
そして、この方向に進むことは、「タオ」に従う「無為」であり、ドン・ファンがいう「心ある道」でもあり、「大地の導き」に従うことなのです。

確かに、量子力学では、観測以前の量子の相互作用の状態は、収束しない波動関数を「重ね合わせ」て計算しますし、量子の最も確率の高い進路は、ファインマンの経路積分の「最小作用」の方向となります。

ですが、多世界解釈での「平行世界」というのは、観測されて波動関数が収束した場合に、観測以前にあった可能性の世界(歴史)が分離したと解釈するのであって、それらを「重ね合わせ」ることはありません。
ですから、ミンデルの喩えには問題があるのではないでしょうか。

また、ミンデルは、現実の人間における多様性を現わす進展は、同時ではなく順番に起こるため、これをファインマン・ダイアグラムに喩えて「ジグザグ歩き」と表現します。

以上の理論を背景にした「道の自覚」、「ジグザグ歩き」のワークの方法は、まず、複数の要素の「重ね合わせ」を考えることです。
そして、それぞれの方向性を、実際に地面(床)に直観的に見定めて、実際にその「ジグザクを歩き」、また、それらを足し合わせた方向を理解して、それに「大きな自己」を感じます。

複数の要素とは、例えば、日常の自己/非日常の自己/現在の問題症状/薬、などです。
あるいは、特定の人間との関係性/その人間との最初の体験/これから生起すると思い浮かんだいくつかの出来事、などです。

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アーノルド・ミンデルのプロセス指向心理学 [現代]

アーノルド・ミンデルが発展させたプロセス指向心理療法は、彼の独創的なアイディアによって、心理療法を新しい次元へ、多方向へ、統合的に拡張したものです。
また、それは、ネオ・シャーマニズムやトランス・パーソナル心理学と方向性を共有し、それらを包含しています。

ミンデルは、シャーマニズムやタオイズム、量子力学などの影響を受けています。
ミンデルの言う「プロセス」とは、その本質において「タオ」であり、波動関数であり、シャーマンが変性意識状態の身体で体験するリアリティでもあります。

プロセス指向心理学は、イメージや言語以前の微細なリアリティに対する直観を、24時間ずっと自覚し続けることを目指します。
ミンデルはそれを「24時間の明晰夢」と表現しますが、それがチベット仏教の「大いなる覚醒」、ヒンドゥー教の「サハジャ・サマディ」、タオイズムの「無為」であるとも書いています。

また、神秘主義思想が上昇道(往相)だけでなく下降道(還相)を説くように、意味の「エッセンス」へ遡るだけでなく、それを展開することも説きます。

このページでは、ミンデルとそのプロセス指向心理学の思想についてまとめます。
そして、次のページには、プロセス指向心理療法のワークについて扱います。

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<ミンデルの歩み>

アーノルド・ミンデルは、1940年にニューヨークで生まれ、マサチューセッツ工科大学で応用物理学を学びました。

ですが、心理学への転向を志し、スイスのチューリッヒにあるユング研究所で分析心理学を学びました。
そして、1970年には、オハイオ州のユニオン大学院で博士課程修了し、その後は、ユング心理学研究所で分析家として活動しました。

ですが、ミンデルは、身体症状などを夢と同一のものとして捉え、それが自我を相対化する知恵であると考えるようになりました。
ミンデルは、これを「ドリームボディ」と名付けました。

そして、1980年代初頭に、同僚と共にプロセス指向心理学のワークを始めました。
1982年には、「プロセス・ワーク・インスティテュート(IPA)」を設立し、「ドリームボディ(原題:Dream Body: Body's Role in Revealing the Self)」を出版しました。

1985年、ミンデルは、ユング心理学研究所を退所しました。
また、「プロセス指向心理学(原題:River’s way: the process science of the dreambody)」、「ドリームボディ・ワーク(原題:Working with the dreaming body)」を続けて出版しました。

1980年代後半には、妻のエイミーとアメリカに戻り、1990年、オレゴン州ポートランドに、「プロセス・ワーク研究所」を設立しました。

その後も、ミンデルは、次々と新しい観点、新しいワークを生み出し、自身の心理療法を進化させ、著作も次々と出版し続けました。
以下に紹介するのは、その一部です。

1989年、「昏睡状態の人と対話する」を出版し、昏睡状態の人とコミュニケーションを行う「コーマ・ワーク」を提唱しました。

1993年、「シャーマンズボディ」を出版し、カスタネダを含むシャーマニズムの思想とプロセス指向心理学を統合しながら、「ドリームボディ」を環境内の存在としての「シャーマンズボディ」に拡張しました。

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1995年、「紛争の心理学(原題:Sitting in the fire)」を出版し、普遍的で対立的なテーマで対話を行うグループ・ワークである「ワールド・ワーク」を提唱しました。

2000年、「24時間の明晰夢(原題:Dreaming while awake)」を出版し、イメージ以前の微細な(センシェント)直観的な次元の気づきを常態化する「24時間の明晰夢」を提唱しました。

2001年、プロセス指向心理学を体系的した「プロセス指向のドリーム・ワーク(原題:The dreammaker’s apprentice)」を出版しました。

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2007年、プロセス指向心理学を、量子力学、タオイズム、シャーマニズムと統合して「道の自覚」をテーマとする「大地の心理学(原題:Earth-Based Psychology)」を出版しました。


<プロセス指向心理学・心理療法の特徴>

プロセス指向心理療法は多様で、様々な側面を持っています。
例えば、カール・ロジャーズのクライアント中心療法や、フリッツ・パールズのゲシュタルト療法、ジェンドリンのフォーカシング、ボディ・ワークなど、様々なものと似ていると言われます。
ですが、ミンデルは、スイスにいた時は孤立していて、アメリカのエサレン研究所でワークを行った時に、初めて他のワークを知ったと言います。

また、ミンデルは、ユング派から出発していますが、あまりユングの影響を感じさせません。

プロセス指向心理療法は、ユングの能動的想像力を、身体性へ、環境へ、そして、イメージ以前の直観へと拡張したものという側面があります。
それに、ミンデルの言う「大きな自己」は、ユングの「本来的自己」に似ています。

ですが、ミンデルは、「元型」は存在せず、それは単なる一時的な「エネルギーのパターン」、「変化する傾向」にすぎないと書いていて、「元型」をほとんど重視しません。

スタニスラフ・グロフは、ミンデルをトランス・パーソナル心理学の先駆者として評価しています。
ですが、プロセス指向心理学は、思想的にも、療法的にも、他のトランス・パーソナルな心理療法より豊かで、地に足がついている印象があります。

ミンデルは次のように書いて、ユングやトランス・パーソナル心理学との違いを主張しています。

「プロセス・ワークは人格問題を持たず、高次あるいは低次といった意識状態を設定していません。また、類型論もなければ、理想とする固有の状態もありません。」(うしろ向きに馬に乗る)


<プロセス>

ミンデルは、環境とつながった心身が、全体として変化する体験の流れを、「プロセス」と呼びます。

これは、ジェンドリンが「体験過程」と呼んだものとほぼ同じです。
ミンデルは、それを「タオ」とか「大河の流れ」とも表現するように、それが人間を越えた環境内の存在であることを強調します。

ミンデルは、2つの「プロセス」を区別します。
自分が同一化している「一次プロセス」と、排除して周縁化された「二次プロセス」です。
そして、2つのプロセスを隔てる壁を「エッジ」と呼びます
フロイトの「一次過程」、「二次過程」、「防衛機能(抑圧)」とほぼ同じですが。

プロセス指向心理療法のワークでは、「二次プロセス」を感じ、それになったり、それとコミュニケーションをとったりします。

「二次プロセス」になかなかアクセスできない場合は、「エッジ」を対象にして、同様のワーク行います。
「エッジ」を橋とイメージしてそれを渡ることを想像したり、「エッジ」を擬人化してコミュニケーションしたりするのです。
「エッジ」を渡る時に、人は変性意識状態になります。

このように、自己が同一化する対象を変える「布置の変化」がワークの特徴です。

「二次プロセス」は「一次プロセス」と対立する、反対のものであることもあるので、それに合わせて、価値観を逆転させることが必要となります。
彼の著作のタイトルにもなっている「うしろ向きに馬に乗る」は、それを表現しています。

「二次プロセス」とワークすることは、「一次プロセス」を相対化し、両者を統合することになります。
逆に言えば、「二次プロセス」として現れるものは、「一次プロセス」を中心にして生きることを批判し、修正を促すものなのです。
後述するように、たとえそれが病気のような身体症状であっても、一種の知性であると受け止めます。


<リアリティの3階層>

プロセス指向心理学では、3つの意識、3つのリアリティの階層を考えます。

・合意的現実  :覚醒時の合理的現実、一次プロセス
・ドリームランド:ドリームボディ、二次プロセス中心
・ドリーミング :センシェント、エッセンス

「合意的現実(コンセンサス・リアリティ)」は、日常的現実であり、それに対応するのは、覚醒時の合理的意識です。

合理的意識は言語的で、「二元的」な対立の世界であり、排除や権力が存在します。

「ドリームランド」は、「夢」のリアリティですが、プロセス指向心理学では、夜の夢の中だけではなく、覚醒時にも常に存在して、身体症状などとして現れると考えます。
そして、この「夢」=「身体」的存在を「ドリームボディ」と呼びます。

「ドリームランド」には、「二元的対立」ではなく、「二極の交流」があります。

「ドリーミング」は、言葉やイメージの種となる「センシェント(微細な)」な意味の「エッセンス」の世界であり、その意識です。
ジェンドリンが、「フェルトセンス(感じ取られた意味)」と表現したものとほぼ同じです。
「センシェント」な意識は瞑想的な意識、変性的意識です。

この意識・リアリティは、覚醒時も含めて、一日中、常に存在しています。
身体としては、インド神智学の概念である「サトル・ボディ」が対応します。

この世界は、「非二元的」な一つの存在です。

「ドリーミング」という名称は、アボリジニーの「ドリーム・タイム」の影響を受けています。
「夢の創り手(ドリームメイカー)」とか、「大きな自己」とも呼ばれます。

ちなみに、ミンデルは、アビダルマ仏教の心路過程の論理の17段階を、「ドリーミング→ドリームランド→合意的現実」の3段階の移行に当てはめて考えています。
ですが、ミンデルは理解していないようですが、ミンデルの3層は、密教の「法身→報身→応身」、「睡眠意識→夢意識→覚醒意識」に対応します。

それに、心身の止滅を目指すアビダルマよりも、心身の活性化を目指す密教の方が、プロセス指向心理学の理論や思想と親近性があります。

また、ミンデルは、第4のレベルとして、自覚的な「プロセス」を考えます。
これは、3つのレベルの間を移動する自覚的意識です。

「ドリーミング」を対象としたワークでは、直接「エッセンス」を見つけてそれを感じることもあれば、夢のイメージなどからその「エッセンス」へ遡ることもあります。
そして、次に、それを「展開」して、イメージや言葉にしたり、擬人化して会話したりするのです。

「ドリーミング」の次元は、「一次プロセス」、「二次プロセス」の分離以前の次元です。
ですから、この次元を含むワークでは、「一次プロセス」によって「二次プロセス」を統合するとか、「二次プロセス」によって「一次プロセス」を相対化したりするとは考えません。
「夢の創り手」である「大きな自己」となって、その観点から全体を見て、「プロセス」を進展させることを促します。


<チャンネル>

「ドリーミング」の次元にある意味の「エッセンス」は、「ドリームランド」の次元で、夢や身体症状などとして表現されますが、それが表現される媒体的な領域を「チャンネル」と呼びます。

以下のように、基本的に8つの「チャンネル」があるとされます。
感覚の4チャンネル、身体の2チャンネル、環境の2チャンネルです。

・視覚(夢)
・聴覚
・味覚
・臭覚
・身体感覚(身体症状:痛み、慢性症状…)
・動作(無自覚な動き、ダンスのパタン…)
・人間関係
・世界(3者以上の関係)

チャンネルとは言われまんが、「嗜癖(依存症)」も重視されます。

プロセス指向心理療法では、これらの「チャンネル」や、その移動を重視して意識します。


<シャーマンズボディ>

ミンデルは、著書「シャーマンズボディ」で、プロセス指向心理学にシャーマニズムの思想や技法を取り入れる一方、シャーマニズム、特に、カルロス・カスタネダの思想をプロセス指向心理学の立場から解釈しています。

まず、ミンデルがシャーマニズムの特徴とするのは、プロセス指向心理学が「ドリームボディ」と呼んだ「夢=身体」が、周囲の世界と密接に結びついていると考える点です。
そして、この周囲の世界、部族の希望と結びついた身体を、「シャーマンズボディ」と呼びました。
この「シャーマンズボディ」は、「ドリームボディ」よりも、強く変性意識状態と結びついています。

ミンデルは、シャーマニズムが、自然を含めた周囲の世界が、夢見られているものであり、また、一種の知性であると考えていると理解し、次のように書いています。

「アボリジニーの考え方によれば、…精霊たちは生きていて、今ここで起こっている出来事を夢見ていると考えられているのである」
「シャーマニズムは、周囲の世界が独自の知性を持ち、それもまたあなたの一部であるということを想起させてくれる」

ミンデルは、カスタネダの言う「第二の注意力」を、自我が締め出すものへの集中力、思いがけないプロセスに対する注意力、夢見の世界への鍵であると言います。

そして、カスタネダの言う「盟友」は、「二次プロセス」に対応する存在を、敵対的に受け止めない姿だと解釈し、次のように書きます。

「対立的な局面を克服すべき敵とは考えず、自分にとって最も力強い盟友となる潜在的な可能性を持つものとして理解する」

ですから、ミンデルは、「盟友」と自己を統合するべきもとだと考えます。

「自分が盟友に、盟友が自分に似てくることは、あなたが以前より統合され、自己の全体性を生き始めたことを示している」

ですが、「二次プロセス」を敵対的に考えないプロセス指向心理学の考え方は、カスタネダのトルテックよりも、サージ・カヒリ・キングのフナに近いように思います。

また、ミンデルは、カスタネダ(ドン・ファン)が言う「心ある道」を、「ドリーミング」に従う道であると解釈します。

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*「プロセス指向心理療法のワーク」に続きます。

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ユージン・ジェンドリンのフォーカシング [現代]

ユージン・ジェンドリン(1926-2017)は、アメリカの哲学者、臨床心理学者で、「体験過程理論」、そして、「フォーカシング」技法の提唱者です。

ジェンドリンは、直接的には神秘主義と関係がありませんが、彼は、日常的意識と変性意識の間で、言葉にできない、漠然と感じられる意味を意識することで、成長や癒しが促されると主張しました。

これは、従来の心理学・心理療法にも、哲学にも、神秘思想にもなかった革命的な観点です。


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<ジェンドリンの歩みと思想>

ジェンドリンは、オーストリアに生まれて、シカゴ大学で哲学を学び、カール・ロジャーズのもとでカウンセリングを学びました。
彼は、哲学的視点を心理学にもたらし、革命的な理論・技法を提唱しました。

ジェンドリンは、1958年に博士号を取得し、1961年にウィスコンシン大学精神医学研究所所員になりました。
そして、1968年から1995年までシカゴ大学で教鞭をとりました。

ジェンドリンは、カウンセリングの成功例の分析から、クライアントが、自分の言葉にできない漠然とした意味感覚(フェルト・センス)を意識できるかどうかが鍵になることを発見しました。

1962年に出版されたジェンドリンの最初の著作は、哲学書の「体験と意味の創造」です。
続いてこの年に発表された「体験過程の理論」で、彼の思想の基本となる「体験過程」の概念を提唱しました。
1964年の「人格変化の一理論」では、「体験過程」の理論を深め、「体験過程」を自覚する手法としての「フォーカシング」につても位置づけました。

その後も、1973年に「体験過程療法」、1978年に「フォーカシング」、1986年に「夢とフォーカシング」、1996年に「フォーカシング指向心理療法」などを出版しました。

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ジェンドリンは、人間が生きることは、環境との複雑で秩序だった相互作用が変化・成長していくプロセスであり、それは言葉を越えた一種の「知識」であると考えました。
そして、彼は、それを「体験過程(experiencing)」と名付けました。

ジェンドリンは、自身の哲学や心理学の先駆者として、実存主義や現象学、実存主義的心理学をあげます。
そして、彼は、「体験過程哲学は、実存主義の哲学者たちがやり残したところ、つまり、象徴、思考、言語や他の象徴がどのように、具体的な体験過程に基づき、関連しているか、というところから始まる。筆者は気持ちと思考の関係について哲学的システムを開発した」(「体験過程療法」)と書いています。

「体験過程」のほとんどは言語化を伴わない無意識の過程ですが、それは意識化すること(フォーカシング)によって進展し、人格の変容、成長が起こります。

ジェンドリンは、「体験過程」を意識化してそれを進める心理療法を、「体験過程療法」、「フォーカシング指向心理療法(FOP)」と名付けました。


<フォーカシングの革命性>

「体験過程」を焦点化して意識化する「フォーカシング」の対象は、「感じられた意味(felt sense」と呼ばれる、言葉にもイメージもなっていない、漠然とした感覚、身体感覚を伴った意味のある感じ、です。

フロイドの精神分析学以来、心理学、心理療法の世界では、意識や認識の対象となるのは、言葉やイメージのような「表象」、あるいは、はっきりとまとまった感情のみです。
「フェルト・センス」のような言葉やイメージになっていないものは意識できないと考えてきました。

しかし、ジェンドリンは、意識と無意識の境界で「フェルト・センス」を体験することが、治療の本質であり、それが解放と自由をもたらすと考えたのです。
これは、心理学、心理療法における革命であり、その背景には、彼自身の哲学があります。

「フェルト・センス」は「暗に含まれたもの(implict)」の状態ですが、「フォーカシング」によって進展させた時、「開け(unfolding)」の状態になると、ジェンドリンは書きます。
つまり、意味が「含み込まれた」状態から、「開かれた」状態になるということです。
そのため、ジェンドリンの思想は「暗在性哲学」と表現されます。

これらの表現は、現代哲学のドゥルーズが使った「巻き込み(implication)/繰り広げ(explication)」や、ニュー・サイエンスのデヴィッド・ボームが使った「内蔵秩序(implicate order)/表出秩序(explicate order)」という言葉と、それらの思想と近いものでしょう。
ただし、ジェンドリンの「開け(unfolding)」の状態は、まだ、言語以前の「フェルト・センス」ですが。

「フェルト・センス」は、「直観」とか、「強度」とか「内包量」と呼ばれるものに近いでしょう。
この点で、ジェンドリンの思想は、神秘主義的でもあり、現代思想的でもあります。
また、「フェルト・センス」を一種の「力」と捉え、それがイメージや物語に展開できるという観点からすれば、シャーマニズム的でもあります。

ジェンドリンは、「フェルト・センスは通常の状態と変性意識状態との境目で起こる」と書いています。
そして、「フェルト・センスは、そこ(深い瞑想)まで深く降りてしまわない途中の階にある」(以上「フォーカシング指向心理学」)のだと。


「フォーカシング」は、何らかの事項、問題、塊の「縁(edge)」にある「フェルト・センス」に集中して、それを受容的に体験し、あるいは対話することで、「人格の変容」を導く技術です。
そのため「縁で考える」とも表現されます。

「フェルト・センス」の中には、「有機体が知っているすべてが含まれている」だけでなく、「その中には有機体が動いていく方向、次の成長のステップの鍵がある」(以上、「夢とフォーカシング」)のです。
つまり、まだ新しいステップが形をなしていないのに、その全体的な感じがあって、自然にできてしまうのです。

ジェンドリンは、無意識も、「フェルト・センス」も、「未完了」な過程だと言います。

「フォーカシング」によってそれを意識化すると、「体験過程」の進展があります。
ジェンドリンは、それを、「フェルト・シフト」、「体験的ステップ」と表現します。
これによって、「ものごとの全体の布置が変化する」のです。

そして、「フェルト・センス」は、それを言語化、明示化されることで「完了」します。

ゲシュタルト療法で使われる「完了」、「未完了」という考え方と、似ています。


<フォーカシングの4つの位相>

「人格変化の一理論」では、「フォーカシング」に4つの位相があると書いています。

1:直接の照合体(referent)

「フェルト・センス」に焦点を当てて意識化すること、つまり、「フォーカシング」そのものです。

2:開け(unfolding)

「フェルト・センス」が不安感や嫌悪感を伴うものであったとしても、自覚化するにつれて、それは薄らいでいきます。
そして、「フェルト・センス」が何であるかが徐々に知るようになり、ある瞬間に「ぱっと開く」ことがあります。

3:全面的な適用

すると、「フェルト・センス」に、すべての関連のある様々な連想や記憶状況や環境が一度に結びつきます。

4:照合体の移動

今まで集中していた「フェルト・センス」が違ったものになり、最初の位相に戻ります。


<フォーカシングの技法の6ステップ>

ジェンドリンは、その後、技法としての「フォーカシング」を、準備のステップと6つのステップで考えるようになりました。

0(準備):内側を感じる

1-2分ほど、体の内側、例えば、胸や胃の内側を感じてみます。

1:間を置く

何か問題のあるものとして内側に感じたものに、受容的な態度で、挨拶するように向かい合います。
そして、そのいくつかの感覚と自分との間をどれくらいの距離を置けばいいかを決めます。
そして、その中から1つを選びます。

2:フェルト・センスをつかむ

選んだ気がかりなことの「縁」にある「フェルト・センス」を見つけます。

3:ハンドルをつける

その感じを表すような名前をつけたり、イメージを与えたりします。

4:共鳴させる

その名前が合っているか確認します。
名前を与えて楽になった感じがすると、それで合っています。

5:問いかける

「フェルト・センス」にそれが何なのか、何が問題なのか、どう解決するのか、などを問いかけて、反応を待ちます。

6:受け取る

「フェルト・センス」が何かの反応、例えば、ざわめくような変化があれば、それをそのまま受け止めます。
ですが、それは答えではなく、一歩でしかありません。


ちなみに、ジェンドリンの弟子のアン・ワイザー・コーネルは、「フォーカシング」の方法を、一般の人がより使いやすいように改良しました。
これについては、姉妹サイトの記事をご参照ください。

コーネルのフォーカシング


<夢のフォーカシングの4ステップ>

ユージン・ジェンドリンは、夢をきっかけにした「フォーカシング」も薦めています。
 
彼は、夢は「体験過程」の表現であり、夢の中には「フェルト・センス」が含まれていると考えます。
夢の枠組み自体は、現在の布置を表しているのですが、その中にある「フェルト・センス」は「変化の芽生え」なのです。
 
夢の中の「フェルト・センス」に「フォーカシング」を行うと、徐々に人格が変容し、それに伴って、見る夢も少しずつ変わっていきます。

ジェンドリンは著「夢とフォーカシング」で、夢の変化に3つのステップがあると書いています。
ですが、そこに、彼が「統合」と呼ぶ段階を加えて4つのステップで考えることもできます。

1:気づき
 
まず、夢の中にある「フェルト・センス」を見つけます。
夢を思い出して、気になる感じ、気になる登場人物に注目します。

ジェンドリンによれば、夢は新しいものを表現しているので、現在の自分の価値観から解釈すると必ず間違います。
「フェルト・センス」を体験して自分が変わって初めて、夢を理解することができます。
 
2:新しいものを得る
 
夢のイメージは何度も繰り返して「フェルト・シフト」をもたらしてくれます。

ですから、「フォーカシング」を行っていると「開け」を感じても、さらに「体験過程」を進めてくれる部分を探して「フォーカシング」を続けます。

夢の中では、最初、新しいものは、悪いものとして現れます。
ですから、自分が好ましくないと思っている存在や行動に「フォーカシング」することが重要です。
あるいは、常識的な考えて、最も奇妙で馬鹿げていると思える部分が重要だったりします。

ですから、夢を解釈する場合も、価値観を反対にすることが必要になります。
ジェンドリンはこの逆転の方法を、「バイアスコントロール」を呼びます。
夢の解釈が正しいと、しっくりした感じ、何か開けたような感じがします。

3:成長
 
なかなか前に進めない時は、その「妨げ」、「できない」こと、「進みたくない」、「フォーカシングしたくない」、という気持ちに「フォーカシング」するのも方法です。
 
ジェンドリンは、夢では成長のステップはあまり表現されず、むしろ、どのように物事が行き詰まっているのかを描く、と書いています。
成長した後に、事後的に、夢はステップを歩んだことを示すのです。
 
成長の前には、新しいものは、否定的なもの、人間に遠いもの、動物や虫として現れる傾向があります。
また、それが何を象徴しているのか、理解しにくいものであることが多いようです。

しかし、新しいものを受容し、成長した後では、それが変化します。
否定的なものは肯定的なものに、人間から遠いものは人間に、分かり難い象徴は分かりやすい象徴に変化します。
分かりやすい例では、童話でガマガエルが王子様に変わるようなものでしょう。
 
他にも、分かりやすい成長の例としては、できなかったことができるようになる、誰かから何かをもらう、誰かから褒めてもう、敵対していた人と友好的になるなどがあります。

4:統合
 
夢にステップが現れたとしても、それで終わりではありません。
そのステップを表現するものを対象にした「フォーカシング」が必要です。
それによって、体を通した全体的な機能を伴った成長を得ることができるからです。
 
つまり、夢の意識状態で何かを象徴的に得たとしても、それを日常的な意識の状態で生かすには、もう一つのプロセスが必要なのです。
ジェンドリンはこれを「統合のジレンマ」と呼びます。

ですから、夢に現れた成長のステップも、日常の意識により近い「フォーカシング」によって、しっかりと身に付ける必要があるのです。

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サージ・カヒリ・キングのフナ [現代]

サージ・カヒリ・キングは、アメリカ人でありながら、2代続いてハワイのシャーマンの家の養子となって、ハワイのシャーマニズムである「フナ」の訓練を受けた人物です。
また、心理学者でもあり、アフリカのヒーラーからも学びました。

アメリカ大陸のシャーマニズムとは異なって、「フナ」は変性意識に入るのに幻覚性植物も太鼓・ダンスも使いません。
また、何かと戦う「戦士」の道ではなく、調和を求める「冒険者(愛)」の道を歩みます。

サージが語るヒーリング手法は多面的で、心理療法の観点から見ても、深い知見に基づく巧みなものです。
そして、精神の肉体への影響を重視し、ヒーリング(治療)と精神解放を一体で考えます。

ですが、彼が説くヒーリングの教えの中で、どこまでが伝統的なもので、どこからが彼のオリジナル、あるいは、現代的な影響によるものかは、分かりません。

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<サージの歩み>

サージ・カヒリ・キングの父のハリー・ローランド・キングは、医学と工学の学位を持ち、ビジネスと政府関係の仕事に携わっていました。
ですが、同時に、カウアイ島に住むシャーマン(カフナ、クプア)のジョセフ・カヒリに養子に迎えられ、その訓練を受けていました。

サージは、父の赴任地が変わるごとに各地に移住しましたが、14才の時からカフナの訓練を受け始め、17才の時に同じシャーマンの孫として養子になりました。
また、サージは、コロラド大学ではアジア研究を行い、アリゾナ州の大学院で国際経営学の学士を終了し、カリフォルニア・ウェスタン大学で心理学の博士号を取得しました。

1964年からは、7年間、西アフリカの救済開発支援プログラムに参加し、セネガル共和国の大統領から章を与えられました。
ですが、この時期に、サージは、アフリカの何人かのヒーラーに学びました。

1971年、サージがアメリカに戻ると、カヒリ家の叔父のワナ・カヒリから本格的に訓練を受け始めました。
そして、1973年には、ハワイのカウアイ島に移住し、「フナ・インターナショナル」という組織を設立して、フナの知識を一般の人に向けて教え始めました。

サージは、1975年、カリフォルニアのロス・パドレス国立森林公園で、神秘体験をして、新しい時代の預言者、光の教師となるべく召命を受けたと感じました。

サージは、「フナ・インターナショナル」の他にも、「アロハ・インターナショナル」を主宰するなど、多くの組織、プログラムに関わって活動をしました。

サージには多数の著作があります。
最初の著作は、「癒しのイメージ・トレーニング」(1981)ですが、この書はフナについては書いておらず、フナに関する初めての書は、次の「ハワイアン・ヒーリング(原題:Kahuna Healing)」(1983)です。
その後、「Mastering Your Hidden Self」(1985)、「アーバン・シャーマン(原題:Urban Sharman)」(1990)、「フナ 今すぐ成功するハワイの実践プログラム(原題:Huna: Ancient Hawaiian Secrets for Modern Living)」(2008)、「Instant Healing」(2020)などを出版しています。

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<フナとカフナ>

ハワイのシャーマニズムを「フナ」と呼びますが、この言葉は「秘密(の知識)」といった意味です。
ハワイのシャーマンを「カフナ」と呼びますが、この言葉は多義的で、「専門家」、「司祭」、「ヒーラー」などを意味します。
シャーマンそのものに関しては「クプア」という言葉もあります。

ワナ・カヒリが語るカフナの伝承によれば、「フナ」の知識はムーに由来し、代々、息子か養子へと継承されてきました。
「フナ」の哲学は、1700年にまとめられた創造の歌「クムリポ」に歌われています。

「カフナ」には3つの流派があります。
感情派の「ク」は、宗教、政治、戦闘の技術を持ち、感情の解放や、環境に対して直接的なコントロールをしようとします。
知性派の「ロノ」は、薬草や農業、航海術などの知識を持ち、環境の法則を理解することを重視します。

そして、カヒリ家の属する直観派の「カネ」は、霊的教えや魔術の技術を持ち、霊的統合や自分の完全なコントロールを目指します。
また、想像力のコントロールの訓練や、思考が肉体に与える影響を重視します。

サージは、「ハワイアン・ヒーリング」(1983)で、「カフナ」全体で25人、カネ派は6人しかいないと書いています。
また、「アーバン・シャーマン」(1990)では、「カフナ」の教師は5、6人で、皆、アメリカ本土で教えていると書いています。

「フナ」の研究の先駆者に、マックス・フリーダム・ロングがいます。
彼の時代には、「フナ」は法律で禁止されていたため、彼は「カフナ」に会うこともできませんでした。
そのため、ハワイ語の中に暗号化された「フナ」の知識を研究しました。
彼の主著は「奇跡の背後にある秘密の科学(邦題:原展ホ・オポノポノ 癒しの秘法)」(1948)です。

また、彼は、「フナ・リサーチ・インク」を設立しました。
ですが、彼の研究には多くの批判もなされています。

サージは、ロングはいくつかの間違いを犯したとしながらも、先駆者として評価しています。
また、「フナ・リサーチ・インク」にも所属しています。

また、「カフナ」として、「フナ」を最初に知らしめたのは、デーヴィッド・カオノヒオカラ・ブレイです
彼は、1960年にカリフォルニアに渡って、「フナ」を教え始めました。


ハワイのシャーマンの特徴は、「戦士」の道ではなく、「冒険者」の道だということです。
「戦士」が、恐れ、病気、不調和などを擬人化してそれと戦うのに対して、「冒険者」は、それらを擬人化せずに作用として扱い、愛と協力、調和をもって対処するのです。 
「戦い」の比喩は、ストレスを生むので、「フナ」では使用しないのです。

また、ハワイのシャーマンは、アメリカ大陸のシャーマンと違って、仮面、太鼓、ダンス、幻覚性植物を使わずに、つまり、瞑想や夢見に類した方法でトランス状態に入ります。

そして、精神の肉体への影響を重視し、そのヒーリング手法は多面的で、精神の解放と一体的に考えます。


<7つの原則、4層の現実>

サージは、次のような「フナ」の七つの原則的な考え方と、それに対応する行動原理をあげています。

・あなたの考えが世界を作っている(すべては夢であり任意である)
 →自分が現実を作る(イケ)

・限界は存在しない
 →自分に限界を作らず自由になる(カラ)

・エネルギーは意識を向けたところに流れる
 →目標へ集中し成功への意欲を高める(マキア)

・力は今この瞬間に存在している
 →今に集中し、すぐここで始める(マナワ)

・愛することは幸せになること(自他への批判がないと愛が生まれる)
 →幸せになることを楽しみ感謝する(アロハ)

・すべての力は内面から現れる
 →内なる力を信頼する(マナ)

・効果の有無が真実の尺度である(いつも別な方法がある)
 →積極的な姿勢で最高を期待する(ポノ)

つまり、「フナ」では、否定的・限定的な信念を肯定的・調和的な考えに変えることを重視します。
そして、その肯定的な考えを信頼して、目標に集中し、それを実現させようとします。
また、自他を批判せずに許し、祝福し、他人が夢見ることを助けます。


一般に、シャーマニズムは2つのリアリティを区別することが基本とされますが、「フナ」は、現実を次の4つのレベルで見ます。

・霊的世界 :すべては全体的・一体的(神秘的な現実)
・意識的世界:すべては象徴的(シャーマニックな現実)
・主観的世界:すべては主観的(心理的現実)
・物質世界 :すべてが客観的(科学的現実)

「フナ」では、思考内容が物質世界に反映・凝縮されると考えます。
また、すべてのものは、たとえそれが物質であっても、ハイヤーセフルを持っていて、変性意識状態で意識的にコミュニケーションできると考えます。


<人間の3つの意識の統合>

人間は、次のような要素から構成されています。
それぞれは神の名前でもあります。

まず、3つの意識の構成要素があります。

・カネ(アウマクア):ハイヤーセルフ、調和をもたらす
・ロノ:顕在意識、知性、信念、判断を司る
・ク :潜在意識、本能と習慣を司り、ロノがプログラムした命令に従う

そして、身体的要素があります。

・アカ:エーテル体
・キノ:肉体、カネの思考が形として凝縮されたもの

「フナ」のヒーリングは人間の全体を対象とします。
肉体に対する手法は、薬、食事など、エネルギー的手法は、マッサージ、フラ・ダンス(=動的ヨガ)などで精神的手法は、思考や習慣を自覚して置き換えることです。

フナでは、病気は、思考や感情のエネルギー間の争いによる緊張から生まれると考えます。
そのため、ヒーリングは、「ロノ」の「信念」や「習慣」を自覚して書き換えることが中心的課題となります。
「信念」というのは、前提・態度・意見の複合体で、その反応が感情です。
その時、潜在意識(ク)を参加させて、行動、感情を伴ったものにすることが必要です。


「ロノ」の信念や記憶は、体(キノ)に組み込まれます。
例えば、感情的なストレスが肉体の症状となるように。
そのため、逆に、意識的に筋肉をリラックスさせると、習慣的な反応を止めることで、感情を解放することができます。

ヒーリングは、最終的には「カネ」との一体化の結果であるとされます。

そして、全要素を統合した完全な人間は「カナロア」と呼ばれます。
これは癒しの神の名前です。

統合への道を「ハイプレ」と呼びます。
「ハイプレ」のための基本的な意識の持ち方は、先に書いた7つの原則です。

全体的な統合を行うためには、まず、「ロノ」と「ク」を統合します。
すると、自然に「カネ」も統合されます。


また、上記の3つの意識の構成要素とは別の観点で、4つの意識レベルが存在します。
これは先に述べた4つの現実と、ほぼ対応します。

・パパカウナ(神秘的):宇宙と一体化する
・パパコル(相対的) :すべてが相互作用している
・パパルア(心的)  :メンタルな方法で外界に働きかける
・パパカヒ(物質的) :日常生活


<異界への旅>

変性意識状態での異界への旅はシャーマンの特徴です。
これらは、広義の「夢見」であり、「ヴィジョン・クエスト」と表現されることもあります。

「フナ」における世界観は、他のシャーマニズムと同様に、天上世界、中間界、地下世界の3世界からなります。

天上世界の「ラニケハ」は、英雄、「パワー・アニマル」、守護霊・先祖である「アウマクア」や、様々なスピリットである「アクア」がいる、助言やインスピレーションを得る場所です。

マイケル・ハーナーのネオ・シャーマニズムでは、「パワー・アニマル」は地下世界にいるのですが、「フナ」では天上世界にいます。
「パワー・アニマル」は「アクア」の一種です。

「パワー・アニマル」は複数持つことができて、例えば、7つの原則的な考えに対応する7つの「パワー・アニマル」を持ったりします。
「パワー・アニマル」と出会うと、その姿になり、「ティキの庭園(詳細は後述)」に来てもらったり、贈り物をもらったりして庭園に持ち帰ります。

「アウマクア」と出会うためには、例えば、自分の内側に本質を感じ、今の周りの環境を褒め、エネルギーを感じて、光に囲まれるのを感じます。
そして、道を進んで行くと、賢者の姿などをした「アウマクア」と出会います。
「アウマクア」にも、庭園に来てもらうことができます。


中間界の「カヒキ」は、通常の夢の場所であり、また、「ティキの庭園」や「パリ・ウリ」がある場所です。

「ティキの庭園(詳細は後述)」は個々人を反映する特別な場所であり、他の場所へ行くための出発地です。
「天上世界」へは、飛ばずに、樹を登って空の穴を抜けるなどして行くと、その道を逆に辿って戻れます。
一方、「地下世界」へは、洞窟や穴を降りていきます。

「パリ・ウリ(バリ・ハイ)」は、不思議の場所であり、先輩シャーマンがいて、様々なことを教えてくれます。
ここは新しいあり方を発見する世界があり、そこには火山の島で、ボートに乗って行きます。


地下世界の「ミル」は、悪夢と試練の場であり、「力」を象徴する物(宝物やパワー・オブジェクトなど)として取り戻す場所です。
邪魔をする怪物などもいますが、これらは思考の枠の象徴です。

地下世界に行く時は、「パワー・アニマル」に同行してもらいます。
フナの「冒険者」の道では、「ミル」で牙を向いた邪魔者に出会っても、それと戦ったり、避けたりしません。
それに微笑み返し、友好関係を結びます。
もし、襲われても、喰われたらその怪物の腹を通って変容し、尻から出て、先に進みます。

患者の治療ために「パワー・オブジェクト」を探しに行く場合は、そのエッセンスを現実世界まで持ち帰って患者に注入し、また、それを象徴する現実の物を渡します。


<ティキの庭園>

先に書いたように、中間世界にある「ティキの庭園」は、個々人を反映する場所であり、他の場所へ行くための出発地です。

この庭園は、自分の心身の隠れた状態が現れる場所であり、同時に、そこを手入れすることで治療することができる場所です。
それは、「力」の場所であり、「智恵」の場所です。

最初に、自分の無意識にこの庭園を作ること、そして、そこに何らかの心の問題などを象徴的に表現してくれるように依頼します。
そして、毎日、そこを訪れて、観察し、手入れします。

問題があると感じた部分を手入れすると、自然に問題は解決されます。
それが何を表現しているのかを、解釈することは必要ありません。

この庭には、「ヘルパー」がいるので、彼に助言から得ることもできます。
また、そこに何らかのスピリット(アウマクア、パワー・アニマルなど)を呼び、力をもらったり、会話をしたりして智恵を得ることもできます。

患者のヒーリングのための夢見を行う場合は、患者の庭園に入って、そこから天上世界や地下世界に行き、庭園に力をもたらします。

カスタネダの「夢見の中でやって来る場所」は、現実にも存在する場所として設定されますが、その特徴は「ティキの庭園」に似ています。


<様々な夢見の技法>

「フナ」では、異界への旅としての「夢見」以外にも、様々な目的で「夢見」を行います。

一つは、一般的な意味での「夢見」、つまり、明晰夢です。
これは、夢の中の行動を変えることです。

「冒険者(愛)の道」である「フナ」では、例えば、いつも怪物から逃げる夢を見ていたとすると、逃げずに、その怪物に、なぜ落いかけるのか聞いてみるのです。
すると、その怪物は、追いかけているのではなく、着いて行っているのだ、あなたはどうして逃げるのか、と答えるかもしれません。

もう一つの方法は、過去の経験の書き換えです。
トラウマのようになっている記憶があれば、それを受け入れたり、解釈し直したりするのではなく、肯定的な方向体験そのものを書き換えます。
「フナ」によれば、記憶は、事実ではなく、単に、夢と同じものなのです。

「夢見」と似て非なる方法で、「夢見」の延長で、自然などを操作する呪術的方法があって、これは「グロッキング」と呼ばれます。

例えば、雨雲になりきって、雨雲が雨を降らせる夢を見て、実際に、雨を降らせます。
あるいは、自分の足を怪我したとすれば、その部分自身が治るような夢を見て、直します。
他人のヒーリングの場合も、その人自身になりきって、治る夢を見たり、実際に、自分を治療します。


<ナル(融合)の瞑想>

「フナ」では、様々な「ナル(融合)」の瞑想を行います。

「ナル」という言葉は、「平和な融合」、「協力的な関係」といったことを意味します。
「ナル」の瞑想は、判断せずに、ただ、対象に静かに気づいている状態を維持する方法です。
ヴィパッサナーや禅の瞑想に似ています。

気づきの対象に対して中立的ないしは肯定的(おだやかで心地よい期待感)でいれば、対象にエネルギーが流れて、対象が活性化され、肯定的な変化をすると考えます。
この点では、ゾクチェンの瞑想思想に近い考え方でしょう。

また、「ナル」を行えば、対象とつながり、無意識はそれを真似て学習します。

「ナル」の方法や対象は様々です。
「ナル」は一つの瞑想法というより、瞑想の種類といった方が良いのかもしれません。

「見るナル」は、「美しいもの」、「美しいと思っていないもの」、「慣れ親しんだ環境」、「自然」などを対象とします。
「美しいもの」を対象にすると、心も調和を持ち、美しくなります。
他の場合も、今まで気づいていなかったものに気づき、何かを直観的に学ぶことができます。

また、目を動かさずに視界の端を見たり、視野の全体を意識したりします。
すると、習慣の外に出ることになるので、普段の思考のくせを理解することができるようになります。

「聴くナル」も、「見るナル」と基本的には同じですが、音、音楽、暗示的言葉などを聞いて意識します。

「触覚的なナル」は、何か行動をしている時に、その体の動き、その感覚を意識します。
また、ダンスを行ってそれを意識したり、呼吸を意識したりします。
これらによって、体や感覚への感謝や喜びを感じることができるようになります。

「全感覚的なナル」は、例えば、歩きながら、今感じているすべての感覚を意識します。
これらによって、やはり感覚への感謝や、環境とのつながりを感じるようになります。

「考えるナル」もあります。
これは、何か抱えている問題があれば、それについて判断せずに、集中します。
すると、抱えていた問題が変わってしまうことがあります。
別の観点が現れて、問題を見る角度が変わったり、以前自分が立っていた枠組の外に出ることで、問題が問題でなくなってしまったり、ということが起こります。

このように、「ナル」は一種の気づきの瞑想ですが、ヴィパッサナー瞑想のように対象への執着をなくすという方向ではなく、対象を豊かにし、感謝し、学ぶという方向性で瞑想します。


<自他の許しの瞑想>

「フナ」では、自他を「許す」ことが重視されます。
批判は「愛」に反する否定的行為であり、自他を批判することはストレスになります。
逆に、「許す」ことは、エネルギーを解放することになります。

ハワイには、集団の問題を解決するための、「許し」を含む伝統的な儀式「ホオポノポノ」がありました。
1976年に、これをもとにして、「フナ・リサーチ・インク」のモルナー・シメオナが、個人向けの「許し」の儀式「セルフ・アイデンティティ・ホオポノポノ」を開発しました。
さらにそれを、イハレアカラ・ヒューレンが簡略化して、広げました。

サージが語るカヒリ家流の「許し」の儀式は、それらと区別するために、「クポノ」と呼ぶこともあります。

その方法は、まず、最初に「アウマクア」に、自分達の間違いを許すのを感謝します。
そして、問題を語り、それに関する告白をします。
次に、他人を許すこと、問題が消滅したことを宣言します。
そして、抑圧されてきた感情を聖なる光に変えます。
最後に、「アウマクア」に感謝します。

呼吸法とともに行う許しの方法に「ホオポノポノ・イキ」があります。
まず、深くゆっくり呼吸をして、身体を出来るだけリラックスさせます。
次に、息を吸いながら心の中で自分の名前か、「私のアウマクア」と言います。
そして、息を吐きながら「私は自分の怒りを解き放す」、「私は○○を許す」と言います。
この呼吸と宣言を少なくとも三回ずつ、自分自身をより良く感じるまで繰り返します。

また、なかなか許し難い他人を許すための瞑想法があります。
これは、相手に何かをあげることをイメージします。
最初は、無理のない範囲でちょっとしたものを贈りますが、徐々に贈物を大きくしていきます。


Huna from Hawaii 
Words From Serge 

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アルベルト・ヴィロルドのワン・スピリット・メディスン [現代]

アルベルト・ヴィロルド(ビジョルド)は、ネオ・シャーマニズムの旗手の一人です。

彼は、アンデス、アマゾンのシャーマンに学んだため、マイケル・ハーナー同様に、トリップ体験をもとにした治療を重視します。
ですが、メキシコのトルテック系のカルロス・カスタネダやドン・ミゲル・ルイスのように、精神の解放も目的とし、さらに、エネルギー・フィールド(霊体)を利用した治療も行います。
また、ユング心理学にも興味を示し、イメージや象徴を重視して、心理療法のような手法も使います。

このように、ヴィロルドは、ネオ・シャーマニズムの諸潮流を統合する位置にいます。

ヴィロルドには多数の著作がありますが、日本で翻訳のある「ワン・スピリット・メディスン」と、彼のウェブサイト、ブログの記事を元に、彼の思想の一面を紹介します。

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<ヴィロルドの歩み>

アルベルト・ヴィロルドは、1949年、キューバ生まれの心理学者、医療人類学者です。

ヴィロルドは、サンフランシスコ州立大では博士号を取得し、同大学の非常勤教授時代には、生物学的自律研究所を設立しました。
そして、そこで、エネルギー医学の観点から、脳と心因性の病気や健康の関係を研究しました。

その後、研究範囲を広げて、精神の影響を対象とする必要を感じ、アンデスとアマゾンでシャーマンの治療法の研究を始めました。
1970年から79年にかけては、ペルーの高名なシャーマンのドン・エドゥアルド・カルデロンの調査を行い、弟子になりました。
ヴィロルドはこのシャーマンの影響を受けています。

こうしてヴィロルドは、独自のヒーリング手法を編み出しました。
彼の手法は、食からエネルギー・フィールドまでを含む全体的なものです。

ヴィロルドは、活動的な人物で、「フォー・ウィンド・ソサエティ」、及びチリの「エネルギー・メディスン・センター」のディレクターであり、「ライトボディ・スクール」の設立者です。

ヴィロルドには、スタンリー・クリップナーとの共著「魂の癒し手」(1987)、「シャーマン、ヒーラー、セージ」(2001)、「4つの洞察力」(2007)、「勇気ある夢」(2010)、「パワー・アップ・ユア・ブレイン」(2011)、「グロウ・ア・ニュー・ボディ」(2019)など、多数の著作があります。
日本で翻訳されているのは、「ワン・スピリット・メディスン」(2015)のみです。

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<ワン・スピリット・メディスン>

ヴィロルドは、病気と治療に関して「ワン・スピリット・メディスン」という考え方、治療体系を提唱しています。
著書「ワン・スピリット・メディスン」によれば、これは病気の原因も治療法も一つである、というシャーマンの考え方です。

病気の原因は、「グレート・スピリット」からの隔絶であり、治療法は、すべての存在(グレート・スピリット)と一体になることです。

ですが、具体的な方法としては、次のように複数に分けられます。

・食事療法
・個人の内なる地図の塗り替え(エネルギー・メディスン)
・ヴィジョン・クエスト


「食事療法」は、断食、植物中心の食生活によるデトックス、スーパーフード、スーパーサプリなどによる栄養素の摂取、プロバイオティクスなどによる腸内環境の調整などです。

ヴィロルドは、大脳辺縁系に蓄積された制約的な信条、無意識のプログラムを「専制君主」と呼びます。
これは恐怖や怒り、苦悩などの有害な感情をつきまとわせるもので、トラウマ体験があればここに埋め込まれています。

ヴィロルドの「専制君主」は、カスタネダの「捕食者」やルイスの「パラサイト」に似た存在です。
ですが、ヴィロルドの場合、それを言語的なもの(左脳)とするのではなく、大脳辺縁系(哺乳類脳)の働きとする点が特徴です。

ヴィロルドは、「食事療法」がこの大脳辺縁系をアップグレードする力を持っていると言います。


次の「個人の内なる地図の塗り替え」というのは、個人のアイデンティティや人生観を変えることです。
この「地図」は、外界の認識や信条も作っています。

ヴィロルドは、これらを担っているのは大脳新皮質だと言います。
大脳新皮質のプログラムは、創造に関わるもので、「ワン・スピリット・メディスン」によって活性化されます。

大脳新皮質の右脳は神話によって起動します。
そのため、「新しい自分の神話」を見つけることで、「個人の内なる地図の塗り替え」が可能となります。

つまり、自分をヒーローとする神話的な人生の新しい自己イメージを作ることです。
そしてそれは、有機的・調和的な世界観と、死の恐怖のない全体との一体感を伴うものです。

ヴィロルドは、「日常的リアリティ/非日常的リアリティ」という区別を、量子力学の比喩から「粒子の状態/波の状態」と表現します。

夢や神話、エネルギー・フィールドは、「波の状態」に当たります。
「ワン・スピリット・メディスン」は、夢に見た世界を現実にしてくれると言います。
そして、神話は、エネルギー・フィールドに働きかけること(エネルギー・メディスン)で、健康になる遺伝子のスイッチをオンにすることができます。

「新しい自分の神話」作りには、「メディスン・ホイール」を利用すると便利です。
「メディスン・ホイール」は、4方位に動物を配置する世界観であり、それぞれの方向に対応する元型的な物語(地図)があります。
それらをつなげることで、全体としての「新しい自分の神話」を作ります。

1 南:蛇      :ヒーラーの旅
2 西:ジャガー   :聖なる女性性への旅
3 北:ハミングバード:賢者の旅
4 東:鷲      :ヴィジョナリーの旅

1の「ヒーラーの旅」では、過去の自分の社会的な役割を脱ぎ捨てます。
これは男性性の癒しの旅です。

この段階で行うヒーリング手法としては、不快な自分の役割を紙に書いて焼くといった儀礼的方法があります。
また、エネルギー・フィールドから古い刷り込みを消す「イルミネーション・ワーク」(詳細は後述)も行います。

2の「聖なる女性性への旅」では、女性性のエネルギー、死に直面します。
死の恐怖を解放するために未知への敷居を跨ぎ、女神から贈り物をもらいます。

この段階で行うヒーリング手法としては、やはり、エネルギー・フィールドから病気の痕跡を消し、チャクラの重たいエネルギーを解放する「イルミネーション・ワーク」を行います。

3の「賢者の旅」では、沈黙・静寂を学びます。
言葉のない沈黙の知によって、自分たちが現実を考えているものが幻想であり、共同で創造しているものに過ぎずないことを理解します。

この段階で行うヒーリング手法としては、呼吸に集中して自分を観察する方法があります。

4の「ヴィジョナリーの旅」では、自分が全体の一部であると理解し、創造に参加し、叡智を他人と共有します。
天上への旅によって、叡智を持ち帰ったりします。

この段階で行うヒーリング手法としては、未来の自分を「見る」ことで成長を促す方法があります。

以上の「新しい自分の神話」は、変性意識や夢見でヴィジョンとして見るのではなく、瞑想的な方法によって時間をかけて内面化するのでしょう。


次の「ヴィジョン・クエスト」は、「グレート・スピリット」とつながることです。
「グレート・スピリット」は、見えないマトリックス、宇宙の知的フィールドであり、生命を調和させる力です。

「ヴィジョン・クエスト」は、「メディスン・ホイール」の4つの物語を内面化できて始めて、試みることができます。

「ヴィジョン・クエスト」では、食事制限をした後、野外で3日間、動かずに過ごしてヴィジョンを得ます。
多くの場合、現れたパワー・アニマルと対話を行い、その動物になる想像をします。

また、「ヴィジョン・クエスト」とは違いますが、様々な「地下世界への旅」を夢見で行うことも、ヒーリングの方法です。(詳細後述)

「新しい自分の神話」や、ヴィジョンの旅など、ヴィロルドは、象徴的なイメージや心理療法的とも言えるようなヒーリングを重視するのが特徴です。


<光が輝くエネルギー・フィールド(LEF)>

ヴィロルドは、人間のエネルギー・フィールドを「光が輝くエネルギー・フィールド(LEF)」とか「ライト・ボディ」と呼びます。
LEFは、健康な状態では虹の色を放つので、「虹の体」とも呼びます。

LEFは、単に神経系の電気的活動によって生じるものではなく、身体、脳、神経系などを作り、調和させ、維持する情報を提供するテンプレート的存在です。
ここには、私たちの生き方、年齢、治癒方法、そして死ぬ可能性などの情報が含まれています。

このテンプレートには、私たちの個人的および先祖の記憶、幼年期のトラウマ、及び、以前の生の傷のすべての「アーカイブ」が存在します。

LEFは、「因果的(スピリット)」、「サイキック(魂)」、「感情的(心)」、「身体的」の4層から構成されています。
物理的なトラウマの痕跡は最外層、感情的な痕跡は2番目、魂の痕跡は3番目、精神的な痕跡は4番目の最深層に保存されています。

LEFの存在する病気の痕跡は、「イルミネーション・プロセス」(詳細は後述)によって消します。
これによってLEFの情報をアップグレードし、新たな神経網の形成を促したり、免疫系を強化して急速に病気を直すことができるようになります。


<イルミネーション・プロセス>

ヴィロルドが行うエネルギー・ヒーリングの中心にあるのは、彼が「イルミネーション・プロセス(イルミネーション・ワーク)」と呼ぶ方法です。

「イルミネーション・プロセス」は、「重い」生命エネルギーを、光に変換するもので、これによって、否定的な感情や行動を変え、免疫システムを強化して身体の治癒を促進させます。

「イルミネーション・プロセス」には、3つの方法があります。

・チャクラの汚れを燃やす。
・身体的および感情的な病気の痕跡の有毒なエネルギーを燃やす
・痕跡を綺麗にする

最初のチャクラの浄化法は、次のように行います。

まず、ヒーラーがLEFで患者を包み込んだ後、患者の頭を両手で抱きしめ、後頭部の下部に手を当てます。

そして、障害のあるチャクラに手を当てて、反時計回りに3〜4回回転させます。
これによって、チャクラの重いエネルギーが燃焼して排出されます。

次に、頭上の8番目のチャクラに輝く太陽を視覚化し、右手で光を集めて、患者のチャクラに金色の光のシャワーを浴びせます。
そして、後頭部の下部に手を再び持って行き、数分間、保持します。

最後に、チャクラを時計回りに3〜4回回転させてバランスを調整し、ヒーラーのLEFを閉じて、頭上の光球に戻します。


<集合点の移動>

ヴィロルドは、カスタネダが言う知覚の「集合点の移動」という考え方を継承しています。

ですが、ヴィロルドのそれは、カスタネダのそれとは大きく異なり、むしろ、ゴールデン・ドーンやクリヤ・ヨガの行法に近いものです。
ヴィロルドの方法では、4つのチャクラの場所に「集合点」を移動して、それぞれの意識を感じるのです。

ヴィロルドによれば、「集合点」はチャクラを介して受信した超感覚情報を知覚します。
そして、普通の人間の「集合点」は、グレープフルーツほどの大きさで、頭上6〜8インチの8番目のチャクラ(ウィラコチャ=グレートスピリット)の位置にあると言います。

「集合点」の移動は、次のように行います。

まず、患者の「集合点」の位置を、手の感覚を使って、体を走査することで見つけます。
感覚的には、異常に熱かったり、冷たかったりします。

そして、「集合点」の位置を頭上の8番目のチャクラに持っていきます。
次に、「蛇」の領域である基底部のチャクラに移動、保持し、それを感じてから、また、8番目のチャクラに戻します。

同様に、次は、「ジャガー」の領域である2番目のチャクラに移動、保持して、戻します。

次に、「ハチドリ」の領域である眉間のチャクラに移動、保持して、戻します。

最後に、「イーグル」の領域である頭上のLEFの外にある9番目のチャクラに移動、保持し、戻します。
そして、自然全体とのつながりを体験します。


<聖なる空間を作る>

ヴィロルドは、「聖なる空間」の瞑想(魔術的な結界)を重視します。
治療を行う時にも、トランス的夢見の状態で異世界への旅に出る時にも、最初にこれを行います。

これは、東西南北の4方向と、母なる地球と、父なる空の、6つのスピリットを呼び出す方法です。
4つの方角の動物は、南が「蛇」、西が「ジャガー」、北が「ハチドリ」、東が「イーグル」です。

次に、頭上の8番目のチャクラに、小さな輝く太陽を視覚化し、手をそこに触れて、その光が体を包み込むように降ろします。

最後に「小さな死の呼吸」を行います。
これは、吸気、止気、呼気のそれぞれで7カウントしながら、7呼吸することで、心を落ち着かせる方法です。


<地下世界への旅>

ヴィロルドは、様々な目的で、地下世界の庭や部屋への旅を行い、ヒーリングのために利用します。
旅は、基本的には患者自身が夢見として行い、ヒーラーはそれをサポートします。

例えば、次のような旅です。

・パワー・アニマルを見つける旅
・原初のエデンへの旅
・4つの部屋への旅

それぞれの場所に行くには、地下世界の門番に行先を説明して案内してもらいます。
それぞれの場所では、観察し、感じたり、会話をして知識を得たりします。


ヴィロルドは、パワー・アニマルとは、しばしばその人の無視された部分や影の部分を象徴するもので、人を自然のままの状態につなげると言います。

その獲得方法は、地下世界の聖なる庭に行き、石の上に座って待っていると、パワー・アニマルが背後から近づいて来るのです。
パワー・アニマルとは、会話をして、連れて帰ります。


「原初のエデン(プライベート・エデン、聖なる庭)」は、偉大な母の命を与える子宮であり、癒しを与えてくれる場所です。
「エデン」は地下世界にあるとも、地下世界がそのまま「原初のエデン」であるとも考えられます。

「原初のエデン」に行ってそこを観察し、そこで安らぎ、そこの自然と会話をすることで、自分の失われた魂の部分、恵みや無邪気さを取り戻すことができます。


「4つの部屋」というのは、「傷の部屋」、「契約の部屋」、「恵みの部屋」、「宝物の部屋」の4つです。
これらは「エデン」の一部と考えられます。

「傷の部屋」は、最初に行くべき場所で、魂の一部が逃げてしまうような、深く埋もれた傷を発見する場所です。
どのような傷を受けているか、象徴的・演劇的に示されるかもしれません。

「契約の部屋」は、次に訪れるべき場所で、自分が作った魂の約束を発見する場所です。
その契約をした年齢の自分と出会い、その契約の説明を受けます。
それは、自分を苦しめるような約束なので、再交渉してこれを変更するのです。

「恵みの部屋」は、癒された魂の部分がある場所です。
ここには、完全な状態の自分がいますが、その自分は、年齢、性別が今の自分とは違った姿をしているかもしれません。
ここで、失われた魂の部分を取り戻した、調和の贈物を探します。

「宝の部屋」は、生活に役立つ贈物を獲得する場所です。
何らかの能力を伸ばしたい時に訪れます。
この部屋と贈物には、表面的なレベルのものから、深層的な(芸術的な)レベルのものまでがあります。


以上のように、様々な目的で様々な異界の場所へ夢見の旅に出るのは、ネオ・シャーマニストの中では、ハワイのフナのサージ・カヒリ・キングに似ています。


<過去と未来への旅>

ヴィロルドは、「過去」や「未来」への旅も行います。
これを過去や未来へ延びる「エネルギーの追跡」と呼びます。

未来への旅では、何らかの問題をかかえた患者が、癒された状態の自分、成功した自分を見ることで、癒しを得たり、あるいは前向きに創造的になります。

過去への旅では、病気や何からの問題の原因が発生した過去の体験に戻り、その原因を見つけます。
そして、それを受け止めることで、問題を解決するよう前向きになります。


Albert Villoldo Ph.D.
The Four Winds 



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ドン・ミゲル・ルイスのトルテック [現代]

ドン・ミゲル・ルイスは、カルロス・カスタネダ同様に、トルテックのシャーマニズムを継承していると主張している、ネオ・シャーマニズムの旗手の一人です。

ルイスの思想は、カスタネダの思想同様に、病気治療より精神の解放を目指すものであり、また、日常的世界観を幻と見るような、非実在論的なシャーマニズム(私の表現では「高等シャーマニズム」)です。

ですが、ルイスはカスタネダと違ってシャーマンの家系に生まれ、その著作で理路整然とした思想に基づいた実践を説いています。

とは言っても、彼の思想がどこまで伝統的で、どこからが現代的な影響のもとにあるもの、彼オリジナルなものであるのか、分かりません。

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<ルイスの歩み>

ドン・ミゲル・ルイスことミゲル・エンジェル・ルイス・マシアスは、1952年、メキシコの片田舎に生まれました。
祖父ドン・レオナルドはナワール(シャーマン)で、母マドレ・サリータはキュランデラ(ヒーラー)でした。

彼は医学部を卒業し、脳神経外科医になりました。
この間、ドン・エステバンという謎の呪術師からも学びました。

ですが、致命的な自動車事故にあって人生観が変わり、1980年から母の力を借りて先祖の教えを学ぶようになりました。
また、本人によれば、変性意識の中で世界の諸宗教を学んだそうです。

そして、1988年にテオティワカンでヴィジョンを得て、トルテックの伝統的な恐怖を解き放つプロセスを発見したそうです。
彼によれば、テオティワカンは、目覚めのために設計されたセンターでした。
テオティワカンの死者の通りは、恐怖を手放し、死への準備のプロセスを表現していて、死の川を渡ることから始まり、最後に、太陽のピラミッドで、自分の意図と太陽の意図を合一させるのです。

1997年に、アーティストのネルソン・メアリー・キャロルがルイスの教えを編集してまとめた「恐怖を越えて」、続いて、ルイスの最初の著作「四つの約束」が出版されました。
後者は、短くて分かりやすかったこともあって、アメリカの600万部のベストセラーとなり、一躍、有名人となりました。

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その後、ルイスは、「愛の選択」(1999)、「四つの約束コンパニオンブック」(2000)、「火の環」(2001)を矢継早に出版。

ですが、ルイスは、2002年に致命的な心臓発作を起こしました。
そして、自分の血統を息子のドン・ホセ・ルイスに引き渡しました。

ルイスは、その後も、「パラダイス・リゲイン」(2004)、「五つの約束」(2010、息子のホセ、ジャネット・ミルズとの共著)などの著作を出版しました。

そして、2010年、ルイスはロサンゼルスの病院で心臓移植を受け、現在はネバダ州に住んでいます。

もう一人の息子のドン・ミゲル・ルイス・ジュニアも、父を継承して活動しています。


<トルテック>

ルイスは、「トルテック」という言葉は、国家や種族を示す言葉ではなく、「知識を持つ者」という意味だと言います。
そして、その師のことを「ナワール」と呼ぶのだと。

「トルテック」はかつてテオティワカンにいて、その後、様々な流派が継承されていて、ルイス自身は、「イーグル・ナイト派」に属しているのだと言います。

かつて、第5太陽期という時代に、トルテックを率いたスモーキー・ミラーが、テオティワカンの太陽のピラミッドの地下にある洞窟に入り、自分達は皆、夢を見ているのだという教えを説きました。
その後、テオティワカンは北方からの侵入を受け、トルテックはトゥーラ(トルテカ)に逃亡しました。
トルテックの高僧は、ケツァルコアトル(ナワールの象徴)とスモーキー・ミラー(トナールの象徴)の二人から構成されました。

ルイスは、1992年に太陽光線の変化に気づき、第6太陽期が始まったと考えました。


ルイスは、あるがままの自分を受け入れる「愛」の思想をベースにして、精神の解放を目指すことを説きます。

ルイスの使う概念は、少し意味は違いますが、その多くがカスタネダと共通しています。
その中のどれが共通するトルテックの伝統に基づくものであり、どれがカスタネダからの影響なのか、分かりません。
カスタネダの影響があるとしたら、ルイスはそれを自分流に解釈しています。

ですが、ルイスは、カスタネダと違って、霊視やテレポート、エネルギー・フィールドや「集合点」の移動、明晰夢としての「夢見」の技法については、ほとんど説きません。


<宇宙論・人間論>

まず、「四つの約束」、「恐怖を越えて」を中心にして、ルイスの宇宙論、人間論を簡単にまとめます。

宇宙の存在はすべて、神の顕現であり、「光」で作られている一つの生命であり、「光」は生命の使者です。

星は「トナール」と呼ばれ、星間の光は「ナワール」と呼ばれます。
両者の空間を作っているのが「生命」であり、これは「力」であり、「意図」とも呼ばれます。
「生命」は「トナール」と「ナワール」の組み合わせで出来ています。

人間は太陽の子であり、太陽は人類に進化上の変化を引き起こすためのメッセージを送る存在です。

人間の知覚は、「光」を感受している「光」です。
ですが、物質は「光」を反射する「鏡」であり、「光」によってイメージ、幻影が作り出されます。
「夢」は「鏡」を覆う「煙」や「霧」の壁のような存在です。
人間は誰もが「夢」を見ていて、そのことに気づいていません。
人間は「煙に覆われた鏡」なのです。

人間は、他の人間から与えられた「夢」に「合意」してそれを受け入れます。
こうして「信念システム」が生まれ、人間は「飼い馴らし」の状態になります。

「信念システム」は、人間の心を支配する「法の書(地獄の書)」です。
人間の心の中には、これによって自分を裁く「裁判官」がいます。
そして、その有罪判決を受け取り、罪、恥、責めの意識、恐怖の感情を持つ「犠牲者」がいます。
「犠牲者」は「人身御供」であるとも言えます。

これら3つが「パラサイト(寄生虫)」を構成しています。
「パラサイト」は、エーテル・エネルギーである恐怖・怒り・悲しみなどの感情を食料としていて、「恐怖の夢」、「地獄の夢」を作り出します。
その混乱した夢は、「ミトーテ」とも呼びます。

この状態から解放されるには、「合意」に抗する新しい「約束」をすることが必要です。
これによって、「恐怖の夢」を、新しい「愛の夢」に作り変えることができます。

「約束」を実行する人間を「戦士」、「狩人」と呼びます。
「戦士=狩人」は、「愛」に基づく新しい「合意」によって、「パラサイト」という獲物を追跡して、それと戦う存在です。

「パラサイト」は「盟友」とも呼ばれますが、彼らに勝つことができると、彼らは本当の「盟友」になります。


<五つの約束>

ルイスは、「四つの約束」で精神の解放のための4つの原則(約束)を示し、後の「五つの約束」では、一つ増やしました。

1 正しく言葉を使う
2 何ごとも個人的に受け取らない 
3 思い込みをしない
4 つねに全力を尽くす
5 疑い深くある、しかし、耳を傾ける

1は、言葉は創造を行う魔術的な存在なので、自分を裁く方向ではなく、あるがままに肯定し、それを愛する方向で言葉を使うという約束です。
自分を呪う言葉を使わないことによって「黒魔術師」から「白魔術師」になれます。

2は、他人が自分を批判しても、それは彼らの問題(合意)であって、自分には関係ないと思う約束です。
批判は自分の心の中から来る言葉であっても同じです。
それは、実際には外部(パラサイト)から来る声なのです。

これを守ることによって、誰にも傷つけられずに、また、誰にも愛していると言うことができます。

3は、特に他人の気持ちに関して、思い込みをしないという約束です。
コミュニケーションを取って確認することで、思い込みをなくすことが重要です。

4は、約束を常に実行することであって、それによって、今、ここを生きることです。

5は、言葉の背後の真実を見て、自分自身も含めて何も信じなという約束です。

言葉を越えた知識は、信じる必要がないもので、「沈黙の知識」と呼ばれます。
それはあるがままの真実を「観る」ことであり、自分自身を「観る」ことです。


<3つの技術・ステップ>

「戦士」となり「約束」を実行するためには、3つの技術、ステップが必要です。

1 気づき :思い出し、自覚する
2 変容  :夢を変える技術、アクション・リアクションを変える
3 愛・意図:死を受け入れて、あるがままを肯定する

カスタネダとの比較で言えば、これらはカスタネダの言う「忍び寄り(ストーキング)」、「夢見」、「意図」の3組に対応させることができます。


1の「気づき」の技術は、古い「合意」が自分の中で働く度に、それによって恐怖が起こる度に、それに気づくことです。
この気づきを「第二の注意」と呼びます。

そのためには、自分の中の「アクション-リアクション」に気づく必要があります。
例えば、古い合意に基づいて自分を裁くことが「アクション」です。
それに基づいて、自分自身を罪人と見做すことが「リアクション」です。

また、この「気づき」には、各自が内部に持っている、言葉以前の「沈黙の知識」への気づきという意味もあります。


2の「変容」の技術は、「パラサイト」が喜ぶような、恐怖の感情を止めることです。

そして、新しい約束に基づいて、あるがままの自分を取り戻し、「恐怖の夢」を新しい「愛の夢」に作り変えることです。


3の「意図(愛)」の技術は、象徴的な死によって「パラサイト」を殺すことです。
これは、「死のイニシエーション」とも呼ばれ、「死の天使」に直面して降伏し、無執着の状態になることです。

「意図」というのは、宇宙(神)の「生命」、「力」のことであり、「愛」でもあります。
「意図」の技術は、神と一つになり、どの行為の中にも神が存在するようになることを目指します。

「意図」の技術は「愛」の技術です。
ルイスは、「愛の選択」で、「愛」の性質について、義務がない、期待がない、尊敬に基づく、同情しない、責任を持つ、常に優しい、無条件である、と書いています。

「身体的養生法」と表現される身体に関する瞑想的方法も、「愛」の技術でしょう。
この方法の中心は、生きている喜びを感じ、自分の肉体に対して感謝し、献身の愛を捧げます。

また、体の各部分に溜まった感情を解放し、それによって、チャクラを流れるエネルギーを調和させます。

そして、「火の呼吸法」と呼ばれる呼吸法では、吸気と共に、空気が太陽→松果腺→脊髄基底部→地球と降りてくると観想します。
そして、これに地球が答えて、呼気と共に、地球→脊髄基底部→松果腺→太陽と戻っていくと観想します。

他人に関しては、たとえ自分を傷つけた者でも「許す」ことが重要です。
「許す」ことは、自分の心を癒やすことにもなります。


<変容のための2つの方法>

夢を変容させるための方法が2つあります。
ルイスは、それぞれの方法を、上記の特定のステップに関連させて語ることがありますが、実際にはそれぞれの方法を完全に行えば、そこに3つのステップがあるハズです。

1 棚卸し(要約):夢見の技術、イーグルの技術、過去に関わる
2 ストーキング :生きる技術、ジャガーの技術、現在に関わる


1の「棚卸し」は、過去の記憶を思い出して、再体験する方法です。
この点では、「気づき」の技術ですが、それだけではなく、体験を捉え直して変容させることが必要です。

「棚卸し」では、自分のすべての「合意」、「信念」を調べることになります。
この作業は、比喩的に「砂漠に行って悪魔と対面する」とも表現されます。

ルイスの「棚卸し」は、カスタネダが言う「反復」に対応する方法です。
カスタネダの方法と同じように 知人一人ごとにリストアップして思い出します。

また、カスタネダ同様に、呼吸法を使います。
「愛」を思い浮かべて呼吸をしながら、記憶を捉え直し、心の傷を清めます。
こうして、未処理になっていた感情のひっかかりを、見直して解放するのです。

「棚卸し」に慣れると、これを自動的に行えるようになり、さらには、夢の中でも行えるようになります。


2の「ストーキング」は、常に自分の思考、行動、反応に対して自覚し、それらを変えていくという、現在に関わる方法です。

これには2段階があって、まず、個人の夢を対象にし、次に、社会や人間全体の夢(惑星の夢)を対象にします。

「ストーキング」は、カスタネダの文脈では「忍び寄り」と訳されているものです。
カスタネダはこの言葉を多義的に使っていますが、ルイスは、一つの意味に明確化し、彼の思想の中に位置づけています。


<3つの注意の夢>

ルイスの方法は、夢を変容させていきますが、夢を3つの段階で区別します。

・第一の注意の夢:犠牲者の夢(地獄の夢)
・第二の注意の夢:戦士の夢(戦いの夢)
・第三の注意の夢:達人の夢(天国の夢)

「第一の注意の夢」は、普通の人間が昼夜に見ている夢(世界認識)であり、自分が夢見ていることに気づかずに見る夢です。

「第二の注意の夢」は、自分の夢を自覚して、それを変える戦いの夢、変えた新たな夢です。

「第三の注意の夢」は、戦い終えて、あるがままの自分を受け入れた夢です。
これは「愛と喜びの夢」であり、神・意図・宇宙に従った夢です。
これによって、自分が宇宙と一体であることに気づきます。


<心臓の炎の瞑想>

ルイスによれば、「ナワール(シャーマンの師)」は、意志の内部に、太陽の複製を発達させる人間です。
その太陽は「黒い太陽」と呼ばれます。

また、「四つの約束」の最後に、「愛の祈り」という瞑想のヴィジョンが掲載されていて、その中に以下のような部分があります。

それによれば、頭から美しい光を放つ一人の老人が、胸を開いて「心臓」から美しい「炎」を取り出して、私の「心臓」に入れました。
その「炎」は彼の「愛」だったので、私は「愛」を感じました。
その「炎」は燃え上がり、「愛」は成長して、私はすべてを愛し、愛されると感じるようになりました。

マヤ=トルテカ系には、第二の「神化された心臓」を作るという世界観があります。
また、主神のケツァルコアトルは、自分の心臓を燃やして金星になりました。
上記の祈りの瞑想ヴィジョンには、こういった伝統が取り込まれているようです。


ドン・ミゲル・ルイスWEB SITE

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カスタネダのドン・ファン・シリーズの思想 [現代]

カルロス・カスタネダとドン・ファン・シリーズ」に続くページです。
このページでは、カスタネダのドン・ファン・シリーズ(以下「シリーズ」)の思想について、いくつかのテーマを取り上げます。

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<宇宙論、人間論>

最初に、シリーズの宇宙論、人間論を簡単にまとめます。

宇宙には「光の繊維」のような「エネルギー・フィールド」があって、「イーグルの放射物」と呼ばれます。
「イーグル」は一種の神であって、意識を持った「力」であり、「無限」と呼ばれる存在です。
「光の繊維」も、意識を持った生きた存在で、振動しています。

放射物には「大きな帯」と呼ばれるまとまりが全部で40あります。
その内、意識を持つものが8つあります。
8つの中で、「有機的存在」が1つ、「非有機的存在(肉体を持たない存在)」が7つあります。

有機的な生物は、「イーグルの放射物」の一部を包み込んだ「光る球(繭、卵)」のような「エネルギー・フィールド」を持っています。
意識は、この「光る球」の中の輝きです。

「イーグル」は、生物が死んだ時に、その意識(人生体験)を吸い取ります。
つまり、宇宙(イーグル)は我々を使って自己認識するのです。
ですが、「反復(総括)」という方法によって、人生体験の記憶を再体験して複製を作り、それを食べさせることで、死を越えて意識を保ち続けることができます。

人間の「光る球」の表面には、知覚を司る「集合点」があって、これを移動させると、それに応じて、異なる意識の状態、体になり、異なる世界を知覚します。
このように、人間は本来、ミクロコスモスであって、様々な意識状態を持っています。

ですが、人間は、宇宙を旅していて地球に立ち寄った時に、「捕食者」と呼ばれる「非有機的存在」に捕まりました。
そして、「集合点」を固定され、人間の意識は、地球上の日常的な意識状態(トナール)に限定されてしまったのです。
ですが、「内的沈黙」などによって「捕食者」を追い払うことができます。

人間は、「夢見」の技術などによって、「集合点」を移動させ様々な世界を旅して、意識の全体性を獲得すると、「光る球」の内部にあるすべての「イーグルの放射物」が燃えて「内からの炎」となって、「無限」の活動的な面へ融解します。


ちなみに、第6作「イーグルの贈物」で、カスタネダは、ドン・ファン達が別の世界に旅立つ時に、空に光の線を見て、トルテカの祖神でもあるケツァルコアトルを連想しました。
ケツァルコアトルは自らを火葬して、あるいは、心臓を燃やして、天の昇る鳥蛇の神であり、金星神、神官王です。
ですが、シリーズの物語の他の部分には、ケツァルコアトルなどの神話との類似性はさほどありません。

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<盟友、観ること>

シリーズの第一作「ドン・ファンの教え」、第二作「分離したリアリティ」で、カスタネダは、メスカリト(ペヨーテ)、デヴィルズ・ウィード(ダツラ)、「小さな煙」(マジック・マッシュルーム)という3つの「力の草(幻覚性植物)」を体験しました。
そして、それぞれのスピリットと出会い、関係を築いて、受け入れられました。

メスカリトは、正しい生き方を教える保護者的存在とされるので、その性質は一般に「守護霊(ガーディアン・スピリット)」、「指導霊(ティーチング・スピリット)」と呼ばれるものに近い存在です。

デヴィルズ・ウィードと「小さな煙」は、力と助言、変身・飛翔能力を与えてくれる存在で、ドン・ファンは「盟友(ally)」と呼んでいますが、これは一般に「パワー・アニマル」や「援助霊(スピリット・ヘルパー)」と呼ばれるものに近い存在でしょう。

ドン・ファンは、デヴィルズ・ウィードは呪術的な力を与えてくれて、強力だけれど、危険で人間を歪めてしまうと言います。
ですが、「小さな煙」は、「本当の盟友」であり、「観る者」のための存在であると言います。

幻覚性植物をこのようなスピリットと見做すことが、このシリーズの特徴です。
ちなみに、マイケル・ハーナーも、複数の部族の幻覚性植物を扱うシャーマンから学んでいますが、彼は幻覚性植物をスピリットとして扱いません。

ただ、後のシリーズで明らかになりますが、「盟友」というのは、「力の植物」だけに限定されず、非日常的リアリティ(後述する「ナワール」)の一部であって、何らかの力や知識をもたらす存在です。

また、シリーズ後半では、「盟友」は「非有機的存在」の一種であって、実際には、援助者でも人格的存在でもなく、利己的な力だとされます。


ドン・ファンは、「観る(see)」という言葉を特別な意味で使います。
これは単に「見る(look)」のとは違って、「盟友」や人間の霊体などの非日常的リアリティを霊視することです。
場合によっては、日常的リアリティと非日常的リアリティの両方をその外から理解することとしても使われます。

最初は、「観る」ことは「力の草」の力を借りて行われますが、シリーズが進む中で、その力なしに「観る」ことが求められるようになります。


<しないこと、内的沈黙>

カスタネダは、「力の草」の摂取を通して、非日常的リアリティの体験をするようになりましたが、その体験を個人的な空想と見て、日常的リアリティを疑わない世界観をなかなか手放すことができませんでした。

カスタネダは、第一作の「ドン・ファンの教え」の謝辞に、メイガンと共に、ハロルド・ガーフィンケルの名前をあげています。
ちなみに、最後の第11作にも二人の名前をあげています。

社会学者のハロルド・ガーフィンケルは、1967年に「エスノメソドロジーの研究」という書を出版し、現実は相互主観的に形成されるという説を提唱しました。
ガーフィンケルは、UCLAで講義を行っていて、学生に、日常生活の会話の中で、当たり前とされる常識を疑問視するような実験をさせました。
彼は、この作業を「破れ目を作る」と表現しました。

「エスノメソドロジーの研究」が出版されたのは、物語ではドン・ファンによる修行がかなり進んでいた時期に当たりますが、第一作の「ドン・ファンの教え」が出版される前年に当たります。

ドン・ファンは、シリーズの最初から、カスタネダとの会話で、「破れ目を作る」ような話し方をしています。

第8作「内からの炎」では、ドン・ファンは、周りの人間との対話が内在化された「内側のお喋り」によって「集合点」、つまり、特定の意識の状態が固定されると語ります。
これは、ガーフィンケルの思想とほとんど同じです。

第3作「イクストランへの旅」以降、「しないこと」と総称される方法が、非日常的リアリティ(ナワールの世界)に入るための方法として、重要なテーマとなります。
「しないこと」は、日常的世界観を構成する言語的・合理的認識、社会的な人格を停止することなので、「破れ目を作る」と同じ方向を目指しています。

その中でも、日常的な言語的な認識世界を停止させることは、「世界を止める」と表現されます。
具体的な方法は、「内的対話を止める」ことであって、「内的沈黙」です。

また、瞬きしながら焦点を合わさずに何かを見ることも、「しないこと」の一種です。
また、前を見ながらも、焦点を合わさずに、前かがみで歩くことは「力の歩行」と呼ばれます。


「履歴を消す」と呼ばれる方法も、「しないこと」の一種でしょう。
一般に、「履歴」は社会的人格を定義づけるものですが、これはそれを否定する方法です。

ですが、これは単なる方法ではなく、「戦士」の道を歩むことを決断して、一種の出家をすることです。

「履歴を消す」では、従来の人間との交流を精算して、断つことになります。
友人達には、全財産を使って贈り物をしながら、彼らに関する停滞した感情や記憶、恩義を精算するのです。

「履歴を消す」ことは、日常的人格(トナール)を掃除し、整理する方法だとされます。
これには、「自尊心を捨てる」、「責任を負う」、「死を助言者にする」などの要素があります。

この出家は、「内的沈黙」を初めて体験することが、きっかけとなり、これは「破壊点」と呼ばれます。
これを経て、「内的沈黙」の核を作り、蓄積していくことが、重要な修行となります。

「内的沈黙」は、仏教的に言えば、「空」の智恵、「無分別知」に当たります。
「破壊点」は、仏教において、初めて「空」を理解する見性体験に当たり、これを経て「聖者」の段階の修行の道に至ることと似ています。


<呪術師の説明、トナールとナワール>

第4作「力の話」では、「呪術師の説明」と呼ばれる呪術師の世界観が説かれます。

中でも注目すべきは、「トナール/ナワール」や「第一の力の輪/第二の力の輪」、「第一の注意力/第二の注意力」という2項の組の説明です。

そして、「理性」、「会話」、「感覚」、「夢見」、「観ること」、「意志」、「トナール」、「ナワール」という、知覚に関わる「8つの点」が人間にあると言います。

「8つの点」は、「知覚の泡」を構成していて、生まれた時は開いていますが、徐々に閉じてしまいます。
呪術師は、これを開くことによって「全体性」を見るのです。

「第一の力の輪」、「第一の注意力(トナールの注意力)」は、「理性」、「会話」が関わり、一般人の通常の意識状態を作ります。
「第二の力の輪」、「第二の注意力(ナワールの注意力)」は、「意志」が関わり、呪術師の「高められた意識状態」を作ります。

「意志」というのは盲目的なエネルギーであり、これを目的を持って導くことが「意図」とされます。
「意図」は「無限」の活動的な側面であり、シャーマンは最後に、宇宙的な「意図」に融合することを目指すのでしょう。

「理性」は、「感覚」、「夢見」、「観ること」と間接的につながります。
一方、「意志」はこれら3つと、「トナール」、「ナワール」と直接つながっています。


「トナール」という言葉は、一般的には、日常的世界での運命を司る占星学的な動物であり、守護者です。
ですが、ドン・ファンは、まず、「社会的人格」の意味で使います。
また、「身体」だとも、「監視人」、「我々が知っているすべて」、「検問所」とも語っています。
そして、「ナワール」を抑えて、気づかせない存在だと。
つまり、我々にとっては、物質世界の日常的リアリティに関わるものです。

「ナワール」という言葉は、一般的には、「パワー・アニマル」やシャーマンを意味します。
ですが、ドン・ファンは、「社会的人格」以外の部分の意味で使います。
「力のたむろするところ」、「創造しうる唯一の部分」とも語っています。

また、シャーマンのリーダーや、リーダーだけが持つ特別な霊体の意味でも使われます。

そして、「トナール」は「島」、「ナワール」はそれを取り囲む「海」のイメージで喩えられます。

「トナール」は一つの世界の見方であり、一つの日常的リアリティですが、「ナワール」は単なるもう一つのリアリティではなく、「説明できない」、「未知」、「無限」の神秘、「意識の暗い海」なのです。

つまり、「トナール」は知覚が閉じた状態ですが、「戦士」はこれを停止させて、無限の「ナワール」へ飛び込んで行くのです。


最終作「無限の活動面」では、カスタネダがロルカ教授に心頭し、ドン・ファンの教えとの間で揺れ動いた話が出てきます。

ロルカ教授は、すべての生物、文化などが固有の「認知システム」を持っていると考えます。
そして、文化人類学が個々の文化の「認知システム」を十分に理解してそれを抽出できでいないと批判し、カスタネダに、呪術師のそれを抽出することを期待しました。

ですが、ドン・ファンは、「呪術師の説明」をそのように考えてはいけない、呪術師はそもそも別のリアリティ(宇宙のエネルギー・フィールド)を認識の対象として、それをそのまま説明していると語りました。
つまり、ドン・ファンによれば、「トナール」は個々の「認知システム」ですが、「ナワール」に関する呪術師の説明は違うのです。

ですが、カスタネダは、著書の序文などで、もう少し曖昧な、呪術師の「認知世界」という言葉を使っています。
また、「シンタックス(統語論)」という言葉も使っています。
この呪術師の「シンタックス」と思えるものについて、「強度の多様性を事実として受け取れと要求する」、「宇宙そのものは強度の遊覧車」と説明しています。


中沢新一は、シリーズが描く呪術師に関して、「「人類学的呪術師」の範疇を大きく逸脱し…東洋の神秘思想家の側に接近する」(「孤独な鳥の条件」1982)と評価しました。
「人類学的呪術師」というのは、人類学が日常的リアリティに基づいて、その非日常的リアリティの意味を解釈するような存在です。

また、ネオ・シャーマニズムのマイケル・ハーナーも、2つのリアリティを各々に認め、自分の日常的リアリティを変える必要はないと主張します。

ですが、シリーズは、日常的リアリティを一種の幻として相対化する一方、非日常的リアリティに関しても、無限の相を持った「力」として存在するものであると捉えます。

カスタネダは、このような非実体主義的哲学を持ったネオ・シャーマニズムの潮流を作ったのかもしれません。
ドン・ミゲル・ルイス、サージ・カヒリ・キングらは、おそらく、カスタネダの影響を受けているのでしょう。


<忍び寄り、反復>

「戦士」は、別のリアリティの自覚的な認識である「第二の注意力」を学びます。
「第二の注意力」という言葉は、単に主体的な注意力だけではなく、それが体験する世界をも表現します。
その中心的な技法には、「忍び寄り」、「夢見」、「意図」の3つがあります。

ドン・ファンが語る「忍び寄り」は、抽象的で多義的な概念です。

ドン・ファンは「忍び寄り」の具体的な方法としては、「不要なものは捨てる」、「戦士は戦場を選ぶ」、「単純に考えて集中する」、「恐怖を捨ててリラックスする」、「手に負えないものからは撤退する」、「時間を圧縮する」、などがあると語ります。

「忍び寄り」の本質は、「行動を体系的にコントロールすること」、あるいは、「非日常的な経験で特殊な精神状態に追い込むこと」であるとも語ります。

「忍び寄り」は「狩人」と関係します。
「狩人」は獲物を追うために、獲物の行動パタンを理解します。
逆に、猛獣に追われないためには、自身の行動パタンを固定しない必要があります。

つまり、「忍び寄り」では、思考・行動パタンを自覚すること、それを操作することが重要です。

ですが、シリーズ後半では、「忍び寄り」は、「集合点」の場所を固定する技術だとか、「非有機的存在」の世界からエネルギーを得る技術とされるようになります。


自分の人生を振り返る「総括(要約・概括)」と「反復」の2つ方法も、「忍び寄り」と関係した技法です。

「総括」は、「アルバム作り」とも表現され、人生の記憶すべき出来事を思い出して、順序立てて克明に語る(理解する)ことです。
「戦士」の道を歩む者にとって重要な節目となるような象徴的な出来事を振り返ることで、細かな出来事の流れの下に潜む大きな構造、「無限」の作用の本質を発見するのです。

一方、「反復」は、多くの体験を思い出して追体験することですが、これは、感情を吟味し、体験を整理し、再検討することにもつながります。

「反復」には、2つの方法があります。
1つ目は、出会った人の一覧表を作り、一人ずつ、現在から過去へと出来事を思い出します。
2つ目は、順番なしに心に浮かぶ順に行う方法です。
後者では、隠れた感情が現れたり、ジグソーパズルを作り上げるようなものになります。

「反復」では、「出来事を扇ぐ」と表現される呼吸法によってエネルギーを与えながら、それを再体験します。
具体的には、呼気の時に頭を右から左に動かして、記憶の風景のエネルギーを吸い込むとイメージし、吸気の時は左から右に動かして、外来のマイナスのエネルギーを放出します。

「反復」は、ゴミのような記憶を表面へ浮かび上がらせて、閉じ込められていたエネルギーを解放する方法です。
これによって、新しいものを心の中に入れることができるようになります。

「総括」や「反復」は、自由な「夢見」へ至る道です。
また、先に書いたように、「反復」は、人生体験の複製を作り、イーグルにこれをだけを吸収させることで、死を回避して、自由を得ることができるとされます。


ドン・ミゲル・ルイスは、「反復」を「棚卸し」と表現し、体験を肯定的思想で捉え直す方法として進化させました。

「反復」によってエネルギーを解放して不死に至るという思想は、煩悩をなくして涅槃に至るというインド的思想の、シャーマニズム版のように思えます。


<光の球、集合点の移動>

最初に書いたように、宇宙には「光の繊維」のようなエネルギー・フィールドがあって、その一部が「光の球」のような人間のエネルギー・フィールドになります。
「光の球」には知覚に関わる「集合点」と呼ばれる存在があります。

「集合点」を移動させると、そこに異なるエネルギー繊維が通り、それに対応する外部のエネルギー・フィールドを知覚します。
そのため、「集合点」を移動させると、それに応じて、異なる世界が知覚され、また、意識や体の外形も変化します。

左に移動させると、そこは幻想や普通の夢の領域になりますが、おそらく大きく移動させると、人間の形をなくしていきます。
下に移動させると、そこは動物の領域です。
外に移動させると、人間のかけらもない想像もつかない領域になります。

「戦士」の道の目的は、「集合点」をあらゆる場所に移動し、その知覚・意識状態を体験して、人間の「全体性」に到達することです。

注意力を発達させると、意識の輝きは表面から内部の放射物に伝達されます。
「第一の注意力」は、球の表面で輝きますが、「第二の注意力」は球の内側で複雑に輝きます。
また、全体意識を獲得した状態は「第三の注意力」と呼ばれ、球の内側にあるすべての「イーグルの放射物」を燃やして「内からの炎」が輝きます。
その状態で、意識を全開にすると、外部の放射物と融合して、「無限」へと滑り出していきます。


通常の意識の人間の「集合点」は、右肩甲骨の後ろ当たりにあります。
ですが、「高められた意識状態」では、内側に移動しますので、一見すると左側に移動するように見えます。

「集合点」の位置を固定することは、その「世界を組み立てる」と表現されます。
すると、体ごと(肉体を変換して)その世界に入っていくことができるようになります。

特別な能力を持ったシャーマンは、他人の「集合点」を打撃して「光る球」をへこませることで、一時的に内側に移動させ、「高められた意識状態」にすることができます。
ですが、この状態での体験は、記憶していることができません。

カスタネダは、一時的なこの「高められた意識状態」で、様々な体験をして、ドン・ファンから教えを受けました。
これらの教えは「左側の教え」と呼ばれ、これらを思い出すことが、ドン・ファンと別れてからの重要な課題となりました。


伝統的なトルテカ(トゥーラ、テオティワカン、マヤ)の世界観では、人間の体の中にも一種の世界樹があり、そこを「天の雫」と呼ばれるエネルギーが昇降しますが、シリーズには、そのような身体観は語られません。


<無限への飛び込み、自己の分解>

カスタネダは、ドン・ファンが去る前に、最後の課題として、「深淵への飛び込み」を行いました。

第4作「力の物語」で、カスタネダは、ドン・ファンとドン・ヘナロによって、断崖から渓谷に何度も飛び込まされました。
谷底の様子をしっかりと見ることができるかどうかが課題です。

そして、二人が去った後には、一人で飛び込みました。

この「深淵への飛び込み」は、「ナワールへの飛び込み」です。
そしてこれは、「知覚の泡を開く」ことであり、「知覚の翼を広げる」ことです。

飛び込みは、「トナール」や肉体から「ナワール」や「分身」を分離して飛び込んだと読める部分と、肉体のままに飛び込んで次元を移動したと読める部分があって、よく分かりません。

いずれにせよ、カスタネダは、飛び込むことで、「トナール」と「ナワール」を分離して、2つの意識の間を行き来したり、同時に2つの意識を体験しました。

「ナワール」の意識状態では、カスタネダは、自分の知覚や感情などがバラバラになって漂う体験をしました。
そして、自分が、それらの統合体であることを知りました。

また、最後に一人で飛び込んだ時は、肉体で飛び降りて、「集合点」の移動・固定をして、別の世界を組み立てて、この世界から脱出し、その後、再度、「集合点」を移動させて、この世界の違う場所にテレポートする形で戻ったようです。


伝統的なシャーマンは、イニシエーションの飛翔体験の時に、肉体をバラバラに解体され、再構成される体験します。
身体的要素に分解されるか、知覚的要素に分解されるかの違いはありますが、「トナール」に飛び込む体験は、このイニシエーションのヴィジョンのカスタネダ版のようです。


<夢見、意識の暗い海の旅>

「夢見」は、「第二の注意力」の3大技法の一つで、「ナワール」の究極的な用途です。
「夢見」から覚めても「第二の注意力」から離れずに、この世界で別のリアリティを認識することもできます。

「夢見」は、通常の夢を自覚する明晰夢を出発点としながら、様々な意識状態でそれに対応する世界を訪れる技法です。
「夢見」は、「意識の暗い海の旅」と呼ばれる体験へ導きます。
これは、「内的沈黙」が「無限」に従った「意図する行為」によって、異世界を旅することです。

「夢見」は、様々な場所へと「集合点」を移動させることで、一方、「忍び寄り」は「集合点」を固定させることです。
特定の場所に固定したままの状態で、目覚めることできます。


第6作「イーグルの贈物」では、カスタネダが「夢見」の初歩的な4つの手順を語ります。

1 静的な不眠 :五感は眠り、赤い掛かった光の洪水を見る
2 動的な不眠 :3次元の絵として見る
3 受動的な目撃:出来事として観察する
4 動的な活動 :自分で行動する

また、第9作「夢見の技法」では、「夢見」の上達の段階として「7つの門」があるとされ、その内の4つが語られます。

第1の門:眠る直前の感覚を自覚する
第2の門:夢の中で別の夢から目覚める
第3の門:現実の寝ている肉体の自分を見る
第4の門:夢の体で、様々な場所に行く

「第1の門」の通過では、「エネルギー体(霊体)」に眠りに落ちるのを気づくように「意図」することが重要です。

夢の中で自覚を保つためのテクニックは、まず、夢の中で、手を見ることから始めます。
次に、周りの様々なものに視線を移してはまた手に戻しを繰り返して、あらゆるところに焦点を合わせるようにします。

このように、夢の中の対象に集中したり、夢を変えることができるようになると、「集合点」を夢の場所に固定することができます。
この場所は「エネルギー体」を生み出し、強化する場所です。

「第2の門」を通ると、肉体を持たない生命である「偵察」や「非有機的存在」との対決が必要になってきます。

我々の夢の中には、「非有機的存在」が「偵察」を送ってきているのです。
普通の夢には「偵察」が多く入り込んでいるために、無意味な内容になっています。
「夢見」で夢を変えたり、「偵察」に集中することで、「偵察」を見つけることができます。

「偵察」を見つけて、それを追うという「意図」を叫ぶと、その「非有機的存在」の世界に入っていけます。
ですが、彼らは攻撃的で、また、彼らの世界に引き込まれ、閉じ込められる危険があります。
それに抗して強さを示し、様々な世界をよく調べることで、「第3の門」に至ります。

「第3の門」を通ると、「エネルギー体」を成長させることが望まれます。
これを行うには、「反復」によってエネルギーを解放して、それを「夢見」に向けることが必要です。

「エネルギー体」を成長させて、「エネルギー体」でエネルギーを見ることが課題となります。
これができるようになると、夢の中で、単なる個人の空想ではない、エネルギーを発する現実の存在を見ることができるようになります。
また、日常の中でも非日常的リアリティを観ることができるようになります。

「集合点」を移動させるには、「非有機的存在」の領域からエネルギーを得る必要があります。
これを「忍び寄る者に忍び寄る」と言い、「第3の門」の最後の課題となります。

さらには、高度な方法としては、「意識」自体を環境エネルギー的要素として使うことで、他の世界に入ることもできます。

「第4の門」を越える方法は、「第二の注意力」のなかで「意図」することです。
これを「意図の翼で飛ぶ」と呼びます。

「第4の門」で訪れる場所には3種類あって、第1には、我々の物質世界のどこか、次に、違う世界のどこか、最後に、他人の意識の中です。


伝統的なシャーマニズムでは、異世界は、天上、中間、地下の3領域からなります。
トルテカの伝統的な世界観もそうで、天上は14層、地下は9層で考えられ、それらを世界樹がつないでいます。

ですが、シリーズでは、以上のように、位置関係のない多数の世界が語られます。
マイケル・ハーナーは、カスタネダが、中間世界を出ることができなかった、と批判しました。

また、伝統的シャーマニズムでは、異世界に敵対的なスピリット以外に、友好的な守護霊(ガーディアン・スピリット)や援助霊(スピリット・ヘルパー)がいます。
ですが、ドン・ファンは、それは誤解であって、「非有機的存在」は援助してくれる人格的存在ではなく、利己的に見える力であると言います。

ただ、他のネオ・シャーマニズムと類似する点もあります。
第3作「イクストランへの旅」では、夢見の中でやってくる場所を見つけるという課題が出されます。
これは、実際に存在する場所で、カスタネダの場合は、ある丘でした。
ドン・ファンは、ここは「力」と出会い、秘密が明らかにされる場所であり、死ぬ場所であり、死ぬ前にそこで踊る場所だと言います。

それ以上に詳しい説明はしていませんが、これは、カヒリ・キングやアルベルト・ヴィロルドが言う「内なる庭」、「聖なる庭」と似た性質があるようです。
これは、自分の潜在意識と対話し、力のやり取りを行う場所です。


<捕食者>

最終作「無限の活動面」には、「捕食者」という概念が初めて出てきます。
彼らは「飛ぶ影」のように観えます。

「捕食者」は、人間の「感情」を食料とする精神的存在で、人間の中に「頭の中で喋り続ける声」、愚かな「信念体系」などを埋め込んで、人間を飼いならし、自己中心的な生き方を強います。
人間の信念体系や感情、自我意識などは、この「捕食者」に由来する「外来装置」なのです。

また、宇宙スケールでは、人間は旅の途中で立ち寄った地球で、「捕食者」に捕まったとも言います。

第9作「夢見の技法」で、「夢見」で訪れた異界への「集合点」の固定が強力だと、自分がどこから来たか忘れてしまい、その世界に捕らわれてしまうという話が説かれました
ですが、本当は、人間は地球に固定されて、本来の来た場所を忘れていしまっていたのです。

「捕食者」は、人間の「光る球」を覆う「光る上着」を食料としていて、それを食べているので、「光る上着」は、足の指の細いへりの部分だけしか残っていません。
そのへりは、意識の内省の部分であって、「捕食者」はそこにつけ込んで意識の炎を作り出してそれを食べています。

人間は「内的沈黙」によって「光る上着」を飛ぶ者の口に合わなくして、「光る球」の振動をコントロールすることで、「捕食者」は逃げ去ります。
そして、「光る上着」は成長をしてもとに戻ります。


「捕食者」の考え方は、ドン・ミゲル・ルイスが言う「パラノイア」とほぼ同じです。
ただ、ルイスには、「エネルギー・フィールド」の観点からこれについて述べませんが。

ルイスの「パラノイア」の方が初出が早いので、カスタネダがルイスの影響を受けた可能性もあるでしょう。
もちろん、二人ともトルテックのシャーマニズムを継承すると言っていますから、それが起源であると、素直に考えることもできますが。

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