ノヴァーリスの魔術的観念論 [ルネサンス~近世ヨーロッパ]

ノヴァーリスことフリードリヒ・フォン・ハイゼンベルク(1772-1801)は、「青い花」や「夜の讃歌」、「ザイスの学徒」など作品で、ドイツ・ロマン主義の代表的作家の一人として知られる人物です。
ですが、当時の思想家・作家の中で最も科学に精通した人物でもあり、また、哲学的思想家でもあり、神秘主義的な傾向も持っていて、自らの思想を「魔術的観念論」と称していました。

ノヴァーリスは親交もあったシェリングと同世代の思想家であり、同じような課題に取り組みながら、よりラディカルで理想主義的な答えを導こうとしました。

ノヴァーリスはフィヒテの「自我哲学」に「自然哲学」を加え、そこにパラケルススやベーメのような「自然神秘主義」、そして、ゲーテの自然学を手本にした自然科学、そして詩学などの諸学の総合を目指しました。

ノヴァーリスは、自然的な照応の世界観が失われた時代において、認識と創造が一体であり、概念とイメージが結びついた「創造的な想像力」によって、世界の意味を動的に再創造することを目指しました。

また、ノヴァーリスはカント以降ということを意識し、霊的認識を、客観的認識としてではなく、内面的な創造行為として捉えます。
彼にとっては、受動的な「知的直観」や「主客の合一」、「脱自」は意味をなさず、「創造的な想像力」こそがそれに変わるものでした。

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<生涯>

ノヴァーリスは、イェーナ大学、ライプツィヒ大学、ハイデルベルク大学で、法学、哲学、数学などを学びました。
ノヴァーリスの父はフィヒテの後見人であり、1795年には、イェーナの哲学者ニートハマーの集まりで、フィヒテ、ヘルダーリンと出会いました。

1796年には、フライベルクの鉱山学校に入学し、専門的な自然諸科学を学び、当時の思想家の中で最も専門知識を持つに至ります。
ほぼ同時期に、シェリングも自然科学を学んでいますが、ノヴァーリスの方がより高い知識を持っていたと思われます。
同年、シュレーゲル兄弟がイェーナに移住し、ヴィルヘルムの自宅での集まりで、ノヴァーリスはティーク、シェリングらと親交を持ちました。

1799年には、断片という形式で思想を表現した「断片集」を発表しました。
断片主義は、観念論の哲学者が体系的に思想を表現したことに対するアンチテーゼです。
ノヴァーリスは、断片を、有機的に結びつきながら成長するものとして考えました。
ちなみに、フリードリヒ・シュレーゲルは、批判・批評という形式で思想を表現しましたが、これも体系主義へのアンチテーゼです。

しかし、ノヴァーリスは1801年に、29歳の若さで亡くなりました。
彼は、自身の思想の断片を十分に成長させることができませんでした。
ですが、若々しく、理想主義的な可能性として、未完で残された彼の思想は、ノヴァーリスに似つかわしいものなのかもしれません。


<自然哲学>

ノヴァーリスは、フィヒテの「自我哲学」に関して、シェリングと同様に「自然哲学」との統合が必要と考えていました。
しかし、シェリングの「自然哲学」に関しては、自然科学の知識や表現において不十分であると感じていました。

ノヴァーリスはその解決のために、プロティノスやゲーテを持ち出します。

ノヴァーリスは、シェリングのように精神と自然を2元的に見ず、プロティノス的な階層的な構造の中で捉えます。
そして、「世界霊魂」に由来する神性をわずかでも含んでいれば、それを成長させることができると考えました。

表現においても、プロティノスのように、「流出」や「光」、「闇」といった概念とイメージを結びつけることが必要だと考えました。

また、思弁的なシェリングと、イメージで直観するゲーテの自然科学へのアプローチ(後述)の統合を模索しました。

また、フィヒテにおいては、「自我」と「非我」の関係が闘争的で、「愛」や「出会い」がないと批判しました。
ノヴァーリスにとって「非我」たる「自然」は、相互的な関係を持つべき「汝」なのです。
そして、万物には相互表象的な関係があると考えて、「自我」と「自然」は互いに表象であり対称的な関係なのです。


<照応的自然観>

ノヴァーリスは、デカルト以来の機械論的自然観に反対する立場であり、シェリングの有機体的自然観を共有します。
同時に、ヘルメス主義的な万物照応の自然観、パラケルスス、ベーメ的な「自然神秘主義」の影響を受けています。

人間は「ミクロコスモス(小宇宙)」ですが、反対に、自然は「マクロアントロポス(大人間)」であると表現されます。
また、人間は「無限大の自然」の「微分」であり、「無限小の自然」の「積分」であると、数学的にも表現します。

また、個々の自然は、「個性」を持つミクロコスモスであり、魂を持つ人間的存在であるとも言います。
ミクロコスモスたる人間の自我の中には、複数の自然、「複数の汝」がいるとも表現します。

ですが、重要なのは、ノヴァーリスが万物照応の世界観を歴史的に考えたことです。


<照応と歴史観>

ノヴァーリスは、1799年に発表した「キリスト教世界あるいはヨーロッパ」で、歴史を理念的に、大きく3段階で考えました。

第1の時代(黄金時代)   :聖なる感覚・世界の意味を持つ
第2の時代(現代)     :聖なる感覚・世界の意味を喪失
第3の時代(新たな黄金時代):聖なる感覚・世界の意味を回復

「第1の時代」は、ヨーロッパの中世がモデルで、真に普遍的、真にキリスト教的な時代とされます。
「聖なる感覚があり」、「世界の意味を持つ」と表現され、「万物照応」の世界観があり、言葉は自然に照応を反映していた時代です。

「第2の時代」は、ノヴァーリスの当時の時代です。
この時代は、徐々に、「聖なる感覚」、「世界の意味」、「万物照応」を失っていく時代です。
つまり、ノヴァーリスは、彼の時代には、万物照応が世界観においても、言葉においても失われていた、という認識を持っていました。

「第3の時代」は、期待される未来であり、「聖なる感覚」、「世界の意味」が回復される時代です。
「新たな霊が降り」、「何千もの人びとにメシアが宿る」時代とも表現されます。

ノヴァーリスは、この時代に求められている、世界の意味を回復することを「ロマン化」、求められるその表現のあり方を「ポエティッシュ」と呼びました。
もちろん、それらを説くのが、彼の「魔術的観念論」です。


<魔術的観念論>

ノヴァーリスは、自身の思想を「魔術的観念論」を表現しましたが、彼が言う「魔術」の意味は、ルネサンス的、薔薇十字的な「魔術=自然科学」としての魔術観を、さらに追求したものです。
哲学や自然科学・技術の進歩の歴史も、「魔術」の純化の結果だと考えますが、降神術や護符魔術のようないわゆる魔術は含みません。

ノヴァーリスは「魔術」の本質を、抽象化と具象化を結びつけて、想像力を創造的に使用し、失われた調和を回復する行為だと考えました。

ノヴァーリスは、「魔術的観念論」を、カント、フィヒテを超える哲学であるだけではなく、哲学と自然科学、詩学などを総合したの学の最終形と考えました。
そのためには、超越論哲学と自然科学を「ポエジー化」して、理念や概念と詩を統合して表現することが必要です。

シェリングが芸術と哲学を分けて考えていたのに対して、ノヴァーリスはさらに一歩踏み出して、総合しようとするのです。


<ロマン化とポエティッシュ>

ノヴァーリスは、世界に意味を再び取り戻す「ロマン化」を、フィヒテ的な自己理解の「内への道」と、ゲーテ的な他者を知る「外への道」を結びつけることだと考えました。

その表現方法は、「ポエティッシュ」と呼ばれますが、これは、「ポエム(詩)」と、「ポイエイン(作る)」を合成した言葉です。

「ポエティッシュ」な表現は、認識と創造が同時であるような実践です。
認識しつつ想像力によって表現し、理性と感情の両方に働きかけます。
これはシェリングが言う「神的想像力」に似ていますが、ノヴァーリスは「創造的な想像力」と表現します。

ノヴァーリスは、神の創造に対して、人間は想像力によって万物を再創造できると考えました。
彼にとっては、真理は、受動的なものではなく、自由に詩的に創造するものなのです。

「ポエティッシュ」な表現の理想、根拠は、ベーメが説いた、内面の心情の音楽性です。
ノヴァーリスは、自然も本来的には、その生成の状態においては、音楽的であると考えました。

「ポエティッシュ」な表現をした具体的なモデルは、哲学ではプロティノスであり、自然科学ではゲーテです。

プロティノスは、先に書いたように、概念とイメージを結びつけた表現を行いました。
ノヴァーリスは、カントの「実践的理性」を、「ポエティッシュな理性」とすべきであると考えました。
その一方で、ノヴァーリスは、ロマン主義のあるべき形の詩を、「超越論的ポエジー」と呼び、存在の認識を踏まえたものであるべきとしました。

ノヴァーリスはゲーテの自然研究の方法を評価し、ゲーテを何度か訪問しています。

ゲーテは、例えば、植物のメタモルファーゼを、原植物の普遍的理念をイメージとして直観し、その収縮拡張で描きました。
ゲーテ自身は、自分の表現を「対象的思惟」と呼びました。 

ノヴァーリスは、それを「能動的観察」と表現しました。
それは、経験しつつ創造する、観察しつつ思考する方法で、「創造的な想像力」を働かせ、概念と形象・イメージを結びつけるものです。


<象徴>

では、照応的世界観が失われていることと、「ポエティシュ」な表現はどう関係するのでしょうか?

万物照応の世界観では、照応し合う存在同士に「共感」という力、作用が働きます。
そして、互いが、あるいは下位のものが上位のものの「象徴」となります。

「自然」には星辰世界の影響としての「印し(シグナトゥール)」があり、「黄金時代」の人間はそれを読むことができました。
「象徴」は客観的な照応の事実に基づくもので、「しるし」と表現されました。

ですが、照応の世界観が失われた「第2の時代」では、「しるし」は読めなくなり、人間が使う言葉、記号は恣意的なものになってしまいました。

第3の「来るべき黄金時代」には、世界の意味を回復する必要がありますが、それは「ポエティッシュな象徴」となります。

それは、形象と概念・記号、感覚と悟性が相互作用し合うものであり、「黄金時代」のように定まったものではなく、常に創造されるべきものです。
つまり、自然は、認識かつ創造しながら、解読すべきものなのです。


<神と悪>

ノヴァーリスは、「絶対者」の探求は、「たえず裏切られ、たえず新たにされる期待」であり、その終わりなき活動、到達し得ないことを行為によって見出すことで、否定的にのみ認識されると考えました。
この考え方は、前期ロマン主義に特徴的な思想でもあり、前期のシェリングの思想とも同じです。

後期ロマン主義のバーダーや後期のシェリングは、ベーメの影響を受けて、「悪」の問題を重視しました。
ですが、彼らに先駆けてベーメを評価していたノヴァーリスは、「悪」の問題を重視しませんでした。

彼にとって、「悪」は錯覚であり、善に至るためのフィクションでしかありません。
「罪」は、人間の精神の怠惰、自由の刺激の欠如、弱さであるとしました。

「悪」を重視しない点にも、ノヴァーリスの理想主義的な性質が感じられます。


*参考文献:「ノヴァーリスと自然神秘思想」中井章子(創文社)

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