マルチネス・ド・パスカリとサン・マルタン [ルネサンス~近世ヨーロッパ]

主に18C後半から19Cの初頭にかけてのヨーロッパ、特にフランスを中心にした、合理主義的な啓蒙思想や理神論に反発する神秘主義的な思想は、「イリュミニズム」、それを担う人々は「イリュミネ」、「イリュミニスト」と呼ばれました。
神的、霊的な知としての「照明(光)」に由来する名称です。

ちなみに、1776年にドイツのバイエルンで、アダム・ヴァイスハウプトによって結成された政治結社の「イルミナティ(バヴァリア・イルミナティ)」の思想も「イルミニズム」と呼ばれます。
ですが、これはフリーメイソンの理神論と同様、合理的な理性を重視する思想であり、この項が取り上げる「イリュミニズム」とは正反対の方向性を持っています。

「イリュミニズム」の中心にあったのは、「マルティニズム」です。
「マルティニズム」は、神秘主義的な結社の「エリュ・コーエン(選ばれた僧侶)」の創始者マルチネス・ド・パスカリと、彼の弟子だったサン・マルタンの一派の思想を指します。

「マルティニズム」は、堕落した人間が霊的に上昇して原初の調和を取り戻す「再統合」を、アグリッパ流の降神術や、自然との霊的関係を通して目指しました。

「イリュミニズム」、「マルティニズム」は、ロマン主義運動や、19Cフランスのオカルティズム復興運動にも大きな影響を与えました。


<マルチネス・ド・パスカリ>

マルチネス・ド・パスカリ(1727or1710-1774)は、フランスのグルノーブルでスペイン系ユダヤ人として生まれたのではないかとされていますが、生誕についても、その後の歩みについても、確かなことは分かっていません。

パスカリは、フリーメイソンの組織を参考にして、「エリュ・コーエン(選ばれた僧侶)」という名の宗教結社を結成し、支部を各地に立てました。
一般にフリーメイソンの思想は合理的な理神論ですが、「エリュ・コーエン」は、アグリッパ流の降神術を中心にした活動を行う、神秘主義的思想を持った団体でした。

パスカリは、自身の思想を表現した「諸存在の再統合論」を執筆しました。
この書は、団員の中だけで回し読まれていましたが、1世紀以上経った1899年に、ネオ・マルティニストであるパピュスによって発掘され、発表されました。

パスカリは、1772年、突如、カリブ海のサント・ドミンゴに旅立ち、2年後にそこで亡くなりました。

Martinez_de_pasqualle.jpg

「諸存在の再統合論」は、「創世記」の秘境的解釈の形で、以下のような、グノーシス主義に近い「神話」を語ります。

創造主である神は、超天界に、第1の存在である「第1諸霊」を流出しますが、この神は神を礼拝することをやめて、邪悪な思惟をいだき、「悪」の原因となりました。
そのため、神は物質的宇宙を創造して、背反した悪霊たちを閉じ込めました。
そして神は、「第1諸霊」と同じ力を持ち、その上に立つ長子として、輝く巨大な体を持つ神人のアダムを流出し、悪霊たちを監視し、導く使命を与えました。

ところがアダムは、悪霊たちにそそのかされて、神に背いて創造行為を行って、転落してしまいました。
アダムは自ら犯した行為を反省して、自分の神的な力を神に返して和解しました。
ですがこれ以降、アダムの子孫の人間と物質宇宙は、神との直接的関係も途絶え、病んだ状態になりました。
しかし、人間は、キリストの手助けのもとに会心することで、原初の神人の地位を回復することができ、宇宙も本来の状態を取り戻して、「再統合」が可能となります。

この神話で語られる「再統合」へ導くための、「エリュ・コーエン」の実践の中心が降神術でした。

もう少し詳しく紹介すると、「第1諸霊」は、神の4つの本質を反映して、「上位霊」、「大霊」、「下位霊」、「小霊」の4種類からなります。
神に背いた後は、「小霊」が他の悪霊を率いることになりました。
また、パスカリの思想では、数には神的な意味があり、この4種の霊たちにも、それぞれに数値、10、8、7、4があります。

パスカリは、数の基本的な意味については、下記のように考えています。

1 一者、創造主
2 混乱、女
3 地、人間
4 神の4重の本質
5 悪霊
6 日々の業
7 聖霊
8 2倍の力を持つ霊、キリスト
9 悪魔、物質
10 神的数

また、神は、「小霊」を流出した場所に、「6つの円」とそれと接する「1つの円」を描きました。
「6つの円」は、宇宙の創造に用いた6種の無限の思惟を表現し、「1つの円」は神の霊と人間の結びつきを表現します。

アダムも神を真似て「6つの円」を創造しましたが、これは闇の性質を持ったものになり、自分たちの檻となってしまいました。

神に由来する善なる思惟は「非受動的な形相」を持っていますが、アダムが悪霊にそそのかされた悪なる思惟は「受動的・物質的な形相」しか持たないのです。


<サン・マルタン>

サン・マルタン(1743-1803)は、アンボワーズの小貴族に生まれ、新プラトン主義の影響を受けた宗教書を愛読して育ちました。

彼はパスカリと出会うと、パスカリにその才能を認められ、1768年には彼の秘書になります。
そして、「諸存在の再統合論」の執筆にも協力し、「エリュ・コーエン」の主導的立場につきました。

しかし、彼は、教団の活動、特に降神術に対して反発して、より内面的な道である、認識や祈りを重視して、「エリュ・コーエン」を離れます。

そして、1775年には、「知られざる哲学者」の名前で、「誤謬と真理」を発表します。
これは、合理主義的な啓蒙主義の宗教批判に反駁するために書かれた、マルティニズムの思想を表現した書です。
数秘術や錬金術などを織り込んだ難解な表現であるにもかかわらず、一部で注目を集めました。

続いて、82年に「タブロー・ナチュレル」、90年に「渇望する人」、92年に「この人を見よ」、「新しき人間」を発表し、「知られざる哲学者」はサン・マルタンではないかと、推測されるようになりました。

Louis-Claude_de_Saint-Martin.jpg

「タブロー・ナチュレル」は、人間と自然の結びつきに、人間の転落から上昇への変換点を見出し、以下のように説きます。

人間が霊的に目覚めると、人間は知性によって自然に働きかけて、物質化した自然を本来の非物質性に戻します。

すると、自然の一部である人間の体も純粋に霊体な体となります。
そして、自然を通して、人間に神の智恵がもたらされます。
その人間と自然の関係は、数秘術的な数の関係として表現されます。

また、「渇望する人」は、ロマン主義者たちの間で好まれ、影響を与えました。

例えば、同郷のバルザックは「セラフィタ」で数ページに渡って窃盗を行う他、作品で何度もサン・マルタンの名を出しています。
他にも、サン・マルタンは、ユゴー、ネルヴァル、ボードレール、ブルトンら作家に影響を与えたのではないかと、言われています。
特に、ボードレールの「悪の華」の「万物照応」との類似が指摘されています。


サン・マルタンは、88年からのストラスブールに滞在中、ヤコブ・ベーメを知り影響を受け、ベーメ4作品の翻訳を行いました。
サン・マルタンは、これ以降、パスカリとベーメの思想を結びつけることを目標とするようになります。
そして、それは、1800年の「事物の精神について」、1802年に「霊的人間の使命」に反映されました。

「事物の精神について」でも、自然は催眠状態にあり、自然は生成原理のみが、霊的次元と直接の照応関係を持っていると言います。
そして、人間の中には、万物を知らしめる「生きた鏡」があり、これが能動的に、自然の中になかったものを植え付けて生み出させます。

また、神の性質を映し出すのは魂をおいて他にはないとし、我々の真の本性は、神性そのものに絶えず導かれ活動を与えられることにあると言います。
そして、神は我々を愛していて、人間が回復するために必要な力を、人間がそれを渇望する思いの中に注ぎ入れているのです。


サン・マルタンのロマン主義の思想家にも影響を与えました。

ドイツ・ロマン主義の思想家バーダーは、ベーメをシェリングに紹介した人物ですが、バーター自身は、サン・マルタンの研究をしてベーメの影響を受けました。
また、フリードリヒ・シュレーゲルがカトリックに改宗したのは、サン・マルタンの影響ではないかと言われています。


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