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ラヒリ・マハサヤのクリヤ・ヨガ [近・現代インド]


このページでは、ラヒリ・マハサヤが説いた「クリヤ・ヨガ」の具体的な方法についてまとめます。
また、これとは異なる方法を説くパラマハンサ・ハリハラナンダの方法についても付加します。

神人ババジによって伝授されたという伝説のもとに、ラヒリ・マハサヤが始めた「クリヤ・ヨガ」は、ハタ・ヨガの近現代における新しい運動と言えるでしょう。

インドでは、「クリヤ・ヨガ」という言葉は様々な意味で使われますが、一般に、シヴァ教系で「ハタ・ヨガ」を意味して使いますので、ババジ、ラヒリの「クリヤ・ヨガ」も、ここからきているのでしょう。

ババジ、ラヒリの「クリヤ・ヨガ」には、古典的なハタ・ヨガ系経典には書かれていない方法がいくつもあります。


<クリヤ・ヨガとは>

クリヤ・ヨガについて、ラヒリの孫弟子であるプラマハンサ・ヨガナンダは、「あるヨギの自叙伝」で、ババジが再発見した古代の方法であり、かつて、クリシュナがアルジョナに伝えたものであり、パタンジャリや、イエス、ヨハネ、パウロに知られたものと同じ科学であると書いています。

同書には、SRF出版部記として、「各個人が神を直接体験する方法を身につけることは、緊急の必要事とされている」、とも書かれています。

今日の我々から見れば、「クリヤ・ヨガ」は、単にテクニカルな「ハタ・ヨガ」なのですが、「ハタ・ヨガ」もクンダリニーもまだ知られていなかった時代に、西洋に紹介するに当たって、このような一種の神秘化、権威化がなされたのでしょう。

ヨガナンダによれば、クリヤ・ヨガは、人間の進化を急速に促進させるものであって、「飛行機による旅」に喩えられます。
そして、クリヤ・ヨガを行うことによって、過去のカルマに影響されず、死を克服することができるようになります。


<クリヤ・ヨガの準備とチャクラ>

ヨガナンダの組織SRFが説いているクリヤ・ヨガは、非公開を徹底しているため、その具体的な方法は分かりません。

また、SRFのクリヤ・ヨガは、当時の西洋人に向けたもので、ラヒリのクリヤ・ヨガをそのまま教えていない、特に第2クリヤはまったく異なるようです。

SRFのクリヤ・ヨガの実践者は多数いますので、中には漏らす人もいますし、SRF以外のラヒリ系のクリヤ・ヨガの実践者でそれを語る人もいます。

Ennio Nimisは、複数の系統を調査してHP上で公開していますので、その「Kriya Yoga: synthesis of a personal experience」(pdf)をもとに、ラヒリ流のクリヤ・ヨガについて、簡単に紹介します。
*参照 http://www.kriyayogainfo.net/

以下、間違いがあるかもしれませんし、あくまでもアバウトでこんな感じ、というふうに受け取ってください。
一般的に知られているハタ・ヨガのムドラーなどの言葉については、説明しません。

ハタ・ヨガ系の経典に書かれた方法に比較したクリヤ・ヨガの特徴は、クンダリニー覚醒のために、マントラを唱えて各チャクラを刺激する様々な方法(ソカーなど)を行いながらプラーナを移動させることでしょう。
また、脊髄(スシュムナー)に沿った経路以外の様々な経路(体外の経路、トリバンガムラリなど)を使うことです。


まず、クリヤ・ヨガの前に、次のような準備的な運動、瞑想を行います。
Ennio Nimisは、この前行は説明していませんが。

・エネルギー活性化エクササイズ
・ホーン・ソー・テクニック
・オーム・テクニック

「エネルギー活性化エクササイズ」は、体をリラックスさせる一種の体操です。
https://www.youtube.com/watch?v=W4iu8MB2Qeo

「ホーン・ソー・テクニック」は、呼吸に意識を集中し、入息で「ホーン」と無音で唱え、出息で「ソー」と唱えながら、呼吸が静まるのを観察する方法です。
一般に、「ソー・ハム」瞑想といわれる方法と、唱え方が逆です。
「ソー・ハム」は、「私はそれ(ブラフマン)」という意味です。

この時、眉間に意識を合わせて、入息の時に意識を眉間の表面から頭の深部に移動させ、出息の時にまた表面に戻します。

「オーム・テクニック」は、各チャクラを意識してオームを唱えながら、体内の内的な音を聞きます。
呼吸に合わせて、ムーラダーラから上昇、下降するのでしょう。

以下、基本的に、マントラはヴィージャ・マントラで、無発声で唱えます。

クリヤ・ヨガでは、チャクラは基本としては、6つを数えます。
頭頂のサハスラーラ(フォンタネル)は、チャクラと見なさないことが多いようです。
ですが、ハリハラナンダのクリヤ・ヨガでは、約30㎝頭上の第8チャクラ(ブラフマロカ)も重視します。

また、第6チャクラの周辺の領域に関しては、眉間表面のブルマディア、やや奥に入った部分、あるいは、頭中心部の下垂体・松果体のアジニャー・チャクラ、後頭下部の延髄(メドゥーラ)、後頭上部のビンドゥ・ヴィサルガ、をそれぞれに重視します。

ケーチャリー・ムドラーが刺激するのは下垂体です。

眉間は、霊視を行うクタシュタの場所です。
クリヤ・ヨガでは、霊視を重視しますが、例えば、眉間のチャクラのキリスト意識に集中すると、金色の光の環に囲まれた、青い円形の空間の中心で脈動する、五つの閃光を放つ白い星が視えます。

また、ハリハラナンダのクリヤ・ヨガでは、左耳上部のロウドリ、右耳上部のバマも重視します。


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*上記サイトの「Kriya Yoga: synthesis of a personal experience」(pdf)よりページの一部をキャプチャーで引用(以下同様)


<クリヤ・ヨガの本行>

クリヤ・ヨガの本行は大きく4段階で構成され、それぞれにイニシエーションがあります。

最初の段階(第1クリヤ)では、独特のプラーナヤーマを行います。

第2段階(第1クリヤ)では、いくつかのムドラーと、「ナヴィ・クリヤ」などを行います。

第3段階(第2-4クリヤ)では、「ソカー・クリヤ」と呼ばれる行法を行います。
これは、心臓のチャクラを中心に、各チャクラにプラーナを送ってマントラを唱えつつ、チャクラを活性化(解く)し、その内なる光と音を感じる方法です。
チャクラを解くというのは密教と共通する考え方です。

第4段階(第5-6クリヤ)では、「トリバンガムラリ」という経路を使って、すべてのチャクラに対してソカーを行います。


第1段階の「クリヤ・プラーナヤーマ」は、眉間に意識を置き(シャンバヴィ・ムドラー)、入息時には、ムーラダーラから延髄(あるいは、ビンドウ・ヴィサルガ)までの各チャクラで、順次に上昇して、オームを内的に唱え、出息時には、逆にムーラダーラに下降します。
これによって、脊髄に沿ったエネルギーの移動を感じるようにします。

プラーナヤーマによって、プラーナとアパーナを融合させ、また、イダとピンガラを十分に開通して、スシュムナーにもプラーナを通します。


第2段階では、マハー・ムドラ―(トリバンダを含む)、ヨーニ・ムドラー(ジョティ・ムドラー)、ケーチャリー・ムドラー(その前段階としての「タラビヤ・クリヤ」)、「ナヴィ・クリヤ」を行います。

「ナヴィ・クリヤ」は、マニプラでオームを唱える方法ですが、腹部を親指で押したり、頭部からマニプラまでの前後左右の体外の経路を通って、エネルギーを降ろしたりします。

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第3段階の第2クリヤから第4クリヤまでは、「ソカー・クリヤ」と総称される方法です。

第2クリヤは、左右の肺の上部(肩の下部)に意識を置き、左肺上部から心臓にエネルギーを導きます。
そして、ムーラダーラに降ろして、マハーヴェーダ・ムドラーを行います。

次に、入息と共に、各チャクラでマントラを唱えつつ、ムーラダーラから頭部まで上昇させます。
この時、ウディヤーナ・バンダを伴います。
そして、右肺上部、左肺上部、心臓と順に意識を移動させてマントラを唱え、心臓のチャクラを刺激します。


第3クリヤは高度なソカーで、上記の右肺上部、左肺上部、心臓部でマントラと唱えることを、頭を傾ける動きを伴って行います。
保息状態でこれを続けて、光の輝きが増すのを視ます。


第4クリヤは完成のソカーで、第3クリヤで心臓のチャクラでマントラと唱えた後、順にムーラダーラまで下って、各チャクラでマントラを唱えます。
次に、出息して、再入息時に、意識を脊髄に入れて、頭部まで上昇させます。

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また、補助的な技法として、ガヤトリー・マントラを使った「ガヤトリー・クリヤ」があります。
これは、ムーラダーラを意識してマントラを唱え、眉間に移動し、ケーチャリー・ムドラーで眉間に満月のような光を視ます。
順に各チャクラでマントラ(OM+それぞれの語)を唱え、各チャクラが5元素に対応すること意識しながら、それぞれの内的な色を霊視します。


第5-6クリヤでは、「トリバンガムラリ」という経路を使います。
これは、サハスラーラからムーラダーラまでを左右に曲がる3つの曲線でつなぐ経路(サハスラーラから左側を通って中央を交差し、右肩で反転し、心臓のチャクラを通って、左乳首下で反転してムーラダーラへ)です。

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第5クリヤには、「アマントラク」、「サマントラク」、「トリバンガムラリ・ソカー」の3つの方法があります。

「アマントラク」は、ケーチャリー・ムドラーを伴いつつ行います。
まず、入息とともに、意識(エネルギー)をムーラダーラからビンドゥ・ヴィサルガまで上昇させます。
出息と共に、トリバンガムラリに沿って意識(エネルギー)をムーラダーラまで降ろします。

「サマントラク」は、上記を、マントラを唱えながら行います。
上昇時に各チャクラで、下降時にトリバンガムラリの各ポイントでマントラを唱えます。

「トリバンガムラリ・ソカー」は、上記に頭の動きを加えます。
下降時に、トリバンガムラリがある方向に頭を傾けます。


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第6クリヤは、「マイクロ・ムーブメント・トリバンガムラリ」と表現され、ミクロなレベルでの運動を感じます。
プラーナを眉間にまで上昇させた後、ムーラダーラに見下ろして、そこに水平の円盤を視覚化して、そこに小さなトリバンガムラリの運動を感じます。

次に、同様に、順次、第2、第3という風に上のチャクラを対象にして、円盤を視覚化して運動を感じます。

次に、上記に方法に、ケーチャリー・ムドラーと、マントラを付け加えます。

以上の方法によって、クンダリニーの上昇を促します。


<ハリハラナンダのクリヤ・ヨガ>

ユクテスワのアシュラムを引き継いだパラマハンサ・ハリハラナンダの説くクリヤ・ヨガには、上記のラヒリ流の方法と異なるものがあります。
それが誰に起因するものか分かりませんが。

Ennio Nimisの資料をもとに、これを簡単に紹介します。

ハリハラナンダのクリヤ・ヨガの特徴は、頭上の第8チャクラを使うこと、チャクラを水平の円盤上に視覚化することなどです。


「クリヤ・プラーナヤーマ」は、入息時に頭頂に吸い入れ、出息時に、順次、各チャクラに移動していきます。
最初に、ムーラダーラに移動させることから初めて、順次、第2、第3チャクラと上のチャクラに移動先を変えていきます。
この時、各チャクラの音を聞き、光を霊視します。

第2クリヤは、まず、入息と共に、各チャクラでマントラを唱えながら、ムーラダーラから上昇させる方法です。
そして、ケーチャリー・ムドラーで、順に頭を傾けて、傾けた反対側(後→右→前→左)で光の下降を感じます。
最後に、出息と共に、エネルギーをムーラダーラまで下げます。

次に、上記の方法を、各チャクラの部分で、それぞれのマントラを唱えながら、各チャクラを水平の円盤状に視覚化して行います。

また、各チャクラの花弁にサンスクリットの文字を当てはめて視覚化します。

そして、ヨーニ・ムドラーを行いながら、ムーラダーラから順に、各チャクラに集中して、振動や光を霊視していきます。

第3クリヤは、頭部の前→左→後→右→前→中央にエネルギーを感じ、それぞれの場所のマントラを唱えます。


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第4クリヤは、まず、ムーラダーラのエネルギーが回転して中心に集まり、頭頂下部の円盤状の部分に上昇します。
同様に、順次、上の各チャクラのエネルギーを上昇させます。
これによって、クンダリニーの目覚めを引き起こします。

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第5クリヤは、入息と共にムーラダーラから頭上の第8チャクラ(ブラフマ・ロカ)までプラーナを上昇させ、出息と共に、ムーラダーラに戻します。

第6クリヤは、第8チャクラから小脳まで光が下りて来て、松果体で光を感じる瞑想も行います。

第8チャクラについては、そこにチャクラがあるということよりも、プラーナを頭頂から出すことに意味がるのではないでしょうか。


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スリ・ユクテスワとパラマハンサ・ヨガナンダの思想 [近・現代インド]


このページでは、スリ・ユクテスワとパラマハンサ・ヨガナンダの宇宙論、修道論、宗教思想についてまとめます。

中でもユクテスワの修道論は、クリヤ・ヨガの理解のベースとなります。


<ユクテスワの宇宙論>

まず、ユクテスワの宇宙論を、その著「聖なる科学」から紹介します。

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この書は、ババジから、ヒンドゥーの聖典と聖書を比較した書を書くようにと、指示されて書いたとされています。
冒頭で、「あらゆる宗教の間には、本質的な一致点があり、種々の信仰が説く心理も、帰するところは一つである」と書いています。
ですが、この書はほとんどバラモン哲学的な宇宙論を説いていて、そのほんの一部に対して、キリスト教との対応付けを行っているだけです。

至高の存在は、「フラフマン(=サット=父なる神)」と「プラクリティ(=チット=全知の知)」と「シャクティ(=アーナンダ=全知の愛)」です。

「プラクリティ」からは「聖霊(=光(クタスタ・チャイタニヤ)=生命)」が生まれ、さらにこれから「プルシャ(=神の子)」が生まれます。

ブラフマンの「サット・チット・アーナンダ」ではなく、「ブラフマン」と「プラクリティ」から生まれた「クタスタ」、「プルシャ」を、キリスト教の三位に対応させているようです。

一方、「シャクティ」からは「4つの観念」、つまり「オーム」、「時間」、「空間」、「宇宙原子=(マーヤー)」が生まれます。

次にこれらから、「チッタ(心=マハット)」が生まれ、それが磁化されて「ブッディ(理性)」と「マナス(感覚意識)」の対の磁極が生まれ、そこに「アハンカーラ(自我意識=ジーヴァ=人の子)」が宿ります。

そして、これらは、「5タットワ(=宇宙電気)」として現れ、これらから「プルシャ」の「コーザル体(根源体)」が作られます。

宇宙電気も極性を持って「3グナ」となり、これらから、「5感覚器官」、「5行動器官」、「5感覚対象」が生まれます。
この15の電気属性と、「マナス」、「ブッディ」の磁極によって、「リンガ・シャリーラ(幽体)」が作られます。

次に、「5感覚対象」から「5大元素」が生まれ、これらから「ストゥーラ・シャリーラ(物質体)」が作られます。

15の電気属性、5大元素、4つの心的要素(チッタ、ブッディ、マナス、アハンカーラ)で24の要素となり、これが聖書の「24人の長老」に当たるとされます。
これらは、「アヴィドヤー(無明)」から作られたものなので、実体のない幻であって、父なる神の観念による遊戯にすぎません。

以上のように、ヴェーダーンタ哲学とサーンキヤ哲学が折衷されていて、有神論的側面が少ないので、ヒンドゥー教というよりバラモン哲学的です。
そして、そこにキリスト教や現代科学の言葉が結び付けられています。


また、このようにして作られた世界は、14の「ブーヴァナ―(創造の次元)」から構成されています。
7つの「ローカ」と7つの「パーターラ」です。

7つの「ローカ」は、次のような階層世界・次元です。

 (ローカ)         (性質) 
・サティヤ・ローカ    :父なる神(知・愛)
・タポ・ローカ      :聖霊(光・生命)
・ジャナ・ローカ     :神の子
・マハー・ローカ     :宇宙原子
・スワー・ローカ(根源界):宇宙磁気
・ブーヴァ・ローカ(幽界):宇宙電気
・ブー・ローカ      :物質

7つの「パーターラ」は、7つの生命中枢(チャクラ)であり、聖書では、「7つの燭台」、「7つの教会」に当たるとされます。
ちなみに、アジニャー・チャクラは延髄にあります。


<ユクテスワの占星学的ユガ論>

ユクテスワは、独自の占星学的な世界観を持っています。

彼によれば、太陽は対になる天体と共に、「ヴィシュナビー」という宇宙の中心を2万4千年周期で回っています。
その軌道は、「ヴィシュナビー」との距離が1万2千年ごとに近くなったり遠くなったりしていて、それに従って、人間の徳性が高まったり、低くなったりします。

一番、徳性の低い時代が「カリ・ユガ」期、次が「ドワパラ・ユガ」期で、現在の時代は、「ドワパラ・ユガ」期に入って少し経ったところなのです。
彼によれば、現在のヒンドゥー暦は正しくありません。

また、4つのユガ期は、最下の4ローカと対応します。

 (ローカ)     (ユガ)
・マハー・ローカ :サティヤ・ユガ
・スワー・ローカ :トレータ・ユガ
・ブーヴァ・ローカ:ドワパラ・ユガ
・ブー・ローカ  :カリ・ユガ 


<ユクテスワの修道論>

ユクステルが語る修道論は、最下世界の「ブー・ローカ」から順次、上昇して最上世界の「サティヤ・ローカ」に至る道程です。

「ブー・ローカ」の物質界で、心の闇にいる者は「シュードラ(隷属する者)」と呼びます。
少し目覚めた者は「クシャトリヤ(苦闘する者)」と呼びます。

そして、心に神から送られた「聖なる愛」が芽生えてくると、サット・グル(聖なるグル)に出会うことができます。
グルを常に思っていると、堅固な求道心が起き、ヤマ(禁戒)・ニヤマ(勧戒)の「入門者」、「真の弟子」となります。
そして、8種の心のゆがみが取り除かれて、大らかな心が現れます。
「ストゥーラ・シャリーラ(物質体)」は、正しい食物・環境によって純化します。

随意神経が休むのが「眠り」であり、不随神経が休むのが「死(大いなる眠り=マハー・ニドラ)」です。
プラーナヤーマは、「大いなる眠り」による再生を引き起こし、活力を補給します。
また、プラティヤハーラは、随意神経のエネルギーを内に振り向けます。

ババジのクリヤ・ヨガにおいては、「オーム」が重視され、「プラナヴァ」とも表現されます。
ユクテスワは、「プラナヴァの瞑想」(ブラフマニダーナ)は、ブラフマンに至る唯一の道であるとも言います。

「プラナヴァ」は河の流れに似ていて、聖音を聴くことは、聖河に浸かって「洗礼」を受けることに等しいとされます。
そして、これは「バクティ・ヨガ」だとも言います。

内なる世界への門(スシュムラドワーラ)に意識を向けることができると、「プラナヴァ」が聴こえるようになります。
「プラナヴァ」の洗礼を受けると、精妙な素材でできている「ブーヴァ・ローカ」に入ることができ、「ヴィブラ(完成に近づいた者)」と呼ばれる階級になります。

この世界の「電気的な体(リンガ・シャリーラ)」は、忍耐(タパス)によって浄化し、7チャクラを通過します。

心が絶えず内なる世界から離れなくなると「スワー・ローカ」に入ります。
この世界に入った者は、「ヴィブラ(完成に近づいた者)」と呼ばれます。

この世界では、あらゆる喜び体験し、創造物(マーヤー)に関するあらゆる知識を得ます。
この世界の「磁気的な体(=心、コーザル体)」は、七色の虹(5タットワ+2磁極からなる)のように見えます。
この体をマントラによって浄化します。

次の「マハー・ローカ」は、神の世界への「門」、「ブラフマランドラ」とも呼ばれます。
この世界に入った者は、「ブラフマナ(霊性を達成した者)」と呼ばれます。
マーヤーは消滅し、聖霊の光や聖なる実体を理解するようになります。
この世界は、4つの観念(=4人のマヌ)の世界です。

次の「ジャナ・ローカ」に入った者は、聖霊によって清められた存在であり、「ジーバンムクタ・サンニャシ=キリスト」と呼ばれます。
聖霊による洗礼を受けると、マーヤーを脱し、神通力を得ることができます。
「人の子(アハンカーラ・自我)」が洗礼を受けて「神の子(プルシャ)」になるのです。

次の「タポ・ローカ」に入った者は、自己を供犠として捧げて、聖霊に溶け込みます。

最後の「サティヤ・ローカ」で、父なる神との一体化することは、「カイヴァリア」と呼ばれます。

 (ローカ)     (位階など)
・サティヤ・ローカ:カイヴァリア(父なる神との一体化)
・タポ・ローカ  :聖霊に溶け入る
・ジャナ・ローカ :サンニャシ=キリスト
・マハー・ローカ :ブラフマナ(霊性を達成した者)
・スワー・ローカ :ヴィブラ(完成に近づいた者)
・ブーヴァ・ローカ:ドヴィシャ(第二の誕生)
・ブー・ローカ  :シュードラ→クシャトリヤ→入門者


<ヨガナンダの思想>

ヨガナンダの思想は、基本的には、ラヒリとユクテスワから継承したものです。
以下、「パラマハンサ・ヨガナンダとの対話」で語った彼の言葉を中心にして、彼の思想を紹介します。

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彼の思想のキーワードであり、組織名にも使われている「セルフ・リアライゼーション」とは、「真我の覚醒」のことです。

また、サマディの種類について、「サヴィカルパ・サマディ」は、意識が無限なるものと融合する状態であり、「ニルヴィカルパ・サマディ」は、この世界で働いたり、話したり、動き回っていても、神なる覚醒を維持することができる状態である、という解釈をしています。

ヨガナンダは、「SRF」とその教えについては、次のように書いています。

「SRFは、クリシュナやイエス・キリストの原始教会によって教えられてきた原初の教え、ヨガの科学を、この世界に復活させるため、神により使われたのです」
「これは永遠なる真理の、新しい表現なのです」

ヨガナンダは、しばしばキリスト教について言及したり、聖書から引用を行いました。
彼にとっては、神の子として、クリシュナ=キリストです。
また、「キリスト意識」について、それが万物の内に偏在する聖なる意識であるとし、実践的には眉間のチャクラに感じられるといいます。

ちなみに、クリヤ・ヨガでは眉間への集中を重視します。
ここは上述した「クタスタ」の場であり、集中によって光を霊視します。

ヨガナンダは、神との関係については、情熱的なものであって良いと考えていました。

「神との付き合いは儀礼的であってはなりません。神と遊んでください。もしそうしたければ、からかいなさい。もしそうしたいなら、神をなじってもよいのです。――もちろん、いつも愛を感じながら」
「夜中に床を転げ回り、神に現れてくれるように願い、泣き叫びなさい。人は神を求めて恋いこがれなければなりません。そうでなければ神は決して姿を現すことはありません」

また、グルとの関係については、その必要性、特別性について説きました。
洗礼者ヨハネとイエスの関係もグルと弟子の関係だと言います。

「グルとの絆は、一度確立されるなら、それは今生にとどまりません。…グルとは神の叡智への道路です。神が真のグルなのです」

また、ハタ・ヨガ的な生理学については、次のように説きました。

「エゴは延髄に集中しており…脊髄は無限なるものへの高速道路です。あなたの身体は神の神殿です」
「善き想念を抱く時はいつも、クンダリニーが上昇を始めます」

また、「あるヨギの自叙伝」では、プラーナヤーマなどのハタ・ヨガ的な方法の効果について、血液中に酸素を供給し、その余分が生命エネルギーに変換されると書いています。
そして、「魂を肉体に縛り付けている呼吸という絆を解き放つことによって、ヨギの肉体寿命を伸ばしたり、意識を無限に拡大することを可能にする」のです。

また、「真のヨギは…心を常に脊髄中枢の超意識のレベルに置いて、神の意図されたとおりの人間としてこの世を生きている」のです。


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マハー・アヴァター・ババジの弟子達 [近・現代インド]

欧米にヨガやインドの宗教思想を伝えた有名な聖者に、パラマハンサ・ヨガナンダがいます。

スティーブ・ジョブスが自分のi-Padに唯一入れて読んでいた書籍が、ヨガナンダの「あるヨギの自叙伝」だったこと、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のジャケットにヨガナンダとその師が描かれていること、は良く知られています。

ヨガナンダの教えの中心は、伝説的な神人のババジが伝えた「クリヤ・ヨガ」です。
これはテクニカルなハタ・ヨガであり、近現代におけるハタ・ヨガの新しい運動であると言っても間違いないでしょう。

ヨガナンダは、幅広い人に向けて教えを説きましたが、具体的な「クリヤ・ヨガ」の実践方法に関しては、それがクンダリニーの上昇を目的とした難易度の高いタントラ的なものだったため、イニシエーションを含む非公開主義を徹底しました。

このページでは、まず、ババジとその弟子達について簡単に紹介します。
そして、続くページでは、スリ・ユクテスワとパラマハンサ・ヨガナンダの思想について、最後のページでは、ラヒリ・マハサヤの「クリヤ・ヨガ」の具体的な方法について紹介します。


<ババジと弟子達>

ヨガナンダの「あるヨギの自叙伝」には、ババジをはじめインドのヨギの信じがたい伝説的な逸話が溢れています。

ババジは、伝説的な不死の神人で、「マハームニ・ババジ」、「マハー・アヴァター・ババジ」などと呼ばれます。

ヨガナンダの「クリヤ・ヨガ」は、

 ババジ →ラヒリ・マハサヤ →ユクテスワ →ヨガナンダ

という継承経路で伝わりました。

ヨガナンダがアメリカに設立した「セルフ・リアライゼーション・フェローシップ(SRF)」は、「ババジのクリヤ・ヨガ」を説いている最も有名な組織です。
ですが、他にも多くのヨギ、組織がクリヤ・ヨガを伝えています。

ラヒリには多数の弟子がいましたし、ユクテスワにも多数の弟子がいました。
また、ラヒリ以外に、ババジから教えを受けたと主張する人も多くいます。
それぞれが説く「クリヤ・ヨガ」には、違いがあります。

ヨガナンダの「あるヨギの自叙伝」は、ババジについて次のように書いています。

ババジは、何千年にも渡って肉体を保持している不死身の「大化身(マハー・アヴァター)」で、彼の外観は25才くらいの若さに見えます。
彼は、数々のマスターや預言者を助け、使命を遂行させる役目を負っています。
そして、バドリナヤンに近い北部ヒマラヤの断崖に住んでいますが、少数の弟子たちとあちこちを移動しています。

つまり、神話的存在です。

また、ババジの弟子を主張する、ラヒリ以外の系列では、V・T・ニーラカンタン(1901-)、ヨギ・S・A・A・ラマイア(1923-2006)、マーシャル・ゴーヴィンダン・サッチダナンダ(1984-)らの系列がよく知られています。

ゴーヴィンダンは、その著「ババジと18人のシッダ」で、ババジを「18人のシッダ」の伝統に位置づけて、次のように書いています。

ババジは、シヴァ神の子ムルガンの化身で、将来、救世主のカルキ(マイトレーヤ)となる存在です。
また、神智学が言う「サナート・クマラ」でもあります。

ババジは、203年にタミル地方のシヴァ系寺院の僧だったバラモンの子として生まれました。
そして、「18人のシッダ」に当たるアガスティアとボーガナタルを師としました。
また、師としては、現在までの長い活動の中で、シャンカラやカビールにも教えました。


<ラヒリ・マハサヤと弟子達>

19Cにおけるババジの第一の弟子がラヒリ・マハサヤ(1828-1895)で、1861年にババジが彼にクリヤ・ヨガを伝えました。

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*ラヒリ・マハサヤ

ラヒリは出家をせずに、25年間、役人などとして働きながら、各地でクリヤ・ヨガを教えました。

ババジは実在が疑われますので、ラヒリが近代クリヤ・ヨガの起点となったヨギと言えます。

ラヒリが最初にクリヤ・ヨガを教えることを認めた一番弟子は、パンチャナン・バッタチャリヤ(1853-1919)です。

Panchanan_Bhattacharya.jpg
*パンチャナン・バッタチャリヤ

彼がラヒリに弟子入りを許可された条件は、家庭を持つということでした。
彼は、アーリヤ・ミッション・インスティテュートを設立しました。

ヨガナンダの師である、スリ・ユクテスワ・ギリ(プリヤ・ナス・カラー、1855-1936)も、ラヒリの弟子の一人です。

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*スリ・ユクテスワ

西ベンガルに生まれ、キリスト教の宣教師の大学や、カルカッタ医科大学で学びました。

その後、ユクテスワは、僧院のスワミ・オーダーに入り、また、1884年にはラヒリの弟子になりました。

1894年には、ババジに出会い、彼からヒンドゥーの聖典と聖書を比較した本を書くように依頼されたそうです。
これは「聖なる科学」として出版されました。

この書では、キリスト教を秘教的に解釈して、強引にヒンドゥー教(ヴェーダーンタ哲学)との同一性を主張しています。
この考え方はヨガナンダにも継承されています。

かつて、シク教がイスラム教とヒンドゥー教を統一した時も同様で、宗教の違いを越えるには、秘教的な部分を見るしかありません。

ユクテスワは、「クリヤ・ヨガ」以外にも、ギータやウパニシャッド、インド占星学にも通じていて、ユガに関する新しい理論(人類の意識が2万4千年周期で上昇・下降する)を作りました。
また、彼は、2つのアシュラムを持っていました。

ユクテスワの弟子には、ヨガナンダの幼馴染でもあるスワミ・サティアナンダ・ギリ、ユクテスワのアシュラムを引き継いだパラマハンサ・ハリハラナンダなどがいます。
ハリハラナンダの弟子のパラマハンサ・プラジュナナンダも含めて、彼らもクリヤ・ヨガの重要な師とされます。

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*ハリハラナンダ


<パラマハンサ・ヨガナンダ>

パラマハンサ・ヨガナンダの歩みについて、「あるヨギの自叙伝」をもとに、まとめます。

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*パラマハンサ・ヨガナンダ

パラマハンサ・ヨガナンダことムクンダ・ラール・ゴーシュ(1893-1952)は、ヒマラヤに近いゴラクプールで、ベンガル人のクシャトリアの家庭に生まれました。

両親はベナレスの聖者ラヒリ・マハサヤの弟子で、師はヨガナンダが誕生した時、祝福を与え、その後、亡くなりました。
ですが、ヨガナンダは、師の写真から不思議な力を感じながら育ちました。

高校の卒業後、ベナレスのある僧院に入りましたが、そこはヨガナンダには合いませんでした。
ですが、ベナレスの街で、偶然のように出会ったユクテスワに、特別なつながりを感じ、その場で弟子になることを申し出ました。

ユクテスワは、以前からヨガナンダが幻の中で見てきた人物だったのです。
また、ユクテスワはラヒリ・マハサヤの弟子だったのですが、ヨガナンダはそれを知りませんでした。

ユクテスワは、ヨガナンダに、将来、西洋に布教することになるから、大学で学位を取るように命じました。
ユクテスワが後に語ったところでは、ババジが彼に、西洋の布教のために弟子を送ると語っていたのです。

ヨガナンダは、ある日、師に心臓のあたりを軽く叩かれて、光の海の至福に一体化する神のサマディに導かれました。

1914年にカルカッタ大学の文学士の学位を取得し、その後、正式に僧院スワミ・オーダーの僧になりました。

1917年には、「ヨーゴーダ・サットサンガ・ソサエティ・オブ・インディア」を設立しました。
そして、1920年に渡米し、「セルフ・リアライゼーション・フェローシップ」(SRF)を設立し、クリヤ・ヨガを広めることに尽くしました。

ヨガナンダの死後も、SRFは歴代の会長によって運営されていますが、ヨガナンダはSRFの最後のグルであると宣言していましたので、他の誰もグルを名乗っていません。



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ラマナ・マハルシの真我探求 [近・現代インド]

ラマナ・マハルシは、若い時に、グルもなく、瞑想の訓練や習得もなしに、一挙に「真我」を見出した稀なる聖者です。

ラマナは、ラーマクリシュナ同様、西洋的・近代的な教育を受けていません。
そのため、インド的ではありますが、宗教的な教育を受けたり、勉強を行っていなかったため、彼の教えは極めてシンプルです。

ラマナは、純粋な主体としての「真我」を見出すために、「私は誰か?」と問うだけの、直接的な「真我探求(アートマ・ヴィチャーラ)」の道を説きました。

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<人生>

ラマナ・マハルシ(1879-1950)は、南インドのマドライ近郊の村のバラモンの家庭に生まれました。
バラモンとしての宗教的教育を受けず、キリスト教の学校に通いました。

ですが、16-17才の時に、インドの聖者に関する書を読み、興味を持ちました。
その後、親戚の死を期に、死の恐怖に襲われ、それを解決するために、時分が死んでいると想像すると、突如、「真我」に目覚めました。
その気づきは、一時的なものに終わらず、起きている時も寝ている時も継続しました。

6週間の後、ラマナは家を捨て、聖地アルナーチャラの洞窟に住むようになりました。
彼は、そこで長期に渡って三昧に入り続けました。

やがて、ラマナに惹かれた修行者が、彼の回りに集まり始めました。
そして、ラマナは、回りに人間の期待に応えて、山麓まで降りることになり、彼の噂が広まりました。

その噂によって、ラマナの母は、失踪した息子を見つけることとなりましたが、彼女は、ラマナの弟子として彼の元に留まりました。
やがて母がなくなると、ラマナは彼女の墓の近くに住むようになり、そこに彼を慕う者達によるアシュラムが生まれました。

パラマハンサ・ヨガナンダも、帰国した時に、ラマナを訪れています。

ラマナには、グルはいませんでした。
また彼の回りには、多くの者がいましたが、彼は、「真我(アートマン)」のみがグルであるとして、誰も弟子とは認めませんでした。

ラマナは、もともとヴェーダーンタ哲学などを勉強していませんでしたが、人から聞かれることに答えるために書物を読んで不二一元論を知り、それが自分の体験に合致することを知りました。
ですが、哲学の込み入った迷路は必要ないと説きました。

ラマナは、アルナーチャラから他の場所に移動することなく亡くなりました。


<真我>

ラマナは、「真我(アートマン)」を探求する「真我探求(アートマ・ヴィチャーラ)」を主張します。

「真我」は、対象とならない「主体」であり、想念を持ちません。
それに対して、自我(自己)は、対象となりうる想念です。
「真我」は、常に存在し、それに気づくには、想念を持たず、主客を持たないことが必要です。

ラマナは、「真我」の状態を、ヴェーダーンタ哲学の伝統と同様に、「サット(存在)・チット(意識)・アーナンダ(至福)」とも表現します。

そして、「真我」の第一の表現を、「私-私」、「私はある(I AM)」としました。

また、「真我」を「神」とも表現しました。
ですが、人格神や創造神(イーシュワラ)などについては、「消え去るべき最後の非実在の姿」とも語りました。

そして、「真我」を知ることを「ジニャーナ(智慧)」と表現し、その体験の意識状態を、ヴェーダーンタ哲学同様に、「第四の状態(トゥリヤ)」と表現しました。


<サマディ>

ラマナは、「サマディ」に関して、次のような独特の定義を行い、また、いくつかに分類しました。

「サマディ」は、「目覚めの状態で絶えず真我の中に留まる」こと、「実在につかまっている」状態です。

そして、「サマディ」の最初の段階である「サヴィカルパ・サマディ(有想三昧)」は、努力して「サマディ」の状態を維持する「サマディ」です。

次の「ケーヴァラ・ニルヴィカルパ・サマディ(完全無想三昧)」は、もはや努力は必要としませんが、一時的な「サマディ」です。
そして、「ヴァーサナー(潜在印象、カルマの種子)」から解放されていません。

最後の「サハジャ・(ニルヴィカルパ・)サマディ(自然無想三昧)」は、努力が必要なく、永続的な「サマディ」です。
その状態は、原初の、生得の、自然なものであり、「実在に溶け込み」、「世界に気づかずにとどまっている」状態です。

また、別の観点からの分類で、「外的サマディ」は、「世界を目撃している間も、内面ではそれに反応することなく実在を捉えていること」で、「波のない静寂な海」のような状態です。

一方、「内的サマディ」は、「むらのない炎」のような状態です。

そして、「サハジャ・サマディ」は、両者の統合、同一視です。


また、ラマナは、「真我」を発見した人(ジュニャーニ)の意識状態について、次のように説きました。

「(ジニャーニには)24時間を通して途切れることのなく続く一つの状態だけがあります。…深い眠りは目覚めの状態においてさえいつもあるのです。我々がなすべきことは、「意識している眠り」を得るために、深い眠りを目覚めた状態の中にもたらすことなのです」(「不滅の意識」)


<真我探求の方法>

ラマナは、「真我」を見出すための自身の方法を「真我探求(アートマ・ヴィチャーラ)」、あるいは、「探求(ヴィチャーラ)」、「探求の道(ヴィチャーラ・マールガ)」と表現します。

彼はこの方法を一番に勧めますが、他の方法を否定するのではなく、どれも方法にすぎないと言います。
ですが、「探求」は、唯一直接的な道であり、それを「ジュニャーナ・ヨガ」と表現することもありました。

ラマナは、「探求」と「瞑想(ディヤーナ)」を対比して説きます。
「瞑想」は対象に集中する方法であり、対象と共に自我があります。
それに対して、「探求」の特徴は、どちらもなく、「主体」だけになることです。

「瞑想には瞑想の対象が必要になる。一方、ヴィチャーラには対象がなく、主体だけがある。ヴィチャーラと瞑想が異なるのはこのためである」(「あるがままに」)

その主体だけになるための方法は、「私は誰か?」と問うことです。
なぜなら、「私」というのは第一の想念、第一の対象だからです。

「「私」を第一の想念と呼ぼう。この「私」という想念を心に保ちなさい。そしてそれが何なのかを見出すために問いただなさい。この問いがあなたの注意を強引に引き留めるようになった時、他に何も考えることができなくなる」
「心はただ、「私は誰か?」という探求によってのみ沈黙する。「私は誰か?」という想念は、他のすべての想念を破壊し、最後には、萌えている薪の山をかき混ぜる棒のように、「私は誰か?」想念自体もほろぼされてしまう」(以上「あるがままに」)

ラマナは、質問者が瞑想について質問した時、「瞑想するのは誰か?」と問い、また、神秘的なものを見たと伝えた時「それを見たのは誰か?」と問うことが良くありました。

「私は誰か?」と問うことは、「私」という想念が生まれた「源」である主体を問うことであり、意識を対象から主体に向かわせるのです。

「自我の源を探求し、自我が消えれば、残っているものが真我です」
「私という想念が湧き上がってくるところを発見しなさい」(以上「不滅の意識」)

それを段階的な「否定」を通して行うことも方法です。

「身体はあなたではない、感情はあなたではない、知性はあなたではない、ということを悟るように努めなさい。これらのすべての想念が静かになった時、あなたはそこにある何か他のものを発見するでしょう」(「不滅の意識」)

「真我」の第一の表現である「私はある」を理解することを通して行うことも方法です。

「「私はある」というのは神です。想念ではありません。「私はある」を良く理解し、「私は…である」を考えないようにしなさい」(「不滅の意識」)


<フリダヤムとハタ・ヨガ>

ラマナは、「真我」を直観する場所を、胸部の中央からやや右側として、それを「フリダヤム(心臓、中心)」と表現しました。

ですが、あくまでも「真我」は空間を越えた存在です。
また、右胸に集中する瞑想を勧めることもありませんでした。

ラマナは、この場所について説いた聖典にあるのかと聞かれて、アーユル・ヴェーダの権威書の「アシュタンガ・フリダヤム」に「オジャス・スターナとは胸の右側にあって意識の座と呼ばれている」(あるがままに)と書かれていると答えています。

また、ラマナは、「フリダヤム」について、次のように語っています。

「もし身体の中のどこに「私」という想念が最初に現れるかを探求するなら、それはフリダヤムの中に現れることが発見されるだろう」(「私は誰か?」)
「フリダヤムの中の小さな穴はいつも閉じられたままですが、それは探求によって開かれます」(「不滅の意識)」


ラマナは、ハタ・ヨガや、意図的にクンダリニーを上昇させることについては、それを勧めません
ですが、「真我」を見出すことによって、クンダリニーの上昇は自然になされると言います。

「探求によって心が真我に溶け去った時、真我と異ならないクンダリニーあるいはシャクティは自動的に目覚めるであろう」
「クンダリニーとはアートマ、真我あるいはシャクティのもう一つの名前にすぎない。…実際、クンダリニーは真我と異ならず、内側にも外側にも存在しているのである」(以上「あるがままに」)

また、クンダリニーは、頭頂に上昇させて終わりではありません。

「クンダリニーはスシュムナーを通ってサハスラーラに達し、サハスラーラからジーヴァ・ナーディを通ってフリダヤムへ降りていく」

これは多分、アムリタの下降について述べているのでしょう。
「ジーヴァ・ナーディ」は「アムリタ・ナーディ」あるいは、「パラ・ナーディ」とも呼ばれるようです。

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クリシュナムルティの反伝統主義 [近・現代インド]

クリシュナムルティは、近現代のインドの聖者の中では、徹底的な反伝統主義という点で特異です。
ですが、彼の思想は、原始仏教や近年のヴィパッサナー瞑想、禅、ゾクチェンなどのシンプルな仏教に近いものです。

クリシュナムルティは、神智学協会によって、救世主の世界教師を受け入れる器になる特別な存在として育てられました。
ですが、自身の神秘体験に基づき、自らそれを否定しました。

そして、あるがままの真理というシンプルな教えを説きました。
それは、一切の伝統や権威、信仰、形而上学を否定し、また、あらゆる思考、意志的行為を否定するものでした。

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<神智学協会時代>

ジドゥー・クリシュナムルティ(1895-1986)は、名家のバラモンの長男として生まれました。
父は、役人を退職した後、神智学協会で働いていました。

1909年、クリシュナムルティは14才の時、神智学協会のチャールズ・W・リードビーターによって見い出されました。
クリシュナムルティのオーラの美しさと、利己性のなさから、彼を「世界教師(ロード・マイトレーヤ、キリスト)」が受肉する器であると認めたのです。
そして、クリシュナムルティは、きたるべき救世主として、神智学協会によって育てられることになりました。

クリシュナムルティの宗教的教育は、リードビーターが行ったようですが、その実態は分かりません。
1910年、クリシュナムルティが、リードビーターに霊体離脱で連れられて、不可視のマスター達に会い、その時に伝えられたことを著したのが、「マスターの御足のもとで」とされています。

1911年、16才の時に、神智学協会は、「世界教主」としてのクリシュナムルティを支援する「東方の星教団」を結成しました。

また、クリシュナムルティは、協会会長のアニー・ベザントの養子になり、留学のためにイギリスに渡りました。
イギリスでは、有名なオカルト系作家ブルワー・リットンの孫娘のもとで生活し、主に家庭教師の元で学びました。
ですが、クリシュナムルティは、オックスフォードなどの大学を受験して、2年続けて失敗しました。

1920年には、パリにも行きましたが、この頃、仏陀の言葉に興味を持ったようです。

1921年に、クリシュナムルティは、インドに帰国しました。
ですが、1922年には、弟のニティーヤナンダの病気治療のために、カルフォルニアのオーハイバレーに移住しました。

同年の8月から、毎日規則正しく、マイトレーヤを観想して集中する瞑想を始めました。
そして17日から20日にかけて、神秘体験を体験します。
霊体離脱して、ブッダの存在を感じ、弥勒、クートフーミの姿を見ました。
そして、回りのすべてのものになる体験をしました。
この時の体験に関して、クリシュナムルティは、「真理の泉が私に開示された」と書いています。

この神秘体験は、首筋(こぶ)に痛み、体の震え、他人がそばにいることも耐えられないといった心身の症状を伴ったもので、病とも言うべきものでした。
そして、この神秘体験の前に、後頭部などの肉体に強烈な痛みを感じる体験は、後に「プロセス」と呼ばれるようになり、少なくとも1962年まで続きました。

1926年、7月、「東方の星教団」の講話で、ロード・マイトレーヤについて話している途中、クリシュナムルティは、一人称になり「私はやって来た」と発言しました。
このことから、ベザントらは、クリシュナムルティがマイトレーヤに認められたことを確信しました。

1927年には、クリシュナムルティも、リードビーターに宛てた手紙で、「私は唯一なる(世界)教師の意識の中に融合しつつあり、彼が私を完全に満たすであろうことをはっきりと確信しています」と書いています。

しかし、クリシュナムルティは、教団の講演などで、自分が真理を見出したことと共に、「真理は諸君の中にある」と語るようになりました。
これは、当たり前のことなのですが、クリシュナムルティを救世主と見る人々からすると、救世主の意味を否定することにつながる発言でもあり、不安を生むことになりました。

クリシュナムルティは、後に、マイトレーヤを見て一体化したことに関して、次のように語っています。
「少年の頃…クリシュナ神をよく見た…神智学協会と出会ってから、私は、マスター・クートフーミを見るようになって…それからしばらく経つと、今度はロード・マイトレーヤを見るようになった。…そして最近、私が見ているのは仏陀であり…私は「最愛の方」が誰を意味しているのか尋ねられた…それはこれらすべての形姿を超越したものである…大空であり、花々であり、そしてあらゆる人間のことである」

1929年には、クリシュナムルティは、回りの人間が彼に求めているものが、一種の幻想であり、それを求めている限り真理に到達できないと確信するようになり、皆に自立を求めるようになりました。

「諸君のほとんどは「絵」を求めており、そしてその「絵」が生きたものになる時、そうならないことを願うのである。なぜなら、その「絵」は諸君に諸君自身の内側へと向かうように告げ…るからである」
「諸君は私に頼ることなく、自ら解放をとげなければならない。…諸君は私を権威にしてはならない」

そして8月3日、とうとう「東方の星教団」の解散を宣言し、次のように語りました。

「…真理は道なき領域であり、諸君はいかなる道、いかなる宗教、いかなる宗派によってもそれに至ることはできない。…
信念は純粋に個人的なことがらであって、それを組織化することはできないし、またそうすべきではないのだ。…
私はたったひとつの目的を持っている。人間を自由とし、自由へと促し、一切の制約を脱するのを助けることである。…
組織は諸君を自由にすることはできない。いかなる人も外側から自由にすることはできない。…」

クリシュナムルティは、真理の道への妥協を許さず、信仰を心の支えとして必要とする人に方便を説くという道を選ばなかったのです。

クリシュナムルティは1930年には神智学協会も脱会しました。

ちなみに、後に、クリシュナムルティは、神智学の教本をどれ一つとしてまともに読み通したことがなく、その用語も理解できなかったと告白しています。
神智学だけでなく、インドあるいは西洋の聖典を一切読んだことがない、とも書いていますが。
また、クリシュナムルティは、ベザントの死後に起こった何らかの出来事によって、神智学協会時代の記憶を失ったと述べています。

ですが、晩年、クリシュナムルティは神智学協会と互いに一種の和解をしていて、アディヤール本部を訪問し、神智学協会もクリシュナムルティを名誉会員的に認めています。


<一人の人間として>

神智学協会を脱退した後も、クリシュナムルティは、すぐに講演活動を開始し、世界中を旅しました。
神智学協会脱会後の講演は、より宗教色が薄れたものになりました。

第二次大戦後も、死の直前まで、インド、アメリカ、イギリス、スイス、オーストラリアなどなどをほぼ定期的に回って、公開トークを催しました。
また、クリシュナムルティ・スクールで生徒や教師と話し合い、個人面談にも応じました。

1968年から1970年にかけては、スタンフォード大学など、アメリカの大学で一連のトークを行いました。
この時には、フリッチョ・カプラやケン・ウィルバーら、ニュー・エイジの論客も聴講しました。
クリシュナムルティは、ニュー・エイジ運動において、高く評価されました。

クリシュナムルティが交流した人物には、作家のオルダス・ハックスレー、物理学者のディッド・ボームらがいます。
ちなみに、鈴木大拙とも2度ほど会っていますが、互いにそれほど興味を持たなかったようです。

ちなみに、クリシュナムルティには聖者のイメージありますが、実生活に関しては、様々な問題を持っていたようです。
弟のニティーヤナンダが亡くなった後、ラージャゴパルがクリシュナムルティに関わる事業のマネージャーを務めていました。
そして、クリシュナムルティは、オーハイで、彼とその妻のロザリンド、その娘の4人で共同生活をしていました。
ですが、クリシュナムルティは、ロザリンドに子を孕ませ、堕胎させました。


クリシュナムルティには、きわめて多数の著作(インタビュー集、講演集など)がありますが、以下、「自我の終焉(以下「終焉」)」、「自己の変容(以下「変容」)」、「クリシュナムルティの瞑想録(以下「瞑想録」)」の3書から引用しながら、彼の思想を紹介します。


<伝統と権威の否定>

クリシュナムルティの思想の特徴は、反伝統主義、反権威主義です。
彼は、どのような信仰も、宗教・宗派も、組織も否定します。

「(私は)どのような宗教的、非宗教的なグループにも属してはいません。ひとりひとりが自分自身の光でなければならないのです」(「変容」)
「信仰というものは真理の否定であり、真理を妨げるものです」(「終焉」)

クリシュナムルティは、神も師弟関係も認めません。

「神を見出したりはできない。神に至る道などはないのである」
「導師と弟子のような上下の関係では協力は生まれない。導師と弟子とはお互いの依存を通じて無明に落ち込んでしまうのである」(以上「瞑想録」)

そして、インドの宗教的伝統に関して、是非の2つの面があると語りました。

「インドほど伝統が重くのしかかっている国は他にない。これが本当のインドの本当の問題である。
…(しかし)その下にはインドの真の遺産、生きた部分、過去からの真の遺産が埋まっている。…そこに深い無執着と真実なるものへの深い感性が依然として力強く生きていることを見出すであろう。」(「終焉」)


<あるがまま>

クリシュナムルティにとっての「真理」とは、「あるがまま」を理解して、「あるがまま」でいることです。

「非難もせず、正当化もせず、自己を他のものと同一化もせず、あるがままのものをあるがままに認識したとき、私たちはそれを理解することができるのです」
「あるがままのものを認識し、自覚し、理解することで、心の戦い――葛藤は終わってしまうはずです」(以上「終焉」)

クリシュナムルティは、「あるがまま」の状態を、「天真爛漫」とも表現します。

「思考を超越したものは、天真爛漫さであって…愛と同様、天真爛漫さこそが不死なのである」(「瞑想録」)

また、「あるがまま」の状態を、「空」と表現することもありました。

「経験したもの、あるべきもの、未来になるものを完全に否定することによって「空」になる時、――その時にだけ、その「空」の中に創造が起こります。」(「変容」)


<問題>

クリシュナムルティは、すべての問題は、社会ではなく、個人にあると説きます。

「害毒や無数の問題を生み出しているのは、「あなた」や「私」という個人の方であって、普通、私たちが考えているように、世界の方ではないのです。世界は「あなた」と「他の人」との関係であり、「あなた」や「私」と別の存在ではないのです」

そして、クリシュナムルティは、問題は、今、この場で解決すべきものであると説きます。

「その真実を即座に感じ取り、その結果、混乱を直ちに終わらせてしまうことができるのでしょうか…可能である」
「変革というものは、この今にのみ起こるものであり、しかもそれは、一瞬ごとに起こるのです」(以上「終焉」)


 <思考が生み出すもの>

クリシュナムルティは、「自我」、「私」を捨てるべきであると説きます。

「創造的状態は、…自我が消えた時にのみ、生まれてくるのです」(「終焉」)
「「私」がなければ、あなたは条件づけられていません。…「私」が行っていることのすべてを見る時にだけ、それは止まります。」(「変容」)

クリシュナムルティは、ヴェーダーンタ哲学的の「真我」、「梵」を説きません。

「この世にも我々自身の中にも、永続的なものなど何ひとつ存在しない。…思考はイメージを作り上げ、そのイメージに永続性を与え、それをアートマンなどと呼びならわし、…それに執着する。こうしたことはすべて思考の活動であり、恐怖の温床となり、…ブラフマンも同様にして思考の産物なのである」(「瞑想録」)

クリシュナムルティの思想は、「無我説」であると言って間違いではありませんが、釈迦自身がそうであったのと同じで、それを「無我説」という教義・哲学にはしませんでした。

また、クリシュナムルティは、「私」による「思考」は、分裂を招くと説きます。
それらは、習慣的な「反応」であり、蓄積された「過去」であり、それは「選択」を導き、「闘争」や「恐怖」に至るからです。

逆に「思考」がなくなった時、「愛」があると説きます。
ですが、「感情」としての「愛」は否定すべきものであって、「思考」が「感情」や「快楽」を生み出すのです。

「愛があるときのみ、観念は終焉するのです。愛は記憶ではありません」
「愛は感情ではありません。感傷的になったり、感情的に走ることは愛ではありません。…感情は思考のプロセスであり、思考は愛ではありません。」(以上「終焉」)

また、「快楽」も「思考」の産物です。

「快楽を与えるのは思考であって、性的な快楽、目的達成の満足感などは思考から生まれるのである」(「瞑想録」)

このように、クリシュナムルティは、思考を捨てることを言葉によって説きました。
ですが、思考・言語を創造的にする可能性については語りませんでした。


<瞑想と瞑想法>

クリシュナムルティは、真理に至るためのすべての「方法」を否定します。

「一定のパタンに従うことによって、私たちは自分を理解することはできないのです。このような理由で、自己認識のための方法というのは存在しないのです」(「終焉」)
「「自我」を滅する方法を求めていては、他なる「自我」の滅却過程であなたは別の自我を作り上げてしまう」(「瞑想録」)

そのため、「瞑想法」も否定します。
特に、古典ヨガのような、集中を伴う「瞑想法」を否定します。

「集中は排除の過程なのです…集中は瞑想ではありません。…瞑想は理解することです。排除のあるところに、どうして理解が生まれるでしょうか」(「終焉」)

つまり、一切の作為を否定し、「あるがまま」であることだけが必要なのです。
もちろん、それは「思考」を否定し、「あるがまま」を見ることです。

「瞑想は言葉の終わったところから始まる。…瞑想とはあらゆる表象やイメージ、記憶から、精神を自由にすることである」
「瞑想とは、過去に捕らわれることなくあるがままの現実を見るような精神から生まれる」

その時、瞑想は、「新たなものの不断の開示」となり、「一個の運動」になります。
そして、「分離の空間は終焉」し、「生の全体」となります。(以上「瞑想録」)

このように、クリシュナムルティは、方便としての方法を一切、受け入れることをしませんでした。
ですが、それは一種の理想主義であり、現実的ではないのではないでしょうか。


<受動的な注意力>

クリシュナムルティの瞑想は、仏教の瞑想に似ています。

クリシュナムルティは、我々が木を見て、木に対する反応が心の中で起こることを例にして、次のように語ります。

「木に対して反応があるとき、この反応は条件付けられたもの、すなわち、過去の記憶や経験からの反応であり、それが関係の中に分離をもたらします。この反応によって、関係の中に、いわゆる「私」と「私でないもの」が生まれるのです。」

これは、仏教が、五蘊の「色受想行識」の認識プロセスを意識して、「想」以降の反応を習慣的な煩悩であるとして、それを止めることと似ています。 

「私たちは木を見、同時に自分自身を見ることによって、分離の原則―「私」と「私でないもの」の原則―を根絶するのです。」

対象と反応を観察することで、煩悩的な反応を止めるのです。

「過去の反応は無意識のうちに起こります。…思考なしに木を観察することは、過去から免れた行為です。過去の運動を観察することも、過去から免れた行為なのです。」(以上「変容」)

クリシュナムルティは、この観察の仕方について、「受動的な凝視」、「受動的な注意力」などと表現します。

「受動的な注意力は、訓練や練習によって出てくるものではありません、それは一瞬一瞬絶え間なく、私達の思考や感情の動きをじっと凝視していることなのです」
「あなたが受動的に凝視している時、…いかなる判断も行われないのです。…絶え間なく継続して凝視することができるなら、あらゆる問題は表面的にではなく、根本的に解決されてしまうのです」(以上「終焉」)

あるがままの受動的な観察を行うことは、エネルギーを意志的に浪費せず、それを気づきのために使うことです。

「常にあるがままの姿を曇りなく見つめるためには、全エネルギーを集めた注意力が必要である。…この全的エネルギーは、禁欲や純潔と無所有の誓いといったものからは生まれない。なぜならば意志的な決心や行動には思考が介在しており、思考はエネルギーの浪費に他ならないからである」(「瞑想録」)
「この浪費が完全になくなった時、「気づき」と呼べる、あるエネルギーの質があります。」(「変容」)

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オーロビンド・ゴーシュのインテグラル・ヨガ [近・現代インド]

オーロビンドは、近・現代インドの聖者達の中で、ヨガを真に現代的視点から捉えた直した点で、特出した人物です。

オーロビンドは、進化を重視し、生命=進化=ヨガと捉えました。
そして、彼が提唱した「インテグラル・ヨガ(統合的ヨガ)」は、人間の全能力を変革し、それを生活の中で活かすためのものでした。

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<人生>

オーロビンド・ゴーシュ(1872-1950)は、カルカッタの医師の三男として生まれました。
父はブラフマ・サマージの指導者でした。

オーロビンドは、5才の時に、イギリス人の師弟のための学校に入学し、7才の時には、両親と共にイギリスに渡り、聖職者で語学者の家に預けられて、各種の教育を受けました。
1890年には、ケンブリッジのキングス・カレッジに入学し、主席で卒業しました。

1893年、オーロビンドはインドに帰国し、バローダ・カレッジの副校長に就任しました。
彼は、サンスクリット語を勉強して、マハーバーラタなどの古典、インド哲学、ヴィヴェーカーナンダなどを読んで学びました。
ですが、彼が一番興味を持っていたのは、詩作でした。

1904年頃から、ラーマクリシュナ・ミッションの関係者などにヨガを学び始めました。
1906年には、カルカッタの公民専門学校の校長に就任した後、日刊紙に執筆するなど、インド独立の政治活動に熱中しました。
その一方で、別の師からヨガを学び、サマディを体験したようです。

1908年、オーロビンドは逮捕されましたが、その勾留中に、「バガヴァッド・ギーター」、「ウパニシャッド」を熟読して影響を受けました。
また、瞑想中に疑問を持った時、ヴィヴェーカーナンダの声が聞こえて、アドバイスをしてくれたそうです。
この時、ヴィヴェーカーナンダは、すでに亡くなっていましたが。

1909年に釈放された後、週刊誌「カルマヨーギン」、「ダルマ」を発行しましたが、オーロビンドの興味は、内面的な真理へと移っていました。

1910年、オーロビンドは、南インドのボンディチェリーに移住しました。
1914年には、哲学雑誌「アーリア」を発行し、執筆に務めました。
「神聖な生活」、「ヨガの総合」などの彼の主要な著作は、ここで6年半の間に掲載したものです。


<内化と進化>

一般的に言って、インドの伝統的な世界観は、堕落論(展開説)と循環論であって、進化論ではありません。
ですが、オーロビンドは、西洋の進化論の影響を受けて、東西の思想を統合して「内化(インヴォリューション)」と「進化(エヴォリューション)」で考えました。

オーロビンドによれば、世界は絶対者が展開・下降して「内化」したものであって、世界はその内在化した絶対者が発現・解放するように「進化」し、上昇するのです。

オーロビンドは、次のように書いています。

「西洋の進化の概念は…進化そのものの意味を発見しようとはせず…」
「「進化」という言葉は…先行する「内化」の必然性を示唆するもの」(以上、「スピリチュアル・エボリューション」)

また、進化における人間の意味について、次のように書いています。

「人間の出現によって、自然はこの手段(人間)の意識的な意志によって進化することが可能となった」(「シュリ・オーロビンドの教えとサーダナーの体系」)
「人間は…進化の意味そのもの、自然の主人公である」(「スピリチュアル・エボリューション」)
「精神の進化は…内在するものの発現…」(「スピリチュアル・エボリューション」)


<8つの存在要素>

オーロビンドは、次のように、存在を8つの要素で考えます。

(絶対者) (世界)
存在  - 物質
意識-力 - 生命
至福  - 霊魂
超心  - 心

右の世界(低次の存在)の4要素は、左の絶対者(高次の存在、精神)の4要素の投射であり、対応しています。

「存在・意識・至福」の3要素は、ヴェーダーンタ哲学で「絶対者」を表現する「サット・チット・アーナンダ」です。
「チット」を、オーロビンドは「意識-力(コンシャスネス-フォース)」と表現します。

この3要素は、「超心(スーパーマインド)」としても現れます。
また、これは、「最高の真理意識」とも表現され、それは「主観的知識」であもり「客観的認識力」でもあります。

「超心」は、「心」が接している部分のようで、オーロビンドは次のように書いています。

「超心を通して神の存在へと上昇していく」
「心と超心がベール越しに出会う。このベールを取り払うことが、人間が神聖な生活の条件になる」(スピリチュアル・エボリューション)

世界は、基本的に、「物質」→「生命」→「心(マインド)」と順次に進化します。
これらは、階層をなしていると言えます。

また、「生命」は、金属→植物→動物→人間という進化の中で顕在化してきます。
「心」は「生命」の中だけではなく、偏在する存在であるとも書いています。

そして、「霊魂(ソウル、サイケ)」は、「心」、「生命」、「物質」の結節点に顕在化する第4の要素だと表現しています。
「魂」と「心」の進化、階層の関係ははっきりしません。
ですが、金属→植物→動物→人間という進化の階層と、8要素の対応関係を見ると、
「物質」→「生命」→「霊魂」→「心」という階層を考えたくなります。


絶対者に関しては、「存在・意識・至福」とは別に、「プルシャ(純粋意識)」、「アートマン(真我)」、「イーシュヴァラ(自在神)」という3つの側面を持ちます。

オーロビンドは、ヴェーダーンタ的な一元論の立場に立っているようで、サーンキヤの2元論に対しては批判しています。
彼は、「プラクリティ(純粋物質)」を、「プルシャ」の「マーヤー」、「シャクティ」としての一側面であると考えます。
また、「プルシャ」を「存在(サット)」、「プラクリティ」を「意識(チット)」であると考えます。

また、オーロビンドは、現世肯定的な思想の持ち主なので、その観点からは、「プラクリティ」を「マーヤー」と見て否定するヴェーダーンタよりも、「シャクティ」と見て肯定するタントラを評価します。

「イーシュヴァラ(自在神)」という側面に関して、神の人格性に関しては、その「意識」という側面までを認めますが、それ以上の人格性は認めません。


<進化とヨガ>

オーロビンドの世界観は、世界は絶対者が展開して「内化(involution)」したものであって、世界はその内在化した絶対者が顕在化して「進化(evolution)」する存在です。
ですから、生命とは、精神とは、人間とは、進化する存在なのです。

そして、ヨガとは、クンダリニー・ヨガに明瞭なように、その進化を凝縮した行為なのです。
つまり、オーロビンドは、クンダリニーを上昇させることが、世界に内化して眠れる絶対者を顕在化して上昇させることの象徴のように見なしました。

このヨガ観を、オーロビンドは、「生命全体がヨガである」と表現しました。

そのため、オーロビンドのヨガは、2つの特徴を持っています。
人間のすべての能力を伸ばすこと、それらを生活の中で活かすことです。

オーロビンドは、次のように書いています。

「人間の内なる自然の通常の活動は、すべての要素が複雑にからみあった統合的な運動であり…私たちが追求するヨガもまた自然の統合的活動である」
「ヨーギのトランス状態は…目標では決してなく…見る、生きる、活動する意識すべての拡大と向上のための手段だ」(以上「インテグラル・ヨガ」)

このように、オーロビンドにとってのヨガは、絶対者との合一の体験を、人間の全能力を生活の中で生かすように変えていくべきものなのであって、隠遁するものではないのです。
この、現世肯定的で、総合的なヨガであり、オーロビンドは、それを「インテグラル・ヨガ」と呼びました。


<5つのヨガの弱点>

オーロビンドはヴィヴェーカーナンダの影響を受けましたが、そのヨガ観はまったく異なります。
ヴィヴェーカーナンダは、人の性格によって「バクティ・ヨガ」、「カルマ・ヨガ」、「ラージャ・ヨガ」、「ジュニャーナ・ヨガ」の4つから選択するという形で、ヨガを紹介しました。
「ラージャ・ヨガ」は古典ヨガ(8支ヨガ)ことで、「ハタ・ヨガ」はそのプラーナヤーマの支則として少しだけ紹介されました。

ですが、オーロビンドは、それぞれのヨガには弱点があり、偏りがあると考えます。

「ハタ・ヨガ」は、基本的に肉体と生命に働きかける方法であり、「ラージャ・ヨガ」は心、「バクティ・ヨガ」は心の中の感情に、「カルマ・ヨガ」は意志に、「ジュニャーナ・ヨガ」は知性に働きかける方法であって、他を伸ばしません。

オーロビンドの「インテグラル・ヨガ」は、人間の全能力を伸ばすことを目指すので、どの種類のヨガを選んでも、それだけではダメなのです。

また、「ハタ・ヨガ」は生命と肉体を扱いますが、その並外れた完成によってそれを乗り越えて、精神(超心、絶対者)の次元に入ることができます。
ですが、「ハタ・ヨガ」は人間生活から完全な断絶を強いるのだと言います。

「ラージャ・ヨガ」も、心を扱いますが、その並外れた完成によってそれを乗り越えて、精神の次元に入れます。
オーロビンドは、「ラージャ・ヨガ」を基本的には古典ヨガ(8支ヨガ)として捉えていますが、「ハタ・ヨガ」の手法も利用し、クンダリニーを上昇させるものと考えています。
ですが、「ラージャ・ヨガ」の特徴を、集中とトランスとして捉えていて、トランスという例外的な状態に依存しすぎると言います。

・バクティ・ヨガ  :感情:愛
・カルマ・ヨガ   :意志:労働
・ジュニャーナ・ヨガ:知性:知識

・ラージャ・ヨガ  :心→精神
・ハタ・ヨガ    :肉体・生命→精神


<タントラの道>

オーロビンドは、以上の5つの道(ヨガ)以外に、「タントラの道」をあげて、重視しました。
彼は、「タントラの道」は、総合的ですが、独特で、他のヨガと違ってヴェーダ的手法と区別していると書きます。

彼の言う「タントラの道」が具体的には良く分からないのですが、「タントラ・ヨガ」とは表現せず、「ハタ・ヨガ」とも区別していることから、儀礼的な要素も含んでいるのでしょう。
逆に、「ハタ・ヨガ」に関しては、ヴェーダ的・バラモン的なものとして解釈しているのでしょう。

また、「タントラの道」の特徴は、自然的側面をヴェーダのように「マーヤー」として否定するのではなく、「シャクティ」として重視して、精神(絶対者)を見出すことです。

オーロビンドは、次のように書いています。

「人間の中の自然(シャクティ)を精神の顕在化する力へと高めることが、タントラの手法である」
「プルシャ(絶対者)がエネルギー(シャクティ)エネルギーの活動に熱中している時、そこには活動、創造、生成の愉楽、つまり、アーナンダがある」(以上「インテグラル・ヨガ」)

また、タントラの左道に関しても、「徳と罪の二項対立の行き過ぎに不満を抱いて、それを行為の自然的な真正さという概念に置き換えた」と書き、その本来的な意味については否定はしていません。

オーロビンドは、このように、「タントラの道」を、統合的であること、現世肯定的であることで評価したのです。


<インテグラル・ヨガ>

オーロビンドの「インテグラル・ヨガ」は、誰もが歩むべき、一つの体系化されたヨガではないようです。
いくつかの法則、特徴がありますが、限定された方法ではありません。

最初に一つの道を選びますが、どれという決まりはなく、なるだけ早く絶対者のサマディに到達できる道が望まれます。
その後で、絶対者(精神)を、すべての能力に反映させることで、それらを伸ばし、統合するのです。
オーロビンドは次のように書いています。

「知性、意志、感情、感覚、肉体のそれぞれの活動の中に、神に由来する衝動を感じられるように…その時、人間は超人になる」(「インテグラル・ヨガ」)

オーロビンドは、「カルマ・ヨガ」、「ジュニャーナ・ヨガ」、「バクティ・ヨガ」の3つのヨガが扱う「労働」、「知識」、「愛」を、神において統合して、三位一体とすべきであると書きます。
オーロビンドは、この3者について、次のように書きます。

「労働は知識においてその極致を見出し、知識は労働において成就を見出す」
「愛が成就さらえると…知識をもたらし、知識が完全であるほど愛の可能性はいっそう豊かになる」
「3つの道のいずれも、一定の広さとともに追求されたなら、その高みで、他の力を取り入れて、その成就にいたりうる…その一つから出発すれば十分であり…」(以上「インテグラル・ヨガ」)

絶対者の体験を、諸能力に反映させるためには、サマディ体験を日常意識へとつなげることが必要です。
オーロビンドは次のように書いています。

「自分のサマディの主人になれば、忘却の深淵を通らず、内面から外側の目覚めへと移行することができる…内面で達成されたことを…目覚めた意識が獲得し、それを目覚めた生活の通常の経験、能力、心理状態へとたやすく転換できるようになる」(「インテグラル・ヨガ」)

そのためもあってか、「インテグラル・ヨガ」は、各人の中の「秘密の主人」、つまり、内的な導師を重視します。


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ヴィヴェーカーナンダと普遍宗教 [近・現代インド]

ヴィヴェーカーナンダは、1893年にシカゴで行われた世界宗教会議での「普遍宗教」についての講演をきっかけに、世界的な名声を得た、近代インドを代表する聖者です。

ヴィヴェーカーナンダは、欧米に、ヒンドゥー教、特にヨガとヴェーダーンタ哲学を知らしめた活動と、国内における活動によって、近代におけるヒンドゥー教の伝統復興・改革の代表者の一人と見なされています。

ヴィヴェーカーナンダはラーマクリシュナの弟子でしたが、字を読めなかったラーマクリシュナが、民衆的なヒンドゥー教としてのカーリー信仰を核としていたのに対して、ヴィヴェーカーナンダは、ヴェーダーンタ哲学の不二一元論を核とした思想を持っていたのが特徴です。

また、ヴィヴェーカーナンダは、ラーマクリシュナの中に芽生えとしてあった「普遍宗教」への志向を、不二一元論と4つのヨガの実践を介して、新たな次元で展開したと言えるでしょう。


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<人生と人>

ヴィヴェーカーナンダ(ナレーンドラナート・ダッタ、1863-1902)は、カルカッタのクシャトリアの家庭に生まれました。
1880年、キリスト教系大学に入り、独学も含めて西洋の思想・歴史・哲学を学びました。

その後、ブラフマ・サマージに加入しましたが、ブラフマ・サマージはヴェーダーンタ哲学やウパニシャッドの非偶像的・非人格的宗教への回帰を主張していました。
ですが、ヴィヴェーカーナンダは、神の姿を見たいと望みました。

1881年、ラーマクリシュナに出会い、彼の寺院に招かれました。
寺院での最初、ラーマクリシュナは、ヴィヴェーカーナンダをナーラーヤナと見なして、泣いて崇拝しました。
ヴィヴェーカーナンダは、ラーマクリシュナをおかしな人間と思いましが、ラーマクリシュナが神を具体的に見ていると聞いて心を動かされました。

2度目にラーマクリシュナを訪ねた時は、ラーマクリシュナは冷静に対応し、ラーマクリシュナがヴィヴェーカーナンダに足を載せると、ヴィヴェーカーナンダは意識消失しかける体験をして、制止しました。

ですが、3回目の訪問時には、ラーマクリシュナはヴィヴェーカーナンダに手を触れるだけで気絶させ、その間に、過去世や使命について質問して、ヴィヴェーカーナンダが特別な人間であると確信しました。

ヴィヴェーカーナンダは、ラーマクリシュナの元に通い続けましたが、教えを無条件的に受け入れることはせず、自分の考えを主張してぶつけました。

ヴィヴェーカーナンダは、父の死後、仕事を探しましたが、結局は、出家を決意しました。

1886年、ヴィヴェーカーナンダは、ブラフマンと合一して、無意識に至る三昧を体験しました。
三昧に留まり続けたいと思っていたヴィヴェーカーナンダに対して、ラーマクリシュナはこれを引き止めて、自分の喜びに浸らず、世の中で偉大な仕事をする使命があることを説きました。
これは、ラーマクリシュナ自身が、カーリー女神から説かれたことでした。

同年、ラーマクリシュナが亡くなり、ヴィヴェーカーナンダは後継者となりました。
ですが、1888年、彼は、放浪に旅に出ました。
彼は、その旅の途中で、今後に進むべき道に迷いましたが、夢にラーマクリシュナが現れ、人の中の神に奉仕することを選びました。

また、イギリス植民下のインドの貧困を見て、人々を宗教的に導くだけではなく、窮乏から救うことが重要と考え、この2つの使命に一生を捧げることを誓いました。

そして、1893年、インドを救うためにアメリカ行きを決意します。
シカゴで行われる世界宗教会議に出席するという具体的な目的もありました。
ですが、すでに出席者の締め切りは終わっており、何のつてもありませんでした。
それでも、関係者に彼の人格が認められて、講演者として認められました。

この会議で、ヴィヴェーカーナンダは、原稿なしに普遍宗教をテーマに講演して、評判を得ました。
彼一人が、自分の宗教ではなく、普遍宗教の可能性について語り、それがこの会議の意味だと主張しました
彼は、各宗教が、他の宗教を吸収して個性を伸ばす形で、普遍性へと至るべきだと説きました。

ヴィヴェーカーナンダは、この会議をきっかけにして、神との静かな交流が終わり、人々に教えを説く喧騒な生活が始まることを悟り、子供のように泣いたそうです。

ヴィヴェーカーナンダは、アメリカ各地で講演し、インドの宗教、ヴェーダーンタ哲学、そして、各種のヨガについて説きました。
彼がアメリカやロンドンで行った講演は、「ラージャ・ヨガ」、「バクティ・ヨガ」、「ジュニャーナ・ヨガ」などとして出版されました。

1896年には、NYに「ヴェーダーンタ協会」を設立しました。

1898年には、インドで、ブラフマナンダ、ヨガナンダと共にラーマクリシュナ・ミッション設立し、古典の勉強会や慈善事業を行いました。
彼は、カースト廃止を訴え、他者への奉仕としてのカルマ・ヨガを主張し、弟子の教育にも尽くしました。

ヴィヴェーカーナンダは、「この世界に一人でも束縛されているものがあれば、解脱を望まない」とも語りました。
これは大乗仏教の精神ですが、彼は、ブッダを最も偉大な人物とも評していて、ブッダガヤで瞑想したこともありました。

1899年頃には、喘息や糖尿病で、病を壊しました。 

1901年には、岡倉天心の来訪を受けました。
体調を理由に、日本への講演の依頼は断りましたが、一緒にブッダガヤへ同行しました。

1902年、ベンガル暦で良き日を選んで、意図して入滅しました。
医者による死因は卒中か心臓麻痺となっていますが。


<普遍宗教>

ヴィヴェーカーナンダは、シカゴの世界宗教会議で講演して以来、「普遍宗教」というテーマを持っていました。
彼は、ヒンドゥー教やヴェーダーンタ哲学が「普遍宗教」である、という説き方はしませんでした。
彼は「普遍宗教」は、以下のように説きました。

まず、ヴィヴェーカーナンダは、世界の諸宗教は矛盾せず、相補的にあって、それぞれが普遍的真理の一部分を取り上げていると言います。
そして、次のように語ります。

「普遍宗教はすでに存在している…人間の普遍的同胞愛がすでに存在しているように、普遍的宗教もまた存在している。」
「…それぞれの宗教を説く…人々が…説教するのをやめさえすれば、普遍的宗教がそこにあるのを見出すだろう。」(以上、1900.1.28 カルフォルニアでの講演「普遍宗教」)

また、ヴィヴェーカーナンダは、「自分が理想とする宗教」に関して、次のように語ります。

「いかなる一つの普遍的哲学をも、いかなる一つの普遍的神話をも…いかなる一つの普遍的儀礼をも意味していない。」
「宗教の場合も…われわれの精神は容器のようなものであり、…神はこれら異なる容器を満たす水のようなものであり…けれども神は一つである、…これが、われわれが得ることができる普遍性の唯一の認識である。」

「私は普及させたいのは、…それは等しく哲学的で、等しく感情的で、等しく神秘的で、等しく行動の助けとなるものでなければならない。」
「四つの方向に調和よくバランスが取れることが、私の宗教の理想である。」(以上「普遍宗教の理想」)

そして、その実践方法として、4つのヨガについて語りました。


<4つのヨガ>

ヴィヴェーカーナンダは、人の性質の応じたものとして、4種のヨガ、「カルマ・ヨガ」、「バクティ・ヨガ」、「ラージャ・ヨガ」、「ジュニャーナ・ヨガ」を説きました。

「カルマ・ヨガ」は、行動的な人(働き手)向けで、無執着の状態で本務を遂行する、自分の生命を尊重することです。
ヴィヴェーカーナンダは、在家の無名のカルマ・ヨギに比べると、イエスやブッダも二流の英雄だと語っていて、これを重視しています。

「バクティ・ヨガ」は、情緒的な人(献身者)向けで、愛の対象をレベルアップしていく方法で、他の目的なしに神を愛し、善を愛すことです。
自分を放棄し、「神のもの」と感じます。
ラーマクリシュナは「バクティ・ヨガ」が現代人に一番適した方法として特別視しましたが、ヴィヴェーカーナンダはそうは述べません。

「ジュニャーナ・ヨガ」は、哲学的な人向けで、普遍の存在と一つになり、また、下等な虫も最高の人間もすべては神の顕現と見ることです。
心に浮かんでくるものを否定し、ヴェーダーンタの不二一元論の見解に立って、究極の自分を「サット・チット・アーナンダ」と考え、そして、すべてに偏在すると瞑想します。

「ラージャ・ヨガ」は、心に対して分析的な人(神秘家)向けで、無数の思考を止めて精神を制御する、微細な現れを感じることです。

「ラージャ・ヨガ」という言葉は、本来は「ハタ・ヨガ」のサマディ段階のことを指しますが、ヴィヴェーカーナンダは、「古典ヨガ(八支ヨガ)」の意味で使っています。
ラーマクリシュナは、これを「カルマ・ヨガ」の中に含めていましたが、ヴィヴェーカーナンダは別のものとして分けました。

また、ヴィヴェーカーナンダは、「ラージャ・ヨガ」のプラーナヤーマの段階の説明の中で、「ハタ・ヨガ」という言葉を使わずに、「ハタ・ヨガ」的な方法を、次のように説きました。

・ムーラダーラ・チャクラの中にあるクンダリニーを、スシュムナーを開いて登らせる
・性的エネルギーを制御して、最高のエネルギーのオージャスに変えて、頭部に蓄える

ですが、彼は「ハタ・ヨガ」を理解していたようですが、重視することはありませんでした。


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ラーマクリシュナのカーリー女神信仰 [近・現代インド]

ラーマクリシュナは、近代インドの聖者を代表する人物、その最初を飾る人物です。

彼は、民衆的なヒンドゥー教をベースとして、カーリー女神へのバクティ、そして、見神を重視しました。
ですが、彼にとってそれは姿なき絶対者への三昧に至るものであり、ヴェーダーンタ哲学の不二一元論とも矛盾するものとは考えていませんでした。

ラーマクリシュナが生きた近代インドでは、イギリスによる植民地化によって、西洋化とインド伝統回帰が、インターナショナリズムとナショナリズムが、同時に生まれました。

例えば、1828年にラーム・モーハン・ローイによって設立されたブラフマ・サマージは、ヴェーダーンタ哲学やウパニシャッドの非偶像的宗教への回帰を主張しました。
ですが、歴代の会長の中には、キリスト教も評価して、普遍志向を示す者もいました。

ラーマクリシュナの思想も基本的に伝統的です。
ですが、ラーマクリシュナは、カーリー信仰(シャクティ教)だけではなく、ヴィシュヌ教、さらには、キリスト教、イスラム教の神性を内側から理解しようとしました。
彼の中に普遍宗教への志向があったと言っても良いでしょう。
その傾向は、弟子のヴィヴェーカーナンダによって新たに展開されることになりました。

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<人生と人>

ラーマクリシュナ(ガダーダル・チャッタージ、1834-1886)は、ベンガルの貧しいバラモンに生まれました。

兄がカーリー女神の神殿の神官になったため、そのサポートを行って、カーリー女神を崇拝するようになりました。
そして、兄が急死しすると、ラーマクリシュナがカーリー寺院の寺院僧になりました。

ラーマクリシュナは、カーリー女神を見ることができないことに苦しみ、女神像の前で刃物で命を断とうとしました。
すると突然カーリー女神が現われて、気を失う体験をしました。

彼の信仰・実践の形は、カーリー女神を目の前に動く姿で見て、語り、供養するような、見神を伴うバクティ・ヨガでした。

ラーマクリシュナは、しばしば奇妙な振る舞いをして、一時、寺院僧を解雇され、遊行に出ることもありました。

ラーマクリシュナは、シャクティ派の女性行者バイラヴィー・ブラーフマニーに、タントラ系のハタ・ヨガを習いましたが、彼女をグルにはしませんでした。

その後、トーター・プリという不二一元論者の遊行者の弟子になり、遊行者になりました。
そして、姿を持ったカーリー女神を越えて、無分別の三昧として経験しました。
つまり、有形の神を対象とするバクティの延長で、無形の絶対者に至ったのです。

ラーマクリシュナの三昧は、ほとんど六ヶ月の渡るもので、体調を壊すほどのものでした。
ですが、三昧の中にカーリー女神が現れて、三昧に留まることをやめるように命令され、人々に奉仕することを目指すようになりました。

その後、ラーマクリシュナは、カーリー信仰だけではなく、ヴィシュヌ教、さらには、キリスト教、イスラム教の神性を内側から理解しようとしました。
彼の中に普遍宗教への志向があったと言っても良いでしょう。
もちろん、これは近代固有のことではなく、シーク教などにもあったことですし、神秘主義思想に広く特徴的なことでもあります。

1872年頃から、ラーマクリシュナの回りに、人が集まるようになりました。
1875年には、瞑想中に、インド・ブラフマ・サマージのケーシャブ・チャンドラ・セーンを見て、彼と交流を持つようになりました。
ケーシャブのおかげで、ラーマクリシュナはカルカッタで知られるようになり、ヴィヴェーカーナンダとも出会いました。

ラーマクリシュナは、サンスクリットも英語も分からず、本も読みませんでしたが、ヴェーダーンタなどへの知識と深い理解を持っていました。

ラーマクリシュナは、何かを見たり聞いたりしたことをきっかけにして、しょっちゅう三昧(神と一体化する意識の状態)に入りました。
多くの場合は、開眼で、立ったままで、通常の意識を失う状態になりました。
やがてその神の意識が遠ざかると、半分神の意識の半意識状態になって、人と語ることができるようになりました。

ラーマクリシュナは、通常の状態ではすべての人を神として見ていましたが、神の意識が訪れると、自身が神人のように振る舞いました。

また、しょっちゅう、まるで子供のように天真爛漫に振る舞いました。
ラーマクリシュナによれば、神を見た人は、子供のようになるのです。

1885年、ラーマクリシュナは、咽頭癌になりました。
彼の前にカーリー女神が現れて、多くの悪業を持った人と関わったために、そのカルマを引き受けたのだと言われましたが、彼は、人に奉仕してきたことを後悔していないと答えました。

1886年、死期が近いと感じたラーマクリシュナは、一人一人の弟子に触れて三昧に導きました。
また、自分が神の化身であると告げました。

病床では、
「もし、この体が後数日間この世に留まることを許されるなら、大勢の人の魂が目覚めさせられるであろうに」
「私は私と母なる神がはっきりと一つになっているのを見ている…私は見る、私には分かる、すべてのもの、考えられるかぎりあらゆるものは、これから出ているということが」
と語りました。

そして、ヴィヴェーカーナンダに後継を託して亡くなりました。

ラーマクリシュナの言動は、弟子のマヘーンドラナート・グプターが書き留めて「ラーマクリシュナの福音」(邦訳書名)として出版されました。
このページの彼の発言の出典はこの書です。
ただ、この書では、ラーマクリシュナが持っていたタントラ的側面や性的側面を書かなかったのではないか、という疑惑をかけられています。

ラーマクリシュナは、女装したり女性的なしぐさをしたりすることがあったそうです。
ですが、女神信仰の風狂な行者にとっては珍しいことではありません。

また、結婚をしていましたが、妻も含めて、女性と関係を持つことはなかったようです。
男性の弟子ばかりに囲まれていたこともあって、ラーマクリシュナの性的志向を疑う人もいます。
ですが、女神信仰の集団が閉鎖的な男性結社となることは、世界的に良くあることです。


<ラーマクリシュナの宗教観>

ラーマクリシュナは、無形の絶対者(超人格神)と、有形の創造神(人格神)を一体の存在であると考えました。
つまり、ブラフマンやアートマンは、姿を持つシャクティであり、カーリー女神なのです。
カーリー女神は、姿を持つ存在でもあり、姿を越えた絶対者(シャカラ・ルパ)でもあるのです。

ですから、カーリー女神を姿を持った存在としてバクティの対象とすることは正しく、それを通して、無形の絶対者の三昧(ニルヴィカルパ)にも自然に到達できるのです。

「わが聖なる母(カーリー)は絶対者(ブラフマン)以外の何ものでもありません。…エゴが母によって取り除かれると、三昧の中で超人格的存在の悟りができます。」
「しばしば、彼女は、その個我を彼女の信者たちの内部に残しておき、人格として彼らの前に現れて、彼らの話し合うことをお楽しみになります。」
「カーリーは遠くから見ると、褐色の肌の色の人格神で、近くから見ると属性を持たぬ絶対者です。」


ラーマクリシュナは、すべての人を神であると見なし、「人間に奉仕することは神に奉仕することに他ならない」と考えていました。
ラーマクリシュナは、「この世に執着のない「解脱をとげた人(ムクタ)」に対して、「永遠に自由な人(ニティヤ・ムクタ)」は、他者のためにこの世に住んでいる人々である」と語っています。
そして、他者のために生きることは、カーリー女神の望むところなのです。


ラーマクリシュナは、カーリー女神を「母」と呼びましたが、時には、「婆さん」と呼ぶこともありました。
彼は、「(カーリ-女神は)一方ではヴィディヤー・シャクティとして現し、他方ではアヴィディヤー・シャクティとして現していらっしゃいます」とも語ります。
創造神であるカーリーは、智恵でもあり、マーヤーでもあるのです。

また、ラーマクリシュナは、世界がカーリー女神の玩具であると考えました。
そして、人間が世界の中で無知に縛られた状態にいる理由について聞かれて、カーリー女神が「隠れん坊遊び」をしていて、人間は彼女を探して走り回らなければいけないのだと答えました。

ですから、在家でカーリーを求める人に対して、
「遊び相手としては、お前たち(在家)の方がずっとりこうだ。…遊びはなお続けられる。」
と語りました。

そして、悲観的な人間観を批判して
「絶え間なく、「私は束縛されている」と言っている馬鹿者(ブラフマ・サマージなど)は、ついに本当に束縛されるのだ。
いつまでも「私は罪人です。私は罪人です」と言い続ける哀れな人(キリスト教徒)は、罪人になってしまうのだ」
とも語りました。


<実践>

ラーマクリシュナは、「ジュニャーナ・ヨガ」、「カルマ・ヨガ」、「バクティ・ヨガ」の3つの実践があると説きました。

「ジュニャーナ・ヨガ」は、「これではない、これではない」と、一つ一つ非実在を意識から捨てていく方法です。
ラーマクリシュナの分類では、「カルマ・ヨガ」には3つあって、在家が執着なしに努めを果たすこと以外に、「アシュタンガ・ヨガ」も、礼拝的儀礼やジャパ(マントラ念誦)の行為も「カルマ・ヨガ」です。

ラーマクリシュナによれば、「バクティ・ヨガ」が、現代に合った方法、一番簡単な方法です。
現代人には、執着なしに行為を行うことも、儀礼などの勤行の時間もないからです。
また、「母のところまで行くとバクティだけでなくジュニャーナも手に入る」とも語ります。

「バクティ・ヨガ」には様々な段階があって、神に言葉を失う「バーヴァ」を越えて、狂人のようになる「プレマ」、さらには、世界も自分も忘れる「マハーバーヴァ」に至ります。


<ヴィヴェーカーナンダ>

ラーマクリシュナは、すべての人を神であると見なしていました。
ですが、その現われ方には差があるのです。

特に、ヴィヴェーカーナンダに対しては、彼を神の化身として、特別な思いを持っていました。

ヴィヴェーカーナンダが初めてラーマクリシュナの寺院を訪れた時、ラーマクリシュナはヴィヴェーカーナンダをナーラーヤナであると見なして、泣いて崇拝しました。

ヴィヴェーカーナンダが3回目に訪問した時には、ラーマクリシュナはヴィヴェーカーナンダに手を触れるだけで気絶させ、その間に、過去世や使命について質問して、ヴィヴェーカーナンダが特別な人間であると確信しました。

ラーマクリシュナは、幾日も「ナレンドラ、ナレンドラ(ヴィヴェーカーナンダの愛称)」と言って泣いていたこともありました。
ラーマクリシュナは、「ナレンドラを見ると、私は絶対者の中に没入してしまう」と語りました。
ナレンドラをじっと見て「これが二者の中の一つ(人間)で、これがもう一つ(神?)だ」と語ったこともありました。

ヴィヴェーカーナンダが、初めてブラフマンとの合一し、無意識に至る無分別三昧を体験した時には、三昧に留まり続けることを引き止めて、世の中で偉大な仕事をする使命があると説きました。
また、ラーマクリシュナはヴィヴェーカーナンダに神通力を与えようと申し出ましたが、ヴィヴェーカーナンダは断りました。

そして、先に書いたように、ヴィヴェーカーナンダを後継者としました。
ラーマクリシュナは、死ぬ直前には、自分が持っているパワーを彼に渡したそうです。
ヴェーダーンタのその後の活躍を考えると、ラーマクリシュナの見立ては正しかったのでしょう。


*ヴィヴェーカーナンダについては「ヴィヴェーカーナンダと普遍宗教」をお読みください。

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現代ヨガ(アイアンガーとパタビ・ジョイス) [近・現代インド]

近現代の「ハタ・ヨガ」は、シュリマン・T・クリシュナマチャリアの弟子だった、B・K・S・アイアンガーとパタビ・ジョイスによって広められました。

アイアンガーが広めたのは、今日一般的に知られる「ハタ・ヨガ」で、パタビ・ジョイスが広めたのは、動きがあって様々な修練を一度に行う「ヴィンヤサ・ヨガ(アシュタンガ・ヨガ)」です。

しかし、両者の「ハタ・ヨガ」は、タントラ色の濃いものではありません。
彼らはバラモン階級に属するので、古典ヨガやヴェーダーンタ、サーンキヤなどのバラモン哲学の伝統に、「ハタ・ヨガ」を一体化したものとなっています。
つまり、『ヨガ・スートラ』の8支をベースにしていて、観想・マントラを重視しない、あまり語らないのが特徴です。

両者ともに基本的には「ヨガ・スートラ」の8支則の順に修練すべきものであると考えます。
しかし、「アーサナ(体位)」や「プラーナーヤーマ(調気法)」の修練においても、それ以降の「プラティヤーハーラ(制感)」、「ダラーナ(凝念)」、「ディヤーナ(静慮)」、「サマディ(三昧)」の修練を同時に行うことを重視します。
この点では、「ハタ・ヨガ」的であると言えます。

また、ヨガの最終的な目的を、心身(プラクリティ)の「止滅」や、真我との「分離」ではなく、創造的な「自由」として捉え、ヨガが否定するのは楽しみではなく束縛であるとする点でも、「ハタ・ヨガ」的です。


<アイアンガー>

アイアンガーの8支についてピックアップして説明します。

アーサナの目的は、心身の浄化、保護、癒しだけでなく、精神的な目覚め、自我を弱くすることにもつながるとします。
また、アーサナによって、身体の各部分・動作に知性・気づきを吹き込み、包み込むことを目的とします。

アーサナでは、身体を外に伸ばすことを意識し、次に、さらにその外まで心を伸ばすと考えます。
伸ばし、広がることによって空間が生まれ、自由をもたらします。
身体の自由は心の自由をもたらし、究極の自由に到達します。
また、皮膚を伸ばすことは、神経の末端を伸ばすことで、そこに蓄積していた不純物が取り除かれます。
アーサナで身体を精一杯伸ばしていても、正しく行われていれば、内なる核(真我)にとどまっていられるので、くつろぎを感じます。

日常の身体感覚や動作は、習慣化された自我や言葉と結びついて、無意識のうちに限定されています。
また、精神的なコンプレックスは、何らかの身体症状として身体と一体化しています。
ですから、アーサナによって、日常とは無関係なポーズをとり、普段以上に筋肉を伸ばしたり曲げたりすることで、日常の身体感覚・動作を自由にする、つまり、意識化し、相対化し、変容可能な動的なものとすることができるのでしょう。
それは同時に、習慣化された自我や言葉、コンプレックスから自由になることでもあります。

次に、プラーナーヤーマとは、表面的には呼吸と止息の時間を伸ばすことです。
一瞬一瞬の座り方と呼吸の流れを観察し、正していきます。

プラーナーヤーマは、「生命に捧げる祈り」であり「献身・愛・自己放棄の行為」であると言います。
まず、吸気では、無限なる神・宇宙の生命エネルギーを取り入れ、その後の止息では、吸収したエネルギーを全身に行きわたらせ、外なる神と内なる神が融合した状態となりつつ、自分は真我であるという確認をもとに心を安定させます。
呼気では、心からすべての妄想を取り除きつつ、宇宙エネルギーと融合します、その後の止息では、残っている記憶とエゴの汚れを取り除き、ストレスが流れ出して、自己を放棄し、外なる宇宙に溶け込みます。

最も基本的なプラーナーヤーマは、「ウジャーイー」です。
ただし、アイアンガーの言う「ウジャーイー」は、3つの「バンダ」(喉、腹、肛門の締め付け)と呼吸・止息を組み合わせたものです。
バンダはプラーナを分散させずに、サマーナとプラーナを上昇させ、スシュムナーにプラーナを入れやすくします。

アイアンガーは、「ダラーナ」について、「アーサナ」への集中を勧めます。
アーサナの実習の最中に、身体の各部分への注意力の波を送ると、それが全身に広がり、一つになります。

「ディヤーナ」は、基本的に、閉眼で、対象を持たず、思考しないというスタイルです。
そして、アイアンガーは「プラーナーヤーマ」、特に止息(クンバカ)の状態への集中を勧めます。

「サマディ」については、これをアートマン=ブラフマンの体験、存在の大海へ融合した状態とします。
「サマディ」は、瞑想の結果として訪れる、神の恩寵によって到達するものだと言います。

アイアンガーは、「クンダリニー・ヨガ」については多くを語りませんが、「サマディ」の体験と同じ性質のもの、つまり、自分から起こそうとして起きることではない、近道ではない、と言います。
これは、タントラの考え方とは異なります。


<パタビ・ジョイス>

パタビ・ジョイスのヨガの特徴は、「ヴィンヤサ」と呼ばれる一連のセットとなったポーズを、呼吸などと連動させながら連続的に行うことです。
一般に「アシュタンガ・ヨガ」という名前で呼ばれていますが、「アシュタンガ」というのは古典ヨガの「八支」を意味しますので、本ブログでは「ヴィンヤサ・ヨガ」と呼びます。

「ヴィンヤサ・ヨガ」は、古代の聖者ヴァーマナ作の経典「ヨガ・コーンルタ」を元にしたヨガとされます。
しかし、「ヴィンヤサ・ヨガ」がいつ頃にどういう影響で生まれたものか、詳しいことは分かりません。

「ヴィンヤサ・ヨガ」は、多数の「アーサナ」と、プラーナのコントロール、「バンダ(締め付け)」、「ドリシュティ(視線の固定)」を重視する点で「ハタ・ヨガ」的です。

「ヴィンヤサ・ヨガ」は、在家の修行者が、短い時間の練習によって、古典ヨガの八支を習得できるようにするために、作られたとされています。
2時間程度の練習の中で、8支を同時に行います。

「ヴィンヤサ・ヨガ」の8支についてピックアップして説明します。

第3支の「アーサナ」は、一連の動きの全体を指します。

第4支の「プラーナーヤーマ」では、「ウジャーイー」という喉頭部を細く締める呼吸法を重視します。
そして、動きを呼吸に合わせ、プラーナによって体を動かすようにします。

第5支の「プラティヤーハーラ」は、「ドリシュティ」を通して練習します。
視線を特定の場所に固定し、聴覚的には呼吸の音に集中することで心を内に向けます。
先ほどの「ウジャーイー」を行うと、シューという微かな音がするので、これを聴きます。

第6支の「凝念(ダラーナ)」については、3つの「バンダ」に集中することで練習します。
これによって、動きと呼吸と気づきを結びつけます。
「バンダ」はプラーナのコントロールが目的ですが、「ヴィンヤサ・ヨガ」では、気づきを重視します。

第7支の「静慮(ディヤーナ)」については、瞑想において、対象に集中することを解いた後、意識的なコントロールを捨てることを重視することもあるようです。
作為なしの瞑想は、ヒンドゥー系では、ラマナ・マハリシやニサルガダッタ・マハラジに近いと思います。

第8支の「三昧(サマディー)」については、特別な解釈はないようですが、タントラ的な「ハタ・ヨガ」同様、プラーナが中央管に入った時に起こるとされます。

以上のように、「ヴィンヤサ・ヨガ」ではポーズ(動き)と「ウジャーイー」、「バンダ」、「ドリスティ」の3つを結びつけることを重視し、これを「トリスターナ」といいます。

「ヴィンヤサ・ヨガ」には、初級(プライマリー・シリーズ)、中級(インターミディエート・シリーズ)、上級(アドヴァンスト・シリーズ)の3つのシリーズがあります。

プライマリー・シリーズは、肉体的な病気の根本原因を取り除くこと(ヨガ・チキツァ)を目的とします。
ポーズとしては、前屈や股関節の回転を中心にしています。
これを終えるには、毎日行って1年ほどかかると言われています。

インターミディエート・シリーズは、プラーナの脈管の浄化(ナーディ・ショーダナ)を目的とします。
ポーズとしては、後屈や、脚を頭の後ろにもって来る姿勢、アームバランスを中心にします。
いずれのポーズも中央管のプラーナの上昇をしやすくしますが、後屈は中間部、脚を頭の後ろにもって来る姿勢は下部、アームバランスは胸から上部を浄化・刺激します。

アドヴァンスト・シリーズ(A、B)は、最終的にはクンダリニーの上昇を目的とし、「スティラ・バーガ(神の忍耐)」と呼ばれます。
ポーズは、インターミディエート・シリーズと似ていますが、各ポーズの効果を中和する統合セクションがないのが特徴です。

3つのシリーズは、グナで言えば、タマス、ラジャス、サットヴァに、ポーズの種類で言えば無生物、動物、神聖なもの(神)のポーズに対応します。


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ナータ派とハタ・ヨガ
「シヴァ・サンヒター」と「ゲーランダ・サンヒター」

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