グノーシス主義の思想 [ヘレニズム・ローマ]


ローマ時代には、アレキサンドリアやエルサレムをはじめとして、多くの都市、民族がローマに従属したこともあって、反ローマ的、反体制的な神秘主義思想であるグノーシス主義が生まれました。

このページでは、グノーシス主義の思想、神話などの特徴を総論としてまとめます。
グノーシス派の思想・神話は多様ですので、あくまでも、典型的と思える例を中心にします。
個々の詳細に関しては、別ページをご参照ください。


<グノーシス主義の反宇宙論と三層論>

ローマはヘレニズム世界の宇宙論を共有していて、天球世界は聖なるものという星辰信仰を持っていました。
そして、地上世界のローマによる秩序は、天球世界が保証していました。

グノーシス主義は、この宇宙、つまり、ローマが崇拝する星の世界やローマが支配する地上世界は、悪神によって創造されたとする「反宇宙論」の神話を最大の特徴としました。

そのため、至高神と宇宙を作った造物主(創造神)を区別して、後者を悪神、あるいは、劣った存在とします。
さらに、造物主から生まれた恒星天や惑星天の神々、天使も「支配者(アルコーン)」と呼ばれ、悪神とされました。

造物主は「デミウルゴス」などと呼ばれるので、この言葉と2神の区別は直接的にはプラトンに由来するものでしょう。
ただ、イラン系のズルワン主義でも、至高神は「ズルワン」、造物主は「ミトラ」として区別しています。
また、旧約の神(ヤーヴェ)も造物主として、悪神として解釈されました。


グノーシス主義の多くは、基本的に、プラトン主義に由来するヘレニズム共有の宇宙論を基にしていて、存在を3階層で考えます。
至高の「神の世界(プレローマ)」、「中間世界」、「物質世界」です。
ここには、「霊」、「魂」、「肉体」がほぼ対応します。

派によって異なりますが、第8天=恒星天が「中間世界」で、惑星天の最上層の第7天に「デミウルゴス」がいると考えます。
第8天に「デミウルゴス」がいて、第9天を「中間世界」とすることもあります。

そして、人間の霊魂が救済されるには、死後、あるいは終末に、悪が支配する惑星天や恒星天を通り抜けて、神の領域にまで戻る必要があります。


<グノーシス主義の多様性と折衷主義>

グノーシス主義は、1C中頃に、シリア内陸部北部からクルディスタン西部にかけての地域で、ヘレニズム的なズルワン主義の影響のもとに生まれました。
そして、シリア、パレスチナの沿岸地帯を通って、2Cにはアレキサンドリアを経て、ローマに至りました。
この間、ヘレニズム化したユダヤ教の秘教的な異端派が大きな役割を果たしました。

ですが、グノーシス主義はユダヤ教だけでなくて、キリスト教、ヘルメス主義、そしてイラン系の宗教など、宗教や民族の枠を越えて広がりました。
グノーシス主義は、宗教を越えた思想潮流で、本来的にハイブリッドな特徴を持ち、様々な地方で様々な派が生れました。
キリスト教の文献では、グノーシス主義には60ほどの派があったと記録されています。

そのため、グノーシス主義は、思想的に多様であり、様々に分類されます。
例えば、宗教傾向で分けて、キリスト教系、ユダヤ教系、イラン系、ヘルメス主義系…。
あるいは、二元論的なもの(イラン系)と一元論的なもの(シリア・エジプト系)。
あるいは、神話論的なものと神秘哲学的なもの。
また、堕落者や救済者の別などの他の特徴からの分類もなされます。

ちなみに、当時のキリスト教には様々な思想を信じる集団がいましたが、後に主流派になる者達にとっては、グノーシス主義は身内にいる最大の敵対者でした。
そして、先に思想を確立した彼らに対する反駁を通して、キリスト教の教義が作られていきました。


<女性的原理の堕落と人間の救済>

悪神による宇宙の創造の原因は、多くは神的な女性的原理の過失・堕落に由来します。
具体的には、「ソフィア(知恵)」、「エンノイア(思考)」、「バルベーロー(大いなる流出?)」などです。
ただ、堕落するのは、「ロゴス(言葉)」のような男性的原理の場合もあります。

グノーシス主義に先行する神的存在の堕落の神話には、ゾロアスター教やズルワン=ミトラ教の「原人間」の堕落があります。
あるいは、秘儀宗教の死して復活する神や、冥界に下ったり身を隠す女神、例えば、イシスやデルメル、ペルセポネー、月女神の神話があります。
堕落する存在が「ソフィア(知恵)」であるという点では、ユダヤ教の「知恵文学」の影響が考えられますが、彼女は堕落しません。


また、グノーシス主義は、人間の「魂」、「肉体」は悪神によって作られたとしますが、霊魂の奥には、この堕落した女性的原理、あるいは、至高神に由来する神的な「霊(プシュケー)」、「霊的胎児」、「光の種子」、「光の残余」が存在しています。

そして、人間は、これを見出すことで救われます。
「グノーシス(認識・知識)」とは、この霊魂の本来的な神性とその由来の認識のことです。
そして、それには「救済者」による啓示が必要とされます。

この人間の霊魂の中の神性を認識して救われるという考えは、秘儀宗教やプラトン主義、ズルワン主義の考えを受け継いだものでしょう。

ただ、プラトン主義は地上世界の中にある神的なものから出発して霊的な世界を認識することで霊魂が救われると考えます。
ですが、グノーシス主義の「反宇宙論」は地上世界を悪と考えたので、「霊」自身を認識することで救われる点で異なります。


このように、グノーシス主義は、隠された神性を認識する秘教的な思想、神秘主義思想であるため、当然、閉鎖的な集団という性質を持ちました。

そして、様々な秘儀を行っていました。
ヴァレンティノス派では、5種類の秘儀「洗礼」、「塗油」、「聖餐」、「救済(解放)」、「花嫁の部屋」を行っていたようです。

また、グノーシス主義者は、その「反宇宙論」的な世界観の結果として、現世否定的で、物質的な欲望の一切を否定する禁欲的な傾向を持っていました。

ですがその一方で、地上的な道徳を否定して、奔放主義の傾向も持つ派もありました。
ローマの法律であれ、ユダヤの律法であれ、地上の秩序を定めたものは悪神だからです。


<流出と堕落の神話とパンテオン>

グノーシス主義の諸派は、その派によって様々なパンテオンと神話を持っていました。

ですが、共通する特徴としては、至高存在からの流出、創造を、抽象的な観念で表現された男性的原理と女性的原理の対(カップル)になった系譜として語ることです。
ただ、同時に、これらの存在は両性具有とされます。
これらの神的存在は、「アイオーン(時間・世代・永遠なるもの)」と呼ばれます。


初期の最も単純な神話では、まず、「父」なる存在と「母」なる存在の2原理だけでした。

父なる存在は、「原父(プロパテール)」、「名づけえない父」、「万物の父」、「見えざる霊」、「知られざる存在」、「第一の人間」、「存在しない神」などと呼ばれました。

この「父」の本質的な属性としては、「限定されない」、「光」、「力」、「生命」、「至福」などがあります。

「母」なる存在は、「父」からの最初の流出であり、「バルベーロー(大いなる流出)」、「ソフィア(知恵)」、「エンノイア(思考)」、「プロノイア(摂理)」、「処女なる霊」、「第一の女」、「第二の人間」などと呼ばれました。


ですが、アイオーンのカップルは、4組、あるいは、5組に増えました。
さらに、30になり、場合によっては365になりました。
この複雑化は、ヘレニズム期に交流した様々の宗教が語る神の性質を次々と神格として取り入れて体系化した結果でしょう。

アイオーンは、派によって異なりますが、男性的原理のアイオーンには、「ヌース(叡智)」、「ロゴス(言葉)」、「独り子(モノゲネース)」、「キリスト(注油された者)」、「アントロポス(原人間)」などがあります。 
また、女性的原理のアイオーンには、上記以外に、「アレーテイア(真理)」、「ゾーエー(生命)」、「エクレーシア(教会)」などがあります。

これらの神的存在の世界は、「プレローマ(充足)」と呼ばれます。
アイオーン達が、男女の対になった完全な状態が、「充足」です。
そして、過失や堕落などの問題が起こって、対の状態でなくなった状態が「欠乏」です。


「ソフィア」や「エンノイア」などが「欠乏」の状態が原因になって、「プロレーマ」より下の世界が生まれます。
「欠乏」の理由は、カップルの相手がいない、相手を拒否する、認識をしようとするが承認を得ていない、認識できない父を認識しようとした、などです。

「欠乏」の結果、その存在は、「形」を失うなどして、プレローマから堕落します。
ですが、「キリスト」などによって救われ、プレローマに復帰しますが、「中間世界」にまでしか復帰できない場合もあります。


そして、彼女の堕落が原因で、下の世界の、劣った悪なる存在である「アルコーン(支配者)」が生まれます。
宇宙を作る「造物主」や、12宮(恒星天)、7惑星天などの存在です。

「造物主」は「デミウルゴス(職人)」、「ヤルダバオト(無知蒙昧なる神)」、あるいは、「アブラクサス」などと表現されます。
彼は、自分が唯一の神であるとうぬぼれます。


<人間と救済の神話>

「デミウルゴス」やアルコーン達は、「人間(アダム)」の魂や肉体を作ります。

ですが、「アダム」は動けず、父や堕落した女性的原理がこれを憐れんで、あるいは、愛して、彼らに由来する「霊」を「アダム」の中に入れます。
女性的原理がアルコーンによって閉じ込められたとする場合もあります。
この「霊」は、「光の種子」、「光の残余」、「光の摂理」、「霊的胎児」、「力」などと呼ばれます。

救済は、この「霊(光)」のプレローマへの回収・帰還であり、アルコーン達はその妨害者となります。


ユダヤ系のグノーシス種子は、旧約の創世記の反解釈を行っている場合が多いのですが、以下のような神話が語られます。

「デミウルゴス」は、「アダム」をエデン(偽のエデン)に閉じ込めます。
そして、イブを作り、アダムに生殖を教えることによって、「光」の回収を妨害します。
子孫を残すことは、「光」が地上に残り続けることです。

また、「デミウルゴス」が食べることを禁じた「知恵の実」や「生命の実」は、「グノーシス」を与えるものです。

エデンには、啓示者・救済者が「人間」に「グノーシス」を与えるために現れ、その結果、「デミウルゴス」によってエデンから追放されます。


救済者は、キリスト教グノーシス主義では、アイオーンとしては「キリスト」、肉体を持った存在としては「イエス」です。

他の宗派では、単に「ソーテール(救済者)」と呼ばれたり、あるいは、「フォーステール(光輝く者)」、「モノゲネース(独り子)」、「アウトゲネース(自ら生まれたもの)」などと呼ばれたりします。
あるいは、「ソフィア」などの女性原理やアダムの三男の「セツ(セト)」がその役を果たす場合もあります。

終末には、すべての「光」が回収され、「人間」の霊魂はプロレーマに帰還します。
人間は天使とカップルになり、あるいは、両性具有になり、完全な姿に戻ります。
そして、物質世界も消滅します。


<哲学的体系化>

「ヨハネのアポクリュフォン」や、ヴァレンティノス派やプトレマイオス派のグノーシス主義は、プラトン主義やストア派などの哲学を取り入れて、神話に哲学的な枠組みを与えるようになりました。

また、「ゾーストリアノス」、「マルサネース」のように、より神秘主義的な表現や哲学化を進めた文書もあります。

これらのグノーシス主義は、主にプラトン主義(ギリシャ時代のプラトン主義、中期プラトン主義)の影響を受けましが、同時に、平行的に発展したり(中期プラトン主義)、影響を与えたりした(新プラトン主義)部分もありました。


中期プラトン主義者のアルビノスは、至高存在に対して「語り得ぬもの」などと否定的、否定神学的な表現をしました。
上記の文書・派が、至高神を、「名付けえない」、「知り得ない」、「見えざる」というような否定的に表現するようになったのは、この影響を受けているのでしょう。

また、アルビノスは、「独り子」の「ヌース」だけが「語りえぬ父」を認識できると考えました。
ヴァレンティノス派、プトレマイオス派でも、同様です。


「ゾーストリアノス」は、至高存在の「見えざる霊」を、「存在/至福/生命」という「三重の力を持つ者」とされます。
一方、プラトン主義の「ヌース」の「トリアス(三性)」は、「存在/生命/知性」とされます。


また、グノーシス主義は、至高の2者を「父」、「母」、そこから生まれるアイオーンを「子」と表現します。
これは、プラトン主義にも言えることです。

プラトンの創造神話では、「イデア」と「コーラ(乳母)」から自然(物質世界)が生まれますが、中期プラトン主義者のプルタルコスは、この三者を「父」、「母」、「子」として捉えます。
プラトンの「不文の教説」では、この関係が、最高原理が「一」と「不定の二」でこれらから「イデア」が生まれる形になります。

プラトン主義は、父性・男性的原理を「形相性」、母性・女性原理を「質料性」として対比させています。
グノーシス主義でも、男性的原理の救済者は「形づくる」存在で、女性的原理の堕落者は「形を失う」存在です。


また、上記のグノーシス主義では、原初の流出を認識論的に語ります。
つまり、流出的創造を認識プロセスとして、主客の分離、形象化(像化)として捉えます。
これは、プラトン主義の考え方と似ていますが、合理的、理性的な認識ではなく、直観的な認識でしょう。

「ヨハネのアポクリュフォン」では、「父」が自己認識して「バルベーロー」=「プロノイア(思考)」を「光の似像」として流出します。
そして、「プロノイア」は「父」を振り返って「子」を生みます。

ギリシャ期プラトン主義のクセノクラテスにおいては、至高存在の「一」は、自らを観照する存在です。
新プラトン主義のプロティノスは、「一者」が一種の自己認識をする形で「ヌース」を生み、「ヌース」は「一者」を認識することで魂を生みます。

両者ともに流出・創造が、「自己認識」と「至高者の認識」で行われます。


プトレマイオス派では、救済は形作ることでなされますが、これを「存在において」と「認識において」の2段階が必要とします。
そして、カップルになることも求められますが、これは一種の相互認識とも考えられます。

プロティノスは、「ヌース」が、「一者(上位存在)の認識」と「自己認識」、つまり、「像を作る」ことで形づくられることと、その「像を認識する」ことの2段階で生まれるとしました。
また、「ヌース」が作る像である諸イデアは、すべてが互いに映し合う関係にあり、つまり、「ヌース」は相互に認識し合います。


プラトン主義は、世界を「イデア(ヌース)界/魂/物質界」の3階層で考えます。

ヴァレンティノス派、そして、プトレマイオス派では、この3階層を徹底していきます。
宇宙論では「プレローマ/中間世界/物質世界」、人間の要素は「霊/魂/体」、堕落者は「ソフィア/アカマート/パトス」、救済者は「キリスト/ソーテール/イエス」というように3階層化しました。

また、「ヨハネのアポクリュフォン」などでは、「プロノイア(摂理)」が3階層化しました。
最初の女性原理の、下位のアイオーンの、アルコーンの配下の、3つです。
これは、中期プラトン主義が3種類の「プロノイア」を区別することの影響です。


*「ヨハネのアポクリュフォン」もご参照ください。
*ヴァレンティノス派については「グノーシス主義の潮流と諸派」をご参照ください。
*「プトレマイオス派グノーシス主義」もご参照ください。
*「ゾーストリアノスとマルサネース」もご参照ください。


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