中観派と般若学 [古代インド]

「中観派(マードゥヤミカ)」は、唯識派と並ぶインド大乗仏教の2大学派の一つです。
また、中観派の修行道論などの実践的な教学は「般若学」と呼ばれます。

中観派は、ナーガルジュナ(竜樹、2-3C頃)に始まります。
ただ、実際には、彼が活動した頃には、まだ学派と呼べる存在があったわけではありません。
中観派は、ナーガルジュナの主著の「中論」を論拠として、「空性」を中心教説とします。
「中観派」というのは中国での名前ですが、正しくは「中派」、ないしは「空性論者」です。


<教学>

「中論」は、般若経典を根拠としながら、概念的認識の真理性を否定します。
一言で言えば、中観派の教学の目的は、言葉によって言葉を否定することであると言えるのではないでしょうか。

従来のアビダルマ哲学(小乗仏教の教学)では、「法」の実体性(実有論)が主張されていました。
ナーガルジュナは、これを完全否定しました。
ナーガルジュナの主な論争相手は説一切有部です。

「中論」では、「縁起」、「無自性」、「空」を同じ意味で、また「仮」、「非有非無」、「中道」もほぼ同じ意味で使います。

すべての存在は、「縁起」(相互依存)する存在であるがゆえに、「無自性」(本質を持たない)であり、それを「空」(実体性を欠いている)と表現します。
すべての存在が本質を持たないがゆえに、概念では正しく表現できないので、「空」という概念で表現することも「仮」の表現である。
しかし、それによって「有」や「無」といった極端な見解への執着を離れることができるので、これは「中道」である。

だいたい以上が、「中論」の主な主張です。
「中論」では「縁起」をアビダルマのように時間的因果関係ではなく、相互依存という論理的関係として捉えます。

「非有非無」というのは単に「ある/ない」の否定ではなく、論理学的にすべての命題の「肯定/否定」の否定を意味します。
つまり、形式論理学の基本となる「二項対立」を否定します。

「中論」では、他にも「四句分別」の否定、つまり4つの基本的な論理「A/B/A&B/notA&notB」(有/無/有&無/非有&非無)の否定も行います。

また、具体的属性の代表として、「八不」(不生不滅、不常不断、不一不異、不来不去)が論証されます。
その論法は、「一異門破」「五求門破」「三世門破」などと呼ばれる論法です。

このように「中論」では、概念や論理を、概念対象の実体性の否定のために使われます。

「中論」は「諸行(現象)」だけではなく、「涅槃」や「仏」の実体性も否定します。
ですから、「涅槃」は「輪廻」と、「仏」は「諸行」と、異なる存在ではないのです。
これは、仏教における、すべての宗教化、形而上学化、絶対化を否定するものです。

では、現象(諸法)の背後にある実在として、なんらかの基体を認めるでしょうか?
「中論」では、「空」には、「空」の直観を得て見た肯定的な世界を指すという側面もあります。
しかし、「中論」では、実在的な基体を論理的には表現しません。
ですが、後の中観派は、如来蔵思想の影響もあるのか、このような基体を認めるようになり、「空(性)」を基体のように受け止めます。


<歴史>

中期(5-7C)の中観派は、一般に「帰謬論証派」と「自立論証派」に分かれます。

「帰謬論証派」は、「空」でないと前提すると矛盾することを示すことで、帰納法的に「空」を論証します。
チャンドラキールティ(月称)、ブッダパーリタ(仏護)、シャーンティデーヴァ(寂天)などが代表的な人物です。

一方、「自立論証派」は、唯識派のディグナーガ(陳那)が作った形式論理学を使って、「空」を直接的に論証しようとします。
代表的な人物は、バーヴァヴィヴェーカ(清弁)です。

後期(8C―)の中観派は、「自立論証派」が主流となりますが、唯識派と総合されて「瑜伽行中観派」となります。
代表的な人物は、ジュニャーナガルバ(寂護)(8C)や、チベットにも仏教を伝えた、シャーンタラクシタ(寂護)、カマラシーラ(蓮華戒)などです。

ちなみに、密教やチベット仏教では、「帰謬論証派」が主流となります。


<実践>

般若経典をベースにして生まれた修行体系を「般若学」と呼びます。
般若経典を重視する中観派の実践は、「般若学」に基づきます。
「般若学」は「厳観荘厳論」(マイトレーヤ・4C)をベースにしています。

「現観荘厳論」の修行体系は、「戒・定・慧」の「三学」と、北伝仏教の修行体系の基本である「五道」、そして、大乗仏教の基本である「菩薩の十地」をベースにしています。
修行階梯は、「資糧道」、「加行道」、「見道」、「修道」、「無学道」という5段階で構成されます。

「現観荘厳論」の修行体系は、説一切有部の修行体系を基にして、それを大乗化したものです。
また、説一切有部の修行を否定するのではなく、まずそれを修めてから、大乗の修行を修めるべきとしています。

「資糧道」の段階では、初歩の「慧」まで進みます。
「加行道」では、止観一体の三昧で「空」を理解します。
「見道」では、菩薩の初地に入り、後天的な煩悩を断じます。
「修道」では、十地まで進み、先天的な煩悩と所知障を断じます。
「無学道」では、等引智と後得智が一体となり、仏地に到達します。

「見道」と「修道」における認識の対象は四諦です。
大乗仏教である「現観荘厳論」の特徴は、実体否定の「空思想」と、利他的な「菩薩道」です。

詳しくは、姉妹サイト「仏教の瞑想法と修行体系」の「現観荘厳論(中観派:弥勒)」をお読みください。


西方の神秘主義との比較で言うなら、中観派は徹底的な「否定の道」を選んでいると表現できるでしょう。
しかし、存在の母体、至高存在を積極的に語らないので、そこには「上昇」というベクトルを感じることはありません。
また、否定の後の肯定、下降を積極的に表現することもありません。 
 


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