折口信夫の産霊信仰と鎮魂法 [日本]


折口信夫は、民俗学、国文学、あるいは、神道学、古代学、芸能史学の学者であり、その総合的で独特な学問は、「折口学」とも表現されました。
彼は柳田国男と並んぶ民俗学の創始者ですが、彼にとってそれは新しい国学であり、彼は最後の国学者でもありました。

また、折口は、釈迢空と号した歌人であり、小説家でもありました。

折口の学問に対する姿勢は独特で、コカインを服用して、古代人の思考方法や世界観を体験的に理解しようとし、直観や象徴を重視して学問を行いました。

一般に、折口信夫は、神秘主義者とは言われません。
ですが、彼が論じた、「外来魂」=「たま」は、非日常的な無形のエネルギーであり、「産霊」や「鎮魂」はそれを扱う技術です。
そして、神霊を憑依させた者が語る神の言葉は、非日常的な言葉です。

この非日常的な霊魂と言葉と意味の発生を巡る折口の思想は、霊学者の観点とは異なりますが、本ブログの定義では神秘主義的なものと言えます。

このページでは、折口学全般の紹介ではなく、その霊魂観、言語観、鎮魂法、産霊信仰といったテーマについてまとめます。

そして、続くページでは、小説「死者の書」と神道宗教化について取り上げます。

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<たま>

折口信夫(1887-1953)は、日本における「霊魂」の古語を「たま」であるとしました。

「霊魂はたまであり、今所謂たましひはもと霊魂の作用である。たまは霊体であって、多くの場合露出せず、ものに内在してゐる。そう言る時、霊をつゝんでゐるものをもたまと言ふ」(霊魂・1951・昭和26)

「たま」は霊力を持った霊体で、折口は、この「たま」を「外来魂」として捉えました。
文化人類学で霊力を意味する「マナ」の英語が「external soul(外在魂)」ですが、折口はこれを「外来魂」、あるいは「威霊」と訳して自身の重要な霊魂概念としました。

「たましひは、肉体内に常在して居るものだとは思つて居なかった様である。…たましひの居る場所から、或る期間だけ、仮りに人間の体内に入り来るものとして居たので…」(原始信仰・1931・昭和6)

「たま」は、その根源においては、人格的存在ではなく、無個性な一つの力のような存在です。
そのため、自由に分割、分霊することもできます。

「霊魂そのものには、それ程はつきりと思慮記憶があるものとは、古人は思はず、霊魂を自由な状態において考へたのである」(民族史観における他界観念:1952・昭和27)

文化人類学では、「霊魂」(一定の人格性を持った)が根源存在であると考える原始宗教を「アニミズム(精霊信仰)」と呼びます。
それに対して、人格性のない霊的な力である「マナ」が根源存在であると考える原始宗教を「マナイズム(アニマティズム、ヴァイタリズム)」と呼びます。

折口の霊魂観は、「マナイズム」のようにも思えますが、純粋なそれではなく「アニミズム」寄りのものでした。

折口にとって、「たま」は、抽象的で不可視なものですが、同時に、物体的に捉えることができるものです。

また、霊学の言う四魂に関しては、「さち(幸魂)」を狩猟の能力を与える霊魂と解釈しました。
そして、「奇霊」は医療の威力を持つ霊魂です。

また、「荒魂」を戦争の威力を発する時に分離されるもので、外来魂ではない霊魂であるとしました。
そして、「和魂」は「荒魂」ができる時に相対的に現れる霊魂であるとしました。(原始信仰、霊魂)


折口によれば、「たま」は、後代に、人間から見て善いものが「神」と呼ばれるようになり、邪悪なものが「もの」と呼ばれるようになりました。(霊魂の話:1929・昭和4年)

「たま」は、外来神である「マレビト」として、定期的に共同体に来訪します。
沖縄のアカマタ・クロマタのように、「マレビト」は、もともと、鬼や獣のような異形の姿になって来訪しました。(国文学の発生 第三稿:1929・昭和4年)


「マレビト」は、土地の精霊と約束を切り替えに来るのが一番の目的でした。(春来る鬼:1931・昭和6年)

「マレビト」には、人間に土地を奪われて、人間に対して悪意を持っている野山の精霊たちを、服従を誓わせ、逆に自分たちを祝福しに来させるようにしたものもありました。(日本芸能史序説:1950・昭和25年)

一方、成熟した人間の「完成した霊魂」は、死後、「常世」に至ります。
人間の霊魂は、「他界身」としては異形の姿(獣身)をとることもあります。
アイヌや沖縄など日本の一部にはトーテミズムがあり、その場合は「他界身」は「トーテム動物」となります。
ですが、「常世」の霊魂は、最終的に無個性な男女一種類の霊魂に、あるいは、人格に限定されない霊魂に帰一します。

ところが、人間でも「未完成な霊魂」は、「常世」に至らず、山野に留まります。
彼らは、植物や石などを体(一種の他界身)にすることもあり、「精霊」と呼ばれます。
これら山野にいる雑多な邪霊は、人間をうらやみ、危害を加えることがあります。
これが日本的なアニミズムです。
(民族史観における他界観念:1952・昭和27)


<柳田国男>

折口の民俗学における師は柳田国男です。
ですが、二人の霊魂観は大きく異なると言われています。

柳田にとって根源的な霊魂は、共同体の「祖霊(祖神)」であって、共同体の内部から生まれ、共同体を守り、その自己同一性の根拠となるような存在です。

それに対して、折口にとっての根源的な霊魂は、「祖霊」ではない無個性な力であって、外来する時には異形の姿となって、共同体を活性化する存在です。
折口は、共同体を見守る「祖霊」というのは、近代以降の信仰ではないかと考えました。

「其先祖と言ふ存在は、今一つ先行する形があつた。他界にゐる祖裔関係から解放せられ、完成した霊魂であつたことである」(民族史観における他界観念)

ですが、最初期の柳田の論考である、「石神問答」(1910・明治43)では、外来する、善悪を兼ねた異形の神々を扱っていました。
そして、「「イタカ」及び「サンカ」」(1911-12・明治44-45、雑誌連載)では、漂泊の芸能者を扱っていました。
これは、ほとんど折口のテーマを同じです。

つまり、折口は、柳田がその後に否定した、あるいは、扱わなくなったテーマを継承したのです。
ですから、柳田による執拗な折口批判は、過去の自己批判でもあったのです。

柳田にはさらに古い論考があって、「幽冥談」(1905・明治38、雑誌掲載)では、天狗などの異形の者として「隠れ世」から現れる日本の神々を扱っていました。
そして、平田篤胤一派の幽冥研究を評価しています。
折口も、「先生の学の初めが、平田学に似ている」(先生の学問)と書いています。
折口が興味を持った柳田民俗学の出発点は、後の姿と大きく異なるのです。


<産霊>

折口は、「霊魂(たま)」を扱う神の技術を「産霊(むすび)」、人間の技術を「鎮魂」として捉えました。

「産霊」は、「霊魂をものの中に入れて、それが育つやうな術」です。

「生物の根本になるたまがあるが、それが理想的な形に入れられると、その物体も生命を持ち、物質も大きくなり、霊魂も亦大きく発達する。その霊(タマ)が働くことが出来、その術をむすぶと言ふのだ。…つまり、むすびの神は、其等のむすびの術を行う主たる神だ」(神道宗教化の意義:1946・昭和21)

霊魂を物質や肉体に入れると、霊魂も物質も肉体も発達して増える、つまり、生命力を与えるのが「産霊」です。
そして、それを行う神として神格化されたのが「産霊神」、つまり、「高皇産霊神」と「神皇産霊神」の神です。

この両神は、天照大神が大切なことを行う時は、必ず出現します。
そして、神も万物も、その「産霊」によって作られたものなのです。

「(産霊によって成長した)その一番完全なものが神、それから人間となつた。それの不完全な、物質的な現れの、最も著しく、強力に示したものが、国土或いは嶋だ、と古代人は考えました」(神道の新しい方向:1949・昭和24)


<鎮魂>

折口にとって、「たま(霊魂)」を扱う人間の技術全般が「鎮魂」ですが、これは複合的に考えることができる幅の広い概念です。
「鎮魂」は次のように分類することができます。

まず、「たま」を呼んで(招魂)それを体に付着してエネルギーを高めることが、「たまふり(魂触り)」です。
「魂乞い」とも呼ばれます。

そして、それを体の中に入れて遊離しないように固定することが「たましずめ(魂鎮め)」です。
また、悪霊などが体に触れて来ないように抑えつけることもこれに当たります。

また、体内の「たま」の力を増殖させることが「たまのふゆ(魂殖ゆ)」です。
それを行うのが「ふゆ(冬)」です。
「たま」は増やして分けて他人に与えることができます。

以上の「鎮魂」は、基本的に巫女などの術師が誰かに対して行う技術です。
ですが、自分で行う方法もあります。
「忌籠り」もその方法です。

また、折口は、「禊」も、水を介して何らかの霊魂を、あるいは水神や海神の霊魂を付着させる鎮魂法として解釈しました。


「鎮魂」の具体的な方法は多様で、以下に列記したようなものがあります。

本田親徳や川面凡児の鎮魂法は「行法」的な方法ですが、折口のそれは、儀式、呪術、芸能、あるいは、単に、風習や迷信のように感じられるものでしょう。
芸能に関しては、折口は、鎮魂法から生まれたものと考えています。

ですが、どのような呪術的な技術も、形式だけが残ってそれだけを見れば、そのように見えます。

まず、「舞踊(あそび)」は、霊魂を呼び出す方法です。
一定の形式で謡う「歌謡」は、その霊魂を歌に乗せて体に入れる方法です。

「反閉(四股)」、「田遊び」は、地を踏みつけることで悪霊を抑えつける方法です。

「はふり」は、体を振って霊魂を呼び入れる方法です。
「袖振り」、「領巾振り(ひれふり)」のような布を振ることは、霊魂を呼ぶ方法です。

上にもあげた「物忌み」は、布団のようなもの(も)をかぶってじっとしていることで、霊魂を呼び入れる方法です。

「鳥の遊び」、「魚の遊び」は、鳥や魚を捕まえて、それを見る、食べることで、それが持っている霊魂を体内に入れる方法です。

「花見」、「国見」は、自然を見ることで、それが持っている霊魂を呼び入れる方法です。

「国偲び(くにしのび)」は、土地を思い浮かべることで、その霊魂を呼び入れる方法です。
旅先で郷土を思い浮かべることなどがあります。

「霊合(たまあひ)」は、相手の人物を思い浮かべることで、その霊魂を呼び入れる方法です。
恋愛の「魂乞い」でも行われます。

また、宮中で行われている鎮魂法としては、以下の方法があります。

アメノウズメが行ったとされる「宇気槽撞き(宇気槽の上に乗って矛で突くこと)」は、大地の霊を呼び出し、悪霊を抑えつける方法です。

箱から服を取り出して振動させる「御衣振動」は、霊魂を呼び入れる、あるいは、増殖させる方法です。

「糸結び」は、糸で輪を作って箱に収める、あるいは、箱を糸で縛ることで、霊魂をつなぎとめる方法です。
神宝に糸を結んで、その神宝の名や呪詞を唱えながら、神宝を振動させることもあります。
この場合、霊魂を呼び入れる方法です。
伯家や橘家が伝えています。

以上の3つの方法は、「一二三四五六七八九十(ひとふたみよいつむゆななやここのたりや)」を唱えながら、同時に行います。

また、臣下から天皇などに、歌舞奏楽や食物、神宝、寿詞(よごと)を捧げることは、国魂や自分の霊魂などを、捧げて移動させる行為です。


<神語・言霊>

折口の国学院大学の卒業論文は「言語情調論」(1910・明治43)です。
「情調」とは感情を喚起する働きです。

この書で、折口は、「間接的言語」=「差別的言語」と、「直接的言語」=「包括的言語」を区別しています。
後者の「直接的言語」は象徴的言語であり、詩的言語でもあります。

折口は、その後、この象徴的言語を、神の言葉(託宣、神語、神言、祝詞、呪言…)として捉えるようになりました。
「祝言」は、神、あるいは「マレビト」が発する、土地を祝福する言葉に由来します。
また、「祝詞」、「呪言」は、土地の精霊を服従させる言葉に由来します。

そして、神が自叙伝を語る言葉が叙事詩となりました。
折口は、このような神の言葉が、文学の起源であると考えました。

詩的・呪的言語が意味を発生させるという論考から出発したという点では、折口は井筒俊彦と似ています。


折口は、古代人の思考の特徴を象徴的思考であるとして、これを「類化性能」と表現しました。

そして、折口は、「思兼神(おもひかねのかみ)」を、意味を「兼ねる」神、つまり、象徴言語の神であると考えました。

「思兼というのは、いろいろな意味を兼ねて考える、そういう言葉を拵えた神の名であった。すなわち言葉は、一語にも、いろいろな意味を兼ねたのである」(古代における言語伝承の推移)

また、折口は、創造する霊力である「産霊」が、特定の形式の言葉(台=と)に憑依することで、「言霊」が生じると考えました。
この言霊の神、呪言の守護神は「興台産霊(ことどむすび)」であり、「思兼神」はその人格神化した名であり、呪言の創製者であり、「興台産霊」の子である「天児屋命(あめのこやねのみこと)」は祝詞の神です。

むすびと言うのは、すべて物に化寓(やど)らねば、活力を顕す事の出来ぬ外来魂なので、呪言の形式で唱へられる時に、其の憑り来て其の力を完うするものであつた。興台(ことゞ)――正式には、興言台と書いたのであらう――産霊(むすび)は、後代は所謂詞霊(ことだま)と称せられて一般化したが、正しくはある方式即とを具へて行ふ詞章(こと)の憑霊と言ふことが出来る」

「こやねは興言台(ことゞ)の方式を伝へ、詞章を永遠に維持し、唱法を保有する呪言の守護神だつたらしい。此中臣の祖神と一つ神だと証明せられて来た思兼ノ神は、たかみむすびの子と伝えられるが、ことゞむすびの人格神化した名である。此神は、呪言の創製者と考へられてゐたものであらう」
(国文学の発生(第四稿)呪言から寿詞へ:1927・昭和2)

折口にとって、言葉(意味)の発生は霊魂の発生は一体で、それは「神語」であり、「言霊」を持った言葉なのです。


*主要参考文献
・折口信夫全集「古代研究」、「民俗学偏」、「神道宗教篇」
・安藤礼二「神々の闘争 折口信夫論」、「折口信夫」
・津城寛文「折口信夫の鎮魂論」

*「折口信夫の「死者の書」と神道の宗教化」に続きます。


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