無上ヨガ・タントラの生起次第 [中世インド]

無上ヨガ・タントラの主要な2つの行法が、「生起次第」と「究竟次第」です。
この項では、二次第の修行に入る前に必要な灌頂の体系と「生起次第」について説明します。


<灌頂>

「生起次第」や「究竟次第」を行うためには、灌頂(仏教修行のイニシエーション)を受ける必要があります。
密教は秘密の教えなので、灌頂や密教の戒律を受けなければ、修行することも、教義を教えてもらうこともできませんし、本来は、合体尊などの秘密仏を見ることもできませんでした。

灌頂儀礼は、基本的に4段階に体系化されました。
これは修行の階層と考えることができます。
その内容は下記の通りです。

1 瓶灌頂  :曼荼羅の諸尊から瓶の聖水を頭からかけてもらい加持される
2 秘密灌頂 :阿闍梨がヨーギニーと性ヨガを行い、菩提心を入門者の口に入れる
3 般若智灌頂:入門者がヨーギニーと性ヨガを行い、大楽を得る
4 第四灌頂 :師が言葉によって「究竟次第」の修行の意味や目的、真理を説く

1は、「ヨガ・タントラ」までの灌頂とほぼ、同じで、2以降は「性ヨガ」がテーマで、「無上ヨガ・タントラ」で付け足されたものです。
ただし、1の前に、名前や法具などを授与される従来の灌頂を複数段階に分けて置く流派もあります。
「不二タントラ」に属する「カーラチャクラ・タントラ」も同様ですが、1をヨーギニーの胸(=乳の入った瓶)に触れることとします。

一般に、「瓶灌頂」では、「生起次第」の修行が許可されます。
「秘密灌頂」では、「究竟次第」の本格的な修行が許可されます。
「智慧灌頂」では、「究竟次第」で「空」の認識を獲得する「光明」の修行などが許可されます。
「第四灌頂」では、「究竟次第」の最終段階の修行が許可されます。


<生起次第>

「生起次第(生成のプロセス)」は、下記のように行われます。

・本尊ヨガ(我生起)と随滅

「無上ヨガ・タントラ」の成就法「生起次第(生成のプロセス)」の本質は、自分自身を仏として観想する「本尊ヨガ(我生起)」です。
密教では、仏として修行や六波羅蜜を行うことで、早く修行を進め、福徳を積むことができると考えます。

「本尊ヨガ」では、仏の姿を観想するだけではなく、「慢」と呼ばれる仏の意識・プライドも保持することが必要です。

観想された仏などの姿はイメージであって、それは「空」であるという認識が必要であり、また、観想を通して空性を理解することが必要です。
そのため、観想は、イメージのない「虚空(光明)」から現わし、最後は「虚空(光明)」に溶け入れます。
胸の「光明」への融解の観想法は「随滅(アヌベーダ)」と呼びます。
この「虚空」の時、一切のイメージや概念をなしにした無念無想の状態でいます。
また、観想をしている時も、それが「空」であることを認識している必要があります。
大乗の後得智と同じです。
この状態を「深明不二」と呼びます。

・五現等覚

「虚空」から仏の姿を現す時、いきなり仏身を観想するのではなく、いくつかの段階を経ます。
例えば、「月輪」→「日輪」→「種字(仏を象徴する梵字)」→「三昧耶(金剛杵などの象徴)」→(拡大・収束)→「仏身」です。
「鬘」は梵字やマントラの文字が列につながった(輪になった)ものです。

これを「五現等覚」と呼びます。
このプロセスは「真実摂経」に説かれた仏になるプロセスである「五相成身観」と関係付けられ、その後、人間の胎児が成長するプロセスとも重ね合わせされました。

「五現等覚」などで我生起する場合、眼前に観想してそれに一体化したり、胸に観想して自身に一体化するなどの方法があります。

また、「無上ヨガ・タントラ」の後期には、父からの「白い心滴」と、母からの「赤い心滴」、意識、意識を運ぶプラーナの4者が母胎で一体一体になり、「不滅のティクレ」が生まれて受胎することを象徴して、「母音の鬘が乗った白い月輪」、「子音の鬘が乗った赤い日輪」、「白いフーム字」、「黒いヒ字」が一体化して「ハム字」になり、そこから仏身が現れると観想する場合もあります。

・三重薩埵

一体化する仏身は、最初は意識的にイメージを形作ります。
この意識的に形成したイメージは「三昧耶薩埵(サンマヤ・サットヴァ)」と呼びます。
真実の仏の象徴という意味ですが、あくまでも象徴なので、この後、象徴を越える必要があります。

「三昧耶薩埵」の胸にさらに仏を観想して、そこに「智恵薩埵(ジュニャーナ・サットヴァ)」を招きます。
これは、意識せずに現れるイメージであり、自然に動き、意識的に描いた姿とは異なることもあります。
深層意識から現れる、創造的想像力による内的、原型的イメージです。
そして、「三昧耶薩埵」と「智恵薩埵」を一体化させます。

さらに、「智恵薩埵」の胸にフーム字を観想して、それを「三摩地薩埵(サマディ・サットヴァ)」にします。
「三摩地薩埵」についてはよく分からないのですが、音や光に近い、直感的な存在でしょう。
そして、最終的に自身を「三摩地薩埵」に一体化します。

このように三段階で、仏のイメージを仏そのものに近づけていきます。
この観想法を「三重薩埵」と呼びます。

・父母仏

「無上ヨガ・タントラ」の場合、本尊は「父母仏」として表現されます。
これは、教義上は「智恵」と「方便」の一体性と表現されますが、妃には「智恵」以外にも「エネルギー(ヒンドゥー・タントラの「シャクティ」に対応)」という側面も秘めています。
母タントラの場合、「父母仏」の回りにダーキニーなどの女尊が取り囲みますが、これらの女尊も「エネルギー」を象徴します。
ですから、自身を本尊として観想する場合、仏母も観想します。

・マンダラ

また、真理は本尊(父母仏)だけではなく、マンダラとして表現されますので、生起次第の観想も、本尊の我生起から、自身を中心としたマンダラ全体へと拡張します。
まず、マンダラの構造物(楼閣など)を観想した後、数々の尊格を生み出します。

構造物の出現は、物質的な宇宙の創造に当たるので、オリエント神智学の第一質料に相当する法源から4大元素(4輪)の創造などを観想します。

尊格の出現は、「父母仏」が、生殖によって生み出す形になります。
具体的には、例えば、「心滴」が頭頂から自分の中に入り、男根を経て妃の子宮に移動し、そこで個々の尊格になります。
それを男根で吸い上げて自身の中に入れ戻して、胸から外に出し、マンダラの所定の位置につけます。

さらに、身体上で対応する場所に付置して、「身マンダラ」とします。

・三身修道

「身マンダラ」までの観想の中で、死・中有・生を浄化して、仏身の三身(法身・報身・変化身)を観想するのが「三身修道」です。
これは、仏として輪廻を体験するものです。
本行の前の準備として本尊を現わした後、一旦、尊格を光明に融解して法身になるのが「死」の浄化です。
次に、「五現等覚」で報身としての尊格を現すのが「中有」の浄化です。
最後に、本尊の性ヨガを通して自身を変化身として現わし、身体に付置された諸尊を観想するのが「受胎」の浄化です。

・自利円満と他利円満

多くの場合、「生起次第」は、「自利円満」と「他利円満」の2つの観想からなります。

「自利円満」は、上記したような「本尊ヨガ」です。
「他利円満」は、仏が他者を救済する観想です。
「自利円満」で現した本尊を「因」の本尊、「他利円満」で現した本尊を「果」の本尊と表現して区別することもあります。

「自利円満」は仏とマンダラを「虚空」へ融解する「随滅」で終わりますが、「他利円満」は再度、4人の仏母が仏を勧請することに始まります。
本尊の出現、諸尊の出生が行われ、諸尊が世間に出て利他行を行います。

・微細ヨガ、斂観・広観、金剛念誦

マンダラ観想の応用編として、「微細ヨガ」、「斂観・広観」があります。
鼻先や男根の先などに、心滴や三昧耶、仏身やマンダラを観想するのが「微細ヨガ」、それを拡大して空間に遍満させ、再度一点に戻すのが「広観・斂観」です。

そして、「文字鬘(梵字の列)」を明妃との間で循環させるのが「金剛念誦」です。
これは言葉による利他の象徴として位置付けられています。


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