川面凡児の霊魂観 [日本]


ほとんどの古神道家がマイナーな存在だったのに対して、川面凡児は、全国の神社神道界にも大きな影響を与えました。

彼は失われた古神道の禊行を復活させたと主張し、その行法は、全国の神社にも取り上げられました。
ですが、その行法は、神人合一に至る鎮魂法の一部でした。

また、川面凡児は、その霊魂観・神観は独自な体系性を持ったものでした。

このページでは、まず、彼の歩みと霊魂観を、次のページでは、鎮魂行法をまとめます。

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<歩み>

川面凡児(本名:恒次、1862-1929)は、豊前国宇佐郡に生まれました。
父の字は吉範で、神職の家系ではありませんでしたが、古神道の秘伝を継承する者を輩出してきたとされます

曾々祖父は、湯布ヶ嶽の380歳の仙人から秘儀を授けられたといいます。
また、祖父は、京都で「フミ」(応仁天皇までの歴史書)、「真魂」(日本文明が中国文化の根源になった次第を説く書)という「古事記」以前の書ではないかと思われるような古書を、平田篤胤と買い争って先に入手しました。

凡児は、12歳頃のより神道の研究を始め、15歳の時に、宇佐八幡の神体山の馬城峰で697歳の仙童の蓮池真澄に出会い、3年間、修行を積み、神伝を授けられました。

また、国学、漢学を学んで育ち、1885(明治18)年、23歳の時に上京しました。
東京では、縁あって小石川の浄土宗の伝通院に住み込み、仏典の研究を行いました。
そして、仏教系の雑誌に論文を発表したり、女学校で教鞭をとりました。
その後、政治ジャーナリストとして活躍しました。

ですが、1906(明治39)年、川面凡児を名乗り、「大日本世界教稜威会本部」を設立しましや。
そして、奈良朝以前の古神道の復興を目指して、在野の神道家としての活動を開始しました。
彼は、自身の神道については、「禊流」、「住吉大神春日大神の伝」と称していました。

当時、内務省が管轄する国家神道は、霊性なき神道であり、これに反対する勢力がいました。
川面凡児は、こういった勢力の支持を集め、神道界の改革派の理論及び実践上の指導者となりました。

凡児は、大正3年に、「古典考究会」を設立し、禊行を教授しましたが、この会には、軍部や学者の著名人も多数参加しました。
また、大正12年には、全国神職会で講演を行いました。

昭和天皇即位の際には、祭事の意見役となり、途絶えていた古神道の秘儀を指導し、皇室の祭祀を司る白川伯王家からも高い評価を受けました。

昭和16年には、大政翼賛会によって凡児の禊行が国民的に普及され、神社本庁の行法として認知されるようになりました。
今日の神社神道で行われている禊行は、凡児に由来します。

有名人では、大隈重信も凡児に傾倒し、相談役として頼っていたそうです。

凡児は、南極探検隊に、あらかじめ霊視した地図を渡して、その地図によって隊は九死に一生を得たとも伝えられています。
千里眼、テレポート、霊体離脱、遠隔人心操作など、凡児の神通力に関する逸話は、数え切れないほど伝えられています。

凡児の主な著作には、「祖神垂示の霊魂観」、「祖神垂示の天照太神宮」、「日本民族宇宙観」、「大日本最古の神道」などがあります。


<霊魂観>

凡児は、霊肉一体の原子論とでも言うべき、独特な霊魂観、神霊観を持っています。
微細な霊魂が多数、集まって、万有が造られるのです。
そして、天にも地にも、万有には、霊と魂を持たないものは存在しません。

凡児の宇宙観は、基本的にいわゆる流出的階層論です。
原初存在の「天之御中主神」がすべての「霊・魂・体」、すべての神々、万有を顕し、それらは「天之御中主神」帰します。

「一霊、万霊を顕し、万霊、一霊に帰す…一境、万境を顕し、万境、一境に帰す」(祖神垂示の霊魂観)

そして、一即多のいわゆる華厳的世界観という特徴を持っています。
特定の神の属性を、すべての神々、人間、万有が合わせ持ちます。

「八百万神悉く産霊神である、人類万有悉く産霊神である…一境相互に万境を顕し、万境相互に一境に帰しつつある」(祖神垂示の霊魂観)

以下、「祖神垂示の霊魂観」を中心にして凡児の霊魂観を紹介します。


原初の存在である「天之御中主」より直接生まれた最初の霊は、「直霊(なおひ)」と呼ばれます。
これは、霊的原子のような一点の霊であり、「霊(み)」とも表現されます。
この「直霊」が集まることで、様々な「霊」、「魂」、「体」の階層的存在が生まれます。

まず、概要を説明します。

最初に、「直霊」が、百千万の「直霊」を吸収統一して「魂」となります。
その中央にある「直霊」だけが主宰統一者です。
この「魂」は、「和魂(和身霊、にぎみたま)」と呼ばれます。

人間の男子は、「和魂」を父から、「直霊」を母から受け継ぎ、女子は逆になります。

次に、「和魂」が多数の「和魂」を吸収して、結晶して肉体となりますが、この身体を「荒身魂(あらみたま)」と言います。
「荒身魂」は、「魂」ではなく「肉体」なのです。

つまり、以下のような基本階層があるのです。

1 直霊
2 和魂
3 荒身魂

もう少し細かく説明します。

「霊」が集まって「魂」ができるのですが、その構成要素となる個々の「霊」を「生霊(いくむすひ)」と呼びます。
そして、多数集まった「生霊」を「足霊(たるむすひ)」と呼びます。
また、多数の「足霊」を主宰統一する「霊」を「玉留霊(たまつめむすひ)」と呼びます。
この3者を合わせて「三霊(みむすひ)」と呼びます。

同様に、「荒身魂(肉体)」の構成要素となる個々の「魂」を「生魂(いくむたま)」と呼びます。
そして、多数集まった「生魂」を「足魂(たるたま)」と呼びます。
また、多数の「足魂」を主宰統一する「魂」を「玉留魂(たまつめたま)」と呼びます。
この3者を合わせて「三魂(みたま)」と呼びます。

また、「玉留魂」以外の全身の個々の魂を「八十万魂(やそたま)」と表現します。

1 直霊 :天之御中主神から生まれた最初の霊
2 和魂 :三霊(生霊・足霊・玉留霊)の統一体
3 荒身魂:三魂(生魂・足魂・玉留魂)の統一体


さらに細かく見ると、「魂」は三階層で構成されます。
「魂(むすひ)」→「魂(むすび)」→「魂(たま)」です。

・生霊(いくむすひ):天之御中主神から生まれた最初の霊=神直霊
・生魂(いくむすひ):三霊(みむすひ)の統一体:根本直霊・大直霊
・生魂(いくむすび):三魂(みむすひ)の統一体:直霊
・生魂(いくたま) :三魂(みむすび)の統一体:和魂
・肉体       :三魂(みたま)の統一体 :荒身魂

「霊(むすび)」という表現が使われることもありますが、これらの違いについて、凡児は、神の即する時は「ひ(むすひ)」、人間に即する時は「び(むすび)」とか、単数の時は「ひ(むすひ)」、多数の時は「び(むすび)」とか、「魂(むすび)」は神に属し、「魂(たま)」は人類万有に属すなどと書いています。


また、「和魂」には、3つの「分魂(分派魂:われたま)」が存在します。
意志的魂である「真魂」、知的魂である「奇魂」、感情的魂である「幸魂」です。

ですから、本田親徳の「一霊四魂説」と比較すれば、凡児は「一霊三魂説」と言えるかもしれません。

・和魂:意識
>真魂:意志
>奇魂:智恵
>幸魂:感情


<造化三神と三霊神・三魂神>

凡児は、根源神である「天之御中主神」を「根本霊」、「宇宙大根本大本体神」などと表現します。

「天之御中主神」は、2つの次元の「分霊(分派霊:われみ)」と、「分魂(分派魂:われみ)」を生み出します。
凡児は、これらは、「高皇産霊神」と「神皇産霊神」以前に存在する神だと言います。

まず、「生霊神(いくむすひのかみ)」、「足霊神(たるむすひのかみ)」、「玉留霊神(たまつめむすひのかみ)」の「三霊神(みむすひのかみ)」が生まれます。

次に、「生魂神(いくむすびのかみ)」、「足魂神(たるむすびのかみ)」、「玉留魂神(たまつめむすびのかみ)」の「三魂神(みむすびのかみ)」が生まれます。

そして、「三霊神」と「三魂神」が合体した神が生まれます。
人間に直霊・和魂・荒身魂があるように、神も複数の次元に存在しえます。

この後、「三霊神(みむすひのかみ)」の統一体である「高皇産霊神(たかみむすひのかみ)」と「神皇産霊神(かみむすひのかみ)」の「二産霊神(ふたむすひのかみ)」が生まれます。
これは本体の本体の神と表現されます。

次に、「三霊神(みむすびのかみ)」の統一体である「高皇産霊神(たかみむすびのかみ)」と「神皇産霊神(かみむすびのかみ、これは上記合体神のことでしょうか?)」の「二産霊神(ふたむすびのかみ)」が生まれます。
これは本体の神と表現されます。

最期に、「三魂神(みむすびのかみ)」の統一体である「高産高神(たかみむすびのかみ)」と「神産魂神(かみむすびのかみ)」の「二産魂神(ふたむすびのかみ)」が生まれます。
これは現象神と表現されます。

・二産霊神(ふたむすひのかみ):三霊神の統一体:本体の本体神
・二産霊神(ふたむすびのかみ):三霊神の統一体:本体神
・二産魂神(ふたむすびのかみ):三魂神の統一体:現象神

「二産霊神」は、下記の性質を持ちます。

・高皇産霊:男性、顕界、外的活動、結晶体  、自我実体
・神皇産霊:女性、幽界、内的活動、清澄透明体、自性自我実体


<禍津毘>

凡児は、悪の原因を「禍津毘」として捉えて、それが外来して侵入した場合に、「汚れ・穢れ」が発生すると考えます。 

「魂」が穢れた場合に、それを「術魂(ばけたま)」あるいは、「禍魂(まがたま)」、「述魂(じゅつみたま)」、「魔魂(まがたま)」と呼びます。

鎮魂行は、「禍津毘」を身体から排除し、近づけないようにし、侵入できない統一体を作るために行います。

「禍津毘」が侵入した場合には、「直霊」の「八十万魂」に対する主宰統一が不十分な状態になって、分裂するのです。


凡児は、「息気(いき)」を重視します。
これは、「天之御中主神」から万有までが、放出しています。
「天之御中主神」の「息気」は、「稜威(みいづ)」とか「威厳(いか)」と表現します。

神や万有が放出する「息気」は空間に充満しています。
その多くは有益ですが、一方で、「禍津毘」の実体も、万有が呼吸する悪い「息気」です。


<死後>

「直霊」が肉体を、この世を去るのが死です。

死後の「直霊」は、他境に転生し大神に向上していきます。
ただ、無信仰、無修行だった者の「直霊」は堕落していきます。

また、「和魂」は霊代や位牌に止まって子孫を監督します。
そして、「荒身魂」は墓所に留まって邦土を守ります。

「和魂」の分霊である「真・幸・奇魂」は、各事業を守護・監督し、「直霊」、「和魂」、「荒身魂」の間をつなぎます。


<言霊論>

凡児は、日本語が世界の言語の原型であると言います。

また、天照大神から伝わる神代文字が存在するとし、これを「大和文字」あるいは、「出雲文字」と呼びます。
彼は、それが祖父が入手した「真魂」、「フミ」に記されていると主張しています。

日本語は、一音一義の「言霊」を持っていて、凡児は、これが天照大神の伝であるといいます。
人間は根本霊魂からの分霊ですが、言語はその人間からの分霊であり、一語一語に「霊魂」が宿ります。

凡児は、「言霊」も微分子・微原子であると考えます。
そして、「言霊」が集合して構成されたものが「思想」となります。

凡児によれば、根本祖音は「あ」であり、これは天照大神の「あ」です。

「い」は、外に向かって猛き活動を有する、開き進みて栄え昇る音です。
「う」は、内に向かって閉じ、満ち溢れる音です。
「え」は、「い」と「あ」を合した音で、猛烈強剛な音です。
「お」は、「あ」と「う」を合した音で、内容が充満した美妙荘厳な音です。


*「川面凡児の禊・鎮魂行法」に続きます。



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