ファーブル・ドリヴェの哲学的人類史 [ルネサンス~近世ヨーロッパ]

ファーブル・ドリヴェは、古代の音楽、言語、歴史に興味を持ち、独自の思想を形成しました。
彼は、人類の原初の言語に近いと考えた原へブライ語を復元し、「創世記」や各民族の聖典を研究することで、古代の知識や歴史を発見しようと試みました。

ドリヴェの思想、特にその空想的な人類史観は、19Cフランスのオカルティズム復興運動や、ブラバツキーの人類史観などに影響を与えました。

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<古代音楽>

アントワーヌ・ファーブル・ドリヴェ(1767-1825)は、南フランスの裕福な家庭に生まれましたが、フランス革命によって一族の財産は没収されてしました。
少年時代から人類の叡知をすべてまとめた厖大な書物を書き上げることを夢見て育ちました。

ドリヴェは、古代音楽の復興や、音楽と星辰との関係の研究を主張した音楽神秘主義者ピエール・ジョセフ・ルシエ神父の影響を受けました。
神父は、古代ギリシャ音楽は古代エジプトの音楽の後継であると考えていました。

ドリヴェは、音楽家として活動し、古代ギリシャ音楽の復興を唱えて、「ギリシャ旋法」なる音階を提唱しました。
彼は、ピタゴラス、プラトン、新プラトン主義の影響を受けて、その理論と音楽を結びつけていました。
その後、カバラの研究も行い、それを音楽理論に組み込みました。

ドリヴェの音楽理論には、「膨張力」と「収縮力」の2元論があります。
それは、「創世記」における、天となるべき「希薄な水」と海となる「濃厚な水」や、プラトンの「ティマイオス」の「叡智」と「必然」、プラトンの不文の教説の「同」と「異」、ヘルメス主義における「上昇」と「下降」と対応します。

時期は不明ですが、ドリヴェはフリーメーソン系の結社「真のメーソンと天の耕作」を率いて、その儀式も作成したようです。
上記の音楽の2原理は、フリーメーソンの2柱の「ヤキン」と「ボアズ」に対応させました。

これらのドリヴェの音楽思想は、フリーメーソンの象徴体系や、多くの音楽神秘主義者達に影響を与えました。


<原ヘブライ語の復興>

ドリヴェは1813年に、これまでの自身の思想をまとめた「ピタゴラスの黄金詩篇」を発表しました。
これは、カバラ、ヘルメス文書、ゾロアスター、インドの「パカヴァット・ギーター」から、中国の「荘子」をも含んだ壮大なものでした。

ドリヴェの基本的な世界観では、宇宙の原理は「摂理」、「意志」、「運命」の3つです。
この3原理は、マクロコスモスとしての人間では、「霊」、「魂」、「体」に対応します。
そして、歴史もこの3原理の展開として捉えらます。

1815-6年に発表した大著「ヘブライ語の復興」は、ドリヴェの最初の主著です。

この書でドリヴェは、ヘブライ語は原初の言語を最もよく保存していて、「創世記」の中には古代エジプトの神官たちの秘密の奥義が隠されていると主張しました。
ですが、バビロン捕囚の間に原ヘブライ語の知識が失われてしまったため、翻訳に重要な間違いがあると言います。

特に問題を感じていたのは、「創世記」の語る世界創造の時期が、他の聖典や科学的な考古学に比して新しすぎること、そして、モーゼが死後の霊魂を否定しているように書かれていること、この2点でした。

「ヘブライ語の復興」は、ヘブライ語文法、語源一覧、「創世記」の訳、その註解から構成されます。
訳は、原典の一語一語の語源の意味を転記した、フランス語と英語の直訳、そしてそれを普通の文法に改めた正訳から構成されます。

ドリヴェはヘブライ語の研究をし、ヘブライ語が、「霊」、「魂」、「体」の3つの次元の意味を持っていることを発見したと主張しました。
「文字通りの意味」、「秘教的な意味」、「ヒエログリフ的な意味」の3つです。

従来の翻訳は、「文字通りの意味」しか伝えていません。
ドリヴェは、「秘教的な意味」については明かしていますが、「ヒエログリフ的な意味」については、最奥の秘儀としてほのめかすのみでした。

それでも当時、彼の著作は、高い評価を受けました。


<哲学的人類史>

ドリヴェが続いて1821年に発表した「哲学的人類史」は、もう一つの主著です。

この書では、「ヘブライ語の復興」で行った彼独自の解読法を他の文明の聖典にも拡大し、空想的な地球史、人類史を描きました。

ドリヴェは、地球や他惑星が生物であると考えました。
そして、地球は太古に多くの惑星が融合して作られたのであり、諸大陸は融合した各惑星の名残りだとしました。
ですが、月だけは地球に融合せず、進化の道から外れたのです。

地球で最も進化した大陸はアジアで、以下、レムリア、アトランティス、アフリカ、ヨーロッパの順に、固有の人種と文化が発展しました。

1万年ほど前の時代には、白色人種が北極地方に発生し、「ハイパーボーリア人」と呼ばれていました。
この頃、黒色人種のアトランティス人は、赤道付近に発してアフリカ、アジアを広く支配し、高度な文明を誇っていて、黄色人種は黒色人種に隷属させられていました。
赤色人種はかつての支配者でしたが、その大陸が天変地異で海に沈み、今はアメリカ大陸の高山部の残るのみでした。

しかし、ケルト系の白色人種にラムという名のドゥルイド神官が現れます。
彼に導かれて、白色人種は黒色人種との戦いに勝利し、インドを中心にしてリビアにまで至る世界帝国を築きました。
そして、黒色人種の一元論思想と、ケルトの祖霊信仰などを統合した普遍的な統一原理を作り上げました。

ですがその後、男性原理の宗教、女性原理の宗教、善悪2元論の宗教などが現れて、帝国に分裂が生じました。
ですが、インドでは、クリシュナが、「霊(ブラフマー)」、「魂(ヴィシュヌ)」、「体(シヴァ)」の3分説を創始し、統一を回復しました。

また、エジプト文明は、この赤色人種、黒色人種、白色人種などの古代の知恵を保存してきた。
それを部分的に継承したのが、モーゼ、ブッダ、オルフェウスで、3人の思想は、「霊」、「魂」、「体」の知恵に対応します。

ドリヴェはキリストを特別視せず、多くの選ばれた人間の一人に過ぎないと主張しました。
そして、「原罪」の思想は、間違った2元論のゾロアスター教からもたらされた思想であるとしました。
このように、彼はキリスト教に特権的な地位を与えませんが、それは白人種に特権的な地位を与えることの裏返しでした。

ドリヴェのもう一つの特徴は、古代に優れた文明があったとしながらも、人類の歴史を進化論的に考えたことです。
原罪を認めないのもその考え方の表れです。
また、ヒンドゥー教の4つのユガを、退化・堕落ではなく、進歩として逆転させ、鉄の時代から黄金の時代に至るものとしました。


ドリヴェの「哲学的人類史」は、その後、ほとんど忘れ去られてました。
ですが、サン=ティーヴによって発掘されます。
サン=ティーヴは、1884年に出版した「ユダヤ人の使命」で、出典を明記せず、自説のようにしてドリヴェの説を主張しました。
ですが、これをきっかけに、ドリヴェは、パピュス周辺のフランスのオカルティスト達に知られるになりました。

また、「哲学的人類史」は、ブラバツキーが「シークレット・ドクトリン」で展開した人類史にも影響を与えたと思われます。

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