インドと中国の霊的身体論の比較 [通論]

 

MORFO HUB」で書いた記事ですが、当サイトのテーマに合っているので転載します。

 

インドのタントラ(ヒンドゥー・タントラ、後期密教)には、霊的身体論と、それに基づく瞑想法(ハタ・ヨガ、究竟次第)があります。

プラーナ、ナーディー、チャクラなどを含む霊的身体論と、クンダリニー・ヨガやピンダグラーハなどの行法です。

一方、中国の道教の仙道にも、それに似たものがあります。

気、経絡、丹田などを含む気の身体論と、周天法などの内丹法の行法です。

両者の間の共通点と相違点を簡単にまとめて、見てみましょう。

 

プラーナ/気の階層

 

インドでも中国でも、物質より微細な次元の存在として「プラーナ(ヴァーユ)」と「気」、そして、それらの次元の身体を語ります。

タントラでは、プラーナは、3段階の階層で語られます。
下から「粗大なプラーナ」、「微細なプラーナ」、「極微の(原因的)プラーナ」です。
「微細なプラーナ」は、中央管の中を流れ、「極微なプラーナ」な不滅の心滴(胸のビンドゥ)の中にあります。

仙道では、気はまず、「後天の気」と「先天の気(元気・炁)」に分けられます。
さらに、「先天の気」は、下から「精」、「炁(気)」、「神」の3段階(3形態)に分かれます。
「先天の気」は腎臓(命門)あるいは、脾臓(黄庭)にあります。

両理論間の対応付けは、すっきりとはできません。

ですが、両理論ともに、プラーナ/気にレベルの違いがあり、それと精神のレベルが対応すると考える点は同じです。

 

プラーナ/気の場所

 

タントラでは、プラーナには主に5つあって、それが流れる場所、働きが異なります。

心臓周辺の「プラーナ」、臍周辺の「サマーナ」、肛門周辺の「アパーナ」、頭部・手足の「ウダーナ」、全身の「ヴァーナ」です。

一方、仙道では、気は主に3つに分かれます。
表面全体をめぐる「衛気」、胸部を中心に巡って呼吸や飲食に関わる「宗気」、そして、身体の経絡に沿って流れる「営気」です。

流れる場所や働き、分類数は異なりますが、気の分析に対する発想は似ています。

 

プラーナ/気の二元性と統一

 

中国では気は、その本質から「陰気」と「陽気」に分けられます。
陰陽は、基本的な二元論となります。

陰陽二気は、身体上では、腎/心臓に対応し、それが脾臓の黄庭で統一されます。
また、性別では女/男に対応し、両者が気を交換することで統一されます。

タントラの二元論は、頭部の「チャンドラ(月)」と腹部の「スーリア(太陽)」です。
密教では、「白い心滴」と「赤い心滴」と表現されます。
性別では、男/女に対応します。

両者は胸の「不滅の心滴」で統合されます。
ここは、ヒンドゥー・タントラではアートマンの場です。

この心滴(ビンドゥ)の二元論は、プラーナが流れる左右管の「イダ」、「ピンガラ」としても表現され、両者は中央管「スシュムナー」で統一されます。

 

霊的器官

 

タントラでは、プラーナの流れる流路は「ナーディー(脈管)」、一方、中国では、気の流路は「経絡」と呼ばれます。

インドではプラーナのスポットは、重要なものから「ビンドゥ」、「チャクラ」、「マルマ」などがあります。
一方、中国では、「丹田」、「精宮」、「経穴」です。

タントラでは、主要なナーディーは、中央管「スシュムナー(密教ではアヴァドゥーティー)」、左右管の「イダ(密教ではララナー)」、「ピンガラ(密教ではラサナー)」です。

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インド・カーングラ派のチャクラ、ナーディ図 1820年頃

それに対して、中国では、主要な経絡は、中央の「衝脈」と、体の前後の「任脈」、「督脈」とされます。

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監脈循行図 「医宗金鑑」より

インドと中国では、左右と前後の違いがあります。

インドでは、中央管に沿った7つほどの「チャクラ」が有名で、中国では、7つの「精宮」がほぼこれに相当します。

インドでは、チャクラ以上にプラーナの根源となる3つの「ビンドゥ(心滴)」が重視されます。
頭部の「チャンドラ(白い心滴)」、胸部の「アナハタ(不滅の心滴)」、「腹部のスーリア(赤い心滴)」です。

概念は異なりますが、中国の、頭頂、胸、腹部の3つの「丹田」とほぼ位置は一致します。

また、プラーナ/気の流れを止める3つの障害が、インドでも中国でも語られます。
タントラにおいては、「グランディ」と呼ばれ、眉間、胸、会陰にあります。
中国においては、「関」と呼ばれ、三丹田の場所である頭頂、胸、腹部にあります。

 

体内神

 

タントラや密教では、ヤントラやマンダラの諸尊を身体各部に観想して、その照応関係を築きます。

また、タントラではクンダリニーを女神シャクティ、頭頂のチャクラ部をシヴァ神と考えます。
密教では、頭頂から垂れる甘露をヘールカとし、これが各所に回って、各チャクラにいるダキニと交わると考え、腹部にいるクンダリニーをヴァジラヴァーラーとします。

このように、体内には、神々、諸尊が存在すると考えます。

仙道では、このような神々を「体内神」と表現し、やはり、存思(観想)をします。
例えば、眉間と両目に太極と陰陽に相当する神々、五臓には五臓の神々、三丹田には三天の神々、といった具体です。

 

生命力の消費と滋養

 

タントラでは、根本的な生命力は、頭部の軟口蓋の上部あたりにある「チャンドラ(月、シヴァ、ヘールカ)」にあり、そこから「アムリタ(甘露・菩提心)」として垂れ、腹部、もしくは、会陰にある「スーリア(太陽)」で消費され、やがて死に至ると考えます。

生命力は、性活動や消化で消費され、全身にも回ります。

仙道でもほぼ同様に考えますが、それは「先天の気(元気)」とされ、それがあるのは腎臓間の「命門」、もしくは脾臓の「黄庭」、女性の場合は子宮とされます。

そのため、ハタ・ヨガの「ケーチャリー・ムドラー」では、軟口蓋の上方に舌をつけアムリタを飲み、喉のヴィシュダ・チャクラに貯め、それを消費せずに全身を滋養します。

一方、仙道の「嚥津法」では、「玉液」と呼ばれる唾液は「精」が液体化したものと考え、これを飲みますが、これは「ケーチャリー・ムドラー」に類似したものでしょう。

 

逆行の行法

 

仙道では、霊的身体が胎児の状態を理想とし、瞑想(気の制御や観想)によってこの胎児の状態に戻そうとします。
呼吸で言えば、「胎息」と呼ばれる先天的な「内気」の呼吸システムのみが働く状態です。

そのためには、まず、後天的な「気」を練り、その後、先天的な「精」を目醒せ、それを「炁」に戻し、さらに「神(陽神)」に戻します。
そして、最終的には、身体を「道(無、虚)」に戻します。

このように、生命力を逆行させることを「逆修返源」と呼びます。

密教でも、父タントラ(マハーヨガ・タントラ)の究竟次第の「風のヨガ」や「聚執(塊取、ピンダグラーハ)」では、全身の「粗大なプラーナ」を中央管に戻して「微細なプラーナ」にし、さらに不滅の心滴に戻して「極微なプラーナ」にします。

ハタ・ヨガでも、呼吸を止める「クンバカ」には、「胎息」と同様の意味があるのかもしれません。
特にケーヴァラ・クンバカは、自然に通常の呼吸がなくなり、クンダリニーの覚醒につながります。

そして、「クンダリニー・ヨガ」では、基底部のクンダリニーを頭頂にまで戻します。

また、両脚を上げる姿勢で行う「ヴィパリータ・カラニ(逆行のヨガ)」では、腹部や性器にある性的エネルギーをチャンドラまで逆流させます。

 

結合の行法

 

仙道の内丹法では、男女による陰陽二気の交わりによって胎児が生まれることを再現して、自分の体内で新しく「胎」を作ります。
具体的には、腎/心臓の陰陽二気を混ぜるのですが、これを「竜虎の交わり」と呼びます。

ハタ・ヨガの「ヴィパリータ・カラニ」でも、チャンドラとスーリアのエネルギーを結合させる方法があります。

母タントラ(ヨーギニー・タントラ)の究竟次第の「チャンダリーの火」などでも、「白い心滴」を融解して甘露を垂らし、「赤い心滴」を発火させて上昇させ、両者を結合して、全身を滋養します。

 

性の行法

 

仙道の「房中術」は、性行為を通して男女の間で相手の「先天の陰/陽気」を交換します。
これを「陰陽服気」、「男女煉鼎」などと表現します。

男性は女性から陰気をもらうと思いがちですが、「先天の陰気」は男性の中でも成長後に発生します。

そうではなく、男性の中で減少した「先天の陽気」を、女性に発生した「先天の陽気」で補うのです。

さらに続いて行う「環精補脳」では、男女煉鼎で練られた精を頭頂(黄宮)にまで上げます。
これは、「後天の精」を「先天の精」に戻し、上丹田の「先天の神」と合体させるものです。
そして、その後、息を吐きながら腹部に落とします。

ハタ・ヨガでも、性ヨガ(ヴァジローリー・ムドラー)では、男性の精液の中にある「ビンドゥ」のエネルギーと女性の経血の中にある「ラジャス」のエネルギーを結合して、身体を浄化・滋養します。

母タントラ(ヨーギニー・タントラ)の究竟次第でも、性ヨガは重視されます。

 

作られる霊的身体

 

仙道の内丹法では、「陽神」と呼ばれる陽気でできた霊的身体を作ります。これには自分の意識も入っていて、体外に出して周りを歩かせることも行います。

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丹田中の陽神(右)とそれを頭から出す出神(左)「太乙金華宗旨」より

一方、父タントラ(マハーヨガ・タントラ)の究竟次第では、もともとある自分の霊的身体(意成身)とは別に、微細なプラーナと魂できた「幻身」を、不滅の心滴から作り出します。

両者は似ていますが、「陽神」の方が密度が高くてより物質に近い存在のようです。

ゾクチェンの最終段階に到達した修行者は、「大いなる転移」によって自身の肉体を「虹身」に変えます。
これは、元素のエッセンスである光でできた身体で、「報身」とは違って一般の人間に働きかけることができるされます。

ゾクチェンの「虹身」は、母タントラ(ヨーギニー・タントラ)の「虹身(虹身光身)」、カーラチャクラ・タントラの「空色身」と同種のものかもしれません。
これらは、「心滴」が尽きた時に現れる「極微のプラーナ」を越えた次元の身体でしょう。

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虹の身体になるパドマサンバヴァのタンカ

「大いなる転移」では、生きながら、もしくは、死後に、肉体が小さく収縮し、人によっては最終的に消えてなくなります。

これは、現象としては、仙道の、死体が消えてなく「尸解」に似ています。

内丹法では、「陽神」を虚に戻すために煉っていると、光が放射するようになります。
さらに肉体を「陽神」の中に溶け込ませることで、肉体は消失しますが、これを「虚空粉砕」と呼びます。

「大いなる転移」も「尸解」、「虚空粉砕」も、死はなく不死の獲得とされます。

仙道では、肉体のまま虚空?に昇る「白日昇天」が伝説的に語られますが、密教にはこの種のものはないようです。

 

*今回は触れませんでしたが、インドでも中国でも、霊的身体論やその行法は、医学や錬金術(煉丹術)とも深く関係しています。


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