中国のミトラ教(明教・白蓮教) [中国]

中国では、ミトラ教系の諸宗教が多様に展開しました。
明教(マニ教)や弥勒信仰の影響を受けて多数生まれた民間宗教の多くは、革命的思想を持っていたため、各王朝で弾圧され、秘密結社化しました。
清朝も、危険な宗教結社を総称して「白蓮教」と名付けて弾圧しました。

当ブログでは、東條真人氏の見解を参照して、ミトラ神、及びその影響下で生じた神を主神とする宗教、信仰を総称して、広義に「ミトラ教」と表現しています。
そして、その中国での展開も、同様に「弥勒教」と表現します。
「ミトラ教」、「弥勒教」は分析概念として抽象して初めて見える運動体です。



<ミトラ教>

まず、前提として、「ミトラ教」について復習的にまとめます。

ゾロアスター教は実質的にはアフラマズダを主神とするので「マズダ教」であると言えます。
一方、マニ教は実質的にはミトラ神を主神するので「ミトラ教」の一種であると言えます。

ミトラ教は伝統的なイランの宗教であり、マズダ教はイラン東部に新興した改革派でした。
両宗教潮流はその後も、長く、敵対的関係にあります。

マズダ教は民族宗教でイラン人以外に布教しないのに対して、ミトラ教は世界宗教となりました。
この関係は、ユダヤ教とキリスト教、ヒンドゥー教と仏教の関係に似ています。

ですが、キリスト教、仏教、イスラム教が帝国の国教となった世界宗教であるのに対して、ミトラ教は帝国の国教にはほとんどならず、むしろ弾圧されて、諸帝国を超えて全ユーラシアに渡って広がった宗教であり、「超世界宗教」と呼ぶべき宗教です。

また、ミトラ教は、神格に固有名詞を使わず、各地の神の名前を使ったり、各地の宗教に入り込む形で、時代、地域によって様々に形を変えてきました。
実際、ミトラ教は、ユダヤ、キリスト、イスラム、仏教、ヒンドゥー教、道教にも大きな影響を与えた宗教です。

また、ミトラ教はカルデアの占星学と結びついて、ユーラシアの神智学の原型となりました。
ミトラ教には秘教という側面が大きくありませんが、人間の魂の深層に神性が眠っているというグノーシス的な人間観を持っているため、秘教性を秘めています。

ミトラス教、マニ教は、ミトラ教の代表的な形ですが、中国におけるミトラ教である弥勒教(白蓮教)は、信者数で言えば、それを上回ります。

ミトラ神は、光、太陽、契約、友愛、軍神、終末の救世主、星座の主宰者、死後審判の神、少年神、岩(洞窟)からの誕生、牛の供犠、岩を射て泉を湧かせる、などを特徴とする神です。

ミトラ神の各地での呼び名は、インド、ミタンニで「ミトラ」、古代イランのアヴェスタ語で「ミスラ」、ギリシャ語で「ミトラス」、パファビー語で「ミフル」、ソグド、カシミール、クルドで「ミール」、バクトリアで「ミイロ」などです。

また、ユダヤ教の「メタトロン」、仏教の「マイトレーヤ(弥勒)」、マニ教の「マニ」、ボン教の「ミーウォ」という語も、「ミトラ」の変形と思われます。

そして、オルフェウス教の「エロス=ファーネス」、「ヨハネ黙示録」の「キリスト」、イスラム教シーア派の「アル・マフディー」、ヒンドゥー教の「カルキ」、道教の「金闕聖後帝君」などの神格も、ミトラ神が原型でしょう。


<弥勒信仰・布袋信仰>

中国の弥勒教の核心は、救世主としての弥勒の下生信仰です。
ですが、中国の弥勒は、「マイトレーヤ」と「ミトラ」の習合神です。

仏教の「マイトレーヤ(弥勒菩薩)」は、紀元前後、パルティア、バクトリアのミトラ信仰の影響で、イラン東部からインド北部で生まれました。

弥勒菩薩が修行している兜率天に往生したいという「上生信仰」と、未来に弥勒仏が地上に現れて人々を救うという「下生信仰」があります。

シルクロード都市(西域)でも、中国、朝鮮、日本でも、この仏教化した弥勒菩薩信仰と、仏教化していないミトラ神の信仰が併存していました。
中国には、ソグド人を通して、マニ教だけでなく、多様なミトラ神の信仰がもたらされたと思われます。

そのため、ミトラ神の方も「弥勒」と呼ばれるようにもなり、各地、各時代に、互いに影響を与えあうことで、両神格が複雑な歴史を重ねることになりました。

中国では北魏時代に弥勒信仰が興隆し、552年が末法の始まる年とされました。
そして、5-6Cに、「法滅尽経」、「普賢菩薩説証明経」などの偽経によって、弥勒信仰が末法思想と結びつき、弥勒は、軍勢を率いて魔物を退治する、イラン的・非仏教的な存在となりました。
仏教の弥勒信仰には導入されていなかった末法思想が、中国でミトラ教から結びついたものでしょう。
弥勒信仰は、「下生信仰」を中心に、仏教から離れて、他の宗教と結びつき、民衆の革命思想となっていきました。

また、弥勒信仰は布袋信仰と結びつきました。
布袋は、唐末の明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したとされる伝説的な仏僧です。
布袋が死の間際に残した偈文の内容が、弥勒の化身が世に現れても誰も気付かない、というものだったため、布袋は弥勒菩薩の化身だったという伝聞が広まりました。

そして、布袋は、釈迦の裏仏(後戸の神)や、白蓮教徒の守り神になりました。

また、布袋は禅僧だったとされるようになり、禅宗とも結びつきました。

禅の「十牛図」の最後に描かれているのは、どう見ても布袋であり、この意味は、修行者が最後に弥勒菩薩に出会うことを意味します。

イランにはミトラに托鉢僧が出会う物語や絵があります。
「十牛図」では、真の自己が牛として描かれますが、牛はミトラ神の属性と一致しますし、ミトラ教には、心の奥にある明性を呼び起こす教えがあります。
「十牛図」には、禅だけでなく、ミトラ教の求道物語の影響があるのでしょう。


<明教>

唐代に王朝によって保護されて広がった西方起源の宗教を「三夷教」と呼びます。
「景教(ゾロアスター教)」、「景教(ネストリウス派キリスト教)」、「明教(マニ教)」です。

マニ教は、唐時代の694年に中国に伝来し、「明教」、「摩尼教」、「末尼教」、「二宗教」と表記されました。
則天武后が官寺として長安城に明教の寺院の大雲寺を建立したのですが、これは、明教を国教としていたウイグルとの関係を良好に保つためと言われています。
また、中国では、明教がもたらした占星学や暦が魅力的でした。

明教を中国に伝えたミフル・オルムズド(密烏没斯)は、則天武后に「二宗経」を献上しました。
「二宗」というのは、明暗二元論という意味です。
明教は、漢訳に当たって、仏教用語を多数転用しました。
明教では、ミトラを「古仏弥勒」や「天真弥勒」、最高神ズルワンを「明尊」、悪の最高神アーリマンを「魔王」などと表現しました。

ですが、843年に武宗によって明教が、また、845年の会昌の廃仏では仏教のみならず三夷教も禁教とされました。
そのため、明教の司祭は、福建省の泉州に逃れて、この地で布教を行いました。

それ以降、明教は変質し、秘密結社化、民衆化、多様化して拡大していきました。
そして、民衆の不満を革命思想として表現してまとめる役割を果たし、何度も反乱を起こしました。

その一方で、明教自身は道教化を企てて、北宋時代の1019年には、「道蔵」に明教経典も掲載され、明教は正式に道教の一派になりました。
その後も道教化を進めて、12Cの前半には明教の寺は完全に道観になりました。


<白蓮教の歴史>

「白蓮教」は、清朝が革命思想を持つ一連の民間宗教結社を総称して禁教としたものです。
ですから、この名前には、体制側からは危険な邪教という意味が含まれます。

弥勒下生信仰を核として、多数の宗教・信仰を折衷しているのが特徴です。
当ブログでは、「明教」、「白蓮教」を含んで、ミトラ教の系列の宗教を広義に「弥勒教」と総称します。

白蓮教は、南宋代に天台宗系の慈昭子元によって、浄土教系の念仏結社の「白蓮宗」に、弥勒下生と終末救世思想を結びつけることで生まれたとされます。
そして、元代には、民衆宗教の代表というべき宗教に成長しました。

廬山東林寺の普度が「廬山蓮宗宝鑑」10巻を著し、大都に上京して白蓮教義の宣布に努めたため、布教の公認を得ましたが、その後すぐに、再度、禁教とされました。
韓山童が教主になると、自分は宋の徽宗皇帝の子孫だと宣言し、元朝を倒して宋の復興を主張しました。

明の創始者の朱元璋は、白蓮教徒として、白蓮教が起こした「紅巾の乱」(1351-1366)に参加して元を倒しました。
「明」という国名は、ミトラの「光の国」から命名されたという説もあります。
ですが、朱元璋が皇帝となると、一転して白蓮教を弾圧したため、秘密結社化しました

白蓮教は、清代には乾隆帝の時に勢力を盛り返し、新教団が次々誕生し、各地山東省、四川省などで反乱を起こしました。
行政府は、信仰の内容に関わらず、取り締まるべき逸脱した民間宗教結社をまとめて「白蓮教」と呼んで、弾圧しました。

代表的な宗教結社には、「八卦教」、「西天大乗教」、「西大乗教」、「東大乗教」、「大乗円頓教」、「混元教」、「三陽教」、「黄天道」、「一貫道」などがあります。

そのため白蓮教は秘密結社化し、乾隆帝が嘉慶帝に皇位を譲ると、1796年には「白蓮教徒の乱」が起こりました。
白蓮教徒たちは弥勒下生を唱え、死ねば来世にて幸福が訪れるとの考えから命を惜しまずに戦いました。


<弥勒教(白蓮教)の思想>

弥勒教(白蓮教)では、ミトラ神を、「白仏」、「白仏明王」、「白弥勒」、「弥勒明王」、「聖弥勒観音」などと表現します(以下、「弥勒」と表記)。
弥勒は、世が乱れた時に救世主として現れ、人々を救い、神秘の都に導きます。

また、ミトラ神は12正座の主宰者なので、北極星信仰と習合して「妙見大菩薩」とも表現されます。
「妙見菩薩」は「すべてを見張る」というミトラの属性を翻訳したもので、北斗七星を使って天地を動かし、人間の心身を作ります。

弥勒には、根源神ズルワン=ミトラとしての「古仏弥勒」の姿と、終末の救世主(未来仏)としての「弥勒仏」の姿と、現在の世で化身となって教えを説く「無為祖師」の姿と、その童子形の「弥勒童神(聖弥勒観音)」の姿があります。

また、ソフィア(アナーヒター)は、白衣観音、西王母、碧霞元君が習合して、「無極聖母(無生老母)」と呼ばれるようになりました。
弥勒教の特徴は、根源女神としての「無極聖母」を重視することです。
「無極聖母」は、弥勒に救世を依頼する存在です。


現代末から明代にかけて、ミトラ教神話が中国化した弥勒教の神話が成立しました。
明代末に成立した、無為金丹教の教典「九蓮宝巻」は、次のような神話を説きます。

「古仏弥勒」が宇宙を創造し、時間を分けて、過去・現在・未来の「三陽」とした。
「三陽」は三面一仏(定光仏・釈迦仏・弥勒仏)が管理する。
「古仏弥勒」は9億6千万の光の子(明性)をこの世に下ろし、男女を分けた。
すると、彼らは欲に染まってしまった。

「無極聖母」は明性達を救い出して、西天浄土に連れ帰るように「古仏弥勒」に頼み、「白蓮の教え」、金丹術を記した聖なる経典を渡した。

「古仏弥勒」は何度も転生して、善男善女を西天浄土に送り届け、仏教・儒教・道教を作り上げた。
現在の化身である「無為祖師」は、「皇極金丹大道」教えを説いて人々を導いている。
「皇極の劫」の世の終わりには、三災が世界を破壊することになるが、その前に弥勒仏が現れ、真の宗教を打ち立てて西天浄土への道を作り出す。


また、「弥勒教」は、民衆的である一方、実践においては、仏教の時輪タントラのヨガと称するものや、道教の全真教の内丹法などの、秘教的な修行も取り入れたようです。


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