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オルフェウス秘儀 [古代ギリシャ]

紀元前6C頃のギリシャの世界観、つまりホメロスに代表されるオリンポスの宗教によれば、人間と神は区別され、死後は冥界でみじめに暮らす、というものでした。

こういった考え方に対して、オリエントの神秘主義的な世界観を引き継いだ、神的なものを積極的に求める宗教・思想運動が起こりました。
多くのギリシャ哲学はこの流れにあります。

BC6C頃のトラキア出身と言われる伝説的人物オルフェウス(オルペウス)は、この潮流の最初の象徴的人物の一人です。
彼は、ルネサンス、ロマン主義など、霊的なものが重視される時代には、常にその象徴として復活しました。

オルフェウスの存在は神話化されていて、その歴史的な実在性に関してははっきりしません。
オルフェウスの信仰は、1つの教団というよりも思想運動としての広がりを持ったもので、オルフェウス関連文書の多くは、ピタゴラス教団の者が書いていたようです。
オルフェウス派の思想は、エンペドクレス、ピタゴラス、プラトンらの哲学者に受け継がれました。


オルフェウス派にとって、最も重要な神はディオニュソスです。
オルフェウス派は、独自のディオニュソスの神話を持っていて、これがオルフェウス派の思想、秘儀の根底にあります。

この「大ディオニュソス」の神話は、ゼウスとペルセポネーの子のディオニュソスを、ティタン神族が七つ裂きにして大鍋で煮て食べたため、ゼウスが怒ってティタン神族を電光で撃ち殺した、人間はその灰から作られた、という話です。

つまり、人間は、ディオニュソスに由来する神的な部分と、ティタン神族の神の殺害という原罪に由来する部分があるのです。

ディオニュソスに由来する神的な部分を知らない人間は、ペルセポネーの恨みを受けて、惨めに輪廻を繰り返します。
ですが、それを記憶する人間は、オルフェウス派の禁欲的生活と秘儀を体験することで、死後にペルセポネーの元で神的な不死の生を送ることができるのです。

オルフェウス派は、ティタンが行ったような殺生を否定します。
それゆえ、肉食や自殺も否定します。

このことは、生贄を行うオリンポスの宗教を否定することになり、また、秘儀で八つ裂きや生肉喰いを行うディオニュオス秘儀を否定することにもなります。
オルフェウス派は、明確に、反オリンポス宗教、反ディオニュソス秘儀の立場にあります。


オルフェウス派の秘儀については、はっきりとしたことは分かりません。
ですが、秘儀では、死後の冥界下りを予習的に体験し、進むべき道を教えられます。

冥界では、いくつかの分かれ道を間違わず、そして落とし穴に落ちたりせずに進みます。
「冥界の館」の左右に泉があって、右の泉の水を飲まなければいけません。

右の泉の水は「記憶(ムネモシュネ)」の沼から流れる水で、それを飲むと、自分の魂の本質が神に由来することを記憶した状態で、次に進めます。
ですが、左の泉の水は「忘却(レテ)」の沼から流れる水で、それを飲むと、自分の魂の本質が神に由来すること忘却した状態で、地獄に送られて、千年後にその体験も忘れて地上に転生してしまいます。

次に、冥界の監視者に対しては、「我は大地と星輝く天の子なれど、我が属するのは天の種族である」などと語る必要があります。
これによって、自分の魂の本質が神に由来すること記憶していることを示すためです。

そうして「女主人の懐」と呼ばれるペルセポネーのもとに至ると、彼女による確認を経て、ペルセポネーの杜、神聖な草原に至って、神的な生を永遠に生きることができます。

秘儀を終えると、冥界で取るべき行動を記した金版(オルフェウスの金板)を受け取ります。


オルフェウス派は、オリンポスの宗教とは異なる、独自の宇宙生成論を持っています。
いくつかの説がありますが、「24の叙事詩からなる聖なる伝説」によれば、無限時間神を原初に置きます。
この点や、神的存在(ディオニュソス)が死して人間になるなどの点から、オルフェウス派はイラン系宗教、特にズルワン主義の影響を受けたと思われます。

彼らはズルワン主義=ミスラ教の神々を、ギリシャ名の神々に置き換えたようです。
先に書いたように、至高神の無限時間神ズルワンは無限時間神クロノス・アゲラオスに、そして、光と友愛の神ミスラは光と愛の神エロス=ファーネスやアポロンに、マズダは主権神としてはゼウスに、死する神としてはディオニュソスに、といった具合です。


一方、オルフェウス自身に関する伝説、神話が伝えられています。

オルフェウスは死んだ妻を助けるために冥界に下り、竪琴で冥界の存在を魅惑して妻を連れ帰ろうとしますが、途中で後ろを振り返ってしまったために失敗した、と。

小ディオニュソスが母の救出に成功したのに対して、オルフェウスは失敗します。
この神話は、イザナギの神話とそっくりであって、オルフェウス派の創作ではなく、同様の古い神話をオルフェウスに当てはめたものでしょう。

また、オルフェウスはディオニュソスの女性信者に引き裂かれて死に、彼の頭部は竪琴に釘で打ちつけられて河に投げ込まれ、レスボス島に流れついて、オルフェウスの首はディオニュソス神殿に埋葬されて、彼の首はその後も神託を下した、と。

引き裂かれて殺されるのは、大ディオニュソスの追体験で、河に投げられる点ではオシリスと同じです。
ですが、ディオニュソスのように復活や再誕はしません。

オルフェウスの神話・伝説には、オルフェウス派の神性を求める思想の要素が明確ではありません。
ですから、これらの神話・伝説がオルフェウス派自身が信じていたものだったのか疑問が持たれます。

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ディオニュソス(バッコス)秘儀 [古代ギリシャ]

アテネ郊外では、BC6Cにはディオニュソス秘儀が行われていたようです。

ディオニュソス神自身は、クレタ島のミノワ文明に由来する古い神で、ギリシャにもBC20C頃には根付いていました。

アポロンの本拠地デルポイにもディオニュソスの聖地があります。
デルポイは、アポロンがやってきて女神から主神の座を奪いましたが、ディオニュソスは豊穣女神の息子として、アポロンが来る前からいたのでしょう。

ですが、ギリシャではディオニュソスは新入りの神とされるので、再到来したのかもしれません。

最初はその非ギリシャ的な性質のため迫害を受けたようですが、最終的にはゼウスの主権を引き継ぐべき存在という重要な神として受け入れられました。

ギリシャ神話の中では、ディオニュソスは最後に現れた神で、彼がブドウ酒を創造することで神々による世界創造が完成しました。
ディオニュソスにはたくさんの異名があって、その代表的なものは「バッコス(=若芽)」や「ザクレウス(=大猟師)」です。

一般に知られるディオニュソスの性質は次のようなものです。
彼は突然どこからともなく現れ、人々を熱狂させ、踊らせ、時には狂気におとしいれて動物や人を引き裂かせます。
また、ブドウの樹を1日で大きく成長させたり、地からブドウ酒を噴出させます。
成人したディオニュソスは、本当の顔を見せずに髭をはやした男の仮面をつけています。

つまり、ディオニュソスは意識的な秩序にとってまったく異質で潜在的な力そのものであって、その突然の噴出を本質としています。
心臓と男根は、意識と無関係に躍動して体液を噴出させる点で、ディオニュソス的存在なのです。

Dionysos.jpg


ディオニュソスの神話には、2系統の神話があります。
一般に知られている「神から生まれた人の子、小ディオニュソス」の神話と、オルフェウス教徒の秘伝による「神々の子、大ディオニュソス(ザクレウス)」の神話です。
ディオニュソス秘儀が基づく神話は前者の神話で、オルフェウス秘儀が基づくのが後者の神話です。

小ディオニュソスの神話は、ゼウスと人間の娘の子のディオニュソスが、ヘラの嫉妬によって狂気に落とされるも、大女神キュベレに救われ、秘儀を伝授されてギリシャに伝道した、ディオニュソスの批判者は狂気となって息子を八つ裂きにしてしまった、その後、ディオニュソスは母と妻アリアドネーに不死の神性を与えた、といった話です。

ディオニュソスは、到来する神であり、抵抗を受ける受難の神です。
と同時に、ディオニュソスは、狂気を経て人を神性へ向かわせる存在です。
ディオニュソスらの狂気や熱狂、八つ裂きには、「地上性の破壊」と「神性との交流」の2つの意味を持っています。


アテネでは1年に3つのディオニュソスの公開される祭りが行われました。

1月に行われた「レナイア祭」は、エレウシスの祭司が童神イアッコスとしてのディニュソスを呼び出すものでした。
この祭では大、小2つの秘儀が3年毎に行われたという説があります。

また、2~3月に3日間で行われた「アンテステリア祭」は、ディオニュソスと王妃(女性神官)との聖婚などが行われました。
王妃はアリアドネーです。

3月に5日間で行われた「大ディオニューシア祭」では、演劇の競技が行われ、葡萄酒を捧げました。

ディオニュソスは、2年周期の神であり、冥界のペルセポネーの宮殿で眠る不在の年と、眠りから覚まされる出現の年を繰り返します。
冥界のディオニュソスにはイチジクの樹で作った仮面、地上のディオニュソスにはブドウの樹で作ったバッコスの仮面がありました。
ですから、ディオニュソスはブドウの生育の循環と一致する側面と、一致しない側面があります。

ディオニュソスの秘儀についてはほとんど分かっていませんが、女性だけが参加したという説があります。
エウリピデスの悲劇『バッコスの神女達』には、子鹿の皮衣を着て蛇を腰紐にし、仔鹿や狼の仔を抱いて乳を与える姿のディオニュソスの女性信者が、深夜に、笛・太鼓・タンバリンの伴奏に合わせて狂ったように踊りながら森を駆け巡って、犠牲の牛を引き裂いてその生肉を喰う姿が描かれています。

ディオニュソスの秘儀での狂乱は、ディオニュソス自身が体験した狂気を試練として自らに果たすものです。
信者は熱狂の中で地上的な意識を引き裂いて、ディオニュソスの神性と一体化します。

しかし、ディオニュソス秘儀が死後の祝福、不死性を保証したかどうかは分かりません。

牛を引き裂くのはディオニュソスが引き裂かれたことの再現であると同時に、その生肉喰いはディオニュソスの神性を得るための聖餐です。


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エレウシス秘儀 [古代ギリシャ]

エレウシスの秘儀はとくても古く、アテネ近くのエレウシスで、BC15C頃には始まったようです。

エレウシス秘儀では、人間の霊魂が死後に冥界に下ってから神のもとに至るまでの旅を、神話に重ねて体験します。
それによって、参入者に「死後の祝福」を約束しました。

ギリシャの伝統的な死後観では、普通の人は死後に地獄のような冥界に行きますが、一部の英雄達は海の彼方の至福者の島か冥界にあるエリュシオンの野に行きます。
エレウシス秘儀の目的は、死後にエリュシオンの楽園に行くことだったのでしょう。
後のオルフェウス教団やピタゴラス教団は、それを輪廻からの解脱と理解しますが、エレウシスの秘儀は輪廻思想を持っていなかったはずです。


エレウシス秘儀が主題とするのは、ペルセポネーの神話です。

中心になるテーマは、冥界王ハデスにさらわれた麦の少女神ペルセポネーを、地母神・麦の母神であるデルメル(デーメーテール)が取り戻そうとしましたが、1年のうちの1/3は冥界で暮らさざるをえなくなったという話です。
ペルセポネーの死と復活がテーマとして含まれます。

季節循環の穀物神話としては、ペルセポネーが冥界にさらわれるのは種が地の下に播かれることを、デルメルとの再会は発芽(あるいは穂の実り)に対応すると解釈できます。
そして、秘教的解釈では、死んだ魂であるペルセポネーは、大地の母神、あるいは麦の母神であるデルメルの再生させる力、生む力によって、純粋な魂として復活するのです。

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*デルメル

エレウシスの秘儀には、アテナイ近郊のアグライで毎年春に行われる「小祭」と、アテネとエレウシスで毎年秋の種蒔きの時期に8日間で行われる「大祭」がありました。
「小祭」ではペルセポネーに関する「小秘儀」が行われ、「大祭」では「大秘儀」と「奥義秘儀」が行われました。
また、他にも、「大祭」と同時期に女性だけで秋に行われる「テスモフォリア祭」など、いくつもの祭りがありました。

「大秘儀」の実体は不明ですが、以下のようなテーマの順に進んだと想像されています。
まず、「ペルセポネーの略奪」、そして、「ペルセポネーとハデスの聖婚」、「デルメルの悲嘆と探索」、「デルメルとゼウスとの聖婚」、「ペルセポネー発見と少年神の誕生」、「デルメル(=ペルセポネー=イアッコス)との合一」です。

参入者は、まず、断食をし、幻覚作用のあった麦ハッカ水のキュケオンを飲みます。
そして、衣服を抜いだり、目隠しをしたりして、ペルセポネーの探索のために冥界に降りていきます。
冥界の川を越えたり、審判と罪の浄化を受けたりしたかもしれません。

また、デルメルがゼウスによって暴力的に犯されるという聖婚が、女性司祭と男性司祭によって行われたとも言われます。
そして、少年神イアッコスの誕生、ペルセポネーの発見、光の部屋で最奥義を開陳が行われました。
これは、刈り取られた麦の穂が無言で示されたのだという説があります。
イアッコスとぺルセポネー、麦の穂はどれも同じく、復活する魂であり、霊魂の神性を象徴します。
秘儀参入者は自らをこれと同一視するのでしょう。

その後、新しい衣服に着替えて、地上へと戻ります。

このようにエレウシスの秘儀では、麦の霊の循環を表現する神話に重ねて、人間の霊魂が死んでから神のもとに至る旅を、あらかじめ体験させるものでした。


エレウシス秘儀では、神々の暗黒面が重視されることが特徴です。

ペルセポネーを失って悲しむデルメルは、「黒いデルメル」、「復讐のデルメル」とも呼ばれます。
発見されるペルセポネーは「その名を口にすべからざる少女」と表現され、彼女は2つの顔と4つの目を持っていたと考える者もいます。
2人の冥界の女神としての黒い女神は「ブリーモー(恐怖を呼び起こす女神)」と呼ばれます。
この冥界の地母神的な存在である「ブリーモー」が魂を復活させるのです。

聖婚の後、秘儀では「ブリーモーがブリーモス(恐怖を呼び起こす少年神)をお生みになった」と宣言されます。
少年神のイアッコスはデルメルとゼウスの息子と考えられていますが、角を持つディオニュソスであるとする者もいました。

エレウシス秘儀においては、霊魂の神性は、時には異形の姿をした豊饒の力を持つのは地下的存在なのです。

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秘儀宗教とは [古代ギリシャ]

秘儀宗教(密儀宗教、ギリシャ語で「ミステリオン」、英語で「ミステリーズ」)は、主に神の「死と再生」というテーマの神話を演劇的・儀式的に再現し、それを信者に体験させる宗教です。
それを特別なイニシエーションとして行い、死後に神のもとや天国に行くことを予習的に体験したり、復活する神と一体化することで、神的な生と、死後の祝福を保証しました。

ですが、その秘儀の部分は非公開なので、その実体は知られていません。
秘儀の内実は、秘儀体験者によって書かれた文学や哲学などの中に部分的に表現されていますので、これをもとに推測するしかありません。

秘儀宗教は、オリエントとヨーロッパ世界でおおむね紀元前後の1000年間に盛んだった宗教のスタイルです。
秘儀宗教は、歴史的に2~3段階を考えることができます。
地域共同体、あるいは神殿国家に根ざしていた段階と、ヘレニズム時代以降に、地域を越えて広がり、さらには普遍宗教化していく段階です。

地域共同体に根ざした段階では、秘儀宗教は、季節循環を反映した神の死と復活の神話を持ち、国家や共同体の「豊穰」を祈る宗教でした。
ですが、秘儀宗教は、徐々にその神話を、神的な魂の死と復活と再解釈して、個人の霊魂の「救済」を目的とすることに変化させました。
秘儀への参入者が象徴的で神秘的な儀礼によって、神的なものとの直接的な交流をして、個人の霊魂に眠る神性を覚醒させて、死後の不死性を目指したのです。

代表的な秘儀宗教は、エジプト起源のイシス=オシリス秘儀、セラピス秘儀、ギリシャのエレウシス秘儀、オルペウス秘儀、クレタ起源のディオニュソス秘儀、サモス島のカビリ秘儀、トルコ起源のアッティス=キュベレ秘儀、ペルシャ起源のミトラス秘儀などです。
中でも、ローマ期のイシス秘儀、セラピス秘儀、ミトラス秘儀は、普遍宗教化しました。

秘儀宗教の祭儀には、一般の信者が参加して公に行われる、地域共同体としての性質を持つ祭儀と、選ばれた者だけが参加する個人的なイニシエーションとしての「秘儀」の2種類がありました。
そして、秘儀は「小秘儀」、「大秘儀」、「奥義秘儀」というように、2~3段階で構成されていました。
また、ミトラス秘儀では、7惑星の対応する7段階の秘儀が存在したようです。

「秘儀」では、個人が順を追って様々な象徴的な行為を行ったり、象徴的な事物を見せられたりすることを通して、直接的な霊的体験をしました。
秘儀の最も基本的な象徴は「死と再生」ですが、秘儀によっては複雑に体系化されていました。
ヘレニズム・ローマ期の普遍宗教化した秘儀の場合、カルデア的な階層宇宙論の象徴を取り入れています。

「聖餐」も重要な意味を持ち、古くは牛や羊の肉や血でしたが、肉はパンに、血はブドウ酒などに置き換えられていきました。
幻覚性の飲料水が使われることもありました。
これらは、死する神そのもの、つまり神的なものの象徴でした。

「秘儀」、特に「大秘儀」や「奥義秘儀」には単なる演劇的象徴以上の部分もあったと思います。
つまり、長期的な観想の訓練をもとにした、脱魂的トリップや実際的な霊的な力の操作が行われていたと推測されます。

秘儀宗教、特にエレウシス秘儀やイシス秘儀は、プラトン主義哲学など、ギリシャの哲学にも大きな影響を与えました。
また、儀礼においては、当然、神降術も行われたはずなので、魔術にもつながります。

キリスト教の神話、儀礼にも決定的な影響を与えました。
イエスの死と復活というキリスト教神話は、秘儀が現実の場で人類的規模で行われたものと解釈された側面があります。

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プラトン、アリストテレスの影響 [古代ギリシャ]

プラトンは彼の哲学を体系的には述べませんでした。
そのため、弟子達には様々な解釈が生まれました。
 

プラトンの学園アカデメイアの初代学長スペウシッポスは、プラトンの「一」を徹底的に超越的な性質のものと解釈しました。
それはすべてを、善、美、知性などをすら超えた存在なのです。
彼は「一/不定の二」から生まれるイデア数を「霊的知性(ヌース)=神」と考えました。
つまり、イデアの中で3つの階層を区別したのです。
彼の思想はその後に受け継がれませんでしたが、後の新プラトン主義の巨匠、プロティノスに影響を与えたようです。

一方、第2代の学長、クセノクラテスは、アリストテレスの影響を受け入れて、「一」を自らを観照する霊的知性(ヌース)、イデア、イデア数と考えました。
そして、「不定の二」は魂であって、それはイデア数を受け入れた「動く数」でもあるのです。
彼の解釈はアカデメイアのプラトン主義の正統派となりました。
また、彼はイデアを至高神の思考と考えました。

(スペウシッポスの存在の階層)
(クセノクラテス存在の階層)
 
不定の二
 
イデア数=霊的知性
一=霊的知性=イデア=イデア数
幾何学図形
 
不定の二=魂=動く数
自然
自然


プラトンの弟子達は、プラトンの教説がピタゴラスに由来するものと考え、さらに自分達が解釈・発展された考えをもピタゴラスの思想であるとしました。
そのため、これ以降、実質上、思想的にはピタゴラス主義とプラトン主義は区別できないものになりました。
 

プラトンとアリストテレスの思想はその後の西洋やイスラムの哲学、そして、キリスト教やイスラム教の神学に大きな影響を与えました。
神秘主義的で実践的なプラトンと、理性的で自然学的なアリストテレスは対照的です。
後世、プラトンかアリストテレスかという論争が起こると同時に、2人の哲学の統合が目指さました。
 

ですが、後期プラトンとアリストテレスは、ともに存在を「形・性質」という側面から捉えました。
そして、個物はその不変な「形・性質」に枠づけられる存在なのです。
これに対して、ソクラテス以前の哲学者の多くは、存在を「生成」として、もしくは「生きた素材」として捉える傾向が強かったのです。

プラトンはイデアを「不変」で真に存在するものとして、物質世界の存在を「生成」する真の存在ではないものと考えていました。
この「生成するもの」とは、生成運動そのものではなくて、形・性質を持ったものとして生まれてもやがて消滅するもの、という意味なのです。
 
存在を「形・性質」やその枠にはめられる「素材」という側面から捉えると、世界は整然とした分かりやすく、理性にとって捉えやすいものになりますが、世界は静的な姿になってしまいます。

そのため、プラトンやアリストテレスは現代の哲学者達から否定的な評価をされることが多いのです。
ニーチェやハイデッガーも、このような観点からプラトン以降の哲学を否定してソクラテス以前の哲学を評価しました。
ですが、2人がソクラテス以前の哲学者が考えた至高存在を理解していたとは思えません。
 

「生成」という側面を徹底して世界を捉えると、「形・性質」と「素材」という側面から世界を捉えることができなくなります。
どんな「形・性質」も「素材」も、一時も止まることなく生成変化するからです。 
「生成」をどう哲学化するか、また、「形・性質」を基準に階層性を考えることから生まれる矛盾をどう解決するか、こういった問題は後の哲学に引き継がれました。

予告編的に書くと、ローマ期の中期プラトン主義やヘレニズム期の新プラトン主義では、至高存在を「形・性質」を越えた無相なものと捉え、神秘主義哲学史上の大きな転換点となりました。
途中からは、階層を上がるほどに実質的には素材性が高まるような考え方に至ります。

また、ソクラテス以前の哲学と同様にオリエント色の強かったストア派は、「形・性質」ではなく「生成力・緊張」という観点から階層を考え、認識においても「形・性質」の普遍性というものを認めず、相互生成的な運動として捉えました。

ギリシャ哲学を受け継いだイスラム哲学では、「素材⇔形・性質」ではなく「存在⇔本質」という観点に移され、どちらが実在的かについて大きな論争点となりました。
また、「素材」と「形・性質」の両方に階層性を立てる考え方も生まれました。


アリストテレス神学 [古代ギリシャ]

アリストテレスはギリシャ北部出身のイオニア人でした。
彼はプラトンの弟子であると同時に、プラトンの哲学を批判した哲学者です。
一般に、彼は厳密な学問的方法や論理学を生み出し、神秘主義を否定した現実主義的な人物だと考えられています。
ですが、その論理主義的な性質の下に、神秘主義的な性格が隠れているのを見つけることができます。

アリストテレスは個物に内在する普遍、つまり形や性質などの個物の本質を実在的なものとして重視しましたが、個物を離れた普遍、つまり抽象的な存在としてのイデアの実在性を否定しました。
これは、プラトン哲学の否定です。
アリストテレスはプラトンとは反対に、個物に内在する最低種概念のみが実在的で、それ以上に抽象性の高い普遍は実在的ではないのです。

ですが、神秘主義を否定したわけではありません。個に対する普遍という形で世界の階層性を考えて、最終的に至高存在を求めることを否定しただけです。
彼はまったく別の側面から、至高存在を解釈しようとしました。

アリストテレスは至高存在を「素材のない純粋な形・性質(純粋形相)」、「形・性質が完全に実現された存在(完全現実態)」として捉えました。
彼にとって世界の階層性は、形・性質がどれだけ実現されているか、それとも素材のままで形・性質が可能性のままにとどまっているか、という度合なのです。
至高存在は、あらゆる形・性質がすべて実現されて同時に含んでいる状態です。

プラトンにとっては抽象性の高い普遍概念が、意味の点では内容が少ないのにもかかわらず階層性が高いのと逆に、アリストテレスにとっては形・性質が実現されて内容が豊富なものが、階層性が高いのです。
そして、至高存在はあらゆる存在が目指す目標なのです。

すると、具体的な存在には、形・性質の実現性の度合に応じた階層性があることになります。
最も低い存在は、「第一質料」と呼ばれる形・性質を一切持たない無限定な素材です。
次に、4大元素、無生物(鉱物)、「栄養魂」を持つ植物、「感覚魂」を持つ動物、そして「理性霊魂」を持つ人間、完全な調和を持つ天体、そして最後に至高存在に至るのです。

天にも階層性があって、それぞれに知性的存在(霊的・直観存在)が存在します。
そして、至高存在である純粋形相は、一切の素材性を持っていないのです。
ただ、アリストテレスは生物や魂をもっと細かくも分類しています。
彼の自然学的かつ霊的な階層性は、ゾロアスター教の神話やズルワン主義の階層性と似たものですが、後世に大きな影響を与えました。

また、天体は「アイテール」と呼ばれる微細な第5の元素を素材としています。
(ちなみにプラトンはアイテールを「空気」の一種と考えていました。)
この「アイテール」は月下の世界にも低いレベルでは存在して、様々な生命的な活動に関係していると考えました。

アリストテレスは至高存在を「動かず動かすもの(不可動の動者)」としても捉えました。
プラトンのイデアは不変なものなので、世界が運動することをうまく説明できなかったのに対して、アリステレスの至高存在は自らは動かずに他のあらゆる存在を動かす原因なのです。

このように、アリストテレスは自然全体を問題としました。
彼はプラトンの弟子でありながら、ミレトス、エレアの自然形而上学的発想を持ってたのです。
アリストテレスはプラトンの矛盾を解決したように見えますが、彼が至高存在を定義した「素材性を持たず、あらゆる形・性質が実現された存在」や、第一質料を定義した「形・性質を一切持たない無限定な素材」をほんとうに考えることは難しいと思います。

アリストテレスが至高存在を上に書いたように表現したことは、論理的、哲学的な問題ですが、実践の問題として、彼は究極的な認識のあり方として「観照(直観、テオリア)」を考えました。
これは、「一切をなす知性(能動的知性)」とも表現されました。
これは至高存在の直観的な霊的知性で、あらゆる形・性質が実現状態こにある知性です。

これに対して通常の人間的な知性は「一切になる知性(受動的知性)」と呼ばれました。
これは意識に何もない状態から様々な形・性質が一時的に現われるような形の知性です。

「一切をなす知性」は、光のように人間を照らして「一切になる知性」を働かせます。
そして、「一切をなす知性」は、パルメニデスの言う「思考=存在」と同じく、主体と対象が一体の「自分自身を思考する」ような知性です。
アリストテレスはこれを「思考の思考」とも表現しました。
つまり、アリストテレスは、人間が「一切をなす知性」の時には至高存在である神に等しいと考えたのです。

そして、彼は霊魂の全体を不死なるものとは考えませんでしたが、霊魂の中のこの働きの部分だけが不死だと考えました。
つまり、人間は死後、霊魂のこの不死の部分が至高存在である「一切をなす知性」に帰一するのです。

この「一切をなす知性」は中世のイスラム・キリスト教神学に大きな影響を与え、大きな論争を生み出しました。
そして、多くの場合「智天使」と同一視されました。

(アリストテレスの存在の階層)
純粋形相(完全現実態)
=不可動の動者
=一切をなす知性(思考の思考)
天体
人間
動物
植物
無生物
4大元素
第一質料
 

後期プラトンの観念哲学 [古代ギリシャ]

後期のプラトン哲学は、霊的世界のイデアの全体的な構造を分析して明かにしようとしました。
そのために、論理主義的な傾向が主要なものになりました。
つまり、イデアを「普遍概念(固有名詞以外の言葉の意味)」と不可分なものとして捉え直したのです。

こうしてイデアは直観によって認識される霊的で動的な存在から、単に言葉の意味として理性的に認識される抽象概念へと、静的で不変なものへと変化してしまったのです。

そのため、プラトンの思想は、神秘主義的なものから合理主義的なものに近づきました。

プラトンの後期はちょうどアリストテレスがアカデメイアに入学した頃以降に当たります。
ですから、彼の影響があったのかもしれません。

「パルメニデス」の中で、ソクラテスはパルメニデスから様々なものにイデアがあるかどうか尋ねられます。
ソクラテスは「美」、「正義」、「善」のような倫理的な存在や、「一」、「同」、「他」といった論理的な存在には躊躇なくイデアがあると答えます。

ですが、「人間」、「水」、「火」といった具体的な存在にイデアがあるかどうかには迷っていると答え、「毛髪」、「泥」、「汚物」のようなつまらない存在にはイデアがないと答えます。
ですが、パルメニデスは、あらゆる存在について差別せずにイデアを理解しなければいけないと、教えます。

こうして、プラトンはすべての言葉(抽象概念)にイデアが存在すると考えるようになって、その関係を分析しようとしました。
イデアの間の関係は論理的な包含関係や、文法的な主語・述語の関係として分析されるものになったのです。

すると、奇妙な矛盾が生じました。
例えば、「人間」という言葉は「哺乳類」という言葉に含まれます。
「人間は哺乳類である」という具合に、人間は主語で、哺乳類は述語となります。この時、「哺乳類」のイデアが「人間」のイデアよりもより高い存在なのです。
抽象性が高くて限定性の少なく、意味の内容が少ない言葉のイデアの方が高い存在なのです。
そして、「人間」、「犬」、「机」のようなこれ以上分割できない概念(最低種概念)のイデアが、最低のイデアとされました。

言葉や概念はどれも言葉や概念すぎないのに、そこに階層性があるとされたのです。
この矛盾を解決しようとしたのがアリストテレスです。


アトランティス伝説とオリエント神話 [古代ギリシャ]

「ティマイオス」では宇宙論を語る前にプラトンの先祖であるソロンがエジプトで神官から聞いた話として、超古代のアトランティスとアテナイをめぐる歴史がほんの少しだけ語られます。
これは古代史をテーマにした次作「クリティアス」の予告篇のようなものです。

これによると、当時から数えて9千年前に、「ヘラクレスの柱」(ギリシャ世界の果てにある海峡で、ギリシャ世界の盛衰によって時代によって違う海峡を指していたかもしれませんが、一般に大西洋に抜けるジブラルタル海峡と解釈されてきました)の向こうにある広いアトランティス島(古代のエジプトでは「島」という言葉は半島などの海岸に面した地方を指すこともあります)に強国があって、これが海峡の内側である地中海世界にまで支配権を及ぼしていました。

ですが、女神アテナから授けられた秩序を持つ理想的な国であったアテナイが、アトランティスを撃退して地中海世界に独立をもたらしました。
ですが、大洪水が起こって、アトランティス大陸は沈んで滅び、アテナイも一から文化を築き直すことになったのです。
この時、ギリシャから古い歴史の記録は失われましたが、エジプト人は記録を残しました。

おそらく、ソロンがエジプト神官からアトランティス伝説を聞いたことは史実でしょうし、プラトンもアトランティスの物語を史実だと考えていたと思われます。
ですが、このエジプト人が記録したアトランティスとアテナイの戦争は、トロイ戦争を表わしていたと解釈することができます。

実際、アトランティスの記述はトロイの姿とそっくりですし、トロイ人は自分達の神話的な先祖をアトラスと考えていました。
「アトランティス」とは「アトラスの娘達」という意味です。
アトラスはギリシャ神話では天を支える古いティターン神族の神で、ヘラクレスが黄金のリンゴを取ってくるように頼んだ相手です。
エジプト人が記したギリシャ人の言う「ヘラクレスの柱」とは、ジブラルタル海峡ではなくて黒海に抜けるボスフォラス海峡かダーダネルス海峡を意味したのです。

アトランティスとの戦争を含む古代ギリシャ史を扱った「クリティアス」が未完に終わった理由は、おそらくプラトンがそソロンの記録を本格的に調べているうちに、これがトロイ戦争のことを示した不正確な記録であると気づいたからでしょう。

プラトンがアトランティスの物語で強調したのは、あくまでも現実の過去のアテナイが、プラトンが理想とするような社会体制を持っていたことです。
ですが、プラトンの意図や史実はどうであれ、アトランティスとの戦争が「ティマイオス」で宇宙論を語る導入として記されたため、少なくとも無意識のレベルではその宇宙論的な象徴性が問題となります。
もともと、エジプト人がトロイ戦争の歴史を記録した時に、そこにオリエントの宇宙論的「神話」が重ねられて、その時点で「伝説」になっていたのかもしれません。

9千年という時間は、ズルワン主義では宇宙が生滅・循環する時間であって、ゾロアスター教で宇宙が物質世界で作られてから最終戦争を経て完成するまでの時間です。
ですから、9千年前のアトランティスとアテナイの戦争は、1周期前の宇宙の物語に相当すると考えることができるのです。

そして、この物語はゾロアスター教やミスラ教の宇宙論とそっくりなのです。
つまり、地中海の果てから侵略してくるアトランティスは、闇の国から宇宙に侵略するアフリマンに相当します。
そして、これを撃退する女神アテナから授けられた理想的な秩序を持つ国アテナイは、アフラ・マズダやミスラによって完成された終末の神の国に相当します。
そして、洪水による世界の滅亡と新たなる誕生は、大いなる火による世界の浄化・消滅と新たな宇宙の誕生に相当します。

「ティマイオス」の宇宙論では悪神は語られず、宇宙はできる限り理想的な姿に創造され、消滅することなく永遠に存続します。
そして、不完全な存在が完成を目指します。
ですが、現実のギリシャの歴史は堕落を経験したのです。
そして、プラトンは意図せずして、ペルシャやバビロニアで語られた悪神と善神が抗争する宇宙観と象徴的な同じ物語を過去の歴史として記していたのです。

ですが、アトランティス伝説は19世紀以降の神秘主義者によって、プラトンの意図からもここで解釈した象徴性からも離れて、様々な空想や象徴の素材となりました。


プラトンの宇宙論 [古代ギリシャ]

プラトンの著作の中でオリエント、西洋世界で最も影響力を持った書は、宇宙論・自然史をテーマにした「ティマイオス」です。
この書はプラトン晩年の作品で、ギリシャの古代史をテーマにした「クリティアス」、当時の現代史をテーマにした「ヘルモクラテス」と3部作として構想されました。
ですが、この構想は「クリティアス」の途中で未完に終わりました。

「ティマイオス」では「デミウルゴス」と呼ばれる創造神が、「原型」であるイデア界をモデルにその「模像」である宇宙を作ったと神話風に語られます。
これはゾロアスター教で、アフラ・マズダが世界をまず目に見えない世界で作ってから次に目に見える世界で作ったとする神話を思わせます。
また、ズルワン主義で宇宙を作ったのが至高神ズルワンでなくミスラであることを思わせます。
そして、「ティマイオス」では宇宙は一つの動物、あるいは神の一人子であって、知覚できる神であると形容されます。

イデア界は不変な「存在」するものであって、だからこそ「知性」によって認識できるもので、また知性そのものの世界でもあるのです。
一方、宇宙はイデア界を原因として「生成」し消滅するものと考えられます。
イデア界には時間はなく、「時間を越えた永遠」の世界です。
これに対して、宇宙には時間が存在し、宇宙自身は無限大の「永遠の時間」に渡って存続する存在です。
この「永遠の時間」は「時間を越えた永遠」の模像なのです。

また、興味深いことに、「ティマイオス」ではこのイデア=「存在」と宇宙=「生成」に対する第3の説明し難いものが語られます。
これは「場所(コーラ)」です。
イデア=「原型」=「父」、宇宙=「模像」=「子」であるのに対して、この「場所」はすべてを受け入れる「受容器」=「乳母」だとも表現されます。
つまり、「場所」は一切の形・性質を欠いているので、それ自体を知覚することはできないけれど、イデアを受け入れることで宇宙を生むような根源的な素材のような存在なのです。
デミウルゴスはこの素材を用いて宇宙を作ったのです。

ですが、「場所」という言葉が示すように、プラトンは根源的な素材性を空間性と結び付けて考えたのです。
プラトンは「場所」に対しては語りえないものとして、詳しく語りませんでした。
ですが、後にアリストテレスはこれから空間性を取り去って、「第一質料」としてすっきりと哲学化しました。

「場所」は素材的なものという点で、「不定の二」と似ています。
実際、アリストテレスはこの2つを同一視しています。
ですが、「不定の二」が「イデアの母」なのに対して、「場所」は「物質世界の母」なのでこの2つは別のものです。
「不定の二」はイデア界の素材、「場所」は物質界の素材と、「素材」に階層性があると考えることができるように思います。
また、「場所」には「空間性」があるのに対して、「不定の二」には「数量性・差異性」のみがあるのです。

宇宙の創造は次のように語られます。
デミウルゴスは、宇宙の「体」を4大元素(火、風、水、地)を数学的に組み合わせて作り、宇宙の「魂」を「存在」、「同一性」、「差異性」といった論理的な法則を数学的に組み合わせて作ります。
「魂」はイデア界と感覚界、霊的知性と体の間で両者を合わせ持つ媒介的存在なのです。
ですから、プラトンは宇宙を「イデア界(霊的知性)/魂/感覚界(自然・体)」と3層的に考えるわけです。

次に、デミウルゴスは「惑星」、「恒星」、「神々」といったデーモン達を作ります。
そして、人間の魂の不死の部分を星々と同じ数だけ星々に対応させて作ります。
ですが、人間の他の部分やや動物の創造は下位の神々にまかせてしまいました。
また、動物は悪しき人間が転生する存在として語られます。

天体は知性を反映した運動を行う完全な存在です。
これに対して、地上の生物は不完全な存在です。
ですが、知性の導きによって成長します。
ですから、人間は天体の調和を認識して向上を目指すべきなのです。

プラトンは人間の霊魂については、不死の神的(霊的知性的)な部分、気概的(魂的)な部分、情念的・欲求的(体的)な部分があるとして3層的に捉えました。
つまり、イデア界と感覚界の間の媒介的存在である魂には、イデア界と結びついた部分と魂自体の部分感覚界と結びついた部分があるのです。
そして、神的な部分は頭部に、気概的な部分は胸部に、情念的な部分はヘソの上にあると考えました。
そして、この神的な部分が守護霊ダイモンです。
これはゾロアスター教のフラワシを思わせます。

プラトンは人間を天に根を持つ植物に例え、このダイモンが人間を天上の同族のところに引き上げるとしました。
また、情念的な部分に神は特別な臓器である肝臓を作ったと語られます。
肝臓はプロメテウスが毎日、鷹に喰われ、夜に再生する臓器です。
プラトンはこの肝臓が予言の場所であるとしました。
肝臓は理性が弱る夜などに、神の世界の映像を映します。
ですが、それを正しく解釈するのは知性の仕事なのです。


不文の教説とピタゴラス主義 [古代ギリシャ]

「ポリティア」では存在の根源である「善のイデア」以上のものが語られます。
これは「存在の彼方」、「イデアを超えたもの」であって、「善そのもの」なのです。
ですが、それ以上についてはあえて語らないのです。

この先がプラトンの「不文の教説」に当たります。
「不文の教説」は難解なのもので、弟子によってその解釈は様々でしたが、後世に大きな影響を与えました。
この「不文の教説」はピタゴラス主義に由来します。

ピタゴラス主義のピロラオスによれば、ピタゴラス主義の基本的原理は「限定するものども(奇)」と「無限なるものども(偶)」、簡単に言えば「限/無限」です。
あらゆる存在はこの2つと両者の合わさったものによって生まれます。

まず、「限」と「無限」によって「一(モナド)」が生まれ、これから様々な「数」が生まれます。
ですが、この数は単なる数学的な数ではなくて、宇宙の原理そのものであるような「イデア的な数」なのです。
ただ、プラトンのイデアとは違って世界に内在する存在です。
例えば、「一」は原初の宇宙、宇宙の中心にある「火=プネウマ」なのです。

アリストテレスによれば、プラトンはイデアには2つの原理・構成要素があるとして、それを「一/不定の二」と表現したのです。
これはピタゴラス主義の「限定するものども/無限なるものども」を言い替えたものでしょう。
「一」は能動的な規定原理で、「尺度」ととも表現される秩序の根源、イデアのイデア的原理です。
一方、「不定の二」は「大・小」からなる(つまり数量的な差異性を持つ存在)、規定される受動的な原理、イデアの素材的原理、母性的な原理です。
つまり、「一=善」、「不定の二=悪」でもあります。

このように、ギリシャ思想では「無限」は素材的な原理を指して、後のキリスト教のように神の男性的な秩序原理を表しません。

「一」が「不定の二」を限定・分割することによって「イデア数」が生まれます。
「イデア数」は単なる数ではなくて、ピタゴラス派の数と同様に抽象的・象徴的な存在です。
例えば、「1」=点=知性、「2」=線=推論、「3」=面=推測、「4」=立体=感覚という具合です。

まず、「不定の二」が「一」の限定を受けて「1」が生まれます。
そして、次々と「イデア数」が生まれます。「イデア数」は基本的なイデアです。

プラトン哲学の中では他にも基本的なイデアが存在します。
これは、「最高類概念」、「メタ・イデア」と呼ばれる存在です。
具体t的には「同」、「異」、「相等」、「不相等」、「類似」、「非類似」、「偶」、「奇」などです。

そして、魂(宇宙霊魂)は「イデア数」を「幾何学的図形」として認識して、それを素材に反映して「感覚界」が作られるのです。
つまり、「魂」と「数学的存在」が同じ性質のもの、同じ階層の存在と考えられていて、それが「イデア界」と「現象界(自然)」の中間にあるとされるのです。

プラトン哲学とペルシャ思想を対応させると、「一/不定の二」はズルワン/アナーヒター(アフリマン)、「善のイデア」はミスラ、「イデア数」は大天使(アムシャ・スプンタ)に相等すると考えることができます。
「不定の二」は無秩序としての悪であると同時に、創造的な女神的存在だと言えるでしょう。
プラトンの2元論は相対的な善悪2元論なのです。

(プラトンの存在の階層)
原理=存在の彼方
不定の二(大/小)
イデア=知性=存在=原型
善のイデア
メタ・イデア/イデア数
様々なイデア
デミウルゴス
 
魂/数学的存在
理知的部分
気概的部分(可死)
情念的部分(可死)
現象界=体=生成=模像
 
場所=受容器=乳母
 

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