玄学(南北朝時代の道家思想) [中国]

三国時代から南北朝(六朝)時代には、官吏が貴族化して儒家思想への関心が薄れ、3C頃に何人かの思想家が流出論的な道家思想を哲学的に発展させました。
これらを総称して「玄学」と呼びます。

何晏は「道」の「無」としての性質を強調しました。
つまり、これまでの道家思想の「無」は、まだ存在論的に十分に理論化されていなかったのに対して、有を生み出す根源としての存在の根拠を「無」として規定しました。
そして、多くのキリスト教神秘主義が「神」を認識できないとしたのと同じように、「無」は体得できないものとして、その超越性を際立たせました。

これを受けて、王弼は「無」を「無称」として、その言葉による表現の不可能性を強調すると同時に、「無」と「道」とを存在論的に区別しました。
つまり、「無」は至高存在の静的消極的母体であるのに対して、「道」は万物を生む創造的存在なのです。

次に、郭象は荘子の注釈によって思想を展開しながらも、超越的存在として「道」を否定し、自然のみを肯定しました。
ですがその結果、自然に内在する普遍的な法則・本質としての「理」を重視する結果になりました。
「理」を体得するためには坐忘によって「無心」となる必要があります。

最後に、張湛は郭象の「理」を受け継ぎながらも、列子の注釈によって思想を展開して「道」を「太易」と表現し、その超越性を否定しませんでした。
また、他の玄学家が「気」を重視しなかったのに対して、「気」を「太易」から生まれる存在として重視し、「理」に則ってよって万物が生滅すると考えました。
「理」は「忘言、忘意、無為」によってのみ体得、認識できるのです。

郭象と張湛によって「理」が形而上学的な主要概念として確立されました。
張湛に代表される道家の「理」は、「道」の至高存在としての超越的な状態という側面を持つと同時に、世界の万物に内在する唯一なる本質という側面を持ちます。
ですが、「理」が万物に内在するからといって、多数存在するような個的な「理」というものは考えられませんでした。
 
  


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