「ヨハネのアポクリュフォン」 [ヘレニズム・ローマ]


「ヨハネのアポクリュフォン」は、ナグ・ハマディ文書の中に3つのヴァージョンが含まれる中期のグノーシス主義の文書です。

一般に「セツ派」の文書と分類されますが、エイレナイオスが報告する「バルベーロー派」の神話ともそっくりです。
ヘレニズム化し、キリスト教的要素を取り込んだユダヤ人が著者ではないかと推測されます。

この文書の神話は、救済者である「キリスト」の霊がヨハネに語った啓示です。
ですが、「キリスト」や「フォーステール」の役割は非常に小さく、救済に関わる行為は「見えざる霊」や「ソフィア」、「プロノイア」などが行います。
ですから、キリスト教の要素は途中で付け加えられたものと推測されます。

また、原初的存在からの最初の流出を、自己を客体化・形象化する「認識(思考)」として、次の流出を原初的存在の「認識」と「承認」として描いている点が興味深いものです。
ですが、この認識や思考は、合理的、理性的なものではなく、直観的なものでしょう。


<流出と堕落>

最初に「見えざる霊(万物の父、記述しがたきもの、純粋な光…)」が存在します。

この「父」が自分を取り巻く光の水の中に自分自身の像を認識すると、彼の「エンノイア(思考)」が「プロノイア(摂理)」として彼の前に現れました。
これは、「バルベーロー(大いなる流出?)」であり、「万物に先立つ力」、「光の似像」、「第一の人間」、「処女の霊」です。

「ヨハネのアポクリュフォン」が、原初存在を「見えない」、「記述できない」と否定的に表現する点で、中期プラトン主義のアルビノス的な否定神学の影響が推測されます。

また、流出を、自己を客体化・表象化する「認識(思考)」として描いています。
ここにもプラトン主義の「ヌース」に関する考え方の影響があるのでしょう。

一般に、グノーシス主義では至高存在を「第一の人間」、「処女の霊」と表現しますが、「ヨハネのアポクリュフォン」では、「バルベーロー」に対してこの表現を使います。
この「見えざる霊」と「バルベーロー」は、男性的原理と女性的原理でもありますが、同時に両性具有だとされます。

また、「プロノイア(摂理)」は3種類語られます。
「バルベーロー」としての「プロノイア」以外に、後ででてきますがアイオーンの中の下位の一つとしての「プロノイア」、アルコーンの配下の「プロノイア」です。
これは、中期プラトン主義が3種類の「プロノイア」(恒星天/惑星天/地上)を区別することの影響でしょう。
ただし、完全に同じ意味での対応ではありません。


次に、「バルベーロー」が「見えざる霊」に求め、承認されることで、「プログノーシス(第一の認識)」、「アフタルシア(不滅性)」、「アイオーニア・ゾーエー(永遠の生命)」が与えられました。
ヴァージョンによっては「アレーテイア(真理)」もこれに加えられます。
これらは、女性的原理であり、また、両性具有です。

これらが、「アイオーン(永遠なるもの)」の「5個組」と呼ばれます。
つまり、「プロノイア/バルベーロー/プログノーシス/アフタルシア/アイオーニア・ゾーエー」、もしくは、「プロノイア」の代わりに「アレーテイア」が数えられます。

次に、「バルベーロー」は「見えざる霊」を見つけると光の飛沫として、「モノゲネース(独り子)」、あるいは、「アウトゲネース(自ら生まれたもの)」を生みます。
「見えざる霊」はこれに塗油すると、完全なものになって「キリスト(塗油されたもの)」になりました。

つまり、父・母・子が「光」、「光の似像」、「光の飛沫」とも表現されています。


次に、「キリスト」が「見えざる霊」に求め、承認されることで、「ヌース(叡智)」、「テレーマ(意志)」、「ロゴス(言葉)」が与えられました。
これらは、男性的原理であり、また、両性具有です。

これらは、次のような4組のカップルを形成します。

・プログノーシス(第一の認識)    /モノゲネース(独り子)
・アフタルシア(不滅性)       /ヌース(叡智)
・アイオーニア・ゾーエー(永遠の生命)/テレーマ(意志)
・アレーテイア(真理)        /ロゴス(言葉)

次に、「キリスト」と「アフタルシア」から4つの大いなる光である「フォーステール(光輝くもの)」が、そして、そのそれぞれから3つの存在で、合計12のアイオーンが生まれました。
ここには、「エピノイア(配慮)」、「アダム(完全なる真の人間)」、「知恵(ソフィア)」などが含まれます。

4つの「フォーステール」は、セツ派が考えた4つの時代区分(アダム期、セツ期、原セツ派期、現セツ派期)に対応しているようです。


<ソフィアの過失と世界創造>

そして、最後のアイオーンである「ソフィア」は、自分も認識による似像を作りたいと欲しました。
ですが、カップルの相手を持たず、「見えざる霊」にも「バルベーロー」にも「承認」を得ていませんでした。

このように、「ヨハネのアポクリュフォン」では、「認識」が「承認」と「対性」が結び付けられています。


そして、そのため、「ソフィア」のこの情欲は、「ソフィア」の似像にならず、醜い蛇とライオンの姿になったため、プレローマに外に投げ捨てました。
そして、「ヤルダバオト(無知蒙昧なる神)」と名付け、これが「第一のアルコーン(支配者)」になりました。

そして、「ヤルダバオト」は、12人の天使(オグドアス)、天の7人の王、地下の5人の王など、最終的に365の天使(アルコーン)、そして、宇宙を作りました。

そして、アイオーンの諸存在を知らない「ヤルダバオト」は、「私はねたむ神である。私の他に神はない」と言いました。

これは、旧約でヤーヴェが語る言葉とほぼ同じで、旧約を強烈に揶揄しています。


そして、「ソフィア」は、「ヤルダバオト」の行為を見て後悔しました。
それで、「見えざる霊」は彼女を承認して、彼女に「霊(生命の霊)」を注ぎ、彼女のカップルの相手が「欠乏」を回復させました。
ですが、彼女はプレローマにまでは戻されず、その下の恒星天(第8天)との間の第9天という中間世界に留まりました。


<人間と救済>

そして、アイオーンから「人間(見えざる霊)と人間の子(独り子)」がいるという声が「ソフィア」のところに届きました。
これは「ヤルダバオト」の思いあがりを否定するもので、「ヤルダバオト」もそれを聞きました。

そして、「見えざる霊」が証拠として自分の像を現しましたが、「ヤルダバオト」はそれの下方の水面に移った下側の像だけを見ました。
そして、「ヤルダバオト」とアルコーン達は、その像を真似て、人間「アダム」の魂の体を作りました。
ですが、「アダム」は動けませんでした。

「下方の水面に写った像」というテーマは、ヘルメス文書の「ポイマンドレース」にも見られます。

そして、「ソフィア」は自分がアルコーンに与えた「力」を取り戻したいと考えました。
そして、「アウトゲネース(自ら生まれたもの)」、つまり、「キリスト」と4つの光「フォーステール」を送り、アルコーンに「アダム」へ息(霊)を吹き込むように言いました。
これによって「アダム」は動けるようになりました。

ですが、「アダム」はアルコーンよりも賢かったので、アルコーン達はうらやましく思い、物質世界の底に引きずり降ろしました。
「父」がこれを憐れんで「光のエピノイア(配慮)」あるいは「ゾーエー(生命)」を送り、彼女(それ)は「アダム」の中に隠れました。

そして、「ヤルダバオト」は、「楽園」に「アダム」を閉じ込めました。
「生命の木」はアルコーン達の「模倣の霊」であり、死の実がなりました。

「ソフィア」由来の「霊」、「力」と、「父」由来の「光のエピノイア」や「生命」は、ほぼ同じ存在のようです。
そして、それに対立するのが、「アルコーン」由来の「模倣の霊」です。
この「模倣の霊」という存在を語る点が、「ヨハネのアポクリュフォン」の特徴です。

また、「エピノイア」は「プロノイア」の働きという側面がありますが、「プロノイア」という言葉は「先の思考」という意味、一方、「エピノイア」という言葉は「後からの思考」という意味なので、この対照的から「エピノイア」が使われています。


そして、「ヤルダバオト」は、「アダム」から「力」を取り戻そうとして、「アダム」から知覚を奪いました。
ですが、「光のエピノイア」は、「アダム」の中に隠れました。

それで、「ヤルダバオト」は、彼女を「アダム」の肋骨から取り出そうとしましたが、彼女は逃げました。
それで、彼女を捕まえるために、今後は、彼女の姿をした「女(イブ)」を作りました。

すると、「光のエピノイア」がその中に入りました。
ですが、彼女は、鷲の姿で「アダム」に「善悪を知る木の実」によって「グノーシス」を与えました。
そして、彼は自分の本質であるその母「ソフィア」を知りました。
そのため、「ヤルダバオト」は「アダム」を楽園から追放し、彼らを闇で覆いました。

また、「ヤルダバオト」は「イブ」の中に「光のエピノイア」を見つけたので、彼女を犯しました。
ですが、「プロノイア」がこれを先に察知して、「イブ」から「光のエピノイア」を抜き出していました。
「イブ」から「ヤーヴェ」と「エロイム」が生まれ、これが「カイン」と「アベル」になりました。
彼らには「光のエピノイア(生命の霊)」が欠けていて、代わりに「ヤルダバオト」に由来する「模倣の霊」、つまり、偽の霊が与えられていました。

そして、「ヤルダバオト」は、「アダム」その他の人間に生殖の欲望を与えました。
そのため、「カイン」と「アベル」の子孫の人間にも「模倣の霊」が与えられています。

一方、「アダム」は、息子の「セツ」を生みました。
すると、「プロノイア」が、彼女の「霊(生命の霊)」を自分に似た女の姿で「セツ」の中の「種子(眠れる霊)」のもとに送りました。
これは、アイオーンから「霊」が到来する時の準備のためです。

ですが、「ヤルダバオト」は、「セツ」の子孫に忘却の水を飲ませました。

その後、「ヤルダバオト」は洪水をもたらしましたが、「光のエピノイア」がノアにこれを伝えたので、ノアの子孫だけが助かりました。
そのため、「ヤルダバオト」は、アルコーンの天使達を人間の娘たちのもとに送って子孫を生じさせました。

このように、アイオーンの存在と「ヤルダバオト」は、「光(力・霊・生命)」の奪い合いを行いました。
そして、アダム、セツ、ノアの子孫にはアイオーンに由来する「光のエピノイア」がありますが、カイン、アベル、洪水後のアルコーンと交わって生まれた人間の子孫には「模倣の霊」しかありません。

そして、到来する「プロノイア」の啓示を受け取り、「模倣の霊」に惑わされずに、「生命の霊」に目覚めた人間は、「ソフィア」を形作ることができます。
そして、アルコーンの元に引き上げられ、プレローマは完全な状態になります。



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