グノーシス主義の潮流と諸派 [ヘレニズム・ローマ]



グノーシス主義の思想」に続いて、グノーシス主義の初期、発展期、後期のそれぞれの諸派についてまとめます。

初期は、シモン派、カルポクラテース派、トマス福音書、マンダ教です。
発展期は、バルベーロー派、オフィス派、セツ派です。
後期は、ヴァレンティノス派、プトレマイオス派、バシレイデース派、マルキオン派です。


<初期の諸派>

まず、1C後半から2C前半に生まれた初期の諸派です。

キリスト教側からグノーシス主義の創始者であると言われていたのが、シモン・マゴス(シモン・マグス)です。

シモンはサマリア出身で、サマリアの信者からは神と信じられていました。
ユダヤの北にあるサマリアは、一般にユダヤ(エルサレム)とは別の神殿や宗教を持っていました。
シモンは、フェニキアで身請けした娼婦のヘレナと、30人の弟子を連れて各地を遍歴し、アレキサンドリアを経て、ローマでも活動したと伝えられています。

シモン自身は、自分を「最高の力」、父なる「ロゴス(言葉)」、「ヌース(叡智)」であり「キリスト(塗油された者=救世主)」であると考えました。
そして、彼が、神の女性的側面である「エンノイア(第一の思考)」であり、「ソフィア(知恵)」、「バルベーロー(大いなる流出)」、「すべての人間の母」を流出しました。

「エンノイア」は降下して天使と諸力を生むと、彼らが宇宙を作りました。
ですが、彼らは、彼女を妬み、拘束して人間の中に閉じ込めました。

シモンが連れていたヘレナは、「エンノイア」の地上に堕ちた姿とされました。
彼女は、様々な人間の体の中を移住に、売春宿に流れ着いていたのを、シモンによって救済されたのです。
これは、地上を売春宿、そこに堕ちた神的な霊魂を娼婦と象徴しているのです。
そして、人間は、シモンの啓示によって、自身の中の「エンノイア」を認識することで救済されます。

このように、女性原理の堕落が語られます。
シモンの「エンノイア」像のバックボーンには、サマリアの月神セレーネーや、娼婦になったとも言われていたイシス神などが考えられます。

また、シモンは、ユダヤ教の律法を否定し、奔放主義的な思想を持っていました。


キリスト教グノーシス主義者のカルポクラテースは、輪廻説を取り入れました。
「カルポクラテース」という名は、エジプトのホルス神を示す「ハルポクラテース」から来ていると推測されます。

彼の思想も奔放主義的で、伝統的な因習を人間が決めたものに過ぎないとして否定し、この世ですべての体験をしておかなければ、転生を強いられると説きました。
また、信仰と愛を重視しました。


「トマス福音書」は、2C中頃に書かれたキリスト教グノーシス主義の文書です。
この福音書は、イエスの語録形式のもので、初期に書かれた福音書の一つです。
ナグ・ハマディ文書に含まれていて、外典とされています。

この福音書は、原初に「父」と「真実の母」が、そして、「子」がいたと語ります。
そして、人間は「光の子ら」と呼ばれ、「父」に由来する光を持っていますが、それを認識していません。
そして、「神(造物主)」に対しては、否定的に表現される点で、反宇宙論的要素があります。

人間は、「子」なる「イエス」の啓示によって自身の本質を認識して、神の世界で「単独者」に戻れば救われます。
このことは、「花嫁の部屋(結婚の場所)」に入ると表現されます。


洗礼者ヨハネの弟子であると語っている一派に「マンダ教」があります。
マンダ教はもともとヨルダン川流域で生まれた後、ペルシャ方向へ移住したようです。
マンダ教は、現在まで生き残っている唯一のグノーシス主義宗教です。

「マンダ」とは「グノーシス」のことです。
マンダ教の主要な文書には、「ギンザー(財宝)」があります。

マンダ教は、神の世界の光に対応する流水による「洗礼」を繰り返し行い、また、魂が光の世界へ到達するための死者儀礼を重視して行います。

マンダ教には、根本に「光の世界」と「闇の世界」があるので、イラン的な二元論です。

「光の世界」の原初存在は、「大いなる命(光の王、大いなる器)」です。

これから第二、第三、第四の「命」や、神の世界の「ヨルダン川」、無数の「シェキナー(住居)」が生まれ、「光の世界」を作ります。
「第二の命(ヨーシャミーン)」は、「大いなる命」に逆らって世界を創造したいと思いました。
「第三の命(アバトゥル=秤)」は、自分一人が強大な者と思ってしまいました。
「第四の命(プタヒル)」は、「大いなる命」から「生ける火」をもらって、闇の勢力とともに世界を作りました。

「闇の世界」には、「黒い水」があり、「闇の王(ウル)」を頂点にした諸存在がいます。

人間は、闇の勢力によってその肉体が作られ、「光の世界」から霊魂が連れてこられて、「プタヒル」が肉体に入れます。
ですが、「大いなる命」が「光の使者」を派遣し、「光の世界」に由来する霊魂の本来の姿を思い出し、闇の勢力と戦うことを教えます。


<発展期の諸派>

この節では、2C前半に生まれた、グノーシス主義の発展期の3派について紹介します。
神の女性的側面の「バルベーロー(大いなる流出?)」を語る「バルベーロー派」、旧約で語られる蛇を善なる存在とする「オフィス派」、アダムの第三子セツを救済者として重視する「セツ派」です。
ただ、これらの派の神話・思想は類似していて、それぞれが独立して存在したかどうかは分かりません。


アレキサンドリアの「ベルベーロー派」は、神の女性的側面を「バルベーロー(大いなる流出)」と表現して重視する派・文書の総称です。

また、ナグ・ハマディ文書の中の「ヨハネのアポクリュフォン」は、「セツ派」の文書と分類されますが、エイレナイオスが報告するバルベーロー派の神話と似ています。

この派の神話では、最初に「名づけえない父(見えざる霊、万物の父、大いなるもの、純粋な光)」が存在します。

「ヨハネのアポクリュフォン」では、この「父」が自分を取り巻く光の水の中に自分自身の像を認識して、「バルベーロー」を生みます。
つまり、原初の流出を、自己を客体化・表象化する「認識(思考)」として描いています。

そして、「バルベーロー」は「父」を見返すことで「光」を生み、「父」がこれを凝視して塗油することで「キリスト」になります。

その後、4組の男女カップル、「4つの大いなる光」などのアイオーンが生み出されます。
そして、最後のアイオーン「ソフィア」が過失によって「ヤルダバオト(無知蒙昧なる神、第一のアルコーン)」が生まれ、彼が世界とアルコーン(支配者)達を創造します。

エイレナイオスの報告はここまでで、その続きは「ヨハネのアポクリュフォン」で知ることができますが、詳細は別ページ(予定)を参照してください。

「ヨハネのアポクリュフォン」は、中期プラトン主義者のアルビノスの否定神学などの影響を受けている点、アイオーンの相互承認を重視する点、旧約の創世記を詳細に反解釈する点、アイオーンに由来する「生命の霊」とアルコーンに由来する「模倣の霊」を対比し、セツの子孫が前者の側にあるとする点にも特徴があります。


アダムの第三子のセツ(セト)の子孫であるとするのが「セツ派」です。
この派は、セツに救済者としての役割を与えています。

また、「フォーステール(光輝くもの)」という救世主が語られますが、ここにミトラ(ミトラス)神の影響も認められます。

ナグ・ハマディ文書の中の「アダムの黙示録」、「ヨハネのアポクリュフォン」をはじめ、「ゾーストリアノス」、「マルサネース」という神秘主義哲学的傾向があると言われる文書も含め、10文書がこの派の文書とされます。

*「ヨハネのアポクリュフォン」については、該当ページをご参照ください。
*「ゾーストリアノス」、「マルサネース」については、該当ページをご参照ください。


「オフィス派(ナハシュ派)」は、旧約の「創世記」で悪として描かれる「蛇」を、善なる存在として重視する派です。

その神話では、最初に「深淵」に「第一の光(万物の父、第一の人間)」があり、それから「エンノイア(人の子、第二の人間)」、「聖霊(第一の女)」が生まれ、それらが「キリスト(第三の人間)」を生みました。

一方、その下方には「水」、「闇」、「奈落」、「混沌」がありました。
つまり、最初から二元論的です。

そして、「第一の女」から溢れ出た「光の残余」である「ソフィア」が下界に堕ち、その息子の「ヤルダバオト」が人間「アダム」を作ります。

「アダム」の中には「光の残余」がありますが、「ヤルダバオト」はそれを取り戻すためにイブを作ります。
「ソフィア」は阻止して「光の残余」を集めようとします。
つまり、善なる「ソフィア」の目的は人間の中に堕ちた「光の残余」を集めることであり、生殖はその妨害です。

「光(力)」の奪還と生殖による妨害の考え方は、「ヨハネのアポクリュフォン」やマニ教と類似します。

「ヤルダバオト」は自分が唯一の神であると語りますが、「ソフィア」は「蛇」をして「知恵の実」をアダムとイブに食べさせ、「第一の人間」の存在を知ります。
また、「ソフィア」は、「第一の女」に頼んで「キリスト」を送ってもらい、人間を救い、「光の残余」をすべて集めます。

つまり、旧約の神(ヤーヴェ)は悪神「ヤルダバオト」であって、「蛇」はアダムとイブを彼から解放したのです。
また、イエス・キリストも蛇と似て、人間に「生命の実」を食べさせるために現われるのです。
このような旧約の反解釈は、「ヨハネのアポクリュフォン」にもありますが、作者はヘレニズム化したユダヤ人と推測されます。


<後期の諸派>

この節では、2C中・後半に生まれた、キリスト教系グノーシス主義の後期の3派について紹介します。
「ヴァレンティノス派」、「バシレイデース派」、「マルキオン派」です。


グノーシス主義の中でも、最も複雑で体系的な世界観を発展させたのは、2C中葉のアレキサンドリアの「ヴァレンティノス派」です。

ヴァレンティノスはアレキサンドリアでグノーシス派に触れ、その後、ローマの教会で活動しました。
この派は「アナトリア派(東方派)」と「イタリア派」に分裂しました。
「イタリア派」に属するプトレマイオスは、ヴァレンティノス派の思想をさらに発展させました。

また、ヴァレンティノス派では、5つの秘儀「洗礼」、「塗油」、「聖餐」、「救済(解放)」、「花嫁の部屋」があり、これらのうちのいくつかは臨終の儀式や葬儀としても行われたようです。

ヴァレンティノス派の思想には、バルベーロー派やオフィス派からの影響が考えられ、そして、そこにプラトン主義哲学の要素が付け加えられています。

ヴァレンティノス派の特徴は、アイオーンを15組の30とした、「ソフィア」と「下なるソフィア」を分けた、三階層論(プレローマ/中間世界/物質世界)で考えたことなどです。

原初に、「プロパテール(原父)」、あるいは「知られざる父」、「アレートス(発言しえざる者)」、「ビュトス(深淵)」と、「シゲー(沈黙)」、あるいは「カリス(恵み)」、「エンノイア(思考)」の2つの存在がありました。
これらから、アイオーンが生まれ、「8のもの」、「10のもの」、「12のもの」、合わせて30となりました。

そして、30番目の最後のアイオーンの「ソフィア」が、「知られざる父」を知ろうとして転落しました。
「ソフィア」を救うため、「キリスト」と「聖霊」が生み出され、「ソフィア」をプレローマに戻しました。
この時、「ソフィア」の知ろうとした「エンテューメーシス(欲求)」が切り離されて、「下なるソフィア」とも呼ばれる「アカモート(知恵)」として残りました。

そして、「アカモート」の「浄化」から「プネウマ(霊)」、「後悔」から「魂」、「パトス(情熱)」から物質世界を作る元素が生まれました。
「アカモート」は、7天を作り、自分は第8天(中間世界、恒星天)に場所を占めました。

そして、天使達が人間の「アダム」を作りましたが、「原父」が秘かに、「アダム」の中に「種子」を入れました。

人間の最終的な救済、あるいは、終末には、「ソーテール」の従者たる天使達(花婿)に花嫁として結ばれます。
この聖婚を「花嫁の部屋」と呼びます。
ヴァレンティノス派は、秘儀としても「花嫁の部屋」を行っていましたが、その実態に関してははっきりとは分かっていません。
聖なる接吻を行ったとか、葬儀として行ったという説もあります。

また、終末には、「アカモート」はプレローマ界に戻り、「デミウルゴス」は「中間の場所」に移動し、物質世界は発火して燃え尽くされ、無に帰ります。


プトレマイオスは、ヴァレンティノスの思想を継承しながら、三階層論を思想全体に厳密に適応して体系化し、「救世主」とその救済行為に関してもそれらが持つ三層をきっちりと分離して理論化しました。

また、救済を「存在における形成」と「認識における形成」の2段階が必要としました。

*プトレマイオス派に関しては、「プトレマイオス派グノーシス主義」をご参照ください。


アレキサンドリアで活動した「バシレイデース派」の思想に関しては、まったく異なる2種類の伝承が伝えられています。
この派には、かなり異なる複数の派、思想傾向があった可能性があります。
ここでは、他の一般のグノーシス主義とは大きく異なる説を伝えるヒッポリュトス版を紹介します。

原初存在の「無」である「存在しない神」が、下方の物質世界に「種子」を置き、これから自動的に宇宙が生成します。
至高神の宇宙への関与が最小限にされていて、発想としてはインドのサーンキヤ哲学に似ています。

「種子」からは、まず、3つ「子性」が生まれます。
「第一の子性」は、軽微で鈍重な要素を含まないので、すぐに「存在しない神」のもとに戻ります。
「第二の子性」は、少し鈍重な要素を含むので、自力では戻れず、「聖霊」が分離されてこれに運んでもらいます。
ですが、聖霊は「存在しない神」のもとにまでは至れず、「境界(蒼穹)」になります。
「第三の子性」は、鈍重な要素を多く含むため、浄化を必要とし、下の世界に留まります。
これが人間の中の神性です。

「種子」からは、もう一方で、「恒星天の支配者」とその子、「惑星天の支配者」とその子、「デミウルゴス」ら、細かく見れば365天が生まれます。

上方と下方の「境界」から、神性に対する知識・憧憬である「福音」が生まれて、下方にもたらします。
そして、イエスにまで降下すると、その神性(第三の子性)を点火し、イエスは受難を受けて、神性が上昇します。
やがて、イエスを模範として、他の神性も上昇し、最終的にはすべてが上昇します。

このように、この派の神話は、上から下への流出プロセスよりも、下から上への帰還プロセスに重点が置かれているのが特徴です。


マルキオンは、ローマのキリスト教教会で活動した人物です。
彼は、固有の神話を持ちませんでした。

彼は、至高の神とは無関係な造物主が人間を作ったとする点で、反宇宙論的なグノーシス主義の特徴を持ちます。
そして、旧約の神と新約の神を対立者とします。
そのため、律法を否定しますが、厳格な禁欲主義を主張します。

また、マルキオンは、キリスト教の中で始めて正典を選びました。
それは「ルカ福音書」とパウロ書簡からなり、旧約は拒否されました。
そして、彼は、自身の教会を設立して布教を行いました。

ですが、マルキオンは、人間の霊魂には神性がないと主張した点で、非グノーシス主義、非神秘主義です。
そのため、彼は、認識(グノーシス)よりも信仰を重視します。


*ヘルメス文書の「ポイマンドレース」にもグノーシス主義的傾向があります。
「デミウルゴス」によって作られた惑星の霊を「アルコーン(支配者)」と呼び、その支配を「宿命」と呼ぶ点に、反宇宙論的傾向が見られます。
ですが、その傾向はそれほど強くはありません。

*バビロニア系の「マニ教」に関しても、現世否定的な特徴などから、グノーシス主義に入れられることがあります。
ですが、マニ教の宇宙論は反宇宙論ではないため、当サイトではグノーシス主義に分類しません。


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