薔薇十字宣言とアンドレーエ [ルネサンス~近世ヨーロッパ]

1614年と翌年に、現ドイツのカッセルで匿名で公開された2つの薔薇十字(ロジクルジャン)文書は、まとめて「薔薇十字宣言」と呼ばれます。
この宣言は、薔薇十字友愛団の設立の経緯を紹介し、参加を呼びかけていますが、これは架空の団体でした。

しかし、これが17世紀の進歩主義的な改革の啓蒙運動につながり、また、その後のヨーロッパの神秘主義思想にも極めて大きな影響を与えました。
薔薇十字の啓蒙運動は、科学と魔術が一体であるルネサンス思想の最後の展開であり、やがてその潮流は、18世紀には、合理的啓蒙主義と反啓蒙主義的な神秘主義へと分離していきました。

薔薇十字運動のきっかけとなるオリジナルの文書は、1614年の「友愛団の名声」、1615年の「友愛団の告白」の両宣言、そして、1616年にシュトラスブルクの版元から出版された関連小説「クリスチャン・ローゼンクロイツの化学の結婚」の3書です。

これら文書の著者は、ヴァレンチン・アンドレーエと、彼と親交のあったチュービンゲンの理想主義者のグループであると推測されています。


<友愛団の名声>

1614年に出版された「友愛団の名声」(以下「名声」)は、サブタイトルが「あるいは誉れあるRC友愛結社の発見、ヨーロッパの首長、諸身分、ならびに学者たちに捧げる」です。
しかし、イタリアの作家トラヤーノ・ボッカリーニの「全世界の普遍的にして一般的改革」に付録する形で出版されました。

「名声」は、1610年前後には作成され、写本として流通していたようです。
1612年には早くもハーゼル・マイヤーが「名声」の呼びかけに反応した内容の出版をしています。
「名声」の出版された初版には、これが添えられ、この反応をしたためにマイヤーがイエズス会に捉えられたことを記しています。

「名声」と訳された原語の「ファーマ」は、「伝説」や「神話」と訳しても良い言葉です。

「名声」の内容は、C・Rと記される人物の人生、彼が友愛団を結成した経緯と、この書が出版された経緯、そして、友愛団への参加を呼びかけです。

「C・R」は、「R・C」、「C・R・C」、「C・Rose・C」など複数の表記方法で表記されています。
彼は、ドイツに生まれ、アラビア文化圏を遍歴し、真実の知識を発見し、それが書かれた「Mの書」をラテン語に翻訳して持ち帰りました。

C・Rはそれに基づいてスペインの学者達に、技術、哲学、教会の改善を提案しましたが、彼ら自身の保身のために拒否されました。
C・Rは、教育的かつ国王を支援するための財宝を持つ協会が必要だと考え、3人の同士と「薔薇十字友愛団」を創設し、さらに新たに4人を加えました。
団員はいくつかの国に分かれて活動することになりましたが、友愛団については100年間秘密にすることが規則でした。

パラケルススも「Mの書」を読み、友愛団と同じ理念で活動したが、友愛団ではなかったと記されています。
パラケルススは、C・Rのモデルの一人なのでしょう。
友愛団は無料で病気治療を行ないます。

C・Rが亡くなった時、いつか友愛団が消滅しても再建できるように、宇宙の真理を表現した建築物として、C・Rの埋葬所が建設され、各種の書も収められました。
彼の知は、彼の時代が受け取るには相応しくなかったため、後世に託されました。
そして、120年後に埋葬所が発見されると予言されました。

予言通りにC・Rの埋葬所は発見されました。
これを機会に、友愛団の存在を公表し、団員への参加をヨーロッパに参加を呼びかけることにしました。

最後に、近い内に人間、社会の全般的改革がやって来る、友愛団に興味ある人は、公の場で口頭で、もしくは、著作で公表すれば、友愛団の方から接触すると、述べています。

他にも、「名声」では、友愛団は社会を変革する秘密の知識を持っていること、魔術を善用する方法を知っていることを記しています。
また、錬金術に関しては、偽りの黄金作りを批判、錬金そのものの重要性を否定しています。
しかし、錬金術が存在しないとは述べず、また、錬金術の本意が霊的成長であるとも述べていません。

C・Rの生誕は1378年、死は1484年の106歳の時、埋葬所の発見は1604年、つまり、「名声」の出版の10年前であることが、翌年の「告白」の記述から判明しました。


<全世界の普遍的にして一般的改革>

「名声」の前に置かれた「全世界の普遍的にして一般的改革」(以下「改革」)は、イタリアの作家トラヤーノ・ボッカリーニの寓意的風刺作品「パルナッソスからの報告」から抜粋したものです。
当時のヴェネチアには、反教皇の自由主義勢力がいたので、イギリスやドイツのプロテスタント勢力からも、連携の可能性を考えて注目されていました。

「改革」は、アポロンが世界の改革をしようとして賢者達と協議するのですが、改革案は実行不可能なものばかりで、改革者達はつまらない事に忙殺されて改革を断念してしまいます。
これは、プロテスタントとの分裂を回避せずに断罪した、ローマ教会のトリエントの宗教会議をパロったものです。
それで結論としては、博愛や隣人愛を人類に吹き込むことが救済策であると、最後にソロンに語らせます。

博愛による改革を目指す点では、「改革」は「名声」と共通します。
また、「改革」が架空の設定の物語であることは、「名声」も同様であることを暗示しているようです。


<友愛団の告白>

1615年に出版された「友愛団の告白」(以下「告白」)は、「名声」の新版の付録として出版され、サブタイトルは「あるいはヨーロッパの全学者に宛てて書かれた、薔薇十字のもっとも立派な結社の称えられるべき友愛団の告白」でした。

また、フィリップ・ア・ガベッラ作の「より秘密の哲学の短い考察」(以下、「考察」)を併載していいて、最初にこれを読むようにと記されています。
ガベッラは知られた人物ではなく、宣言書を書いたメンバーの偽名かもしれません。

「考察」の内容は、ジョン・ディーの「象形文字のモナド」を引用してのその解説であり、最後に、薔薇十字団メンバーによる祈りが付いています。
全体の構成から、薔薇十字団の哲学の核心が、ディーの思想と同じあることを示しています。
彼の思想は、科学技術と魔術が一体となった普遍的な知を志向するものです。

ディーが考案したモナドの図像は、中央に十字があり、上部の天から露が落ちると考えます。
「露(ルス)」は「薔薇(ローズ)」に通じ、錬金術的には黄金の溶剤です。
「薔薇十字」という名称は、これに由来するという説があります。

「告白」の内容は、「名声」の続編にあたり、友愛団の説明です。
ですが、ドイツ語で書かれた「名声」と異なり、ラテン語で記されているため、知識人を対象としています。

最初に辞では、ローマ教皇をアンチキリストと表現して批判しています。

本文では、友愛団が作り話ではない、教皇を断罪する、友愛団は異端ではない、世俗の支配をもくろんでいない、友愛団への加入については適正を判断する、といった内容が語られます。
さらには、アラビアには賢者だけが治める町がありヨーロッパでも同様となる、間もなく訪れる終末の前に神が真実と生命などを贈る決意をした、と。

また、秘密の隠された文字と記号が必要になる、神はそれらを被造物のうちに刻み込んだ、という主張もなされています。


<化学の結婚>

1616年に出版された「クリスチャン・ローゼンクロイツの化学の結婚」(以下「化学の結婚」)は、宣言書ではなく、幻想譚的な小説です。
サブタイトルは、「秘密を暴かれた秘法は価値を失い、神聖冒涜は恩寵を破壊する 豚どもに真珠を投げ与えるなかれ、ロバに薔薇の床をしつらえるなかれ」です。
そして、1459年という日付が記されています。

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この書は、後世の1779年に発見・出版されたヴァレンチン・アンドレーエの自伝で、自分が作者であることを認めています。
*アンドレーエのプロフィルについては、「薔薇十字啓蒙運動」を参照してください。

しかし、アンドレーエには出版する気がなく、本人の意志を無視して海賊版として出版されました。
「化学の結婚」は、「名声」以前に写本として読まれていて、「声明」の反響が大きかったためか、勝手に出版社に持ち込まれたのです。
この書は、アンドレーエの10代の作品であり、この書をもとに、宣言文書が作られたようです。

「化学の結婚」は幻想譚的な小説で、錬金術のイメージに溢れています。
また、タイトルページにディーのモナスの図像を掲載しています。
この書の具体的な内容は、ローゼンクロイツが、王と王妃の結婚式へ召命を受けて旅立ち、様々な体験をする7日間の出来事です。

2日目には、入城する際に、ローゼンクロイツは「赤い薔薇十字の同胞」であると答えます。

4日目には、3組の6人の王族(老いた王と若い王妃、浅黒い肌の王とヴェールをかぶった老夫人、高価な王冠をかぶった2人の若い人)が斬首され棺に入れられますが、5日目にオリンポスの塔へと船で行き、6日目に錬金術の作業によって彼らの遺体を変化させ、1組の王と王妃を生みだして生き返らせ、二人を船に乗せて送り出します。

最終日には、ローゼンクロイツは「黄金の石騎士団」に入団し、王と共に宮殿に戻ります。

「化学の結婚」は、王と王妃の結婚式をテーマにしていますが、出版の2年前の1613年に、イングランド王女エリザベス・テューダーと、錬金術を研究していたファルツ選帝候フリードリヒ5世が結婚しており、それは反カトリック同盟の意味合いを持っていました。
「化学の結婚」は1613年以前に書かれていますが、1616年に出版された版には、2人の結婚を象徴する内容になっており、そのように書き直されたのでしょう。

薔薇十字関連書は、明言はせずとも、反カトリック的なプロテスタント同盟を求めようとするものであり、ファルツ選帝候フリードリヒを支持するものです。

フリードリヒは、イギリスからガーター勲章を授与されましたが、ガーター騎士団の紋章は白地に赤い十字であり、ローゼンクロイツが7日目に王を守りながら騎上で掲げた旗と同じです。
また、ローゼンクロイツの白と赤の装いとも重なります。

フリードリヒは、ローゼンクロイツのモデルの一人であり、「薔薇十字」はガーター騎士団の紋章に由来するという説もあります。

また、錬金術的には、ローゼンクロイツが身につけている薔薇は、聖処女の象徴、もしくは、赤化の過程や赤い賢者の石を象徴するのかもしれません。


<キリスト教神話>

1618年に、アンドレーエは「キリスト教神話」を出版しました。
彼はこの書で、喜劇、笑劇の道徳的教育効果を述べて評価しています。
もともと、彼が最初に書き始めたのは、イギリスの演劇に影響を受けた喜劇でした。

アンドレーエはこの書で、薔薇十字団を想定して、「ヨーロッパ中に喜劇を上演して歩くすばらしい友愛団」と書いています。

また、1619年に出版した「バベルの塔」では、「友愛団を待っていても無駄、喜劇は終わった」と書いています。

つまり、アンドレーエにとって、薔薇十宣言は、そのままに受けとられるべきものではなく、彼らの改革理念を、演劇的・喜劇的に表現したものだったのです。

ところが、宣言をそのままに、友愛団が実在すると受け取る者達によって、様々なつまらない論争がされるようになったため、アンドレーエは、薔薇十字運動から距離を取り、批判する側に回りました。


<クリスティアノポリス>

1619年に、アンドレーエはユートピア小説「クリスティアノポリスの理想的またはユートピア的都市の記述」(以下「クリスティアノポリス」)を出版します。
これは、賢者が治めるキリスト教徒の理想の都市の話で、カンパネッラの「太陽の都」のアンドレーエ版です。

この書の序文では、改革の必要性を説きながら、ある友愛団体がこれを約束したが、結果は、ペテン師や詐欺師によって、人々の間に完全な混乱の種を巻いてしまった、と述べています。

そして、船に乗り込んでクリスティアノポリスに向けて出港するように誘います。
このことは、「化学の結婚」でローゼンクロイツが船で婚礼の場に向かったことを思い起こします。
また、「不当に薔薇十字の同胞を名乗るペテン師ども」は、クリスティアノポリスの門をくぐれないと記されています。
これは、「化学の結婚」でローゼンクロイツが「赤い薔薇十字の同胞」と名乗って門をくぐったことを思い起こします。

つまり、「クリスティアノポリス」は、「化学の結婚」のヴァージョン・アップなのです。
そして、一番の違いは、今回は架空の喜劇ではなく、翌年から実現にするシナリオだった点です。


<キリスト者協会>

アンドレーエは1619年に「キリスト者協会の見本」、1620年に「さしだされたキリスト教的愛の右手」を出版します。
この両書は、薔薇十字宣言書のヴァージョン・アップと見なすことも可能です。

薔薇十字団は架空の存在でしたが、今回、アンドレーエは「キリスト者協会」という現実の組織を1620年に設立しました。
この協会には、「太陽の都」の独訳者のヴィルヘルム・ヴェンセやトビアス・アダミといったアンドレーエの友人も参加しました。
彼らは、薔薇十字文書に関わっていたメンバーかもしれません。

「キリスト者協会」の活動には、ヨハネス・ケプラーやライプニッツが興味を持っていたようです。
しかし、残念ながら、30年戦争のために活動は短い期間で終わりましたが、その後、継承者や分派を生みだしました。

*「薔薇十字啓蒙運動」に続く

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